なるべく更新を頻繁に出来るように、少し字数を減らしました。
これで多少は更新しやすくなるか?
ほな、よろしく!
*************************
LOUDNESSのアトランティックとの契約オファーはそれまであまり関心を示さなかった一般メディアにも大きなインパクトを与えたようだった。
今まではLOUDNESSには見向きもしなかった一般メディアからの取材も増え始めた。
でも、それはまだまだLOUDNESS狂騒曲の序章にしかすぎなかった。
「二井原、英語何とかしろよ、分かったな」
当時の事務所社長のNさんが電話口で僕に言ったあの言葉が忘れられない。
(えっ、そんなん・・何とかしろよって・・・)
どうすれば良いのか分からず途方に暮れた。
英語と言う課題は大き過ぎた、実際自分がやっていけるのかどうか分からなかった。
ミッシェルとの文通ぐらいしか英語に接することも無く、気持ちは焦るばかりだった。
そんな不安な気持ちを感じながらも、ヨーロッパから帰国して数日、1983年9月24日から全国ツアーが始まった。
全国ツアーはモヤモヤとした不安な気持ちを忘れさせてくれた。
熱狂的なファンの歓声が僕に勇気と力を与えてくれた。
改めて、ファンの人達の存在の有難さを身に染みた。
「LOUDNESSが遠くへ行ってしまうのが寂しいです」
「日本を捨てないでください」
「手の届かない存在になってしまうのが怖いです」
切実な気持ちを綴るファンレターが多くなった。
ファンの人がとても愛おしく感じた。
『僕達は君達から離れることは無い。
僕達はずっと君達と一緒だ。』
僕はそう叫びたかった。
と同時に、(こんなに応援してくれるファンの人達の為にも僕は英語なんかで不安になっている場合じゃない)と思った。
沢山の人の夢と共に僕はいる。
僕自身の為にも、ファンの人の為にもこの英語の壁は乗り越えなければならないと思った。
もしファンの人がいなければ、僕は尻尾を巻いて逃げ出していたかもしれない。
“WORLD TOUR IN JAPAN SEX UP!”と題されたツアーは東京は中野サンプラザが皮切りだった。
この日のライブはLOUDNESSにとって始めてのライブレコーディングされた。
そして一回り大きくなったLOUDNESSは全国を駆け巡った。
アメリカ、ヨーロッパのツアーでLOUDNESSは明らかに成長したと思う。
どんな機会でも良い、日本を飛び出して何かやると言うのは大事なことだ。
金銭的には大変だけれど・・・
世界の異文化を体験すると言うことは特に精神的な部分で大きな刺激を受ける。
大きな成長と言っても良いかもしれない。
僕達の人生経験においても22~23歳でそう言うチャンスに恵まれたのは幸運だった。
このツアーでの11月2日の東京渋谷公会堂ライブでは初のライブヴィデオがシューティングされた。
後にそのライブアルバムやヴィデオは”LIVE-LOUD-ALIVE”と題された。
ヘビーメタル/ハードロックと言うジャンルにもかかわらずライブアルバム、ヴィデオはチャートインを果たしてヘビーメタル/ハードロックシーンにおいて前代未聞のセールスを記録した。
「ニーやんか?」
LOUDNESSツアーの合間のある休日に電話口から懐かしい声が聞こえた。
仏教大学時代に一緒にバンドやっていた藤村幸宏こと「茶々丸」からだった。
「おぉ!!懐かしいな!どないしてんねん!大学卒業して就職したんか?」
「おぉそうやけどな・・・」
「チャチャも就職したんか、早いモンやなぁ・・・」
「ニーやんと付き合うてたI さんも無事卒業したで」
「ほんまか・・懐かしいな」
「ニーやんも頑張ってんな、こっちでもえらい人気やで!」
「ほんまにお蔭さんで目茶忙しいわ」
「それはそうとな、東京ってどうや?俺、やっぱ音楽したいねん」
「会社辞めるつもりなんか?」
「おぉ、就職したけどな、なんか音楽やるべきやと思ってな・・・」
「まじか、ほんなら出て来いや」
「ええか?ほな行くわ」
程なくして、茶々丸は仕事を辞めてギターと少しの荷物を持って僕のアパートに来た。
6畳一間のアパートで茶々丸との共同生活が始まった・・・。
髪が短くなっていた茶々丸は不安気ではあったけれど吹っ切れた感じだった。
これで多少は更新しやすくなるか?
ほな、よろしく!
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LOUDNESSのアトランティックとの契約オファーはそれまであまり関心を示さなかった一般メディアにも大きなインパクトを与えたようだった。
今まではLOUDNESSには見向きもしなかった一般メディアからの取材も増え始めた。
でも、それはまだまだLOUDNESS狂騒曲の序章にしかすぎなかった。
「二井原、英語何とかしろよ、分かったな」
当時の事務所社長のNさんが電話口で僕に言ったあの言葉が忘れられない。
(えっ、そんなん・・何とかしろよって・・・)
どうすれば良いのか分からず途方に暮れた。
英語と言う課題は大き過ぎた、実際自分がやっていけるのかどうか分からなかった。
ミッシェルとの文通ぐらいしか英語に接することも無く、気持ちは焦るばかりだった。
そんな不安な気持ちを感じながらも、ヨーロッパから帰国して数日、1983年9月24日から全国ツアーが始まった。
全国ツアーはモヤモヤとした不安な気持ちを忘れさせてくれた。
熱狂的なファンの歓声が僕に勇気と力を与えてくれた。
改めて、ファンの人達の存在の有難さを身に染みた。
「LOUDNESSが遠くへ行ってしまうのが寂しいです」
「日本を捨てないでください」
「手の届かない存在になってしまうのが怖いです」
切実な気持ちを綴るファンレターが多くなった。
ファンの人がとても愛おしく感じた。
『僕達は君達から離れることは無い。
僕達はずっと君達と一緒だ。』
僕はそう叫びたかった。
と同時に、(こんなに応援してくれるファンの人達の為にも僕は英語なんかで不安になっている場合じゃない)と思った。
沢山の人の夢と共に僕はいる。
僕自身の為にも、ファンの人の為にもこの英語の壁は乗り越えなければならないと思った。
もしファンの人がいなければ、僕は尻尾を巻いて逃げ出していたかもしれない。
“WORLD TOUR IN JAPAN SEX UP!”と題されたツアーは東京は中野サンプラザが皮切りだった。
この日のライブはLOUDNESSにとって始めてのライブレコーディングされた。
そして一回り大きくなったLOUDNESSは全国を駆け巡った。
アメリカ、ヨーロッパのツアーでLOUDNESSは明らかに成長したと思う。
どんな機会でも良い、日本を飛び出して何かやると言うのは大事なことだ。
金銭的には大変だけれど・・・
世界の異文化を体験すると言うことは特に精神的な部分で大きな刺激を受ける。
大きな成長と言っても良いかもしれない。
僕達の人生経験においても22~23歳でそう言うチャンスに恵まれたのは幸運だった。
このツアーでの11月2日の東京渋谷公会堂ライブでは初のライブヴィデオがシューティングされた。
後にそのライブアルバムやヴィデオは”LIVE-LOUD-ALIVE”と題された。
ヘビーメタル/ハードロックと言うジャンルにもかかわらずライブアルバム、ヴィデオはチャートインを果たしてヘビーメタル/ハードロックシーンにおいて前代未聞のセールスを記録した。
「ニーやんか?」
LOUDNESSツアーの合間のある休日に電話口から懐かしい声が聞こえた。
仏教大学時代に一緒にバンドやっていた藤村幸宏こと「茶々丸」からだった。
「おぉ!!懐かしいな!どないしてんねん!大学卒業して就職したんか?」
「おぉそうやけどな・・・」
「チャチャも就職したんか、早いモンやなぁ・・・」
「ニーやんと付き合うてたI さんも無事卒業したで」
「ほんまか・・懐かしいな」
「ニーやんも頑張ってんな、こっちでもえらい人気やで!」
「ほんまにお蔭さんで目茶忙しいわ」
「それはそうとな、東京ってどうや?俺、やっぱ音楽したいねん」
「会社辞めるつもりなんか?」
「おぉ、就職したけどな、なんか音楽やるべきやと思ってな・・・」
「まじか、ほんなら出て来いや」
「ええか?ほな行くわ」
程なくして、茶々丸は仕事を辞めてギターと少しの荷物を持って僕のアパートに来た。
6畳一間のアパートで茶々丸との共同生活が始まった・・・。
髪が短くなっていた茶々丸は不安気ではあったけれど吹っ切れた感じだった。
サームスタジオのリヴィングのテレビではMTVが常時流れていて、その頃人気が出始めたU2のライブがヘビーローテーションされていた。
U2のアメリカはコロラドのレッドロックスライブで”SUNDAY BLOODY SUNDAY”を何度観たか分からないほどだ。
マー君はU2のファンだったので食い入るように観ては「格好ええなぁ~」とつぶやいた。
タッカンも「こいつらええなぁ~」と言っては一緒に観ていた。
U2にはギターソロらしいものも無く、いたってシンプルでありながらもバンドが吐き出すパワーに圧倒された。
U2を観ながら、LOUDNESSが忘れかけていたロックの持つエネルギーを思い出させてくれたような気がしたのだ。
LOUDNESSデビュー以来こだわってきたテクニカルなスタイルは、時にテクニック至上主義だと雑誌に書かれ、それは必ずしも好意的な内容ではなかったけれど確かにその一面は否定できない。
タッカンもひぐっつあんもマー君も練習の鬼と化し、その姿は怖いほどにストイックであった。
4枚目のディスイリュージョンの目指す方向性は、LOUDNESSの究極の姿を封じ込めることではあったけれど、U2を観ながら「このバンドのロックマインドは参考になるな」とメンバーで話し合ったのを覚えている。
「テクニックを超えた何かをサウンドにプラスする」、LOUDNESSは新たな方向性を本能的に模索するようになった。
レコーディングの前に日本でデモテープを作っていたけれど、サームスタジオで沢山の新たなアイデアが生まれた。
「このバラードをもっと感動的にしたいな・・」タッカンはギターを持ちながらリビングで新たなアイデアのイスピレーションを感じていた。
「ニーちゃんこれどう思う?」タッカンが弾いたメロディーは美しかった。
それは、曲の最後の部分に登場するコーラスパートで「ラーラララーララ」とリフレインすると言う。
「歌詞はどんなん考えてんの?」
「ラブソングやけど」
「だったらちょうど良い感じになるね」
タッカンのこの最後の閃きでこの曲は感動的なバラードとして呼吸を始めた。
ちなみにこのバラードはレコーディング中は結局最後までタイトルが無かった。
僕は歌詞を作ったけれど、タイトルに良いアイデアが浮かばないままだったのだ。
暫定的に便宜上英語のタイトルを付けてはいたけれど、それはもう忘れてしまった(ことにする)。
アルバムが完成してジャケットを見たら、僕の知らないタイトルの曲があった。
「”アレスの嘆き”・・・・ん?こんな曲あったっけ?」
それは担当ディレクターが考えたタイトルだった。
彼はこの曲が大好きで、「この曲はLOUDNESSの代表作になるよ!」と言っていた。
「邦題をつけたほうが良いと思って・・・」彼は少し照れくさそうに言った。
「アレスって?」僕はディレクターに聞きたかったけれど・・・やめた。
これはこれで良いタイトルだと思った。
“BUTTERFLY” “REVALATION”は実験的な曲だった。
特に“REVALATION”のサビのアイデアは今までのLOUDNESSには無いタイプで歌うのが大変だった。
メロディーが難解だったのでガイドメロディーをギターで録音してもらってそれを聞きながら歌ったけれど、未だにあのメロディーは良く分からない・・・・(笑
“ESPER”はタッカンの自信作だった。
「ニーちゃん頼むで!ニーちゃんのストロングなパフォーマンスでこの曲を格好良くしてや!俺のお気に入りの曲やから!」
実はこの曲の録音で僕はヴォーカルの録音の仕方をガラリと変えた。
それまで歌う時はヘッドホーンを爆音にしていたけれど、逆に自分の生声が聴こえるぐらいにヘッドホーンの音量を下げたのだ。
これは自分の中では革命的な瞬間だった。
喉のコントロールが格段にしやすくなったのだ。
ジュリアンも「楽に歌っているようで良いね!」とその変化にいち早く気がついた。
高音のシャウトも楽になった。
“ESPER”の最後の高音シャウト連発はそんなことで出来上がったパフォーマンスだ。
サビの歌い方もタッカンの要求に応えることができた。
“ESPER”のすべてのVocalパートが出来上がった時、「おぉ!ニーちゃんの真骨頂やな!」とメンバーが喜んでくれたのが嬉しかった!
少しヴォーカルのことが理解出来たような気がした。
“EXPLODER”を始めて聴いたときは体が震えた。
何もかもが完璧だった。
このソロのすべてのテイクが恐ろしいほどの神憑りパフォーマンスで、2~3分にまとめ上げるのが勿体無いと思った。
すべてのテイクを集めて1枚のアルバムを作っても良いほどに鬼気迫る演奏だった。
“DREAM FANTASY” “MILKY WAY” “ESPER” “CRAZY DOCTOR”のドラムテイクが出来上がった時、このアルバムはとてつもないものになると確信した。
「俺のビートがLOUDNESSの核なんや!」
ひぐっつあんのドラムはまさにそう主張しているようだ。
タッカンのリフとひぐっつあんのドラムは最強の組み合わせだ。
ひぐっつあんはタッカンのリフを聞くと溢れんばかりのアイデアが生まれた。
そのひぐっつあんのドラムに刺激されてタッカンのリフが生まれ変わったりもした。
ひぐっつあんのドラムのアイデアやビートを追求する姿勢はクリエイティブな人間の鑑であった。
ひぐっつあんの閃きは血のにじむような努力の結果でもあった。
ひぐっつあんの貪欲な探究心に終わりはなかった。
さて、このレコーディングには僕にとって大きなチャレンジがもう一つ待っていた。
英語ヴァージョンである。
当時、僕は英語が全く話せなかったし、ましてや発音の知識も皆無であった。
英詞はサウンドエンジニアのダニーマクレンドンの弟トミーマクレンドンさんが作ってくれたのだけど、英詞を読んでもどう歌って良いのか皆目見当もつかなかったのだ。
今なら、英詞を読んだだけで、ある程度の察しは付くし、メロディーもそれに合わせて歌いやすく変えることも可能だけれど、当時はそんな芸当は無理だった。
ジュリアンもさすがに英語ヴァージョンに関してはお手上げだった。
「どの程度のレベルを目指す?」ジュリアンは聞いた。
「今の二井原の英語レベルなら、我々が理解できるようにするには1年以上はかかるよ・・・・」ジュリアンは頭を抱えた。
協議の結果、ネイティブチェックは無しで行くことになった。
僕は訳も分からずに歌うしかなかった。
当時の僕の許容範囲を超えたこの英語ヴァージョンなるものは必要だったのか、今でも疑問が残る。
英語と日本語2ヴァージョンを約20日間と言う決して十分な時間とは言えないレコーディングではあったけれど、ほぼ満足のいくアルバムが完成した。
8月15日に日本を出発して初めてのヨーロッパツアーを経験し、初めての海外レコーディングを経て9月20日に“DISILLUSION”と共に帰国した。
LOUDNESSは成田空港からそのまま赤坂の日本コロンビア本社へ直行し「凱旋報告会」をやった。
日本コロンビアのスタッフが大きな拍手と共に出迎えてくれた。
製作部長の挨拶があり乾杯をした。
そこで、新人の宣伝マンのM君から驚きの報告を受けた。
「実は皆さん!!!凄い報告です!!!!先週、アメリカの大手レコード会社"ATLANTIC RECORDS”からFAXが届き、LOUDNESSと全世界契約を結びたいと連絡がありました!これは前代未聞です!日本の音楽界、ロック界にとって快挙です!」
その瞬間「ウォ~~!!」とスタッフからどよめきの歓声があがった。

「ATLANTIC?????嘘やん~~~~!!!」タッカンが興奮気味に言った。
「ATLANTICって、ツェッペリンとかAC/DCとかおるところやろちゃうん??凄いレコード会社やん!!」マー君も顔を赤くして叫んだ。
「ま、まじで??俺等全米デビューするんかぁ??」ひぐっつあんもビックリしていた。
僕はまるで他人事のように思えた。
あまりにも話が大きすぎて、実感が沸かなかった。
ビールのグラスを持っている手が震えていた・・・・。
(ATLANTIC・・・・いったいこのバンドはどこまで行くんやろ?俺たちのゴールはどこや?)
U2のアメリカはコロラドのレッドロックスライブで”SUNDAY BLOODY SUNDAY”を何度観たか分からないほどだ。
マー君はU2のファンだったので食い入るように観ては「格好ええなぁ~」とつぶやいた。
タッカンも「こいつらええなぁ~」と言っては一緒に観ていた。
U2にはギターソロらしいものも無く、いたってシンプルでありながらもバンドが吐き出すパワーに圧倒された。
U2を観ながら、LOUDNESSが忘れかけていたロックの持つエネルギーを思い出させてくれたような気がしたのだ。
LOUDNESSデビュー以来こだわってきたテクニカルなスタイルは、時にテクニック至上主義だと雑誌に書かれ、それは必ずしも好意的な内容ではなかったけれど確かにその一面は否定できない。
タッカンもひぐっつあんもマー君も練習の鬼と化し、その姿は怖いほどにストイックであった。
4枚目のディスイリュージョンの目指す方向性は、LOUDNESSの究極の姿を封じ込めることではあったけれど、U2を観ながら「このバンドのロックマインドは参考になるな」とメンバーで話し合ったのを覚えている。
「テクニックを超えた何かをサウンドにプラスする」、LOUDNESSは新たな方向性を本能的に模索するようになった。
レコーディングの前に日本でデモテープを作っていたけれど、サームスタジオで沢山の新たなアイデアが生まれた。
「このバラードをもっと感動的にしたいな・・」タッカンはギターを持ちながらリビングで新たなアイデアのイスピレーションを感じていた。
「ニーちゃんこれどう思う?」タッカンが弾いたメロディーは美しかった。
それは、曲の最後の部分に登場するコーラスパートで「ラーラララーララ」とリフレインすると言う。
「歌詞はどんなん考えてんの?」
「ラブソングやけど」
「だったらちょうど良い感じになるね」
タッカンのこの最後の閃きでこの曲は感動的なバラードとして呼吸を始めた。
ちなみにこのバラードはレコーディング中は結局最後までタイトルが無かった。
僕は歌詞を作ったけれど、タイトルに良いアイデアが浮かばないままだったのだ。
暫定的に便宜上英語のタイトルを付けてはいたけれど、それはもう忘れてしまった(ことにする)。
アルバムが完成してジャケットを見たら、僕の知らないタイトルの曲があった。
「”アレスの嘆き”・・・・ん?こんな曲あったっけ?」
それは担当ディレクターが考えたタイトルだった。
彼はこの曲が大好きで、「この曲はLOUDNESSの代表作になるよ!」と言っていた。
「邦題をつけたほうが良いと思って・・・」彼は少し照れくさそうに言った。
「アレスって?」僕はディレクターに聞きたかったけれど・・・やめた。
これはこれで良いタイトルだと思った。
“BUTTERFLY” “REVALATION”は実験的な曲だった。
特に“REVALATION”のサビのアイデアは今までのLOUDNESSには無いタイプで歌うのが大変だった。
メロディーが難解だったのでガイドメロディーをギターで録音してもらってそれを聞きながら歌ったけれど、未だにあのメロディーは良く分からない・・・・(笑
“ESPER”はタッカンの自信作だった。
「ニーちゃん頼むで!ニーちゃんのストロングなパフォーマンスでこの曲を格好良くしてや!俺のお気に入りの曲やから!」
実はこの曲の録音で僕はヴォーカルの録音の仕方をガラリと変えた。
それまで歌う時はヘッドホーンを爆音にしていたけれど、逆に自分の生声が聴こえるぐらいにヘッドホーンの音量を下げたのだ。
これは自分の中では革命的な瞬間だった。
喉のコントロールが格段にしやすくなったのだ。
ジュリアンも「楽に歌っているようで良いね!」とその変化にいち早く気がついた。
高音のシャウトも楽になった。
“ESPER”の最後の高音シャウト連発はそんなことで出来上がったパフォーマンスだ。
サビの歌い方もタッカンの要求に応えることができた。
“ESPER”のすべてのVocalパートが出来上がった時、「おぉ!ニーちゃんの真骨頂やな!」とメンバーが喜んでくれたのが嬉しかった!
少しヴォーカルのことが理解出来たような気がした。
“EXPLODER”を始めて聴いたときは体が震えた。
何もかもが完璧だった。
このソロのすべてのテイクが恐ろしいほどの神憑りパフォーマンスで、2~3分にまとめ上げるのが勿体無いと思った。
すべてのテイクを集めて1枚のアルバムを作っても良いほどに鬼気迫る演奏だった。
“DREAM FANTASY” “MILKY WAY” “ESPER” “CRAZY DOCTOR”のドラムテイクが出来上がった時、このアルバムはとてつもないものになると確信した。
「俺のビートがLOUDNESSの核なんや!」
ひぐっつあんのドラムはまさにそう主張しているようだ。
タッカンのリフとひぐっつあんのドラムは最強の組み合わせだ。
ひぐっつあんはタッカンのリフを聞くと溢れんばかりのアイデアが生まれた。
そのひぐっつあんのドラムに刺激されてタッカンのリフが生まれ変わったりもした。
ひぐっつあんのドラムのアイデアやビートを追求する姿勢はクリエイティブな人間の鑑であった。
ひぐっつあんの閃きは血のにじむような努力の結果でもあった。
ひぐっつあんの貪欲な探究心に終わりはなかった。
さて、このレコーディングには僕にとって大きなチャレンジがもう一つ待っていた。
英語ヴァージョンである。
当時、僕は英語が全く話せなかったし、ましてや発音の知識も皆無であった。
英詞はサウンドエンジニアのダニーマクレンドンの弟トミーマクレンドンさんが作ってくれたのだけど、英詞を読んでもどう歌って良いのか皆目見当もつかなかったのだ。
今なら、英詞を読んだだけで、ある程度の察しは付くし、メロディーもそれに合わせて歌いやすく変えることも可能だけれど、当時はそんな芸当は無理だった。
ジュリアンもさすがに英語ヴァージョンに関してはお手上げだった。
「どの程度のレベルを目指す?」ジュリアンは聞いた。
「今の二井原の英語レベルなら、我々が理解できるようにするには1年以上はかかるよ・・・・」ジュリアンは頭を抱えた。
協議の結果、ネイティブチェックは無しで行くことになった。
僕は訳も分からずに歌うしかなかった。
当時の僕の許容範囲を超えたこの英語ヴァージョンなるものは必要だったのか、今でも疑問が残る。
英語と日本語2ヴァージョンを約20日間と言う決して十分な時間とは言えないレコーディングではあったけれど、ほぼ満足のいくアルバムが完成した。
8月15日に日本を出発して初めてのヨーロッパツアーを経験し、初めての海外レコーディングを経て9月20日に“DISILLUSION”と共に帰国した。
LOUDNESSは成田空港からそのまま赤坂の日本コロンビア本社へ直行し「凱旋報告会」をやった。
日本コロンビアのスタッフが大きな拍手と共に出迎えてくれた。
製作部長の挨拶があり乾杯をした。
そこで、新人の宣伝マンのM君から驚きの報告を受けた。
「実は皆さん!!!凄い報告です!!!!先週、アメリカの大手レコード会社"ATLANTIC RECORDS”からFAXが届き、LOUDNESSと全世界契約を結びたいと連絡がありました!これは前代未聞です!日本の音楽界、ロック界にとって快挙です!」
その瞬間「ウォ~~!!」とスタッフからどよめきの歓声があがった。

「ATLANTIC?????嘘やん~~~~!!!」タッカンが興奮気味に言った。
「ATLANTICって、ツェッペリンとかAC/DCとかおるところやろちゃうん??凄いレコード会社やん!!」マー君も顔を赤くして叫んだ。
「ま、まじで??俺等全米デビューするんかぁ??」ひぐっつあんもビックリしていた。
僕はまるで他人事のように思えた。
あまりにも話が大きすぎて、実感が沸かなかった。
ビールのグラスを持っている手が震えていた・・・・。
(ATLANTIC・・・・いったいこのバンドはどこまで行くんやろ?俺たちのゴールはどこや?)
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ひゃ~~・・・・と~~~っくの昔に40万アクセス超えていました!!
30万アクセス超えは最近だと思っていたのに、いつの間に・・・。
その上、このブログの右の方には現在Blog Ranking Bestで堂々1位になっておるじゃないですか!(ほんまに知らんかったわ!)
このランキングが凄いことなのかどうなのか不明やけど、素直に1位は嬉しいね。
で、このランキングって毎日変化するのですかね?
兎にも角にも、沢山の応援ありがとうございます!!
頑張りますわ!!
ひゃ~~・・・・と~~~っくの昔に40万アクセス超えていました!!
30万アクセス超えは最近だと思っていたのに、いつの間に・・・。
その上、このブログの右の方には現在Blog Ranking Bestで堂々1位になっておるじゃないですか!(ほんまに知らんかったわ!)
このランキングが凄いことなのかどうなのか不明やけど、素直に1位は嬉しいね。
で、このランキングって毎日変化するのですかね?
兎にも角にも、沢山の応援ありがとうございます!!
頑張りますわ!!
昨日、ひぐっつあんの49日法要の為に大阪へ行ってきました。
新幹線の中から見えた富士山が綺麗でした!

今まで、LOUDNESSのツアー中に新幹線から何度も見た富士山でしたが、初めてゆっくりじ~~っと見惚れましたわ。
昨日は、大阪の樋口邸において納骨のお経をあげ、その後、故人を偲びながら御食事会をしました。

蟹の会席料理。美味しかったです!
正直に告白すると、実は、ひぐっつあんが亡くなって以来、非常に不安定な精神状態が昨日まで続いていて、体調も優れず、気分も塞ぎ込んでいました。
それが、昨日の法要が終わった途端、嘘のように気分も体調もすっきり晴れているではありませんか!!
ひぐっつあん、無事に極楽往生されたんだと思いました。
「お前ら、ほな、後よろしくな!」と言っているのが聞こえましたよ!
この世にいる僕は、やっとなんとか新たな気持ちに切り替えることが出来たように思います。
今日、明日にはなんとか「歴史もの」続き書き上げます!
更新を楽しみにしている皆さん、ほんま、遅くなってゴメンです。
しばしお待ちを!
新幹線の中から見えた富士山が綺麗でした!

今まで、LOUDNESSのツアー中に新幹線から何度も見た富士山でしたが、初めてゆっくりじ~~っと見惚れましたわ。
昨日は、大阪の樋口邸において納骨のお経をあげ、その後、故人を偲びながら御食事会をしました。

蟹の会席料理。美味しかったです!
正直に告白すると、実は、ひぐっつあんが亡くなって以来、非常に不安定な精神状態が昨日まで続いていて、体調も優れず、気分も塞ぎ込んでいました。
それが、昨日の法要が終わった途端、嘘のように気分も体調もすっきり晴れているではありませんか!!
ひぐっつあん、無事に極楽往生されたんだと思いました。
「お前ら、ほな、後よろしくな!」と言っているのが聞こえましたよ!
この世にいる僕は、やっとなんとか新たな気持ちに切り替えることが出来たように思います。
今日、明日にはなんとか「歴史もの」続き書き上げます!
更新を楽しみにしている皆さん、ほんま、遅くなってゴメンです。
しばしお待ちを!
ひぐっつあんのドラムセットがスタジオのど真ん中にセットされた。
ジュリアンは忙しそうにマイクのセッティングに余念が無い。
ドラムセットのすぐ後ろには非常口があって、その扉を開けると非常階段が地上へ伸びていた。
ジュリアンはその非常階段にも沢山のマイクをセッティングして、階段に鳴り響く自然な残響音を録音していた。
機械的に作るエコーやリヴァーブとは違った、生々しい残響音がひぐっつあんのドラムをより一層迫力あるものにした。
ひぐっつあんはジョンボーナムのようなヘビーなリズムを叩いたり、早いリズムを叩いたりしてドラムの試し録音をやりその音をメンバー全員でコンソールルームで聴いた。

「ドッド~~~ン!!」
ベードラの凄まじいヘビーなサウンドにひぐっつあんはのけぞった。
「おぉ!!!!なんじゃ!!この迫力は!!!」
これが日本のエンジニアとの違いなのか?
コンソールに鳴り響くひぐっつあんのドラムサウンドは、確かに今まで聞きなれたひぐっつあんのドラムの音ではあったけれど、このジュリアンの作るサウンドは極太でヘビーな響きにさらに磨きをかけた感じだった。
ひぐっつあんはそのサウンドに大満足しているようで、何度もプレイバックして聞き惚れていた。
次にベースの音作りに入った。
Yesのクリス・スクワイアが大のお気に入りエンジニアである、ベースの音に関しても申し分は無い。
ただ音作りを見ている限り、特に変わった録音設定はしていないようだが、何か企業秘密があるのかもしれない。
マー君も色んなフレーズを弾きながら試し録音をやり、コンソールルームでその音を確認した。
マー君のベースサウンドも太くてヘビーでありながらも、しっかりとした輪郭を持ち芯のある響きだった。
ベースの単独音を聴いているだけでも体が熱くなるようなサウンドだ。
ドラムとベースの音が決まったところで、リズムセクションだけで録音をした。
単純な8ビートのパターンを演奏しているのだけど、サウンドがあまりに激しいので、ドラムとベースのバトルをやっているような錯覚に陥った。
これほど生き生きとしたリズムセクションサウンドがバンドの土台をがっちり固めてくれたら、もう鬼に金棒であった。
ドラムとベースだけでアルバムを作っても行けそうなほどの素晴らしいサウンドだった。
タッカンもそのリズムセクションの音作りの一部始終を見ていて、「おぉ~これは想像以上に凄い音作りよんなぁ~♪」と嬉しそうだった。
「OK!次ギターをやろう」
ジュリアンはギターアンプの置き場所を指示し、マイクのセッテイィングを慎重にした。
何度も爆音ギターの音を聴きながら、最高のポジションを探している。
「素晴らしいギターサウンドだ!」
ジュリアンはタッカンのギターサウンドを絶賛した。
「出している音が素晴らしいと、エンジニアは何もやる必要は無いのだよ!」
ジュリアンは両手を上げていたずらっぽく笑った。
音を作っている間、タッカンは色んなリフを弾き倒し、縦横無尽にソロを爆裂させた。
そして、ジュリアンはそのサウンドを録音した。
タッカンのギターの音は、今まで聴いたこともないほどのクリアでシャープなサウンドだった。
ヴォーカルはヴォーカル録音時にマイクやらを決定しようとジュリアンが言った。
「OK、ギターのサウンドも出来上がった!3人で何か演奏してくれないか?」
ひぐっつあん、マー君、タッカンがそれぞれヘッドホーンをつけた。
サームスタジオは静まり返っている。
果たして、ジュリアンの手でLOUDNESSのサウンドがどんなことになるのか、メンバーを始め日本から来たスタッフも固唾を呑んで見守っている。
「何やろか?」
ひぐっつあんがタバコを口にしながらメンバーに聞いた。
「M-1やってみよか?」
タッカンが言った。
「M-1ってどんなやったっけ?」
マー君が聞いた。
「イントロでベードラが連打する奴や」
タッカンが答えた。
「あぁ~あれか!!OK!ほんならM-1で行こう!1!2!3!4!」
ひぐっつあんも思い出したようで、いきなりカウントを叫んだ。
LOUDNESSはアルバムが完成するまで曲目タイトルが決まらないことが多い。
なので、レコーディング中はM-1(ミュージック1)、M-2、M-3・・と言う風に曲を呼ぶことが多かった。
しかしながら、M-1だけなら曲調が思い出せないので、例えば、M-1(スピードチューン ジューダス風)とか各人思い出しやすいように工夫していた。
ちなみに、ひぐっつあんはなかなか曲名を覚えてくれない人で、デビューから数年、ステージの上に張ってあるライブメニューも正式な曲名ではなくて、M-2(ハードシャッフル)とかひぐっつあん本人しか理解できないライブメニューを書いていた。
再結成以降は、なるべく正しい曲名を書くように努めていたけれど・・・・(笑。
さて、いよいよM-1の演奏が始まった。
M-1とはCrazy Doctorである。
Crazy Doctorがサームスタジオで鳴り響いた!!
タッカンのギターリフ、ひぐっつあんのベードラ、マー君のベースが怒涛のごとく音の洪水を吐き出した!
LOUDNESSが爆発している、サームスタジオが揺れている!!!
東京のリハーサルスタジオでこの曲を始めて聴いたとき、この曲がこれほどパワーのある曲だったとは気づかなかった。
ジュリアンの作るサウンドとLOUDNESSの演奏が融合し、その奇跡のケミストリーがLOUDNESSの曲に完璧なエネルギーを与えたのだ。
LOUDNESSの新たなサウンドの誕生にメンバーは歓喜した!
ジュリアンは忙しそうにマイクのセッティングに余念が無い。
ドラムセットのすぐ後ろには非常口があって、その扉を開けると非常階段が地上へ伸びていた。
ジュリアンはその非常階段にも沢山のマイクをセッティングして、階段に鳴り響く自然な残響音を録音していた。
機械的に作るエコーやリヴァーブとは違った、生々しい残響音がひぐっつあんのドラムをより一層迫力あるものにした。
ひぐっつあんはジョンボーナムのようなヘビーなリズムを叩いたり、早いリズムを叩いたりしてドラムの試し録音をやりその音をメンバー全員でコンソールルームで聴いた。

「ドッド~~~ン!!」
ベードラの凄まじいヘビーなサウンドにひぐっつあんはのけぞった。
「おぉ!!!!なんじゃ!!この迫力は!!!」
これが日本のエンジニアとの違いなのか?
コンソールに鳴り響くひぐっつあんのドラムサウンドは、確かに今まで聞きなれたひぐっつあんのドラムの音ではあったけれど、このジュリアンの作るサウンドは極太でヘビーな響きにさらに磨きをかけた感じだった。
ひぐっつあんはそのサウンドに大満足しているようで、何度もプレイバックして聞き惚れていた。
次にベースの音作りに入った。
Yesのクリス・スクワイアが大のお気に入りエンジニアである、ベースの音に関しても申し分は無い。
ただ音作りを見ている限り、特に変わった録音設定はしていないようだが、何か企業秘密があるのかもしれない。
マー君も色んなフレーズを弾きながら試し録音をやり、コンソールルームでその音を確認した。
マー君のベースサウンドも太くてヘビーでありながらも、しっかりとした輪郭を持ち芯のある響きだった。
ベースの単独音を聴いているだけでも体が熱くなるようなサウンドだ。
ドラムとベースの音が決まったところで、リズムセクションだけで録音をした。
単純な8ビートのパターンを演奏しているのだけど、サウンドがあまりに激しいので、ドラムとベースのバトルをやっているような錯覚に陥った。
これほど生き生きとしたリズムセクションサウンドがバンドの土台をがっちり固めてくれたら、もう鬼に金棒であった。
ドラムとベースだけでアルバムを作っても行けそうなほどの素晴らしいサウンドだった。
タッカンもそのリズムセクションの音作りの一部始終を見ていて、「おぉ~これは想像以上に凄い音作りよんなぁ~♪」と嬉しそうだった。
「OK!次ギターをやろう」
ジュリアンはギターアンプの置き場所を指示し、マイクのセッテイィングを慎重にした。
何度も爆音ギターの音を聴きながら、最高のポジションを探している。
「素晴らしいギターサウンドだ!」
ジュリアンはタッカンのギターサウンドを絶賛した。
「出している音が素晴らしいと、エンジニアは何もやる必要は無いのだよ!」
ジュリアンは両手を上げていたずらっぽく笑った。
音を作っている間、タッカンは色んなリフを弾き倒し、縦横無尽にソロを爆裂させた。
そして、ジュリアンはそのサウンドを録音した。
タッカンのギターの音は、今まで聴いたこともないほどのクリアでシャープなサウンドだった。
ヴォーカルはヴォーカル録音時にマイクやらを決定しようとジュリアンが言った。
「OK、ギターのサウンドも出来上がった!3人で何か演奏してくれないか?」
ひぐっつあん、マー君、タッカンがそれぞれヘッドホーンをつけた。
サームスタジオは静まり返っている。
果たして、ジュリアンの手でLOUDNESSのサウンドがどんなことになるのか、メンバーを始め日本から来たスタッフも固唾を呑んで見守っている。
「何やろか?」
ひぐっつあんがタバコを口にしながらメンバーに聞いた。
「M-1やってみよか?」
タッカンが言った。
「M-1ってどんなやったっけ?」
マー君が聞いた。
「イントロでベードラが連打する奴や」
タッカンが答えた。
「あぁ~あれか!!OK!ほんならM-1で行こう!1!2!3!4!」
ひぐっつあんも思い出したようで、いきなりカウントを叫んだ。
LOUDNESSはアルバムが完成するまで曲目タイトルが決まらないことが多い。
なので、レコーディング中はM-1(ミュージック1)、M-2、M-3・・と言う風に曲を呼ぶことが多かった。
しかしながら、M-1だけなら曲調が思い出せないので、例えば、M-1(スピードチューン ジューダス風)とか各人思い出しやすいように工夫していた。
ちなみに、ひぐっつあんはなかなか曲名を覚えてくれない人で、デビューから数年、ステージの上に張ってあるライブメニューも正式な曲名ではなくて、M-2(ハードシャッフル)とかひぐっつあん本人しか理解できないライブメニューを書いていた。
再結成以降は、なるべく正しい曲名を書くように努めていたけれど・・・・(笑。
さて、いよいよM-1の演奏が始まった。
M-1とはCrazy Doctorである。
Crazy Doctorがサームスタジオで鳴り響いた!!
タッカンのギターリフ、ひぐっつあんのベードラ、マー君のベースが怒涛のごとく音の洪水を吐き出した!
LOUDNESSが爆発している、サームスタジオが揺れている!!!
東京のリハーサルスタジオでこの曲を始めて聴いたとき、この曲がこれほどパワーのある曲だったとは気づかなかった。
ジュリアンの作るサウンドとLOUDNESSの演奏が融合し、その奇跡のケミストリーがLOUDNESSの曲に完璧なエネルギーを与えたのだ。
LOUDNESSの新たなサウンドの誕生にメンバーは歓喜した!
元旦から、帰省していた大阪で酷い風邪を引き、ずっと寝込んでいましたが、昨日からようやく日常生活に戻れるほど回復しました。
結局、正月らしいことは何も出来ず残念。
正月なのに、正月らしく過ごせなかったのは、90年代初頭のデッドチャップリンのLAレコーディング以来です(笑。
あの時は、たしか12月頭頃に渡米、レコーディングを開始して、レコーディングが佳境に入った頃にクリスマスが来ました。
クリスマスは雇っていたサウンドエンジニアが休暇をとったため、一週間ほどレコーディングが中断。
年末からレコーディングを再開して、スタジオで新年を明けたような・・・。
アメリカ人にとって新年はクリスマスほどのビッグイヴェントではないので、あっさりしたものでしたなぁ~。
メンバーとホテルで酒を飲みながらひっそり正月気分を味わったぐらい。
兎にも角にも、今年も張り切っていきましょう!
更新、近日中にする予定!
ただ今原稿仕上げ中!!
結局、正月らしいことは何も出来ず残念。
正月なのに、正月らしく過ごせなかったのは、90年代初頭のデッドチャップリンのLAレコーディング以来です(笑。
あの時は、たしか12月頭頃に渡米、レコーディングを開始して、レコーディングが佳境に入った頃にクリスマスが来ました。
クリスマスは雇っていたサウンドエンジニアが休暇をとったため、一週間ほどレコーディングが中断。
年末からレコーディングを再開して、スタジオで新年を明けたような・・・。
アメリカ人にとって新年はクリスマスほどのビッグイヴェントではないので、あっさりしたものでしたなぁ~。
メンバーとホテルで酒を飲みながらひっそり正月気分を味わったぐらい。
兎にも角にも、今年も張り切っていきましょう!
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ただ今原稿仕上げ中!!
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