クリスマスだね!!
ハッピーホリデー!!!
早くも今年あと一週間ほど・・・。
呑みすぎ注意>みの吉
***********************
1984年8月下旬
ホテルのレストラン、朝食を兼ねてラウドネスメンバーとアメリカ側、日本側のマネージャーとマックスノーマンがテーブルを囲んだ。
メガネの中の目が冷徹な光を放ち、見るからに神経質そうな男がマックスノーマンだった。
挨拶の時も、あまり親近感と言うものを感じられないのが第一印象だった。
(お前たち、プロの仕事をするんだぞ!)
彼は多くを語らないけれど、言葉の端々に厳しさを思わせるものがあった。
「これから君達は世界に出すアルバムを作るんだ、これがどう言う意味か分かるか?」
メンバーは何を言えば良いのか分からないまま固まった。
別に何も始まっていないのに、どう言う訳かすでに怒られているような緊張感が半端じゃない(笑)
どちらがボスか?
バンドとプロデューサー、力関係をはっきりさせるのは大事だろう。
もっと穿った言い方をすれば、(俺を舐めるなよ)と言うマックスのハッタリもあったかもしれない。
だとすれば効果は十分あったと思う。
少なくとも僕はビビった・・・・。
と同時に、我々が日本人だからなのか?
馬鹿にされているような・・・そんな気分がした。
兎に角、友好的な雰囲気は皆無であった。
次の日はリハーサルスタジオのような所で簡単なプリプロをやった。
マックスを囲み新曲を披露するのだ。
マックスは1曲、1曲聴きながら指示を出す。
カセットレコーダーにすべての曲を録音しながら、仮のタイトルを作りメモをとっていた。
「曲はもっとシンプルにした方がいい!」
「ドラムは無駄なフィルを入れないように!」
ひぐっつあんはひたすらリズムキープに専念した。
「ギターのリフはもっとシンプルに!」
タッカンはなるべくシンプルなリフへとギターリフを作り変えた。
時折タッカンが「こんな単純にするんか?俺のイメージと違うなぁ!」と食い下がることもあったけれど、無駄骨だった。
僕は歌詞も出来ていないので何も歌うことが出来ず、そばで見ているしかなかった。「ここの箇所は無駄だ!」と言いバッサバッサ曲をぶった切った。
バンドはまさに言われるままだった。
当時のロック状況は、後に世界中を席捲するLAメタルが沸々と沸騰点に近くなりつつあった。
AC/DCを頂点とするような、シンプルで大きなサビをみんなで大合唱出来るような楽曲が猛威を振るおうとしていた。
革命的アメリカンロックバンドのヴァンへーレンは既にスーパーロックバンドに君臨し、クワイエットライオットそしてモトリークルーがLAを中心に新たなムーブメントとして台風の目になりつつあった。
イギリス発祥のNWBHMがヨーロッパで大噴火し、ヘビーメタルはついにアメリカを襲撃、世界中のバンドやロックファンが怪物アメリカに目を向け始めた。
当然、マックスはそんな世界のロックの流れを見極め、ラウドネスをアメリカマーケットに放り込む為に最高の音、曲を目指していたのは明白だ。
バンドがやりたいこと、マックスがやりたいことは2の次であったのかもしれない。
アメリカで結果を残すことが、マックスにとってもラウドネスにとっても重要な課題であったのかもしれない。
ラウドネスをシンプルにする、プロデューサーマックスノーマンとしては間違った選択では無かったであろうし、完璧な仕事をしたと思う。
噂には聞いていた。
プロデューサーには二通りいて、何もかも意のままにコントロールするタイプと、バンドの一員となるタイプと。
マックスはまさに前者であった。
バンドはこの初めての状況に戸惑った。
率直に言うと、僕は窮屈だった。
まだレコーディング前だったけれど、困難なレコーディングになるのは火を見るより明らかだった。
通訳で来ていたジョージ吾妻さんは、マックスの吐き出す言葉をダイレクトに浴びていたのだが、後日僕に漏らした。
「お前、マックスの言うことをそのまま直訳してたら、お前らとマックスは大喧嘩になってだろうな・・・とてもじゃないけれど直訳なんか出来ないよ・・・。」
英語が理解できなかったラウドネスには都合が良かったかもしれない。
逆に、マックスもストレス無く好き勝手言ってたのかもしれない。
しかし今から思うと、バンドとプロデューサーとは本来こんな関係なのかもしれない。
時に真っ向から対立し、時にプロデューサーと共に奇跡を起こす。
バンドだけでは見えない気が付かない欠点が、第三者であるプロデューサーにははっきりとジャッジ出来る。
バンドだけでやると、自分達がやり易い方向へ向かう傾向があるけれど、プロデューサーはマンネリ化を見極め、客観的に軌道修正してくれる。
バンドにとって「変化する」と言う勇気の要る行為も、プロデューサーが背中を押してくれる。
その結果が吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知ることだが。
レコード会社もマネージメントもプロデューサーを必要とするのは、自分たちでは管理不可能なアーティストの我侭や自己満足な世界を牽制できるからであろう。
そして、その裏には「市場」と言う大人の事情があるからだ。
命がけの真剣勝負とはこんな世界のことを言うのか?
世界中のロックバンドはみんなこんなピリピリした状況でレコーディングしてるのか?
僕たちはしばらく混乱した。
ハッピーホリデー!!!
早くも今年あと一週間ほど・・・。
呑みすぎ注意>みの吉
***********************
1984年8月下旬
ホテルのレストラン、朝食を兼ねてラウドネスメンバーとアメリカ側、日本側のマネージャーとマックスノーマンがテーブルを囲んだ。
メガネの中の目が冷徹な光を放ち、見るからに神経質そうな男がマックスノーマンだった。
挨拶の時も、あまり親近感と言うものを感じられないのが第一印象だった。
(お前たち、プロの仕事をするんだぞ!)
彼は多くを語らないけれど、言葉の端々に厳しさを思わせるものがあった。
「これから君達は世界に出すアルバムを作るんだ、これがどう言う意味か分かるか?」
メンバーは何を言えば良いのか分からないまま固まった。
別に何も始まっていないのに、どう言う訳かすでに怒られているような緊張感が半端じゃない(笑)
どちらがボスか?
バンドとプロデューサー、力関係をはっきりさせるのは大事だろう。
もっと穿った言い方をすれば、(俺を舐めるなよ)と言うマックスのハッタリもあったかもしれない。
だとすれば効果は十分あったと思う。
少なくとも僕はビビった・・・・。
と同時に、我々が日本人だからなのか?
馬鹿にされているような・・・そんな気分がした。
兎に角、友好的な雰囲気は皆無であった。
次の日はリハーサルスタジオのような所で簡単なプリプロをやった。
マックスを囲み新曲を披露するのだ。
マックスは1曲、1曲聴きながら指示を出す。
カセットレコーダーにすべての曲を録音しながら、仮のタイトルを作りメモをとっていた。
「曲はもっとシンプルにした方がいい!」
「ドラムは無駄なフィルを入れないように!」
ひぐっつあんはひたすらリズムキープに専念した。
「ギターのリフはもっとシンプルに!」
タッカンはなるべくシンプルなリフへとギターリフを作り変えた。
時折タッカンが「こんな単純にするんか?俺のイメージと違うなぁ!」と食い下がることもあったけれど、無駄骨だった。
僕は歌詞も出来ていないので何も歌うことが出来ず、そばで見ているしかなかった。「ここの箇所は無駄だ!」と言いバッサバッサ曲をぶった切った。
バンドはまさに言われるままだった。
当時のロック状況は、後に世界中を席捲するLAメタルが沸々と沸騰点に近くなりつつあった。
AC/DCを頂点とするような、シンプルで大きなサビをみんなで大合唱出来るような楽曲が猛威を振るおうとしていた。
革命的アメリカンロックバンドのヴァンへーレンは既にスーパーロックバンドに君臨し、クワイエットライオットそしてモトリークルーがLAを中心に新たなムーブメントとして台風の目になりつつあった。
イギリス発祥のNWBHMがヨーロッパで大噴火し、ヘビーメタルはついにアメリカを襲撃、世界中のバンドやロックファンが怪物アメリカに目を向け始めた。
当然、マックスはそんな世界のロックの流れを見極め、ラウドネスをアメリカマーケットに放り込む為に最高の音、曲を目指していたのは明白だ。
バンドがやりたいこと、マックスがやりたいことは2の次であったのかもしれない。
アメリカで結果を残すことが、マックスにとってもラウドネスにとっても重要な課題であったのかもしれない。
ラウドネスをシンプルにする、プロデューサーマックスノーマンとしては間違った選択では無かったであろうし、完璧な仕事をしたと思う。
噂には聞いていた。
プロデューサーには二通りいて、何もかも意のままにコントロールするタイプと、バンドの一員となるタイプと。
マックスはまさに前者であった。
バンドはこの初めての状況に戸惑った。
率直に言うと、僕は窮屈だった。
まだレコーディング前だったけれど、困難なレコーディングになるのは火を見るより明らかだった。
通訳で来ていたジョージ吾妻さんは、マックスの吐き出す言葉をダイレクトに浴びていたのだが、後日僕に漏らした。
「お前、マックスの言うことをそのまま直訳してたら、お前らとマックスは大喧嘩になってだろうな・・・とてもじゃないけれど直訳なんか出来ないよ・・・。」
英語が理解できなかったラウドネスには都合が良かったかもしれない。
逆に、マックスもストレス無く好き勝手言ってたのかもしれない。
しかし今から思うと、バンドとプロデューサーとは本来こんな関係なのかもしれない。
時に真っ向から対立し、時にプロデューサーと共に奇跡を起こす。
バンドだけでは見えない気が付かない欠点が、第三者であるプロデューサーにははっきりとジャッジ出来る。
バンドだけでやると、自分達がやり易い方向へ向かう傾向があるけれど、プロデューサーはマンネリ化を見極め、客観的に軌道修正してくれる。
バンドにとって「変化する」と言う勇気の要る行為も、プロデューサーが背中を押してくれる。
その結果が吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知ることだが。
レコード会社もマネージメントもプロデューサーを必要とするのは、自分たちでは管理不可能なアーティストの我侭や自己満足な世界を牽制できるからであろう。
そして、その裏には「市場」と言う大人の事情があるからだ。
命がけの真剣勝負とはこんな世界のことを言うのか?
世界中のロックバンドはみんなこんなピリピリした状況でレコーディングしてるのか?
僕たちはしばらく混乱した。
昨日、タッカン一人で曲のアイデアを作っているスタジオへ行ってきた~♪
↓いつものギターも勢揃い

↓順調です~右に電子ドラムセット

↓白いヘッドは始めて見る

↓エフェクターがゴロゴロと

↓相変わらず素晴らしい音だす・・・

↓すでにデモ2曲をアンパンが札幌で叩いていたけれど、他のデモはタッカンがドラム叩いてた

すでに13曲ほどベーシックなアイデアが出来上がっておりました!
凄い早いペース・・・。
良いアルバムが出来そうです!
スタジオ隣にある中華料理屋でプチ忘年会やった!
食い過ぎたぁ・・・
↓いつものギターも勢揃い

↓順調です~右に電子ドラムセット

↓白いヘッドは始めて見る

↓エフェクターがゴロゴロと

↓相変わらず素晴らしい音だす・・・

↓すでにデモ2曲をアンパンが札幌で叩いていたけれど、他のデモはタッカンがドラム叩いてた

すでに13曲ほどベーシックなアイデアが出来上がっておりました!
凄い早いペース・・・。
良いアルバムが出来そうです!
スタジオ隣にある中華料理屋でプチ忘年会やった!
食い過ぎたぁ・・・
12月になって早半分過ぎた・・・。
結局、ラウドネスとしてはピースフェスが最後のライブになったようだね。
実は、某バンドの大阪、東京でのオープニングアクトの話があったけれど、何の音沙汰も無いまま気が付いたら他のバンドに決まったみたい。
そんなわけで、あっけなく今年のライブは終了!
タッカンはピースフェス翌日、アンパンと共に札幌へ飛んで、早速ラウドネス新作のプリプロを始めた。
ちなみに、アンパンの家にはプロツールスが装備された本格的プロが使用出来るスタジオがあるのよ。
実は、昔アンパンはスタジオ経営をやっていて、その時の機材だそうです。
今朝、札幌から2曲データが届いた。
ひゃ~~(汗
ライブ仕事は終わったけれど、制作活動は続くのよ!
まだ、そのデータは聴いていないけれど、楽しみ。
どんな歌にするか・・・・
今日から、しばらく本やら映画やらDVDやら観たり聴いたり読んだりして、アイデアを練る。
良い歌作るために頑張ります!
あっ!そう言えば、来年EVERLASTINGのツアーの話出てますよ!
詳しくは、オフィシャルのニュース発表を待っててね~~♪
『歴史もの』もいよいよ海外での活動の話が本格的に突入!
こっちも近いうちに投稿するでよ!
諸々、お楽しみに!!
結局、ラウドネスとしてはピースフェスが最後のライブになったようだね。
実は、某バンドの大阪、東京でのオープニングアクトの話があったけれど、何の音沙汰も無いまま気が付いたら他のバンドに決まったみたい。
そんなわけで、あっけなく今年のライブは終了!
タッカンはピースフェス翌日、アンパンと共に札幌へ飛んで、早速ラウドネス新作のプリプロを始めた。
ちなみに、アンパンの家にはプロツールスが装備された本格的プロが使用出来るスタジオがあるのよ。
実は、昔アンパンはスタジオ経営をやっていて、その時の機材だそうです。
今朝、札幌から2曲データが届いた。
ひゃ~~(汗
ライブ仕事は終わったけれど、制作活動は続くのよ!
まだ、そのデータは聴いていないけれど、楽しみ。
どんな歌にするか・・・・
今日から、しばらく本やら映画やらDVDやら観たり聴いたり読んだりして、アイデアを練る。
良い歌作るために頑張ります!
あっ!そう言えば、来年EVERLASTINGのツアーの話出てますよ!
詳しくは、オフィシャルのニュース発表を待っててね~~♪
『歴史もの』もいよいよ海外での活動の話が本格的に突入!
こっちも近いうちに投稿するでよ!
諸々、お楽しみに!!
ピースメイカーイヴェント・・・
時間が押して、ラウドネス観れなかった、或は、途中退場だった皆さん、本当にごめんなさい。
あんな時間にスタートするとは、流石に驚きました。。。。
ラウドネスはゲストで呼ばれていただけなので、どうすることもできませんでした。
ほんま、ライブ終わった時点で日付が変わってた(疲)
こんなライブは80年代にやったニューヨークのラモア以来です・・・。
最後まで観てくれた方々・・・本当に感謝です!!
終わってすぐ帰宅したけど、2時まわってました!
ほんまゴメンです。
ドップリきました。。。
もう・・・寝ます・・・
時間が押して、ラウドネス観れなかった、或は、途中退場だった皆さん、本当にごめんなさい。
あんな時間にスタートするとは、流石に驚きました。。。。
ラウドネスはゲストで呼ばれていただけなので、どうすることもできませんでした。
ほんま、ライブ終わった時点で日付が変わってた(疲)
こんなライブは80年代にやったニューヨークのラモア以来です・・・。
最後まで観てくれた方々・・・本当に感謝です!!
終わってすぐ帰宅したけど、2時まわってました!
ほんまゴメンです。
ドップリきました。。。
もう・・・寝ます・・・
明後日のピースメイカーイヴェントのLOUDNESSの出番は遅いです。
出番が最後なので、多分9時半過ぎ頃かと思います。
よろしく。
**************
エリックとの特訓は劇的に僕の英語を進歩させた。
発音が出来ないものは聞き取れないと言うけれど、まさにその通りで、ヒヤリング力も格段に向上した。
最終的には5週間ほどの特訓になったけれど、英語の発音に関しては脳内に革命を起こしたようだ。
それまで、テレビやラジオで全く聞き取れなかった話(音)が、かなりクリアにはっきりと聞き取れるようになった。
単語は面白いように聞き取れるのだが、残念ながら単語の意味が分からないので、結局は何を言っているのか分からなかったのだが・・・(悔)
特訓は辛い、退屈な時間だったけれど、英語が聞き取れるのが嬉しかった。
言葉が分からない、聞き取れないことが、精神的に物凄いストレスを与えるのだ。
少なくとも、僕には相当なプレッシャーとストレスだった。
急に自由な気分が襲って来た~~!!

一人でアメリカにいて、それまで感じていた酷い閉塞感から解き放たれた!
アメリカ人が急に身近に感じられるようになった!
潜在的に感じていた、アメリカに対する恐怖感、コンプレックスが洗い流されるような気がした。
一人でどこへでも行ける自信が出てきた。
人に接する億劫な気持ちも無くなった。
どこか、ハリウッドの知らないライブハウスへ行って、ビールでも呑みたい気分になった。
それまでの悲壮感から、自然に笑顔が戻った・・・。
それにしても、あの時に、もっと本気で語彙力や、或いはもっと突っ込んで、文法をまじめに取り組んでいればと後悔している。
まぁ~今からでも遅くは無いのだけれど。
勉強嫌いだから仕方無いな・・・。
本当に必要に迫られないと、勉強はしないね(笑)
とりあえず、単語を1個づつならかなり発音できるようにはなったけれど、二つ以上単語が続くと上手く出来なかった。
と言うのも、例えば、単語が二つ以上繋がっている場合、ある単語の語尾と次の単語の頭がくっついたり、三人称の“S“の音が濁ったり濁らなかったり、省略したりしなかったり・・・・etc…etc…するからだ。
そして、リズムもとても大事だったりする。
発音では、何より「発声」が大事だ。
日本語と英語では明らかに「発声」が違うことを痛感した。
日本語の喉で英語を発音すると、発音がうまくできない(成立しない)場合があるのだ。
僕はヴォーカリストなので、その喉や発声の違いをはっきり実感できた。
具体的に言えば、日本語は口の中で音を作ることが多いのに対して、英語はもっと喉を開き、喉の奥や胸声を響かせるようだ。
これは最早ヴォーカルの歌う時の発声に近い。
ヴォーカルのテクニック的に言えば、チェストヴォイスが多用されているし、ミドルヴォイスも良く駆使している。
日常会話していて、冗談を言い合って興奮してくると、彼等の多くが見事なミドルやヘッドヴォイスを出して、倍音出まくりのシャウトなのだ!
だからと言って、歌が巧いわけでは無いみたい・・・・(笑
ヴォーカリストにおいて、日本人とアメリカ人の声のパワー感の違いを指摘する人がいるけれど、元来、日常会話の発声からしてアメリカ人は歌っている時と変わらない発声をしているのだ。
小さな頃から、そう言う訓練を学校でしてきている。
パワー感が違って当然なのだ。
で、何故、僕は日本人なのにあんなシャウトが身に付いたのか?
僕は剣道だと思う。
小学校2年(変声期前)から中学校3年(変声期後)まで剣道をやっていた。
剣道の気合を入れる声「うりゃ~~!!」「おりゃ~~~!!」や、「め~~ん!」「こて~~」「どう~~~!」の叫び声はミックスやヘッドヴォイスである。
要するに、シャウト声なのだ!
僕はそれを、8年以上真剣にやってきたからだね。
剣道経験者は、意外とロック声出るかもよ!
上手く歌えるかどうかは別問題だけど。。。
さて、発音の話に戻るけれど、とにかく、日本人が苦手とした音はとりあえず、それなりに英語っぽく出来るようにはなったけれど、これはあくまで、ゆっくりと、会話する程度のスピードと発声での話し。
だから、(お!これはレコーディングも案外上手く行けるかも!)と楽観したのも束の間、レコーディングでは恐ろしい地獄を見ることになるのだが・・・・。
そこそこ上手に出来ていた発音も、ロックを歌った途端・・・すべて崩壊したのだ・・・(号泣)
このくだりは後に譲る・・・。
1984年8月21日
メンバーとスタッフが来た・・・。
久しぶりのメンバーと再会だった。
「おぉ!お疲れさん、ニーちゃん。どないやった?一人で?」
ひぐっつあんがねぎらってくれた。
早速始まるレコーディングにローディーの人がギターのメンテナンスに余念が無い。
タッカンもマー君もひぐっつあんも、これから始まるレコーディングに物凄い気合が入った表情だった。
悲壮感すら漂っている感じだった。
「マックスノーマンってどんな奴や?」
誰かが言った。
「プロデューサーは厳しいらしいな・・・」
誰かが忠告してくれたこの言葉が重くのしかかる。
社長「明日朝、マックスとミーティングやるから」
いよいよ、マックスとの戦いが始まる。
LOUDNESSの新たなステージへの幕が開いた・・・。
出番が最後なので、多分9時半過ぎ頃かと思います。
よろしく。
**************
エリックとの特訓は劇的に僕の英語を進歩させた。
発音が出来ないものは聞き取れないと言うけれど、まさにその通りで、ヒヤリング力も格段に向上した。
最終的には5週間ほどの特訓になったけれど、英語の発音に関しては脳内に革命を起こしたようだ。
それまで、テレビやラジオで全く聞き取れなかった話(音)が、かなりクリアにはっきりと聞き取れるようになった。
単語は面白いように聞き取れるのだが、残念ながら単語の意味が分からないので、結局は何を言っているのか分からなかったのだが・・・(悔)
特訓は辛い、退屈な時間だったけれど、英語が聞き取れるのが嬉しかった。
言葉が分からない、聞き取れないことが、精神的に物凄いストレスを与えるのだ。
少なくとも、僕には相当なプレッシャーとストレスだった。
急に自由な気分が襲って来た~~!!

一人でアメリカにいて、それまで感じていた酷い閉塞感から解き放たれた!
アメリカ人が急に身近に感じられるようになった!
潜在的に感じていた、アメリカに対する恐怖感、コンプレックスが洗い流されるような気がした。
一人でどこへでも行ける自信が出てきた。
人に接する億劫な気持ちも無くなった。
どこか、ハリウッドの知らないライブハウスへ行って、ビールでも呑みたい気分になった。
それまでの悲壮感から、自然に笑顔が戻った・・・。
それにしても、あの時に、もっと本気で語彙力や、或いはもっと突っ込んで、文法をまじめに取り組んでいればと後悔している。
まぁ~今からでも遅くは無いのだけれど。
勉強嫌いだから仕方無いな・・・。
本当に必要に迫られないと、勉強はしないね(笑)
とりあえず、単語を1個づつならかなり発音できるようにはなったけれど、二つ以上単語が続くと上手く出来なかった。
と言うのも、例えば、単語が二つ以上繋がっている場合、ある単語の語尾と次の単語の頭がくっついたり、三人称の“S“の音が濁ったり濁らなかったり、省略したりしなかったり・・・・etc…etc…するからだ。
そして、リズムもとても大事だったりする。
発音では、何より「発声」が大事だ。
日本語と英語では明らかに「発声」が違うことを痛感した。
日本語の喉で英語を発音すると、発音がうまくできない(成立しない)場合があるのだ。
僕はヴォーカリストなので、その喉や発声の違いをはっきり実感できた。
具体的に言えば、日本語は口の中で音を作ることが多いのに対して、英語はもっと喉を開き、喉の奥や胸声を響かせるようだ。
これは最早ヴォーカルの歌う時の発声に近い。
ヴォーカルのテクニック的に言えば、チェストヴォイスが多用されているし、ミドルヴォイスも良く駆使している。
日常会話していて、冗談を言い合って興奮してくると、彼等の多くが見事なミドルやヘッドヴォイスを出して、倍音出まくりのシャウトなのだ!
だからと言って、歌が巧いわけでは無いみたい・・・・(笑
ヴォーカリストにおいて、日本人とアメリカ人の声のパワー感の違いを指摘する人がいるけれど、元来、日常会話の発声からしてアメリカ人は歌っている時と変わらない発声をしているのだ。
小さな頃から、そう言う訓練を学校でしてきている。
パワー感が違って当然なのだ。
で、何故、僕は日本人なのにあんなシャウトが身に付いたのか?
僕は剣道だと思う。
小学校2年(変声期前)から中学校3年(変声期後)まで剣道をやっていた。
剣道の気合を入れる声「うりゃ~~!!」「おりゃ~~~!!」や、「め~~ん!」「こて~~」「どう~~~!」の叫び声はミックスやヘッドヴォイスである。
要するに、シャウト声なのだ!
僕はそれを、8年以上真剣にやってきたからだね。
剣道経験者は、意外とロック声出るかもよ!
上手く歌えるかどうかは別問題だけど。。。
さて、発音の話に戻るけれど、とにかく、日本人が苦手とした音はとりあえず、それなりに英語っぽく出来るようにはなったけれど、これはあくまで、ゆっくりと、会話する程度のスピードと発声での話し。
だから、(お!これはレコーディングも案外上手く行けるかも!)と楽観したのも束の間、レコーディングでは恐ろしい地獄を見ることになるのだが・・・・。
そこそこ上手に出来ていた発音も、ロックを歌った途端・・・すべて崩壊したのだ・・・(号泣)
このくだりは後に譲る・・・。
1984年8月21日
メンバーとスタッフが来た・・・。
久しぶりのメンバーと再会だった。
「おぉ!お疲れさん、ニーちゃん。どないやった?一人で?」
ひぐっつあんがねぎらってくれた。
早速始まるレコーディングにローディーの人がギターのメンテナンスに余念が無い。
タッカンもマー君もひぐっつあんも、これから始まるレコーディングに物凄い気合が入った表情だった。
悲壮感すら漂っている感じだった。
「マックスノーマンってどんな奴や?」
誰かが言った。
「プロデューサーは厳しいらしいな・・・」
誰かが忠告してくれたこの言葉が重くのしかかる。
社長「明日朝、マックスとミーティングやるから」
いよいよ、マックスとの戦いが始まる。
LOUDNESSの新たなステージへの幕が開いた・・・。
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