闘病記⑦
第7章 手術
10月12日。
その日2番目の手術である私は、朝からソワソワと自分の順番を待っていた。
まさに待つしかなく、何か別のことをしたり、母と会話をしたりという余裕はなかった。
いよいよ、そのときがきた。
手術室に向かうとき、映画やドラマのようにスローモーションで家族の顔を見、
握手をしてストレッチャーで運ばれる。なんていうのは、半分ホントで半分ウソだ。
私は、母と姉に見送られたが、まずストレッチャーに寝かされる前に、
病室のベッドで、鼻から胃へ太いチューブを入れられる、拷問のような儀式が待っていた。
研修1年目のやさしいドクターが、「ゴクン、ゴクンと飲み込みましょう。はい、ゴクン・・・」
と掛け声をかけてくれるが、そんな生易しいものではない。
まったく意に反してチューブは下に入っていかないのだ。
突然侵入してきた異物に身体全体が拒絶反応を起こしているようで、それはそれは苦しい。
「息苦しい…」ストレッチャーに寝かされた後も、
鼻からのどを通って胃に入れられているこのチューブが苦しくて、非常に不快。
いまこの瞬間のチューブの不快さが際立ち、
手術に向かう不安や、廊下に残される家族に思いを馳せるなどという余裕は、
正直まったく無かった。
「ああ、これから手術を受けるのだ・・・」
運ばれてきたストレッチャーから手術台に移されたとき、急に現実と直面した。
手術室には何人ものスタッフが居て、それぞれがそれぞれの動きをしている。
布一枚をかぶされただけの自分が、突如心細くなった。
麻酔がはじまった。
まだ意識は十分にある。医師たちの会話も聞こえてくる。
若手の麻酔科医が手首に注射針を入れようとして、なかなかうまく入らない。
「痛いっ!」
どこに刺されたのか不明だが、とにかく間違った場所に入れたらしい。
痛さのあまり右腕が上がった。
そのときに腕の筋を痛めて、そのあまりの痛さに手術直前であるという現実を忘れた。
指導医らしい麻酔科医が慌てて交代していたのがなんとも“実験台”っぽく、
ここは大学病院だったと再確認。
背中に入れる麻酔は、怖がる私の体のほうが反射してしまい、なかなか入っていかない。
手術前の悪戦苦闘をしているうちに、
気がついたら手術は終わっていた。
「時間通り。完璧だね。」主治医の明るい声が聞こえてきて、
自分の意識が戻ったことに気がつく。
麻酔のときにいためた筋は、まだ痛い。
そして、
次に気がついたときには、すでに回復室に移されたあとだった。
手術は予定通り3時間50分で終わった…らしい。(私にはわからない)
母と姉が「帰るね。がんばってね。」と言った言葉は耳の記憶に残っている。
ちゃんと目が覚めたのは、おそらくそれからまた数時間が経過した後、
なんとなく夜であるような気がした。
「寒い!寒い!!寒い!!!」
南極に放り出されたらこのくらい凍えるのではないかというくらい、とにかく身体の芯から寒い。
ガタガタ震えながら何度も何度も看護師さんに訴えた。
「電気毛布は最大にしてある」と言われても、一向に震えが止まらない。
体温計もあっという間に40度近くまで上がっていった。
それでも、
知らぬ間に眠ったらしい。
朝、回復室が明るくなって目が覚めた。
「いかがですか?」看護師さんの問いかけに、
今度は、痛くて苦しくて動けなくて、目が覚めたとたんに何重もの苦痛が襲ってきて
ロクに答えることもできなかった。
痛い。身体の全てが痛い。
お腹の傷は息をすることもできないくらい痛く、
麻酔のときに攣った右腕は相変わらず痛く、
全身筋肉痛もある。
そして何よりも頭がズキンズキンと痛む。
「もう動きたくない」と凹んだ瞬間に、「病室に戻りますよ」と言われた。
病室に戻るということは、移動することであり、身体を動かすことである。
「冗談じゃない」と思ったが、すでにストレッチャーが横付けされ、
お迎えの看護師さんも到着していた。
「無理。ゼッタイに無理。私は病人なんだから!」心の中で叫んでも、
泣いてわめいて通じる相手ではないことぐらいはわかっていた。
by mori-mado | 2011-08-31 14:30 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)