LAのどこにこんな多くのメタル野郎が潜んでいたのか?と思うほどに熱狂的なメタルキッズで会場は溢れていた。
サンフランシスコに続きこのLAの状況を目の当たりにして、今までのカリフォルニアのイメージがすっかり変わってしまった。
レイドバックしたロックの街、カーペンターズなどのポップスの街、そんな漠然としたイメージは吹っ飛んでしまった。
今、現実に目の当たりにしているLAはすっかりヘビーメタルの街であった。
1983年の時点で、カリフォルニアでもすっかりロックの新しい波、そうヘビーメタルのムーブメントが起こりつつあったのだ。
イギリスから始まったヘビーメタルのムーブメントである。
1983年のLAはこの新しい波、まさに灼熱の風が吹き荒れる前兆であった。
ただ、どこの世界でも同じで、カリフォルニア、いやアメリカのロック業界の大人達が「ヘビーメタルが金になる」と思い始めるにはメタリカの初期アルバムの成功まで待たなければならないのだが・・・。
いずれにせよ、若者たちのメタルに対する思いは熱く純粋だった。
日本、アメリカ、ヨーロッパで起こったこのメタルの台風。
今、その台風の目の中にLOUDNESSはいた。
「LOUDNESSがいったいどれほどのものなのか?」サンフランシスコ公演の噂を早くも聞きつけた地元のメディア、ジャーナリストが沢山集まり、今か今かとそのライブの瞬間を待っている。
「日本からギターの神が来た」と言う噂を聞きつけて、地元のバンド連中もこの目でしっかり確かめてやると厳しい批評家と化してビールを煽ってLOUDNESSの出番を待っている。
オーディエンスの多くは、LOUDNESSのことは知らないけれど、何やらこのバンドの噂で騒がしいのでやって来たと言うメタルキッズもかなりいるようだ。
LAのローカルバンドの中で、人気急上昇のスティーラーをオープニングアクトにするジャップメタルバンドが今その正体を現す。
カントリークラブの場内は異様な緊張と興奮に包まれていた。
一方、楽屋ではメンバーが幾分緊張気味ではあるけれど、サンフランシスコで一回ライブをやっているので多少の安心感はあった。
メンバーにとって、このライブがその後のLOUDNESSの運命を大きく変える重要なライブになるなんて、誰にも想像は出来なかった。
今までやって来た通りのライブをやるだけだ。
「日本でやってきたライブが出来れば充分だよ」と言うダニーの言葉を信じていた。
この会場でも、照明、PAすべてが必要最小限のものである。
日本で使っていたような大掛かりなセットも照明もPAも皆無である。
ステージにはマーシャルアンプ、アンペグベースアンプ、ドラムセット、しかない。
後はメンバーが全力でロックするだけだ。
夜10時半頃、“Hey! Boys! It’s show time!!”とクラブの人が楽屋に声をかけてくれた。
ローディーは走り回って最後の確認に余念が無い。
メンバーは楽屋から揃ってステージへと歩き出した。
楽屋の方まで歓声が聞こえた。
歓声はサンフランシスコで聞いた時と同じ、あの独特の響きでLOUDNESSを歓迎しているようだった。
歩きながら、メンバーはそれぞれ誰に言うでもなくつぶやいた。
「楽しみやな!!ここまで来てほんま良かったな!!」
タッカンが感無量のような口ぶりで言った。
「ほんまや、思いっ切りやったろうや!失敗しても気にせんと行こうや!」
いつも、ステージに登るぎりぎりまで、くわえタバコをしているひぐっつあんが言った。
「お客さんはサンフランシスコより多い感じやなぁ~」
マー君は笑顔で言った。
「今日は思い切って英語で色々喋ってみようかな?」
僕は自分を奮い立たせた。
ステージの横に来た。
ステージの横から客席が少しだけ見えた。
サンフランシスコでは、ステージ前までまさに鈴なり状態だったけれど、LAではそこまでお客さんが迫っている状態では無かった。
それでも各自が腕を上げて何やら叫んでいた。
BGMが切れた瞬間物凄い歓声が起こった。
彼らが皆、LOUDNESSのアルバムを持っているとは思えないのに、この盛り上がりはいったい?
メンバーはその歓声を聞いたとたん、一気に盛り上がり自然にお互いハイタッチをした。
「イェ~~!!これは盛り上がるで~~!」
メンバー全員が興奮状態になった。
オープニングSEが流れ、照明が落ちた。
「お前ら!力むなよ!いつもの調子でガツンと行けよ!!」
マネージャーが檄を飛ばした。
その激と共に、メンバーは「ヨッシャ~~!!」「オリャ~~!!」と気合を入れてステージに歩き出した。
ついに、LOUDNESSは初めてLAのステージに立った。
LAのオーディエンスは、始めてみる東洋人のヘビーメタルバンドに一瞬沈黙した。
赤いランダムスターに黒髪のカーリーヘアーのギターリスト。
銀色のベースギターにこれまた黒髪のカリーヘアーのベーシスト。
切れ長の目にストレートな黒髪のドラマー。
ステージ真ん中に髪をツンツンにおっ立て、顔にはメークアップを施しているグラムロック風の背の小さなシンガー。
全員が大人のような、子供のような、年齢不詳・・・。
ステージの上に、女の子のような華奢で背の小さい子供のようなメンバー4人が、得体の知れないオーラを発しているのだ。
場内オーディエンスの動きが止まったようだった。
東洋から来たメタルバンドだ、彼らにとっては始めての出来事であっただろう。
まさか、日本人のメタルバンドが存在するなんて・・・・。
彼らの表情は友好的でありながら、興味津々と言う感じだった。
オーディエンスが一瞬静まり返ったけれど、タッカンのギターのワンフレーズでオーディエンスの目が覚めたようだ!
ひぐっつあんのキックドラムがオーディエンスを煽る。
僕はマイクに向かって思いっ切り雄叫びをあげた!
“Hello!!! Los Angeles!!!!! Are you ready???????”
そのシャウトでタッカンがインザミラーのイントロを弾きはじめた。
その一撃でオーディエンスが瞬時に激しく揺れた!
インザミラーのイントロが、これほど攻撃的に演奏されたことがあっただろうか?
激しいリズムに印象的な泣きのギターリフ、これぞLOUDNESSの世界である。
16小節の怒涛のイントロが、カントリークラブの場内を圧倒した。
LOUDNESSの鋼鉄の爆音が、ライブハウスのオーディエンスの心をがっちりと捉えた瞬間だった。
何百回と演奏したインザミラーだけれど、この日のインザミラーはまるで大きな怪獣が暴れまわっているような勢いとスピード感で一杯だった。
オーディエンスの多くは演奏中まったく身動ぎもせず演奏に釘付けになっていた。
要所要所で歓声が上がるものの、バンドの一挙一動に見入っている感じだった。
曲が終わるとしばらく”Wow!!!”と驚きの表情で呆然として、その後、割れんばかりの歓声が起こった。
ライブが進むうちに、場内はサンフランシスコと同様素晴らしいエネルギーで一体となった。
みんなが笑顔になった。
僕は歌いながら何度も感動で鳥肌が立った。
LOUDNESS結成から日本でのライブ経験が実を結んだ渾身のライブだった。
サンフランシスコのメニューと同じで、スピードチューン連発のハイパー選曲ライブ。
時間にして1時間弱のステージは、あっという間に終わった。
“ THANK YOU SO MUCH!!! WE LOVE YA ALL!!LOS ANGELES!!”
最後の曲が終わって、僕がそう叫んだ途端地鳴りのような歓声が返ってきた。
僕たちは全員、ステージの前まで行って腕を繋いで大きくおじぎした。
"LOUDNESS!“と叫ぶ声が止まなかった。
オーディエンスは、初めて見た日本人メタルバンドを心底楽しんだ様子だった。
そんな興奮したオーディエンスの中に、我々の運命を変える重要な男がいた。
Atlantic RecordsのA&R Man Nick Loftがその男だった。
彼はLos AngelesのLOUDNESSライブの成功を観てすぐさまNew Yorkのボスへ連絡、そしてLOUDNESSとの契約獲得に動いたのである。
こうしてLOUDNESSの歴史は、また一歩大きく動き出したのである。
見えない偉大な存在が僕に、「お前のショータイムはまだまだこれからだよ!」と囁いた気がした。
まさに運命のLAライブ、僕は楽屋で生きている喜びに包まれた。
サンフランシスコに続きこのLAの状況を目の当たりにして、今までのカリフォルニアのイメージがすっかり変わってしまった。
レイドバックしたロックの街、カーペンターズなどのポップスの街、そんな漠然としたイメージは吹っ飛んでしまった。
今、現実に目の当たりにしているLAはすっかりヘビーメタルの街であった。
1983年の時点で、カリフォルニアでもすっかりロックの新しい波、そうヘビーメタルのムーブメントが起こりつつあったのだ。
イギリスから始まったヘビーメタルのムーブメントである。
1983年のLAはこの新しい波、まさに灼熱の風が吹き荒れる前兆であった。
ただ、どこの世界でも同じで、カリフォルニア、いやアメリカのロック業界の大人達が「ヘビーメタルが金になる」と思い始めるにはメタリカの初期アルバムの成功まで待たなければならないのだが・・・。
いずれにせよ、若者たちのメタルに対する思いは熱く純粋だった。
日本、アメリカ、ヨーロッパで起こったこのメタルの台風。
今、その台風の目の中にLOUDNESSはいた。
「LOUDNESSがいったいどれほどのものなのか?」サンフランシスコ公演の噂を早くも聞きつけた地元のメディア、ジャーナリストが沢山集まり、今か今かとそのライブの瞬間を待っている。
「日本からギターの神が来た」と言う噂を聞きつけて、地元のバンド連中もこの目でしっかり確かめてやると厳しい批評家と化してビールを煽ってLOUDNESSの出番を待っている。
オーディエンスの多くは、LOUDNESSのことは知らないけれど、何やらこのバンドの噂で騒がしいのでやって来たと言うメタルキッズもかなりいるようだ。
LAのローカルバンドの中で、人気急上昇のスティーラーをオープニングアクトにするジャップメタルバンドが今その正体を現す。
カントリークラブの場内は異様な緊張と興奮に包まれていた。
一方、楽屋ではメンバーが幾分緊張気味ではあるけれど、サンフランシスコで一回ライブをやっているので多少の安心感はあった。
メンバーにとって、このライブがその後のLOUDNESSの運命を大きく変える重要なライブになるなんて、誰にも想像は出来なかった。
今までやって来た通りのライブをやるだけだ。
「日本でやってきたライブが出来れば充分だよ」と言うダニーの言葉を信じていた。
この会場でも、照明、PAすべてが必要最小限のものである。
日本で使っていたような大掛かりなセットも照明もPAも皆無である。
ステージにはマーシャルアンプ、アンペグベースアンプ、ドラムセット、しかない。
後はメンバーが全力でロックするだけだ。
夜10時半頃、“Hey! Boys! It’s show time!!”とクラブの人が楽屋に声をかけてくれた。
ローディーは走り回って最後の確認に余念が無い。
メンバーは楽屋から揃ってステージへと歩き出した。
楽屋の方まで歓声が聞こえた。
歓声はサンフランシスコで聞いた時と同じ、あの独特の響きでLOUDNESSを歓迎しているようだった。
歩きながら、メンバーはそれぞれ誰に言うでもなくつぶやいた。
「楽しみやな!!ここまで来てほんま良かったな!!」
タッカンが感無量のような口ぶりで言った。
「ほんまや、思いっ切りやったろうや!失敗しても気にせんと行こうや!」
いつも、ステージに登るぎりぎりまで、くわえタバコをしているひぐっつあんが言った。
「お客さんはサンフランシスコより多い感じやなぁ~」
マー君は笑顔で言った。
「今日は思い切って英語で色々喋ってみようかな?」
僕は自分を奮い立たせた。
ステージの横に来た。
ステージの横から客席が少しだけ見えた。
サンフランシスコでは、ステージ前までまさに鈴なり状態だったけれど、LAではそこまでお客さんが迫っている状態では無かった。
それでも各自が腕を上げて何やら叫んでいた。
BGMが切れた瞬間物凄い歓声が起こった。
彼らが皆、LOUDNESSのアルバムを持っているとは思えないのに、この盛り上がりはいったい?
メンバーはその歓声を聞いたとたん、一気に盛り上がり自然にお互いハイタッチをした。
「イェ~~!!これは盛り上がるで~~!」
メンバー全員が興奮状態になった。
オープニングSEが流れ、照明が落ちた。
「お前ら!力むなよ!いつもの調子でガツンと行けよ!!」
マネージャーが檄を飛ばした。
その激と共に、メンバーは「ヨッシャ~~!!」「オリャ~~!!」と気合を入れてステージに歩き出した。
ついに、LOUDNESSは初めてLAのステージに立った。
LAのオーディエンスは、始めてみる東洋人のヘビーメタルバンドに一瞬沈黙した。
赤いランダムスターに黒髪のカーリーヘアーのギターリスト。
銀色のベースギターにこれまた黒髪のカリーヘアーのベーシスト。
切れ長の目にストレートな黒髪のドラマー。
ステージ真ん中に髪をツンツンにおっ立て、顔にはメークアップを施しているグラムロック風の背の小さなシンガー。
全員が大人のような、子供のような、年齢不詳・・・。
ステージの上に、女の子のような華奢で背の小さい子供のようなメンバー4人が、得体の知れないオーラを発しているのだ。
場内オーディエンスの動きが止まったようだった。
東洋から来たメタルバンドだ、彼らにとっては始めての出来事であっただろう。
まさか、日本人のメタルバンドが存在するなんて・・・・。
彼らの表情は友好的でありながら、興味津々と言う感じだった。
オーディエンスが一瞬静まり返ったけれど、タッカンのギターのワンフレーズでオーディエンスの目が覚めたようだ!
ひぐっつあんのキックドラムがオーディエンスを煽る。
僕はマイクに向かって思いっ切り雄叫びをあげた!
“Hello!!! Los Angeles!!!!! Are you ready???????”
そのシャウトでタッカンがインザミラーのイントロを弾きはじめた。
その一撃でオーディエンスが瞬時に激しく揺れた!
インザミラーのイントロが、これほど攻撃的に演奏されたことがあっただろうか?
激しいリズムに印象的な泣きのギターリフ、これぞLOUDNESSの世界である。
16小節の怒涛のイントロが、カントリークラブの場内を圧倒した。
LOUDNESSの鋼鉄の爆音が、ライブハウスのオーディエンスの心をがっちりと捉えた瞬間だった。
何百回と演奏したインザミラーだけれど、この日のインザミラーはまるで大きな怪獣が暴れまわっているような勢いとスピード感で一杯だった。
オーディエンスの多くは演奏中まったく身動ぎもせず演奏に釘付けになっていた。
要所要所で歓声が上がるものの、バンドの一挙一動に見入っている感じだった。
曲が終わるとしばらく”Wow!!!”と驚きの表情で呆然として、その後、割れんばかりの歓声が起こった。
ライブが進むうちに、場内はサンフランシスコと同様素晴らしいエネルギーで一体となった。
みんなが笑顔になった。
僕は歌いながら何度も感動で鳥肌が立った。
LOUDNESS結成から日本でのライブ経験が実を結んだ渾身のライブだった。
サンフランシスコのメニューと同じで、スピードチューン連発のハイパー選曲ライブ。
時間にして1時間弱のステージは、あっという間に終わった。
“ THANK YOU SO MUCH!!! WE LOVE YA ALL!!LOS ANGELES!!”
最後の曲が終わって、僕がそう叫んだ途端地鳴りのような歓声が返ってきた。
僕たちは全員、ステージの前まで行って腕を繋いで大きくおじぎした。
"LOUDNESS!“と叫ぶ声が止まなかった。
オーディエンスは、初めて見た日本人メタルバンドを心底楽しんだ様子だった。
そんな興奮したオーディエンスの中に、我々の運命を変える重要な男がいた。
Atlantic RecordsのA&R Man Nick Loftがその男だった。
彼はLos AngelesのLOUDNESSライブの成功を観てすぐさまNew Yorkのボスへ連絡、そしてLOUDNESSとの契約獲得に動いたのである。
こうしてLOUDNESSの歴史は、また一歩大きく動き出したのである。
見えない偉大な存在が僕に、「お前のショータイムはまだまだこれからだよ!」と囁いた気がした。
まさに運命のLAライブ、僕は楽屋で生きている喜びに包まれた。
1983年7月14日~16日 Los Angels
Hollywood BlvdとHighland Aveの交差点を少し北に行くとFranklin Aveがあって、その近所にHoliday Innがある。
そのHoliday Innから5分ほど北へ歩いたところの某安モーテルがLOUDNESS初のLos Angels滞在場所となった。
メンバーは相部屋で僕はマー君と同じ部屋だった。
僕はどちらかと言うと片づけが凄く苦手ですぐに部屋が散らかってしまうのだが、マー君は非常に几帳面で小奇麗に荷物を片付ける。
ある日、シャワーを浴びて目の前にあったバスタオルを無意識に使ったら、烈火のごとくマー君が怒り出した。
そのバスタオルはマー君が使っていたのだ。
(おぉ~そうか、マー君は結構神経質なんやな)と思った。
まぁー確かに他人が使ったバスタオルを使うには抵抗があるわな!
それ以来、人と相部屋になると気を使うように心がけるようになった。
Los angelsはサンフランシスコよりかなり暑かった。
暑かったと言うより、灼熱に近い日差しの強さだった。
滞在していたモーテルの近所はあまり治安が良い印象では無かった。
僕たちが滞在していたホテルの目の前の通りもあまり人が歩いている様子も無く、何となく殺伐としたイメージ。
空気もサンフランシスコより明らかに乾いていて、小学校の頃によく発令された光化学スモッグの時を思い出した。
明らかにホームレスと思われるアフリカン・アメリカンがウロウロしていて少し怖かった。
ましてやメタルキッズとおぼしき人間は皆無だった。
当然ながらLos Angels全域を見たわけでもなかったけれど、少なくとも滞在していたモーテル近辺がなんとなく人工的な街だなと思った。
まぁー元々砂漠地帯だったところに街を作ったようなものだから仕方ある無い。
当時、Los Angelsと聞いて思い浮かべるバンドはEaglesとビーチボーイズ、カーペンターズと言ったメタルとは程遠いバンドばかりだった。
まさかLos Angelsでメタルが受けるとも思っていなかったし、この地にメタルバンドが沢山存在するとも思っていなかった。
ましてやここが80年代メタルのメッカになるなんて想像だにしなかった。
その上、LOUDNESSがここでライブをすることに若干の違和感を抱いていたぐらいだった。
1日オフ日があったのでメンバーで観光がてらハリウッド通りを散策。
ウインドーショッピングしたりしていると、ヘビーメタル専門店を発見。
店のショーケースにはアイヤンメーデンやモーターヘッド、サクソンなどのメタルTシャツが飾ってあった。
「おぉ!こんな所にこんなマニアックな店があるで!」
マー君が微笑みながら叫んだ!
店内には鋲のついたベルトやリストバンド、沢山のヘビーメタルのグッズが所狭しと並んでいて驚いた。
ひとしきり店内を見学して他の店へ移動。
土産物屋さんが多く、Los AngelsやHollywoodの文字をモチーフにしたTシャツがメインで売られていた。そんなTシャツの中に、どう言う訳か変な日本文字をあしらったTシャツも売っていたりする。
文字が逆さだったり左右が逆だったり、まったく意味不明の文字さえあった。
そんな意味不明日本語Tシャツの横に、これまたどう言う訳か分からないけれど、日の丸をあしらったTシャツもあった。
(なんで日の丸のTシャツやねん?どういう訳やねん?)
そんなことを考えながら、そう言えば日本ではあんまり日の丸のTシャツは見かけないなぁ~と思った。
そこでひときわ目を引いたのが旭日旗(きょくじつき)だった。

(うわ~!!これ派手やなぁ~!センスが良いのか悪いのかは分からんが、これならステージで着たら目立つだろうなぁ~)
こんなTシャツ日本では見たことも無いし、珍しいと思った。
軍艦旗、海軍旗、旭日旗など特別な場所か団体でしかお目にかかることが無いので尚更である。
僕は迷うことなく数枚ステージ用に購入した。
日本のライブで着るのに相応しいデザインかどうかは分からなかったけれど、少なくとも海外で着る分には良いアイデアだと思った。
そう言えば、デフレパードのヴォーカルJoe Elliotも自国の国旗デザインのTシャツを着ていることを思い出した。

僕は早速LAライブで着用することにした。
お陰で、このTシャツが海外のメディアに余程のインパクトがあったらしく欧米の様々なロック雑誌など紙媒体で旭日旗を着ている僕がでかでかと紹介されることになって、瞬く間にこのTシャツが文字通り「有名」になった。

LAはカントリークラブと言うクラブでライブをやった。
サンフランシスコのWolfGangを一回りほど大きくした感じの小屋だった。
機材は現地スタッフと共にサンフランシスコから車で夜走りしてLAまで来た。
LAライブでは機材の到着も搬入もすべて問題なく時間通りに進んだ。
手元資料によると、前座バンドにイングヴェイが在籍していたスティーラーやウィッチというバンドが出たらしいけれど、僕は彼らと会話した記憶が無い。
多分、彼らと会話をしたとは思うけれど、英語がまったく分からない上に、顔が皆さん同じに見えたので誰が誰だかさっぱり分からなかった。
スティーラーは地元LAではかなり人気があるバンドらしく、彼らのファンも沢山来ていたようだ。
彼らのサウンドチェックを少しだけ拝見したけれど、やはりアメリカのロックバンド独特の明るいメタルだった。
小難しい楽器アレンジなどはあまり無く、AC/DCのようなザックリとした大味な楽曲で印象に残る大合唱サビメロディーが楽しかった。
こういうロックって日本人のDNAには無いと実感した。
スティーラーは素晴らしいバンドだと思った。
夜10時を回った頃だろうか?
いよいよLOUDNESSにとって始めてのLos Angels公演が始まる。
楽屋にはサンフランシスコで聞いた同じような歓声が聞こえてくる。
この歓声は前座のズティーラーに対してのものだろう。
彼らのパフォーマンスも物凄い受けようだった。
「おぉ~スティーラー受けてんなぁ~。俺らのライブ、どんなことになるか楽しみやね~~」
ギターのウォームアップをしながらタッカンが不敵に微笑んだ。
(お前ら待っとれよ~~~俺が驚かせてやるから!)
そんなオーラがビンビンしていた。
客席には普通のオーディエンスに混じって有名ミュージシャンやマスコミ関係者、各レコードレーベルのA&R(スカウトマンみたいな人)が大勢来ているという報告を受けた。
「二井原、ロニー・ジェームス・ディオの奥さんウエンディー・ディオが来ているらしいぞ!」
マネージャーがこっそり教えてくれた。
僕 「えっ??ほんならDioも来てんの?」
マ 「多分・・・・」
僕 「フンギャ~~~~#$&‘&$“ハリホレホ~~~!!」
マ 「Dioは確認できてないけれど、結構な有名ミュージシャン来ているみたいやで・・・」
(アホ!!そんなことはライブ終わってから言えっちゅうねん!!)
僕はマネージャーの一言で緊張のあまり全身の血が引いて吐きそうになった・・・。
Hollywood BlvdとHighland Aveの交差点を少し北に行くとFranklin Aveがあって、その近所にHoliday Innがある。
そのHoliday Innから5分ほど北へ歩いたところの某安モーテルがLOUDNESS初のLos Angels滞在場所となった。
メンバーは相部屋で僕はマー君と同じ部屋だった。
僕はどちらかと言うと片づけが凄く苦手ですぐに部屋が散らかってしまうのだが、マー君は非常に几帳面で小奇麗に荷物を片付ける。
ある日、シャワーを浴びて目の前にあったバスタオルを無意識に使ったら、烈火のごとくマー君が怒り出した。
そのバスタオルはマー君が使っていたのだ。
(おぉ~そうか、マー君は結構神経質なんやな)と思った。
まぁー確かに他人が使ったバスタオルを使うには抵抗があるわな!
それ以来、人と相部屋になると気を使うように心がけるようになった。
Los angelsはサンフランシスコよりかなり暑かった。
暑かったと言うより、灼熱に近い日差しの強さだった。
滞在していたモーテルの近所はあまり治安が良い印象では無かった。
僕たちが滞在していたホテルの目の前の通りもあまり人が歩いている様子も無く、何となく殺伐としたイメージ。
空気もサンフランシスコより明らかに乾いていて、小学校の頃によく発令された光化学スモッグの時を思い出した。
明らかにホームレスと思われるアフリカン・アメリカンがウロウロしていて少し怖かった。
ましてやメタルキッズとおぼしき人間は皆無だった。
当然ながらLos Angels全域を見たわけでもなかったけれど、少なくとも滞在していたモーテル近辺がなんとなく人工的な街だなと思った。
まぁー元々砂漠地帯だったところに街を作ったようなものだから仕方ある無い。
当時、Los Angelsと聞いて思い浮かべるバンドはEaglesとビーチボーイズ、カーペンターズと言ったメタルとは程遠いバンドばかりだった。
まさかLos Angelsでメタルが受けるとも思っていなかったし、この地にメタルバンドが沢山存在するとも思っていなかった。
ましてやここが80年代メタルのメッカになるなんて想像だにしなかった。
その上、LOUDNESSがここでライブをすることに若干の違和感を抱いていたぐらいだった。
1日オフ日があったのでメンバーで観光がてらハリウッド通りを散策。
ウインドーショッピングしたりしていると、ヘビーメタル専門店を発見。
店のショーケースにはアイヤンメーデンやモーターヘッド、サクソンなどのメタルTシャツが飾ってあった。
「おぉ!こんな所にこんなマニアックな店があるで!」
マー君が微笑みながら叫んだ!
店内には鋲のついたベルトやリストバンド、沢山のヘビーメタルのグッズが所狭しと並んでいて驚いた。
ひとしきり店内を見学して他の店へ移動。
土産物屋さんが多く、Los AngelsやHollywoodの文字をモチーフにしたTシャツがメインで売られていた。そんなTシャツの中に、どう言う訳か変な日本文字をあしらったTシャツも売っていたりする。
文字が逆さだったり左右が逆だったり、まったく意味不明の文字さえあった。
そんな意味不明日本語Tシャツの横に、これまたどう言う訳か分からないけれど、日の丸をあしらったTシャツもあった。
(なんで日の丸のTシャツやねん?どういう訳やねん?)
そんなことを考えながら、そう言えば日本ではあんまり日の丸のTシャツは見かけないなぁ~と思った。
そこでひときわ目を引いたのが旭日旗(きょくじつき)だった。

(うわ~!!これ派手やなぁ~!センスが良いのか悪いのかは分からんが、これならステージで着たら目立つだろうなぁ~)
こんなTシャツ日本では見たことも無いし、珍しいと思った。
軍艦旗、海軍旗、旭日旗など特別な場所か団体でしかお目にかかることが無いので尚更である。
僕は迷うことなく数枚ステージ用に購入した。
日本のライブで着るのに相応しいデザインかどうかは分からなかったけれど、少なくとも海外で着る分には良いアイデアだと思った。
そう言えば、デフレパードのヴォーカルJoe Elliotも自国の国旗デザインのTシャツを着ていることを思い出した。

僕は早速LAライブで着用することにした。
お陰で、このTシャツが海外のメディアに余程のインパクトがあったらしく欧米の様々なロック雑誌など紙媒体で旭日旗を着ている僕がでかでかと紹介されることになって、瞬く間にこのTシャツが文字通り「有名」になった。

LAはカントリークラブと言うクラブでライブをやった。
サンフランシスコのWolfGangを一回りほど大きくした感じの小屋だった。
機材は現地スタッフと共にサンフランシスコから車で夜走りしてLAまで来た。
LAライブでは機材の到着も搬入もすべて問題なく時間通りに進んだ。
手元資料によると、前座バンドにイングヴェイが在籍していたスティーラーやウィッチというバンドが出たらしいけれど、僕は彼らと会話した記憶が無い。
多分、彼らと会話をしたとは思うけれど、英語がまったく分からない上に、顔が皆さん同じに見えたので誰が誰だかさっぱり分からなかった。
スティーラーは地元LAではかなり人気があるバンドらしく、彼らのファンも沢山来ていたようだ。
彼らのサウンドチェックを少しだけ拝見したけれど、やはりアメリカのロックバンド独特の明るいメタルだった。
小難しい楽器アレンジなどはあまり無く、AC/DCのようなザックリとした大味な楽曲で印象に残る大合唱サビメロディーが楽しかった。
こういうロックって日本人のDNAには無いと実感した。
スティーラーは素晴らしいバンドだと思った。
夜10時を回った頃だろうか?
いよいよLOUDNESSにとって始めてのLos Angels公演が始まる。
楽屋にはサンフランシスコで聞いた同じような歓声が聞こえてくる。
この歓声は前座のズティーラーに対してのものだろう。
彼らのパフォーマンスも物凄い受けようだった。
「おぉ~スティーラー受けてんなぁ~。俺らのライブ、どんなことになるか楽しみやね~~」
ギターのウォームアップをしながらタッカンが不敵に微笑んだ。
(お前ら待っとれよ~~~俺が驚かせてやるから!)
そんなオーラがビンビンしていた。
客席には普通のオーディエンスに混じって有名ミュージシャンやマスコミ関係者、各レコードレーベルのA&R(スカウトマンみたいな人)が大勢来ているという報告を受けた。
「二井原、ロニー・ジェームス・ディオの奥さんウエンディー・ディオが来ているらしいぞ!」
マネージャーがこっそり教えてくれた。
僕 「えっ??ほんならDioも来てんの?」
マ 「多分・・・・」
僕 「フンギャ~~~~#$&‘&$“ハリホレホ~~~!!」
マ 「Dioは確認できてないけれど、結構な有名ミュージシャン来ているみたいやで・・・」
(アホ!!そんなことはライブ終わってから言えっちゅうねん!!)
僕はマネージャーの一言で緊張のあまり全身の血が引いて吐きそうになった・・・。
楽屋にいると会場から聞こえてくる歓声に震えた。
(歓声が日本のオーディエンスのトーンと違うなぁ・・・!!)
それは、海外アーティストのライブ盤で聴くことが出来るオーディエンスの歓声であった。
日本人はどちらかと言うと普通の大声で「ウォ~~!」と発するのに対して、アメリカ人の歓声はどちらかと言えば奇声と言うか、裏声を張り上げる感じである。
そして、日本人の歓声が皆一様に同じタイミングで発し、大体同じような長さで「ウォ~」と張り上げたら同じようなタイミングでフェードアウトするけれど、アメリカ人の歓声は各自が好きなタイミングで好きな長さを好きなだけ発声しているような感じがする。
日本人の歓声は波のようにうねりがあって、歓声の盛り上がり下がりの波が一定であるけれど、アメリカ人はずっとマキシマムな奇声が続いている感じがするのだ。
その上、アメリカ人の歓声は奇声の中に凄まじい指笛が混ざっているのも特徴的だ。
(うわ~ほんまにアメリカのライブや~)
僕はその独特な歓声を聞きながら喉がカラカラになっていた。
出来ることならこの場所から逃げ出したいとも思った。
確かに中学生の時、ロックを聴き始めの頃は洋楽に憧れた。
アメリカ人やイギリス人がやるバンドに憧れた。
確かに高校生の時、バンドを始めた頃は色んな場所でライブをしたいと思ったけれど、海外でライブをやることは想定外であり「夢」にも思わなかった。
そして、ロック雑誌「MUSIC LIFE」を読みながら海外のライブにも憧れた。
それはあくまで海外で本物のライブを「観たい」と言う「夢」であり、まさか海外でライブを「やる」なんて言う「夢」ではなかった。
そんな恐れ多いことは考えだにしなかった。
タッカンと出会って「海外」と言う言葉がようやく「夢」として僕の意識の中に入り込んできた。
僕にとってはあくまでも「いつか」「そのうち」「いずれはね・・・」と言う次元のことだったけれど、正直に言うとまさかこんなにすぐに海外ライブが実現するとは思っていなかった。
“ Hello! Sanfransisco!! How are ya doing tonight? It’s so great to be here in Sanfransiscoooooooooo!!”
ダニーが挨拶MCの決まり文句の英文を書いてくれたのを何度も読んだ。
このラインを何度も読めば読むほど緊張度は増した。
今更、MCの心配をしても仕方がないので根性を決めた。
(無駄な抵抗してもアカンやろ、日本語でやったろ!)
LOUDNESSの前に数バンドの演奏があった。
自分のことに一杯で前座のバンドの演奏はあまり耳に入らなかったけれど、時折聞こえてくる演奏や歌声が本物のサウンドだった。
観客も大いに楽しんで盛り上がっているようだった。
このライブハウスに充満している空気はまさに「楽しんでいる」と言う空気だった。
みんなリラックスしてロックを楽しんでいるのだ。
楽しみ方を知り尽くしていると言うのか?
ロックの歴史を感じさせる空気である。
夜が10時を回ったころか、「そろそろ出番だぞ!」
マネージャーが楽屋に来た。
「おい、お客さん物凄い盛り上がってるぞ!」
マネージャーも汗びっしょりで走り回っていた。
「いよいよ出番やな!」
タッカンが緊張した面持ちでつぶやいた。
「ガツンといったろうや!」
マー君が言った。
「緊張せんと行こうや!」
タバコを吸いながら、スティックでストレッチをしながらひぐっつあんが言った。
僕はもう頭が真っ白になっていた。
「メンバーは客電が落ちるのでステージサイドにスタンバってください!」
そんなことを現地スタッフが英語で叫んだ。
僕たち4人はそれぞれの楽器を持ってステージの横に立って出番を待った。
ステージにはカーテンが降ろされていた。
暗転と同時にカーテンが開いた。
“WOOOOOOOO!!!!!YEAH!!!!!!!!”
凄まじい歓声が上がった。
そしてすぐに、LOUDNESSのオープニングSEが流れた。
SEと共に手拍子が聞こえた。
ステージの横で歓声と手拍子を聞きながらステージに出るタイミングを待った。
「思いっきり行けよ!!」
マネージャーの号令と共にLOUDNESSの4人は「オりゃ~~~!!」と気合を入れてステージへ飛び出した。
ステージの上はまだ薄暗い照明でオーディエンスを煽っている。
僕は歓声を上げているオーディエンスの方を見た。
(ふんぎゃ~~~~~!!!金髪が会場を埋めつくしているがなぁ~~~~~!!)
当たり前のことなのだが、こんなに多くの白人金髪のオーディエンスを見たことが無かったので目の前の光景が信じられなかった。
そして、暗転になっているはずの客席が金髪のせいかほのかに明るいのだ。
オーディエンスは皆腕をあげコブシ作って何やら叫んでいるのだが、何を言っているのかさっぱり分からなかった。
でもオーディエンスが物凄く歓迎しているのは感じた。
お陰で緊張が少しほぐれた!
オーディエンス達の目はまるで子供を見るような目であった。
小柄な東洋人4人のメタルバンドである当然のことだ。
珍しい動物を目の当たりにしたときのような興味津々の目でもあった。
僕たちがあまりに子供っぽく見えたのか、” OH MY !!”と言って口をあんぐりしている女性もいた。
前座のバンドが刺青の入った髭を生やした大男たちの集団だっただけに、尚更僕たちは幼く見えたことだろう!
タッカンがギターアンプの確認で数フレーズ弾いた。
その瞬間又歓声が上がった。
ひぐっつあんもキックドラムを踏んだ。
「ドド、ドン、ドン、ドン、ドン」
オーディエンスは歓声と共にそれに合わせて手拍子をした。
もう既に場内は熱気で溢れかえっていた。
そして僕は叫んだ。
“OH YEAH!!!!!!!”
その時会場内のボルテージは最高潮になった。
僕の叫び声に負けないぐらいの大歓声が返ってきた!
僕は嬉しかった。
すでに緊張は無くなっていた。
いつもの調子で行けると確信した。
ついに、タッカンがIN THE MIRRORのイントロを弾き始めた!
その瞬間最前列のメタルキッズが物凄いヘッドバンギングを始めた。
そしてひぐっつあんとマー君が絶妙なタイミングでイントロに突入して、会場内をそのグルーブで揺らしたのだ。
このメタル然としたスピード感一杯のリフに合わせて最前列から半分ほどのオーディエンスの首の振りようたるや尋常ではなかった。
そして、残り半分のオーディエンスは完全に凍りつき動きがとまった。
皆一様に「なんじゃこいつら!!」と言った目で我々を凝視していた。
子供を見るような目をしていた人達は、最早我を忘れてLOUDNESSの演奏にロックにのめり込んでいるようだった。
僕はありったけの声を出して歌った。
喉の調子もばっちりだった!!
歌詞は日本語だったけれどまったく問題ない様子だった。
中には一緒に歌おうとしているキッズもいた。(笑)
そしてギターソロに突入した。
タッカンはロック魂全開の凄まじいソロで会場を震撼させた。
照明はタッカンを煽りまくり、PAのサウンドも爆発しているような鬼気迫る爆音を吐き出していた。
ギターソロ明けのブレークパートが来た。
“OH YEAH!!! SANFRANSISCOOOOOOOOOOO!!!!”
ひぐっつあんとマー君のアクセントに乗って僕は叫んだ。
“WOOOOOOOO!!!!!!!!”
PAの爆音に負けないぐらいの大歓声が返ってきた!!!
この野太い大歓声を聞いたとき死んでも良いと思った。
僕の中にいる魂が喜び叫んでいるのが分かった。
僕は何かが憑依したかのようにトランス状態になった。
素晴らしいエネルギーに包まれた。
言葉も超え、人種も超えた幸福のエネルギーだった。
そしてインザミラーのエンディングが来た。
演奏に度肝を抜かれていたオーディエンスが我に返って大声を張り上げていた。
オーディエンスも皆一つになっていた。
ステージもオーディエンスも完全に一つになった!!
そしてライブハウス全部に笑顔が溢れた。
ステージの横を見ると、現地のスタッフやローディー達全員がハイタッチをして喜んでいた。
ライブハウスのスタッフは信じられないと言うゼスチャーをしながら僕に笑顔で親指を立てた。
“YEAH!!!!!!!!!LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!!”
1曲目が終わったばかりだけど凄まじいLOUDNESSコールが始まった。
そして足踏みで床をドンドン鳴らした。
スピードチューン連発のLOUDNESSの初めてのサンフランシスコ公演は嵐のように終わった。
凄まじいLOUDNESSコールを聞きながらステージを後にした。
楽屋に戻ってきたメンバーは息をゼーぜーしながらしばらく呆然とした。
みんな感動で言葉が出なかった。
「凄いライブやったな・・・・」
誰かがつぶやいた・・・・。
1983年7月11日
23歳の僕にとって忘れることのできない経験だった。
僕は少し大人になった気がした。
(歓声が日本のオーディエンスのトーンと違うなぁ・・・!!)
それは、海外アーティストのライブ盤で聴くことが出来るオーディエンスの歓声であった。
日本人はどちらかと言うと普通の大声で「ウォ~~!」と発するのに対して、アメリカ人の歓声はどちらかと言えば奇声と言うか、裏声を張り上げる感じである。
そして、日本人の歓声が皆一様に同じタイミングで発し、大体同じような長さで「ウォ~」と張り上げたら同じようなタイミングでフェードアウトするけれど、アメリカ人の歓声は各自が好きなタイミングで好きな長さを好きなだけ発声しているような感じがする。
日本人の歓声は波のようにうねりがあって、歓声の盛り上がり下がりの波が一定であるけれど、アメリカ人はずっとマキシマムな奇声が続いている感じがするのだ。
その上、アメリカ人の歓声は奇声の中に凄まじい指笛が混ざっているのも特徴的だ。
(うわ~ほんまにアメリカのライブや~)
僕はその独特な歓声を聞きながら喉がカラカラになっていた。
出来ることならこの場所から逃げ出したいとも思った。
確かに中学生の時、ロックを聴き始めの頃は洋楽に憧れた。
アメリカ人やイギリス人がやるバンドに憧れた。
確かに高校生の時、バンドを始めた頃は色んな場所でライブをしたいと思ったけれど、海外でライブをやることは想定外であり「夢」にも思わなかった。
そして、ロック雑誌「MUSIC LIFE」を読みながら海外のライブにも憧れた。
それはあくまで海外で本物のライブを「観たい」と言う「夢」であり、まさか海外でライブを「やる」なんて言う「夢」ではなかった。
そんな恐れ多いことは考えだにしなかった。
タッカンと出会って「海外」と言う言葉がようやく「夢」として僕の意識の中に入り込んできた。
僕にとってはあくまでも「いつか」「そのうち」「いずれはね・・・」と言う次元のことだったけれど、正直に言うとまさかこんなにすぐに海外ライブが実現するとは思っていなかった。
“ Hello! Sanfransisco!! How are ya doing tonight? It’s so great to be here in Sanfransiscoooooooooo!!”
ダニーが挨拶MCの決まり文句の英文を書いてくれたのを何度も読んだ。
このラインを何度も読めば読むほど緊張度は増した。
今更、MCの心配をしても仕方がないので根性を決めた。
(無駄な抵抗してもアカンやろ、日本語でやったろ!)
LOUDNESSの前に数バンドの演奏があった。
自分のことに一杯で前座のバンドの演奏はあまり耳に入らなかったけれど、時折聞こえてくる演奏や歌声が本物のサウンドだった。
観客も大いに楽しんで盛り上がっているようだった。
このライブハウスに充満している空気はまさに「楽しんでいる」と言う空気だった。
みんなリラックスしてロックを楽しんでいるのだ。
楽しみ方を知り尽くしていると言うのか?
ロックの歴史を感じさせる空気である。
夜が10時を回ったころか、「そろそろ出番だぞ!」
マネージャーが楽屋に来た。
「おい、お客さん物凄い盛り上がってるぞ!」
マネージャーも汗びっしょりで走り回っていた。
「いよいよ出番やな!」
タッカンが緊張した面持ちでつぶやいた。
「ガツンといったろうや!」
マー君が言った。
「緊張せんと行こうや!」
タバコを吸いながら、スティックでストレッチをしながらひぐっつあんが言った。
僕はもう頭が真っ白になっていた。
「メンバーは客電が落ちるのでステージサイドにスタンバってください!」
そんなことを現地スタッフが英語で叫んだ。
僕たち4人はそれぞれの楽器を持ってステージの横に立って出番を待った。
ステージにはカーテンが降ろされていた。
暗転と同時にカーテンが開いた。
“WOOOOOOOO!!!!!YEAH!!!!!!!!”
凄まじい歓声が上がった。
そしてすぐに、LOUDNESSのオープニングSEが流れた。
SEと共に手拍子が聞こえた。
ステージの横で歓声と手拍子を聞きながらステージに出るタイミングを待った。
「思いっきり行けよ!!」
マネージャーの号令と共にLOUDNESSの4人は「オりゃ~~~!!」と気合を入れてステージへ飛び出した。
ステージの上はまだ薄暗い照明でオーディエンスを煽っている。
僕は歓声を上げているオーディエンスの方を見た。
(ふんぎゃ~~~~~!!!金髪が会場を埋めつくしているがなぁ~~~~~!!)
当たり前のことなのだが、こんなに多くの白人金髪のオーディエンスを見たことが無かったので目の前の光景が信じられなかった。
そして、暗転になっているはずの客席が金髪のせいかほのかに明るいのだ。
オーディエンスは皆腕をあげコブシ作って何やら叫んでいるのだが、何を言っているのかさっぱり分からなかった。
でもオーディエンスが物凄く歓迎しているのは感じた。
お陰で緊張が少しほぐれた!
オーディエンス達の目はまるで子供を見るような目であった。
小柄な東洋人4人のメタルバンドである当然のことだ。
珍しい動物を目の当たりにしたときのような興味津々の目でもあった。
僕たちがあまりに子供っぽく見えたのか、” OH MY !!”と言って口をあんぐりしている女性もいた。
前座のバンドが刺青の入った髭を生やした大男たちの集団だっただけに、尚更僕たちは幼く見えたことだろう!
タッカンがギターアンプの確認で数フレーズ弾いた。
その瞬間又歓声が上がった。
ひぐっつあんもキックドラムを踏んだ。
「ドド、ドン、ドン、ドン、ドン」
オーディエンスは歓声と共にそれに合わせて手拍子をした。
もう既に場内は熱気で溢れかえっていた。
そして僕は叫んだ。
“OH YEAH!!!!!!!”
その時会場内のボルテージは最高潮になった。
僕の叫び声に負けないぐらいの大歓声が返ってきた!
僕は嬉しかった。
すでに緊張は無くなっていた。
いつもの調子で行けると確信した。
ついに、タッカンがIN THE MIRRORのイントロを弾き始めた!
その瞬間最前列のメタルキッズが物凄いヘッドバンギングを始めた。
そしてひぐっつあんとマー君が絶妙なタイミングでイントロに突入して、会場内をそのグルーブで揺らしたのだ。
このメタル然としたスピード感一杯のリフに合わせて最前列から半分ほどのオーディエンスの首の振りようたるや尋常ではなかった。
そして、残り半分のオーディエンスは完全に凍りつき動きがとまった。
皆一様に「なんじゃこいつら!!」と言った目で我々を凝視していた。
子供を見るような目をしていた人達は、最早我を忘れてLOUDNESSの演奏にロックにのめり込んでいるようだった。
僕はありったけの声を出して歌った。
喉の調子もばっちりだった!!
歌詞は日本語だったけれどまったく問題ない様子だった。
中には一緒に歌おうとしているキッズもいた。(笑)
そしてギターソロに突入した。
タッカンはロック魂全開の凄まじいソロで会場を震撼させた。
照明はタッカンを煽りまくり、PAのサウンドも爆発しているような鬼気迫る爆音を吐き出していた。
ギターソロ明けのブレークパートが来た。
“OH YEAH!!! SANFRANSISCOOOOOOOOOOO!!!!”
ひぐっつあんとマー君のアクセントに乗って僕は叫んだ。
“WOOOOOOOO!!!!!!!!”
PAの爆音に負けないぐらいの大歓声が返ってきた!!!
この野太い大歓声を聞いたとき死んでも良いと思った。
僕の中にいる魂が喜び叫んでいるのが分かった。
僕は何かが憑依したかのようにトランス状態になった。
素晴らしいエネルギーに包まれた。
言葉も超え、人種も超えた幸福のエネルギーだった。
そしてインザミラーのエンディングが来た。
演奏に度肝を抜かれていたオーディエンスが我に返って大声を張り上げていた。
オーディエンスも皆一つになっていた。
ステージもオーディエンスも完全に一つになった!!
そしてライブハウス全部に笑顔が溢れた。
ステージの横を見ると、現地のスタッフやローディー達全員がハイタッチをして喜んでいた。
ライブハウスのスタッフは信じられないと言うゼスチャーをしながら僕に笑顔で親指を立てた。
“YEAH!!!!!!!!!LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!!”
1曲目が終わったばかりだけど凄まじいLOUDNESSコールが始まった。
そして足踏みで床をドンドン鳴らした。
スピードチューン連発のLOUDNESSの初めてのサンフランシスコ公演は嵐のように終わった。
凄まじいLOUDNESSコールを聞きながらステージを後にした。
楽屋に戻ってきたメンバーは息をゼーぜーしながらしばらく呆然とした。
みんな感動で言葉が出なかった。
「凄いライブやったな・・・・」
誰かがつぶやいた・・・・。
1983年7月11日
23歳の僕にとって忘れることのできない経験だった。
僕は少し大人になった気がした。
1983年7月11日 ライブ初日@Wolfgang サンフランシスコ
その日は快晴だった。
初夏の清々しい青い空が気持ち良かった。
人生初の時差ボケに戸惑いながらも気分は充実していた。
LOUDNESSにとって初めての海外公演の日である。
どんな事態になるのかまったく想像がつかなかった。
「大丈夫だよ!いつも日本でやっているようなライブが出来れば大成功さ!」
少しナーバスになっているメンバーに、エンジニアのダニーがウインクをしながら微笑んだ。
お昼2時頃に会場へ入ることになっていた。
僕たちは時間通りに会場へ着いたけれど、ライブハウスの扉はしっかり閉ざされて人の気配は無い。
本当にこの日ライブがあるのか?と心配になるほどだった。
マネージャーとメンバーは、いきなりライブハウスの入り口の前で待ちぼうけを喰らうことになった。
「なんかしらんけど、ゆったりしてんなぁ・・。ほんまにスタッフ来るんか?もう予定の時間30分まわってるでぇ~」
ひぐっつあんがタバコを吸いながら呟いた。
「ダニーもまだ来てへんなぁ・・・」
「楽器はもう到着してんのかな?」
「楽器は誰が持って来ることになってんの?」
「こんなのんびりしてたら、サウンドチェックできひんのちゃうか?」
日本ではオンタイムで物事が進むことに慣れきっていたメンバーがイライラしてきた。
それでなくとも、アメリカライブ初日という事で普段とは違う状況に戸惑っているだけにメンバーのピリピリ度は増していった。
入り口の前で待つこと1時間半・・・・未だライブハウスの関係者は来る気配が無い。
楽器も到着していない模様だ。
「カリフォルニアタ~~~イム!!」
誰かが言った。
こののんびりした雰囲気を見事に表現している言葉だと思った。
それ以来メンバーは、アメリカで時間通りに物事が進まない時があったら、「カリフォルニアタ~~イム!!」と言って納得&辛抱した。
マネージャーも焦りだしてダニーへ連絡を取ろうと必死だった。
入り口の前でメンバーが待ちぼうけをしていると、少しずつだがメタルファッションに身を包んだメタルキッズが集まりだしてきた。
「ヘイ!お前らLOUDNESSか?」
どうやらライブを観にきた人達だった。
話しかけてくるのだけど、英語が出来ないメンバーは愛想笑いをするしかなかった。
「まだ楽器が来ないのか?」
彼等のゼスチャーで何となくコミュニケーションが出来た。
「No Drums, No guitars yet…」
誰かが拙い英語で答えた。
そうこうしているうちに楽器車がようやく到着した。
「おいおい!えらい遅いやん!!」
マネージャーが言った。
「ごめん、ごめん車が混んじゃってて!!」
ダニーは汗だくになっていた。
楽器車にはダニーとダニーの弟のタミーと友達が手伝いに駆けつけてくれた。
時間が無い、とにかく急いで楽器を搬入することになった。
ダニー、タミー、ダニーの友人が手際よく楽器を車から降ろし始めた。
メンバーも手伝おうと思ったが、何分自分たちで楽器を運んだり、セッティングすることが無いのでとにかく要領が悪かった・・・むしろ、我々は足手まといですらあった・・・。
そんな様子をずっと横で見ていて、見るに見かねたのか、さっき話しかけてきたファンの人達数人が楽器搬入を何も言わずに手伝い始めたのだ!
気がつけば、LOUDNESSのスタッフとは全然関係の無い屈強な大男達が5~6人、ダニー等に混じって汗を流してくれていた。
皆ライブを見に来ただけのファンの人達なのに・・・本当にありがたかった。
「Thank you…」
この突然の展開にメンバーは感動した。
“Hey, No problem! LOUDNESS kick ass!!”
ファンの人達は笑顔で楽器を軽々と持ち上げてステージまで運んでくれた。
ファンの人達の協力もあり、お陰で搬入はあっという間に終わった。
メンバー全員、アメリカのライブハウスは当然始めてだ。
僕の知っている日本のライブハウスとはまったく違った雰囲気だった。
とは言え、僕のライブハウス経験と言えば、大阪、京都のライブハウス数箇所ぐらいしかない。
はっきり言って日本のライブハウス事情もあまり詳しいとは言えなかった。
ひぐっつあんもタッカンもライブハウスの経験がそれほどあったとも思えなかった。
よくよく考えると、LOUDNESSは、アースシェイカーのようにライブハウスから叩き上げて這い上がって来たバンドではない。
デビューでいきなり2700人の会場だった。
その後はその規模の会場でのライブばかりだった。
こうして考えると、LOUDNESSはイレギュラーな進化をして来たバンドだった。
要するに、LOUDNESSは日本で普通のバンドなら経験するような所謂「下積み苦労」と言うものが無かった。
いきなり売れたのだ。
勿論、レイジーと言う伏線が「下積み苦労」を吹っ飛ばしてくれたのは言うまでもないが、それにしても売れるスピードは凄まじく速かった。
僕などはそのスピードに追いついていけなかったのだから。
LOUDNESS結成から2年が経って、始めて何も無い土壌からバンドがスタートを切ろうとしている。
この国にはレイジーのようなアドヴァンテージは無い。
アメリカのライブハウスでは日本で使っているような豪華なステージセットは無い。
超派手な照明も、物凄い量のPAシステムも。
ここにあるのは最小限の照明とPAだけだ。
バンドの本当の実力が試される時が来たのだ。
LOUDNESSが自分たちの力でゼロから成功を掴む旅が今始まろうとしている。
始めての海外活動はアメリカはサンフランシスコのライブハウスがスタートであり、同時にこれがバンドLOUDNESSとして本当の意味での出発であったのだ。
そうだ、このライブハウスがLOUDNESSの第二のデビュー、まさにゼロからの出発点なのだ。
外ではすでに、ライブが待ちきれないかなりの数のメタルキッズの雄叫びがこだましていた。
僕はこのアメリカの屈強な大男たちのヘビーメタルな雄叫びを聞き、緊張がピークに達していた。
緊張で何度も吐きそうになった・・・。
こうして、4人の若い侍の命がけの挑戦が始まったのだ。
その日は快晴だった。
初夏の清々しい青い空が気持ち良かった。
人生初の時差ボケに戸惑いながらも気分は充実していた。
LOUDNESSにとって初めての海外公演の日である。
どんな事態になるのかまったく想像がつかなかった。
「大丈夫だよ!いつも日本でやっているようなライブが出来れば大成功さ!」
少しナーバスになっているメンバーに、エンジニアのダニーがウインクをしながら微笑んだ。
お昼2時頃に会場へ入ることになっていた。
僕たちは時間通りに会場へ着いたけれど、ライブハウスの扉はしっかり閉ざされて人の気配は無い。
本当にこの日ライブがあるのか?と心配になるほどだった。
マネージャーとメンバーは、いきなりライブハウスの入り口の前で待ちぼうけを喰らうことになった。
「なんかしらんけど、ゆったりしてんなぁ・・。ほんまにスタッフ来るんか?もう予定の時間30分まわってるでぇ~」
ひぐっつあんがタバコを吸いながら呟いた。
「ダニーもまだ来てへんなぁ・・・」
「楽器はもう到着してんのかな?」
「楽器は誰が持って来ることになってんの?」
「こんなのんびりしてたら、サウンドチェックできひんのちゃうか?」
日本ではオンタイムで物事が進むことに慣れきっていたメンバーがイライラしてきた。
それでなくとも、アメリカライブ初日という事で普段とは違う状況に戸惑っているだけにメンバーのピリピリ度は増していった。
入り口の前で待つこと1時間半・・・・未だライブハウスの関係者は来る気配が無い。
楽器も到着していない模様だ。
「カリフォルニアタ~~~イム!!」
誰かが言った。
こののんびりした雰囲気を見事に表現している言葉だと思った。
それ以来メンバーは、アメリカで時間通りに物事が進まない時があったら、「カリフォルニアタ~~イム!!」と言って納得&辛抱した。
マネージャーも焦りだしてダニーへ連絡を取ろうと必死だった。
入り口の前でメンバーが待ちぼうけをしていると、少しずつだがメタルファッションに身を包んだメタルキッズが集まりだしてきた。
「ヘイ!お前らLOUDNESSか?」
どうやらライブを観にきた人達だった。
話しかけてくるのだけど、英語が出来ないメンバーは愛想笑いをするしかなかった。
「まだ楽器が来ないのか?」
彼等のゼスチャーで何となくコミュニケーションが出来た。
「No Drums, No guitars yet…」
誰かが拙い英語で答えた。
そうこうしているうちに楽器車がようやく到着した。
「おいおい!えらい遅いやん!!」
マネージャーが言った。
「ごめん、ごめん車が混んじゃってて!!」
ダニーは汗だくになっていた。
楽器車にはダニーとダニーの弟のタミーと友達が手伝いに駆けつけてくれた。
時間が無い、とにかく急いで楽器を搬入することになった。
ダニー、タミー、ダニーの友人が手際よく楽器を車から降ろし始めた。
メンバーも手伝おうと思ったが、何分自分たちで楽器を運んだり、セッティングすることが無いのでとにかく要領が悪かった・・・むしろ、我々は足手まといですらあった・・・。
そんな様子をずっと横で見ていて、見るに見かねたのか、さっき話しかけてきたファンの人達数人が楽器搬入を何も言わずに手伝い始めたのだ!
気がつけば、LOUDNESSのスタッフとは全然関係の無い屈強な大男達が5~6人、ダニー等に混じって汗を流してくれていた。
皆ライブを見に来ただけのファンの人達なのに・・・本当にありがたかった。
「Thank you…」
この突然の展開にメンバーは感動した。
“Hey, No problem! LOUDNESS kick ass!!”
ファンの人達は笑顔で楽器を軽々と持ち上げてステージまで運んでくれた。
ファンの人達の協力もあり、お陰で搬入はあっという間に終わった。
メンバー全員、アメリカのライブハウスは当然始めてだ。
僕の知っている日本のライブハウスとはまったく違った雰囲気だった。
とは言え、僕のライブハウス経験と言えば、大阪、京都のライブハウス数箇所ぐらいしかない。
はっきり言って日本のライブハウス事情もあまり詳しいとは言えなかった。
ひぐっつあんもタッカンもライブハウスの経験がそれほどあったとも思えなかった。
よくよく考えると、LOUDNESSは、アースシェイカーのようにライブハウスから叩き上げて這い上がって来たバンドではない。
デビューでいきなり2700人の会場だった。
その後はその規模の会場でのライブばかりだった。
こうして考えると、LOUDNESSはイレギュラーな進化をして来たバンドだった。
要するに、LOUDNESSは日本で普通のバンドなら経験するような所謂「下積み苦労」と言うものが無かった。
いきなり売れたのだ。
勿論、レイジーと言う伏線が「下積み苦労」を吹っ飛ばしてくれたのは言うまでもないが、それにしても売れるスピードは凄まじく速かった。
僕などはそのスピードに追いついていけなかったのだから。
LOUDNESS結成から2年が経って、始めて何も無い土壌からバンドがスタートを切ろうとしている。
この国にはレイジーのようなアドヴァンテージは無い。
アメリカのライブハウスでは日本で使っているような豪華なステージセットは無い。
超派手な照明も、物凄い量のPAシステムも。
ここにあるのは最小限の照明とPAだけだ。
バンドの本当の実力が試される時が来たのだ。
LOUDNESSが自分たちの力でゼロから成功を掴む旅が今始まろうとしている。
始めての海外活動はアメリカはサンフランシスコのライブハウスがスタートであり、同時にこれがバンドLOUDNESSとして本当の意味での出発であったのだ。
そうだ、このライブハウスがLOUDNESSの第二のデビュー、まさにゼロからの出発点なのだ。
外ではすでに、ライブが待ちきれないかなりの数のメタルキッズの雄叫びがこだましていた。
僕はこのアメリカの屈強な大男たちのヘビーメタルな雄叫びを聞き、緊張がピークに達していた。
緊張で何度も吐きそうになった・・・。
こうして、4人の若い侍の命がけの挑戦が始まったのだ。
1983年7月某日@サンフランシスコ
「UriahHeepのライブがあって、そのライブのゲストの話があるんだけど」
「ユ、ユーライヤヒープ????」
LOUDNESS初のカリフォルニアツアーが始まるその日、マネージャーがおもむろに言った。
ユライヤヒープと言えば、すでに70年代ロックバンドのレジェンド(伝説)的存在であった。
高校生の頃、僕はシャラから幾度と無くレコードを借りていてよく知っていたし、そのバンドのゲストに出られるなんて光栄な話であった。
「ど、どこでそのライブがあるのですか?」
誰かがダニーに聞いた。
「サンフランシスコのどこかのクラブだと思うけど」
「クラブですか・・・へぇ~あんな有名なバンドでもクラブなんですね」
「そんなものだよ!」
ダニーが平然と言った。
ユライヤヒープがクラブでやるのか・・・
僕は意外だと思った。
日本なら間違いなく2000人クラスのホールか、もしかしたら武道館クラスかも・・と色々考えた。
ちなみに、クラブとは日本で言うところのライブハウスである。
僕の数人のアメリカの友人に聞いたところ、アメリカでは「ライブハウス」と言う言葉は使わないけど、彼らが「ライブハウス」と聞けば、「ロック」より「ストリップショー」をイメージするそうだ。
音楽を演奏するような日本で言うところの「ライブハウス」は、アメリカでは「クラブ」と言うことを始めて知った。
午前中にこのユーライヤヒープの話があったけど、なんと午後にはそのライブがキャンセルになっていた。
「もはやキャンセルかい!はや~~~!ほんまかいな!!」
「こんなこと良くあるよ」
ダニーがまたまた平然と言った。
(アメリカのライブ事情は我々日本国内ではあまり考えられないような事態が起こるようだ!)
その時は唖然としたけれど、その後スケジューリングからタイムスケジュールにいたる、アメリカ独自のコンサート/ライブ運営法に慣れるのも早かった。
80年代にサンフランシスコのベイエリアと呼ばれる場所からLAZZ ROKIT, EXODUS,DEATH ANGEL,TETAMENTなど、スラッシュメタルバンドが沢山誕生してベイアリアが「スラッシュクランチの発祥の地」と呼ばれるようになった。
その同じ時代に、奇しくも遠い日本からLOUDNESSが吸い寄せられるようにこのベイエリアに来たのも何か因縁深いものを感じる。
何度も言うようだが、初めてサンフランシスコへ行った頃、サンフランシスコとヘビーメタルやハードロックが同列にイメージ出来無かった。
サンフランシスコのロックと言えば、漠然とだが、ほのぼのとした街のイメージと共に、あくまでもサーフィンロックやジャニスジョップリンなどのサイケデリックロック、サザンロックなどのレイドバックしたロックのイメージしか沸いてこなかったのだ。
ところが、実際はそうでは無かったのだ。
若者は激しいロックに飢えていた。
ヘビーでハードでスピード感のあるロックに飢えていたのである。
サンフランシスコ到着後、僕たちはあるヘビーメタル専門レコードショップへ招かれた。
「このレコード屋さんはサンフランシスコで絶大な影響力を持っているメタル専門店だよ」
ダニーが説明してくれた。
確かにそこは普通のレコード屋ではなかった。
アンダーグランドのメタルロック専門店で、世界中からメタルレコードを輸入していた。
勿論、日本からもだ。
そこの店長はメタル命のおっさんだった。
我々が店に入った時、すでに店には熱心なメタルファンで一杯だった。
お客さんは皆非常に若くて、恐らく14~16歳頃だろう。
彼らは皆、黒の革ジャンにお気に入りのメタルバンドのロゴをあしらい、鋲のついたベルト、リストバンド、長髪と言った絵にかいたようなメタルキッズファッションだった。
今風に言えば「ベイエリアのメタルオタクの巣窟」と言えよう。
我々が店内に入るとすぐさま「LOUDNESS!!!!」と叫びお客さんが近寄ってきた。
彼らは我々が店に来る情報をすでに掴んでいて我々を待っていてくれたのだ。
彼らは身に着けているファッションは怖いけれど、あどけない笑顔で抱きつき、まくし立てた。
「LOUDNESS!!俺たちはずっとお前たちがアメリカに来るのを待っていたんだよ!!」
ダニーが通訳してくれた。
我々はそこの店で、ベイエリアのファンジン(メタルファンの同人誌みたいなもの)の取材を受けた。
当然我々にとってはアメリカで始めてのメディア取材となった。
彼らにとって、我々はまさに『エイリアン』だったに違いない。
東洋人によるメタルバンド・・・・。
彼らには聞きたいことが山ほどあった。
「日本のメタル事情は?」「我々の音楽的バックグラウンドは?」「日本のメタルライブの様子」「LOUDNESSのようなバンドが他に日本には多くいるのか?」「日本人はロックをいつ頃から聴き始めるのか?」「そもそもロックはポピュラーな音楽なのか?」「親の世代はロックやメタルに関してどう思っているのか?」「楽器は簡単に手に入るのか?どこで買うのか?」「楽器は自己流で習得したのか?」「学校の先生はメタルをどう思っているのか?」「メタルを職業にして親はなんと言っている?」、はたまた「日本には未だに侍はいるのか?」「刀を持っているのか?」「LOUDNESSもちょんまげやふんどしをするのか?」「いつちょんまげをするのか?」「寿司やてんぷらばかり食べるのか?」・・・
彼らの僕たちへの興味は尽きないようだった。
逆に僕は聴いた。
「LOUDNESSのメタルはどうだい?」
彼らは大声で真っ赤な顔で答えてくれた。
「ユニークだ!とても日本的だ!俺たちには無いグルーブやバイブレーションに溢れている!ミステリアスだ!とにかく凄い!ロックしている!メタルだ!!!!」
ここサンフランシスコにはシャレにならないほどの熱心なメタルファンがいると思った。
そして後日、案の定、このベイエリアメタルキッズは世界のロックシーンを塗り替えるほどの巨大な力となりその影響力は絶大なものとなった。
「LOUDNESS!!ライブを楽しみにしているよ!!」
我々が表敬訪問したレコード店を出る時にあっちこっちでお客さんが声をかけてくれた。
"BURNING LOVE!!" "ANGEL DUST!!" "IN THE MORROR!!""YEAH!!!!"
店内のあちこちで曲名を叫び、歓声があがった!
サンフランシスコは我々が想像していたのとは違った、本格的なメタルの街であった。
僕はこれから始まるアメリカライブが凄いことになるような予感がした。
「UriahHeepのライブがあって、そのライブのゲストの話があるんだけど」
「ユ、ユーライヤヒープ????」
LOUDNESS初のカリフォルニアツアーが始まるその日、マネージャーがおもむろに言った。
ユライヤヒープと言えば、すでに70年代ロックバンドのレジェンド(伝説)的存在であった。
高校生の頃、僕はシャラから幾度と無くレコードを借りていてよく知っていたし、そのバンドのゲストに出られるなんて光栄な話であった。
「ど、どこでそのライブがあるのですか?」
誰かがダニーに聞いた。
「サンフランシスコのどこかのクラブだと思うけど」
「クラブですか・・・へぇ~あんな有名なバンドでもクラブなんですね」
「そんなものだよ!」
ダニーが平然と言った。
ユライヤヒープがクラブでやるのか・・・
僕は意外だと思った。
日本なら間違いなく2000人クラスのホールか、もしかしたら武道館クラスかも・・と色々考えた。
ちなみに、クラブとは日本で言うところのライブハウスである。
僕の数人のアメリカの友人に聞いたところ、アメリカでは「ライブハウス」と言う言葉は使わないけど、彼らが「ライブハウス」と聞けば、「ロック」より「ストリップショー」をイメージするそうだ。
音楽を演奏するような日本で言うところの「ライブハウス」は、アメリカでは「クラブ」と言うことを始めて知った。
午前中にこのユーライヤヒープの話があったけど、なんと午後にはそのライブがキャンセルになっていた。
「もはやキャンセルかい!はや~~~!ほんまかいな!!」
「こんなこと良くあるよ」
ダニーがまたまた平然と言った。
(アメリカのライブ事情は我々日本国内ではあまり考えられないような事態が起こるようだ!)
その時は唖然としたけれど、その後スケジューリングからタイムスケジュールにいたる、アメリカ独自のコンサート/ライブ運営法に慣れるのも早かった。
80年代にサンフランシスコのベイエリアと呼ばれる場所からLAZZ ROKIT, EXODUS,DEATH ANGEL,TETAMENTなど、スラッシュメタルバンドが沢山誕生してベイアリアが「スラッシュクランチの発祥の地」と呼ばれるようになった。
その同じ時代に、奇しくも遠い日本からLOUDNESSが吸い寄せられるようにこのベイエリアに来たのも何か因縁深いものを感じる。
何度も言うようだが、初めてサンフランシスコへ行った頃、サンフランシスコとヘビーメタルやハードロックが同列にイメージ出来無かった。
サンフランシスコのロックと言えば、漠然とだが、ほのぼのとした街のイメージと共に、あくまでもサーフィンロックやジャニスジョップリンなどのサイケデリックロック、サザンロックなどのレイドバックしたロックのイメージしか沸いてこなかったのだ。
ところが、実際はそうでは無かったのだ。
若者は激しいロックに飢えていた。
ヘビーでハードでスピード感のあるロックに飢えていたのである。
サンフランシスコ到着後、僕たちはあるヘビーメタル専門レコードショップへ招かれた。
「このレコード屋さんはサンフランシスコで絶大な影響力を持っているメタル専門店だよ」
ダニーが説明してくれた。
確かにそこは普通のレコード屋ではなかった。
アンダーグランドのメタルロック専門店で、世界中からメタルレコードを輸入していた。
勿論、日本からもだ。
そこの店長はメタル命のおっさんだった。
我々が店に入った時、すでに店には熱心なメタルファンで一杯だった。
お客さんは皆非常に若くて、恐らく14~16歳頃だろう。
彼らは皆、黒の革ジャンにお気に入りのメタルバンドのロゴをあしらい、鋲のついたベルト、リストバンド、長髪と言った絵にかいたようなメタルキッズファッションだった。
今風に言えば「ベイエリアのメタルオタクの巣窟」と言えよう。
我々が店内に入るとすぐさま「LOUDNESS!!!!」と叫びお客さんが近寄ってきた。
彼らは我々が店に来る情報をすでに掴んでいて我々を待っていてくれたのだ。
彼らは身に着けているファッションは怖いけれど、あどけない笑顔で抱きつき、まくし立てた。
「LOUDNESS!!俺たちはずっとお前たちがアメリカに来るのを待っていたんだよ!!」
ダニーが通訳してくれた。
我々はそこの店で、ベイエリアのファンジン(メタルファンの同人誌みたいなもの)の取材を受けた。
当然我々にとってはアメリカで始めてのメディア取材となった。
彼らにとって、我々はまさに『エイリアン』だったに違いない。
東洋人によるメタルバンド・・・・。
彼らには聞きたいことが山ほどあった。
「日本のメタル事情は?」「我々の音楽的バックグラウンドは?」「日本のメタルライブの様子」「LOUDNESSのようなバンドが他に日本には多くいるのか?」「日本人はロックをいつ頃から聴き始めるのか?」「そもそもロックはポピュラーな音楽なのか?」「親の世代はロックやメタルに関してどう思っているのか?」「楽器は簡単に手に入るのか?どこで買うのか?」「楽器は自己流で習得したのか?」「学校の先生はメタルをどう思っているのか?」「メタルを職業にして親はなんと言っている?」、はたまた「日本には未だに侍はいるのか?」「刀を持っているのか?」「LOUDNESSもちょんまげやふんどしをするのか?」「いつちょんまげをするのか?」「寿司やてんぷらばかり食べるのか?」・・・
彼らの僕たちへの興味は尽きないようだった。
逆に僕は聴いた。
「LOUDNESSのメタルはどうだい?」
彼らは大声で真っ赤な顔で答えてくれた。
「ユニークだ!とても日本的だ!俺たちには無いグルーブやバイブレーションに溢れている!ミステリアスだ!とにかく凄い!ロックしている!メタルだ!!!!」
ここサンフランシスコにはシャレにならないほどの熱心なメタルファンがいると思った。
そして後日、案の定、このベイエリアメタルキッズは世界のロックシーンを塗り替えるほどの巨大な力となりその影響力は絶大なものとなった。
「LOUDNESS!!ライブを楽しみにしているよ!!」
我々が表敬訪問したレコード店を出る時にあっちこっちでお客さんが声をかけてくれた。
"BURNING LOVE!!" "ANGEL DUST!!" "IN THE MORROR!!""YEAH!!!!"
店内のあちこちで曲名を叫び、歓声があがった!
サンフランシスコは我々が想像していたのとは違った、本格的なメタルの街であった。
僕はこれから始まるアメリカライブが凄いことになるような予感がした。
もし異次元への旅が存在するならば、海外への飛行はまさにそれだと思った。
飛行機は始終雲より遥か高い所を飛行し、窓から見える外の景色はそれまでの人生で経験のしたことの無い色彩に溢れていた。
空はどこまでも青く、曇りが無かった。
飛行中何度か断続的に眠りに落ちたけれど、目を開けるたびに「もう着いたか?」と独り言を言った。
成田を出発した時は夕方4時ごろだったけれど、いつの間にか太陽は見えなくなり、遥か彼方、地球の端へ落ちて行ったようだ。

太陽は見えなくなったけれど、空はますます青くなって、太陽が落ちて行った所がピンク色に染まった。
その風景がとても幻想的で吸い込まれるように見とれた。
飛行中、たどたどしい英語で食事を注文し、ビールを呑み、再び眠りに落ちた。
何度目かの目覚めで窓の外が少し再び明るくなってきたのを感じた。
今度は太陽が姿を現してきたのだ・・・。
相変わらず飛行機は雲の遥か上を飛行していたけれど、いったい眼下に広がる雲の下はどうなっているのか興味があった。
いつの間にか、ずっと向こうの方におぼろげながら大陸が見えてきた・・・。
(おっ!あれはアメリカかなんか?)
僕は始めてみるアメリカに興奮した。
見る見るうちに、大陸はその姿をはっきりと現した。
まさに穴が開くほどに見とれた。
気がついたら、眼下には町並みや家らしきものが見えてきた。
車が動いているのが見えた、ビルが見えた、野球場らしきものが見えた、広大な畑が見えた・・。
「当機はまもなくサンフランシスコ空港に到着します・・・・」
機内のモニター画面には現地の朝のトークショーが映し出されていた。
早口で何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、どこの国も朝のバラエティー番組は似たようなものだと思った。
飛行機は大きく旋回をはじめ着陸態勢に入った。
窓の外はサンフランシスコの町なのか?大きなビルの群れや忙しそうに走る車が見えた。

(いよいよやなぁ・・・)
不思議と緊張もなかった。
これから初めてのアメリカライブだと言うのに、まるで人事のような気分だった。
入国審査も無事終わり、観光旅行とは思えないような楽器の群れをメンバー4人とマネージャーで運んだ。
観光客のアメリカ人を見たことはあっても、制服を着てしっかり忙しそうに働いているアメリカ人を直に見るのは初めてだったので不思議な感じがした。
白人で金髪のお人形さんのような綺麗な女性が売店にいた。
黒人のでっぷりとした警察官、シルベスタースターローンのような人が荷物を運んでいた。
何もかもが不思議だった。
溢れかえる人を掻き分けて、LOUDNESS一同はやっとサンフランシスコ空港の外に出た。
「やった~~~サンフランシスコ上陸や!!」
誰かが言った。
日差しがきついけれど、空気が軽いような気がした。
ダニーが迎えに来ていて、早速車でホテルへ向かった。
移動中、外の車を見ながら誰かが言った。
「いっぱい外国人が運転してるでぇ~」
「あほか、今は俺らが外国人やろ!」
あまり面白くも無いお決まりの会話をしながら外の風景を見て、異国にいることを再確認したのだ。
決して高級ホテルでは無い、モーテル風ホテルへチェックイン。
このホテルの部屋に入ったとたん、部屋に充満する日本ではなじみの無い香料の匂いがした。
日本人のセンスには無い大味な香りに若干の頭痛を覚えた。
よくよく見ると、香りだけでなく、すべてのものが大雑把なように思えた。
靴を脱ぎたいが、どこへ脱いで良いか分からぬ・・・。
とにかくその辺に靴を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。
シャンプーもあまり嗅いだことの無い匂いのシャンプーだったし、リンスをしたらかえってゴワゴワした。
後日、日系の人にそのリンスのことを言ったら、金髪系の細い髪の人にはそのリンスが一番良くて、我々のような黒髪で太い毛質にはそのリンスは合わないそうな・・・。
逆に、我々の普段使うリンスを金髪系の人がやったら、サラサラせずゴワゴワしてしまうそうな・・。
シャワーを浴びてラジオを付けた。
色んなジャンルの番組があって驚いた。
その中にメタルばかり流している局を発見!
ホテルの小さいラジオなのに、コンプレッサーがガンガンかかってロックな音にしばし聞き入った。
ラジオを聴きながらウトウトしていると夢の中でIn the mirrorが流れている。
(あぁ~インザミラーやなぁ・・・)
夢うつつに聞いていて「はっ!」とした。
(えっ!!これっ、今ラジオで流れてるんか????ここアメリカやんな!!!)
僕は心の中で叫んだ!
眠気は吹っ飛びベッドから飛び出して、正座してラジオを聴いた。
アメリカ到着初日に、なんとLOUDNESSのインザミラーをフルコーラス、ラジオで聴いてしまったのだ!!
曲が終わり、DJが何やらまくし立ているのだが、さっぱり分からぬ。
唯一、曲名のIn the mirorrとLOUDNESSのバンド名をシャウトで連呼したのは聞き取れた。
(うわ~~~DJがなんか言うてはるけど、このDJよっぽどLOUDNESSのこと好きなんやな!)
僕はいよいよアメリカでライブをするんだ!と言うことを実感し、緊張感までも大波が押し寄せてくるように襲ってきたのだ。
マネージャーから食事代として1日20ドルの支給があった。
当時のレートーで20ドルは約5400円の価値があった。
これだけあれば充分だと思った。
ちなみに、1ドル270円の時代である。
夕方、メンバーと一緒にマクドナルドへ行った。
マクドナルドの値段表を見て愕然とした。
マクドナルドなど外食をしていては、20ドルでは1日の食費が足らない・・・
マクドナルドはやめて近所のスーパーで食パン1斤とハムとチーズ、オレンジジュースを買った。
これが1日の食事のすべてだった。
ビールを買ったりしたら、僕の場合即破産が見えていた。
酒は自分で買うのは諦めるしかなかった・・・。
飛行機は始終雲より遥か高い所を飛行し、窓から見える外の景色はそれまでの人生で経験のしたことの無い色彩に溢れていた。
空はどこまでも青く、曇りが無かった。
飛行中何度か断続的に眠りに落ちたけれど、目を開けるたびに「もう着いたか?」と独り言を言った。
成田を出発した時は夕方4時ごろだったけれど、いつの間にか太陽は見えなくなり、遥か彼方、地球の端へ落ちて行ったようだ。

太陽は見えなくなったけれど、空はますます青くなって、太陽が落ちて行った所がピンク色に染まった。
その風景がとても幻想的で吸い込まれるように見とれた。
飛行中、たどたどしい英語で食事を注文し、ビールを呑み、再び眠りに落ちた。
何度目かの目覚めで窓の外が少し再び明るくなってきたのを感じた。
今度は太陽が姿を現してきたのだ・・・。
相変わらず飛行機は雲の遥か上を飛行していたけれど、いったい眼下に広がる雲の下はどうなっているのか興味があった。
いつの間にか、ずっと向こうの方におぼろげながら大陸が見えてきた・・・。
(おっ!あれはアメリカかなんか?)
僕は始めてみるアメリカに興奮した。
見る見るうちに、大陸はその姿をはっきりと現した。
まさに穴が開くほどに見とれた。
気がついたら、眼下には町並みや家らしきものが見えてきた。
車が動いているのが見えた、ビルが見えた、野球場らしきものが見えた、広大な畑が見えた・・。
「当機はまもなくサンフランシスコ空港に到着します・・・・」
機内のモニター画面には現地の朝のトークショーが映し出されていた。
早口で何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、どこの国も朝のバラエティー番組は似たようなものだと思った。
飛行機は大きく旋回をはじめ着陸態勢に入った。
窓の外はサンフランシスコの町なのか?大きなビルの群れや忙しそうに走る車が見えた。

(いよいよやなぁ・・・)
不思議と緊張もなかった。
これから初めてのアメリカライブだと言うのに、まるで人事のような気分だった。
入国審査も無事終わり、観光旅行とは思えないような楽器の群れをメンバー4人とマネージャーで運んだ。
観光客のアメリカ人を見たことはあっても、制服を着てしっかり忙しそうに働いているアメリカ人を直に見るのは初めてだったので不思議な感じがした。
白人で金髪のお人形さんのような綺麗な女性が売店にいた。
黒人のでっぷりとした警察官、シルベスタースターローンのような人が荷物を運んでいた。
何もかもが不思議だった。
溢れかえる人を掻き分けて、LOUDNESS一同はやっとサンフランシスコ空港の外に出た。
「やった~~~サンフランシスコ上陸や!!」
誰かが言った。
日差しがきついけれど、空気が軽いような気がした。
ダニーが迎えに来ていて、早速車でホテルへ向かった。
移動中、外の車を見ながら誰かが言った。
「いっぱい外国人が運転してるでぇ~」
「あほか、今は俺らが外国人やろ!」
あまり面白くも無いお決まりの会話をしながら外の風景を見て、異国にいることを再確認したのだ。
決して高級ホテルでは無い、モーテル風ホテルへチェックイン。
このホテルの部屋に入ったとたん、部屋に充満する日本ではなじみの無い香料の匂いがした。
日本人のセンスには無い大味な香りに若干の頭痛を覚えた。
よくよく見ると、香りだけでなく、すべてのものが大雑把なように思えた。
靴を脱ぎたいが、どこへ脱いで良いか分からぬ・・・。
とにかくその辺に靴を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。
シャンプーもあまり嗅いだことの無い匂いのシャンプーだったし、リンスをしたらかえってゴワゴワした。
後日、日系の人にそのリンスのことを言ったら、金髪系の細い髪の人にはそのリンスが一番良くて、我々のような黒髪で太い毛質にはそのリンスは合わないそうな・・・。
逆に、我々の普段使うリンスを金髪系の人がやったら、サラサラせずゴワゴワしてしまうそうな・・。
シャワーを浴びてラジオを付けた。
色んなジャンルの番組があって驚いた。
その中にメタルばかり流している局を発見!
ホテルの小さいラジオなのに、コンプレッサーがガンガンかかってロックな音にしばし聞き入った。
ラジオを聴きながらウトウトしていると夢の中でIn the mirrorが流れている。
(あぁ~インザミラーやなぁ・・・)
夢うつつに聞いていて「はっ!」とした。
(えっ!!これっ、今ラジオで流れてるんか????ここアメリカやんな!!!)
僕は心の中で叫んだ!
眠気は吹っ飛びベッドから飛び出して、正座してラジオを聴いた。
アメリカ到着初日に、なんとLOUDNESSのインザミラーをフルコーラス、ラジオで聴いてしまったのだ!!
曲が終わり、DJが何やらまくし立ているのだが、さっぱり分からぬ。
唯一、曲名のIn the mirorrとLOUDNESSのバンド名をシャウトで連呼したのは聞き取れた。
(うわ~~~DJがなんか言うてはるけど、このDJよっぽどLOUDNESSのこと好きなんやな!)
僕はいよいよアメリカでライブをするんだ!と言うことを実感し、緊張感までも大波が押し寄せてくるように襲ってきたのだ。
マネージャーから食事代として1日20ドルの支給があった。
当時のレートーで20ドルは約5400円の価値があった。
これだけあれば充分だと思った。
ちなみに、1ドル270円の時代である。
夕方、メンバーと一緒にマクドナルドへ行った。
マクドナルドの値段表を見て愕然とした。
マクドナルドなど外食をしていては、20ドルでは1日の食費が足らない・・・
マクドナルドはやめて近所のスーパーで食パン1斤とハムとチーズ、オレンジジュースを買った。
これが1日の食事のすべてだった。
ビールを買ったりしたら、僕の場合即破産が見えていた。
酒は自分で買うのは諦めるしかなかった・・・。
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