突然ですが。

しばらくぶりの更新となってしまいましたm(_ _)m

真夏の暑さが続いて夏本番の前にバテそうですが、関東の梅雨明けはまだなのかしらw?
私の部屋にはクーラーがありません(^_^;A
ビックリしますかしら?(笑)

実は隣の部屋では常にクーラーがつけてあるので、そちらから冷風を扇風機で送っています。そうでないとクーラー病になってしまうのです。毎年クーラーと外気温とのギャップでダウンしてしまうので、これがちょうどいい感じなのです♪

今日は私事なのですが、あまりに突然の出来事がありましたことをお伝えし、しばらくはブログ更新もあまり出来ないことをお伝えしようと思っています。

私は下の娘が生まれて少ししてから、ずっとシングルで二人の子を育ててきています。
娘が今高校3年なので、かれこれ15年以上は経ちましたかしらね。

その後、再婚願望や恋愛願望は私にはまったくなくて、ひたすら3人の生活を支えて働いてきました♪
これまで私の身体にガタが来た事は度々あれど、子ども達の性格や素行には問題もなく、心身の健康も何とか天に守られてきました。


ところが先月ここに来て、息子が突然嘔吐!
意識が朦朧となり救急搬送され「脳出血」で緊急入院してしまいました。

「まさか!!!」

と愕然としました。
脳卒中や脳出血というものは、高齢者がなるものだと思っていたのです。
息子はまだ20代になったばかりでこれから!という時。

CT画像やMRIの画像を見せられ、出血箇所の説明をうけても、正直ちゃんと聞いているのに理解しているのに意識がついていけてなかったですね。
自分でいて自分でない感覚でした。
点滴や心電図をつけて集中治療室で横になる息子を見て、泣くというより「唖然」という感じでした。

そして私の意識は、私の精神にコマンドを出しました。
「自分のミッションを遂行せよ。母として親として人間として!」

その後幸いに後遺症もなく1週間ほどで退院できたのですが、その1週間は今思えば生きた心地がしていませんでした(p_q、)

あまり詳しくは書けませんが、今回は手術をしたわけではないので、まだ脳内で出血した部位はそこに残ってあるわけですので、しばらくは経過観察が必要なのです。

そのことを通して、私はさらにたくさんの学びをしていかなくてはならなくなりました。

私はこういうお仕事をしていることもあり、自然治癒力推進派といいますか病気は医者が治すものではなく「本人」が病の根源と向き合って、寄り添い合って治癒力を信じて治していくもの、あるいは統合して一部として生きていくもの、あるいは死を迎えるもの、だと思っている人です。
これまで自分の病についてはそのように対処して、自然に治癒してきています。

が・・

息子の脳出血については、私がどう受け止め、また息子にはどう納得してもらえるかは未知領域の世界なのです。

当然のことですが、息子は私の言葉よりドクターの言葉を信じます。
ある意味当たり前ですよね。

でも私はドクターの言葉を聞いた上で、自然に治癒できる療法などを探るわけですが、それは脳内についてはかなり危険ですよね!何といっても私には専門的な知識がないわけですから。

(´・ω・`)=з

先週は私のミッションが第一段階を無事通過できたらしく、2日間ほど肉体が起き上がれなくなりました。
気を張ってきた疲れが出たのでしょうか。水も飲めず横になったまま眠り続けていました。

人間の精神とは弱いものですからね。私の場合、肉体が精神に追いつかずにダウンしちゃうのかもしれません(笑)

ということで、息子の状態が安定するまで私も今は肉体を離れるわけにはいきませんゆえ、しばらくブログも更新できないかもしれませんが、ご理解のほどよろしくお願い致します。


m(_ _)m


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みなさま、こんばんわ★

やっと・・・
やっと・・
7月になりました!(∩´∀`)∩

人生辛いことが続くと、時が長く感じます。
6月はたった30日でした。
されど30×24時間=720時間
長いですよねー
いや、ほんとに長かったです(;゚∀゚)

さて、今月はどんな月になるのでしょうか。。

でも悪い月ではないと思いますよ。マヤ的にみると!
なるようにしかならないことは、無理に何とかしようとするより、行きたくない方向であっても流れてみれば、結局自分の行きたい方向へちゃんとたどり着けるかもしれないのですから!
その勇気がないと、そうは思えないですね。
だから無理に方向チェンジするよりも、流れに身を任せてみる「勇気」と「自分」だけはしっかり縄で縛り付けておく。

そんなことを感じながら迎えた7月です♪


今日は、セクハラやじ問題の渦中の人となっている都議会議員「塩村あやか」さんについて、なぜ「今」なのか、なぜ「彼女」なのかについてマヤ的な視点からみてみようと思います。


塩村あやかさん 1978年7月6日生まれ

マヤ暦「コーン・1」です。


コーンといえば、教育的で親的な役割を果たし、共同体のリーダーとして世界を支えていくサインの代表ですね。

男性性には「シカ」をもち、強さと内なる力を秘めて社会に向かって個性を発揮していく使命があります。

女性性は「嵐」ですから、感情的には乱れやすく繊細で傷つきやすいのが特徴。

高い霊性をもちながらも性的カルマを抱えていたりすることもあり、現代社会のなかで「女」として生きるには、風当たりが強くて試練が多いこともありますね。


そんな彼女が「結婚」「妊娠」「出産」などを背景に未来社会を理想に近づけようと発言していくことは、マヤのナーカルからみれば理にかなったことをしているわけです。


今回のやじのターゲットになってしまったことで、彼女の女性性「嵐」は繊細で傷ついてしまったとは言えますが、私からみると彼女にとっては、正々堂々と持論を述べるいいチャンスだったのでは?と思うのですね。


言われたことに対して弱い立場に立って見せるより、そんなことに屈せず逆境をチャンスにかえて、メディアを多いに利用し、自分が正しいと思う教育論や少子化社会に対する対応問題について意見を述べたほうが良かったんじゃないかしら?と。


でもそれが「出来ない理由」がマヤ的にはあったわけです。

それが6月「シカ」に与えられていた「逆境に戦うかのみ込まれるかの試練」です。

「シカ」を彼女は社会性にもっていたのですからね。

でも7月ここで挽回できるチャンスです。


何も恐れることはありません!

チャンスに変えるチャンスですよ、塩村さん!

セクハラやじを相手にしている場合じゃあありませんo(・д´・。)○オ━━ッ!!



マヤ占い 7月の運勢日経ウーマンオンライン本日掲載されました(^_^)☆

チェックしてみてくださいませね〜♪



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精神と病って?

皆さまこんにちわ☆

今日29日「ワシ・13」でマヤ暦「夜」トレセーナも終わります。
6月もあと2日で終わりですねε-(´▽`) ホッ

昨日書きましたような今月のかなり厳しい世相的状況は、その原因が「夜」というサインにあるわけでは決してございません。
「夜」はハートチャクラに住まう「神殿」「山の心臓」といわれるナーカルです。
昨年の秋には伊勢神宮の式年遷宮や秋分のククルカン降臨など神事にも関与して働きを見せてくれた大切なサインです。
象徴的に解釈するならば、昨年の秋から始まって、心の中でごた混ぜとなっていた大切なものと不要なものが整頓される期間が終わり、ようやく自分にとって必要となるものだけが残ることを知らせてくれたのが、今回の夜のトレセーナではなかったかと思います。


「ワシ」はマヤ語でTz’ikinと呼ばれ、太陽のように純粋なスピリットを象徴しています。また元素の力を復活させ光をとりこむシャーマンの鳥とも呼ばれる霊的なサインですね。

ジャガーの智恵を著されたケネス・ジョンソンさんは、自身のFaceBookで13 Tz’ikinに行われるマヤの伝統的セレモニーについて書いていらっしゃいます。

さて、今日はそのように純粋なスピリットが天に届く「夜」のトレセーナ最後となる「ワシ・13」の日ですので、「精神」とその「病」について少し私の考えを書いてみようと思います。


以前書いていたブログにも関連した記事を書いた事があります。
参考記事:
・魂が体に戻れなくなると・・・
・神経のハイジャック!
・もう一人の自分
・アセンションとスピリチュアルな光の子どもたち

ところで皆さんは「精神」てどこにあると思いますか?

頭で思考する脳のなかですか?それとも心のある心臓ですか?
肉体全体ですか? それとも神経系統ですか? 血でしょうか・・?

違いますよね、不思議ですね。
精神は場所が特定できない。
でも人は皆「精神」をもっている。
霊魂や非科学的なことは信じない人も皆「精神」をもっていて、それを科学的に場所を特定できないし、ちゃんと説明もできない。

私は「精神」は人間の中にあるものではない、と思うのですよ。
「人間の肉体に宿る精なる神」のことを「精神」と呼ぶのではないかと。

キリスト教会では聖霊を「ホーリー・スピリット」と呼びますね。
聖なるものとそうでないものもあります。

精神が病となるのではなく、肉体の各部位が悲鳴をあげるほどその人が自分にストレスを加えてしまうと、肉体に宿る神が「ダメだよ、これ以上無理をすると死んでしまうよ!」とイエローカードを出してサインを送るのではないかと思います。
そうすると不思議な熱がでたり、病気でないのにあちこちの臓や器官が暴走してしまったり、気が抜けた状態になって力が入らなくなってしまったりしてしまうのではないでしょうか。

それを人は鬱病や○○症候群や精神の病などと名付けているのだと思います。


人間社会に生きる。ということは、現代社会においては「精なる神」が肉体に宿り、その人と共存しながら社会という規制に準じていくことは大変なことだと思います。

古代はまだ神と人間は自然のなかで共存して生きていた時代ですね。
経済の発達も高度な文明の恩恵もありませんでしたが、自然の恵みをいただき、神々とともに生かされて人間は暮らしを全うしていたはずです。

しかし現代にそのような暮らしをするのは、特に大都会においては困難なこと。
仕事をしないと生活もできませんし、家族に甘えてばかりいられないと自立していく若者は、生活に追われるようになり本来の学びから離れていかざるを得ないこともしばしばですね。

肉体と精神のバランスがとれている人は心身ともに健康的です。
それは肉体の主である自分という意識と、その肉体に宿っている精なる神とが上手にコミュニケーションがとれているからです。共存し助け合いながらこの世界で自己実現を目指している時、人は精神のことをあまり考えなくなります。なぜなら一体になっているからです。認識しないということは一体化されているということでしょう。
心から喜び、心から感動したりできますし、泣いたり人を思いやって愛を注ぐことも無意識にできます。
それは精神が肉体の特定な場所に姿をみせるのではなく、その人全体の中に宿って働きをするからなのだと思います。


肉体的な病と精神的な病とは、全く異なるものでしょうか?

私は大きな差異はないと考えています。

人は皆「死」においては平等ですね。
どのように死ぬかは自殺以外は選ぶことはできませんね。
精神がさきに死んでしまうか、肉体が弱りさきに死んでしまうかさえ、私たちは選択できません。
でもそれが「自然」の秩序と理に準じているのであれば、それが運命というものだろうと思います。


精神や肉体の「障害」という言葉で表現することについてですが、これもまた不思議なことですね。
障害ではなくて「人とは異なる特性・個性・違い」という定義に変えてみたらいかがかしら。

人間の性格が一人一人違うように、精なる神だって異なる特性や使命、役割をもってその人の肉体に宿っています。
障害や病気って、他の人とは異なる個性や特性をその人自身が認めないことによって、精なる神が人と違う使命を当の本人と協力できなくなり、ちぐはぐなことになってしまうために生じてしまう現象のことを言うのではないかしら。


遠回りしたっていい。
悪戦苦闘してみてもいい。
負けてへこたれてしまってもいい。

それでも精神はあなたから離れません。
いつも一緒にそばに、いや肉体の中に宿り、あなた自身の肉体意識が精神と協力して自分の運命を受容しながら、実現していくことを支え続ける。

それが精神のミッションなのだと思うのですね。



みなさん、「ワシ・13」の日。純粋なスピリットを胸に迎え入れ、精神なる守護神を大切にしましょうね♪








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