ショック、トラウマっていうと、何だか恐ろしい言葉ですね。
「ショック状態」は、「感じる」という人間の大事な要素を遮断してしまう状態です。
ちょっと、極端な例を出してショック状態をお話しします。
夜、酔っ払いが突然殴ってきたとします。
2~3発、顔を殴られ、足を蹴られました。
肉体的には、たいしたケガはなくって、足を打撲した程度。
でも、ここで傷ついたのは「肉体」だけではありません。「心」も傷を負いました。
夜の一人歩きが怖くなったり、酔った人が何をしでかすかわらかないという恐ろしさは、きっと誰でも想像がつきます。
でも、それだけではないんです。
自分の好きなテレビを見ても笑えないし、友達と楽しく過ごせるはずなのに、どこかボーっとしている感じ。そして、肩こりがひどかったり、下痢をしたり。。。
なんでなの?
っと思うような、よくわからない事が起こります。
これは
、「肉体」と「心」を繋ぐ空間が、バラバラになってしまったからなのです。ショックがあると、そのままでは人は生きていけません。
肉体的には生きれますよ。栄養をとって、呼吸していれば肉体は生きていけます。
でも、まともにショックを受けると「心」が壊れてしまうのです。
そうならないように、ショックを受けた時
「肉体」と「心」をつなぐ空間を、一時的に遮断して回避します。そして、時間や人の愛情とともに癒されて、また「肉体」と「心」が繋がっていきます。
この「つなぐ空間」には、「感じる」という役割があるのです。
だから、ショック状態の人は「感じる」事がわらかなくなります。自分の嬉しい事、楽しい事がわからず、肉体の限界もわからなくなりますから、過労して倒れることもあります。
何より、このショック状態が続くと、それはトラウマとなって、癒すのに人の力が必要になるのです。
私がこれを体験として知ったのは、ちょっとした人からの口攻撃でした。
相手は年下の男性で、数人で楽しくお酒を飲んでいる時でした。
私のあまりの楽しそうな口ぶりが何かカンに触ったのでしょう。
唐突の、攻撃でした。彼の攻撃は、あきらかに行き過ぎであり、あまり正論でもありません。
お酒の席ですし、まもとも受け取る必要はなかったのですが、どうにもコントロールできませんでした。心にシャッターを下ろして防御するより早く、相手のナイフが飛んできたのです。
場がしらけ、解散しました。
その後、駅前でひとり、
どうしようもない悲しみが襲ってきて、2時間号泣している自分がいました。
泣きながら、
「私は何に傷ついているの?あんなの、若い子のたんなるやっかみじゃない。やつあたりじゃない。本人もそれをわかっているけれど、攻撃してみたくって、言っただけじゃない。
私は何も悪い事をしていないでしょ?きっと、彼も明日謝ってくるはず。いつもの事じゃない?」
そう理性では、思考では叫んで自分をなだめようとしています。
でも、無理でした。
ショックを受け、裂けてしまった心からは、ただ涙を流して、道端に泣き崩れる事しかできませんでした。
翌日、案の定、彼は謝ってきてくれました。
それは心からの謝罪の目でした。
私は、もちろん許しました。
でも、それから身体の緊張が取れない日々が続き、大量に甘いものを食べても、もっと食べたい衝動を押さえられませんでした。
大好きな入浴剤を入れてお風呂に入っても、ボーっとする事ができず、5分で出てしまったり、とにかく自分の「感じる」という側面がどこかに消えてしまったのです。
そんな体験から、思いました。
人は、ちょっとした事でも「ショック」を受けるんだな・・・と。
頭でいくらわかっていても、感情がどこか遠いとき。
何か、うつろな状態なとき。
ただ、ゆっくり時間をかけて、バラバラになってしまった「つなぎ」が癒されるのを待ちましょう。
もうバラバラにならいないぞ!
って思って、鎧をつけたりしないで。
どんなに頑丈な鎧をまとっても、かならずもっと大きな衝撃がくればバラバラになります。
だったら、いつでも戻せるように練習してけばいいのです。
ショックを受けた事を理解した途端、癒しのプロセスが始まります。無意識レベルで、ちゃんと癒しが始まります。
それを信頼すること。
そして、「ちょっとショックなことがあったの。」と、だた耳を傾けてくれる友達を、少しずつみつけていきましょう。
「物事の捉え方」を教えてくれる友人は、もういらない。
「私が弱くなった時、ただ手をたずさえて、側にいてくれる友人」を持ちましょう。
それが、本物の 友 の 愛 だから・・・