- もったいないお守り/文・野口健[ 2009-12-25 17:09 ]
- アピールを恥ずかしがるのは「もったいない」/文・野口健[ 2009-12-11 11:19 ]
- 失敗を許容しない社会は「もったいない」/文・野口健[ 2009-11-24 14:40 ]
- 親父とのもったいない体験/文:野口健[ 2009-11-02 15:25 ]
- 頑固な親父/文:野口健[ 2009-10-05 18:06 ]
- もったいない一冊/文:野口健[ 2009-09-14 14:37 ]
- チャンスを広げたい/文:野口健[ 2009-07-27 16:37 ]
- できることからコツコツと/文:野口 健[ 2009-06-01 17:34 ]
- 野口さんサイン入り!エベレストで回収した酸素ボンベ!出品!![ 2009-02-09 17:45 ]
- 挨拶とゴミ/文:野口健[ 2009-01-14 15:22 ]
カテゴリ:野口健
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もったいないお守り/文・野口健
毎年、富士山以外で必ずいく山が白山だ。
ヒマラヤでの活動中、私の襟には、いつもお守りがついている。1997〜98年と続けてエベレスト登頂を果たせず、帰国したら世間の風は冷たかった。そんなときに母校の先輩と出会った。石川県白山市にある白山比咩神社の神職を務める寺本義弘さんだ。
背水の陣で挑んだ三度目のエベレスト。日本をたつ直前に寺本さんから同神社のお守りをいただき、精神的な支えとして身につけてきた。その支えもあり、何とかエベレストに登頂できたのだ。僕にとっては「もったいない」お守りなのだ。
帰国後、お礼参りとして同神社を訪れ、神社と白山のかかわりを知った。白山は富士山などと並ぶ三大霊峰のひとつであり、日本で最初に清掃登山を始めたのがこの神社だ。
同神社の山崎宗弘宮司とも会い、宮司が話された「自然を敬う心」とは何かを知りたくて、2006年9月に白山を登った。
寺本さんに案内してもらいながら山頂を目指した。すれ違う登山者の大半が地元の方々だった。驚いたのが「ようこそ白山へ」「よく来てくださいました」と声をかけてくれたことだ。
「ようこそ白山へ」
とても素敵な表現じゃないかと思った。見ず知らぬ人に挨拶されるとどこか気持ちがいい。心が晴れ晴れする感じだ。これは山だけではなく、町でも同じことだ。僕が思うに、挨拶が多い山はゴミが少ない。こんな故郷に愛されている山は初めてだ。
そして白山がほかの山と異なることが、ゴミの持ち帰り運動が徹底されていた。これは僕も驚いた。通常は自分たちが持ち込んだゴミに対しての持ち帰り運動だが、白山は山小屋で買ったものも含めた持ち帰り運動なのである。ここがほかの清掃運動と大きく違うところだ。
山小屋のご主人は「県外から来る登山客がゴミを捨てる。でも、それを地元の登山者がすぐに拾うから、捨てる人も捨てられなくなる」と語っていた。簡単に口で説明していたが、これを徹底して続けることはなかなか難しいことだ。
白山最高峰の御前峰(2702メートル)に登り、雲海のかなたのご来光を拝んだ。雲が黄金に染まり神秘的だった。
日の出とともに「バンザイ!」と三唱した。気持ちが晴れ晴れするような気がした。
日本人は古来、山の神や海の神を敬い自然と共生してきた。自然の恵みに感謝し、あるときは自然の猛威に畏怖してきた。自然には崇拝や感謝の気持ちを持って接することが大切だと思う。白山で霊峰の姿に触れ、日本人のあるべき姿をそこに見た。

ヒマラヤでの活動中、私の襟には、いつもお守りがついている。1997〜98年と続けてエベレスト登頂を果たせず、帰国したら世間の風は冷たかった。そんなときに母校の先輩と出会った。石川県白山市にある白山比咩神社の神職を務める寺本義弘さんだ。
背水の陣で挑んだ三度目のエベレスト。日本をたつ直前に寺本さんから同神社のお守りをいただき、精神的な支えとして身につけてきた。その支えもあり、何とかエベレストに登頂できたのだ。僕にとっては「もったいない」お守りなのだ。
帰国後、お礼参りとして同神社を訪れ、神社と白山のかかわりを知った。白山は富士山などと並ぶ三大霊峰のひとつであり、日本で最初に清掃登山を始めたのがこの神社だ。
同神社の山崎宗弘宮司とも会い、宮司が話された「自然を敬う心」とは何かを知りたくて、2006年9月に白山を登った。
寺本さんに案内してもらいながら山頂を目指した。すれ違う登山者の大半が地元の方々だった。驚いたのが「ようこそ白山へ」「よく来てくださいました」と声をかけてくれたことだ。
「ようこそ白山へ」
とても素敵な表現じゃないかと思った。見ず知らぬ人に挨拶されるとどこか気持ちがいい。心が晴れ晴れする感じだ。これは山だけではなく、町でも同じことだ。僕が思うに、挨拶が多い山はゴミが少ない。こんな故郷に愛されている山は初めてだ。
そして白山がほかの山と異なることが、ゴミの持ち帰り運動が徹底されていた。これは僕も驚いた。通常は自分たちが持ち込んだゴミに対しての持ち帰り運動だが、白山は山小屋で買ったものも含めた持ち帰り運動なのである。ここがほかの清掃運動と大きく違うところだ。
山小屋のご主人は「県外から来る登山客がゴミを捨てる。でも、それを地元の登山者がすぐに拾うから、捨てる人も捨てられなくなる」と語っていた。簡単に口で説明していたが、これを徹底して続けることはなかなか難しいことだ。
白山最高峰の御前峰(2702メートル)に登り、雲海のかなたのご来光を拝んだ。雲が黄金に染まり神秘的だった。
日の出とともに「バンザイ!」と三唱した。気持ちが晴れ晴れするような気がした。
日本人は古来、山の神や海の神を敬い自然と共生してきた。自然の恵みに感謝し、あるときは自然の猛威に畏怖してきた。自然には崇拝や感謝の気持ちを持って接することが大切だと思う。白山で霊峰の姿に触れ、日本人のあるべき姿をそこに見た。

アピールを恥ずかしがるのは「もったいない」/文・野口健
日本人は、アピールがあまり上手ではないと言われる。
アピールという言葉を「自己主張」と言い替えると堅い印象があるが、アピールには「自己表現」という意味も含まれているのではないだろうか。
僕が山に登り始めたのは、もともと自分をアピールしたいと思ったからだ。
もちろん、登山を始めた高校時代とはやり方が異なるが、基本的に変わらないのは、七大陸最高峰登頂にしても、清掃登山やシェルパ基金にしても、絶えずどこか出てくるのは、前例がないことに対する挑戦だったような気がする。
七大陸の挑戦中には「おまえには10年早い」と言われた。清掃登山やシェルパ基金も「目立とうと思って」「隠そうとしたことを発表しやがって」と、さんざん批判されたこともある。しかし清掃登山などは、最初は微力だったが、いまではさまざまな人が参加してくれるようになった。
意識はしたことがなかったが、僕のアピールの仕方には、子どものころから共通する部分があるようだ。その根底には、規則や体制、あるいはタブーに対する反発などがあったように思える。
僕は中学、高校時代はいわゆる落ちこぼれだった。進級も「仮」扱いだったほどだ。しかし、僕が単なる落ちこぼれのままでいたくなかったのは、荒れていた中学から高校時代のころ、外交官だった父が言っていた言葉が心の中に響いていたからだろう。
「大使なんて肩書きは退職したら何にもならない。だから、おまえは肩書きにこだわるんじゃなくて、野口健が肩書きになるような生き方をしろ」
いわゆる落ちこぼれで、どこかクサっていた僕が劣等感を持たないようにと、父はこう言って励ましてくれた。高校生の僕にとって肩書きという意味はよく理解できなかったが、大人になってこの意味がよくわかった。
中学、高校時代に突っ張ったのも、ケンカをしたのも僕の自己主張のひとつだ。山をやると決めたのも、僕を落ちこぼれ扱いする学校や級友を見返してやりたいという、僕なりのアピールだったのだ。
アピールは、人によっていろいろなスタイルがあると思う。自分の地域のゴミを拾う。地域の人たちとすれ違うときに軽く挨拶をしてみるなど何でもいい。
少しのアクションでも、ちょっとしたさざ波が起こる。1人から2人、3人と、小さな波が大きな波へと変化する。それがいち地域から日本全国、さらには世界へと広がっていくと、僕はうれしい。アピールを恥ずかしがるのは「もったいない」のだ。

アピールという言葉を「自己主張」と言い替えると堅い印象があるが、アピールには「自己表現」という意味も含まれているのではないだろうか。
僕が山に登り始めたのは、もともと自分をアピールしたいと思ったからだ。
もちろん、登山を始めた高校時代とはやり方が異なるが、基本的に変わらないのは、七大陸最高峰登頂にしても、清掃登山やシェルパ基金にしても、絶えずどこか出てくるのは、前例がないことに対する挑戦だったような気がする。
七大陸の挑戦中には「おまえには10年早い」と言われた。清掃登山やシェルパ基金も「目立とうと思って」「隠そうとしたことを発表しやがって」と、さんざん批判されたこともある。しかし清掃登山などは、最初は微力だったが、いまではさまざまな人が参加してくれるようになった。
意識はしたことがなかったが、僕のアピールの仕方には、子どものころから共通する部分があるようだ。その根底には、規則や体制、あるいはタブーに対する反発などがあったように思える。
僕は中学、高校時代はいわゆる落ちこぼれだった。進級も「仮」扱いだったほどだ。しかし、僕が単なる落ちこぼれのままでいたくなかったのは、荒れていた中学から高校時代のころ、外交官だった父が言っていた言葉が心の中に響いていたからだろう。
「大使なんて肩書きは退職したら何にもならない。だから、おまえは肩書きにこだわるんじゃなくて、野口健が肩書きになるような生き方をしろ」
いわゆる落ちこぼれで、どこかクサっていた僕が劣等感を持たないようにと、父はこう言って励ましてくれた。高校生の僕にとって肩書きという意味はよく理解できなかったが、大人になってこの意味がよくわかった。
中学、高校時代に突っ張ったのも、ケンカをしたのも僕の自己主張のひとつだ。山をやると決めたのも、僕を落ちこぼれ扱いする学校や級友を見返してやりたいという、僕なりのアピールだったのだ。
アピールは、人によっていろいろなスタイルがあると思う。自分の地域のゴミを拾う。地域の人たちとすれ違うときに軽く挨拶をしてみるなど何でもいい。
少しのアクションでも、ちょっとしたさざ波が起こる。1人から2人、3人と、小さな波が大きな波へと変化する。それがいち地域から日本全国、さらには世界へと広がっていくと、僕はうれしい。アピールを恥ずかしがるのは「もったいない」のだ。

失敗を許容しない社会は「もったいない」/文・野口健
登山には、登頂成功か失敗かの2つの結果しかない。
僕は、エベレストの登頂にチャレンジした最初の2回は、いずれも失敗している。
1回目はコンディションや天候がなかなか回復せず、7900メートルの第3キャンプの手前で登頂を断念した。僕は途中で下山したが、このとき一緒に登っていた登山隊に多数の死者が出ている。
僕は夢破れて日本に帰国した。そして再挑戦。
しかし、2回目も登頂に失敗したものの、それでも標高8350メートルの地点までたどりついた。そのときは、頂上まであと500メートル。突然、天候が悪化。
岩かげから吹き荒れる吹雪を見ていたら、エベレストが「もう降りろ」と言っているような気がした。目の前に確実に「死」が立ちふさがっていることがわかった。くやしかったが、下山することにした。
冒険は生きて帰らなければ意味がない。だから、これは失敗ではなく、次へのステップと前向きに考えた。僕は自分自身の判断に納得して帰国したが、その考え方は日本ではなかなか受け入れられなかった。
日本は成功と失敗の間に幅がない。
登頂すれば成功で、登頂できずに下山すれば単純に失敗と見なされるのだ。
これは、日本だけの話というわけではなく、アジア系の社会は同じような風潮があるようだ。
悪天候が続くと、日本隊や韓国隊、中国隊の眉間にはシワが寄り、どこか重苦しいムードになる。見ていてよくわかる。無理に登頂して死ぬのもアジアの登山隊が多い。
その一方で、不景気な顔をしてもしょうがないとパーティーを始めるのは欧米隊、特に陽気なスペインやイタリア隊だ。
彼らは悪天候が続くと、テントからワインのコルクを抜く音が聞こえてくる。
それでも、天候が回復しないと「またね」と言ってさっさと帰国してしまう。
命はひとつしかないが、登頂するチャンスはいくらでもあるという考え方なのだ。
日本のメディアは登頂に成功した事実だけを報道するが、世界的なアルピニストのキャリアを見ても、撤退した事例はかなりある。優れたアルピニストは天候や体調の回復が思わしくないと、頭を切り替えてすぐに下山してしまう。そして、次のチャンスを待つ。
そうした事情で登頂をあきらめても、それが失敗と見なされない社会があるのだ。
しかし、日本は違う。
僕もエレベレストの2回目の失敗のときは、登山関係者やメディアにそうとう叩かれた。
こういう社会だと次のチャンスはなくなるし、人間だって萎縮してしまうだろう。
たった1回の失敗で有望な人材の芽を摘むことは「もったいない」ことだ。
登頂に成功しても、次は失敗して死んでしまうかもしれない。
成功も失敗も紙一重だ。成功したから良く、失敗したから悪いということでは決してないのだ。
僕は、成功のベースには失敗の経験があると思っている。
失敗したからといって、あきらめるのではなく、失敗が成功へのステップと考えられるような社会になると、さまざまな分野で優れた人材が出てくると思う。さらに、人間としての幅もこれまで以上に広がるはずだ。

僕は、エベレストの登頂にチャレンジした最初の2回は、いずれも失敗している。
1回目はコンディションや天候がなかなか回復せず、7900メートルの第3キャンプの手前で登頂を断念した。僕は途中で下山したが、このとき一緒に登っていた登山隊に多数の死者が出ている。
僕は夢破れて日本に帰国した。そして再挑戦。
しかし、2回目も登頂に失敗したものの、それでも標高8350メートルの地点までたどりついた。そのときは、頂上まであと500メートル。突然、天候が悪化。
岩かげから吹き荒れる吹雪を見ていたら、エベレストが「もう降りろ」と言っているような気がした。目の前に確実に「死」が立ちふさがっていることがわかった。くやしかったが、下山することにした。
冒険は生きて帰らなければ意味がない。だから、これは失敗ではなく、次へのステップと前向きに考えた。僕は自分自身の判断に納得して帰国したが、その考え方は日本ではなかなか受け入れられなかった。
日本は成功と失敗の間に幅がない。
登頂すれば成功で、登頂できずに下山すれば単純に失敗と見なされるのだ。
これは、日本だけの話というわけではなく、アジア系の社会は同じような風潮があるようだ。
悪天候が続くと、日本隊や韓国隊、中国隊の眉間にはシワが寄り、どこか重苦しいムードになる。見ていてよくわかる。無理に登頂して死ぬのもアジアの登山隊が多い。
その一方で、不景気な顔をしてもしょうがないとパーティーを始めるのは欧米隊、特に陽気なスペインやイタリア隊だ。
彼らは悪天候が続くと、テントからワインのコルクを抜く音が聞こえてくる。
それでも、天候が回復しないと「またね」と言ってさっさと帰国してしまう。
命はひとつしかないが、登頂するチャンスはいくらでもあるという考え方なのだ。
日本のメディアは登頂に成功した事実だけを報道するが、世界的なアルピニストのキャリアを見ても、撤退した事例はかなりある。優れたアルピニストは天候や体調の回復が思わしくないと、頭を切り替えてすぐに下山してしまう。そして、次のチャンスを待つ。
そうした事情で登頂をあきらめても、それが失敗と見なされない社会があるのだ。
しかし、日本は違う。
僕もエレベレストの2回目の失敗のときは、登山関係者やメディアにそうとう叩かれた。
こういう社会だと次のチャンスはなくなるし、人間だって萎縮してしまうだろう。
たった1回の失敗で有望な人材の芽を摘むことは「もったいない」ことだ。
登頂に成功しても、次は失敗して死んでしまうかもしれない。
成功も失敗も紙一重だ。成功したから良く、失敗したから悪いということでは決してないのだ。
僕は、成功のベースには失敗の経験があると思っている。
失敗したからといって、あきらめるのではなく、失敗が成功へのステップと考えられるような社会になると、さまざまな分野で優れた人材が出てくると思う。さらに、人間としての幅もこれまで以上に広がるはずだ。

親父とのもったいない体験/文:野口健
僕は世界の七大陸にある最高峰の山々を登頂してきたが、実は初登頂と言えるものは山ではなかった。
小学生のころ、父の仕事の関係でエジプトに住んでいた。ある日、父と2人でピラミッドを観光がてら見に行った。ニュースや写真ではピラミッドを何度も見ていたが、実際にピラミッドの前にくると計り知れなく巨大だ。
ピラミッドは、過去にもよじ登ろうとした外国人が誤って陥落死したこともあり、登ることは固く禁じられていた。観光客がピラミッドを登れるのは、所定のルートにそったごく一部だ。
しかし、石を積み重ねただけで簡単そうに見えるのか、記念にピラミッドを登ってみようと考える観光客は多いようだ。そのため、警備もしっかりしている。
そのことを知っていたから、逆に軽い気持ちで「親父、あそこに登ってみようよ」と挑発した。すると親父は「いいね」とやる気まんまんだった。
「見つかるんじゃないの?」と慌てて返事をしたら「なに、裏から登れば見つからないよ」と目をキラキラさせながら言う。「でも……」と自分で誘っておきながら返事に困ってしまった。
それでも、すっかりその気になった父の勢いに押され、警備がいない裏手にこっそり回ってピラミッドにアタックを始めた。
遠くからだとピラミッドの石はひとつひとつが小さく見えるが、実はとても大きい。小学生だった自分の背丈と変わらないレベルだ。石に手をかけてゆっくりと昇り始める。全行程の半分くらいで高さに怯え、手足が震えた。しかも、折からの強風で体が何度も吹き飛ばされそうになる。
「親父、ヤバいんじゃないか」と背後から声をかけたが、「言い出したのはお前だろう」「自分の言ったことに責任を持て」と先にどんどん行ってしまう。
何のことはない。父のほうがピラミッドに登りたかったのだ。僕ひとりで引き返すわけにはいかず、半べそをかきながら必死についていった。
そして、なんとか父と2人で登頂に成功した。ピラミッドの頂上から眺める景色は半分が砂漠。もう半分はナイル川が生み出した緑地とカイロ市街、そこを行き交う人々の姿。しばしその光景に見とれた。今から思うと僕の初登頂と言えるものだ。
案の定、下山したら警察官が待ち構えていた。親父は「何とかなるよ」とまるで他人事のように応える。駆け寄ってきた警察官にアラビア語で「この子の母はエジプト人だから、あなた方もどこかで友達じゃない?」とわけのわからない言い訳を始めた。アラビア語を話す日本人がおかしかったのか、警察官たちはゲラゲラ笑い始めた。気がつくと親父と握手をし、笑顔で「気をつけるように」と去っていった。
親父は「ほらみろ」と勝ち誇ったような顔で「ケン、また登ろうな」と言った。親父はただ者じゃないと、その日は本当に思った。このあたりの親父の行動力は尊敬するところだ。この出来事は、私にとって幼少時代のもったいない体験のひとつだ。

小学生のころ、父の仕事の関係でエジプトに住んでいた。ある日、父と2人でピラミッドを観光がてら見に行った。ニュースや写真ではピラミッドを何度も見ていたが、実際にピラミッドの前にくると計り知れなく巨大だ。
ピラミッドは、過去にもよじ登ろうとした外国人が誤って陥落死したこともあり、登ることは固く禁じられていた。観光客がピラミッドを登れるのは、所定のルートにそったごく一部だ。
しかし、石を積み重ねただけで簡単そうに見えるのか、記念にピラミッドを登ってみようと考える観光客は多いようだ。そのため、警備もしっかりしている。
そのことを知っていたから、逆に軽い気持ちで「親父、あそこに登ってみようよ」と挑発した。すると親父は「いいね」とやる気まんまんだった。
「見つかるんじゃないの?」と慌てて返事をしたら「なに、裏から登れば見つからないよ」と目をキラキラさせながら言う。「でも……」と自分で誘っておきながら返事に困ってしまった。
それでも、すっかりその気になった父の勢いに押され、警備がいない裏手にこっそり回ってピラミッドにアタックを始めた。
遠くからだとピラミッドの石はひとつひとつが小さく見えるが、実はとても大きい。小学生だった自分の背丈と変わらないレベルだ。石に手をかけてゆっくりと昇り始める。全行程の半分くらいで高さに怯え、手足が震えた。しかも、折からの強風で体が何度も吹き飛ばされそうになる。
「親父、ヤバいんじゃないか」と背後から声をかけたが、「言い出したのはお前だろう」「自分の言ったことに責任を持て」と先にどんどん行ってしまう。
何のことはない。父のほうがピラミッドに登りたかったのだ。僕ひとりで引き返すわけにはいかず、半べそをかきながら必死についていった。
そして、なんとか父と2人で登頂に成功した。ピラミッドの頂上から眺める景色は半分が砂漠。もう半分はナイル川が生み出した緑地とカイロ市街、そこを行き交う人々の姿。しばしその光景に見とれた。今から思うと僕の初登頂と言えるものだ。
案の定、下山したら警察官が待ち構えていた。親父は「何とかなるよ」とまるで他人事のように応える。駆け寄ってきた警察官にアラビア語で「この子の母はエジプト人だから、あなた方もどこかで友達じゃない?」とわけのわからない言い訳を始めた。アラビア語を話す日本人がおかしかったのか、警察官たちはゲラゲラ笑い始めた。気がつくと親父と握手をし、笑顔で「気をつけるように」と去っていった。
親父は「ほらみろ」と勝ち誇ったような顔で「ケン、また登ろうな」と言った。親父はただ者じゃないと、その日は本当に思った。このあたりの親父の行動力は尊敬するところだ。この出来事は、私にとって幼少時代のもったいない体験のひとつだ。

頑固な親父/文:野口健
最近、世の中から頑固な親父の姿が消えてしまったと思う。この頑固というのは、意思が固いという一般的なイメージと異なり、家族から見れば理不尽とも言えるくらいの怖さや行動力を持った人のことだ。
僕の親父は、僕も含めて「子供だから」といったように、そもそも子供を特別扱いにはしなかった。例えば、仕事から帰ってきて家族がそろうと、普通はテレビを見ながら家族団らんとなるが、野口家ではその日に起こった社会的な出来事などを取り上げて、家族でディベートするのだ。
テーマが決まるとまず兄貴が答える。次に僕だ。よくわからないテーマでもなんとか頑張って答える。
基本的にだらだら考えてしゃべるのではなく、瞬時に簡潔に答えなければならない。先に述べた兄と同じ論旨やノーコメントは論外だ。兄と同じ意見でも、自分の言葉に言い換えて述べなくてはいけない。なぜ兄と同じなのかといった説明も加えないとならないのだ。
答えられない場合は、「なんだお前、考えがないのか。だったらここでメシを食うな。自分の部屋で食え」と言われる。うまく答えがまとまらず、ひとりぼっちで部屋で食事をすることも少なくなかった。
ほかにも、親父は他人の子供だろうと容赦しなかった。僕が大学の友達を連れて帰ってきたときに「卒論は何を書いたの?」と聞いたところ、僕の友達は「国際経営です」と答えた。親父は「なんだそりゃ、もうちょっと説明してほしい」と言うと、うまく説明できなかった。すると親父は「なんだ、君は卒論を書いたのに説明できないのか」と。
親父の質問に対して最初からスムーズに答えられる人は少ない。普通は面をくらってしまうだろう。結局、友達は親父が満足する答えを言えなかった。
でも、その彼はリベンジしたいと言って、親父のところに通うことになる。何度か通ううちにコツをつかんだのか、親父が満足する答えを言えるようになった。
親父は自分の意見を持たないということに対して、本当に理不尽なまでに厳しかった。上手に話すことを求めているわけじゃない。借り物の言葉ではなく、自分の言葉で自分の意見を言えるかが重要なのだ。借り物の言葉を使うなんでもったいないのだ。人は誰でも自分の意思で自分の意見を言えるはずだ。誰にも似ていないあなただけの言葉で。
父とのディベートは子供のころは本当に理不尽に思ったが、大人になってすごく感謝している体験のひとつだ。

僕の親父は、僕も含めて「子供だから」といったように、そもそも子供を特別扱いにはしなかった。例えば、仕事から帰ってきて家族がそろうと、普通はテレビを見ながら家族団らんとなるが、野口家ではその日に起こった社会的な出来事などを取り上げて、家族でディベートするのだ。
テーマが決まるとまず兄貴が答える。次に僕だ。よくわからないテーマでもなんとか頑張って答える。
基本的にだらだら考えてしゃべるのではなく、瞬時に簡潔に答えなければならない。先に述べた兄と同じ論旨やノーコメントは論外だ。兄と同じ意見でも、自分の言葉に言い換えて述べなくてはいけない。なぜ兄と同じなのかといった説明も加えないとならないのだ。
答えられない場合は、「なんだお前、考えがないのか。だったらここでメシを食うな。自分の部屋で食え」と言われる。うまく答えがまとまらず、ひとりぼっちで部屋で食事をすることも少なくなかった。
ほかにも、親父は他人の子供だろうと容赦しなかった。僕が大学の友達を連れて帰ってきたときに「卒論は何を書いたの?」と聞いたところ、僕の友達は「国際経営です」と答えた。親父は「なんだそりゃ、もうちょっと説明してほしい」と言うと、うまく説明できなかった。すると親父は「なんだ、君は卒論を書いたのに説明できないのか」と。
親父の質問に対して最初からスムーズに答えられる人は少ない。普通は面をくらってしまうだろう。結局、友達は親父が満足する答えを言えなかった。
でも、その彼はリベンジしたいと言って、親父のところに通うことになる。何度か通ううちにコツをつかんだのか、親父が満足する答えを言えるようになった。
親父は自分の意見を持たないということに対して、本当に理不尽なまでに厳しかった。上手に話すことを求めているわけじゃない。借り物の言葉ではなく、自分の言葉で自分の意見を言えるかが重要なのだ。借り物の言葉を使うなんでもったいないのだ。人は誰でも自分の意思で自分の意見を言えるはずだ。誰にも似ていないあなただけの言葉で。
父とのディベートは子供のころは本当に理不尽に思ったが、大人になってすごく感謝している体験のひとつだ。

もったいない一冊/文:野口健
今回は、僕の人生に影響を与えた本を紹介します。
東京の板橋区に植村直己さんの「植村冒険館」があります。
冒険人生をスタートさせて約20年。
迷いや不安に襲われるたびに足を運んできた場所であり、僕にとっての原点のような所です。
父の仕事の関係でイギリスに住み、全寮制の学校に通っていた少年時代。
小学校から高校まで受験なしでエスカレーター式に進学できるはずが、成績が悪く高校には「仮」の進級扱いでした。最初は冗談かと思いましたが、本当に仮扱いだったのです。
そのためクラブ活動や運動会などの行事には参加できず。
生徒会の投票権すら与えてもらえなかった。
当然のことながら学校にはなじめず、いわゆる落ちこぼれの生徒でした。
体つきがよく目立っていたせいか、先輩に目をつけられては殴られ、殴り返すこともありました。
当然のことながら学校にバレてしまい、停学処分になってしまいました。
帰国してから日本にいた父に「高校は中退する」と報告。
心のどこかで父が「高校くらいは卒業しろよ」と言ってくれると思いましたが、「学費が高いから助かる」と言われ、逆に困ってしまいました(笑)。
続けて父は「学校を辞めたければ好きにすればいい。
でも、辛いだけで逃げ出すようなら意味がないだろう。自分の人生は自分で決めなさい」と言う。
突き放された僕は、それから一人旅に出かけ、旅先で一冊の本と出会ったのです。
世界的な冒険家の植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」。
植村さんは日本人初のエベレスト登頂に成功、しかも世界で初めて五大陸最高峰登頂という大記録を次々に達成していますが、植村さんも順風満々のキャリアでは決してなく、コツコツと一歩一歩進んできたような人です。
それまでの僕は、一流大学から一流企業に入ることが人生の成功者だと教えられてきましたが、植村さんはまったく別の次元でいきいきと生きていた。
人生の指標となるべきものがなく、モンモンとしていた停学中のときに植村さんの本と出会った。
僕にとっての道しるべのような本ですが、いまから思うと、僕にとって「もったいない」一冊になったと思います。
10代のときにこの本を読み、希望を感じ、その日から僕の冒険人生が始まったのです。

※野口建新刊 日経プレミアシリーズ
「自然と国家と人間と」本体850円(税込893円)
発売元:日本経済新聞社
東京の板橋区に植村直己さんの「植村冒険館」があります。
冒険人生をスタートさせて約20年。
迷いや不安に襲われるたびに足を運んできた場所であり、僕にとっての原点のような所です。
父の仕事の関係でイギリスに住み、全寮制の学校に通っていた少年時代。
小学校から高校まで受験なしでエスカレーター式に進学できるはずが、成績が悪く高校には「仮」の進級扱いでした。最初は冗談かと思いましたが、本当に仮扱いだったのです。
そのためクラブ活動や運動会などの行事には参加できず。
生徒会の投票権すら与えてもらえなかった。
当然のことながら学校にはなじめず、いわゆる落ちこぼれの生徒でした。
体つきがよく目立っていたせいか、先輩に目をつけられては殴られ、殴り返すこともありました。
当然のことながら学校にバレてしまい、停学処分になってしまいました。
帰国してから日本にいた父に「高校は中退する」と報告。
心のどこかで父が「高校くらいは卒業しろよ」と言ってくれると思いましたが、「学費が高いから助かる」と言われ、逆に困ってしまいました(笑)。
続けて父は「学校を辞めたければ好きにすればいい。
でも、辛いだけで逃げ出すようなら意味がないだろう。自分の人生は自分で決めなさい」と言う。
突き放された僕は、それから一人旅に出かけ、旅先で一冊の本と出会ったのです。
世界的な冒険家の植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」。
植村さんは日本人初のエベレスト登頂に成功、しかも世界で初めて五大陸最高峰登頂という大記録を次々に達成していますが、植村さんも順風満々のキャリアでは決してなく、コツコツと一歩一歩進んできたような人です。
それまでの僕は、一流大学から一流企業に入ることが人生の成功者だと教えられてきましたが、植村さんはまったく別の次元でいきいきと生きていた。
人生の指標となるべきものがなく、モンモンとしていた停学中のときに植村さんの本と出会った。
僕にとっての道しるべのような本ですが、いまから思うと、僕にとって「もったいない」一冊になったと思います。
10代のときにこの本を読み、希望を感じ、その日から僕の冒険人生が始まったのです。

※野口建新刊 日経プレミアシリーズ
「自然と国家と人間と」本体850円(税込893円)
発売元:日本経済新聞社
チャンスを広げたい/文:野口健
富士山の清掃活動を始めたのは2000年のこと。
その当時は、富士山などで清掃キャンペーンを企画しても、参加者はなかなか集まらなかった。多くても100人前後で、参加者の多くは年配の方が目立った。
富士山はひと夏に約30万人の登山者がいる。
全国から、世界から、富士山を目指して観光客がやってくる。
ゴミの不法投棄も目立った。100人の参加者でゴミを回収しても、翌週にはゴミだらけ。
正直言ってつらかった。
地道に活動を続けて2年目に転機が訪れた。
ある食品メーカーからCM出演のオファーをいただいた。
しかし、私はタレントや役者ではないので、器用に笑顔をふりまくことはできない。
そこで清掃活動をアピールできると思い、記録用に撮影していたエベレストでの清掃活動の映像を使ってほしいと注文を付けた。
当時はCMにそのような社会的なメッセージを込めるのは難しいと思ったが、クライアントの了解をいただき、私のエベレストでの清掃活動の映像がお茶の間に流れることになった。
いずれにしても、テレビの影響力はすごい。
15秒のCMとはいえ、清掃活動が一躍有名になった。
バラエティーや情報番組からの出演オファーも急増した。
私の肩書きは登山家であり、タレントではない。
だから、バラエティー番組などのオファーは断っていたが、幅広い世代に清掃活動を伝えることができると思い、スケジュールを調整して出演することにした。当然のことながら、富士山やエベレストなどでの清掃活動を紹介するという企画が中心だ。
いろいろなバラエティー番組に出演した。
普段はテレビで見るようなタレントさんたちと場違いな僕。
だから堅苦しい話は避け、面白おかしく富士山やエベレストでの清掃活動の話をした。
新鮮なテーマだったのか、興味を持ってくれるタレントさんたちもいた。
それなりに番組も盛り上がったと思う。
するとその直後から清掃キャンペーンの参加者が一気に増えだした。
「野口さん、テレビ見ましたよ。思わず笑っちゃいました。楽しそうだから清掃キャンペーンに参加しました」と声をかけてくれる10代の参加者も現れた。
いつもは年齢層が高めの人たちが中心だったので、これには驚いた。
環境保護活動も、伝え方ひとつで人々の共感を呼べるのだと思った。
テレビに出演するようになってから、小中学校からの講演依頼が増えた。
小中高と落ちこぼれだった僕にである。
そして、いつしか富士山の清掃活動に10〜20代の若者たちが目立つようになってきた。
しかし「野口はまるでタレントみたいじゃないか」といったことを耳にするときがある。
持ち前のサービス精神でやや暴走してしまうときもあるが、そんなことを気にしてテレビ出演を自粛することは「もったいない」と思う。
僕は、若い人たちと一緒に清掃活動ができるチャンスをこれまで以上に広げたいのだ。

※野口建新刊 日経プレミアシリーズ 「自然と国家と人間と」本体 850円(税込893円) 発売元:日本経済新聞社
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
<MOTTAINAI Lab.スタッフからお知らせ>
野口健さんが審査委員長として参加した【MOTTAINAI企業対抗!富士山ゴミ拾い大会’09】(2009年7月26日開催)。過去最高の240名が参加しました。
大会会場となった青木ケ原樹海からは、ジュースの空き缶やオートバイの部品など1・5トントラック2台分のゴミが集められました。




その当時は、富士山などで清掃キャンペーンを企画しても、参加者はなかなか集まらなかった。多くても100人前後で、参加者の多くは年配の方が目立った。
富士山はひと夏に約30万人の登山者がいる。
全国から、世界から、富士山を目指して観光客がやってくる。
ゴミの不法投棄も目立った。100人の参加者でゴミを回収しても、翌週にはゴミだらけ。
正直言ってつらかった。
地道に活動を続けて2年目に転機が訪れた。
ある食品メーカーからCM出演のオファーをいただいた。
しかし、私はタレントや役者ではないので、器用に笑顔をふりまくことはできない。
そこで清掃活動をアピールできると思い、記録用に撮影していたエベレストでの清掃活動の映像を使ってほしいと注文を付けた。
当時はCMにそのような社会的なメッセージを込めるのは難しいと思ったが、クライアントの了解をいただき、私のエベレストでの清掃活動の映像がお茶の間に流れることになった。
いずれにしても、テレビの影響力はすごい。
15秒のCMとはいえ、清掃活動が一躍有名になった。
バラエティーや情報番組からの出演オファーも急増した。
私の肩書きは登山家であり、タレントではない。
だから、バラエティー番組などのオファーは断っていたが、幅広い世代に清掃活動を伝えることができると思い、スケジュールを調整して出演することにした。当然のことながら、富士山やエベレストなどでの清掃活動を紹介するという企画が中心だ。
いろいろなバラエティー番組に出演した。
普段はテレビで見るようなタレントさんたちと場違いな僕。
だから堅苦しい話は避け、面白おかしく富士山やエベレストでの清掃活動の話をした。
新鮮なテーマだったのか、興味を持ってくれるタレントさんたちもいた。
それなりに番組も盛り上がったと思う。
するとその直後から清掃キャンペーンの参加者が一気に増えだした。
「野口さん、テレビ見ましたよ。思わず笑っちゃいました。楽しそうだから清掃キャンペーンに参加しました」と声をかけてくれる10代の参加者も現れた。
いつもは年齢層が高めの人たちが中心だったので、これには驚いた。
環境保護活動も、伝え方ひとつで人々の共感を呼べるのだと思った。
テレビに出演するようになってから、小中学校からの講演依頼が増えた。
小中高と落ちこぼれだった僕にである。
そして、いつしか富士山の清掃活動に10〜20代の若者たちが目立つようになってきた。
しかし「野口はまるでタレントみたいじゃないか」といったことを耳にするときがある。
持ち前のサービス精神でやや暴走してしまうときもあるが、そんなことを気にしてテレビ出演を自粛することは「もったいない」と思う。
僕は、若い人たちと一緒に清掃活動ができるチャンスをこれまで以上に広げたいのだ。

※野口建新刊 日経プレミアシリーズ 「自然と国家と人間と」本体 850円(税込893円) 発売元:日本経済新聞社
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
<MOTTAINAI Lab.スタッフからお知らせ>
野口健さんが審査委員長として参加した【MOTTAINAI企業対抗!富士山ゴミ拾い大会’09】(2009年7月26日開催)。過去最高の240名が参加しました。
大会会場となった青木ケ原樹海からは、ジュースの空き缶やオートバイの部品など1・5トントラック2台分のゴミが集められました。




できることからコツコツと/文:野口 健
いろいろなところで「環境」という言葉を普通に聞くようになってきた。
人々が環境問題を語るとき、
「地球にやさしい」「〜ためのエコロジー」
といったコトバで語りかける。
企業が打ち出している方針の中でも「環境」という言葉が目につくし、
CMや広告を見てもそうだ。
そんなことはきれいごとだと僕は思う。
本当に地球のため、環境のためを考えるのなら、
人間がいなくなることがいちばんの近道だ。
環境を破壊しているのはそもそも人間であり、
その消費活動が最大の原因といえる。
ゴミ問題を筆頭に、温室効果による温暖化や水の枯渇、
森林の消失、土壌汚染、酸性雨の拡大といったさまざまな問題は、
人間が快適に生きていくために生み出した結果と言ってもいい。
地球を汚しているのは結局のところ人間であり、
環境を悪くするのも、よくするのも同じ人間だ。
だから環境問題を解決する、突破口となるうえで
肝心なのは「人」の心だと思っている。
現在の地球のおかれた状況を理解し、
そこに危機意識を持たない限り、
解決の糸口は見つからないのだ。
その結果、阻止できることや進行を抑えることだってある。
そこで問題なのが、
ことの重大さに押しつぶされてあきらめてしまうことだ。
大事なのは、いまの自分は何ができるかを考えること。
それだけでいい。どんな小さなことだって、
積み重ねていくことで大きな結果につながるのだ。
登山だって、楽をできる近道はない。
一歩ずつ頂上を目指すしかないのだ。
大きく進めないことをモッタイナイと思ってはいけない。
その場の状況に応じて、自分のできることから
臨機応変に対応していくことが大事だと思う。
物ごとはいきなりは変わらない。
できることからコツコツと進むことが肝心なのです。

※野口建新刊
日経プレミアシリーズ
「自然と国家と人間と」本体 850円(税込893円)
発売元:日本経済新聞社
人々が環境問題を語るとき、
「地球にやさしい」「〜ためのエコロジー」
といったコトバで語りかける。
企業が打ち出している方針の中でも「環境」という言葉が目につくし、
CMや広告を見てもそうだ。
そんなことはきれいごとだと僕は思う。
本当に地球のため、環境のためを考えるのなら、
人間がいなくなることがいちばんの近道だ。
環境を破壊しているのはそもそも人間であり、
その消費活動が最大の原因といえる。
ゴミ問題を筆頭に、温室効果による温暖化や水の枯渇、
森林の消失、土壌汚染、酸性雨の拡大といったさまざまな問題は、
人間が快適に生きていくために生み出した結果と言ってもいい。
地球を汚しているのは結局のところ人間であり、
環境を悪くするのも、よくするのも同じ人間だ。
だから環境問題を解決する、突破口となるうえで
肝心なのは「人」の心だと思っている。
現在の地球のおかれた状況を理解し、
そこに危機意識を持たない限り、
解決の糸口は見つからないのだ。
その結果、阻止できることや進行を抑えることだってある。
そこで問題なのが、
ことの重大さに押しつぶされてあきらめてしまうことだ。
大事なのは、いまの自分は何ができるかを考えること。
それだけでいい。どんな小さなことだって、
積み重ねていくことで大きな結果につながるのだ。
登山だって、楽をできる近道はない。
一歩ずつ頂上を目指すしかないのだ。
大きく進めないことをモッタイナイと思ってはいけない。
その場の状況に応じて、自分のできることから
臨機応変に対応していくことが大事だと思う。
物ごとはいきなりは変わらない。
できることからコツコツと進むことが肝心なのです。

※野口建新刊
日経プレミアシリーズ
「自然と国家と人間と」本体 850円(税込893円)
発売元:日本経済新聞社
野口さんサイン入り!エベレストで回収した酸素ボンベ!出品!!
今週も、先週に引き続き、
マータイさんの植林活動『グリーンベルト運動』へのチャリティー企画として、
『MOTTAINAIチャリティーオークション』
を開催しています!
今日は、野口健さんからのご提供品、
エベレスト(チョモランマ)清掃登山時に回収した使用済み酸素ボンベ
をご紹介します。
野口健さんは1999年念願だったエベレスト登頂に成功した時、清掃登山を決意。
各国の登山隊がエベレストに残していったゴミを4年がかりで回収していくことを発表しました。

世界一過酷な清掃活動と言われている「エベレスト清掃登山」。

今回は野口健さんが2003年5月にエベレスト(チョモランマ)8300m地点で回収した使用済み酸素ボンベに、直筆サインを入れてご提供くださいました。

このチャリティーオークションの、落札金は全て
ワンガリ・マータイさんの植林活動『グリーンベルト運動』へ寄付されます。
ぜひ、みなさんのご参加をお待ちしています!
詳しくはコチラ!!! ↓
○YAHOO!特集ページ
○野口健さんのチャリティー出品ページ
マータイさんの植林活動『グリーンベルト運動』へのチャリティー企画として、
『MOTTAINAIチャリティーオークション』
を開催しています!
今日は、野口健さんからのご提供品、
エベレスト(チョモランマ)清掃登山時に回収した使用済み酸素ボンベ
をご紹介します。
野口健さんは1999年念願だったエベレスト登頂に成功した時、清掃登山を決意。
各国の登山隊がエベレストに残していったゴミを4年がかりで回収していくことを発表しました。

世界一過酷な清掃活動と言われている「エベレスト清掃登山」。

今回は野口健さんが2003年5月にエベレスト(チョモランマ)8300m地点で回収した使用済み酸素ボンベに、直筆サインを入れてご提供くださいました。

このチャリティーオークションの、落札金は全て
ワンガリ・マータイさんの植林活動『グリーンベルト運動』へ寄付されます。
ぜひ、みなさんのご参加をお待ちしています!
詳しくはコチラ!!! ↓
○YAHOO!特集ページ
○野口健さんのチャリティー出品ページ
挨拶とゴミ/文:野口健
挨拶とゴミには、一見無関係に見えて面白い共通要素がある。
例えば、北アルプスに登るとしよう。
ある程度、登山のキャリアがあり山好きが行くこともあって、
山頂近くになると、ゴミが少ない。
モラルがしっかりしている。
すれ違うときには、見知らぬ人同士でも挨拶を交わす。
「こんにちは」「おはようございます」「お疲れさまです」——。
挨拶をすることは、どこか気持ちがいい。
それが、上から降りてきて上高地付近まで来ると、
急に挨拶が少なくなってくるのだ。
さらに下ると一般の観光客が集まっている。
いろんな人たちが混じっている。
そこで見知らぬ人同士が挨拶をすることはまずない。
そして挨拶がなくなってきたところから、
一気にゴミの量が増えてくる。
挨拶の切れ目が、ゴミの始まりなのだ。
挨拶のあるところはゴミも少なく、挨拶のないところは汚れる。
ゴミというのは人や社会の姿をはっきり映し出す鏡ともいえる。
富士山の清掃を始めてから、
以前よりも富士山が愛おしく感じられるようになった。
ゴミを拾いながらいろんな視点で富士山を見ることで、
富士山に対する想いがどんどん強くなってきた。
もっと富士山のことを知りたくなる。
山も町も同じことではないだろうか。
自分の住む町を一度ゴミを拾いながら歩いてみよう。
毎日通っている道を。
ゴミを拾いながら歩くと普段の倍以上の時間がかかる。
すると、いろんな角度からいつもと違った視点で町を見るので、
これまで気がつかなかったことが見えてくる。
自分の町の新たな風景が現れてくる。
また、表にゴミが散らかっている店は、
店内もどこか汚れている感じがしてくる。
当然のことながら、いい印象は残らないだろうし、
お客として行きたくないだろう。
店の周囲がきれいに片付いていると、当然店内もキレイだ。
「こんど、この店にきてみようかな」と思ったりする。
自分の町で新たな発見があると、
自分の町をもっと知りたいと思うようになる。
自分の町に対する見方が変わってくる。
すると、そこにゴミなんか捨てられれはずがない。
そして見知った顔の人に出会えば、自然と挨拶したくなる。
自分の町の意識と自分たちの山の意識はつながるものだ。
私の町、私の山、私の地球——とみんなが思えるようになれば、
必ずやきれいになっていくはずだ。

例えば、北アルプスに登るとしよう。
ある程度、登山のキャリアがあり山好きが行くこともあって、
山頂近くになると、ゴミが少ない。
モラルがしっかりしている。
すれ違うときには、見知らぬ人同士でも挨拶を交わす。
「こんにちは」「おはようございます」「お疲れさまです」——。
挨拶をすることは、どこか気持ちがいい。
それが、上から降りてきて上高地付近まで来ると、
急に挨拶が少なくなってくるのだ。
さらに下ると一般の観光客が集まっている。
いろんな人たちが混じっている。
そこで見知らぬ人同士が挨拶をすることはまずない。
そして挨拶がなくなってきたところから、
一気にゴミの量が増えてくる。
挨拶の切れ目が、ゴミの始まりなのだ。
挨拶のあるところはゴミも少なく、挨拶のないところは汚れる。
ゴミというのは人や社会の姿をはっきり映し出す鏡ともいえる。
富士山の清掃を始めてから、
以前よりも富士山が愛おしく感じられるようになった。
ゴミを拾いながらいろんな視点で富士山を見ることで、
富士山に対する想いがどんどん強くなってきた。
もっと富士山のことを知りたくなる。
山も町も同じことではないだろうか。
自分の住む町を一度ゴミを拾いながら歩いてみよう。
毎日通っている道を。
ゴミを拾いながら歩くと普段の倍以上の時間がかかる。
すると、いろんな角度からいつもと違った視点で町を見るので、
これまで気がつかなかったことが見えてくる。
自分の町の新たな風景が現れてくる。
また、表にゴミが散らかっている店は、
店内もどこか汚れている感じがしてくる。
当然のことながら、いい印象は残らないだろうし、
お客として行きたくないだろう。
店の周囲がきれいに片付いていると、当然店内もキレイだ。
「こんど、この店にきてみようかな」と思ったりする。
自分の町で新たな発見があると、
自分の町をもっと知りたいと思うようになる。
自分の町に対する見方が変わってくる。
すると、そこにゴミなんか捨てられれはずがない。
そして見知った顔の人に出会えば、自然と挨拶したくなる。
自分の町の意識と自分たちの山の意識はつながるものだ。
私の町、私の山、私の地球——とみんなが思えるようになれば、
必ずやきれいになっていくはずだ。




































