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タグ:上腸間膜動脈症候群 ( 12 ) タグの人気記事

闘病記を掲載しました。

思い立って、9年前の闘病記を掲載しました。

退院1年後になんとなく書いたものを、今年4月に加筆・修正したものです。
いつかちゃんとまとめよう…と思っていたその作業、ようやくできました。
なぜこのタイミングかは自分でもわかりませんが、
命について考えさせられる事件の報道が続いたからかもしれません。


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2005年、「上腸間膜動脈症候群(SMA症候群)」という、
比較的めずらしい病気で、長期入院、手術をしました。

痛みに苦しむも診断がつかなかった3ヶ月、
治療となかなか向き合えなかった2ヶ月、
手術と合併症の2ヶ月…、

現在、私が取材者として、情報の伝え手として、
“医療”と向き合うとき、
そのベースにあるのは、このときの患者としての経験です。

ご興味あれば、お読みください。


いま人生で最も健康であることに感謝して
医療キャスター 森 まどか


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闘病記① プロローグ、第1章 はじまり
闘病記② 第2章 診断
闘病記③ 第3章 転落のごとく
闘病記④ 第4章 迷い~何が“最善の治療”なのか~
闘病記⑤ 第5章 「フォアグラ療法」
闘病記⑥ 第6章 転院
闘病記⑦ 第7章 手術
闘病記⑧ 第8章 回復の階段
闘病記⑨ 第9章 足踏み
闘病記⑪ あとがき

by mori-mado | 2014-08-06 15:26 | 患者として医療を考える | Comments(0)

闘病記⑪

あとがき


「うちの大学病院で初めての症例です」と言われた手術からまもなく9年になる。

当時を思い出すことも滅多になくなった。

たまに健康診断や初めてのドクターにかかると、

問診票に書かれた「既往歴:上腸間膜動脈症候群」のことを必ず尋ねられ、

「教科書でしか知らなかったけれど、本当になるんですね」と驚くドクターと、笑って話題にするくらいだ。


そう、あの当時も、現在も、「上腸間膜動脈症候群(SMA症候群)」は、ほとんど知られていない。

症例が無い。情報が無い。得体の知れないこの病気に苦しんでいる人は確実に居るのに。


がんのように再発の心配は無いし、生活習慣病のように長く付き合うわけでもない。

それでも、私がこの病気を、本当の意味で乗り越えるまでには45年かかったように思える。

手術の痕はあっという間に気にならなくなったが、

人格を変えるほどの苦しみだった痛みの経験を長く引きずり、仕事に復帰してからうつにもなった。

胃の圧痛や引っ張られる感じの調子悪さは何年も続いた。

情報が無いため、治療後の経過も、ある意味では長いトンネルのようなものだ。


2つ目のトンネルを抜けた現在だから、ようやく冷静に振り返ることができる。

あの悪夢のような日々はいったい何だったんだろう。

その記録を発信することで、誰かの何かの光になれたらいいと、8年が過ぎてようやく思った。


手術1年後にまとめた闘病の記録を、

いま改めて加筆修正し、公式ブログに掲載しようと思う。

同じ病気で苦しむ人の少しでも参考になればいいと思うし、医療関係者にも読んでほしい。


必ず、トンネルは終わる。私はいま人生で最も健康な毎日を過ごしている。

治療に関わって下さったすべての方への感謝と、

支えてくれたすべての方への感謝を胸に抱きながら…。


とくに、診断から内科治療、そして退院後何年も、本当に長く長くお世話になったI先生と、

治療を決意させてくれ、執刀してくださり、術後しばらく診ていただいたY先生には、

言葉では表せないほど感謝しています。



20148月 森 まどか


by mori-mado | 2011-08-31 14:40 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記⑩

終章


手術から2週間。状況は変わらない。

1ヶ月以上、口からものを入れていない。
水すら飲めない状況と、鼻から入れられているチューブの煩わしさ、
社会復帰の目処がたたないことが、私をイライラさせていく。

おまけにこの頃には、チューブから注射器でひく消化液の吸引を自分でやることになっていて、
毎日毎日、量が減ることもなくリットル単位で引ける状況にうんざりしていた。

どうなっているの! こんなこと手術前には聞いていなかった!!
腐っても仕方ないとは分かっていたが、やり場のない気持ちは募るばかりだった。


「ただ待つしかない」そう言われ、日々が過ぎていった。

傷の痛みも癒えて、胃が動かないことと栄養を摂れないこと以外はまったく普通と変わらなかった。


毎朝6時に病室の窓を開けることから1日が始まる。
眼下には不忍池。その向こうは上野の街。

この景色をこうして1ヶ月以上も見ることになるとは思いもよらなかった。


病気になって半年、入院して3ヶ月、季節は秋を通り越して冬の足音が聞こえてくる。

振り返れば、激痛と闘った毎日、「フォアグラ療法」で体重を増やし、そして手術。
何かが解決したのか、解決していないのか、食事が開始にならない現在ではまだ“未知数”である。

トンネルの中で、先が見えない分ずいぶん自分と向き合い、過去の痛みを整理する時間が持てた。
苦しみのすべてが浄化され、まっさらな自分に生まれ変わったようでもある。


とにかく、あとは胃管だけの問題だった。


手術から1ヶ月になろうかというある日、

突然、吸引される消化液の量がガクンと減った。

しかし、前例があるためなかなか「バッキョ(抜去)」の許可は出ない。


1
日、2日、3日…、突然好転した事態も、日を重ねるごとに実績となり、

とうとう晴れてチューブを抜くこととなった。


バンザイ!


1
ヶ月ぶりにチューブの煩わしさ、溺れているような感覚のない、自然な眠りにつくことができた。

その感動は忘れられない。


すべてのストレスがなくなり、私は、“一患者”から“森まどか”に戻った。


3
日後、退院。


久しぶりに外の空気を吸う。晩秋の冷たい空気。
いまここにいる自分がうれしかった。


ただいま。


やっと帰ってこられた。

「自分にブラボー!」、そんな気分だった。


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by mori-mado | 2011-08-31 14:37 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記⑨

9章 足踏み


痛みが少しずつ治まっていくと同時に、
導尿カテーテル、硬膜外麻酔、ドレーン…と、

身体の中へ入れた管が1本ずつ抜かれていく。
まだまだ苦しいものの、トンネルの出口がちらちらと見えた感じだ。


いよいよ最後の「胃管」だけ。手術直前に病室で入れられた、あの苦しいチューブである。

ゴム製の、うどんの麺よりははるかに太いチューブが、

鼻から喉を通り胃まで届いていることを思えば、
どんなに不快かは想像に難くない。

24時間、毎日喉を塞がれているのだ。


最初の説明では、「術後34日」で抜けるとのことだった。

イライラしながら1週間が経過し、待ち望んだ「バッキョ(抜去)」の台詞が主治医の口から出た。
その嬉しさといったら、退院許可のときより嬉しかったくらいだ。絶大な喜びである。

午前、研修医のドクターが、入れたときと同じように病室へ現れ、
そして、晴れて私の身体から点滴以外の管がなくなった。


しかし、

数時間後に異変は起きた。

どうしようもなく、気持ち悪くて、吐きたくて、吐きたくても吐けないという苦しみが始まったのだ。


吐き気止めの薬はまったく効かない。

この吐き気はなんなのだろう。

涙を流しながら苦しんでいたところ、突然こみ上げてくるものがあった。


ほんとうに一瞬。一瞬に吹き上げた。
私と私の寝ていたベッドは、真緑色に染まったのである。

喜びは束の間。あまりにあっけなかった。

消化液のすべてを吹き上げた。

ドクターの顔が青くなり、周囲はバタバタと慌てだす。
また鼻から胃管を入れられることになり、抜けたときの喜びの100倍は落胆した。
が、半分は諦め気分。この吐き気を止めてくれるのであればやむなしと、自分でも納得していた。


すぐにチューブから消化液の吸引がはじまると、

注射器を何度引いても、真緑の液体が引けてしまい、
終いにはゴミ袋大のビニール袋がいっぱいになってしまった。その量にドクターのほうが焦る。
数時間おきの吸引がナースに指示され、造影剤の検査が私に指示された。

回復している実感は、見事に吹っ飛んだ。


要するに、
胃の動きが止まっているために消化管の流れが悪く、流れていかない。

手術では胃にはまったく触れていないのに。
「手術の影響で消化管を動かす神経の働きが弱くなる」という、
「膵臓の手術などでたまに見られる現象と同じ」という説明だった。


「経過観察で、様子を見るしかないんです。通常は23週間で動くと思うのですが・・・」

こうしてまた私は暗く長いトンネルに入った。


by mori-mado | 2011-08-31 14:35 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記⑧

8 回復の階段


私が受けた手術は「十二指腸転位術」。
上腸間膜動脈の下にある十二指腸を、動脈の上でつなぎなおすというシンプルなもの。
位置を換えることで、十二指腸が挟まれて通過障害を起こすこともなくなるという理屈だ。
十二指腸の、押し潰されて細くなっていた部分は切ってつないだらしい。


この手術方法については、術前に主治医から説明を受け、
そこに同席していた、文章をまとめる能力がきわめて高く、加えてイラストが天才的にうまい

研修医のドクターがノートしてくれたおかげで、十分に理解していた。

しかし、痛みをはじめとする術後については、まったく考えが及んでいなかった。


痛い。
息をすると痛い。咳をすると痛い。痛くて痰が出せない…
寝返りをすると痛い。起き上がれない。
熱は相変わらず高く、頭はボーっとしたまま頭痛は強くなる一方だった。
まるで自分の身体ではないようで、ただ身動きもせずベッドの上でじっとしているだけ。
開腹手術をいかに甘く考えていたか、認識不足を嫌というほど思い知らされていた。


痛いという訴えに、看護師さんが痛み止めの点滴を持ってきてくれる。
すがるような目で点滴を見つめると、その先の看護師さんが信じられない言葉を発した。

「痛みが薬で止まっているうちに、歩きましょうか」

???

(まだ、いま部屋に帰ってきたところなんですけど…)

「立ち上がる練習をしましょうか」

(痛いのに?苦しいのに?具合悪いのに?)

「ゼッタイ無理です!
言ってはみたものの、12年間陸上部で鍛えた体育会根性が目覚め、なんとなく悔しい。

次の瞬間はまんまと看護師さんの言葉に乗り、立ち上がろうとしていた。


「痛い…っっっっっ!!!!!

痛いのは当たり前である。お腹を縦に13センチ切っているのである。
しかも切ったところはちょうど身体の中心。何をするにしても腹筋は使う。

歯を食いしばりながらベッドからドアまで1往復。これが今日の進歩だ。


不思議なもので、1度無理をすると、必ず次はそれ以上のことができるようになる。
翌日には、何の苦労もなくベッドから起き上がれるようになり、部屋を2往復できるようになった。

おかげで尿の管も抜け、これだけは介助されたくないと思っていたトイレもなんとか自分で行くことができた。

傷の痛みは、毎日必ず少しずつ良くなっていく実感がある。それが救いだ。


それでも、やはり傷はこわい。
消毒のときには全身に緊張が走った。
「少しでも何かが触れたら痛いのではないか」と思うと、身体がこわばって直視できなかった。


一方、一番つらいのは痰を出すこと。

手術後は痰が多くなるとは聞いていたが、これが全く出せないのである。
痰を出すには腹筋を使う。力が入らないので痰が出せないのだ。
鼻から胃に入った管がすでに喉を占拠している。
ただでさえ息苦しいところに痰が絡み、水の中で溺れているような感覚は痛いより辛かった。

さらに傷の痛みももちろんある。


その上、夜中に廊下のトイレから別の患者さんが嘔吐する音が響いてくる。

睡眠導入薬を用いても、一睡もできない夜が続いた。


1週間経てば傷の痛みは治まるから」
主治医の言葉だけを信じて、まさに修羅場の1週間が過ぎていこうとしていた。


by mori-mado | 2011-08-31 14:33 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記⑦

7 手術


10
12日。
その日2番目の手術である私は、朝からソワソワと自分の順番を待っていた。
まさに待つしかなく、何か別のことをしたり、母と会話をしたりという余裕はなかった。


いよいよ、そのときがきた。


手術室に向かうとき、映画やドラマのようにスローモーションで家族の顔を見、
握手をしてストレッチャーで運ばれる。なんていうのは、半分ホントで半分ウソだ。


私は、母と姉に見送られたが、まずストレッチャーに寝かされる前に、
病室のベッドで、鼻から胃へ太いチューブを入れられる、拷問のような儀式が待っていた。

研修1年目のやさしいドクターが、「ゴクン、ゴクンと飲み込みましょう。はい、ゴクン・・・」
と掛け声をかけてくれるが、そんな生易しいものではない。
まったく意に反してチューブは下に入っていかないのだ。
突然侵入してきた異物に身体全体が拒絶反応を起こしているようで、それはそれは苦しい。


「息苦しい…」ストレッチャーに寝かされた後も、
鼻からのどを通って胃に入れられているこのチューブが苦しくて、非常に不快。

いまこの瞬間のチューブの不快さが際立ち、

手術に向かう不安や、廊下に残される家族に思いを馳せるなどという余裕は、
正直まったく無かった。


「ああ、これから手術を受けるのだ・・・」
運ばれてきたストレッチャーから手術台に移されたとき、急に現実と直面した。


手術室には何人ものスタッフが居て、それぞれがそれぞれの動きをしている。
布一枚をかぶされただけの自分が、突如心細くなった。


麻酔がはじまった。

まだ意識は十分にある。医師たちの会話も聞こえてくる。
若手の麻酔科医が手首に注射針を入れようとして、なかなかうまく入らない。

「痛いっ!
どこに刺されたのか不明だが、とにかく間違った場所に入れたらしい。
痛さのあまり右腕が上がった。
そのときに腕の筋を痛めて、そのあまりの痛さに手術直前であるという現実を忘れた。
指導医らしい麻酔科医が慌てて交代していたのがなんとも“実験台”っぽく、

ここは大学病院だったと再確認。

背中に入れる麻酔は、怖がる私の体のほうが反射してしまい、なかなか入っていかない。


手術前の悪戦苦闘をしているうちに、


気がついたら手術は終わっていた。


「時間通り。完璧だね。」主治医の明るい声が聞こえてきて、

自分の意識が戻ったことに気がつく。

麻酔のときにいためた筋は、まだ痛い。


そして、
次に気がついたときには、すでに回復室に移されたあとだった。

手術は予定通り3時間50分で終わった…らしい。(私にはわからない)
母と姉が「帰るね。がんばってね。」と言った言葉は耳の記憶に残っている。

ちゃんと目が覚めたのは、おそらくそれからまた数時間が経過した後、

なんとなく夜であるような気がした。


「寒い!寒い!!寒い!!!
南極に放り出されたらこのくらい凍えるのではないかというくらい、とにかく身体の芯から寒い。

ガタガタ震えながら何度も何度も看護師さんに訴えた。
「電気毛布は最大にしてある」と言われても、一向に震えが止まらない。
体温計もあっという間に40度近くまで上がっていった。


それでも、
知らぬ間に眠ったらしい。


朝、回復室が明るくなって目が覚めた。
「いかがですか?」看護師さんの問いかけに、
今度は、痛くて苦しくて動けなくて、目が覚めたとたんに何重もの苦痛が襲ってきて
ロクに答えることもできなかった。


痛い。身体の全てが痛い。
お腹の傷は息をすることもできないくらい痛く、
麻酔のときに攣った右腕は相変わらず痛く、
全身筋肉痛もある。
そして何よりも頭がズキンズキンと痛む。

「もう動きたくない」と凹んだ瞬間に、「病室に戻りますよ」と言われた。

病室に戻るということは、移動することであり、身体を動かすことである。
「冗談じゃない」と思ったが、すでにストレッチャーが横付けされ、

お迎えの看護師さんも到着していた。


「無理。ゼッタイに無理。私は病人なんだから!」心の中で叫んでも、
泣いてわめいて通じる相手ではないことぐらいはわかっていた。


by mori-mado | 2011-08-31 14:30 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記⑥

6 転院


106日、都内大学病院へ転院。

病室に入るとすぐに、“大学病院”独特の冷たさと無機質さの洗礼を受ける。


まずトラブルとなったのは、痛みが起きたときの対処について。

これまで何ヶ月も死にたくなるほどの痛みと闘ってきた。
薬も試行錯誤しながら、ドクターが何度も変えてきた。
ようやく痛みを抑えるベターな方法が固定してきたところでの転院だった。


ところが、

「痛くなったらロキソニンを使いましょう。それでもだめなときはボルタレンで」

ナースが私に伝えた薬は、半年前に自己判断で散々飲み、座薬で入れ、
それでも全く効果のなかったもので、
これまでの主治医からは「作用機序が異なるから痛みは治まらない」と説明されていた薬だった。


その主治医は転院に際して、私の痛みの状況や使用している薬について詳細に書いてくれた。
その細やかさに患者である私は感動したくらいだ。


なのに、


新しい病院で、患者の私自身がまた一から痛みの説明をし、
これまでの治療の経緯についても一つ一つ説明し、訴えなければならなかった。

あの「診療情報提供書」はいったい読んでくれたのだろうか?


ナースはさらに、
「痛みなんて、転地療養でのんびりすれば案外治っちゃうんじゃないですか?
と心ないことを言う。
ベッドサイドに届いた花を見れば、
「お花もきれいだけれど、退院した後のお返しを考えると面倒よね」と笑う。
病室に入って30分もしないうちに、この病院に対する不信感でいっぱいになった。


夕方、病棟担当医という、セカンドオピニオンをしてくれた執刀医とは別のドクターがやってきた。
私がナースに訴えた痛み止めのことを、越権行為だとばかりに文句を言い、
挙句に「じゃあ、なんでいまの薬が効いているわけ?たいして強い薬でもないのに」と吐き捨てられる。

わかるわけない。私は医者ではないのだ!

でもそのときに提示された薬が効かないことは事実なのだ。


ドクターは、手術までの1週間にはまったく関心がない様子。外科医とはこんなものなのか?

もう、うんざり。逃げ出したい。新しい病院にはどうにも馴染めない気がした。


転院した先での救いは、

執刀してくれるドクターへの信頼がセカンドオピニオンを受けていたときから絶対的なものであり、
彼の明確で丁寧な説明に、手術そのものに対しての不安がなかったことだ。

それでも手術を受ける“患者”としては、自分でも気づかない大きな不安があったのだと思う。
それが、病院への不満となって表れていたのではないだろうか。


そんな馴染めない空気の中でも、

手術直後の呼吸のために「風船を膨らませる練習をしなさい」と言われたり、
手術室のナースや麻酔科医が訪ねてきたり、もちろん家族で手術の説明を受けたりと、
手術までの1週間はあっという間に過ぎた。


by mori-mado | 2011-08-31 14:28 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記⑤

5章 「フォアグラ療法」


最初に痛み出したときからずっと診てもらっていた病院の内科病棟に入院。
ここは療養環境抜群の個室中心の病院である。
病室にパソコンをつなぎ、インターネットやeメールは何の不自由もない。

ある程度は仕事をするつもりでいたが、
極端な栄養状態の悪さと体重減による体力消耗で、とても何かをする気にはなれない。
ただベッドの上でボーっと過ごす。生きている最低限の状態ともいってよい。


病室に入るとまもなく、鎖骨の下からカテーテルをいれ、
そこから毎日24時間、
3,000
キロカロリー近くの輸液と脂肪乳剤を入れ続ける治療が始まった。

点滴の紐がついている以外はまったくの自由だ。


しかし、


痛みは必ずやってきた。夕方や夜に突然。

痛さに麻痺しているのか、痛み止めを求めるタイミングがわからない。

ナースコールを押すか、押さないか、痛みと葛藤しながらも迷う。
「これくらいなら大丈夫なのでは…。このまま治まってくれるのでは…」
やり過ごそうとすると、今度は我慢できない方向へと激しく揺れたりもする。


いつでもSOSを出せる環境になったというのに、
逆によけいな気ばかりを遣い、ベッドの上でうずくまって12時間を過ごす。

回診にみえたドクターに「どうですか?」と聞かれても、何ひとつ良い返事をできない自分が悲しい。

入院したところで、患者は患者で辛いのだ。


一方、13,000キロカロリーの威力は大きかった。
体重は日に日に増えていく。
「太るのなんて簡単なんだな」と変なところで感心する自分がいる。

しかし、なぜ痛みはなくならないのだろう…


入院2週間。
ほとんど食べものを口にしていないのに、体重は9キロ増え、目標の50キロを突破した。
明らかに顔は丸くなり、背中に肉がついた。
「これがフォアグラ療法か…」
この期に及んでなお、気持ちは複雑だった。

太ることは仕方ない。

仕方ないとあきらめる反面、テレビの仕事に復帰できるだろうかという不安が増大する。

そして何より、ここまで固い決意で体重を増やしたというのに、
食後、といっても食パン1枚の半分や豆腐しか食べていないのに、
激しい痛みが起きることに、疑問と苛立ちを覚えていた。


「太ったって治んないじゃん!

先の見えない長い長いトンネル。
暗闇の中で、痛みと体重のバランスは全くつり合っていない。
こんなに苦しいことはない。この治療に期待して臨んだだけになおさらだった。

ずっと抑えてきたものが、弾けた。

こらえきれない涙が次から次へと溢れ、
見回りに来た新人ナースの前で声を上げて泣きじゃくっていた。

「なんで、痛くなくならないの?こんなに太ったのに…、なんで…」

ただ漫然と体重を増やされているだけの治療に、徐々に失望していった。


それでも、

3,000キロカロリーを入れるだけの毎日は、あっという間に過ぎていく。
ただ太らされているだけではないかという疑問は拭い去れない。

3週間といわれた入院期間を超え、体重も“順調に”増えた。


「果たして、内臓脂肪は増えているのだろうか」


主治医はじっくり慎重派だったため、もうしばらく様子を見ていたいようだったが、
せっかちの私には耐え切れず、治療の効果を測定してほしいとお願いした。


CT
画像は残酷にいまの私を写し出す。

「皮下脂肪は増えているのですが、内臓脂肪はほとんど変化がありません」

それが一大決心をして臨んだ治療の成果だった。

「私は、どうなっちゃうんだろう…」


入院4週間が過ぎ、結局はまた振り出しに戻ったことになる。
もう、落ち込んだり泣いたりしている場合ではなかった。


数日後、
検査画像をもって、セカンドオピニオンを受けている外科医を訪ねる。

「内科的治療を1ヶ月やって効果がなかったということは、
これは手術の適応症例ということになります」

話は早かった。
その気になれば3日後に転院、1週間後に手術できるという。

今度は、迷っている余裕はなかった。
「手術さえすれば痛みから解放される」
それは長くつづいたトンネルの中でようやく見えた光のようで、
リスクを考えるほどの冷静さは完全に失っていた。


by mori-mado | 2011-08-31 14:25 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記④

4 迷い ~何が “最善の治療” なのか~


本腰を入れて治療しなければまともな生活を取り戻せなくなる。

休業しての治療を決心したものの、
「高カロリー輸液を入れて体重を増やし、それによって内臓脂肪が増えるであろう」
という中心静脈栄養療法の理屈は、どうも釈然としないものがあった。


理論の上では確かにそうかもしれない。
しかし、もともと病的に痩せている訳ではない私の身体に内臓脂肪がないということは、
「そもそも内臓脂肪が付きにくい体質なのではないか」と考えた。

もちろん医学を学んだことのない素人の発想に過ぎないが。


仕事を休めるのは最大1ヶ月と試算する。
「ならば、いっそ手術をしてしまったほうがいいのではないか」

これまた素人の発想だが、同じ賭けに出るのであれば、“より確かな治療”を選択したかった。


主治医である消化器内科のドクターは大反対。

「お腹を切ることがどれだけリスクをともなうことかわかっているのか…」

「手術は、内科的な治療ではどうにもならない場合の最後の手段なのだから…」

何度も何度も言い聞かされた。


このとき、なぜ私がそんなに手術にこだわったのかは、現在でもわからない。

ただ、焦って結果を急いでいたということと、
開腹手術というものをバカみたいに甘く考えていたのは確かだ。


このころ、治療と平行し、主治医の了解を得た上でセカンドオピニオンを受けていた。

ここでも「上腸間膜動脈症候群」という稀な病名が診断されるまで、
何度も「まさか…」と疑われ、その度に様々な検査を受けてきた。

改めて受けたCTで、放射線科のドクターも消化器内科のドクターも
上腸間膜動脈症候群であると診断し、

最終的には胃・食道外科というところで十二指腸造影をしてもらい、
やはりそうであろうという結論に達した。


私はここでも外科のドクターに懇願する。

「中心静脈栄養をせずに、いきなり手術をしてもらえないか」

1ヶ月の休業をなるべく合理的に使いたかったのだ。

当然、答えは「NO」だった。
丁寧に、そして明確に治療の選択肢とメリットデメリットを説明したうえで、
「お腹を切らずに済むのであれば、切らないほうが患者も医者もハッピーでしょ」
と、私をやさしく諭した。


これまで、誰もが一方的に中心静脈栄養療法を勧める中、
初めて手術についてきちんと説明を受けたことで、ようやく気持ちの整理がついた。

「まず、中心静脈栄養で体重を増やす治療をしてみよう」


ここまでの長い迷いは、

ドクターも私も、まさか入院するほどのことでもないだろうと考えていたこと、
対症療法をしているうちに、痛みはいつか無くなるのではないかと考えていたこと、

そして、尋常ではない食生活に痩せていく危機感を持ちながらも、
人生最大の体重にして内臓脂肪を付けるという「フォアグラ療法」が、
私の中の“狂った美意識”を納得させることが難しかったことが理由だ。

人前に出る仕事ゆえ
「太ることは悪いこと」という潜在的な価値観に支配され、
治療に踏み切ることができなかったのだと思う。


上腸間膜動脈症候群とはじめて診断されてから4ヶ月、
長い道のりを経て、ようやく治療のスタートラインに立った。


by mori-mado | 2011-08-31 14:21 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

闘病記③

3 転落のごとく


みぞおちの痛みは日常的に起こるようになっていた。
いつ痛みが起こるかはまったく予測がつかない。
食べる量、種類、時間に関係なく、まるでロシアンルーレット。

ついには水を飲んでも痛くなるという、わけのわからぬ状況になり、
今度は、絶食し栄養補給の点滴に通うよう告げられた。


絶食。文字通り、何も食べないこと。


胃に物を入れない限り痛くなることもなく、食べないほうが調子よい私は、
むしろホッとしていたのかもしれない。


一方で、栄養補給の点滴に通うことは、仕事の状況が許さなかった。
見かけの体調のよさで、自分自身をごまかしていた。


1
週間後、

身体はまったく動かなくなった。
ベッドから起き上がることができない。

みぞおちの痛み云々ではなく、
ガソリンが切れて動かなくなった車のようだった。


1
度目の入院。

「上腸間膜動脈症候群」という病名は、主治医以外の誰もが疑った。


別のドクターの勧めで、ガストログラフィンを飲み通過障害の検査をおこなう。

ここで「通過に問題なし」と診断されたことが、

ふり返れば、治療を迷走させる最初の原因となった気もする。


私自身、10日間の病院暮らしは何のための入院だったかよくわからず、
常食に戻ることもなく、ほとんど食べられないまま退院し、

翌日から仕事に戻った。


対症療法でやり過ごす日々。

それが根本的に何かの解決になるとはさすがに思っていなかったが、
私も主治医も、「いつか痛みが消えるのではないか」という淡い期待にすがるしか術がなかった。


同時に、痛みを抑えるために使用している薬の副作用で、自然な排便がなくなっていた。

そして、増える一方の内服薬。

不安は次から次へとふくらんで、限界に近づいていく。


「何を食べれば痛くならずに済むのだろう・・・」

食べては痛くなり、痛くなるから食べられない。

「ナニヲタベレバイタクナラズニスムノダロウ」


崩壊した食生活の中で、12ヶ月の経験から編み出した答えは、
「水分の少ないパサパサしたものを少量ずつ食べる」だった。

飲み物も飲まずにパンを1個食べる。
痛くない瞬間にクッキーやビスケットのようなものを1枚つまむ。

とにかく、パサパサ、ポソポソしたものであれば痛まないような気がする。
頼り無い経験値からの知恵だった。


私の食生活は見事に狂っていく。

「痛みから逃れたい」気持ちの一方で、
「カロリーを摂って内臓脂肪をつけなければ治らない」という強迫観念がつきまとい、
とにかくパンだけを食べた。
菓子パンや調理パンではない、生地だけのシンプルなパン。
パンさえ食べていれば衰弱して死ぬことにはならないだろうと本気で思い、
朝昼晩とパンを食べた。
痛さから逃れられる唯一の選択だった。


季節は、本格的な暑さが身体に堪える頃。
夏バテは思いのほか深刻で、徐々にパンすら受け付けなくなる。
点滴にも通えない現状に、とうとう体重は最低ラインを下回った。

「このままでは、図らずも本当に拒食症になってしまうのではないか」


パニックになりそうな頭で考えたのは、
手っ取り早くカロリー摂取が可能な、高カロリーのアイスクリームを口にすることだった。

一日の大半をみぞおちの痛みに苦しみながら、
今度は毎日毎日ハーゲンダッツのアイスクリームだけを食べ続けた。


「ふつうの食事をしたいのに、食べられない」という欲求不満と、気が狂うほどの痛みは、
身体だけでなく、精神をも蝕んでいく。


「もう死にたい。」


こんな異常な生活をしながら、
キャスターとして笑顔で仕事をし、同じ量の仕事をこなしていく

それはあまりにもつらい現実だった。


誰に話しても「拒食症ではないか」と言われ、 “外野”は皆、無責任に「食べろ、食べろ」と言う。

いつもと変わらない私を演じる自分と、悲鳴を上げている自分が混在し、
多重人格症のような気分になっていく。

毎日を、11日を確実に生きていく、ただそれだけのことが本当に並大抵のことではない。


情緒不安定、募るイライラ。自分のことながら自分で持て余す。

「私のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)って何だろう」
考え始めると、死んだほうがマシという結論にしかたどりつかない日々だった。

痛み止めに加え、栄養補給の点滴に頼らなければ真っ当な生活ができなくなっていた。


東京と福岡を行ったり来たりという出張が、痛み疲れの私に追い討ちをかける。
空港の鏡でみた自分の顔色の悪さにギョッとした。

食べては痛くなる、痛くなるから食べられない。その悪循環に疲れ果て、本当は何もする気が起きない。
そんな気持ちを奮い立たせて仕事に向かう。

夏はとうに真ん中を過ぎ、うだるような暑さだけがダラダラと続いていた。


「外来の点滴なんて気休めにしかならないよ…」

主治医が不在のある日、激しい痛みがなかなか治まらず、
普段よりずっと強い薬を点滴してくれたドクターの一言が胸に刺さる。

「外来の点滴なんてカロリーもたかが知れているし、

入院して高カロリーを入れないと治らないよ・・・」

高カロリー輸液を入れて体重を増やし、内臓脂肪を増やす

この「フォアグラ療法」しか、上腸間膜動脈症候群の治療はない。
脂肪のクッションをつければ、
十二指腸が血管に挟まれることも無くなり、通過障害も解消されるはずというのだ。


それは誰よりも私自身が何度も聞かされ、わかっているはずのことだった。


踏ん切りをつけなければ・・・


こんな生活をいつまでも続けているわけにはいかない。

「福岡の大きなイベント仕事が終わったら、入院治療をしよう」

病気ごっこはもう終わりだ。
なんとかして治療しなければ普通の生活に戻れなくなる。


33歳、ベンチャー企業の放送局で、

キャスターに加えて“事業統括部長”という不釣り合いな肩書きを背負い、

ただ走り続けることしかできなかった私が、
初めて仕事より自分を優先しようと思った瞬間だった。


by mori-mado | 2011-08-31 14:18 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

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