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川隆夫の JAZZ BLOG
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©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージ シャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連 の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィ スやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形 外科医としても第一線で活躍中。

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カテゴリ:愛しのJazz Man
  • 2007-04-14 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編(最終回)
    [ 2007-04-14 10:36 ]
  • 2007-02-28 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2007-02-28 20:55 ]
  • 2007-01-28 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2007-01-28 00:47 ]
  • 2006-12-28 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2006-12-28 23:27 ]
  • 2006-11-30 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2006-11-30 00:19 ]
  • 2006-10-30 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2006-10-30 23:18 ]
  • 2006-09-30 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2006-09-30 08:53 ]
  • 2006-08-30 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2006-08-30 23:06 ]
  • 2006-07-27 「愛しのJazz Man」@小僧com総集編
    [ 2006-07-27 21:33 ]
  • 2006-05-24 愛しのJazz Man~ブランフォード・マルサリス編
    [ 2006-05-24 00:47 ]
 いつもならその月の最後に総集編を紹介するのですが、今回は現在小僧comのWEBにアップされているエピソードで最終回となりましたので、3月分とその後の2回分を合わせて、ここにまとめて紹介します。
 「愛しのJazz Man」はタイトルも気に入っていますし、まだ書きたいこともありますので、今後は不定期になりますが、こちらのブログで継続していこうと思います。

 4月10日には無事『愛しのジャズメン』も発刊されました。こちらの本はこの連載と若干内容が重なる部分もありますが、基本的には書き下ろしです。それで、宣伝になりますが、ただいま小僧comでぼくのサイン入りの本も扱っています。興味のあるかたはhttp://www.kozocom.com/books/index.htmlをチェックしてください。
 また、版元の東京キララ社でも特典つきの限定版が販売されています。http://blog.dokei.jp/

 5月19日の「ONGAKUゼミナール・駒場東大前」でも、テーマを「愛しのジャズメン・パート2」とすることに決めました。前回は参加者が少なかったし、本もまだできていなかったので、今回もこのテーマがちょうどいいと思います。
 このときまでには河出書房新社から『ジャズマンはこう聴いた! 珠玉のJAZZ名盤100』も出ていると思いますので、内容はこれらふたつの本を掛け合わせたようなものにしようかなと考えています。
 それでは、最後の総集編です。

#034:Kankawa 寒川敏彦(org)
 ぼくの世代なら『11PM』というテレビ番組を覚えていると思う。月・水・金が東京の日本テレビ制作で司会が大橋巨泉、火・木が大阪の読売テレビ制作で司会が藤本義一だった。この番組の火曜と木曜のエンディング近くに、あるときからやけに唸り声の大きなオルガン・プレイヤーが登場し始める。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00034.html


#035:Tsuyoshi Yamamoto 山本剛(p)
 ぼくが知り合ったジャズ・ミュージシャンの中で、一番古くからつき合いをさせてもらっているのがヤマちゃんの愛称で知られる山本剛さんである。「日本のエロール・ガーナー」などと呼ばれているこのピアニストと知り合ったのは1970年代初めのころだ。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00035.html


#036:Mercer Ellington マーサー・エリントン(orchestra leader)
 アメリカのポピュラー音楽史上代表するひとりが、名バンド・リーダーにして名作曲家でもあったデューク・エリントンだ。彼はみずからが率いるオーケストラのために、数千曲ともいわれる作品を残している。ジャズはもとより、ポップ・チューンや宗教音楽、ときにはクラシックの手法にのとった曲まで書いているから、想像ができないほど豊かな才能に恵まれていたのだろう。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00036.html


#037:Benny Carter ベニー・カーター(as)
その年齢にもかかわらず、前向きな姿勢で演奏を続けてきた最高齢のミュージシャンがベニー・カーターだ。1907年生まれの彼は、1990年代になってからも来日公演を行ない元気なところを聴かせてくれた。昔の名声にすがって演奏だけはしているというひとなら、この年齢のミュージシャンもいるにはいる。しかしカーターのようにオーケストラを率いて、いまだに作・編曲もみずからの手でこなしているミュージシャンはほかにいない。その音楽もいまの時代にあって、なお示唆するものが多いのだから驚きだ。いったいカーターの若さはどこからくるものなのか?
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00037.html


#038:Billy Eckstine ビリー・エクスタイン(vo)
 ミスターBことシンガーのビリー・エクスタインは、マイルス・デイヴィスが世に出るきっかっけとなったオーケストラのリーダーである。1944年、マイルスは高校を卒業して地元のイースト・セントルイスでミュージシャンの道を歩み始めていた。そんなある日、街に彼のオーケストラがやってくる。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00038.html


#039:Hank Mobley ハンク・モブレー(ts)
 幸運なことにハンク・モブレーとは一度だけだが会うことができた。マンハッタンは43丁目の「タウン・ホール」に隣接するニューヨーク大学のクラブ・ハウスでのことだ。
 1985年2月22日。この夜、「タウン・ホール」ではブルーノートの新たな活動を祝うコンサート「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」が開催された。出演者のリストには入っていなかったものの、ブルーノートに幾多の名盤を残したモブレーがオールスター・メッセンジャーズに加わって演奏するのでは? という噂も流れていた。
 コンサートで音楽監督を務めるマイケル・カスクーナによれば、モブレーは1970年代初頭に故郷のフィラデルフィアに戻って以降、肺疾患に悩まされ、年に数度の演奏しか行なっていないという。それでも彼からの連絡によれば、この日は久々にニューヨークへやってくることになっていた。体調さえよければステージにあがるという返事も受けていた。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00039.html


#040:Miles Davis マイルス・デイヴィス(tp)
 ぼくがジャズに本気でのめり込むようになったのは、マイルス・デイヴィスのレコードを聴いたからだ。それまでにも少しはジャズを聴きかじっていた。ところが高校2年のときにラジオから流れてきた『マイルス・スマイルズ』(ソニー)に心を奪われてしまった。以来、彼を中心に40年、ジャズを聴き続け、いまのぼくがある。
 そのマイルスに初めてインタビューをしたのは1985年のこと。そのときになぜか気に入ってもらえたようで、以来、彼がこの世を去るまでの6年間、東京のホテルやニューヨークのアパート、晩年はホテル住まいをしていたから、セントラル・パークが眺望できるスイート・ルームなどでいろいろな話を聞かせてもらった。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/index.html
by jazz_ogawa | 2007-04-14 10:36 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(12)
 このブログでも何度か書いてきましたが、単行本の『愛しのジャズメン』(東京キララ社)の発売が遅れています。3月中には何とか出してほしいと思っていますが、まだはっきりとしためどは立っていません。とくにトラブルがあるわけじゃないのですが、出版社の段取りが思惑どおりに進まず、いまにいたっても発売日が決まりません。
 昨日もらったメールによれば、今週末には何とか表紙を完成させるそうですし、これまで宙に浮いていた販売の取り扱いも、いままでどおり三一書房で発売してもらうことになったそうです。
 なにぶん相手がいることです。こちらの思いどおりに物事が運ばないこともあるでしょう。仕方がありません。それに比べれば、こちらの「愛しのJazz Man」はひとりでやっていることのなので、自分の思いどおりになんでもできます。
 そういうわけで、2月もきっちり4回、小僧comに掲載することができました。以下はそれらの冒頭部分です。


#030:Michael Cuscuna マイケル・カスクーナ(producer)
 ブルーノートの膨大な未発表テープを調査・整理・発表したのがマイケル・カスクーナだ。彼はもともとロックのプロデューサーで、ボニー・レイットのアルバムなどを制作していた。そのうちジャズとのつき合いも出てきて、シカゴのデルマーク・レーベルなどでブルースとジャズのプロデュースを開始する。またロック史を飾るグループ、ドアーズの司会も務めており、彼らが発表したライヴ・アルバム『アブソルートリー・ライヴ』(エレクトラ)にはその模様が収録されている。
 カスクーナの自慢はドアーズの司会をしていたときのエピソードだ。野外の大会場でコンサートがあったときである。バンドの登場をいまかいまかと待ち構えたいた数万の聴衆を前に、彼はいたずら心を発揮して4文字言葉の「F★C★」を絶叫した。すると、会場がこの大合唱でこだましたという。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00030.html


#031:Lorraine Gordon ロレイン・ゴードン(jazz club owner)
 創業70年以上が過ぎたニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」を仕切っているのがロレイン・ゴードンである。オーナーで夫のマックス・ゴードンが死去した1989年以降は、彼女が女主人としてこの《世界一のジャズ・クラブ》と呼ばれる人気スポットを現在までしっかり受け継いできた。
 ロレインがゴードンと結婚したのは1957年のことだ。それ以前、彼女はブルーノートの創業者でプロデューサーだったアルフレッド・ライオン夫人として知られていた。もともと熱心なジャズ・ファンだった彼女は、それが縁でライオンと結ばれている
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00031.html


#032:某日本人カメラマン(photographer)
 つき合っているフォトグラファーは何人もいるが、ライスの愛称で親しまれているこのひとほどジャズ・ミュージシャンの懐に飛び込んでいくカメラマンは珍しい。内外のアーティストやジャズ関係者から「ライス」、「ライス」と親しみを込めて呼ばれ、本人のひと懐っこい性格も重なり、彼はどんなに気難しいアーティストからもいい笑顔を引き出してみせる。
 「写真は趣味」といい切るだけあって、多くのミュージシャンが集まってくるフェスティヴァルでは、昼間の空き時間に自分が撮影したいミュージシャンのフォト・セッションに精を出す姿もよく見かける。ライスに撮ってもらいたいと希望するミュージシャンもいるのだからたいしたものだ。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00032.html


#033:Michael Brecker マイケル・ブレッカー(ts)
 敬愛するマイケル・ブレッカーが長い闘病生活の果て、1月13日にこの世を去りました。以下の文書はぼくのブログで紹介したものですが、マイケルの冥福を改めて祈りたいことと、彼もぼくにとって大切な「愛しのJazz Man」であることから、ここに一部を転載し、この連載の一章につけ加えたいと思います。

 ぼくが1990年代初頭にプロデュースした作品で、テナー・サックス奏者のボブ・ミンツアーをリーダーにしたものがある。彼とは2枚のアルバムを作ったが、2枚目では歴代のテナー・サックス奏者にトリビュートしようということになった。そこで同じテナー・サックス奏者のマイケル・ブレッカーにゲストとして入ってもらい、テナー・バトルをやってみようではないかと提案してみた。

全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00033.html
by jazz_ogawa | 2007-02-28 20:55 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(9)
 今月も総集編の時期になりました。単行本のほうは再校まで来ましたので、あと一歩です。2月下旬の発売を目指していますが、ぎりぎりセーフというところでしょうか。
 2月24日に銀座で行なう「ONGAKUゼミナール」は、この出版に因んで「愛しのジャズ・マン」をテーマにするつもりです。こちらは単行本や小僧comの連載とは違った話をするかもしれません。文章にはならない小さなエピソードでも、話すことができますしね。
 ということで、以下は1月分の総集編です。今月は正月明けの回が休みだったため、3回分です。


#027:Benny Golson ベニー・ゴルソン(ts)
 マイルス・デイヴィスのグループを1960年4月に退団したジョン・コルトレーンは、しばらくして初のレギュラー・カルテットを結成する。メンバーはピアニストのマッコイ・タイナー、ベーシストのジミー・ギャリソン(当初はスティーヴ・デイヴィス)、ドラマーのエルヴィン・ジョーンズという面々である。カルテットは、マイルスが1964年に旗揚げするニュー・クインテットと並び、のちに1960年代を代表する名コンボと呼ばれるまでになった。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00027.html


#028:McCoy Tyner マッコイ・タイナー(p)
 前回に続いて、今回はジョン・コルトレーンのカルテットに晴れて参加したマッコイ・タイナーの話を紹介しよう。

 「1964年12月、タイナーとコルトレーンはひとつのピークに達していた」
これは『マッコイ・タイナー・プレイズ・エリントン』(インパルス)の原盤ライナーノーツの書かれている言葉だ。この作品が録音された日づけに注目していただきたい。1964年12月7日と8日、これは何を意味しているのか。
 タイナーはこの作品をレコーディングした時点で栄光のジョン・コルトレーン・カルテットのピアニストだった。そしてコルトレーン・カルテットが残した最高傑作の1枚として知られているのが、この作品と同じインパルスに吹き込まれた『至上の愛』である。そのレコーディングが行なわれたのは、1964年12月9日、すなわちこの作品が吹き込まれた翌日のことだった。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00028.html


#029:Bruce Landvall ブルース・ランドヴァル(ブルーノート社長)
 今回からしばらくは、ジャズ・マンではなく関係者の話を紹介しようと思う。1985年にブルーノートが活動を再開するにあたり、社長に就任したのがブルース・ランドヴァル(写真中央の人物)だ。彼は1970年代に大手のコロムビアで社長を務め、その後はエレクトラ傘下でジャズ・レーベルのエレクトラ/ミュージシャンを立ち上げ成功に導いている。辣腕経営者として尊敬されていたランドヴァルを迎えたのだから、親会社であるEMIアメリカのブルーノートに対する気合いの入れようも並ではない。
 ランドヴァルは、ブルーノートを創立したアルフレッド・ライオン同様、業界人の中では珍しいほど熱心なジャズ・ファンだ。14歳のときに初めて買ったレコードがブルーノートの出したセロニアス・モンクの<クリス・クロス>だったことからもそれはわかる。1954年にブルーノートが実況録音した『アート・ブレイキー/バードランドの夜』の現場にも、未成年者が入れる同店のミルク・バーに陣取ってその模様をつぶさに見ていた。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00029.html
by jazz_ogawa | 2007-01-28 00:47 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(10)
 小僧comに引っ越しをした「愛しのJazz Man」ですが、おかげさまで年末を迎えることができました。いつまで連載するかはわかりませんが、ネタがある限り続けるつもりです。
 現在、出版準備中の単行本も初校のゲラ・チェックが終わり、年が開けたら再校やら写真の調整やらで、さらに体裁をなしてくると思います。そちらは2月末の出版を予定しています。その出版に合わせて、2月24日には銀座で「出版記念イベント」を開催します。

第4回「『愛しのJazz Man』出版記念イベント(仮)」
◆日時:平成19年2月24日(土) 午後6時~(OPEN午後5時)
◆場所:銀座Bar「le sept(ル・セット)」 中央区銀座6-7-19
◆会費:3000円(with1ドリンク)
◆問合せ・申込み:HKO商会 matc@wind.sannet.ne.jp

 当日はこれまで以上に脱線しそうです。いろいろ写真も用意していくつもりです。興味のあるかたはぜひどうぞ。
 それでは、12月の総集編です。


#022:John Coltrane ジョン・コルトレーン(ts)
 ジョン・コルトレーンは麻薬の常習が理由でマイルス・デイヴィスのグループを一度くびになっています。1956年の末に楽屋でそのことから喧嘩になり、マイルスがコルトレーンをなぐってくびにしたということですが、ぼくは目撃していないので(当然ですが)、真相はよくわかりません。
 その場に居合わせたセロニアス・モンクがふたりの間をとりなしてくれたため、大事には至らなかったそうです。モンクはその場でコルトレーンを自分のグループに誘います。
それで仕事は繋がったのですが、マイルスのバンドとモンクのバンドとではギャラにかなりの開きがありました。もちろんマイルスのところで働いていたほうが収入はあります。そのため、コルトレーンは麻薬代に事欠くようになりました。困った彼は、親友のカーティス・フラーに相談します。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00022.html

#023:Anthony Barbosa アンソニー・バルボーザ(photographere)
 マイルス・デイヴィスが吹き込んだ『ユア・アンダー・アレスト』(ソニー)について、最初に詳細な情報を教えてくれたのがフォトグラファーのアンソニー・バルボーザでした。彼はそのアルバムのレコーディングとジャケット用の写真を撮影した人物です。その話が聞きたくて、マンハッタンのユニオン・スクエアに構えている自宅兼スタジオを訪ねたのが1985年2月末のことです。
 そこでぼくは驚くべきニュースを耳にします。アルバムのオープニングを飾る<ワン・フォーン・コール~ストリート・シーン>にスティングが加わっているというではありませんか。ただし楽器やヴォーカルの参加ではなく、フランス語を喋る警官役として声の出演をしたというのですから、興味がそそられました。おまけに、そのトラックではマイルスもセリフを喋っているというのです。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00023.html

#024:John Scofield ジョン・スコフィールド(g)
 マイルス・デイヴィスのグループで独特のくねくねとうねるフレーズを聴かせてくれたジョン・スコフィールド。それ以前からユニークなギター・プレイはフュージョン・シーンで大きな話題を呼んでいた。そのバンドでさらなる注目を集めた彼は、次いでサックス奏者のジョー・ロヴァーノと組んだカルテットでフュージョンとストレート・アヘッドなジャズの世界を股にかけて大活躍をしてきた。
 そろそろ還暦を迎えるスコフィールドである。しかし前向きの姿勢はいまも健在だ。ここ数年は、ニューヨークを中心に話題を集めるようになったジャム・バンド・シーンに進出して、ソウライヴやメデスキ・マーティン&ウッドたちと最先端のジャズをクリエイトしている。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00024.html

#025:Miroslav Vitous ミロスラフ・ヴィトゥス(b)
 チェコスロヴァキアが生んだ名ベーシストのミロスラフ・ヴィトゥスは、1960年代末にニューヨークに移り住んで、あっという間に大きな話題を集める存在になった。ジャズがロックやソウル・ミュージックと結びついて、それまでにないほど大きな広がりを示し始めていた時代である。
 ヴィトゥスはロック的な演奏もできたため、まずはハービー・マンのグループに抜擢された。フルート奏者のハービー・マンは時代感覚に優れており、いち早くフュージョン・ミュージックの到来を実感していたのだろう。ジャズはジャズ、ロックはロックと高い垣根が厳然とそびえていた時代から、さまざまなジャンルのレパートリーを取り入れて、ジャズ・ファンに限らない幅広い層から支持されていたのが彼である。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00025.html

#026:David Sanborn デヴィッド・サンボーン(as)
 アルト・サックス奏者のデヴィッド・サンボーンといえば《泣き節》で有名である。ひところは《メローなサックス奏者》などとも呼ばれていた。それゆえメロディックなプレイは聴くものをしみじみとした気分にさせてくれる。人気も抜群、実力も抜きん出ている。まさにフュージョン・シーンで《超》の字がつくほどの人気者が彼である。
 ところがそんなサンボーンにも泣きどころがあった。ぼくには思いもよらぬことだが、意外な悩みを持っていたのだ。どんなことかといえば、「他のジャズ・ミュージシャンに比べて、自分には才能がないのでは?」というのだから驚きだ。これは彼が勝手に思い込んでいた一種のコンプレックスである。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00026.html
by jazz_ogawa | 2006-12-28 23:27 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(4)
 先月の「総集編」のところでお知らせしましたが、『愛しのJazz Man』の原稿を先日書き上げました。現在は出版社に回っていて、初校が上がってくるのを待っているところです。あとは年内に何度か見直して、写真などの手配を済ませ、来年2月に出版ができればと思っています。まだ第一段階をクリアしたところですから、これからもう少し気合を入れて完成度の高いものを目指します。
 内容はこの連載とまったく違っています。すべて新たに書き下ろしました。これを『第1集』にして、好評ならなるべく短いインターバルで『第2集』を出版しようと目論んでいます。そちらにはこの連載で紹介したエピソードも盛り込むつもりです。
 それでは今月の「愛しのJazz Man」総集編です。


#018:Kenny Garrett ケニー・ギャレット(as)
 最近は日本語をほとんど喋らなくなってしまったが、ケニー・ギャレットの日本語熱にはひところすさまじいものあがった。自腹を切っては日本に来て、日本語学校に通っていたことも一度や二度ではない。そんな日本語熱と共に、彼は日本の曲にも精通するようになっていた。
 いまから15年くらい前、ぼくはニューヨークでプロデューサー稼業をしていた。それで、マイルス・デイヴィスのグループでキーボード奏者だったアダム・ホルツマンのレコーディングをしたことがある。ケニーもマイルス・バンドのメンバーだったことから、そのレコーディングに加わってもらうことにした。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00018.html

#019:Marcus Roberts マーカス・ロバーツ(p)
 盲目のピアニスト、マーカス・ロバーツの存在がクローズ・アップされたのは、ウイントン・マルサリスがそれまでのクインテットからカルテットに編成を変えた1985年6月のことである。旧クインテットにはウイントンの兄でサックス奏者のブランフォード・マルサリスと、ピアノのケニー・カークランドが参加していた。このふたりが折りから結成されたスティングのバンドに入ったための抜擢である。
 新加入のロバーツ以外は、ベースのチャーネット・モフェットとドラムスのジェフ・ワッツが残り、9月に入ってチャーネットが抜けて、ボブ・ハーストが参加してウイントンのカルテットはこのメンバーでしばらく活動を続けていく。中でも、ロバーツの参加はリーダーにそれまで以上の刺激を与えたようで、この時期のウイントンはライヴ活動も精力的にこなすようになっていた。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00019.html

#020:Horace Silver ホレス・シルヴァ(p)
 留学中は買いたいレコードも随分と我慢しました。のどから手が出るほどほしかったレコードもいろいろあります。《ファンキー・ピアノの元祖》と呼ばれるホレス・シルヴァーが自費出版したアルバムもそんな1枚でした。『Guides To Growing Up』(Silverto)というのですが、これが簡単には入手できません。
 シルヴァーはロスに済んでいましたので、そちらでは売られていたのでしょうが、ニューヨークのレコード店では扱っていません。そんなあるとき、彼がアパート近くの「ファット・チューズデイズ」に出演することになりました。そして、そのレコードを休憩時間にみずからの手で売っていたんです。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00020.html

#021:Terumasa Hino 日野皓正(tp)
 ニューヨークには多くの日本人ジャズ・ミュージシャンが住んでいます。ピークは1970年代半ばから80年代前半にかけてでしょうか。ぼくがいたころは、大御所の秋吉敏子さんを筆頭に、有名どころでは、中村照夫、菊地雅章、日野皓正、増尾好秋、鈴木良雄、大野俊三、大森明さんたちが住んでいました。そのほかに、無名のミュージシャン、それからミュージシャン志望のひとたちまでを加えれば、かなりの数の日本人ミュージシャンがいたことになります。
 ただし仕事があるかといえば、これは別の話になります。アメリカで確固たる地位を確立した秋吉さんと中村さんを例外にすれば、日本でトップ・クラスの人気を誇っていた菊地さんにしても日野さんにしても、ニューヨークで得られるまともな仕事は年に数回あればいいほうでした。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00021.html

#021:John Coltrane ジョン・コルトレーン(ts)
 ジョン・コルトレーンは麻薬の常習が理由でマイルス・デイヴィスのグループを一度くびになっています。1956年の末に楽屋でそのことから喧嘩になり、マイルスがコルトレーンをなぐってくびにしたということですが、ぼくは目撃していないので(当然ですが)、真相はよくわかりません。
 その場に居合わせたセロニアス・モンクがふたりの間をとりなしてくれたため、大事には至らなかったそうです。モンクはその場でコルトレーンを自分のグループに誘います。
 それで仕事は繋がったのですが、マイルスのバンドとモンクのバンドとではギャラにかなりの開きがありました。もちろんマイルスのところで働いていたほうが収入はあります。そのため、コルトレーンは麻薬代に事欠くようになりました。困った彼は、親友のカーティス・フラーに相談します。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/index.html
by jazz_ogawa | 2006-11-30 00:19 | 愛しのJazz Man | Trackback(2) | Comments(6)
 現在、来年の2月くらの出版を目指して『愛しのジャズ・マン』を執筆中です。最初はこの連載をもとにいくつかのエピソードを書き足して1冊にしようと考えていたのですが、気が変わり、全部書き下ろすことにしました。
 とはいっても、いくつかはどこかで紹介したエピソードが含まれています。それでこの本が売れたら続篇ということで、これまでにブログで発表したエピソードを中心にもう1冊出すということで版元と話を纏めました。
 1冊につき50本のエピソードで、ニューヨークから戻ってからこの2週間、ずっとこの本を書いています。あと数本のところまで来ましたが、これはあくまでベーシックなものです。ぼくの場合、フュージョンのレコーディングと同じで、ベーシックなレコーディング、オーヴァーダビング、ミックスダウンみたいな過程を踏みます。
 ベーシックな原稿とは大まかに書いたものです。細かいデータや文字数の調整などはしていません。書きたいことをとにかく書いておくだけのものです。次のオーヴァーダビングにあたるのが、そこに細かいデータなど、調べたものを書き加えたり、文字数を調整したりすることです。そしてミックス・ダウンは、その文章をプリントアウトして何度も読み直し、全体のバランスや文章のトーンなどを調整し完成原稿にする作業です。
 とはいっても、これはあくまで出版社に渡す前の作業です。この原稿を元に、初校が作られます。この段階では、たいていの場合、原稿が棒組みされているだけです。それに赤を入れた再校は、レイアウトの中にその原稿を組み入れ、写真なども配置されたものになります。それにさらに赤を入れて再々校、それでも満足できなければ4校・・・と続いていきます。
 普通は再校か再々校で終わりにしますが、ぼくはしつこいのでさらに2~3回校正を重ねることもあります。最後に青焼きというのがあって、これは確認するためのもので、よほどの間違いがないと直さないことになっています。普通、この青焼きを筆者が読むことはほとんどないらしいのですが、ぼくはこれもチェックします。というわけで、まだまだこれから延々と作業が続くわけです。

 前置きが長くなりました。今月の「愛しのJazz Man」の総集編です。


#014:Sonny Rollins ソニー・ロリンズ(ts)
 これまでにどのくらいのひとにインタヴューしてきただろう? 相当な数であることは間違いない。1000人まではいかなくても500人は優に超えている。それにしてもいろいろなひとがいた。中でも一番優しく接してくれたひとりがテナー・サックスの巨人と呼ばれるソニー・ロリンズだ。
 そもそもミュージシャンと接していていやな気分になったことがほとんどない。無口なひとや愛想のないひともいることはいる。ぼくにも少なからずその傾向があるから、気持ちは理解できるつもりだ。疲れていたり、何度も繰り返される同じ質問にうんざりしていたりするときだってあるだろう。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00014.html

#015:Bill Evans ビル・エヴァンス(p)
 ビル・エヴァンスの悲報は、少なくとも日本にいるファンにとっては思いもかけないものだった。1980年9月15日、彼は入院先のマウント・サイナイ病院で肝硬変に肺炎を併発して51歳の人生を閉じたのである。
 多くの証言者によれば、エヴァンスは死の数年前から慢性の肝炎を患い、自身その治療を拒み、みずから死を招くような行動を取っていたという。
 「自分がひどい病気であることを彼は知っていた。よい病院で治療を受ければ快方に向かうはずだといって入院を勧めたが応じなかった。彼には生きる意志がまったくないように思われた」
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00015.html

#016:David Matthews デヴィッド・マシューズ(arr、p)
 ミュージシャンの中で日本語が達者な横綱はデビヴィッド・マシューズとケニー・ギャレットだろうか。マシューズはニューヨークのベルリッツで個人教授について勉強したほどの正統派で、ケニーは日本人のガール・フレンド(?)から習った実践派だ。
 そのケニーと、ニューヨークにあったジャズ・クラブ「ファット・チューズデイズ」に出ていたドナルド・ハリソン=テレンス・ブランチャード・クインテットを聴きに行ったときのことである。ふと、マシューズと日本語で対談したら面白いんじゃないかと思いついた。マシューズはミッドタウンのイーストサイドに住んでいる。「ファット・チューズデイズ」もイーストサイドの17丁目にあるから、タクシーを飛ばせば10分くらいで行ける。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00016.html

#017:Kenny Garrett ケニー・ギャレット(as)
 前回はデヴィッド・マシューズのことを中心に紹介したので、今回はケニー・ギャレットについて書いていこう。ふたりの日本語対談は、開始早々の1ラウンドでケニーのノックアウト勝ちだったが、彼が日本語をマスターした裏には不断の努力があった。
 ケニーはマンハッタンからハドソン河を隔てたニュージャージーの住人である。ニュージャージーにも多くの日本人が住んでいる。そのため、毎朝7時からテレビで日本語放送を観ることができる。ひところのケニーは、それを観てはわからないところを質問してくる妙なやつだった。たとえばこんな質問をされたことがある。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00017.html
by jazz_ogawa | 2006-10-30 23:18 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(10)
 小僧comで連載中の「愛しのJazz Man」(毎週木曜日更新)。今月の総集編をここに掲載しておきます。7月から始めて3ヶ月、毎週更新で現在13回目が掲載中です。今月は4回分(#010~#013)のダイジェストを順に載せておきます。全文をご覧になりたいかたは左側にあるバナーから飛べますので、よろしくお願いいたします。
 そうそう、朗報をひとつ。みなさんには別に朗報じゃないかもしれませんが、この連載の単行本化が決まりました。というか、いずれ単行本にしようと思って連載を始めたので予定どおりということなんですが。来年の2月か3月に、『愛しのJazz Man~101のエピソード』みたいなタイトルで東京キララ社から出版します。その話が今日まとめまりました。
 連載はこのまま毎週更新していきますが、それらも含めて年内にトータルで101本書くつもりです。いかなるエピソードが登場するか、ご期待のほどを。といっても、誰も期待なんかしていないかもしれないですね(苦笑)。



#010:Gil Evans ギル・エヴァンス(arr)
 ぼくが接したミュージシャンの中で本当におひとよしだったのがギル・エヴァンスだ。
「こんなにいいひとが、どうしてこれまで無事にニューヨークで暮らしてこれたんだろうね」
 友人と大分以前にこんな話をしたことがある。熾烈な競争社会に身を置きながら、ギルは飄々とした生き方をしていた。その彼がこんなことを話してくれたこともある。
「もしわたしがきちんとギャラとか印税とかをもらっていたら、裕福な生活ができたと思うよ。でも、お金にうるさいことをいっていい生活ができたとしても、いまの幸せは得られていなかっただろうね」
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00010.html

#011:Herbie Hancock ハービー・ハンコック(p)
 マイルス・デイヴィスのグループを辞めてからのハービー・ハンコックは、しばらくの間「エムワンディシ(MWANDISHI)」と呼ばれるセクステットを率いて活動していた。このグループは、それ以前から彼が関心を寄せていたアレンジを重視した6人編成のグループである。しかしフリー・ジャズの要素も加味した音楽性は、一般的な人気に結びつかなかった。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00011.html

#012:Art Blakey アート・ブレイキー(ds)
 留学しているときにアパートが隣だったことから、アート・ブレイキーにはずいぶん親しくしてもらった。ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟が住んでいるアパートの隣にぼくのアパートがあったことは以前にも書いたとおりだ。
 もう少し詳しく説明するなら、そもそもはグリニッチ・ヴィレッジの77 Bleecker Streetにある高級アパートにブレイキーは住んでいた。そこに、彼が率いるジャズ・メッセンジャーズの一員となったマルサリス兄弟が引っ越してきたのである。その後に、ぼくは隣の79 Bleecker Streetのアパート(こちらはおんぼろアパート)に入居したという次第だ。そして、彼らがブレイキーを紹介してくれた。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00012.html

013:Chick Corea チック・コリア(p)
 ピアニストのチック・コリアには凝り性のところがある。とくに食べものに関しては、一度はまるとなかなかそこから抜け出せない。あるとき寿司屋でトロを食べたら、ツアーの楽屋だろうがホテルだろうが、トロになってしまった。餃子のときもそうだった。トロは高いけれど、餃子なら関係者もさぞかしホッとしたことだろう。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00013.html
by jazz_ogawa | 2006-09-30 08:53 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(6)
 小僧comで連載中の「愛しのJazz Man」(毎週木曜日更新)ですが、8月は最終週(明日)が小僧comの都合で更新されないことになりました。こういうのはあんまり好きじゃないんですが、向こうにも事情があるんでしょう。これからはきちんと予定を守ってほしいと願いつつ、前回の総集編以降に発表した4回分(#006~#009)のダイジェストを順に載せておきます。
 なお、全文をご覧になりたいかたは左側にあるバナーからも飛べますので、よろしくお願いいたします。


#006:Wynton Marsalis ウイントン・マルサリス(tp)
 トランペッターのウイントン・マルサリスは、留学時代にアパートが隣同士だったこともあって仲がよかったミュージシャンのひとりだ。いまや「ジャズ@リンカーン・センター」のクリエイティヴ・ディレクターにして、国連の民間大使で、ピューリッツアー賞も受賞し、さらには世界中の大学から博士号を授与され、その数は50を超えるという。ジャズの世界から飛び出して、すっかりアメリカの文化人になってしまった。
全文はhttps://www.kozocom.com/entertainment/music/a00006.html

#007:Wynton Marsalis ウイントン・マルサリス(tp)
 お洒落なことでもウイントン・マルサリスはジャズの世界で有名だ。ジャズ・ミュージシャンには概してお洒落なひとが多い。だたし、たいていはそこそこの年齢に達してからのことである。若いときはお金もないし、多くはよれよれの格好をしている。それがジャズ・ミュージシャンらしくていいという考えもあるが、彼はそうしたスタイルを好まない。
全文はhttps://www.kozocom.com/entertainment/music/a00007.html

#008:Branford Marsalis ブランフォード・マルサリス(ts、ss)
 ぼくが知り合ったころ、弟のウイントンのアパートに居候を決め込んでいたのがサックス奏者のブランフォード・マルサリスだ。努力家のウイントンに対して、ブランフォードはどちらかといえばおっとりしたタイプである。暇さえあれば練習に余念のない弟に対し、兄は気が向かないと練習もしない。
全文はhttps://www.kozocom.com/entertainment/music/a00008.html

009:Kenny Drew ケニー・ドリュー(p)
 ケニー・ドリューはハード・バップ派のピアニストとして超一流の腕前を持っていた。めりはりの効いたタッチと程よいコード・ワークが絶妙なバランスを示し、どんな曲を弾いても彼は平均点以上の内容を聴かせてくれる。1960年代までは比較的不遇を託つていたが、1980年代以降は日本のレコード会社が個性に見合う作品を積極的に制作したことから、本来の実力を発揮するようになった。それ以前の作品は通好み、以後の作品は初心者向けといったところか。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00009.html
by jazz_ogawa | 2006-08-30 23:06 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(6)
 早いものでこのブログを始めたのが去年の7月26日ですから、すでに2年目に突入したことになります。この1年で、今日の分を入れると162件の記事を書いてきました。自分でもよくぞ挫折しないでこんなに書いたものだと思いますが、それにおつき合いしていただいたみなさんも本当にご苦労さまでした。
 いつまで続くかわかりませんが、これからも折々に思ったことを垂れ流しのごとくに節操も遠慮もなく書き連ねていこうと思います。呆れてしまうひともいるでしょうし、飽きてしまうひともいるでしょう。肩に力を入れず、いい加減な気持ちで適当に書いていきますので、あまり真面目に受け取らず、読み流していただければ幸いです。

 毎週木曜は小僧comで連載中の「愛しのJazz Man」が更新される日です。最初はこのブログで連載していましたが、小僧comからの「たっての頼み」(ここを強調しておきます)で引越しをしました。
 左にあるバナーでその連載に飛びますが、ぼくの活動を記録するのもこのブログの目的ですから、毎月最後の更新がされたところで総集編を掲載することにしました。本日の更新で連載は6回目になります。以下に冒頭の部分だけを順に載せておきます。


#001:Chet Baker チェット・ベイカー(tp, vo)
 これまで多くのミュージシャンにインタビューし、中には親しい友人としてつき合ったひとも何人かいる。直接ミュージシャンたちの言葉を聞くたびに、そのひとの真の音楽性に触れ、音楽に対する熱い思いに驚かされ、豊かな人間性に感激してきた。
 そんな愛しのJazz Manたちの言葉をフィーチャーしながら、少しでもJazzの魅力を紹介できればと思う。
 第1回目は、ウエストコーストジャズを代表するトランペッターでシンガーのチェット・ベイカー。
 独特の音色が強い哀愁を感じさせるチェット・ベイカーは、大好きなトランペッターのひとりだ。ヴォーカルも肩から力が抜けていて、この抜け具合に何かほっとさせられる。チェットのトランペットとヴォーカルを聴いていると、きりきりしているときも心が和むから、沈静効果があるのかもしれない。
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#002:Miles Davis マイルス・デイヴィス(tp)-前編-
 ぼくにとって、ジャズの世界で一番大きな存在がマイルス・デイヴィスだ。気難しいことで知られている彼のこと。そう簡単にインタビューなどできない。ぼくの場合もまさしくそうだった。
 1985年のことである。レコード会社の依頼で初めてマイルスにインタビューをすることになった。場所はニューヨーク。このときは、春に出る予定の新作(『ユーアー・アンダー・アレスト』)について話を聞いてほしいというものだった。ところが問題がひとつ。肝心な音が到着していないのだ。アメリカの本社に問い合わせても、まだミックスダウンもされておらず、そちらにもない状況だった。
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#003:Miles Davis マイルス・デイヴィス(tp)-後編-
 「さあ、何が飲みたいんだ? オレンジ・ジュースか?」
 1985年3月2日、ついに会うことのできたマイルス・デイヴィスが最初に発した言葉である。この日、ぼくはロサンジェルスのマリブにある彼の別荘にいた。
 居間に通され、待つこと数分。マイルスは明るいレンガ色のジャンプ・スーツ姿で登場した。2階から階段を降りてくる姿を見て、ぼくは思わず拍手をしそうになった。20年近く憧れ続けてきた人物が、すぐ目の前でにたりと笑いながら立っている。そのマイルスが、オレンジ・ジュースを用意し、自分はペリエをグラスに注ぎ、いきなり、「いったい何をさせようっていうんだ。写真を撮るのか? それじゃ洋服を変えなきゃ駄目だ」などと一方的に喋り始めた。
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#004:Alfred Lion アルフレッド・ライオン(producer)
 ぼくの人生にとって極めて大きな意味を持っているのが、1985年の2月から3月にかけてのアメリカ行きだった。このときに、初めてマイルス・デイヴィスのインタヴューをしたのはこの前に書いたとおりだ。そしてアルフレッド・ライオンと出会えたのも、意義の深い出来事になった。
 アルフレッド・ライオン。世界一のジャズ・レーベルと多くのファンから呼ばれているブルーノートの創業者にして、モダン・ジャズの黄金時代を彩る数々の名盤をプロデュースした人物である。ブルーノートが名盤の宝庫といわれているのも、ライオンが異常なまでの熱意で次々と優れたミュージシャンの演奏をレコーディングしていたからだ。そして、それらがぼくたちファンにとってはかけがえのない財産になっている。
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#005:Jimmy Smith ジミー・スミス(org)
 ジャズ界切っての大食漢は誰か? 知る限りではオルガンのジミー・スミスが横綱である。このひとは1日に5回も6回も食事をする。しかも1回の量が半端じゃない。とにかく何でもいいのだ。
 レストランに行けば、そこで一番早くできる料理と一番おいしい料理の両方を注文する。すぐに出てくる料理で軽く腹ごしらえして、それからおいしいものをゆっくり味わおうという魂胆だ。すぐに出せる料理といえばカレーとか麺類である。こういうのがスミスにとってはアペタイザーになる。だから気取ったレストランなど苦手だという。
全文は
by jazz_ogawa | 2006-07-27 21:33 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(15)
 ミュージシャンもひとの子。いろいろな趣味を持っているひとがいます。先日、久しぶりにブランフォード・マルサリストと会ったので、今日は彼の趣味について紹介しましょうか。

 もう何度も自慢(?)していますが、ぼくはニューヨーク大学に留学していたときに、ブランフォードとウイントンのマルサリス兄弟と隣組でした。こちらはオンボロ・アパート、あちらはドアマンつきの高級アパートでしたが、建物は隣り合わせです。

      1987年、斑尾で

 そのころのブランフォードの趣味がベースボール・カード集めでした。ぼくたちが住んでいたのはブリカー・ストリートで、ここはグリニッチ・ヴィレッジの目抜き通りといってもいいところです。とはいっても、賑やかなのはラガーディア・プレースから西に向かって7番街あたりまでで、アパートがあったのはラガーディア・プレースより1ブロック東のマーサー・ストリートでした。
 その賑やかな一角からサリヴァン・ストリートやマクドゥーガル・ストリートに入ったところに、ベースボール・カードやアメリカン・コミックスを売っている店がいくつかあったんですね。そこに出入りしては、近所の子供たちに混ざってトレードしたり買ったりしていたのがブランフォードでした。彼に会いたければアパートに行くよりそっちを探したほうが早い。そういわれていたのがブランフォードです。
 聞けば、コレクションを始めたのは小学校に入る前からだったとか。それで、当時はすでに立派なコレクションを持っていました。ツアーに行けば、地元のカード屋さんをチェックしては珍しいものも買い込んでいたようです。
 その後は人気テレビ番組の『トゥナイト・ショウ』にレギュラー出演するようになり、誕生日の直前に司会のジェイ・レノがこの趣味のことを話題にしたので、当日は全国から山のように野球カードが送られてきてほくほくだったという話も聞きました。これなどブランフォードの策略で、わざとジェイ・レノにいってもらったのかもしれません。

 野球好きのブランフォードです。関連する趣味はカードだけにとどまりません。ベースボール・キャップもひところは熱心に集めていました。あるとき彼のアパートに行ったら、巨人と広島の野球帽までありました。そして嬉しそうに見せてくれたのが、桑田投手のカードでした。日本ツアーで買ってきたそ
   留学中にマルサリス兄弟のアパートで        うです。そのとき

は、なぜか日本の学生服も買い込んでいました。どうするんだ? と聞いたところ、これでステージに出るというから、それはやめたほうがいいと忠告したんですが、どうだったんでしょう? ブランフォードのことだから、巨人軍の帽子を被って学ラン姿でステージに立ったかもしれません。
 あとは、妙なものに凝っていたことも思い出しました。ロッテのブラック・ガムです。日本でのことですが、これを箱ごと買って、ひところはいつもくちゃくちゃやっていたんですが、そういえば最近はそんな姿を見かけなくなりましたね。

 もう、アットランダムにエピソードを書いていきましょう。ぼくが隣組だったときに、ウイントンのグループで日本ツアーがありました。それで日本語を教えてほしいといってきたんです。どんなことだと思います?
 「ゲーム・センターはどこですか?」と「マクドナルドはどこですか?」というものでした。
 当時のブランフォードはパックマンにはまっていたんですね。アパートの近くにあったニューヨーク大学の学生会館や、ラガーディア・プレースとブリーカー・ストリートの角にあったバーでパックマンに興じている姿をよく目にしました。あとは出演する予定もないのに「セヴンス・アヴェニュー・サウス」(ブレッカー・ブラザーズが経営していたジャズ・クラブ)の1階にあったゲーム機でも遊んでいましたね。
 マクドナルドに関しては、マック・シェイクが大好物で、「ブルーノート」の斜め前にあるマックでいつも買っていました。ここは先に書いたカード屋さんの近くです。マクドナルドの日本語的発音に苦労していたようですが、そこはミュージシャン、耳がいいんでしょう。完璧な発音をマスターして日本に乗り込みました。

 もうひとつ、面白い話を。青山にあるジャズ・クラブの「ボディ&ソウル」は住宅街の中にあって、ちょっと場所がわかりにくいんですね。前回来日したときに、「ブルーノート東京」で演奏を終えたあとに、ブランフォードと「ボディ&ソウル」に行くことになりました。それで、ぼくは普通に通りをわたってその先にある角を曲がろうとしたところ、彼がこっちだというんです。
 ブランフォードは骨董通りに面したマンションの駐車場にある通路を抜けるとすぐ裏手に出られるからと、近道を教えてくれました。それまでは骨董通りの先まで行ってからぐるっと回って裏通りに入っていたのですが、こんな抜け道(?)があったとは知りませんでした。以来、ぼくもこの駐車場の通路を利用しています。
 まさにブランフォードはぼくにとっての「愛しのJazz Man」です。
by jazz_ogawa | 2006-05-24 00:47 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(8)
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