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闘病記③

3章 転落のごとく


みぞおちの痛みは日常的に起こるようになっていた。
いつ痛みが起こるかはまったく予測がつかない。
食べる量、種類、時間に関係なく、まるでロシアンルーレット。

ついには水を飲んでも痛くなるという、わけのわからぬ状況になり、
今度は、絶食し栄養補給の点滴に通うよう告げられた。


絶食。文字通り、何も食べないこと。


胃に物を入れない限り痛くなることもなく、食べないほうが調子よい私は、
むしろホッとしていたのかもしれない。


一方で、栄養補給の点滴に通うことは、仕事の状況が許さなかった。
見かけの体調のよさで、自分自身をごまかしていた。


1
週間後、

身体はまったく動かなくなった。
ベッドから起き上がることができない。

みぞおちの痛み云々ではなく、
ガソリンが切れて動かなくなった車のようだった。


1
度目の入院。

「上腸間膜動脈症候群」という病名は、主治医以外の誰もが疑った。


別のドクターの勧めで、ガストログラフィンを飲み通過障害の検査をおこなう。

ここで「通過に問題なし」と診断されたことが、

ふり返れば、治療を迷走させる最初の原因となった気もする。


私自身、10日間の病院暮らしは何のための入院だったかよくわからず、
常食に戻ることもなく、ほとんど食べられないまま退院し、

翌日から仕事に戻った。


対症療法でやり過ごす日々。

それが根本的に何かの解決になるとはさすがに思っていなかったが、
私も主治医も、「いつか痛みが消えるのではないか」という淡い期待にすがるしか術がなかった。


同時に、痛みを抑えるために使用している薬の副作用で、自然な排便がなくなっていた。

そして、増える一方の内服薬。

不安は次から次へとふくらんで、限界に近づいていく。


「何を食べれば痛くならずに済むのだろう・・・」

食べては痛くなり、痛くなるから食べられない。

「ナニヲタベレバイタクナラズニスムノダロウ」


崩壊した食生活の中で、12ヶ月の経験から編み出した答えは、
「水分の少ないパサパサしたものを少量ずつ食べる」だった。

飲み物も飲まずにパンを1個食べる。
痛くない瞬間にクッキーやビスケットのようなものを1枚つまむ。

とにかく、パサパサ、ポソポソしたものであれば痛まないような気がする。
頼り無い経験値からの知恵だった。


私の食生活は見事に狂っていく。

「痛みから逃れたい」気持ちの一方で、
「カロリーを摂って内臓脂肪をつけなければ治らない」という強迫観念がつきまとい、
とにかくパンだけを食べた。
菓子パンや調理パンではない、生地だけのシンプルなパン。
パンさえ食べていれば衰弱して死ぬことにはならないだろうと本気で思い、
朝昼晩とパンを食べた。
痛さから逃れられる唯一の選択だった。


季節は、本格的な暑さが身体に堪える頃。
夏バテは思いのほか深刻で、徐々にパンすら受け付けなくなる。
点滴にも通えない現状に、とうとう体重は最低ラインを下回った。

「このままでは、図らずも本当に拒食症になってしまうのではないか」


パニックになりそうな頭で考えたのは、
手っ取り早くカロリー摂取が可能な、高カロリーのアイスクリームを口にすることだった。

一日の大半をみぞおちの痛みに苦しみながら、
今度は毎日毎日ハーゲンダッツのアイスクリームだけを食べ続けた。


「ふつうの食事をしたいのに、食べられない」という欲求不満と、気が狂うほどの痛みは、
身体だけでなく、精神をも蝕んでいく。


「もう死にたい。」


こんな異常な生活をしながら、
キャスターとして笑顔で仕事をし、同じ量の仕事をこなしていく

それはあまりにもつらい現実だった。


誰に話しても「拒食症ではないか」と言われ、 “外野”は皆、無責任に「食べろ、食べろ」と言う。

いつもと変わらない私を演じる自分と、悲鳴を上げている自分が混在し、
多重人格症のような気分になっていく。

毎日を、11日を確実に生きていく、ただそれだけのことが本当に並大抵のことではない。


情緒不安定、募るイライラ。自分のことながら自分で持て余す。

「私のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)って何だろう」
考え始めると、死んだほうがマシという結論にしかたどりつかない日々だった。

痛み止めに加え、栄養補給の点滴に頼らなければ真っ当な生活ができなくなっていた。


東京と福岡を行ったり来たりという出張が、痛み疲れの私に追い討ちをかける。
空港の鏡でみた自分の顔色の悪さにギョッとした。

食べては痛くなる、痛くなるから食べられない。その悪循環に疲れ果て、本当は何もする気が起きない。
そんな気持ちを奮い立たせて仕事に向かう。

夏はとうに真ん中を過ぎ、うだるような暑さだけがダラダラと続いていた。


「外来の点滴なんて気休めにしかならないよ…」

主治医が不在のある日、激しい痛みがなかなか治まらず、
普段よりずっと強い薬を点滴してくれたドクターの一言が胸に刺さる。

「外来の点滴なんてカロリーもたかが知れているし、

入院して高カロリーを入れないと治らないよ・・・」

高カロリー輸液を入れて体重を増やし、内臓脂肪を増やす

この「フォアグラ療法」しか、上腸間膜動脈症候群の治療はない。
脂肪のクッションをつければ、
十二指腸が血管に挟まれることも無くなり、通過障害も解消されるはずというのだ。


それは誰よりも私自身が何度も聞かされ、わかっているはずのことだった。


踏ん切りをつけなければ・・・


こんな生活をいつまでも続けているわけにはいかない。

「福岡の大きなイベント仕事が終わったら、入院治療をしよう」

病気ごっこはもう終わりだ。
なんとかして治療しなければ普通の生活に戻れなくなる。


33歳、ベンチャー企業の放送局で、

キャスターに加えて“事業統括部長”という不釣り合いな肩書きを背負い、

ただ走り続けることしかできなかった私が、
初めて仕事より自分を優先しようと思った瞬間だった。


by mori-mado | 2011-08-31 14:18 | SMA症候群 闘病記 | Comments(0)

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