投稿が遅くなってすみません!
バタバタと日々野暮用に追われておりました・・・・。
では、ど~ぞ~♪
*********************
ステージへ向かう階段を登っていると、オーディエンスの大合唱の歌声がどんどんはっきりと聞こえてきた。
ステージの袖に立って会場を見てみると、まだ客電は付いたままだった。
鈴なり状態のオーディエンスが高々と腕を上げて大合唱をしながらLOUDNESSを待っていた。
この曲名不明のオーディエンスの大合唱が完璧に一つになってピークを迎えた時、客電が消えLOUDNESSのオープニングSEが流れた。
物凄い歓声と共に手拍子と足踏みが同時に鳴り響いた。
あたかも「LOUDNESSよ早く出て来い!!」と迫っているようだった。
その独特な雰囲気を見てタッカンが笑った。
「なんじゃ~こりゃ~~!いつもこんなん感じなんか?」
会場の異様な盛り上がりの雰囲気に、僕は全身に血が沸き立つのを覚えた。
ステージの照明はがんがんオーディエンスを煽っている。
オープニングSEにオーディエンスは手拍子をしながら”Wow!Wow!”と叫んでいる。
LOUDNESSがゆっくりとステージに現すや怒涛の歓声が響き渡り、再びあの大合唱が始まった!
(このオーディエンスの大合唱が終わるのを待つべきなのか?)
この反応にどう対応すれば良いのか・・・メンバーは少し困った。
タッカン、マー君、ひぐっつあん、そして僕は腕を上げてオーディエンスに応えた。
大合唱がいつの間にか“LOUDNESS”コールに変わった。
タッカンの“In the mirror”のイントロが流れた瞬間、LOUDNESSが会場を完全支配した。
サウンドチェックではいささか残響音が酷いと思っていたが、本番ではお客さんの体がすべての不快な音を吸収してくれたのでシャープでラウドなサウンドになった。
タッカンのリフはまさに剃刀のようにザクザクとオーディエンスの中に切り込み、ひぐっつあんは怒髪天を衝くラウドドラムでオランダのメタルキッズを揺さぶった。
マー君のゴリゴリした重低音グルーブがステンドグラスを直撃して破壊しそうだった。
LOUDNESSのサウンドを全身に感じながら僕は会場を見渡した。
(ありゃりゃ・・・オーディエンスの目が点になっているがなぁ・・・・)
その状況を見た僕は思わず噴出しそうになった。
僕はアメリカで同じような状況を経験しているので少し余裕があった。
彼等にとっては初めての東洋人ロックバンド、日本人のヘビーメタルバンドであろう。
ある意味ちょっとしたカルチャーショックを感じているようだった。
“OH~~~~~~YEAH~~~~~~~~!!!!!”
僕が力の限り思いっきりシャウトした途端、オーディエンスは目が覚め我に返ったようだ。
彼等は”Wow!!!!”と絶叫したかと思うと、生まれ変わったように激しく頭を振り、こぶしを上げた。
LOUDNESSのスピードチューンとオーディエンンスが一つになった。
日本語の歌だけれど、彼等にはまったく関係無いようだった。
僕は会場に響き渡る自分の声が凄まじいエネルギーを放っているのを実感した。
楽曲アレンジの要所要所の決めパートが決まるたびにオーディエンスが反応した。
まるで映画のワンシーンを観ているような素晴らしい光景だった。
タッカンのソロがまるで火炎放射器のように火を噴いているようだ。
タッカンの表情は鬼気迫る怖いほどのパワーを発していた。
最前列にいるオーディエンスはその神技に凍りついているようだ。
ギターソロを弾くタッカンは闘っている戦士のようだった。
日本から来たこのニューギターヒーローに、オランダのオーディエンスは陶酔しているようだ。
何百回とステージの上でこのギターソロを傍らで聴いてきたけれど、この日のタッカンは正真正銘のスーパーギターヒーローだった。
この瞬間にもタッカンは一回りも二回りも大きく成長進化している。
いやタッカンだけではなかった、ひぐっつあんもマー君も世界レベルの貫禄と唯一無二のミュージシャン魂をギラギラと輝かせていた。
(わぁ~LOUDNESSが、す、凄いことになってんぞ!!!)
僕は鳥肌が立ち感動した。
ステージの汗がオーディエンスの歓声が栄養となりミュージシャンをどんどん育てるのだ。
ロックミュージシャンはライブをして「なんぼ」である。
ロックのライブはまさに人の魂と魂との交わりであり、そしてあたかも新たな命が芽生えるようにミュージシャンを成長させる。
稲妻のような”In the mirror”はオーディエンスの心をわしづかみした。
1曲目のエンディングと共に会場は爆発した。
その余韻に浸るまもなく、ひぐっつあんの凄まじいドラムプレイを合図に2曲目の“ロンリープレイヤー”に突入した。
この曲も”In the mirror”に負けないぐらいのスピード感たっぷりのナンバーだ。
曲の冒頭からHiEの高音が連発するのだが、バンドが作り出す轟音バッキングにはこれぐらいがちょうど良い。
曲の展開はジェットコースターのように駆け巡る。
ある意味とても日本的なこの曲のメロディーや楽曲アレンジが、オランダ人オーディエンスには新鮮なようだ。
残念ながら彼等にはこの歌詞の内容は理解不能ではあっても、サウンドに身を任せ心地よいようだ。
まさかこの日本人メタルヴォーカリストが青筋を立てて叫んでいる歌詞の内容が、「すでに花びら甘く濡れ・・・」などと言う3文エロ映画のような内容だとは思いもつかんだろうけど・・・。
ライブの時間の流れと共に、会場には笑顔が溢れた。
みんなが楽しんでいる。
これこそがロックのライブである。
言葉なんて関係ないのだ。
ミッシェルとの恋愛と同じだ、気持ちは言葉が無くとも通じるのだ。
僕はステージをやりながらどう言う訳かシャラと初めて会った日を思い出した。
そして初めてタッカンと会った日も思い出した。
素晴らしい出会いがあり宝石のような日々を過ごし、そして今僕はこのアムステルダムのステージに立ってオーディエンスと汗をかいている。
僕は夢を見ているような感覚になった。
どうかこれが夢ならずっと覚めないで欲しいと思った・・・。
バタバタと日々野暮用に追われておりました・・・・。
では、ど~ぞ~♪
*********************
ステージへ向かう階段を登っていると、オーディエンスの大合唱の歌声がどんどんはっきりと聞こえてきた。
ステージの袖に立って会場を見てみると、まだ客電は付いたままだった。
鈴なり状態のオーディエンスが高々と腕を上げて大合唱をしながらLOUDNESSを待っていた。
この曲名不明のオーディエンスの大合唱が完璧に一つになってピークを迎えた時、客電が消えLOUDNESSのオープニングSEが流れた。
物凄い歓声と共に手拍子と足踏みが同時に鳴り響いた。
あたかも「LOUDNESSよ早く出て来い!!」と迫っているようだった。
その独特な雰囲気を見てタッカンが笑った。
「なんじゃ~こりゃ~~!いつもこんなん感じなんか?」
会場の異様な盛り上がりの雰囲気に、僕は全身に血が沸き立つのを覚えた。
ステージの照明はがんがんオーディエンスを煽っている。
オープニングSEにオーディエンスは手拍子をしながら”Wow!Wow!”と叫んでいる。
LOUDNESSがゆっくりとステージに現すや怒涛の歓声が響き渡り、再びあの大合唱が始まった!
(このオーディエンスの大合唱が終わるのを待つべきなのか?)
この反応にどう対応すれば良いのか・・・メンバーは少し困った。
タッカン、マー君、ひぐっつあん、そして僕は腕を上げてオーディエンスに応えた。
大合唱がいつの間にか“LOUDNESS”コールに変わった。
タッカンの“In the mirror”のイントロが流れた瞬間、LOUDNESSが会場を完全支配した。
サウンドチェックではいささか残響音が酷いと思っていたが、本番ではお客さんの体がすべての不快な音を吸収してくれたのでシャープでラウドなサウンドになった。
タッカンのリフはまさに剃刀のようにザクザクとオーディエンスの中に切り込み、ひぐっつあんは怒髪天を衝くラウドドラムでオランダのメタルキッズを揺さぶった。
マー君のゴリゴリした重低音グルーブがステンドグラスを直撃して破壊しそうだった。
LOUDNESSのサウンドを全身に感じながら僕は会場を見渡した。
(ありゃりゃ・・・オーディエンスの目が点になっているがなぁ・・・・)
その状況を見た僕は思わず噴出しそうになった。
僕はアメリカで同じような状況を経験しているので少し余裕があった。
彼等にとっては初めての東洋人ロックバンド、日本人のヘビーメタルバンドであろう。
ある意味ちょっとしたカルチャーショックを感じているようだった。
“OH~~~~~~YEAH~~~~~~~~!!!!!”
僕が力の限り思いっきりシャウトした途端、オーディエンスは目が覚め我に返ったようだ。
彼等は”Wow!!!!”と絶叫したかと思うと、生まれ変わったように激しく頭を振り、こぶしを上げた。
LOUDNESSのスピードチューンとオーディエンンスが一つになった。
日本語の歌だけれど、彼等にはまったく関係無いようだった。
僕は会場に響き渡る自分の声が凄まじいエネルギーを放っているのを実感した。
楽曲アレンジの要所要所の決めパートが決まるたびにオーディエンスが反応した。
まるで映画のワンシーンを観ているような素晴らしい光景だった。
タッカンのソロがまるで火炎放射器のように火を噴いているようだ。
タッカンの表情は鬼気迫る怖いほどのパワーを発していた。
最前列にいるオーディエンスはその神技に凍りついているようだ。
ギターソロを弾くタッカンは闘っている戦士のようだった。
日本から来たこのニューギターヒーローに、オランダのオーディエンスは陶酔しているようだ。
何百回とステージの上でこのギターソロを傍らで聴いてきたけれど、この日のタッカンは正真正銘のスーパーギターヒーローだった。
この瞬間にもタッカンは一回りも二回りも大きく成長進化している。
いやタッカンだけではなかった、ひぐっつあんもマー君も世界レベルの貫禄と唯一無二のミュージシャン魂をギラギラと輝かせていた。
(わぁ~LOUDNESSが、す、凄いことになってんぞ!!!)
僕は鳥肌が立ち感動した。
ステージの汗がオーディエンスの歓声が栄養となりミュージシャンをどんどん育てるのだ。
ロックミュージシャンはライブをして「なんぼ」である。
ロックのライブはまさに人の魂と魂との交わりであり、そしてあたかも新たな命が芽生えるようにミュージシャンを成長させる。
稲妻のような”In the mirror”はオーディエンスの心をわしづかみした。
1曲目のエンディングと共に会場は爆発した。
その余韻に浸るまもなく、ひぐっつあんの凄まじいドラムプレイを合図に2曲目の“ロンリープレイヤー”に突入した。
この曲も”In the mirror”に負けないぐらいのスピード感たっぷりのナンバーだ。
曲の冒頭からHiEの高音が連発するのだが、バンドが作り出す轟音バッキングにはこれぐらいがちょうど良い。
曲の展開はジェットコースターのように駆け巡る。
ある意味とても日本的なこの曲のメロディーや楽曲アレンジが、オランダ人オーディエンスには新鮮なようだ。
残念ながら彼等にはこの歌詞の内容は理解不能ではあっても、サウンドに身を任せ心地よいようだ。
まさかこの日本人メタルヴォーカリストが青筋を立てて叫んでいる歌詞の内容が、「すでに花びら甘く濡れ・・・」などと言う3文エロ映画のような内容だとは思いもつかんだろうけど・・・。
ライブの時間の流れと共に、会場には笑顔が溢れた。
みんなが楽しんでいる。
これこそがロックのライブである。
言葉なんて関係ないのだ。
ミッシェルとの恋愛と同じだ、気持ちは言葉が無くとも通じるのだ。
僕はステージをやりながらどう言う訳かシャラと初めて会った日を思い出した。
そして初めてタッカンと会った日も思い出した。
素晴らしい出会いがあり宝石のような日々を過ごし、そして今僕はこのアムステルダムのステージに立ってオーディエンスと汗をかいている。
僕は夢を見ているような感覚になった。
どうかこれが夢ならずっと覚めないで欲しいと思った・・・。
翌朝、キラキラと眩しい太陽を浴びながら、晴天のアムステルダムの街を散策。
街の空気がとってもしっとりと落ち着いている。
同行している雑誌のフォトセッションも交えての散策だった。

小さな観光用のボートに乗ってアムステルダム運河を巡ったりした。

本当に街の風景がデズニーワールドであった。

この初ヨーロッパ公演以降、北米ツアー、ヨーロッパツアーなどで色んな国の市町村に行くことになるのだけど、結局しっかり観光らしいことをしたのはこのアムステルダムの時だけだった。
ワールドツアー中のオフ日は移動の疲労やドンチャン騒ぎの二日酔いでホテルのベッドで寝ることが多かった。
クレイジーなR&Rバンドそのままである。
それにしても、オランダ人の背の高さには驚いた。
男性は平均で180cmはありそうだ。女性は170cm前後という感じか?
身長の差を痛感したのはトイレである。
僕は165cmなんだけど、用を足す時に若干背伸びをしないと僕のオティンティンが便器に触れてしまいそうだった。
アムステルダムでは古城を巡り、教会を巡り、異国情緒をたっぷり満喫して楽しかった。

このヨーロッパの伝統的な古城を見ていると、あまりにヘビーメタルの持つイメージにぴったりで、ヘビーメタルはヨーロッパのものであると納得。
だって、街の空気が、雰囲気が伊藤正則氏のライナーノーツで描くヘビーメタル(どんなんや?)しているんだもんあぁ~(笑)。
若者はみんなヘビーメタルファンなのか?
勿論、そんなことはある訳無いけど・・・。
1983年8月19日 オランダ@PARADISO
この日はLOUDNESSとして初めてのヨーロッパでのライブだった。
会場はもともと教会だったそうだ。(と言っていたような・・・)
ステンドグラスがバルコニー席にあり、メタルライブをやるにはいささか荘厳すぎる会場だった。
きっと弦楽四重奏などを聴けば最高かもしれない。
会場に入ると夏だと言うのに、ヒンヤリとした空気と幾分カビっぽい匂いがした。
地元のスタッフと日本人スタッフが入り混じり楽器セッティングやサウンドチェックが進む。
日本とヨーロッパでは電圧の違いがあるのだが、ヨーロッパではマーシャルの鳴りが凄い。
タッカンが「これやんけ!!」と言ってこのマーシャルの音に聞き惚れていた。
会場は音楽用に作られた会場ではないせいもあり、ヘビーメタルのような爆音を出すとワンワンと響き渡り凄まじい音の洪水である。
ライブにはこの方がむしろ良いのかもしれない。
オランダのオーディエンスがいったいどんなノリでライブを楽しむのか皆目想像が付かないが、イメージ的にはこのぐらいうるさい方がヨーロッパのメタルファンの歓声に負けない気がする。
結果から書くと、その思惑は大当たりだった。
オランダのメタル野郎は野獣であった・・・・。

サウンドチェックを終えて食事に出るため外にでた。
(ふんぎゃ~~!!なんじゃ~~~こいつら!!!)
外はゴリゴリのメタルファンッション、いやこれはファッションではない、この人たちの生き方そのものなのかも知れないが、年季の入ったボロボロで鋲の付いた革ジャン(背中には”SAXON” “METALICA” “MOTOR HEAD"と言ったバンドのロゴをあしらっていた)を着た人があちこちにいた。
油でぎっとりとした金髪の長髪に髭、細いジーンスにどう言う訳か靴下の中にジーンズの裾を入れていた。
皆背が高く、恐ろしいほどに足が長い。
彼等の多くが、肌は透き通るような白で、目が吸い込まれそうなブルーだった。
少女マンガに出てくるような格好の良いルックスのメタル野郎達だった。
ただ、カリフォルニアのメタル野郎のような人懐こい、友好的な雰囲気はあまり感じなかった。
どちらかと言えば、若干クールと言うのか、彼等の外の表情からは何を考えているのか判断しかねた。
良く海外の人が日本人の表情は分かりにくいと言うが、お互い様ではないかと思った。
恐らく、彼等としても東洋人のロックバンドなんて会ったことも無かっただろうし、どう対応してよいのか分からないのだろう・・・。
それでも数人のゴリゴリのメタルファンと思われる人がサインをくれと言ってきた。
僕が拙い英語で喋ったら、以外にも外見からは想像もつかないほどの純朴で素直で人の良い感じを受けた。
人は外見だけで判断するのは良くないと改めて思った。
そしてとても訛りのある英語で「ルードネス!!遠いところまで良く来てくれたね!」と言ってくれた。
ちなみに、この時初めて英語にも訛りがあることを知った。
耳に入ってきたオランダ人の英語は米語のアクセントと明らかに違ったのだ。
あんなに英語が不得意だった僕が、英語のアクセントの違いを聞き分けられたのは物凄い成長である!!
会場の外で見るオランダのメタルファンとカリフォルニアのメタルファンとを比べると、オランダのメタルファンは物静かであり、なんだか厳しい批評家の面持ちだ。
結局、オランダ、ドイツ、ベルギー、ノルウエー、イギリスのメタルファンはみな同じような雰囲気を持っていることが分かった。
フランス、イタリア、スペインのラテン系のメタルファンはちょっと違った感じでもあった。
とは言うものの、愛するものは皆同じなのである。
世界各国のメタルファンの愛し方の表現は違っていても、皆メタルを愛しているのだ。
そう言うことを目の当たりに出来ただけでも素晴らしい経験であったと思う。
夜、オランダのPARADISOには既に入りきれないほどの生粋のヨーロッパメタルファンのオーディエンスで埋まった。
地下にある楽屋にいると会場の雰囲気が手に取るようにわかる。
僕はサッカーファンでなかったけど、テレビで見るヨーロッパチームのサッカーの試合前や中に時折起こるあの大合唱。
あの大合唱が何の曲なのか分からないけれど、あの大合唱が楽屋に聞こえてくるのだ・・・。
それも見事に一致団結した大合唱なのである。
メタルライブでもあの合唱をしているのを知らなかった・・・・。
怖いぐらいの大合唱が「LOUDNESS早く出て来い!!」と訴えているようだった。
バイキング、ゲルマン民族のメタルの雄叫びである。
これぞヘビーメタルの聖なる夜なのだ!!
この雄叫び大合唱を聞いていると、(うりゃうりゃ~~~~日本からヨーロッパにやって来たぜ~~~!!!おりゃ~~~!!)と言う気分になってきた。
別にヘビーメタルは戦いではないけれど、LOUDNESSは戦闘モードであった。
LOUDNESSの若い日本人4人組が、今まさにヘビーメタルの聖域、巨大なゲルマン族のメタルファンの前にその姿を現す時が来た。
会場の歓声とあの大合唱はまさに最高潮に達していた・・・。
(大阪におるお母ちゃん、ほな、行ってくるわ~~~!!)
ステージへ向かう階段で、どう言う訳か母親の顔が目に浮かんだ。
街の空気がとってもしっとりと落ち着いている。
同行している雑誌のフォトセッションも交えての散策だった。

小さな観光用のボートに乗ってアムステルダム運河を巡ったりした。

本当に街の風景がデズニーワールドであった。

この初ヨーロッパ公演以降、北米ツアー、ヨーロッパツアーなどで色んな国の市町村に行くことになるのだけど、結局しっかり観光らしいことをしたのはこのアムステルダムの時だけだった。
ワールドツアー中のオフ日は移動の疲労やドンチャン騒ぎの二日酔いでホテルのベッドで寝ることが多かった。
クレイジーなR&Rバンドそのままである。
それにしても、オランダ人の背の高さには驚いた。
男性は平均で180cmはありそうだ。女性は170cm前後という感じか?
身長の差を痛感したのはトイレである。
僕は165cmなんだけど、用を足す時に若干背伸びをしないと僕のオティンティンが便器に触れてしまいそうだった。
アムステルダムでは古城を巡り、教会を巡り、異国情緒をたっぷり満喫して楽しかった。

このヨーロッパの伝統的な古城を見ていると、あまりにヘビーメタルの持つイメージにぴったりで、ヘビーメタルはヨーロッパのものであると納得。
だって、街の空気が、雰囲気が伊藤正則氏のライナーノーツで描くヘビーメタル(どんなんや?)しているんだもんあぁ~(笑)。
若者はみんなヘビーメタルファンなのか?
勿論、そんなことはある訳無いけど・・・。
1983年8月19日 オランダ@PARADISO
この日はLOUDNESSとして初めてのヨーロッパでのライブだった。
会場はもともと教会だったそうだ。(と言っていたような・・・)
ステンドグラスがバルコニー席にあり、メタルライブをやるにはいささか荘厳すぎる会場だった。
きっと弦楽四重奏などを聴けば最高かもしれない。
会場に入ると夏だと言うのに、ヒンヤリとした空気と幾分カビっぽい匂いがした。
地元のスタッフと日本人スタッフが入り混じり楽器セッティングやサウンドチェックが進む。
日本とヨーロッパでは電圧の違いがあるのだが、ヨーロッパではマーシャルの鳴りが凄い。
タッカンが「これやんけ!!」と言ってこのマーシャルの音に聞き惚れていた。
会場は音楽用に作られた会場ではないせいもあり、ヘビーメタルのような爆音を出すとワンワンと響き渡り凄まじい音の洪水である。
ライブにはこの方がむしろ良いのかもしれない。
オランダのオーディエンスがいったいどんなノリでライブを楽しむのか皆目想像が付かないが、イメージ的にはこのぐらいうるさい方がヨーロッパのメタルファンの歓声に負けない気がする。
結果から書くと、その思惑は大当たりだった。
オランダのメタル野郎は野獣であった・・・・。

サウンドチェックを終えて食事に出るため外にでた。
(ふんぎゃ~~!!なんじゃ~~~こいつら!!!)
外はゴリゴリのメタルファンッション、いやこれはファッションではない、この人たちの生き方そのものなのかも知れないが、年季の入ったボロボロで鋲の付いた革ジャン(背中には”SAXON” “METALICA” “MOTOR HEAD"と言ったバンドのロゴをあしらっていた)を着た人があちこちにいた。
油でぎっとりとした金髪の長髪に髭、細いジーンスにどう言う訳か靴下の中にジーンズの裾を入れていた。
皆背が高く、恐ろしいほどに足が長い。
彼等の多くが、肌は透き通るような白で、目が吸い込まれそうなブルーだった。
少女マンガに出てくるような格好の良いルックスのメタル野郎達だった。
ただ、カリフォルニアのメタル野郎のような人懐こい、友好的な雰囲気はあまり感じなかった。
どちらかと言えば、若干クールと言うのか、彼等の外の表情からは何を考えているのか判断しかねた。
良く海外の人が日本人の表情は分かりにくいと言うが、お互い様ではないかと思った。
恐らく、彼等としても東洋人のロックバンドなんて会ったことも無かっただろうし、どう対応してよいのか分からないのだろう・・・。
それでも数人のゴリゴリのメタルファンと思われる人がサインをくれと言ってきた。
僕が拙い英語で喋ったら、以外にも外見からは想像もつかないほどの純朴で素直で人の良い感じを受けた。
人は外見だけで判断するのは良くないと改めて思った。
そしてとても訛りのある英語で「ルードネス!!遠いところまで良く来てくれたね!」と言ってくれた。
ちなみに、この時初めて英語にも訛りがあることを知った。
耳に入ってきたオランダ人の英語は米語のアクセントと明らかに違ったのだ。
あんなに英語が不得意だった僕が、英語のアクセントの違いを聞き分けられたのは物凄い成長である!!
会場の外で見るオランダのメタルファンとカリフォルニアのメタルファンとを比べると、オランダのメタルファンは物静かであり、なんだか厳しい批評家の面持ちだ。
結局、オランダ、ドイツ、ベルギー、ノルウエー、イギリスのメタルファンはみな同じような雰囲気を持っていることが分かった。
フランス、イタリア、スペインのラテン系のメタルファンはちょっと違った感じでもあった。
とは言うものの、愛するものは皆同じなのである。
世界各国のメタルファンの愛し方の表現は違っていても、皆メタルを愛しているのだ。
そう言うことを目の当たりに出来ただけでも素晴らしい経験であったと思う。
夜、オランダのPARADISOには既に入りきれないほどの生粋のヨーロッパメタルファンのオーディエンスで埋まった。
地下にある楽屋にいると会場の雰囲気が手に取るようにわかる。
僕はサッカーファンでなかったけど、テレビで見るヨーロッパチームのサッカーの試合前や中に時折起こるあの大合唱。
あの大合唱が何の曲なのか分からないけれど、あの大合唱が楽屋に聞こえてくるのだ・・・。
それも見事に一致団結した大合唱なのである。
メタルライブでもあの合唱をしているのを知らなかった・・・・。
怖いぐらいの大合唱が「LOUDNESS早く出て来い!!」と訴えているようだった。
バイキング、ゲルマン民族のメタルの雄叫びである。
これぞヘビーメタルの聖なる夜なのだ!!
この雄叫び大合唱を聞いていると、(うりゃうりゃ~~~~日本からヨーロッパにやって来たぜ~~~!!!おりゃ~~~!!)と言う気分になってきた。
別にヘビーメタルは戦いではないけれど、LOUDNESSは戦闘モードであった。
LOUDNESSの若い日本人4人組が、今まさにヘビーメタルの聖域、巨大なゲルマン族のメタルファンの前にその姿を現す時が来た。
会場の歓声とあの大合唱はまさに最高潮に達していた・・・。
(大阪におるお母ちゃん、ほな、行ってくるわ~~~!!)
ステージへ向かう階段で、どう言う訳か母親の顔が目に浮かんだ。
さっきトータルアクセス調べたら、19:03の時点で300,137アクセスでした。
このぐらいCDが売れてくれたらなぁ・・・!
沢山のご訪問、ありがとうございます!!

祝1周年だにゃん♪
このぐらいCDが売れてくれたらなぁ・・・!
沢山のご訪問、ありがとうございます!!

祝1周年だにゃん♪
みなさんのコメントで始めて知りました!
このブログ立ち上げて、早くも1年経ちましたか!!!
早いものですね!
最近、ちょっと忙しくて投稿間隔があいてしまいましたが、ほんまご免です♪
これからもがんばって「LOUDNESS歴史物」書きますよ~~~ん♪
よろしくね!
二井原
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
1983年8月15日
アンカレッジを経由してオランダはアムステルダムへ。
飛行時間は18時間以上かかったと思う。
僕は閉所恐怖症で飛行機が大の苦手だったので、途中で休憩があるのには助かった。
それにしても、アンカレッジ上空から見た北極白銀の氷の世界は圧巻であった。
怖いぐらいの美しさ、息を呑む自然の神々しさ、自然と言うのは偉大な芸術家である。
あの美しい氷の世界は神が手掛けた芸術作品だ。
氷と海の世界・・・
どこかに精霊、天使がいるのではないだろうかと思った。
僕は息を呑みながらずっとその景色に時間を忘れて心奪われた。
それにしてもヨーロッパはマジで遠い・・・・と思った。
タッカンは飛行中ずっと寝ていたけれど、目が覚めて「まだ着かんのかいなぁ・・・」とつぶやいた。
スチュワーデスさんが「外は明るいけれど、今は寝る時間なので窓を閉めてください」と言った。
真っ暗な飛行機の中、息苦しくて最早発狂しそうになった。
この飛行機の中の閉塞感たるや!!!
(あぁ~あかん・・・お願いやから外の空気を吸わせてくれ・・・)
手に汗を握り、発狂しそうな恐怖と闘いながら、いつの間にか眠ってしまった。
ちなみに、ここでパニック障害、閉所恐怖症に少し触れておきたい。
パニック障害に縁のない方には「何の話じゃ?」と思うかもしれないけれど・・・。
以前、突然パニック障害に襲われたことをここで書いた。
読者の方にもパニック障害で悩んでいる方が結構いるようで、「パニック障害でよく海外ツアーが出来ましたね。どうやったのですか?」と言うメールをちょくちょく頂く。
結論から言うと「自然に恐怖を克服した」としか答えようが無い。
勿論、気休めで医者から安定剤を処方してもらったけれど、薬を飲むことは無かった。
具体的に発作でどんな症状が起こったのかを書くと、飛行中に突然いても立っても居られない焦燥感を感じ、呼吸が出来ないような息苦しさを覚え、発狂しそうな気分が襲い、心拍数が上がり、冷や汗を滝のように全身にかくのだ。
この恐怖の経験「もう、あかん!!死にそうだ!!」と思う経験を何度もしながら、一定の時間が経過するとこの発作が嘘のように消滅すると言うことも何度も経験した。
理由は分からないけれど、恐怖がある一定のレベルまで達すると嘘のように消えたのだ。
それ以来、パニックが襲っても(この発作はある一定の時間で消える)と自分に言い聞かせ、一切じたばたせず、発作が消えるのをただひたすら待った。
その内、発作が消えるのに40分かかったのが、30分になり、15分になり、5分になり、3分になり、30秒になって、今では発作を感じても数秒で発作が消えてしまうようになった。
発作が起こっても、恐怖を感じるまでもなく発作はすぐに消滅していしまうのだ。
非常に荒治療ではあったけれど、何度も経験した海外公演の為の長時間の飛行機移動が僕を救ってくれたと言える。
有無をも言わせない海外公演と言う仕事を通じて「行動療法」を施したと言う事になるのだろう。
敢えて発作や恐怖を起こす環境に飛び込んで行き、恐怖に打ち克つと言う事を学習したのだ。
どうやらパニック発作が起こっても体が本能的に脳内麻薬物質のようなものを分泌して発作や恐怖から身を守ってくれたようだ。
当然、この本能的(生理的?)に身を守ると言う現象(反応?)はあらゆる人にもあてはまるのではないかと思う。
人間はうまく出来ているのである。
少なくとも僕の経験で分かったことはパニック発作で死ぬことは無いし、発狂することも無いようだ。
僕のこの経験が何かの役に立ってくれたら幸いである。
どれほど眠っていたのか?
飛行機内の電気がつき目が覚めた。
ちょうど朝食の時間が来たのだ。
気がついたら窓の外は氷の世界から緑豊かな大地が見えていた。
やっと目的地まで来たのか。
オランダ、アムステルダム・・・
オランダと言えばチュウリップと風車しか知らなかった。
なんと言って良いか分からないけど、街全体がデズニーランドのようだ。
建物が漠然と持つヨーロッパのイメージにドンピシャであった。

アメリカとは明らかに違う街の雰囲気。
現地の人にアムステルダムの建物の多くが築数百年経過しているものも多いと教えてくれた。
築数百年の古い建物の中に近代的な「タワーレコード」があったり・・・。
こうして古い建物が壊されること無く、大事にされて尚且つ現役で活躍しているのだ。
街は本当に美しかった、メルヘンチックな世界そのものだった。

西欧の人が始めて見る古都、京都の町並みに感嘆の声をあげるけれど、まさにその気持ちである。
夜は夜でとってもロマンチックだった。
僕達はオープンカフェでアムステルダムの夜景を堪能しながら食事をした。

素晴らしい経験だった。
食事をしてしばらく街を散策するとLOUDNESSのポスターをあっちこっちに発見した!
「わぁ~LOUDNESSライブの宣伝いっぱいやってるがな!!!」
マー君が叫んだ。
ポスターを見ると僕が歌っている写真が大写しになっていて、その横に日本語が書かれていた。
その文句は奇妙な日本語ではあったけれど、間違ってはいない・・。
「日本からLOUDNESSは来ます!」
僕は「そうか・・・LOUDNESSは来るのか」とつぶやいた。
ライブに備えてメンバーは早めに寝ることにした。
僕はひぐっつあんと同じ部屋だった。
隣のベッドでひぐっつあんは早々に寝息を立てている。
(ひぐっつあん・・・ジャックダニエルとワインを相当呑んでたもんな・・・)
僕の体は疲れていたけれど、、頭が興奮してなかなか眠れなかった・・・。
僕の頭の中で「日本からLOUDNESSは来ます!」の文字がグルグルとしていた。
そして僕はやっと眠りに落ちた・・・。
このブログ立ち上げて、早くも1年経ちましたか!!!
早いものですね!
最近、ちょっと忙しくて投稿間隔があいてしまいましたが、ほんまご免です♪
これからもがんばって「LOUDNESS歴史物」書きますよ~~~ん♪
よろしくね!
二井原
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
1983年8月15日
アンカレッジを経由してオランダはアムステルダムへ。
飛行時間は18時間以上かかったと思う。
僕は閉所恐怖症で飛行機が大の苦手だったので、途中で休憩があるのには助かった。
それにしても、アンカレッジ上空から見た北極白銀の氷の世界は圧巻であった。
怖いぐらいの美しさ、息を呑む自然の神々しさ、自然と言うのは偉大な芸術家である。
あの美しい氷の世界は神が手掛けた芸術作品だ。
氷と海の世界・・・
どこかに精霊、天使がいるのではないだろうかと思った。
僕は息を呑みながらずっとその景色に時間を忘れて心奪われた。
それにしてもヨーロッパはマジで遠い・・・・と思った。
タッカンは飛行中ずっと寝ていたけれど、目が覚めて「まだ着かんのかいなぁ・・・」とつぶやいた。
スチュワーデスさんが「外は明るいけれど、今は寝る時間なので窓を閉めてください」と言った。
真っ暗な飛行機の中、息苦しくて最早発狂しそうになった。
この飛行機の中の閉塞感たるや!!!
(あぁ~あかん・・・お願いやから外の空気を吸わせてくれ・・・)
手に汗を握り、発狂しそうな恐怖と闘いながら、いつの間にか眠ってしまった。
ちなみに、ここでパニック障害、閉所恐怖症に少し触れておきたい。
パニック障害に縁のない方には「何の話じゃ?」と思うかもしれないけれど・・・。
以前、突然パニック障害に襲われたことをここで書いた。
読者の方にもパニック障害で悩んでいる方が結構いるようで、「パニック障害でよく海外ツアーが出来ましたね。どうやったのですか?」と言うメールをちょくちょく頂く。
結論から言うと「自然に恐怖を克服した」としか答えようが無い。
勿論、気休めで医者から安定剤を処方してもらったけれど、薬を飲むことは無かった。
具体的に発作でどんな症状が起こったのかを書くと、飛行中に突然いても立っても居られない焦燥感を感じ、呼吸が出来ないような息苦しさを覚え、発狂しそうな気分が襲い、心拍数が上がり、冷や汗を滝のように全身にかくのだ。
この恐怖の経験「もう、あかん!!死にそうだ!!」と思う経験を何度もしながら、一定の時間が経過するとこの発作が嘘のように消滅すると言うことも何度も経験した。
理由は分からないけれど、恐怖がある一定のレベルまで達すると嘘のように消えたのだ。
それ以来、パニックが襲っても(この発作はある一定の時間で消える)と自分に言い聞かせ、一切じたばたせず、発作が消えるのをただひたすら待った。
その内、発作が消えるのに40分かかったのが、30分になり、15分になり、5分になり、3分になり、30秒になって、今では発作を感じても数秒で発作が消えてしまうようになった。
発作が起こっても、恐怖を感じるまでもなく発作はすぐに消滅していしまうのだ。
非常に荒治療ではあったけれど、何度も経験した海外公演の為の長時間の飛行機移動が僕を救ってくれたと言える。
有無をも言わせない海外公演と言う仕事を通じて「行動療法」を施したと言う事になるのだろう。
敢えて発作や恐怖を起こす環境に飛び込んで行き、恐怖に打ち克つと言う事を学習したのだ。
どうやらパニック発作が起こっても体が本能的に脳内麻薬物質のようなものを分泌して発作や恐怖から身を守ってくれたようだ。
当然、この本能的(生理的?)に身を守ると言う現象(反応?)はあらゆる人にもあてはまるのではないかと思う。
人間はうまく出来ているのである。
少なくとも僕の経験で分かったことはパニック発作で死ぬことは無いし、発狂することも無いようだ。
僕のこの経験が何かの役に立ってくれたら幸いである。
どれほど眠っていたのか?
飛行機内の電気がつき目が覚めた。
ちょうど朝食の時間が来たのだ。
気がついたら窓の外は氷の世界から緑豊かな大地が見えていた。
やっと目的地まで来たのか。
オランダ、アムステルダム・・・
オランダと言えばチュウリップと風車しか知らなかった。
なんと言って良いか分からないけど、街全体がデズニーランドのようだ。
建物が漠然と持つヨーロッパのイメージにドンピシャであった。

アメリカとは明らかに違う街の雰囲気。
現地の人にアムステルダムの建物の多くが築数百年経過しているものも多いと教えてくれた。
築数百年の古い建物の中に近代的な「タワーレコード」があったり・・・。
こうして古い建物が壊されること無く、大事にされて尚且つ現役で活躍しているのだ。
街は本当に美しかった、メルヘンチックな世界そのものだった。

西欧の人が始めて見る古都、京都の町並みに感嘆の声をあげるけれど、まさにその気持ちである。
夜は夜でとってもロマンチックだった。
僕達はオープンカフェでアムステルダムの夜景を堪能しながら食事をした。

素晴らしい経験だった。
食事をしてしばらく街を散策するとLOUDNESSのポスターをあっちこっちに発見した!
「わぁ~LOUDNESSライブの宣伝いっぱいやってるがな!!!」
マー君が叫んだ。
ポスターを見ると僕が歌っている写真が大写しになっていて、その横に日本語が書かれていた。
その文句は奇妙な日本語ではあったけれど、間違ってはいない・・。
「日本からLOUDNESSは来ます!」
僕は「そうか・・・LOUDNESSは来るのか」とつぶやいた。
ライブに備えてメンバーは早めに寝ることにした。
僕はひぐっつあんと同じ部屋だった。
隣のベッドでひぐっつあんは早々に寝息を立てている。
(ひぐっつあん・・・ジャックダニエルとワインを相当呑んでたもんな・・・)
僕の体は疲れていたけれど、、頭が興奮してなかなか眠れなかった・・・。
僕の頭の中で「日本からLOUDNESSは来ます!」の文字がグルグルとしていた。
そして僕はやっと眠りに落ちた・・・。
(フンギャ~~~~!!ミッシェルから手紙やん!!)
僕は驚いたと同時に天に昇るような嬉しい気持ちだった。
嬉しくって、何度もそのエアーメールの封筒を見た。
この一通の手紙がクタクタにくたびれていた僕をどれほど元気にしてくれたことか!
Air-Mailと言うスタンプに胸が躍った。
USAと言う国名のスタンプに甘酸っぱい気分になった。
そして、手書きのミッシェルの名前と住所を見て不思議な気分だった。
日本人が書くアルファベットとは明らかに違う文字に釘付けになった。
日本で産まれ育ち日本しか知らない僕の人生に異国の友人ができたことに表現の出来ない感動を覚えた。
早速封筒を開けた。
“Dear MINORU,…”
手紙を読んで愕然とした。
頭の名前の部分と「お元気ですか?」の挨拶部分はすぐに理解できたが、他の文面の70%の英文が理解できなかったのだ。
笑顔のマークや、ハートマークが付いている部分はなんとなく意味は汲み取れたけれど・・・。
僕にすれば、いっそうのこと象形文字の方が分かりやすかったかもしれない。
これでは異性人とのコンタクトと変わらないではないか!
手紙には辞書で引いても判明できない表現があちらこちらにあり、いったい大学まで習った英語はなんだったのかと思った。
ミッシェルの手紙は汚いスラング表現ではなかったけれど、普段の若者が使う日常表現に溢れていたのだ。
そう言えば、LOUDNESS海外リリース2枚目にあたるアルバムのレコーディングをしている時に、どういうきっかけかは忘れたけれど、大学時代に使っていた社会学の外書文献とレポートをマックスノーマンに見せたことがあった。
マックスノーマンはそのテキストに目を通してあり得ないという表情で驚いた。
「ミック!(僕はアメリカでこう呼ばれていた)本当にお前はこのテキストで勉強していたのか?本当か?こんな高度なテキストが読めて、何故お前はそんなに英語が下手なんだ?単純なR&Rの歌詞すら書けないのだ?」と真面目な顔で言い放った。
とにかく僕は辞書を引きながらミッシェルに手紙の返事を頑張って書いた。
2行ぐらいはなんとか書けたけれどその先が書けない。
書きたいことは山ほどあるけれど、どう書いて良いかまったく分からぬ。
大学受験時は英文解釈の問題は比較的得意だったけれど、実際英作文がこれほどお手上げ状態だとは・・・トホホであった。
そんなこんなの海外文通ではあったけれど、ミッシェルの方もなんとか僕の奇怪な英文に丁寧に返事をくれた。
僕は本屋に通い「英語日常会話」「英文レターの書き方」「日常表現集」などなどを買い漁ったものだ。
さすがに数ヶ月も文通をしているとだいたいの意味は把握できるようにはなったけれど。
そう言えば、ミッシェルに返事を書いている時、あまりにもどかしくなってミッシェルの家に海外電話をしたことがあった。
だいたい英文が2行で行き詰ると言うのに、どうやって電話で英語のコミュニケーションをすると言うのか?
今から思えば「若い」と言うのは怖さ知らずではあるけれど、素晴らしいと思う。
理性より衝動で動いているのだ。
ある意味無茶苦茶であるけれど。
あの頃は海外電話する場合、一度電電公社に電話をしてオペレーターを通して電話をしていた。
オペレーターの女性の声がキューピッドに思えた。
少し遠くに聞こえる篭った呼び出しトーンの音色が耳に聞こえた。
初めて聞いたアメリカの呼び出し音に緊張で胸が張り裂けそうになった。
数回呼び出しトーンが鳴った時点で怖気づいて電話を切りたくなった。
(もうアカン!電話を切ろう)と思って切ろうとした時に誰かが電話に出た!
“HELLO?・・・”少ししゃがれた低い女性の声だった。
ミッシェルのお母さんが出たのだ。
てっきりミッシェルが電話に出るものと思っていたのでこれには腰を抜かした。
“AH…ye….ye…yes…ah…this..this is…mi..mino…minoru niiihara speaking”
“Who?”
もはや僕は変質者であった。
“Who’s speaking again?”
お母さんはとても親切に応対してくださった。
“ Ah….Yes…this is….ah…Japan..I am Japan….ah….oh…Michell..please..”
最早、収拾が付かない事態であった。
変質者が電話の向こうで「ミッシェル」と呟いているだけである。
僕は頭の中が真っ白になって気を失いそうであった。
これはダメだ、とてもじゃないけれど電話で英会話は無理だと思って電話を切りかけた時ミッシェルが出た・・・・。
“Hi! It’s Michell, Who’s speaking?”
僕はあまりの展開に脳がフリーズしていた。
電話をかけた事を後悔した。
手にはびっとりと汗をかいていた。
声はうわずり、かすれていた。
“Mi…Michell?? This…this is.. Minoru….”
“Is it you?? Minoru??? Really??? Are you reaaly??? calling from JAPAN?? Oh my!! How are you??”
ミッシェルはとても驚いていた様子だった。
彼女はとても甲高い声でまくし立てているけれど僕には何を言っているのか殆ど理解不能だった。
しばらく一方的にミッシェルが喋ったけれど、ミッシェルの方も僕が話を理解していない事に気がつき、そしてゆっくりと子供に語るように話してくれた。
僕は充分だった、ミッシェルの声を聞けただけで充分幸せだった。
僕は知っている単語を必死で並べた。
それに彼女は時折笑い声を上げた。
僕達がいったい何を話したのか覚えていないけれど・・・・二人は充分理解し合えた。
時折沈黙が続いたりしたけれど、息遣いだけでも気持ちが伝わった。
それは沈黙であり沈黙ではないのだ。
気がついたら45分は電話をしていたと思う。
あの時の電話、いったい、どう言うきっかけで電話を切ったのか・・・・思い出したいけれど、思い出せない。
この後の展開は既に出版されている「ロックロールジプシー」に詳しく書いたので書かないけれど、人は言葉が分からなくても気持ちがあれば何とかなるものだ。
一方、LOUDNESSは初めてのアメリカ公演後2週間ほどで始めてのヨーロッパ公演のため、再び機上の人となった。
僕は驚いたと同時に天に昇るような嬉しい気持ちだった。
嬉しくって、何度もそのエアーメールの封筒を見た。
この一通の手紙がクタクタにくたびれていた僕をどれほど元気にしてくれたことか!
Air-Mailと言うスタンプに胸が躍った。
USAと言う国名のスタンプに甘酸っぱい気分になった。
そして、手書きのミッシェルの名前と住所を見て不思議な気分だった。
日本人が書くアルファベットとは明らかに違う文字に釘付けになった。
日本で産まれ育ち日本しか知らない僕の人生に異国の友人ができたことに表現の出来ない感動を覚えた。
早速封筒を開けた。
“Dear MINORU,…”
手紙を読んで愕然とした。
頭の名前の部分と「お元気ですか?」の挨拶部分はすぐに理解できたが、他の文面の70%の英文が理解できなかったのだ。
笑顔のマークや、ハートマークが付いている部分はなんとなく意味は汲み取れたけれど・・・。
僕にすれば、いっそうのこと象形文字の方が分かりやすかったかもしれない。
これでは異性人とのコンタクトと変わらないではないか!
手紙には辞書で引いても判明できない表現があちらこちらにあり、いったい大学まで習った英語はなんだったのかと思った。
ミッシェルの手紙は汚いスラング表現ではなかったけれど、普段の若者が使う日常表現に溢れていたのだ。
そう言えば、LOUDNESS海外リリース2枚目にあたるアルバムのレコーディングをしている時に、どういうきっかけかは忘れたけれど、大学時代に使っていた社会学の外書文献とレポートをマックスノーマンに見せたことがあった。
マックスノーマンはそのテキストに目を通してあり得ないという表情で驚いた。
「ミック!(僕はアメリカでこう呼ばれていた)本当にお前はこのテキストで勉強していたのか?本当か?こんな高度なテキストが読めて、何故お前はそんなに英語が下手なんだ?単純なR&Rの歌詞すら書けないのだ?」と真面目な顔で言い放った。
とにかく僕は辞書を引きながらミッシェルに手紙の返事を頑張って書いた。
2行ぐらいはなんとか書けたけれどその先が書けない。
書きたいことは山ほどあるけれど、どう書いて良いかまったく分からぬ。
大学受験時は英文解釈の問題は比較的得意だったけれど、実際英作文がこれほどお手上げ状態だとは・・・トホホであった。
そんなこんなの海外文通ではあったけれど、ミッシェルの方もなんとか僕の奇怪な英文に丁寧に返事をくれた。
僕は本屋に通い「英語日常会話」「英文レターの書き方」「日常表現集」などなどを買い漁ったものだ。
さすがに数ヶ月も文通をしているとだいたいの意味は把握できるようにはなったけれど。
そう言えば、ミッシェルに返事を書いている時、あまりにもどかしくなってミッシェルの家に海外電話をしたことがあった。
だいたい英文が2行で行き詰ると言うのに、どうやって電話で英語のコミュニケーションをすると言うのか?
今から思えば「若い」と言うのは怖さ知らずではあるけれど、素晴らしいと思う。
理性より衝動で動いているのだ。
ある意味無茶苦茶であるけれど。
あの頃は海外電話する場合、一度電電公社に電話をしてオペレーターを通して電話をしていた。
オペレーターの女性の声がキューピッドに思えた。
少し遠くに聞こえる篭った呼び出しトーンの音色が耳に聞こえた。
初めて聞いたアメリカの呼び出し音に緊張で胸が張り裂けそうになった。
数回呼び出しトーンが鳴った時点で怖気づいて電話を切りたくなった。
(もうアカン!電話を切ろう)と思って切ろうとした時に誰かが電話に出た!
“HELLO?・・・”少ししゃがれた低い女性の声だった。
ミッシェルのお母さんが出たのだ。
てっきりミッシェルが電話に出るものと思っていたのでこれには腰を抜かした。
“AH…ye….ye…yes…ah…this..this is…mi..mino…minoru niiihara speaking”
“Who?”
もはや僕は変質者であった。
“Who’s speaking again?”
お母さんはとても親切に応対してくださった。
“ Ah….Yes…this is….ah…Japan..I am Japan….ah….oh…Michell..please..”
最早、収拾が付かない事態であった。
変質者が電話の向こうで「ミッシェル」と呟いているだけである。
僕は頭の中が真っ白になって気を失いそうであった。
これはダメだ、とてもじゃないけれど電話で英会話は無理だと思って電話を切りかけた時ミッシェルが出た・・・・。
“Hi! It’s Michell, Who’s speaking?”
僕はあまりの展開に脳がフリーズしていた。
電話をかけた事を後悔した。
手にはびっとりと汗をかいていた。
声はうわずり、かすれていた。
“Mi…Michell?? This…this is.. Minoru….”
“Is it you?? Minoru??? Really??? Are you reaaly??? calling from JAPAN?? Oh my!! How are you??”
ミッシェルはとても驚いていた様子だった。
彼女はとても甲高い声でまくし立てているけれど僕には何を言っているのか殆ど理解不能だった。
しばらく一方的にミッシェルが喋ったけれど、ミッシェルの方も僕が話を理解していない事に気がつき、そしてゆっくりと子供に語るように話してくれた。
僕は充分だった、ミッシェルの声を聞けただけで充分幸せだった。
僕は知っている単語を必死で並べた。
それに彼女は時折笑い声を上げた。
僕達がいったい何を話したのか覚えていないけれど・・・・二人は充分理解し合えた。
時折沈黙が続いたりしたけれど、息遣いだけでも気持ちが伝わった。
それは沈黙であり沈黙ではないのだ。
気がついたら45分は電話をしていたと思う。
あの時の電話、いったい、どう言うきっかけで電話を切ったのか・・・・思い出したいけれど、思い出せない。
この後の展開は既に出版されている「ロックロールジプシー」に詳しく書いたので書かないけれど、人は言葉が分からなくても気持ちがあれば何とかなるものだ。
一方、LOUDNESSは初めてのアメリカ公演後2週間ほどで始めてのヨーロッパ公演のため、再び機上の人となった。
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