いまはまっているのがこのアルバムです。ニューヨークで買ってから3週間。この間、家のステレオで、iPODで、車の中で聴き続けていますが、いまのところまだ飽きていません。
ブルース・スプリングスティーンは好きなアーティストではありますが、それほどの思い入れはありません。ぼくがロックから少し離れた時期に彼が人気を集め始めたこともあって、ちょっとすれ違ってしまったんですね。スプリングスティーンを聞くならディランのほうがいいや、という気持ちも働いていました。
それでも常に気になる存在で、新作が出るたび買おうかどうしようか迷い、3回に2回は買うようなアーティスト、というのがぼくの中のスプリングスティーンです。しかし、このアルバムは発売が待ち遠しいものでした。国内盤は来週出る予定ですが、アメリカ盤は4月下旬発売となっていたので、ニューヨークで買える(!)とほくそ笑んでいました。
しかもアメリカ盤はデュアル・ディスクです。ディスクをひっくり返せば映像も観ることができるのですから有難いことこの上ありません。ニューヨークではCDプレイヤーが壊れてしまったので、DVDプレイヤーしかありません。そんなぼくにぴったりの規格じゃありませんか。
それで、どうしてこの作品が待ち遠しかったかといえば、スプリングスティーンがピート・シーガーの歌を取り上げているからです。高校時代にキングストン・トリオのコピー・バンドをやっていたぼくにとって、ピート・シーガーの名前は一種の憧れでした。
そのころは小遣いも少なかったため、キングストン・トリオのレコードだって2枚しか持っていませんでした。そのほかにもジャズやロックやR&Bのレコードもほしかったので、残念ながらピート・シーガーのレコードまでは手が回らなかったんですね。もっとも、当時、彼のレコードはほとんど日本で出ていなかったと思いますすが。
ピート・シーガーのレコードをアメリカ盤で何枚か買ったのは大学時代です。もうフォーク熱も醒めていましたが、それでもどこかに置き忘れてきた感じが彼の歌やレコードにはありました。「青春時代の忘れもの」っていうやつです。そのころだって青春時代ではあったんですが。
本気でピート・シーガーのレコードを集めるようになったのは1990年代に入ってからです。それにしても、かなりの数のレコードを彼は出しています。研究用のものがあったり、メジャー・レーベルから出した比較的コマーシャルな内容の作品があったりと、幅も広く、それだけにコレクター魂もそそられます。
何年か前のことですが、ニューヨークで彼のフリー・コンサートがあって、滞在中だったことから観にいくこともできました。「わが祖国」ではお客さんを舞台に上げて、全員で歌いました。1960年代のフーテナニーを21世紀に体験できるとは思ってもみませんでした。
スプリングスティーンもピート・シーガーに憧れていた口なんでしょう。彼は音楽に造詣が深いので、ルーツ・ミュージック的なこうした作品を作るのも自然の成り行きだった思います。ビデオを観ると、スプリングスティーンが本当に嬉しそうに歌っています。その姿に触れるだけでも、この作品を手に入れてよかったと思います。
ビートを利かせたロックより、アコーディオンやフィドルやアコースティック・ギターが織り成すサウンドの中で、“ボス”の歌声が心地よく響きます。新しいサウンドなんかどこにもありません。それが却って心を和ませてくれるんでしょうか。
手作りの音楽はやっぱりいいですよね。ジャケットにも心を奪われます。前にも書きましたが、ディランの『ベースメント・テープ』を彷彿とさせるデザインではありませんか。オールド・ファッションなサウンドと歌、そしてジャケット。でも、少しも古く感じません。「不朽の名作」とかよくいわれますが、こういう音楽にこそ「不朽」という言葉は使いたいと思います。
ずっと聴き続けていける作品には残念ながら滅多に出会えません。その数少ない作品と出会えた喜びをかみ締めながら、今日も家への帰り道で耳を傾けていました。
今週は土曜日に「NY Jazz探訪」を銀座でやります。昨日、選曲も済ませましたし、当日プロジェクターで映す写真も用意しました。いつものようにBOSE社が音響の手配もしてくれるそうです。この間の土曜日に同じ企画の1回目をしましたので、少しは気が楽です。狭いお店のようなので、寛いだ会になればいいなぁと思っています。