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川隆夫の JAZZ BLOG
Profile

©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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「証言で綴る日本のジャズ」

「ジャケ裏の真実
ジャズ・ジャイアンツ編」
TALK EVENT■
小川隆夫ONGAKUゼミナール
@銀座le sept
3.19:ジャズメン、ジャズを聴く!


■TALK EVENT■
民音音楽博物館
「3月文化講演会」@神戸
3.26: 関西国際文化センター
コスモホール
TEL: 078-265-6595

詳細やその他ライナーノーツなどは 「Works & Information」へ>>
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e0021965_23382726.jpg 今月は、発刊がのびのびになっていた『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』(東京キララ社刊)がようやく出ます。前半はぼくがブルーノートのコンプリート・コレクションを達成するまでのストーリーで、後半は全ジャケット写真入りのアルバム・リスト(チェック項目つき)になっています。これだけでも200頁くらいあります。全部で400頁くらいになります。そのほか、ブルーノート・ブームの仕掛け人と言える東芝EMIの行方均さんとの対談もありますし、カラーの口絵頁では珍しいブルーノート・コレクションも紹介しました。まあ、ブルーノートに憑りつかれた男がどれだけお金と労力を使ってきたかという、呆れるばかりの話なんですが。でも、それを通してジャズの魅力やブルーノートの素晴らしさが少しでも伝わればと思って書きました。


【Broadcast】
毎週水曜日 『赤坂泰彦One On One』(Inter FM 76.1 7:20頃、出演)

【Activities】
02.18. 『小川隆夫ONGAKUゼミナール』(第7回:祝ローリング・ストーンズ来日)
駒場東大前Orchard Bar 21:00~23:00 チャージ1500 円(w/1 drink) 問い合わせ:03-5453-1777


【Books】
02.15. 『さわりで覚えるジャズ・ヴォーカルの名曲25選』(樂書舘)
    25人分のエピソードを執筆

02.25. 『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』(東京キララ社)


【Articles】
02.18. 『エンジョイ・スピーキング』(3月号) 
    「エッセイ:Reading JAZZ Bar #24(最終回)」

02.20. 『スイングジャーナル』(3月号) 
    「ディスク・レビュー」
    「名盤研究『オーネット・コールマン/ジャズ来るべきもの』」
    「ブルーノート新定盤座談会」

02.20. 『CDジャーナル』(3月号)
    「カラー・レビュー」
    「試聴記」
    「輸入盤紹介」

02.21. 東芝EMI会報『ブルーノート・クラブ』
    『マンハッタン・ジャズ・カタログ』と『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』の紹介

02.25. BOSE会報誌『BISTA』
    先日取材されたインタビュー掲載

02.28. 監修『マイルス・デイヴィス・アナログ・コレクション』
    第1回分(10枚)の発送


【Linernotes】
02.22. 『ジェフ・ベック/ワイアード』(ソニー)
02.22. 『ドナルド・バード/ステッピン・イントゥ・トモロウ』(東芝EMI)
02.22. 『KANKAWA(寒川敏彦)/ソウル・フィンガー』(&フォレスト)
02.28. 『マイルス・デイヴィス・アナログ・コレクション 第1回分』(ソニー)
by jazz_ogawa | 2006-01-31 23:39 | Works & Information | Trackback | Comments(8)
e0021965_1813039.jpg 11月に発売した『マンハッタン・ジャズ・カタログ』に連動させる形で、昨日は新宿の朝日カルチャー・センターで講座を開きました。内容は、代表的なライヴ・レコーディングを聴きながら、マンハッタンにある(あった)新旧のジャズ・クラブや穴場レコード店の紹介、それとライヴ情報の入手方法などについてです。持ち時間が1時間半なので、ダイジェスト的なお話しかできませんでしたが、少しはいらっしゃった皆さんのお役に立てたでしょうか?
 ひと前で話すのは苦手ですが、昨日はジャズ・クラブの写真などをスクリーンに写しながら喋っていたので、それほど苦にはなりませんでした。場内もほとんどの時間が薄暗かったし、スクリーンに顔を向けている時間が多かったので、何とかなったという感じです。

 改めて思うのは、マンハッタンには本当にジャズが息づいているってことでした。世田谷区くらいの広さの中に、一体いくつくらいのジャズ・クラブがあるのでしょう?
 ぼくが『マンハッタン・ジャズ・カタログ』の中で紹介したジャズ・スポットは173ヵ所です。その中にはたまにしかライヴをやらないレストランや、ジャズに限らず他のジャンルの音楽もブッキングしている店もありますので、実質的な意味ではもう少し数は少なくなります。それでも、相当な軒数であることは間違いありません。
 ニューオリンズで20世紀初頭に誕生したジャズですが、マンハッタンでは1910年代から演奏されるようになり、20年代以降は、現在に至るまでジャズの中心地として栄えてきました。その間に、どれだけのジャズ・クラブが誕生しては消えていったのでしょう? そうした歴史の中で、優れたミュージシャンが腕を競い、歴史に残る演奏が繰り広げられてきたんですね。

e0021965_18134169.jpg 「ジャズは生きている」
 これはぼくが常々感じてきたことですが、そのことを実感させてくれるのがマンハッタンのジャズ・シーンを辿ることでした。『マンハッタン・ジャズ・カタログ』を執筆しながら、そして昨日の講座で話をしながら思っていたのがこのことです。
 ニューヨークに行ったことがあるひとでもないひとでも、ジャズ・ファンなら、そしてジャズに興味があるひとなら、マンハッタンでジャズ三昧をしてみたい。そんな夢の実現に、少しでもお手伝いができればと思って書いたのがこの本であり、昨日の講座でした。

 ところで、朝日カルチャー・センターでの講座ですが、現在のところ、次はアーティスト単位でやってほしいとのオファーを受けています。というわけで、次回はマイルス・デイヴィスを何回かにわたってやりたいと考えています。ただし、4月に教室のフロアが変わることもあり、どうやら7月から始まる期でやることになりそうです。
 そういうわけで半年ほど朝日カルチャー・センターはお休みします。内心ほっとしている反面、頑張って続けてきたので、中断というのはちょっと気がそがれますね。でも、ほっとしている気持ちのほうが大きいかな?

 2月18日には2ヵ月に一度の「ONGAKU」ゼミナールを駒場東大前の「オーチャード・バー」で開きます。テーマは「祝ローリング・ストーンズ来日」です。内容は未定ですが、これまでに体験したストーンズ・ライヴのことや、このブログでも書きましたがチャーリー・ワッツの話で盛り上がりたいと思います。お時間がある方は是非いらしてください。

 そうそう、2月下旬にはようやく『ブルーノート・コレクターズ・ガイド』も出版されます。その出版記念イヴェントも版元が計画中です。これも決まり次第お知らせします。
by jazz_ogawa | 2006-01-29 18:17 | Works | Trackback | Comments(7)
e0021965_9574837.jpg 現在発売中の月刊プレイボーイですが、ジョン・コルトレーンの大特集を組んでいます。表紙はブルーノートから出た『ブルー・トレイン』に使われた写真ですから、見ればすぐにわかると思います。監修は中山康樹さんです。
 そして、この号にはぼくが監修した40ページの別冊付録「小川隆夫のジャズで歩くニューヨーク完全ガイド」がついています。先に発売した「マンハッタン・ジャズ・カタログ」のダイジェスト版です。内容はここを参照してください。
http://m-playboy.shueisha.co.jp/supplement/index.html
 雑誌が雑誌ですから、書店で立ち読みは憚れるかもしれません。でも勇気があれば、ぱらぱらとめくってみてください。本誌の特集は最初のほうに掲載されていますし、別冊付録は中ほどに挟まれています。別冊付録は注意して抜き出してください。思いっきり真ん中あたりを開くと、ちょっと恥ずかしい思いをするでしょうから。

e0021965_1032195.gif
 月刊プレイボーイは編集部に音楽好きのひとがいて、お陰でこれまでにジョン・レノン、ブルーノート、ビル・エヴァンスなどの特集や、ソニー・ロリンズの自宅インタビューをさせてもらいました。それで初めて知ったことですが、ジャズ特集やジョンの特集の表紙は、アメリカのプレイボーイ本社からクレームがついたようです。プレイボーイの規則によれば、表紙を飾るのは女性に限られているそうです。
e0021965_1045579.jpg ブルーノート特集のときは『クール・ストラッティン』のジャケットに使われた写真を用いたため、難を逃れました(女性の足が写っていたから)。ジョン・レノンの特集では、ジョンの顔写真の目玉をバニーにすることで切り抜けました。しかし、今回はコルトレーンがサックスを抱えた写真です。
 これで日本版の編集長は始末書を出すことになるかもしれません。しかし、こういうルール破り、ぼくは大好きです。ジャズは反体制の音楽なんですから、少しくらい遊びの精神がある悪さをしたっていいじゃないですか。女性の写真じゃないと売り上げが落ちる。こういう考えは、いまの時代にも通じるんでしょうか? そうだとするなら、ぼくはなんだか情けなく思います。

 ところで、明日はその「マンハッタン・ジャズ・カタログ」と連動した形の講座を新宿の「朝日カルチャー・センター」で行ないます。当日の飛び込みも大歓迎です。昼の1時から1時間半、どっぷりとマンハッタンのジャズに浸ってみたい方はぜひご参加下さい。申し込み先などはカテゴリーの「Works & Information」に書いてあります。
by jazz_ogawa | 2006-01-27 10:00 | Works | Trackback(4) | Comments(14)
 昨日は久しぶりにマイク・スターンのライヴを「ブルーノート東京」で観ました。このひと、いい意味でも悪い意味でも以前とまったく変わっていません。メンバーはボブ・フランセスチーニのテナー・サックス、アンソニー・ジャクソンのベース、そしてデニス・チェンバースのドラムス。この面子なら、ファンならずともサウンドの予測がつきますよね。

 自分でもギターを弾いていたことがあるので、ギタリストにはことのほか興味があります。マイク・スターンのプレイは、マイルスのグループで聴いたのが最初ですから、それから25年が過ぎたことになります。そのときのロック的な響きが強く印象に残ったことを、「ブルーノート」のステージを観ながら思い出しました。
e0021965_2321847.jpg 前半は割とおとなしめでした。バンドが一体となってがんがん行きそうにはなるのですが、次の瞬間、ブレーキがかかってしまいます。乗っていないわけではないんですが、構成上そうしているんでしょうね。一緒に観ていた平野啓一郎さんは、終わってから「ウインダムヒルのレコードを聴いているみたい」なんて言っていました。
 ところが後半はひとが変わったように凄い内容になりました。デニス・チェンバースが大暴れをして、バンド全体を引っ張り始めたんです。こうなるとマイク・スターンも負けていません。「どうして出し惜しみしていたのよ」と言いたくなるほど面白いフレーズが次から次へと飛び出してきました。
 ふたりに煽られて、サックスのボブ・フランセスチーニも大ブローです。それでもひとりすまし顔で淡々とベースを弾くアンソニー・ジャクソンの姿が微笑みを誘います。このひと、いつも機嫌がいいのか悪いのかわからないような感じで、表情を顔に表しません。しかし、ぐいぐいグルーヴするベース・プレイを聴けば、乗っていることは一目瞭然です。
 マイク・スターンもアンソニー・ジャクソンもデニス・チェンバースも、相変わらずぼくにとっては最高のプレイヤーです。10年以上前にデニスの初リーダー作品をプロデュースしたんですが、あのときとルックスもプレイもまったく変わってないことに気がついて、ほっとした気分になれたのはどうしてなんでしょうね?

 デニスのリーダー作をつくることは、ぼくの夢のひとつでした。でも、恐れ多くてリーダー作を作りたいなんて切り出せなかったんです。その時点で、彼はフュージョン・シーンにおける最高のドラマーのひとりになっていました。ひっぱりだこの人気者で、マイルス・デイヴィスの誘いも断ったほどですから。
e0021965_2323326.jpg GRPやアトランティックからオファーが来ている話も聞いていましたし、無名の新人プロデューサーであるぼくなんかおこがましくて、という感じでした。ところがあるレコーディングに参加してもらったのをきっかけに、ぼくたちはすっかり意気投合したんです。
 そんなこんなでいろいろと話をしているうちに、リーダー作を作ろうということで盛り上がりました。ぼくにしてみれば棚からぼた餅です。それからふたりでメンバー選びと選曲に取り掛かりました。デニスは曲が書けません。しかし、彼にはいろいろなひとから「演奏してほしい」とオリジナル曲が寄せられていたんですね。それらを聴きながら、アレンジャーにジム・ベアードを起用してのアルバム作りが始まりました。

 いい話があります。アンソニー・ジャクソンから、一面識もないぼくのところに電話がかかってきたんです。
 「デニスのレコーディングに参加したい」
 びっくりしました。予算の関係で、頼みたいけれど頼めないと諦めていたのがアンソニー・ジャクソンなんですから。その本人からの電話を受けて、ぼくはどきどきしながら、「予算的にちょっと・・・」と切り出しました。
 「ギャラはいくらでもいいよ」
 日ごろから世話になっている親友のためならお金は二の次でいい。普段はこわもてのアンソニー・ジャクソンですが、実は心の優しいひとでした。それも、デニスとの友情があればこそです。

 デニスもひと柄のよさでは最高です。こんなにいいひとは滅多にいません。アルバムにはボブ・バーグやジョン・スコフィールドなんかも参加してくれました。有難いことに、みな格安のギャラです。いつもデニスには世話になっているからと、彼らが恩返しをしてくれたんですね。
 デニスはアルバム・タイトルをこう決めていました。
 『ゲッティング・イーヴン』
 「これで貸し借りなしだ」。あるいは「貸しは返してもらった」とでも言いたかったのでしょうか?

 「ブルーノート東京」で大暴れをしているデニスのプレイを聴きながら、思いは10数年前のニューヨークのスタジオにトリップしていました。あのときのプレイが昨日の演奏に重なっています。デニスは変わっていません。でもこの普遍さがとても心地よく感じられました。
by jazz_ogawa | 2006-01-25 23:08 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(13)
e0021965_22551763.jpg 新宿に「ピットイン」がオープンして40年が過ぎたんですね。20周年記念のときも30周年記念のときもコンサートに足を運びましたが、なかなかに感慨深いものがありました。

 「ピットイン」に初めて行ったのはオープンして間もないころです。当時は、金・土・日の3日間だけライヴをやっていたように記憶しています。そのうちの毎週金曜日が渡辺貞夫カルテットで、けっこう通いつめたものです。入場料は500円くらいだったと思いますが、高校生の身には厳しいものがありました。それでも、若き日の菊地雅章や富樫雅彦の演奏に触れられたことは財産になっています。
 その後は新宿の大学に入ったので、週に何度も通った時期があります。あのころは「朝の部」、「昼の部」、「夜の部」の3部制で、「朝の部」と言っても12時ごろから始まり、無名のプレイヤーによる演奏でこれが150円、「昼の部」は3時ごろからで300円、「夜の部」が7時ごろからで500円とか800円だったでしょうか。
 当時は「ピットイン友の会」という名称だったと思いますが、年会費を払うと毎回入場料が割引になる会員組織があって、それに入会していました。週に3日と空けずに通っていたのが70年代の初頭から中盤にかけてです。
 この時代、渡辺貞夫を頂点に、日本のジャズが空前の盛り上がりを示していました。話題のミュージシャンはほとんどすべて「ピットイン」で聴いたと言ってもいいでしょう。ぼくは68年ごろから入り浸りになり、ここで山下洋輔トリオが初めてフリー・ジャズを演奏したステージも目撃することができました。また、何の前触れもなく来日したサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラのライヴも聴きましたし、伝説的なエルヴィン・ジョーンズのセッションは66年だったために観ていませんが、その後に行なわれたエルヴィンのライヴはほとんど観ています。
 一時、「ピットイン」の別室みたいな形で「ニュージャズ・ルーム」というのが階上にオープンして、そこでフリー・ジャズ系のミュージシャンを随分聴いたことも懐かしいですね。
 あと、いまから15年以上前になりますが、友人と組んで毎月最終月曜の夜に「ナウズ・ザ・タイム・ワークショップ」というライヴを2年間続けさせてもらったこともいい思い出です。名物マネージャーだった“怪物さん”には随分とお世話になりました。
 この「ナウズ~」から原朋直、大阪昌彦、五十嵐一生、椎名豊、村田陽一といったひとたちが巣立っていきました。それからこのライヴに出たグループを集めてオムニバス盤を2枚ファンハウスで作ったのですが、これがぼくのプロデューサーとしての出発点になっています。「サックス・ワークショップ」を開催したときには、ブランフォード・マルサリスが誰かのサックスを借りて飛び入りで吹いてくれました。

 そんなこんなで「ピットイン」にはひと一倍思い入れがあります。形は違うでしょうが、ぼくのように思い入れを持っているひとが沢山いると思います。そんなひとたちで、大雪の21日も路面が凍結した22日も、厚生年金ホールは満員の盛況でした。
 出演者も盛りだくさんです。最後にラインアップを貼りつけておきますが、大半のグループがフリー・ジャズに根ざした音楽をやっていることに、相変わらず“カッティング・エッジ”なジャズを聴かせてくれる「ピットイン」の心意気を感じました。
 2日間で13時間、13グループの出演です。すべてを観たわけではありませんが、その中で強く心に残ったのは、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、吉田達也+近藤等則によるペインキラーと、森山威男=板橋文夫グループでした。どちらのパフォーマンスからもぞくぞくする興奮を覚えました。
 そのほかにもハードなロックを思わせる梅津和時KIKI BANDや、たった15分の持ち時間しかなかった佐藤允彦のソロ・ピアノ、渋谷毅ORCHESTRAのソウルフルなサウンド、昨年発表した『ドラゴン』が素晴らしかった日野皓正クインテットの相変わらずのかっこよさ、そしてトリを飾った渡辺貞夫カルテットのハートウォームなプレイなどを聴いて、ぼくなりに「ピットイン」での数々の思い出にふけることができました。10年後の50周年は一体どんな風になるんでしょうね?

21日
■渋さ知らズ
■大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ
■三好“3吉”功郎スペシャル・ユニット
■梅津和時KIKI BAND
■Pain Killer
■室内楽団 八向山

22日
■What is HIP?+ケイコ・リー
■渋谷 毅ORCHESTRA
■佐藤允彦 plays Masahiko Togashi
■日野皓正クインテット
■辛島文雄ユニット
■森山威男=板橋文夫グループ
■渡辺貞夫グループ
by jazz_ogawa | 2006-01-23 22:59 | ライヴは天国 | Trackback(4) | Comments(8)
 滅多にないことですが、こんなぼくのところにもときどき取材の申し込みがあります。今回はオーディ・メーカーのBOSE社からインタビューのオファーを受けました。このところ、「ONGAKU」ゼミナールや朝日カルチャー・センターで同社に機材の提供を受けていることがきっかけのようです。
 BOSE社が会員向けに発刊している機関紙「ビスタ」という雑誌のためのもので、何と表紙も飾るというのだからびっくりです。ぼくが表紙になっても仕方がないのにと思いつつ、これもジャズを広めることに繋がればと考えてお引き受けしました。
 インタビューの場所はどうしましょうかと言われたので、一番落ち着けることからぼくの部屋でお願いしました。写真も撮るなら、レコードの棚とかが背景にあったほうがいいかな? とも考えた次第です。

 普段はこちらがインタビューアーですから、反対に質問されると妙な気分になります。インタビューアーの気持ちになってしまうんですね。それで、ついつい聞かれないことまで話してしまいます。
e0021965_029130.jpg でも、インタビューって話していて楽しくなければ内容も面白いものになりません。それが20年以上インタビューアーをしてきて出した結論です。というわけで、1時間くらいのインタビューでしたが、ぼくはとても楽しい時間が過ごせました。
 内容は、仕事のこととか、留学時代のエピソードとか、ブルーノート・コレクションについてとか、そういった話が中心です。それからBOSE社の製品についても聞かれました。ぼくは20年近く前にBOSEのスピーカーを買ったことがあります。また、最近はSound Dockを東京とニューヨークで2台所有しています。そんなこんなで「ビスタ」のインタビューとしてはよかったんじゃないでしょうか?

 インタビューをする側としては、インタビューを受けるのってちょっと恥ずかしいですね。いつものようにまとまりなくだらだらと話してしまったんで、それを纏めるのは大変だろうなぁなどと思っています。それから、写真を撮られることにもまいりました。インタビュー中の写真なら問題ありませんが、カメラの前でポーズを取るのはすごく緊張します。どんな風に写っているのか、インタビューの内容よりこっちのほうが心配です。
 でも、たまにはこういう風にいつもと違った仕事を受けるのもいいものだと思います。同じようなことを繰り返している日々にちょっとした変化が訪れることで、生活にめりはりができますからね。

 今日、というかもう昨日ですが、東京にも久々に大雪が降りました。整形外科医としては、滑って転んで骨折をするひとがいないことを祈っています。日曜は病院も休みですし、こういう日に怪我をするといろいろな意味で厄介です。皆さん、外出する際はくれぐれもご注意を。 
by jazz_ogawa | 2006-01-22 00:33 | Works | Trackback | Comments(2)
 作品を発表するたびに好きになるシンガー。そういうひとがエルヴィス・コステロです。デビューしたてのころはパンクでチープな印象のロッカーでした。しかしその声が妙に気になりアルバムが出ると買ってしまう──ぼくの中で彼はそんなポジションにいます。そして気がつくと、いつの間にかコステロはパンクなロッカーから魅力的なシンガーになっていたのです。
 ちょっとハスキーなヴォイスに心を奪われます。独特のスタイルを持っていると言ってもいいでしょう。こんな感じで歌が表現できるひとは、ポップスの世界にもジャズの世界にも見当たりません。
e0021965_231244100.jpg そしてこの10年ほど、コステロは少しずつ創造性を高めてきました。その頂点とも言えるのが新作の『マイ・フレイム・バーンズ・ブルー』(ユニバーサル)です。行き着いたところはジャズですが、彼のことですからお馴染みのスタンダードなんか歌いません。そこがロッド・スチュアートとは大違いです。
 脱線しますが、ロッド・スチュアートのジャズ・アルバムにはがっかりしました。創造性のかけらも感じられません。ロッド・フリークとしては、見てはいけないものを見た気分になって、あわててCDプレイヤーからディスクを抜き出したほどです。
 それに比べると、コステロの新作はジャズ的な要素を強く打ち出しながら、あくまで彼の音楽になっているところが見事です。同じイギリス人でもこうも違うものかといった思いを強くしました。

 アルバムで歌われるのは、これまでに発表した曲や、ミンガスやエリントンが書いたメロディにコステロがオリジナルの歌詞をつけたものなどです。それらをマイク・モスマンが中心にアレンジし、ストリング・セクションを含むメトロポール・オーケストラが伴奏をつけるという内容です。録音の舞台に選んだのは、世界最大規模を誇るオランダの「ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァル」です。そこにコステロの心意気を感じました。
 もちろん、これを単純にジャズ・アルバムと呼ぶわけにはいきません。アレンジやソロはジャジーな響きが中心になっています。しかし、コステロはこの作品で彼にしか表現できない音楽を作り上げました。そのためにジャジーな響きが必要だったのでしょう。
 ただし、それはコステロが自分の音楽をさらに拡大するための方便に過ぎません。ここでは過去のアルバムからも曲が選ばれています。音楽家として円熟した時代を迎ええつつある彼が、シンガーとしても飛び切り個性的で魅力的な存在であることを改めて示してみせたのがこの作品ではないでしょうか。

 ところで、ぼくはこの作品で嬉しい名前を発見しました。何曲かでアレンジを担当し、ステージではオーケストラも指揮したヴィンス・メンドーサです。彼とは浅からぬ縁があります。というのも、ぼくが本格的にプロデュースを始めるきっかけになったのがヴィンスのレコーディングだったからです。
 ヴィンスは90年に、自費でレコーディングをしていました。ところが途中で資金が底をついてしまいます。メンバーが凄かったんです。ボブ・ミンツァー、ジョン・スコフィールド、ピーター・アースキン、ジョー・ロヴァーノ、ラルフ・タウナー、ゲイリー・ピーコック、ウィル・リー、ジム・ベアード、マーク・コープランドなど、オールスターを集めたオーケストラで録音していたんですから。
 その話をたまたま日本のレコード会社にしたところ、残りの費用は出すから、お前もヴィンスと共同でプロデュースして来いということになりました。それまでにも日本人アーティストをプロデュースしたことはあったんですが、これがニューヨークでプロデュース業を始める第一歩になりました。
 そして次に続編を録音することになり、ここからぼくはプロデューサーとしてひとり立ちします。これは幸いなことにアメリカでもブルーノートの傍系レーベルからリリースされて好評を博しました。
 ヴィンスはこのアルバムをきっかけに作・編曲家として活躍するようになります。ジョー・ザヴィヌルがオーケストラを率いてドナウ河の河川敷で開催したコンサートでも編曲と指揮を依頼され、最近ではジョニ・ミッチェルのジャズ作品でもアレンジャーとしてクレジットされています。
 ヴィンスとは、その後10年ほど連絡を取っていなかったのですが、数年前に突如メールをもらい、最近ではときどき連絡を取り合っています。彼とコステロの間にどんなことが起こったのかは知りません。でも、才能豊かなヴィンスを選んだコステロの嗅覚はさすがです。機会があれば、ヴィンスにこの経緯を聞いてみようかと思います。
by jazz_ogawa | 2006-01-19 23:19 | MHR | Trackback | Comments(13)
 昨日は、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、行ってきました。渋さ知らズのライヴ。しばらくぶりに彼らのステージを見ましたが、以前にも増してパワーアップされていたステージににやりとさせられました。
 このオーケストラ、純然たるジャズ、それもフリー・ジャズをやっているのですが、完全にジャンルを超越しています。会場に集まったファンにも、ジャズ・ファンなんてほとんどいなかったんじゃないでしょうか。渋さ知らズをジャズのオーケストラだと考えるのが間違いなんですね。
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 ごった煮の面白さというか、このオーケストラにはさまざまな要素があります。そもそも、ホーン・プレイヤーの並び方が雑多です。通常のオーケストラなら、ジャズもクラシックも歌謡曲も、何でもそうですが、トランペット・セクションとかサックス・セクションとかにきちんとわかれています。ところが、渋さ知らズでは半円形にホーン・プレイヤーが並び、トランペット奏者の隣にサックス奏者がいて、その隣にトロンボーン奏者、次にまたサックス奏者とか、ばらばらなんです。計算されたポジションに配置されているのかもしれませんが、見た目は雑然としています。

 この「雑然」が渋さ知らズの本質かもしれません。ぼくは彼らの演奏を聴いていて、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ、バルトーク、ジョージ・ラッセル、スティーヴ・ライヒ、ジミ・ヘンドリックス、マイルス・デイヴィス、ローランド・カーク、ジャン・リュック・ポンティ、マハヴィシュヌ・オーケストラ、ラヴィ・シャンカール、山下洋輔、アルバート・アイラーなど、さまざまなひとの顔や音楽を思い浮かべていました。
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 この「雑然」は祝祭的なものも思わせます。盆踊りや阿波踊りからリオのカーニヴァルまで。日本的であって、外国的であって、何だか国籍不明。不思議なエスニック風味が醸し出されます。まったく関連はないのですが、ぼくのヘミングウェイ感にもどこかで通じているように思いました。
 ぼくがいいなと思っているは、音楽が非常に実験的でありながら、エンターテインメントになっているところです。凄いミュージシャンが集まって、やりたい放題と思わせつつ、その裏にしたたかな計算や構成が認められます。もうひとついいところは、フリー・ジャズでも踊れることなんですね。壮大な音楽絵巻をダンス・ミュージックにしてしまうしたたかさ。そこに渋さ知らズの面白さを感じます。
 オーケストラのメンバーにしても、通常の倍くらいの人数がいます。ヴァイオリン奏者がふたりいたり、バンドネオンみたいなものを弾いているひともいますし、ギターもふたり、チューバ奏者もどこかにいたみたいです。サウンドのぶ厚さと演奏のドライヴ感に圧倒されたステージでした。加えてダンサーや山海塾みたいなひとたちが出たり入ったりと、意味不明の面白さもこのオーケストラならではです。

 こういう音楽というかパフォーマンスは外国、とくにヨーロッパなんかで受けるんでしょうね。電撃ネットワークと渋さ知らズ。全然日本的でない日本のサブカルチャー(でも実はとても日本の土着性が認められるもの)が外国で受ける痛快さ。
 これまでのところ、レコード会社の肝いりで計画的に海外進出したアーティストのほとんど全部が討ち死にした事実を考えても、彼らのゲリラ的な進出には喝采をあげたくなってきます。というわけで、昨晩もいい夜が過ごせました。
by jazz_ogawa | 2006-01-15 18:38 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(8)
2006-01-13 チャーリー・ワッツ・インタビュー(後編)
 先日に続いてチャーリー・ワッツ・インタビューの後編です。今回も彼のジャズ・マニアぶりがうかがえる内容だと思います。

e0021965_2254256.jpg 「フェイバリット・アルバムの筆頭は何と言ってもトニー・ウィリアムスのライフタイムが最初に発表した『エマージェンシー』(ポリドール)。あの作品からはドラマーとして大きな影響を受けている。あと好きなドラマーをこれまでに挙げたひと以外で言うなら、アート・ブレイキーだね。彼のリーダーシップには恐れいる。しかも彼のスタイルはこの40年くらいほとんど変わっていない。それにもかかわらず、いまもってプレイが新鮮なんだから驚きだ。何と言ったかな? ブレイキーが日本のドラマーと共演したレコードがあったね。2年前にロンドンでそのアルバム(ジョージ川口との『キラー・ジョー』)を聴いたけれど、あれも印象に残っている。ブレイキーのいいところは、聴いたひとすべてを魅了してしまう点だ。ハンク・モブレーがいたころのジャズ・メッセンジャーズが個人的には好きだけれど、どの時代の作品も傾聴に値するんじゃないかな。マイルスと同じなんだ。若いひとを育てるのと、常にジャズのトップ・ミュージシャンでいるということにおいて、ブレイキーはね」

 「ウイントンにしたってブランフォードにしたって、実質的にはブレイキーのバンドから出てきたわけだし、長いこと若い才能を育ててきた彼の活動には敬服してしまう。話はちょっと飛ぶけれど、この間聴いたエルヴィン・ジョーンズのバンドにいた若いトランペッター(ニコラス・ペイトンと思われる)も凄かった。名前は忘れてしまったが、とにかくアメイジング。彼らのようなヴェテランが若手を育てていることは何て素晴らしい現実だろう」

e0021965_22563498.jpg 「好きな作品は沢山あって挙げるのが難しい。思いつくままに言えば、マイルスの『フォア・アンド・モア』(ソニー)、パーカーの『スウェディッシュ・シュナップス』(ヴァーヴ)、アート・ペッパーの『ミーツ・ザ・リズム・セクション』(コンテンポラリー)、ベニー・グッドマンの『カーネギー・ホール・コンサート』(ソニー)、ミンガスの『プレイズ・ピアノ』(インパルス)、それから彼がパーカーやバド・パウエルなんかとやった『ライヴ・アット・マッセイ・ホール』(デビュー)。これはジャズの歴史的な傑作だ。とにかくきりがない」

 「あと、好きなドラマーはエド・ブラックウェル、メル・ルイス、シェリー・マン、ダニー・リッチモンド。何て言うかな、ハートに感じればスタイルに関係なく好きになってしまう。ドラマー以外ならチェット・ベイカーもいい。1950年代のウエスト・コースト・ジャズっていうのはムードがあるからね。中でもベイカーは素晴らしい。彼はワン・ノートでチェット・ベイカーだとわかるサウンドを持っていた。マイルスもそうだし、ベン・ウェブスターもそうだった。非常にオリジナリティのあるミュージシャンということだ。『スケッチ・オブ・スペイン』(ソニー)なんかマイルスそのもののサウンドに満ちている。そうそう、日本ではベイカーのパシフィック時代の作品がCDになっているね。イギリスやアメリカじゃまだCD化されていない作品が沢山あるから早速レコード・ショップへ行ってチェックしなくちゃ」

「ビル・エヴァンスも好きなミュージシャンのひとりでね。以前、『シェリーズ・マン・ホール』に出演している彼を聴きに行ったことがある。結局、3セット全部聴いてしまったよ。本当にあのときの演奏は素晴らしかった。彼に話かけようと思ったけれど、気遅れしてしまったというか、近寄り難い雰囲気があってできなかった。シェリー・マンとはそのときに話せたけれどね」

 「好きなジャズ・クラブ? ニューヨークの『ヴィレッジ・ヴァンガード』かな。ニューヨークに行くたびに月曜はメル・ルイスのオーケストラを聴きに行くんだ。彼がついこの間亡くなったって聴いて本当にびっくりしたけれど、テクニック的なことなんかを随分アドヴァイスしてくれたのがいい思い出だね。あと、いまはなくなってしまったけれど『バードランド』。ここではソニー・ロリンズを初めて聴いている。1964年のことさ。ベン・ライリーがドラムスだった。ロリンズは本当の意味で天才だね」

e0021965_2313957.jpg 「あるときミックに聞かれたんだ。《サックスの音が欲しいけれど誰が一番だい?》ってね。だから最高のサックス奏者ならソニー・ロリンズだって答えた。そうしたら、次にニューヨークでスタジオに入ったらロリンズがいるじゃないか。驚いたよ(『刺青の女』のレコーディング)」

 「オーケストラを結成したのは、ロンドンの『ロニー・スコッツ』に一度でいいから出たかったのが理由だ。ストーンズじゃ出演させてもらえないもの、ジャズ・バンドじゃないからね。だからジャズ・オーケストラを作ったのさ。それからもうひとつ嬉しいことがあった。トロントでのことだ。大きなホールでコンサートが予定されていたんだけれど、あの『マッセイ・ホール』が昔のまま残されていることがわかった。キャパシティは小さいけれど、そこは我が儘を言って『マッセイ・ホール』でコンサートを開かせてもらった。パーカーやパウエルやミンガスが同じステージで演奏したのかと思うと感無量だったね。今度ツアーするなら『ヴィレッジ・ヴァンガード』とかのクラブ巡りもしてみたい。それから絶対日本にも来るからね」

 チャーリー・ワッツとはブルーノート談義でも盛り上がったのですが、それはいつか本に書こうと思っています。そういうわけで、出し惜しみするつもりは毛頭ないのですが、ちょっとご勘弁を。
by jazz_ogawa | 2006-01-13 23:56 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(9)
 以下はいまから15年ほど前に発表したインタビューを再編集したものです。長くなるのでぼくの話の部分は割愛して、チャーリー・ワッツの言葉だけを抜き出しました。今回はジャズとの出会いなど初期の話が中心で、次回に後編を紹介します。

e0021965_23241014.jpg 「ジャズに興味を持ち始めたのはアール・ボスティックの演奏を聴いてからだった。12歳のときだから1953年ごろじゃないかな? 「フラミンゴ」がイギリスですごく流行ってね。いとこがそのレコードを持っていたんだ。意識して聴いた音楽の最初がジャズだったってわけさ。それからいろいろ聴くようになった。自分で最初に買ったのがビリー・エクスタインのレコード。次がジェリー・マリガンの「ウォーキン・シューズ」だった。そのレコードでドラムスを叩いていたチコ・ハミルトンのブラシ・ワークが、子供ながらに素晴らしく映ったんだね。ストリートを歩いている感じがリアルに伝ってきた。それで、自分もジャズのドラムスをやるんだって思い立ったのさ」

 「でも、家じゃドラムスは買えなかった。だから、持っていたバンジョーのボディを改造してスネアのようなものを作ってね。「ウォーキン・シューズ」をかけながら一日中叩いていたっけ。それからチャーリー・パーカーやジョニー・ドッズやウディ・ハーマンのファースト・ハードのレコードも買った。パーカーを買ってからは、今度は彼と共演だ。そうやっているうちに17、8歳になって、ジャズ・クラブに出入りするようになる。よく行ったのがロンドンの『フラミンゴ・クラブ』。ここでさまざまなミュージシャンを聴いたよ。ローカル・ミュージシャンばかりだけど、みな素敵だった。ジャズ・ドラマーになりたい気持ちを行くたびに強くしたものさ」

 「当時のイギリスでは、モダン・ジャズよりトラディショナル・ジャズに人気があってね。わたしもパーカーやマリガンを聴く一方で、ルイ・アームストロングやシドニー・ベシェやホット・リップス・ペイジやビックス・バイダーベックが好きだった。ルイのホット・ファイブとホット・セヴンを初めて聴いたときはびっくりした。何て言えばいいかな、とにかく感動の種類が違った。でも、大きくなるにつれてモダン・ジャズにのめり込んでいった。MJQなんかすごく好きなグループだったよ。ミルト・ジャクソンのソウルフルなプレイ──あれは最高だ。あとはエリック・ドルフィー。彼のユニークなサウンドは衝撃的だった。それまでの考えかたが変わってしまうほど感じるものがあった」

 「ティーンのころに一番影響を受けたのはバディ・リッチ。彼はビッグ・バンドにもスモール・コンボにもフィットできる数少ないドラマーだ。それからアート・テイラー。本当は彼らのようにプレイしたかった。けれど自分のスタイルを説明するなら、ルイ・ヘイズやミッキー・ローカーのようなものかな。ローカルなジャズ・バンドに入って叩かせてもらったっけ。でも、それらの多くはディキシーランド・ジャズだったりエディ・コンドン・スタイルだったりした。一方、1960年前後のロンドンではスキッフルが非常に流行っていてね。ジャズとロックとカントリーとブルースと、とにかくそんな音楽がごっちゃになったようなやつさ。アメリカ音楽に憧れた若いロンドンっ子が始めたものだけれど、わたしもいくつかのスキッフル・バンドで演奏していた。1959年にはアレクシス・コーナーのグループに入って、そこで出会ったのがストーンズの連中だった」

 「大きかったのはキースとの出会いだ。彼はシカゴ・ブルースに詳しくてね。《ジャズをやるなら、その前にシカゴ・ブルースを聴け》って言われた。アレクシスのバンドもいつの間にかブルース・バンドになっていたしね。わたしも若いから音楽に対して柔軟だった。だから、シカゴ・ブルースにも耳を傾けるようになったんだ。ストーンズ結成前後っていうのはいろいろな音楽に夢中になっていた。メインはモダン・ジャズだったけれど、ファッツ・ウォーラーなんかもよく聴いてたよ。彼のグループにいたスティックス・ジョーンズはほとんどのひとが注目していないけれど、リズム・ドラマーとしては最高だと信じている。本当の意味でバーチュオーゾと呼べるひとなんだ」

 「バディ・リッチのようなドラマーに最初はなりたかった。けれど、トニー・ウィリアムスを聴いてからは彼一辺倒になった。ケニー・クラークやビリー・ヒギンズのコピーもした。このふたりはシンバルの使いかたが最高なんだ。でも、トニーを聴いたらもう彼しかいなくなった。バディ・リッチも、目のあたりにすれば口では言えないほど凄いドラマーだ。けれどトニーの魅力にはかなわない。エルヴィン・ジョーンズをもっとモダンにして、ビートをさらに複雑にしたドラミング──あれは革新的だった。最初に彼を観たのは1963年か64年かな。マイルスのバンドに入ってロンドンに来たときだ。トニーは多分18歳か19歳だった。ガーンときたよ。やられたなって感じだ。年下にこれだけ叩かれたら堪らない──そんな気持ちがしたことを覚えている。以来、トニー・ウィリアムスが最高のドラマーになった。彼がラリー・ヤングとジョン・マクラフリンの3人で結成したライフタイムはいまでも最高のバンドだと思っている」

 このインタビューを読めば、チャーリー・ワッツがどれほどジャズにのめり込んでいるかがわかると思います。次から次へと飛び出してくるミュージシャンの名前を耳にして、ぼくはぞくぞくする気分を味わっていました。次回はもっとマニアックな話になります。
by jazz_ogawa | 2006-01-11 23:19 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(17)
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