二井原実 二井原実 Infomation

二井原実

■2008年5月9日-10日の
ソロライヴを収録した、
2枚組みCDがついに完成!

『MINORU NIIHARA LIVE!
"R&R GYPSY SHOW"@KAGURAZAKA DIMENSION (2008.05.09-10)』

通信販売&ライブ会場限定販売商品です。
定価¥3,000

CDの試聴、購入サイトへの
入り口はこちら
http://www.blasty.jp/niihara_cd/

〈収録曲〉
-DISC 1-
1.THIS LONELY HEART
2.FEVER
3.SOLDIER OF FORTUNE
4.THE NIGHT BEAST
5.SHUT UP AND BUY
6.DREAMS OF DUST
7.IN MY DREAMS
8.Tagawa Hiroaki Gtr solo
9.ASHES TO GLORY
10.1000 EYES
11.I'LL NEVER HIDE MY LOVE AGAIN
12.YOU CAN DO IT

-DISC2-
1.FAR AWAY
2.Funky Sueyoshi Dr solo ~
3.LET IT GO
4.Terasawa Koichi Bass solo ~ LET'S GET TOGETHER
5.STRIKE OF THE SWORD
6.ESPER
7.ROCK'N ROLL GYPSY
8.DREAM FANTASY
9.SO LONELY
10.TAKE ME HOME

Produced by Minoru Niihara

二井原実

二井原実
「Ashes to Glory」

¥3,000 (Tax in)
TKCA-72985
【徳間ジャパン】

この作品を買う Official site Music mall
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海外へ・・・・

1983年、具体的に海外公演とレコーディングが決まった。
この海外公演が決まった経緯と言うのを僕は詳しく知らない。
アメリカからオファーがあったと言うわけでも無かったと思う。
エンジニアのダニーマクレンドンさんが、ツアーの段取りやライブブッキングに深く関わっていたのは間違いない。
具体的にアメリカの地で勝算があったのか分からないけど、運命的に海外へ行くのが決まっていたかのようだった。
アメリカであてがあったわけでも無かったと思うけれど、アメリカでライブをやれば何かが始まると言う予感はあった。
日本で売れる為に音楽性を変えたりビジュアルを変えたりする気は毛頭なかったのは言うまでも無い、ヘビーメタルでもっと成功したいのならば海外へ行くことは必然であった。

「俺は海外で通用するバンドを作りたい」
初めて会った時のタッカンのセリフだ。
タッカンの思いはずっと変わらなかったし本気だったのだ。
夢を抱くことは大事だ。
そして、夢を抱いたら夢実現の為に行動に移さなければならない。
待っているだけでは夢は実現しない。
あたり前の話だが、チャンスは掴みに行かなければ掴めないのだ。
だからLOUDNESSは「チャンスを掴みに行った」のだ。
この時、スタッフもメンバーも夢に向かって一丸となっていた。

僕は、人生初のパスポートをバンドのメンバーと一緒に申請をしに行った。
その時のみんなの顔の輝きを今でも覚えている
僕達は嬉しくて、ワクワクしていて、夢と希望が抱えきれないほどに溢れかえっていた。
今でもそのパスポートは宝物として大事にしている。
そのパスポートを見るとあの頃の気持ちを思い出す。
今でも、パスポートに一杯押してある各国の入国許可スタンプを見る度に胸が熱くなる。

ひぐっつあんとタッカンはレイジーの仕事でハワイへ行ったことがあると言っていた。
ひぐっつあんはハワイがどれ程素敵かを語ってくれた。
「英語はだいじょうやったん?」
「ほんなもん、あかんに決まってるやんけ!」ひぐっつあんが豪快に笑った。
この人がいると海外でも大丈夫だと思った。

アメリカ西海岸ツアーが終わったら一度帰国して、すぐにヨーロッパツアーだった。
その後、イギリスはロンドンで4枚目のレコーディングの予定だった。
オランダ、ドイツ、イギリス・・・・

アメリカもヨーロッパも僕には想像の付かない場所だった。
僕には縁の無い遠い遠い異国の地だと思っていた。

ドイツと言えばスコーピオンズだ!
僕が始めてコピーしたバンドの国だ。
イギリスと言えば憧れのビートルズの国だ。
そしてなんと言っても、レッドツェッペリン、ディープパープル、WHO,ピンクフロイド・・・
僕の大好きなバンド達の故郷ではないか!!
ポールマッカートニーと同じ空気が吸えると思っただけで幸せだった。
ジョンレンノンに会ったらどうしようか?と真剣に考えた。(1980年12月8日死亡しておりましたな・・・)
リンゴスターに会ったらどうしよう・・・
ジョージハリスンに会ったらどうしよう・・・
ミーハー丸出しであった。
絶対にアビーロードスタジオへは行くぞと心に決めた。
そして、あの横断歩道を渡ってやると決意した。

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1983年7月 初の海外ツアーの為に渡米
初めての成田空港・・・広かった。
羽田とは違った匂いがした。
でも、空港独特のセンチメタルな雰囲気は同じだった。
そこには沢山の夢があり、希望があり、涙があり、抱擁があり、出発があり、別れがあった。

搭乗手続きに時間がかかった。
搭乗待合場所で、僕は緊張と不安の為無言で飛行機を眺めていた。

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マネージャーから入国審査時の注意など受けたけど、上の空だった。

「当機はまもなく成田よりサンフランシスコ空港へ向かって離陸いたします。飛行時間は約9時間半の予定です。現地の天候は晴れ、現地時間はただ今・・・・」

いよいよ日本を離れる瞬間が来た。

23歳の僕は、胸がはち切れそうだった・・・
そして、嬉しくて泣きそうになった。

LOUDNESSの第2幕が始まった・・・。
by loudness_ex | 2008-08-28 10:57
人気沸騰! The end of cetry tour ‘83
8月26日(火曜日)午前10時10分現在

今日の訪問者数 413
昨日の訪問者数 1,468
今週の訪問者数 3,215
全体の訪問者数 204,990

ひゃ~~~気が付いたら訪問者数20万超えておりましたがな~~!!
これが多いのか少ないのか分かりませんが・・・
本当に熱心な皆様、ありがとう!!!

ますます頑張りますワン!!

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1982年某日 ビーングの忘年会

所属事務所『ビーング』と契約をしてあっと言う間に2年が過ぎた。
この年末に、事務所の忘年会を渋谷のエピキュラスで盛大にやることになった。
僕達がビーングと契約した時はまだ小さな駆け出し事務所だったし、実際所属アーティストも少なかったけれど、あれよあれよと言う間にアーティストが増えた。
事務所も大きくなって、スタッフも増えた。
忘年会にはそんな新たなアーティストが集合していた。
その忘年会で一番印象に残っているバンド、やっぱ『暴威』だなぁ・・・。
『暴威』、第一印象がとにかく怖かった、全員リーゼントでまさに凶悪な暴走族を髣髴させる雰囲気で会場に登場。
全身から「喧嘩上等」のオーラがビンビンで、氷室君は僕と挨拶する前に睨みつけてくるのでびびったよぉ~。
まぁー本人に喧嘩を売る気は毛頭無かっただろうけれど、氷室君はとにかく革ジャンにリーゼントでガツンガツン尖がっていたのが印象的だった。
この忘年会で、デビューしたての『暴威』が演奏した曲、セックスピストルズの曲だった。
演奏や歌がとてもタイトで格好良かったな。
そう言えば、『暴威』の後に、これまた革ジャンリーゼントの『虎舞竜』っつうのも新た入ってきていたなぁ。
この二つのバンド、なかなか売れなくて苦労していたみたいだけど、その後大ブレークして良かった。

ビーング関連事務所だったけれど、浜田麻里さんが出てきたのもこの頃だ。
「麻里ちゃんはヘビーメタル」と言うキャッチコピー、糸井重里さんが作ったのだけど、上手いなと思った。
ひぐっつあんが麻里ちゃんをプロデュースすると言うことで麻里ちゃんのことを知ったのだけれど、麻里ちゃんのデモテープを聴いた時の衝撃は忘れられない。
そう言えば、本城美紗子さんもいたね、彼女は麻里ちゃんより少し前にタッカンプロデュースでデビューしていたな。
他にも、早川めぐみさんって言う人もいたな・・・・。
女性メタルシンガーが精力的に出てきてたね。
彼女達、すべてLOUDNESS担当の事務所のプロデューサーTさんが関わっていたのだけど、ある日、Tさんが「二井原君、彼女達の共通点って分かる?」って聞いてきた。
「なんですか?可愛いロックシンガーってこと以外わからないけど・・・」
「あのねぇ、イニシャルがねHMなんだよ!」
「あぁ~成るほどね、浜田麻里、早川めぐみ、本城美紗子、あぁ本当だHMだ・・・」
「実はねぇ~・・・・HMってヘビーメタルなんだエヘヘへ!」
「エヘヘへって・・・そんな安易な決め方で・・・ええのん?」(爆笑)

(そう言えば、あんたが考えた『棺桶演出』ちょっとオモロイ感じになってたけど・・・あんたって人は・・・そんなんでエエの?・・・・笑・・・)

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1983年1月21日 サードアルバム「魔界典章~The law of devil’s land」が出た。
同時にシングル「ジェラルディーン」もリリース。
この「ジェラルディーン」、事務所的にここでシングルヒットをと思って出したのだけど上手くは行かないものだったね。
一方、アルバムの方はついにトップチャートに躍り出た!
ヘビーメタルがヒットチャートに食い込むなんて、誰が想像しただろうか?
ツアーはどの会場も即売り切れると言う状態。
LOUDNESSは物凄い勢いで頂上へ昇っていっている感じだった。
とは言うものの、売り上げ的に考えてみると、当時ブレークしていた、サザンやRCサクセション、矢沢永吉さんとかと比べるとゼロが一つ足りないのが現実だったと思う。
少なくとも、当時の日本のポップス&ロック状況を冷静になって考えてみても、LOUDNESSがやっていたような音楽がお茶の間に浸透して歌われると言うことは考えにくかった。
要するに、我々が一過性的な流行バンドとなるか否かはこれからの活動次第と言うことになった。
人気投票でも上位を占め、アルバムヒットチャートも上位を占め、ライブ会場も満員御礼が続いた。
すでにある意味ヘビーメタルバンドLOUDNESSとしては、日本国内では登りつめるところまで行った観があった。
LOUDNESSとして日本国内でこれからやっていくには、現状維持か、ある程度LOUDNESSの音楽性やビジュアルを変えてもっとセールス的に上を目指すかの選択肢しか無かった。
後は、海外へ出てもっと自分達の信じるヘビーメタルで勝負するかしかなかったのだ。

1983年5月 4枚目のアルバムの製作を始めた。
評論家やその他マスコミは、LOUDNESSは4枚目が勝負と冷静に分析した。
確かに、デビュー3作まではバンドやスタッフ達のモチベーションも高く勢いが続くけれど、4枚目となるとそこが難しい。
LOUDNESSは事務所『ビーング』を離れ、新たに自分達のマネージメント会社”LOUDNESS MUSIC”を設立。
お世話になっていた照明会社に間借りをしての出発となった。

5月21日にひぐっつあんのソロアルバムが出た。
そして、すぐに”The end of cetry tour ‘83”がスタートした。
北海道を皮切りに始まったツアーだった。
ちなみに、話が脱線するけれど、僕はこの頃のツアーから、色んな霊現象や不思議な体験をするようになった。
ツアー先々のホテルで金縛りに連日連夜襲われた。
寝ている時、体が天井まで浮いた経験をした。
実際、目の前に天井があったし、背中はフワフワする実感があった。
ある日、僕の部屋で5歳くらいの少女がにっこり笑って立っていた、その少女は「そろそろ起きる時間だよ」と言って僕を起こしてくれた、その時はあまり怖くなかったけど・・・・。
戦国時代の武将達が大勢大声と共に僕の部屋を駆け抜けて行った。
一番凄かったのは、幽体離脱だ。
ある晩、金縛りからいつものように体が浮き始めた、これは何度か経験したのでこのままどうなるのか好奇心が出て、わざとベランダの外へ出るイメージをしたら、本当に外に出た。
その時完全に僕は宙に浮いていたけれど、怖くなって肉体に戻った。
後にも先にも幽体離脱はこれが最後で、何度か金縛りにはなるけれど、幽体離脱は出来なくなった。
ホテルの部屋に入った途端異常を感じて部屋を変えてもらうこともしばしばあった。
そして、この頃一番やっかいな「パニック障害」の恐怖を初経験した。
この心の病(今ではパニック障害は脳の機能的な問題だと言われている)は、その後続くワールツアー中もずっと僕を苦しめた。
恐怖と不安でアルコールが増えた。
ライブ後に休みたいのだけれど、体が脳が心が眠らせてくれない・・。
金縛りにあう、異常な寝汗をかき、のたうちまわるのだ。
初めて医者から精神安定剤や入眠剤を処方してもらった。
マネージャーからは「自律神経失調症だろ」と言われた。
いろんな「心の病」の本を読み漁り、助けを求めた。
変な話だけれど、ジムモリソンやジャニスジョップリン、ジミヘンドリックスなど、ドラッグやアルコールに溺れるロックミュージシャンの気持ちが少し分かったような気がした。
人気ロックミュージシャンであり続けるストレスは相当なものだと思った。
いや、実際は多忙を極めていて、自分ではストレスだなと実感することはなかったのだが、体や脳が休息の黄色信号を出していたのだろう。
たかだか、日本で少し人気が出て多忙になっただけでこれである・・・。
ましてや、世界を相手に人気やセールスを維持して行くストレスとは計り知れないと思った。
ライブなど、毎晩、何千と言う人達を相手にエネルギーのぶつけ合いをするのだ。
人のエネルギーは物凄いパワーがある、その何千と言う心のパワーがステージに向かってくるのだ。
そして、僕はその何千と言うパワーを受け止め、そして僕から何千の人へパワーを返すのだ。
確かに、疲れるわな・・・・。(笑

7月7日 渋谷公会堂ライブ終了後、楽屋で記者会見を行い、アメリカ西海岸ツアー及びロンドンレコーディングを発表した。

若干23歳の僕は、すでに身も心も疲れ始めてはいたけれど、まだまだ夢と希望ではち切れそうだった。

LOUDNESS号は輝く未来へと飛び出したばかりだった。
by loudness_ex | 2008-08-26 10:22
渋谷公会堂ライブ'82
1982年12月9日渋谷公会堂ライブ。

その渋谷公会堂ライブ前日、「この渋谷ライブにはちょっとした演出をしたい」と事務所のプロデューサーが言った。

「二井原君って狭いところ大丈夫?」
「えっ?狭いところ???」
「ん、狭いところ、そうだなぁ~体がぴったり収まるぐらいの広さ」
「体がぴったり?なんですか?ライブに関係のある話ですか?」
「大有り、それってライブの演出なんだけど・・・」
「なんですかぁ~?」
「二井原君って棺桶に入ったことある?」
「何言ってるんですか?そんなのある訳ないに決まってるでしょ!」
「だよね・・・えっとねぇ~二井原君、ライブの1曲目に棺桶から飛び出してくれる?」
「はぁ???」

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(Ultimate LOUDNESSより)

渋谷公会堂のライブの演出で棺桶に入ることになった。
(縁起でも無い・・・そんな罰当たりなことして良いのか?)と思う気持ちをよそにその話は決定した。
この日のライブから、ライブオープニングSEに「LOUDNESS賛歌」が流れることになった。
渋谷公会堂のステージ中央に棺桶がセットされて・・・・
オープニングSEが流れる前に僕は衣装を着て棺桶の中に入ることになった。
僕が棺桶に押し込まれたのは、まだ客電が付いていてお客さんが会場入りをしている最中だった。
開演前のお客さんの話し声が棺桶の中まで聞こえてきた。

「な~に?あの棺桶・・・・」
お客さんの話声が棺桶の中まで聞こえた・・・
ちょっと恥ずかしかった。

(アホ!誰が棺桶の中に入っていると思ってんねん!!)
僕は棺桶の中で汗をかきながら独り言をつぶやいた。

オープニングSEはたかだか数分のことだったけれど、僕には長く感じた・・・・。
それにしても、棺桶の中は思いのほか快適で、悪くないと思った。
棺桶の中でオープニングSEが始まったとたん物凄い歓声が起きた。
棺桶の中で(あぁステージ幕が開いたのだな)と思った。
オープニングSEの間、ステージ上では幻想的な照明で雰囲気を盛り上げているのだと想像した。
歓声が再び大きくなった。

(おぉ、メンバーが登場したんやな)

棺桶の中で歓声を聞きながら状況を想像するのが楽しかった。

(いよいよ1曲目が始まるな・・・)

僕は棺桶の中、上手く棺桶から飛び出せるか?緊張で心臓がバクバクした。

タッカンがIn the mirrorのイントロを弾き始めた。

“ジャージャガジャガジャガ、ジャ、ジャ、ジャー・・・“

歓声が再び沸き起こる。

タッカンがアームダウンと共にバンドが爆発した。

“ キ~~~~~~~ン ド~~~~ン!!!!!!”

僕はそのタイミングと同じに思いっきり棺桶から飛び出た!!

最前のお客さんがびっくりして悲鳴を上げた!

『ギャ~~~~~!!』

そのあとその人は爆笑した・・・・。

(ん・・・?この演出は格好良かったのか??逆にオモロイ感じになってるやん!!!)

僕は1曲目を歌いながらプロデューサーのアイデアを呪った。(笑)

渋谷公会堂のライブは大盛況で終わった。
よほどあの演出が受けたのか、伊藤正則さんが会うたびに、僕が棺桶から飛び出した時の物まねをして笑わせてくれたのだが・・・。

「そろそろLOUDNESSはアメリカに来る時期だね・・・」

ライブ後、エンジニアのダニーがまじめな顔で言った。

(ア、アメリカ・・・・ですかぁ・・・ついに来たか・・・海外やん・・・)

「海外」「アメリカ」僕にはまったく想像のつかない世界だった。

「ニイハラ君、LOUDNESSってサンフランシスコのアンダーグラウンドのメタルファンの間では既に有名なんだよ!」ダニーが教えてくれた。

(エッ??サンフランシスコで?)

僕はなんか意外な感じがした。

当時アメリカといえばThe All man brothers bandやEaglesなどの、所謂、レイドバックしたサザンロックのイメージしか無かったので、ダニーの「アンダーグランドのメタルファン」と言う言葉が新鮮だった。

「絶対にアメリカでライブをやるべきだよ!!お客さんは喜ぶよ、きっと!それに、LOUDNESSはアンダーグランドでは人気で有名だけれど、多くのアメリカ人は日本人がメタルをやれるなんて思っていないからびっくりするよ!!LOUDNESSはバンドとしてもレベルが高いからね!来年、夏にアメリカでライブやろうよ!」

ダニーは真剣だった。

僕はまだ半信半疑で言われるまま頷くしかなかった。

そして、その年末に出た音楽雑誌”PLAYER”の’82年の年間人気投票において、国内ニューアーティスト部門で1位になった。国内ベストアーティストでも2位にランクされた。ベストアルバム2位、国内ベストギターリスト1位、国内ベストドラマー1位、国内ベストベーシストで3位、国内ベストボーカルで2位になった。(資料、Ultimate LOUDNESS~リットーミュージックより)

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(Ultimate LOUDNESSより)

あの憧れの”PLAYER”の人気投票で名前が出たのが死ぬほど嬉しかった!!

アメリカがより現実味を帯びて僕に迫ってきた・・・・。
本当に世界がLOUDNESSを待っているのかもしれないと思った。
どういう訳か、「LOUDNESSなら世界でも通用するのではないか?」と言う根拠の無い自信もあった。

『根拠の無い自信』、まさに神の声が聞こえていたのだと思う。
by loudness_ex | 2008-08-25 11:27
魔界典章そして・・・
デビュー以来、スタジオとツアーと取材の繰り返しの日々だった。

実際のプロのロックミュージシャンの世界は、デビュー前に漠然と抱いていた憧れの世界とはかけ離れていたものだった。
その世界とは、ある意味単調な日々だと言っても良い。
僕は次から次へと入ってくるスケジュールに黙々とそして必死で闘っていた。
見えない大きな力が僕を新たなステージへと駆り立てるのだ。

僕の生活は少しずつだけれど完全に荒れて行った。
酒の量が極端に増えた。
寝る時間は滅茶苦茶だったし、あまり睡眠をとることもなかった。
毎日の食事は何を食べていたのか全く記憶に無い。
息を抜くことが出来ない毎日のストレスは僕を苛立たせた。
スタジオからアパートに戻ると、服も着替えないでベッドの上で目を開けたまま何時間もボーっとすることが多くなった。
そして気が付いたら落ちるように眠っていた。

LOUDNESSの人気が出ると共に、僕の完全なプライベートな空間、時間というものも無くなっていった。
ファンと思われる人から無言電話が1日に十数回かかるようになった。
洗濯物を干そうとベランダに出たら、外にファンの人が十数人道端でたむろし僕の部屋を監視しているのを発見した。
その日以来、僕はベランダにも出られなくなった。
仕事への移動は電車だったけれど、僕の後を付いてくる人が絶えなかった。
夜中に部屋のベルを鳴らす人もいた。
僕は一人になれない毎日が怖くなった・・・・。

京都の彼女はすでに大学を卒業していた。
「一緒に暮らそう」と言う僕のプロポーズを彼女は待っていたかもしれない。
僕には具体的にどうしようと言う話が出来なかった。
(これから私達はどうなって行くの?)と言う不安が彼女にはあったと思う。
僕には彼女に優しくする余裕が無くなっていた。
むしろちょっとしたことで、声を荒げることが多かったかもしれない・・・。
些細なことで言い争うことが多くなった。
僕には最早愛する人を幸せにすると言う、あたりまえのことさえ出来なくなっていたのだ。
彼女が東京に来る度に彼女の物が僕の部屋に増えていった。
彼女が作った僕と彼女の名前が刺繍されたクッション、彼女の着替えやアクセサリー・・・
彼女の匂いがするものが彼女の存在を主張しているようだった。

僕は人を思いやる気持ちが失せていた。
僕はあまりにも若かったのだろう。
平常心を保つことで精一杯だった。
僕はもっと彼女に甘えるべきだったのかもしれない。
ストレスや毎日の辛い気持ちを正直にぶつけるべきだったかもしれない。
私生活において僕は自分を見失っていた。
「なんやの?こんなファンレター大事にして!どっか見えないところにやってよ!!」
彼女は部屋にある大量のファンレターを見つけては僕に辛くあたった。
僕の理由の分からない苛立ちが彼女をより一層苛立たせ、そしてケンカが多くなった。
僕は彼女と一緒にいるのが辛くなって耐えられなくなっていた。

セカンドアルバムはデビューアルバムより売れ行きは良かった。
ただ、反面僕を批判する記事を目にすることも多くなった。
評論家は人を評論することが仕事である。
しかしながら、何もかもがまだナイーブだった僕には辛らつな記事は厳しすぎた。
世の中は誰もが好意的に思ってくれるとは限らないと痛感した。
こう言うことは注目されている証拠であるけれど、当時の僕にはそれが分からなかった。

1982年7月に「Japan heavy metal fantasy」に出演した。
なんとそのイヴェントにはアースシェイカーが出演することになって、久しぶりにシャラ達のステージを観た。
アースシェイカーがデビュー目前だと関係者から話を聞いた。
残念ながら、僕はその時のイヴェントでシャラ達と会話をしたかどうか記憶に無い。
まだ、シャラと僕の間のしこりは消滅していなかったのかもしれない。
アースシェイカーは数千人が集まった大きなステージに臆することも無く、堂々としたステージングに僕は驚いた。
マーシーは相変わらず素晴らしいパフォーマンスだった。

そして8月から10月の終わりまで、本格的なLOUDNESS全国ツアーが始まった。

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各地の会場は溢れんばかりの熱狂的メタルファンで埋まった。
僕達はライブで全身全霊をかけてパフォーマンスをやった。
メタルキッズとの戦いはどんどん激しさを増した。

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と同時に僕の喉は悲鳴を上げていた。
それまで経験したことの無いほどの喉の炎症だった。
ツアー中の不摂生が原因である。
山下久美子さんが紹介してくださった喉の専門の有名な先生へ駆け込んだ。
「絶対安静が必要ですね、沈黙療法をしてください」
「いや先生、無理です。明日は大事な東京でのコンサートがあります」
僕は全くでない声を振り絞って先生に訴えた。
「取りあえず、明日は歌えるように注射をします。でも、コンサートが終わったらすぐに声が出なくなります。なるべく沈黙してください。」
そう言うと先生は僕の首にあり得ないほど痛い注射をした。
声帯の腫れを取る注射、初めての経験だった・・・。
驚いたことに、次の日のライブでは先生が言った通り声が復活していた。

ツアーの合間を縫ってサードアルバム「魔界典章」の楽曲作りに励んだ。

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“ In the mirror” “Speed” ”Show me the way” “Mr yes man” “The law of devils land”・・・
タッカンは楽曲アイデアが溢れ出てきた。
僕達は何かが憑依したように夢中になって曲を完成させた。
スタジオセッションは白熱度を増した。

11月にエンジニアのダニーと共にサードアルバムのレコーディングを開始した。

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レコーディングは相変わらず時間との戦いだった。
寝食を忘れてレコーディングをした。

12月某日、寒い冬の朝、レコデーィングからフラフラになりながらアパートに帰ってきた。
部屋に入ってその異変に気が付いた。
彼女が作った僕と彼女の名前が刺繍されたクッション、彼女の着替えやアクセサリー・・・
彼女の匂いがするものすべてが無くなっていた。
二人の写真も、二人で聴いたレコードもすべて無くなっていた。

僕はしばらく頭が混乱した。
置手紙も無く、予告も無く、忽然と彼女の存在が全て消えてしまったのだ。

どんな思いで彼女が荷物をまとめたのかを思った。
どんな思いで彼女が出て行ったのかを思った。

そして僕は泣き崩れた・・・。
by loudness_ex | 2008-08-18 07:06
ただ今休暇中です
すんません、なかなか更新できない状況&ネット環境にいます。

15日以降に東京の普通の生活に戻る予定です。

チャンスがあれば更新しますが・・・・。

では!!
by loudness_ex | 2008-08-12 00:12
LOUDNESS 初ワンマンツアー! ’82
1982年3月某日

LOUDNESSの初全国ツアーのゲネプロ(通し稽古)が渋谷ヤマハエピキュラスで行われた。
そこはリハーサルスタジオではなくコンサートホールだった。
お客さんのいないコンサートホールで本番通りのライブをやるのだ。
それにしても、お客さんがいないライブは妙な気分だった。
爆音リハーサルは無事に終了。

「二井原君、これから全国でライブツアーをやるんだよ!」

この舞台監督の言葉に胸が躍った。

全国ツアーかぁ・・・

1982年4月、いよいよLOUDNESS初のツアーが始まった。

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初日は福岡都久志会館だった。
福岡へは飛行機で行くことになっていた。
ライブ当日、早朝に羽田集合、僕は緊張していた。
ライブ初日で緊張と言うこともあったけれど、それよりなにより、生まれて初めて乗る飛行機に心臓が口から飛び出てくるような思いだった。
当然、飛行場も生まれてはじめての場所だった。

飛行場内は不思議な空間だった。
旅立ち、別れ、出会い・・・etc様々なドラマが繰り広げられている。
この空港独自の雰囲気がとてもロマンチックなように思った。
僕は今でも空港にいると、胸がキュンとなって不思議なセンチメンタルな気分になるのだ。

「ニイチャン、飛行機乗る時は靴脱がなあかんねんで!」

飛行機搭乗手続きで待っている時に、タッカンが真顔で僕にアドヴァイスした。

(靴脱ぐ?そんなアホな・・・)

他の乗客の行動を見て、みんな靴を脱いでいる様子も無いので、すぐに嘘だと分かったけれど、わざと飛行機搭乗口で靴を脱ぐ真似をしたら、「お客さん、お靴はそのままで」とスチュワーデス(現フライトアテンダント)のお姉さんが苦笑しながら言ったのが可笑しかった。
飛行機席に着くと機内の圧迫感に息苦しくなった。
小さな小窓から外の様子が見えた、外の朝日が綺麗だった。
座席の肘掛の下に数個ボタンがあったので触って遊んでいると、いきなりフライトアテンダントのお姉さんが飛んで来て「何か御用ですか?」と聞かれた。

「いや、すみません、間違ってボタン押しました・・・・」

これにはビックリした・・・・。

飛行機の離陸の時間が来た。
飛行機はゆっくりと動き出し、滑走路でグングンとスピードを上げ、僕は今までに感じたことの無い加速Gに「ひゃ~~~」っと声をあげてしまった。
その途端、飛行機がガタガタと大きな音と共に激しく揺れ始めた。

(うぉ!!こ、こりゃなんじゃ!!爆発するんちゅうか?)

僕は恐怖で呼吸が出来なくなった。
手が震え座席で身を硬くした。
激しく揺れた瞬間、飛行機は機首を上げ離陸を始めた。
小窓の外の風景が斜めに見え、飛行機は大きく旋回した。

(うわ~~~飛んでるでぇ~~~~!!!浮いてるでぇ~~~
~!!あり得ん!あり得ん!!)

僕は挙動不審になって声にならない声を漏らした。

町並みはあっという間に米粒ほどになり、窓の外のちょっと下の方に雲が見えた。
雲の上には曇りが一切無い真っ青で鮮やかな空が広がっていた。
始めて見る雲の上の世界、その美しさに僕は陶酔した。
このまぶしい青い空を見ながら(この空の向こうは宇宙なんやなぁ・・・)と思った途端、感動で涙が出そうになった。
この雄大な空を見ていると、何もかもがちっぽけに思えた。
ロックミュージシャンと言う世界に身を置くようになった自分が、いったいどこへ向かって走っているのか?これからいったいどうなっていくのか?どこへ導かれていくのか?色んなことがグルグルと頭の中で駆け巡った。
運命とは本当に摩訶不思議な物語だと思った。
この青い空のどこかに偉大なる存在がいて、僕に語りかけているような気がした。

この初のツアーでは、福岡(福岡都久志会館)、大阪(大阪毎日ホール)、愛知(勤労会館)、東京(日比谷野外音楽堂)でライブをやった。
どこの会場も熱狂的なファンで溢れていた。
各地の強烈なメタルヘッドバンガー達の熱狂振りは凄まじかった。
スタッフはライブ中ずっと将棋倒しなどの事故が起こらないようにピリピリとしていたし、実際、ライブ開始2曲で一旦ライブを中止して、会場内客電を付けてお客さんを落ち着かせると言うこともあった。

各地のホテルのロビーにはファンの人が沢山いて、僕はその人達にどう対処してよいのか戸惑った。
サインをしたり、一緒に写真をとったり・・・46時中気を休めることが出来なかったけれど有難かった。
ファンレターやプレゼントで荷物が倍ほどに膨れ上がった。

ステージではニューギターヒーローと呼ぶのに相応しいタッカンの存在は、本物が放つオーラで溢れていた。
ひぐっつあんもたっかんに負けじと、主張の激しいドラムサウンドを爆裂させていた。

そして、マー君と僕はとにかく必死だった。
by loudness_ex | 2008-08-09 23:01
戦慄の奇蹟
投稿遅れました、すみません!!
実は横浜の二井原ソロライブが終わった途端、野暮用に追われました。(涙)

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1982年3月

“Hello!”

曲作りをしていた我々のスタジオにいきなり入ってきたのは、軽く150キロは越すであろう巨漢で笑顔の可愛いサウンドエンジニアのダニーだった。
ダニーとは当然初対面であった。
髪の色は金髪とまではいかない明るいブラウン、目はダークブラウンで切れ長だった。

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僕達は演奏を中断して彼と挨拶した。
その時の通訳が5Xのギターを弾いているジョージ吾妻さんだった。
ジョージさんとはそれ以来の付き合いで、何かLOUDNESSが海外でやる度に英語の通訳から交渉ごとまで色々大変お世話になった。

僕は始めて間近にみるアメリカ人に緊張した。
欧米の人の前で演奏するのは始めてのことだった。
いや、もしかしたらそれまでのコンサートの会場にいたのかもしれないけれど、そんなこと考えもしなかった。

挨拶もそこそこに、ダニーがニコニコして “ Let me hear what you got!”と言った。

「ちょっと曲を聴きたいんだって」ジョージさんが言った

僕達は出来たばかりの曲を演奏した。

Angel dust, Lonely player, Loving maid…

ダニーはしばらく真剣な表情で我々の演奏を聴き、ギターのアンプを覗き込んだり、ドラムの後ろに立ってドラムを聴いたり、ヴォーカルモニターから僕の声を聞いたり、ベースアンプの前に立ったり、音を確認した。

数曲演奏が終わるや否や、“ Wow!!! You guys sound great!! Really cool stuff! ”とダニーが手を叩いて笑顔で言ったかと思うと、突然ダニーが完璧な日本語を喋りだした!

「みんな良い音出しているね~~、君たち格好良いねぇ~!!」

その一言にメンバー全員が驚いた!

「え?ダニー日本語喋れるの?」
僕が声をひっくり返しながら聞いた。

「僕のお母さん日本人ね!」

ダニーがいたずらっぽく笑ってウインクをした。

「なんや~ほんまかいなぁ~~、それやったらはよ言うてーな~」

メンバー全員、妙な緊張がほぐれた・・・。

コミュニケーションの問題はこれで解決した。

どうりで、ダニーの目が少し東洋人的なのも納得であった。

数日後レコーディングが始まった。

楽曲はデビューアルバムの頃にすでにかなりの数が出来上がっていた。
曲調はまさにデビューアルバムの延長線上と言って良いだろう。

11月デビューして、次の年の3月に2枚目のレコーディングである。
デビューアルバム発売から4ヶ月、デビューアルバムレコーディングからわずか半年しか経っていない。
その間にタッカンのソロアルバム、シングル“バーニングラブ”のレコーディングがされていた。

これは異例の早さ、量産であった。

セカンドアルバムのレコーディングはコロンビアスタジオと六本木バードマンスタジオで行われた。
レコーディングもファーストと変わらないハイペースで録音された。

ダニーもこの慌しいレコーディングに戸惑っていたようだ。
アメリカ人のダニーにすれば(何故こんなに急いでやる必要があるのか?)と言う疑問もあっただろうし、実際「もう少し時間をかけれないものか?」とジョージさんに相談していた。

この頃、僕はステージでの失敗以来、歌うのが怖くなっていた。
精神的なものであったと思うが、明らかに今までのように声が出せなくなっていた。
喉の機能的な問題では無い、精神的なことと共に未熟な歌の技術が露呈しただけのことなのだが・・・。
そんな僕の喉の不調を心配した事務所の方から、発声の先生を紹介されて生まれて初めてヴォーカルレッスンを受けた。
この経験は多少の救いにはなったけれど、精神的に立ち直れるまでには至らなかった。

「にぃーちゃんあんまり考えすぎんと、のびのび歌いや。せっかくエエもんもってんねんから・・」

スタジオで度々タッカンから叱咤激励を受けた。

ダニーも驚くようなハイペースのレコーディングは進み、ヴォーカル録音の時が来た。

録音の前に僕が書いた歌詞をダニーに渡した。

ダニーが一通り目を通し僕に言った。

「日本語の部分は僕には分からないけれど、英語の部分これでは意味が分からないね・・・」

アースシェイカーの頃からずっと、自己流で英語の部分は英語辞書を片手に適当に英詞を作っていたのだけれど、実際これで良いのかと言う疑問が常にあった。
ダニーに指摘を受けて(やっぱりアカンわなぁ~)と納得した。

結局、ダニーが英語の部分を意味の通じるようにササッと書き直してくれた。
それ以来、英語詞を作る場合は必ずネイティブの人に力を借りるようになった。

ダニーにとってはレコーディング中に気を失うほどの不眠不休のレコーディングであった。
デビューしたての新人バンドなのでレコーディング予算も少ない。
必然的にレコーディング日数が少なくなるのだが、それは誰もが経験すべき道ではあった。
予算が少なかったとは言え、今現在のデジタルレコーディング環境なら当時の予算でも充分な日数をかけて余裕のレコーディングが出来るのだが。
当時はレコーディングスタジオ料金があり得ないほど高価だったし、そもそもレコーディングを誰もが簡単に出来るようなものでは無かったのだ。

2枚目のレコ-ディングは疾風のごとく終わった。

レコーディング終了後、息のつく間もなくLOUDNESSは初の全国ツアーの準備に取り掛かった。
僕達は次から次へと入ってくるスケジュールをこなすことで一杯だった。
いったい、自分達がどう言う状況に置かれているのかもあまり良く分からなかった。
まだデビューして半年も経っていないのだから致し方あるまい。

しかし、ツアーを始めた途端、日本中のキッズがLOUDNESSで大変な騒ぎになっていることを知った・・・・。
この殺気立った空気とヘビーメタルに飢えたロックキッズの叫び声がLOUDNESSを奮い立たせた。

ライブは文字通りLOUDNESSとメタルキッズとの戦場と化した。
そして、それは日本のロック界にとってはまるで超常現象の如き出来事だったろう。

まさに『戦慄の奇蹟』であった。
by loudness_ex | 2008-08-07 12:55
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