更新が遅れました!!
師走で忙しいですぅ!!!
ゴメンデすぅ~!!!
今年はこの回で限界かも!!
来年はいよいよ世界デビューの話に突入!!
今年は色々ありがとう!!
来年もよろしく!!!!
I LOVE YOU ALL!!!!!
**************************************
1983年9月1日
初めてのイギリス公演も無事に終わり、その余韻に浸るまもなく即4枚目のアルバムの為のレコーディングに突入した。
スタジオはソーホーから西へ車で30分ぐらいのところにあったサームスタジオだった。
当時のスタジオは治安の悪そうな怖い場所にあったと記憶する。
ソーホーのアパートからスタジオまではタクシーで行ってたけれど、そのうち地下鉄で行くようになった。
初めてサームスタジオに入った時、「編集ルーム」で何やら仕事をしている牛乳瓶の底のようなメガネをかけたオタクみたいな人が「やぁ~いらっしゃ~~い♪」と声をかけてくれた。
(アルバイトの人が熱心に仕事をしているんだなんだな)と思った。
そしてメインのスタジオルームへ入っていくと、そこには今回のサウンドエンジニアのジュリアンメンデルゾーンさんが仕事をしていた。
ジュリアンさんはレコーディングが終わったばかりの音を確認していた。
「いや~~こんにちは!LOUDNESSさん!!」
ジュリアンさんはとても気さくで人懐こい笑顔で応対をしてくださったけれど、目はとても厳しいプロの目をしていた・・・。
「よろしくお願いします」
僕達は緊張しながら挨拶した。
「最高のアルバムを作ろう!!」
ジュリアンさんは激励してくれた。
その挨拶の後ろでは爆音で凄い曲が流れていた。
「これ誰ですか?」
マー君が聞いた。
「これ?”YES”の新譜だよ!!出来上がったばかりなんだ!」
「ぎょえ~~~~!!”YES”????まじっすか~~~!!!!!???」
プログレ好きのマー君は失神した。
「そうだよ、”YES”だよ。久しぶりの新譜なんだ!中々良い出来だよ!!」
ジュリアンは自信たっぷりに言った。
「是非聴きたい!!何か聴かせてください!!」
マー君はじめメンバーで懇願した。
「じゃー、特別に日本から来た友人へのサービスだ!さっき出来上がったばかりの曲を聴かせて上げるよ♪曲名はまだ確定ではないけれど・・・え~っとなんでっけなぁ・・・ここには“owner of a lonely heart”(83年YESの全米No1!曲)って書いてあるけど・・」
ジュリアンは爆音で“owner of a lonely heart”をプレイバックしてくれた。
その「未知の曲」は衝撃の一言だった!!
素晴らしいサウンドにメンバー全員腰を抜かした・・・
(こんな・・凄いエンジニアと一緒に仕事が出来るなんて!!)
その新曲を聴きながら僕達はしばし絶句した。
「あ!!そうだ、”YES”のプロデューサーがまだスタジオにいるから紹介するよ!」
ジュリアンがそう言って「編集ルーム」へ案内してくれた。
「こちらが”YES”のプロデューサーのトレバーホーンさんです!」
(げっ嘘やん!!さっきスタジオの入り口にいた人やん!!アルバイトの人とちゃうがな!!この人がトレバーホーンだったのぉ!!!!?)
伝説的プロデューサー“トレバーホーン”はオタクのようで学生のような人で・・・摩訶不思議な人だった。
兎にも角にも、LOUDNESS4枚目”Disillusion~撃剣霊化”のレコーディングに突入した。
「LOUDNESS4枚目のアルバムはどうなるのか?」
「さすがにもうダメだろう」
「デビュー3枚が衝撃的すぎた・・」
「デビューから今までが出来すぎ・・・・」
「レイジーの勢いでとにかく来たけれど・・」
「ファーストアルバムを超えるのは難しいだろう・・」
「行くところまで行ったバンド・・・」
「ジャパメタもそろそろ飽きて来る時期だろ・・」
「LOUDNESS勝負のアルバムだな・・」
「あまり期待出来ないだろ・・・・」
「LOUDNESS最後のアルバムか?」
「魔界典章以上のアルバムは無理だろう!」
「LOUDNESSはもう限界だろ!」
ロック評論家を始めマスメディアには色んな意見が飛び出た。
僕達はそんな外野の意見は耳に入らなかった。
まったく気にならなかった。
何故なら、出来あがった曲に自信があったから。
その時は暫定的なタイトルだったけれど、”CRAZY DOCTOR” “DREAM FANTASY” "ARES LAMENT” “ESPER”・・・すでに最高の曲が出来あがっていたのだ!
(きっと素晴らしいアルバムになるぞ!)
僕達はアパートで何度もデモテープを聴いて楽曲の細かなことをあれこれ考えた。
各メンバーの激しいやり取りもあった。
タッカンは素晴らしいアイデアに満ち溢れていた。
ひぐっつあんはモチベーションを上げるためのリーダーだった。
マー君は楽曲のアレンジで鋭い指摘をした。
僕は歌詞をまとめるのに必死だった。
LOUDNESSは懸命だった。
LOUDNESSは必死だった。
LOUDNESSは死に物狂いだった。
そしてまさにLOUDNESSは家族だった兄弟だった戦友だった・・・・
そして“撃剣霊化”のレコーディングが始まった。
師走で忙しいですぅ!!!
ゴメンデすぅ~!!!
今年はこの回で限界かも!!
来年はいよいよ世界デビューの話に突入!!
今年は色々ありがとう!!
来年もよろしく!!!!
I LOVE YOU ALL!!!!!
**************************************
1983年9月1日
初めてのイギリス公演も無事に終わり、その余韻に浸るまもなく即4枚目のアルバムの為のレコーディングに突入した。
スタジオはソーホーから西へ車で30分ぐらいのところにあったサームスタジオだった。
当時のスタジオは治安の悪そうな怖い場所にあったと記憶する。
ソーホーのアパートからスタジオまではタクシーで行ってたけれど、そのうち地下鉄で行くようになった。
初めてサームスタジオに入った時、「編集ルーム」で何やら仕事をしている牛乳瓶の底のようなメガネをかけたオタクみたいな人が「やぁ~いらっしゃ~~い♪」と声をかけてくれた。
(アルバイトの人が熱心に仕事をしているんだなんだな)と思った。
そしてメインのスタジオルームへ入っていくと、そこには今回のサウンドエンジニアのジュリアンメンデルゾーンさんが仕事をしていた。
ジュリアンさんはレコーディングが終わったばかりの音を確認していた。
「いや~~こんにちは!LOUDNESSさん!!」
ジュリアンさんはとても気さくで人懐こい笑顔で応対をしてくださったけれど、目はとても厳しいプロの目をしていた・・・。
「よろしくお願いします」
僕達は緊張しながら挨拶した。
「最高のアルバムを作ろう!!」
ジュリアンさんは激励してくれた。
その挨拶の後ろでは爆音で凄い曲が流れていた。
「これ誰ですか?」
マー君が聞いた。
「これ?”YES”の新譜だよ!!出来上がったばかりなんだ!」
「ぎょえ~~~~!!”YES”????まじっすか~~~!!!!!???」
プログレ好きのマー君は失神した。
「そうだよ、”YES”だよ。久しぶりの新譜なんだ!中々良い出来だよ!!」
ジュリアンは自信たっぷりに言った。
「是非聴きたい!!何か聴かせてください!!」
マー君はじめメンバーで懇願した。
「じゃー、特別に日本から来た友人へのサービスだ!さっき出来上がったばかりの曲を聴かせて上げるよ♪曲名はまだ確定ではないけれど・・・え~っとなんでっけなぁ・・・ここには“owner of a lonely heart”(83年YESの全米No1!曲)って書いてあるけど・・」
ジュリアンは爆音で“owner of a lonely heart”をプレイバックしてくれた。
その「未知の曲」は衝撃の一言だった!!
素晴らしいサウンドにメンバー全員腰を抜かした・・・
(こんな・・凄いエンジニアと一緒に仕事が出来るなんて!!)
その新曲を聴きながら僕達はしばし絶句した。
「あ!!そうだ、”YES”のプロデューサーがまだスタジオにいるから紹介するよ!」
ジュリアンがそう言って「編集ルーム」へ案内してくれた。
「こちらが”YES”のプロデューサーのトレバーホーンさんです!」
(げっ嘘やん!!さっきスタジオの入り口にいた人やん!!アルバイトの人とちゃうがな!!この人がトレバーホーンだったのぉ!!!!?)
伝説的プロデューサー“トレバーホーン”はオタクのようで学生のような人で・・・摩訶不思議な人だった。
兎にも角にも、LOUDNESS4枚目”Disillusion~撃剣霊化”のレコーディングに突入した。
「LOUDNESS4枚目のアルバムはどうなるのか?」
「さすがにもうダメだろう」
「デビュー3枚が衝撃的すぎた・・」
「デビューから今までが出来すぎ・・・・」
「レイジーの勢いでとにかく来たけれど・・」
「ファーストアルバムを超えるのは難しいだろう・・」
「行くところまで行ったバンド・・・」
「ジャパメタもそろそろ飽きて来る時期だろ・・」
「LOUDNESS勝負のアルバムだな・・」
「あまり期待出来ないだろ・・・・」
「LOUDNESS最後のアルバムか?」
「魔界典章以上のアルバムは無理だろう!」
「LOUDNESSはもう限界だろ!」
ロック評論家を始めマスメディアには色んな意見が飛び出た。
僕達はそんな外野の意見は耳に入らなかった。
まったく気にならなかった。
何故なら、出来あがった曲に自信があったから。
その時は暫定的なタイトルだったけれど、”CRAZY DOCTOR” “DREAM FANTASY” "ARES LAMENT” “ESPER”・・・すでに最高の曲が出来あがっていたのだ!
(きっと素晴らしいアルバムになるぞ!)
僕達はアパートで何度もデモテープを聴いて楽曲の細かなことをあれこれ考えた。
各メンバーの激しいやり取りもあった。
タッカンは素晴らしいアイデアに満ち溢れていた。
ひぐっつあんはモチベーションを上げるためのリーダーだった。
マー君は楽曲のアレンジで鋭い指摘をした。
僕は歌詞をまとめるのに必死だった。
LOUDNESSは懸命だった。
LOUDNESSは必死だった。
LOUDNESSは死に物狂いだった。
そしてまさにLOUDNESSは家族だった兄弟だった戦友だった・・・・
そして“撃剣霊化”のレコーディングが始まった。
イギリスはソーホースクエアーにあったアパートでメンバーとの共同生活が始まった。
アパートの目の前にはこぢんまりとした公園があった。

(写真の中央のレンガ色L字になっているビルがそのアパートだったような・・・まさに写真の感じです)
歩いて10分ほどのところに中華マーケットがあって、そこでお米や豆腐などの買出しをした。
みんなで買出しに出かけ、交代で料理をやったりしたなぁ。
朝はひぐっつあんが一番早起きだったと思う。
順番に朝シャンをして朝食を食べた。
食事に関しては外食が主で、中華とカレーとフィッシュ&チップスとマクドナルド以外、はっきり言ってイギリスの料理は口に合わなかった。
何度か伝統的なイギリスの郷土料理のレストランへ連れて行ってもらったけれど・・・・
残念ながら僕達の口には合わなかった。
お昼にはリハスタジオへ行ったり、何も無い時はアパートの近所のストリートへ散策に出かけた。
いつも4人一緒だった。
特にひぐっつあんは買い物が好きで、毎回ストリートへ行く度にブーツを買ったり、革ジャンを買ったり、アクセサリーを買ったり、帰国する時には荷物が大変なことになっていた。
夜にはメンバー全員がリヴィングに集まって、酒を飲みながら音楽を聴き漁ったり、4枚目の新曲を作ったりしたなぁ。
寝るのはだいたい夜中3時ごろだったと思う。
僕は忘れもしない経験をした。
ある日、ストリートで信号待ちしていたら、かなりお年を召したお爺さんが僕に近寄ってきた。
「君は日本人か?」と聞いてきた。
「はい、そうです」
そのお爺さんは物凄い怒りを抑えた形相で、僕に顔を近づけて来てこう言い放った。
「わしは日本人が大嫌いなんだよ!」(I HATE JAPS)
そして僕を睨みつけ立ち去った。
その瞬間、僕は凍りついた。
23年間生きてきて、生まれて初めてダイレクトに人種差別を体験した。
おじいさんとほんの30秒ほどの短いやり取りだったけれど、僕が感じた衝撃は甚大だった。
(きっとあのおじいさんは、先の戦争で日本軍と闘った人なのかもしれないなぁ・・・)
僕はとても複雑な気持ちになった。
その後、イギリスツアーなどでイギリスのメタルファンからかなり手荒い仕打ちを受けたけれど、それ以上に心の暖かい人が多かったので救われた。
こうした色んな経験を通じて、日本国内にいては分からない、世界の中の日本が垣間見ることが出来た。
1983年8月30日 イギリス初ライブ@Greyhound ロンドン・ハマースミス
ついにイギリスのライブの日が来た。
憧れであったイギリスでのライブである。
緊張や不安より、ウキウキ・ワクワク感で一杯だった。
会場はあまり広くないライブハウスだった。
ステージもひぐっつあんのドラムセットを置いたら、僕の立つスペースが殆ど無くなった。
PAもショボイ感じだった。
ステージモニターもあまり役に立つ代物とは思えなかった。
お昼過ぎ、LOUDNESSがサウンドチェックを始めた。
ドラムの音を作り出した途端、ライブハウスのオヤジが飛んできて叫んだ。
「な、なんじゃ~~こりゃ~~~!!う、うるさ~~~~~~~~い!! 音を下げんか~~い!!!!」
この発言に僕達は耳を疑った。
(おいおい俺たちはメタルバンドだぞ、それもLOUDNESSと言う名前までついている音のでかいメタルバンドだぞ!!)
とりあえずライブハウスの親父がうるさいのでリハーサル中は音量を絞った。
本番が始まった。
ドイツや、ベルギー、オランダのような一体感のある物凄い歓声はあまり無かったものの、オーディエンスは始終我々のLOUDNESSのライブに釘付けになっていたようだ。
ステージから見た感じでは、オーディエンスはメタルファンと言うより、メタルをやっているバンドマンが多く来ていたように思う。
実際、ステージからはモーターヘッドやシンリジーやハノイロックスのメンバーの顔が見えたし、かなり多くの有名ミュージシャンが来ていたようだ。
我々はマニアックなミュージシャンの興味の的だったようだ。
そりゃそうだろう、アルバムはまだ出ていない無名のメタルバンドだ、一般のオーディエンスが我々を知る由も無い。
今なら、インターネットと言う文明の利器で、デビュー前から世界中で注目を浴びることは珍しくないけれど。
それにしても、ステージから客席にいる雑誌でしか見たことのないスターの顔を見るのは妙な気分だった。
彼等の出しているオーラが凄いのか、ステージから見ていると目立つのよ!
いよいよライブが始まった。
ギターもベースも音量を普通の大きさに戻した。
我々にとっての普通の大きさだ。
オヤジが再び飛び出てきて頭を抱えながら空を仰いでいた!
その様子を見て、(音は大丈夫やな)と確信した。
1曲1曲進むごとに、クールなオーディエンスはバンドを批評する見方を止め、ライブを一緒に楽しみ始めた。
コブシを上げ、何やら叫んでいた。
彼等にとっては英語以外のメタルナンバーも新鮮だったのかもしれない。
タッカンの前にいた数名のオーディエンスは、タッカンがソロを弾くたびに、わざとタッカンに神を崇めるようなポーズを何度も繰り返した。
それがあまりに可笑しくて僕は歌いながら笑ってしまった。
終演後、シンリジーやハノイロックスのメンバーが挨拶に来てくれた。
そしてなんと伊藤政則さんもライブに来られていた。
「おぉ、みんなぁ~お疲れさん!なんか観ているこっちが緊張したよ。でも良かったな、ライブが評判で!ドイツとかも凄かったんだって?ほんとあちこちで、お前らの噂聞いているヨ、スゲーな!それにしても今日のライブは有名なミュージシャンが観に来ていたなぁ!びっくりだよ!LOUDNESS、ツアーだよ!ツアー!一にも二にもツアーしかないよ。あのアイアンメイデンやサクソン、デフレパードもみんなツアーででかくなった。ツアーのやらないバンドは世界では認められないし勝負できないんだよ。お前等なら出きる、ツアーできっと人気は出るぞ!頑張れよ!」
伊藤さんの激励は嬉しかった。
(ツアーか・・・ツアーってやっぱ大事なんやな)
僕はあまり冷たくない黒ビールを呑みながらライブハウスの外の空を見た。
外はいつの間にか小雨になっていた。
雨に濡れるロンドンの街が綺麗だった。
まるでサー・アーサー・コナン・ドイルのシャーロックホームズ本の挿絵のようだった。
ひぐっつあんもマー君もタッカンも充実した笑顔で幸せそうだった・・・・。
アパートの目の前にはこぢんまりとした公園があった。

(写真の中央のレンガ色L字になっているビルがそのアパートだったような・・・まさに写真の感じです)
歩いて10分ほどのところに中華マーケットがあって、そこでお米や豆腐などの買出しをした。
みんなで買出しに出かけ、交代で料理をやったりしたなぁ。
朝はひぐっつあんが一番早起きだったと思う。
順番に朝シャンをして朝食を食べた。
食事に関しては外食が主で、中華とカレーとフィッシュ&チップスとマクドナルド以外、はっきり言ってイギリスの料理は口に合わなかった。
何度か伝統的なイギリスの郷土料理のレストランへ連れて行ってもらったけれど・・・・
残念ながら僕達の口には合わなかった。
お昼にはリハスタジオへ行ったり、何も無い時はアパートの近所のストリートへ散策に出かけた。
いつも4人一緒だった。
特にひぐっつあんは買い物が好きで、毎回ストリートへ行く度にブーツを買ったり、革ジャンを買ったり、アクセサリーを買ったり、帰国する時には荷物が大変なことになっていた。
夜にはメンバー全員がリヴィングに集まって、酒を飲みながら音楽を聴き漁ったり、4枚目の新曲を作ったりしたなぁ。
寝るのはだいたい夜中3時ごろだったと思う。
僕は忘れもしない経験をした。
ある日、ストリートで信号待ちしていたら、かなりお年を召したお爺さんが僕に近寄ってきた。
「君は日本人か?」と聞いてきた。
「はい、そうです」
そのお爺さんは物凄い怒りを抑えた形相で、僕に顔を近づけて来てこう言い放った。
「わしは日本人が大嫌いなんだよ!」(I HATE JAPS)
そして僕を睨みつけ立ち去った。
その瞬間、僕は凍りついた。
23年間生きてきて、生まれて初めてダイレクトに人種差別を体験した。
おじいさんとほんの30秒ほどの短いやり取りだったけれど、僕が感じた衝撃は甚大だった。
(きっとあのおじいさんは、先の戦争で日本軍と闘った人なのかもしれないなぁ・・・)
僕はとても複雑な気持ちになった。
その後、イギリスツアーなどでイギリスのメタルファンからかなり手荒い仕打ちを受けたけれど、それ以上に心の暖かい人が多かったので救われた。
こうした色んな経験を通じて、日本国内にいては分からない、世界の中の日本が垣間見ることが出来た。
1983年8月30日 イギリス初ライブ@Greyhound ロンドン・ハマースミス
ついにイギリスのライブの日が来た。
憧れであったイギリスでのライブである。
緊張や不安より、ウキウキ・ワクワク感で一杯だった。
会場はあまり広くないライブハウスだった。
ステージもひぐっつあんのドラムセットを置いたら、僕の立つスペースが殆ど無くなった。
PAもショボイ感じだった。
ステージモニターもあまり役に立つ代物とは思えなかった。
お昼過ぎ、LOUDNESSがサウンドチェックを始めた。
ドラムの音を作り出した途端、ライブハウスのオヤジが飛んできて叫んだ。
「な、なんじゃ~~こりゃ~~~!!う、うるさ~~~~~~~~い!! 音を下げんか~~い!!!!」
この発言に僕達は耳を疑った。
(おいおい俺たちはメタルバンドだぞ、それもLOUDNESSと言う名前までついている音のでかいメタルバンドだぞ!!)
とりあえずライブハウスの親父がうるさいのでリハーサル中は音量を絞った。
本番が始まった。
ドイツや、ベルギー、オランダのような一体感のある物凄い歓声はあまり無かったものの、オーディエンスは始終我々のLOUDNESSのライブに釘付けになっていたようだ。
ステージから見た感じでは、オーディエンスはメタルファンと言うより、メタルをやっているバンドマンが多く来ていたように思う。
実際、ステージからはモーターヘッドやシンリジーやハノイロックスのメンバーの顔が見えたし、かなり多くの有名ミュージシャンが来ていたようだ。
我々はマニアックなミュージシャンの興味の的だったようだ。
そりゃそうだろう、アルバムはまだ出ていない無名のメタルバンドだ、一般のオーディエンスが我々を知る由も無い。
今なら、インターネットと言う文明の利器で、デビュー前から世界中で注目を浴びることは珍しくないけれど。
それにしても、ステージから客席にいる雑誌でしか見たことのないスターの顔を見るのは妙な気分だった。
彼等の出しているオーラが凄いのか、ステージから見ていると目立つのよ!
いよいよライブが始まった。
ギターもベースも音量を普通の大きさに戻した。
我々にとっての普通の大きさだ。
オヤジが再び飛び出てきて頭を抱えながら空を仰いでいた!
その様子を見て、(音は大丈夫やな)と確信した。
1曲1曲進むごとに、クールなオーディエンスはバンドを批評する見方を止め、ライブを一緒に楽しみ始めた。
コブシを上げ、何やら叫んでいた。
彼等にとっては英語以外のメタルナンバーも新鮮だったのかもしれない。
タッカンの前にいた数名のオーディエンスは、タッカンがソロを弾くたびに、わざとタッカンに神を崇めるようなポーズを何度も繰り返した。
それがあまりに可笑しくて僕は歌いながら笑ってしまった。
終演後、シンリジーやハノイロックスのメンバーが挨拶に来てくれた。
そしてなんと伊藤政則さんもライブに来られていた。
「おぉ、みんなぁ~お疲れさん!なんか観ているこっちが緊張したよ。でも良かったな、ライブが評判で!ドイツとかも凄かったんだって?ほんとあちこちで、お前らの噂聞いているヨ、スゲーな!それにしても今日のライブは有名なミュージシャンが観に来ていたなぁ!びっくりだよ!LOUDNESS、ツアーだよ!ツアー!一にも二にもツアーしかないよ。あのアイアンメイデンやサクソン、デフレパードもみんなツアーででかくなった。ツアーのやらないバンドは世界では認められないし勝負できないんだよ。お前等なら出きる、ツアーできっと人気は出るぞ!頑張れよ!」
伊藤さんの激励は嬉しかった。
(ツアーか・・・ツアーってやっぱ大事なんやな)
僕はあまり冷たくない黒ビールを呑みながらライブハウスの外の空を見た。
外はいつの間にか小雨になっていた。
雨に濡れるロンドンの街が綺麗だった。
まるでサー・アーサー・コナン・ドイルのシャーロックホームズ本の挿絵のようだった。
ひぐっつあんもマー君もタッカンも充実した笑顔で幸せそうだった・・・・。
8月19日のアムステルダムはパラディソのライブ後、8月20日にドイツはベートーヴェンの街ボン、8月21日にはベルギーはヘイローでライブをやった。
ドイツでも熱狂的なファンに迎えられた。
会場の周辺には、相当高価であるはずのLOUDNESSの輸入レコードを数枚抱えて、サインをねだるファンがあちこちにいた。
オランダのファン同様、ドイツのメタルファンも筋金入りのメタルファンでちょっと怖い感じがした。
僕が喋ったドイツ人の英語には物凄い訛りがあったけれど、僕達はお互い単語を並べるだけで何とかコミュニケーションが出来た。
前座のバンドの人達とも会話らしきことを試みたけれど、彼等は殆ど英語を話せなかったので、結局訳も分からずただ笑顔を振りまくしかなかった・・・。
現地のスタッフに聞いたところ、ドイツ人には英語を話せない人もそこそこいるらしい。
高等教育を受けた人はほぼ間違いなく英語は理解できるけれど、そうでない人は英語はダメらしい。
ドイツ、ベルギーのライブをやって「ヨーロッパでもっとライブをやるべきだ」と実感した。
(LOUDNESSはヨーロッパでアルバムが正式リリースされていないのに、これほど熱心なファンがいるのだから・・・。)
ドイツとベルギーのライブが無事終わり、LOUDNESSはイギリスのロンドンへ向かった。
イギリスへ飛び立つ日、LOUDNESSの追っかけ少年達が空港まで見送りに来ていた。
「絶対にライブをやりに戻って来てね!僕達は待っているよ!」
彼等の真剣で熱意のある応援に心打たれた。
少なくとも実際交流を持ったドイツ、ベルギー、オランダのファン達は素晴らしいと思った。
そう言えば、ドイツライブの時にはイタリア、フランスからも観に来ているファンがチラホラいて、彼等も熱心に「僕達の国にも絶対にライブに来て欲しい!沢山のファンが待っているよ!」と叫んでいた。
(ロックは言葉や人種の壁を越え世界を一つにする。)
そんなことを考えながら、ロックを仕事にして良かったと思った。
飛行機の窓から霧に包まれたイギリスの街が見えたとき、思わず「おぉ!!!」と叫んでしまった。
タッカンも「おぉ!!ついに来たな~~~~!!!!イングランド!!!ロンドン!!!」と嬉しそうだった。
ひぐっつあんも「ディープパープルはどこや?イアンペースはどこや?」と笑っていた。
マー君も「クリススクワイヤーはどこや?ポールマッカートニーはどこや?」と窓の外を凝視していた。
ついに・・・ついに、僕の憧れのミュージシャン達が産まれた国に来た。
ビートルズ、ピンクフロイド、レッドツェッペリン・・・
中学生の頃、友人から買ったLPレコードのことを思い出した。
ビールズの映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「LET IT BE」を思い出した。
僕は、あの映画に出てきた町並みを目の前にして「今、ポールマッカートニーと同じ空気を吸っているんや~~~!!!」とわけの分からんことを口走っていた。
LOUDNESSにとって、イギリスは特に思い入れの強い国であったのだ。
僕達は間違いなくブリティッシュロックの洗礼を受けて育ったのだ。
僕達のお師匠さん達が住んでいる国に来たのだ、興奮して当然であった。
滞在中のロンドンは想像通りだった。
結局、快晴の日は数えるほどしかなく、殆ど毎日が曇り空でどんよりしていたのだ。
住宅街は映画「小さな恋のメロディー」に出てくる町並みそのもので、どこからか「トレーシーハイド」や「マークレスター」が現れるのではないかと期待した。

僕達はロンドンの中心部にある4LDKのフラット(アパート)を借りてメンバーとローディー達とで共同生活を始めた。
僕はひぐっつあんと同じ部屋だった。(と思う・・・)
小さなベッドが二つあって、アンティークな家具が置いてあった。
まるでおとぎ話に出てくるようなロマンチックな部屋だった。
キッチンもあって、皆で炊事をした。
そう言えば、誰かがお皿の洗い物をやった後、しっかり水道の蛇口を閉めなかったため、水が溢れてしまいキッチンが水浸しになったなぁ・・・。
それで下の階の人が凄い剣幕で早朝怒鳴り込んできたなぁ・・・。
下はオフィスだったらしく、書類がすべてオジャンになったとか・・・。
そう言えば、カレーを食べたいと言うことで近所のスーパーへトリ肉を買いに行ったなぁ・・・。
どう言う訳か、頭もすべてついたまま羽をむしっただけのトリしかなくて(それが普通なのか?)、調理する時に誰がそのトリの首をはねるかで大揉めに揉めたなぁ・・・。
メンバーは誰もトリの首をはねる勇気が無くて、ローディーのO君が首をはねることになったなぁ・・・・。
まな板の上にトリをのせてO君は「フンギャ~~~!!ウォ~~~オエェ~~~!!」と絶叫しながら目隠しをして包丁を下ろし首をはねたなぁ・・・。
昨日のことのように覚えているなぁ・・・・。
ロンドンについて数日、ライブのリハーサルをやることになった。
フラットからタクシーでリハーサルスタジオまで行った。
イギリス特有のタクシーで楽しかった。

リハーサルスタジオはロンドンから少し離れたちょっと物騒な感じのところにあった。
町の名前とかまったく覚えていないけれど、町はゴミで荒れ果てた印象。
スタジオもボロボロの倉庫を改装した感じだった。
他のスタジオから漏れてくる音の大きさから、スタジオなのに防音は殆どしていないのがすぐに分かった。
リハーサルの休憩中、隣のスタジオを何気に覗いたらゲーリームーアがリハーサルしていた!
これにはタッカンさすがに驚いていた。
数日リハーサルをやっていたけれど、ギョッとするような有名アーティストが沢山リハーサルをやっていて驚いた。
ロンドンの町をブラブラしていると、バスの停留所から僕達に手を振る超派手なロック集団がいた。
タッカンが「誰や?あいつら?知り合いか?」と言っていると、ひぐっつあんが「あれハノイロックスちゃうんか?」と言った。
マー君が「あ!ほんまや、手を振っているの、あれマイケルモンローやん!」と教えてくれた。
マー君はハノイロックのファンだったので嬉しそうだった。
次の日、取材で行ったラジオ局の駐車場でロングヘアーの格好良いお兄ちゃんに声をかけられた。
「やぁ!君はLOUDNESSのシンガーだろ?」
「あっ、は、はい、そうですが・・」
「やぁ!始めましてジョーイ ディマイオと言います」
「はぁ・・・」(誰やろこの人・・・・)
「マノウォでベースやってるんだ、今度LOUDNESSと一緒にツアーやろうよ!」
「あっ、はっ、はい・・・是非その時はよろしくお願いします」(・・・って誰やろこの人・・・・)
「僕もプロモーションで一昨日ニューヨークから来たばかりなんだ!」
「あぁ~そ、そうですか!た、大変ですね・・・」(いったい誰やろこの人・・)
フラットに帰ってメンバーに「ジョーイ ディマイオって知ってる?マノウォって知ってる?」って聞いた。
マー君が鼻血を出しながら「マ!マノウォ!!!!!????嘘やん!!俺大ファンやがな!!!」
ロンドンは憧れのロックミュージシャンで溢れかえっていた!
ドイツでも熱狂的なファンに迎えられた。
会場の周辺には、相当高価であるはずのLOUDNESSの輸入レコードを数枚抱えて、サインをねだるファンがあちこちにいた。
オランダのファン同様、ドイツのメタルファンも筋金入りのメタルファンでちょっと怖い感じがした。
僕が喋ったドイツ人の英語には物凄い訛りがあったけれど、僕達はお互い単語を並べるだけで何とかコミュニケーションが出来た。
前座のバンドの人達とも会話らしきことを試みたけれど、彼等は殆ど英語を話せなかったので、結局訳も分からずただ笑顔を振りまくしかなかった・・・。
現地のスタッフに聞いたところ、ドイツ人には英語を話せない人もそこそこいるらしい。
高等教育を受けた人はほぼ間違いなく英語は理解できるけれど、そうでない人は英語はダメらしい。
ドイツ、ベルギーのライブをやって「ヨーロッパでもっとライブをやるべきだ」と実感した。
(LOUDNESSはヨーロッパでアルバムが正式リリースされていないのに、これほど熱心なファンがいるのだから・・・。)
ドイツとベルギーのライブが無事終わり、LOUDNESSはイギリスのロンドンへ向かった。
イギリスへ飛び立つ日、LOUDNESSの追っかけ少年達が空港まで見送りに来ていた。
「絶対にライブをやりに戻って来てね!僕達は待っているよ!」
彼等の真剣で熱意のある応援に心打たれた。
少なくとも実際交流を持ったドイツ、ベルギー、オランダのファン達は素晴らしいと思った。
そう言えば、ドイツライブの時にはイタリア、フランスからも観に来ているファンがチラホラいて、彼等も熱心に「僕達の国にも絶対にライブに来て欲しい!沢山のファンが待っているよ!」と叫んでいた。
(ロックは言葉や人種の壁を越え世界を一つにする。)
そんなことを考えながら、ロックを仕事にして良かったと思った。
飛行機の窓から霧に包まれたイギリスの街が見えたとき、思わず「おぉ!!!」と叫んでしまった。
タッカンも「おぉ!!ついに来たな~~~~!!!!イングランド!!!ロンドン!!!」と嬉しそうだった。
ひぐっつあんも「ディープパープルはどこや?イアンペースはどこや?」と笑っていた。
マー君も「クリススクワイヤーはどこや?ポールマッカートニーはどこや?」と窓の外を凝視していた。
ついに・・・ついに、僕の憧れのミュージシャン達が産まれた国に来た。
ビートルズ、ピンクフロイド、レッドツェッペリン・・・
中学生の頃、友人から買ったLPレコードのことを思い出した。
ビールズの映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「LET IT BE」を思い出した。
僕は、あの映画に出てきた町並みを目の前にして「今、ポールマッカートニーと同じ空気を吸っているんや~~~!!!」とわけの分からんことを口走っていた。
LOUDNESSにとって、イギリスは特に思い入れの強い国であったのだ。
僕達は間違いなくブリティッシュロックの洗礼を受けて育ったのだ。
僕達のお師匠さん達が住んでいる国に来たのだ、興奮して当然であった。
滞在中のロンドンは想像通りだった。
結局、快晴の日は数えるほどしかなく、殆ど毎日が曇り空でどんよりしていたのだ。
住宅街は映画「小さな恋のメロディー」に出てくる町並みそのもので、どこからか「トレーシーハイド」や「マークレスター」が現れるのではないかと期待した。

僕達はロンドンの中心部にある4LDKのフラット(アパート)を借りてメンバーとローディー達とで共同生活を始めた。
僕はひぐっつあんと同じ部屋だった。(と思う・・・)
小さなベッドが二つあって、アンティークな家具が置いてあった。
まるでおとぎ話に出てくるようなロマンチックな部屋だった。
キッチンもあって、皆で炊事をした。
そう言えば、誰かがお皿の洗い物をやった後、しっかり水道の蛇口を閉めなかったため、水が溢れてしまいキッチンが水浸しになったなぁ・・・。
それで下の階の人が凄い剣幕で早朝怒鳴り込んできたなぁ・・・。
下はオフィスだったらしく、書類がすべてオジャンになったとか・・・。
そう言えば、カレーを食べたいと言うことで近所のスーパーへトリ肉を買いに行ったなぁ・・・。
どう言う訳か、頭もすべてついたまま羽をむしっただけのトリしかなくて(それが普通なのか?)、調理する時に誰がそのトリの首をはねるかで大揉めに揉めたなぁ・・・。
メンバーは誰もトリの首をはねる勇気が無くて、ローディーのO君が首をはねることになったなぁ・・・・。
まな板の上にトリをのせてO君は「フンギャ~~~!!ウォ~~~オエェ~~~!!」と絶叫しながら目隠しをして包丁を下ろし首をはねたなぁ・・・。
昨日のことのように覚えているなぁ・・・・。
ロンドンについて数日、ライブのリハーサルをやることになった。
フラットからタクシーでリハーサルスタジオまで行った。
イギリス特有のタクシーで楽しかった。

リハーサルスタジオはロンドンから少し離れたちょっと物騒な感じのところにあった。
町の名前とかまったく覚えていないけれど、町はゴミで荒れ果てた印象。
スタジオもボロボロの倉庫を改装した感じだった。
他のスタジオから漏れてくる音の大きさから、スタジオなのに防音は殆どしていないのがすぐに分かった。
リハーサルの休憩中、隣のスタジオを何気に覗いたらゲーリームーアがリハーサルしていた!
これにはタッカンさすがに驚いていた。
数日リハーサルをやっていたけれど、ギョッとするような有名アーティストが沢山リハーサルをやっていて驚いた。
ロンドンの町をブラブラしていると、バスの停留所から僕達に手を振る超派手なロック集団がいた。
タッカンが「誰や?あいつら?知り合いか?」と言っていると、ひぐっつあんが「あれハノイロックスちゃうんか?」と言った。
マー君が「あ!ほんまや、手を振っているの、あれマイケルモンローやん!」と教えてくれた。
マー君はハノイロックのファンだったので嬉しそうだった。
次の日、取材で行ったラジオ局の駐車場でロングヘアーの格好良いお兄ちゃんに声をかけられた。
「やぁ!君はLOUDNESSのシンガーだろ?」
「あっ、は、はい、そうですが・・」
「やぁ!始めましてジョーイ ディマイオと言います」
「はぁ・・・」(誰やろこの人・・・・)
「マノウォでベースやってるんだ、今度LOUDNESSと一緒にツアーやろうよ!」
「あっ、はっ、はい・・・是非その時はよろしくお願いします」(・・・って誰やろこの人・・・・)
「僕もプロモーションで一昨日ニューヨークから来たばかりなんだ!」
「あぁ~そ、そうですか!た、大変ですね・・・」(いったい誰やろこの人・・)
フラットに帰ってメンバーに「ジョーイ ディマイオって知ってる?マノウォって知ってる?」って聞いた。
マー君が鼻血を出しながら「マ!マノウォ!!!!!????嘘やん!!俺大ファンやがな!!!」
ロンドンは憧れのロックミュージシャンで溢れかえっていた!
本日も、全身全霊込めて、雄叫びます。
天まで届けみんなの歌声!!

今日ライブに来られる方、よろしくね!
今日来れない方、来年はあなたの街へ行きますよから、その時よろしくね!
沢山の素晴らしいメッセージ本当にありがとう・・・・。
一生分の涙が出たかもしれんよ。
R&R CRAZY NIGHT!!!!!
天まで届けみんなの歌声!!

今日ライブに来られる方、よろしくね!
今日来れない方、来年はあなたの街へ行きますよから、その時よろしくね!
沢山の素晴らしいメッセージ本当にありがとう・・・・。
一生分の涙が出たかもしれんよ。
R&R CRAZY NIGHT!!!!!
ひぐっつあんは寝ているような安らかな顔でした。
ひぐっつあんのご家族、ご親族、愛する人達に見送られて旅立ちました。
昨日の夜、大阪から東京に戻ってきて皆さんのコメントを読ませてもらいました。
涙なくして読めませんでしたわ・・・・
久しぶりに夜中号泣しましたわ!
みなさんの気持ちはひぐっつあんに充分伝わっていると思います。
月並みですが、これからもひぐっつあんが生きたように、自分の人生を思いっきり駆け抜けたいと思います。
最後の最後まで生き抜きたいと思います。
みんな、本当にありがとうね。
6日はLOUDNESSのライブをやります。
ライブが終わったらやっと時間が出来ますので、引き続き「R&R GYPSY LOUDNESS歴史物」再開しますわ♪
お楽しみに!
ひぐっつあんのご家族、ご親族、愛する人達に見送られて旅立ちました。
昨日の夜、大阪から東京に戻ってきて皆さんのコメントを読ませてもらいました。
涙なくして読めませんでしたわ・・・・
久しぶりに夜中号泣しましたわ!
みなさんの気持ちはひぐっつあんに充分伝わっていると思います。
月並みですが、これからもひぐっつあんが生きたように、自分の人生を思いっきり駆け抜けたいと思います。
最後の最後まで生き抜きたいと思います。
みんな、本当にありがとうね。
6日はLOUDNESSのライブをやります。
ライブが終わったらやっと時間が出来ますので、引き続き「R&R GYPSY LOUDNESS歴史物」再開しますわ♪
お楽しみに!
昨日、ひぐっつあんが旅立ちました。
ほんま寂しいです・・・・。
沢山のメールいただきました。
コメントもありがとう。
みんなありがとう。
ほんま寂しいです・・・・。
沢山のメールいただきました。
コメントもありがとう。
みんなありがとう。
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