
先週末にマイケル・ムーア監督の『シッコ』を観てきました。アメリカに住み、リハビリテーションを勉強し、フィールドワークと呼ばれる実習をいくつかの病院でしてきた経験から、アメリカの保険制度にはとても興味を持っていました。というか、アメリカの保険制度をある程度知って、日本の保険制度のこともそれまで以上に考えるようになりました。どちらも矛盾だらけですから。
ある意味で、アメリカの制度は理にかなっています。お金がなければ医療が受けられない。それは大問題ですが、医療にはお金がかかります。それならそのお金をどう手当てするか。結局、イギリスのように医療費がタダの国でも、日本のように3割程度払う国でも、アメリカのように日本の何十倍も払わなければならない国でも、誰かが足りない分は払って全額が負担されるのです。

アメリカは合理的な国です。たとえば、いい医療、優秀な医師にはたくさんお金を払う。ぼくはこういうシステムは、問題があるにしても、悪くないと思っています。日本なら世界的な名医も、初めて患者さんを診る医師も、診療費は同じです。公平といえば公平かもしれません。しかし、矛盾も感じます。でも現在の保険制度では、おそらく診療報酬を医師によって変えることはできないでしょう。
ニューヨークでは、ぼくが知る限りで、医療費の払えないひとでも診てくれる病院やシステムがありました(現在はどうなっているか知りませんが)。ただし、そこと、たとえばマウントサイナイ病院との医療内容を比べれば雲泥の差があります。タダの病院はインターンの訓練所のような感じでした。
医療と散髪とを比較することに意味はないかもしれませんが、同じような体験をしています。貧乏学生だったぼくはきちんとした床屋さんには行けず、インターンが練習代わりにやっている床屋さんに行っていました。ちゃんとしたところなら10ドルぐらいするところを、そこなら1ドル50セントです。医療と散発とを並列に語るわけにはいきませんが、これがアメリカ的合理主義の一端ではないでしょうか?

日本の場合ですが、以前に比べれば患者さんが病院に払う金額もだいぶ高くなりました。それでも安直に病院に来るひとが多すぎます。ただしあまり支払い金額を高くすると、今度はそれを払いたくない、払えないという理由で、本来なら治療を受けなければならないひとまで我慢して手遅れになるケースもあるでしょう。そこが難しいところです。
ぼくが昔から考えているのは、小さなころから病気や怪我についての常識をもっと学校で教えることです。自分である程度の判断ができるようになれば(これは非現実的なことかもしれません。限界もあるでしょうし)、少しは医療費の抑制になるでしょう。ホーム・ドクターの整備も必要でしょう。予防医学も大切です。イギリスなんかはこの面に力を入れていると聞きました。
保険は年金に似ていると思います。自分のために払っているのではなく、国民全員のために払っていると考えるべきです。「保険を払っているから使わなければ損」と考えているひとが結構多いと実感します。使ったら減るんですから、なるべく大切に使いたいものです。
留学しているときに思ったのは、アメリカと日本の制度を足して二で割ったようなものがいいのかも、ということです。とはいっても現実に保険料が払えないため、病院に来れないひともいます。そういうひとを目の前にしたら、やっぱり医師として放っておくことはできません。
以前いた病院では、入院患者さんだったんですがギブスを巻いたその日の晩に夜逃げされたことがあります。診療費が徴収できない病院も少なくありません。診療報酬の引き下げで、整形外科はかなり厳しい現実にさらされています。そのうち、閉める病院も出てくるでしょう。産婦人科や小児科のように、整形外科も不足気味になるかもしれません。医療の現実は非常に厳しいです。
いったいどうしたらいいんでしょうね? そういう矛盾や疑問を抱えつつ、とりあえず今日も外来に出ています。よりよい医療は誰もが望むことです。それをどこまで公平にできるか、そこに問題の出発点があるのかもしれません。

以前、イギリス出身で、アメリカで活躍しているテナー奏者のラルフ・ムーア(同じムーアでもマイケル・ムーアとは無関係です)のアルバムを作ったことがあります。ラルフは無類の質問魔で、あるとき、保険制度について質問されました。そのときに、自慢げに、イギリスはたいていの場合が無料か、払うとしても非常に安いと自慢していたことを、映画を観ながら思い出しました。何せ「ゆりかごから墓場まで」の国のひとですから。
ちなみにぼくの父親はハワイ旅行中に心筋梗塞で倒れ、そのまま意識不明となって、3本のバイパス手術を受けました。たまたまバイパスの手術では世界で最高水準のドクターがハワイにいたので、その先生にお願いしました。支払った金額はすべてをひっくるめて3000万円以上です。渋谷の土地を売って支払いに当てました。これが現実です。でも、人間の命の値段はそういうものかもしれません。たまたま払えるお金があったからよかったですが、なかった場合、ぼくはどうしていたでしょうね?