環境学校を作った大きな理由は、僕が教えるというよりも、子どもたちを現場に連れて行き、そこで現場の人と出会い、実際に見て体験してほしいという思いからだ。
例えば、白神山地に連れて行く。白神山地にはマタギがいるが、マタギは何をする人か、どういう生き方をしているのかということを知るために、マタギと一緒に山に入るのだ。
子どもたちを教室に集めて勉強するよりも、数日間マタギと一緒に山で過ごしたほうがストレートに伝わる。子どもたちが山から戻ってくると、口々に「マタギってカッコいい」と言う。
環境学校に参加する子どもたちというのは、環境に関して少なからずの知識があるから、最初はやや頭でっかちなところがある。とにかく知識だけを詰め込んだ感じだ。
環境学校では、毎日ひとりひとりの発表の時間があり、初日はビックリするほど、どの子どもたちも大人びたリポートを書く。小中学生なのに大学生並みの論文みたいだ。
いまの時代、インターネットが発達しているし、世界中のさまざまな研究機関の発表を引用して温暖化が将来どうなるかといった話を書く子どももいる。そんなことは、たいしたことではないけれど、あまり記憶に残らないし、心に響かない。それは、自分の言葉で話をしていないからだろう。
環境学校で数日間さまざまな体験をすると、最初はぎこちなくても、だんだん彼らの表情が変わってくるのがわかる。今日あった出来事だけではなく、そのとき感じたことや自分の意見も付け加える。すると、だんだん自分の言葉になっていく。
大事なことは、とにかく経験してみることだ。学校で先生がゴミの写真を見せながら環境の話をすれば、今日からゴミを拾うかというと、そんなことはなかなかない。経験を通して初めて感じ、気づくことは必ずあるのだ。
環境問題の主役は、本来は子どもたちなのかもしれない。なぜなら、未来に向けて育っていく子どもたちのためにこそ、環境の保護や整備はある。われわれの海や山がゴミだらけになっていちばん困るのは、実は、いま生まれて将来大人になる子どもたちだ。
環境の保護活動というのは、未来に向かっていま私たちがやっておくべき大事な社会的な行動のことだ。だから、子どもたちが環境問題に対して意見を言って活動するのは、実に自然なことなのだ。
今後も、子どもちにいましかできないさまざまな「もったいない」体験をさせたいと考えている。




































