- LOUDNESS 多忙極める[ 2008-07-31 08:19 ]
- ズタズタになる・・・[ 2008-07-29 14:57 ]
- LOUDNESSデビューライブ炸裂2[ 2008-07-24 09:49 ]
- LOUDNESS 怒涛のデビューライブ炸裂![ 2008-07-21 11:03 ]
- LOUDNESS 浅草国際劇場登場![ 2008-07-18 08:51 ]
- デビューアルバムと光るスパッツ[ 2008-07-16 09:52 ]
- リハーサル[ 2008-07-12 09:25 ]
- 言葉の壁[ 2008-07-07 19:16 ]
- 撮影[ 2008-07-06 19:26 ]
- 誕生前夜 "THE BIRTHDAY EVE"[ 2008-07-04 16:42 ]
LOUDNESSデビューアルバムリリースを境に、タッカンのソロアルバム、シングル”Burning Love”と立て続けにレコーディングをやり、一連のイヴェント等のライブ活動をやりながら、その合間を縫ってセカンドアルバムの曲作りに着手、目の廻るような忙しい毎日が始まった。
取材も増え紙媒体への露出も増えてきた。
1982年、3月にはセカンドアルバムのレコーディングに入ることになった。
某日、事務所でレコーディングの為のミーティングがあった。
「これ聞いてみて」
プロデューサーが数本のカセットテープをかけてくれた。
アメリカ人サウンドエンジニア候補のテープだった。
どのテープも素晴らしいロックの音だった。
当時、我々が漠然と思っていた欧米独特の太いロックサウンドがそこにあった。
「次のアルバムはエンジニアを外人でどうかな?」
プロデューサのこの一言でメンバー一同固唾を呑んだ。
(が、外国人・・・・・)
勝手に僕の頭の中で金髪の青い目のロックおじさんのイメージが渦巻いた。
外人なるものは、京都で観光に来ている人しか見たこともなかったし、当然、話なんてしたことも無かった。
(あぁ、そう言えば世界に通じるバンドにしたいって言っていたなぁ・・)
僕はタッカンと始めて会ったときのことを思い出した。
(こりゃ、ほんまにこのバンドは近いうちに世界へ羽ばたく日が来るのかも知れん)
海外レコーディングはもとより、外人エンジニアを起用するということも当時では珍しかった。
バンドの勢いが目に見えない力で世界へとどんどん引っ張られている感じがした。
確かに、このバンドの持つ輝きやパワーは海外でやってもおかしくないのかもしれないとも思った。
その当時、日本人のロックバンドが海外へ行ったという前例はあまり聞いたことが無かった。
唯一、海外で活動経験のあった日本のバンドと言うのは、ジョー山中さん率いるフラワートラベリングバンドと竹田和夫氏率いるクリエーションぐらいは噂話で聞いたことはあった。
ただ、その詳細は分からなかったし、そのようなニュースも知る人ぞ知る次元の話だった。
日本人がロックバンドで世界へ出ると言うのはまだまだ夢物語だったけれど、LOUDNESSのスタッフだけは違っていた。
本気で世界へ出る野望を持っていたのだ。
人には「思ったことが現実となる」という法則があるそうだ。
何事も思い描くことが無ければ実現などしないのだ。
そういう意味では、バンドもスタッフも海外で通用するロックバンドと言う思いは一緒だった。
さて、プロデューサーが聞かせてくれていたカセットは、すべてデモテープと言うことだったけれど、演奏しているバンドやシンガーが素晴らしかった。
どのバンドも聴いたことの無いバンドだったけれどアメリカの裾の広さを痛感した。
その中の一つのバンドのサウンドが一番ハードロックしていて、僕達はそのサウンドに注目した。
そのバンドはサンフランシスコのバンドで、”Atomic Tommy M”と言うギタープレイヤーが在籍していたバンドのテープだった。
「このギターええ音してんなぁ・・」
タッカンが呟いた。
「この人はダニー・マクレンドンさんだね。」
プロデューサーが教えてくれた。
「他に有名なアーティスト手がけてるの?」
タッカンが興味を示した。
「いや、資料には特に有名なバンドは見当たらないなぁ・・」
プロデューサーは答えた。
「この人の音がロックしてて気持ちええなぁ~」
このメンバーの一言で決まった。
デビューアルバムのミックスダウンでかなり苦労したので、外人エンジニアに胸が躍った。
「そやけど、英語喋らなあかんがな・・・どないすんねん?通訳おるんか?」
メンバー一同コミュニケーションが少し不安になった。
ミーティング後、我々は赤坂コロムビアスタジオへ移動して曲作りを始めた。
レコーディングが続き、曲作りを一手に引き受けていたタッカンが度々タッカン曰く知恵熱(!)で倒れた。
それでも、沢山の曲のアイデアが溢れて出てきていた。
ギターのリフのアイデアだけでも数本のテープに及んだ。
僕達は連日スタジオの中でセッションに明け暮れた。
デビューアルバムのセッションと同じく僕は気分の赴くまま雄叫び、ひぐっつあんのドラムが暴れまわり、マー君のベースがグイグイうねり、タッカンが超人になっていた。
それでも僕達は疲れることは無かった。
まだまだやりたいこと、表現したいことでバンドのパワーは溢れていた。
LOUDNESSは手のつけられない暴れ馬のようだった。
そんなセッションを繰り広げていたある夜、久しぶりにTレコードのNさんと食事をすることになった。
Nさんが車の中で思い出したように言った。
「あ!そう言えばアメリカから、なんやアメリカのバンドのデモテープが送られてきたぞ。デビュー前のバンドらしいけど、そのバンドが高崎にギター弾いて欲しいって・・・・。」
Nさんはそのテープをかけた。
聞いたことも無いバンドだった。
演奏もあまりうまくは無かった。
たしかにこのギターならタッカンの方が上手いと思った。
「どうや?高崎?」
Nさんが聞いた。
「ん・・・俺はLOUDNESSでやりたいわ!このバンドで世界目指すわ!!」
「そうか・・・・」
Nさんは納得した。
「バンド名なんて言うんや?」
マー君が聞いた。
そのデモテープのケースに汚い字でバンド名が書いてあった。
METALLICA
取材も増え紙媒体への露出も増えてきた。
1982年、3月にはセカンドアルバムのレコーディングに入ることになった。
某日、事務所でレコーディングの為のミーティングがあった。
「これ聞いてみて」
プロデューサーが数本のカセットテープをかけてくれた。
アメリカ人サウンドエンジニア候補のテープだった。
どのテープも素晴らしいロックの音だった。
当時、我々が漠然と思っていた欧米独特の太いロックサウンドがそこにあった。
「次のアルバムはエンジニアを外人でどうかな?」
プロデューサのこの一言でメンバー一同固唾を呑んだ。
(が、外国人・・・・・)
勝手に僕の頭の中で金髪の青い目のロックおじさんのイメージが渦巻いた。
外人なるものは、京都で観光に来ている人しか見たこともなかったし、当然、話なんてしたことも無かった。
(あぁ、そう言えば世界に通じるバンドにしたいって言っていたなぁ・・)
僕はタッカンと始めて会ったときのことを思い出した。
(こりゃ、ほんまにこのバンドは近いうちに世界へ羽ばたく日が来るのかも知れん)
海外レコーディングはもとより、外人エンジニアを起用するということも当時では珍しかった。
バンドの勢いが目に見えない力で世界へとどんどん引っ張られている感じがした。
確かに、このバンドの持つ輝きやパワーは海外でやってもおかしくないのかもしれないとも思った。
その当時、日本人のロックバンドが海外へ行ったという前例はあまり聞いたことが無かった。
唯一、海外で活動経験のあった日本のバンドと言うのは、ジョー山中さん率いるフラワートラベリングバンドと竹田和夫氏率いるクリエーションぐらいは噂話で聞いたことはあった。
ただ、その詳細は分からなかったし、そのようなニュースも知る人ぞ知る次元の話だった。
日本人がロックバンドで世界へ出ると言うのはまだまだ夢物語だったけれど、LOUDNESSのスタッフだけは違っていた。
本気で世界へ出る野望を持っていたのだ。
人には「思ったことが現実となる」という法則があるそうだ。
何事も思い描くことが無ければ実現などしないのだ。
そういう意味では、バンドもスタッフも海外で通用するロックバンドと言う思いは一緒だった。
さて、プロデューサーが聞かせてくれていたカセットは、すべてデモテープと言うことだったけれど、演奏しているバンドやシンガーが素晴らしかった。
どのバンドも聴いたことの無いバンドだったけれどアメリカの裾の広さを痛感した。
その中の一つのバンドのサウンドが一番ハードロックしていて、僕達はそのサウンドに注目した。
そのバンドはサンフランシスコのバンドで、”Atomic Tommy M”と言うギタープレイヤーが在籍していたバンドのテープだった。
「このギターええ音してんなぁ・・」
タッカンが呟いた。
「この人はダニー・マクレンドンさんだね。」
プロデューサーが教えてくれた。
「他に有名なアーティスト手がけてるの?」
タッカンが興味を示した。
「いや、資料には特に有名なバンドは見当たらないなぁ・・」
プロデューサーは答えた。
「この人の音がロックしてて気持ちええなぁ~」
このメンバーの一言で決まった。
デビューアルバムのミックスダウンでかなり苦労したので、外人エンジニアに胸が躍った。
「そやけど、英語喋らなあかんがな・・・どないすんねん?通訳おるんか?」
メンバー一同コミュニケーションが少し不安になった。
ミーティング後、我々は赤坂コロムビアスタジオへ移動して曲作りを始めた。
レコーディングが続き、曲作りを一手に引き受けていたタッカンが度々タッカン曰く知恵熱(!)で倒れた。
それでも、沢山の曲のアイデアが溢れて出てきていた。
ギターのリフのアイデアだけでも数本のテープに及んだ。
僕達は連日スタジオの中でセッションに明け暮れた。
デビューアルバムのセッションと同じく僕は気分の赴くまま雄叫び、ひぐっつあんのドラムが暴れまわり、マー君のベースがグイグイうねり、タッカンが超人になっていた。
それでも僕達は疲れることは無かった。
まだまだやりたいこと、表現したいことでバンドのパワーは溢れていた。
LOUDNESSは手のつけられない暴れ馬のようだった。
そんなセッションを繰り広げていたある夜、久しぶりにTレコードのNさんと食事をすることになった。
Nさんが車の中で思い出したように言った。
「あ!そう言えばアメリカから、なんやアメリカのバンドのデモテープが送られてきたぞ。デビュー前のバンドらしいけど、そのバンドが高崎にギター弾いて欲しいって・・・・。」
Nさんはそのテープをかけた。
聞いたことも無いバンドだった。
演奏もあまりうまくは無かった。
たしかにこのギターならタッカンの方が上手いと思った。
「どうや?高崎?」
Nさんが聞いた。
「ん・・・俺はLOUDNESSでやりたいわ!このバンドで世界目指すわ!!」
「そうか・・・・」
Nさんは納得した。
「バンド名なんて言うんや?」
マー君が聞いた。
そのデモテープのケースに汚い字でバンド名が書いてあった。
METALLICA
今週末いよいよ二井原ソロライブin横浜(左Infomation参照!)ですがなぁ~~!!
曲数は正確には二日で32曲ある。
歌詞はほぼ体に入った。
あとは力いっぱい歌うだけです。
今から滅茶苦茶楽しみですわ!!
精一杯頑張りますぅ・・・・・!!!
ライブ来られる方、一緒に大合唱してね!
よろしく!!
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
東京へ出てきてあっという間にその年が終わった。
台風の中に放り込まれて嵐に身を任せたような1年だった。
そして年が明けた。
この年の正月に帰省したかどうか記憶に無い・・・・。
多分帰っていないと思う。
1982年、1月18日には東京中野サンプラザでJAPAN HEAVY METAL FANTASYと言うイヴェントが開催され、LOUDNESSもこのイヴェントに出演した。
他の出演バンドはバウワウ、子供バンド、シルバースターズ、北島健二と言う顔ぶれだった。
僕はこのイヴェントでズタズタになった。
リハーサルでは声も絶好調で問題なかったけれど、ライブが始まるや否や僕の喉は豹変した。
1曲目が始まり普段どおり歌い始めたのだが、ステージ上のモニターからは僕の声が全く力無く聞こえた。
声に力が無いと思うから力む、力めばもっと声が出ないと言う悪循環だった。
まさにやればやるほど、頑張れば頑張るほど逆の結果になった。
ついに声を出せども出せども、まったく出てこなくなった。
まるで大きな力で喉をブロックされたような感じであった。
声帯に空気は通っているのだが、もはや声帯は機能不全を起こしていた。
これは大きなステージ、大きな音、デッドな会場の特性でよく起こる聴覚上の錯覚なのだが、当時の僕にはそれが理解出来ないでいた。
今では、少し声を出せばその会場の特性を瞬時に把握して、どういう歌い方をすれば良いか冷静に判断できるが、当時の僕には全く理解できず大パニックになった。
この経験でLOUDNESSのような爆音バンドのステージで歌う難しさを思い知った。
ステージ上のモニターの加減、会場の響き、お客さんが音を吸収することなどでステージ上のヴォーカリストや演者に想像以上の影響を与える。
しかしながら、プロであるならそう言うことに対して上手く対処できてあたり前なのである。
僕は完全に素人であった・・・。
結局僕は2曲目以降、悲惨な醜態をさらけ出したまま立ち直ることも無くLOUDNESSの出番を終えた。
声がコントロールできないと言う恐怖を始めて知った。
この日から僕はステージに対してある種の恐怖感を抱くようになった。
いや、ステージだけでなく、歌うことに対して恐怖を抱くようになった。
声が出ない恐怖、声をコントロールできない恐怖、お客さんが落胆して熱が冷めて行く現実をステージの中央でいやと言うほど思い知ったのだ。
そして、この恐怖に数年悩まされることになった。
普段はアホな事ばかり言っているけれど、意外と歌うことに関しては神経質で繊細であったのだ。
歌う時にメンタルな部分で僕は重大な問題を抱えることになった。
とは言うものの、一人前のプロのヴォーカリストになるには絶対に超えなければならない壁ではあった。
その問題を瞬時で解決できるラッキーな人もいれば、相当時間がかかる人もいる。
僕のこの悩み、表面上は数年で解決したのだが、実のところ今でもその恐怖は僕の心の奥でトラウマとなっている。
イヴェント終了後、楽屋でマネージャーやプロデューサーからコテンパンに叱咤された。
僕は自分の未熟さを痛感した。
自分の置かれている立場や現実と自分の出来ることや実力のギャップに恐れおののいた。
頭がひどく混乱した。
ついに、僕は楽屋で悔しくて涙した。
子供バンド、バウワウ、の諸先輩の経験の差を思い知った。
何とかせねばならないと思った。
とにかく、ステージで自分の喉や歌を自在にコントロールできるようになることが一番の課題であった。
そしてこの問題はこれから続くであろうLOUDNESSのツアーと言う大事な仕事を乗り切れるかどうかの重要課題であった。
よくよく思えば、僕はさほどヴォーカル経験もないままプロになった。
リトルリーグの小学生がいきなりプロリーグに入ったようなものだった。
バンド内でも、タッカンとひぐっつあんとの経験差を一刻も早く縮める必要もあった。
ヴォーカリストとして僕が克服すべき課題は多く困難であり不可能なような気もした。
一方、バンドの外では日本中がにわかに騒がしくなっていた。
ついに、本格的にジャパニーズヘビーメタルと言う新たなムーブメントに火がつき始めてきたのだ。
誰がこのような現象を想像しただろうか?
今まで見向きもしていなかった人達もジャパニーズヘビーメタルの話題を始めるようになった。
いつのまにか「ジャパメタ」と呼ばれるようになった。
特に10代のロックキッズはジャパメタに目覚め熱狂した。
LOUDNESSを中心にヘビーメタルイヴェントが度々催された。
この一連のヘビーメタルイヴェントはまさにこのムーブメントのケツを蹴り上げるのに一役も二役も買った。
もはやこのジャパメタの嵐は誰にも止めることが出来ないほどの勢いを見せた。
“JAPAN HEAVY METAL FANTASY in Osaka” でLOUDNESSは大阪で始めてのライブを行った。
この大阪ライブは東京を遥かに上回る盛り上がりを見せ、暴動直前と思われるほどの異様な空気の中LOUDNESSは登場した。
ライブ直前にスタッフから「暴動の事態になったら即ライブ中止の合図を送りますから!」と言われ、かなり動揺したのを覚えている。
この大阪ライブ、LOUDNESS登場で暗転になった瞬間、男達の悲鳴に近い怒涛の歓声は27年たった今でも忘れることが出来ない。
僕の記憶が正しければ、確かこの大阪ライブでまだリリースされていないシングルの新曲”BURNIG LOVE”をやったように思う。
この時のオーディエンスの狂ったような猛烈ヘッドバンキングはいまだ鮮烈に覚えている。
残念ながらライブの内容はまったく覚えていないけれど、殺気立った会場内のオーディエンスの燃えるような眼差しは忘れることが出来ない。
この大阪ライブ終了後、プロデューサーより再び酷く叱咤を受けたのを覚えている。
LOUDNESSと言う爆音モンスターバンドで歌う難しさにもがき苦しんだ。
まだまだステージで歌えるようになるのには長い道のりが必要だった。
ステージと言うものは誰かが助けてくれるわけでも無い、自分で乗り越えるしかないのだ。
サウンドに負けない強靭な精神と強靭な喉を作り上げるしかないのだ。
ヘビーメタルを歌うと言うことは容易いことではない・・・・。
とにもかくにも、僕は日本中のロックキッズが”LOUDNESS!!!”と叫び声を上げていると感じた。
ヘビーメタルの為に命を落としても本望だと思った。
この時若干21歳だった僕はヘビーメタルに身も心も捧げる覚悟が出来た。
曲数は正確には二日で32曲ある。
歌詞はほぼ体に入った。
あとは力いっぱい歌うだけです。
今から滅茶苦茶楽しみですわ!!
精一杯頑張りますぅ・・・・・!!!
ライブ来られる方、一緒に大合唱してね!
よろしく!!
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東京へ出てきてあっという間にその年が終わった。
台風の中に放り込まれて嵐に身を任せたような1年だった。
そして年が明けた。
この年の正月に帰省したかどうか記憶に無い・・・・。
多分帰っていないと思う。
1982年、1月18日には東京中野サンプラザでJAPAN HEAVY METAL FANTASYと言うイヴェントが開催され、LOUDNESSもこのイヴェントに出演した。
他の出演バンドはバウワウ、子供バンド、シルバースターズ、北島健二と言う顔ぶれだった。
僕はこのイヴェントでズタズタになった。
リハーサルでは声も絶好調で問題なかったけれど、ライブが始まるや否や僕の喉は豹変した。
1曲目が始まり普段どおり歌い始めたのだが、ステージ上のモニターからは僕の声が全く力無く聞こえた。
声に力が無いと思うから力む、力めばもっと声が出ないと言う悪循環だった。
まさにやればやるほど、頑張れば頑張るほど逆の結果になった。
ついに声を出せども出せども、まったく出てこなくなった。
まるで大きな力で喉をブロックされたような感じであった。
声帯に空気は通っているのだが、もはや声帯は機能不全を起こしていた。
これは大きなステージ、大きな音、デッドな会場の特性でよく起こる聴覚上の錯覚なのだが、当時の僕にはそれが理解出来ないでいた。
今では、少し声を出せばその会場の特性を瞬時に把握して、どういう歌い方をすれば良いか冷静に判断できるが、当時の僕には全く理解できず大パニックになった。
この経験でLOUDNESSのような爆音バンドのステージで歌う難しさを思い知った。
ステージ上のモニターの加減、会場の響き、お客さんが音を吸収することなどでステージ上のヴォーカリストや演者に想像以上の影響を与える。
しかしながら、プロであるならそう言うことに対して上手く対処できてあたり前なのである。
僕は完全に素人であった・・・。
結局僕は2曲目以降、悲惨な醜態をさらけ出したまま立ち直ることも無くLOUDNESSの出番を終えた。
声がコントロールできないと言う恐怖を始めて知った。
この日から僕はステージに対してある種の恐怖感を抱くようになった。
いや、ステージだけでなく、歌うことに対して恐怖を抱くようになった。
声が出ない恐怖、声をコントロールできない恐怖、お客さんが落胆して熱が冷めて行く現実をステージの中央でいやと言うほど思い知ったのだ。
そして、この恐怖に数年悩まされることになった。
普段はアホな事ばかり言っているけれど、意外と歌うことに関しては神経質で繊細であったのだ。
歌う時にメンタルな部分で僕は重大な問題を抱えることになった。
とは言うものの、一人前のプロのヴォーカリストになるには絶対に超えなければならない壁ではあった。
その問題を瞬時で解決できるラッキーな人もいれば、相当時間がかかる人もいる。
僕のこの悩み、表面上は数年で解決したのだが、実のところ今でもその恐怖は僕の心の奥でトラウマとなっている。
イヴェント終了後、楽屋でマネージャーやプロデューサーからコテンパンに叱咤された。
僕は自分の未熟さを痛感した。
自分の置かれている立場や現実と自分の出来ることや実力のギャップに恐れおののいた。
頭がひどく混乱した。
ついに、僕は楽屋で悔しくて涙した。
子供バンド、バウワウ、の諸先輩の経験の差を思い知った。
何とかせねばならないと思った。
とにかく、ステージで自分の喉や歌を自在にコントロールできるようになることが一番の課題であった。
そしてこの問題はこれから続くであろうLOUDNESSのツアーと言う大事な仕事を乗り切れるかどうかの重要課題であった。
よくよく思えば、僕はさほどヴォーカル経験もないままプロになった。
リトルリーグの小学生がいきなりプロリーグに入ったようなものだった。
バンド内でも、タッカンとひぐっつあんとの経験差を一刻も早く縮める必要もあった。
ヴォーカリストとして僕が克服すべき課題は多く困難であり不可能なような気もした。
一方、バンドの外では日本中がにわかに騒がしくなっていた。
ついに、本格的にジャパニーズヘビーメタルと言う新たなムーブメントに火がつき始めてきたのだ。
誰がこのような現象を想像しただろうか?
今まで見向きもしていなかった人達もジャパニーズヘビーメタルの話題を始めるようになった。
いつのまにか「ジャパメタ」と呼ばれるようになった。
特に10代のロックキッズはジャパメタに目覚め熱狂した。
LOUDNESSを中心にヘビーメタルイヴェントが度々催された。
この一連のヘビーメタルイヴェントはまさにこのムーブメントのケツを蹴り上げるのに一役も二役も買った。
もはやこのジャパメタの嵐は誰にも止めることが出来ないほどの勢いを見せた。
“JAPAN HEAVY METAL FANTASY in Osaka” でLOUDNESSは大阪で始めてのライブを行った。
この大阪ライブは東京を遥かに上回る盛り上がりを見せ、暴動直前と思われるほどの異様な空気の中LOUDNESSは登場した。
ライブ直前にスタッフから「暴動の事態になったら即ライブ中止の合図を送りますから!」と言われ、かなり動揺したのを覚えている。
この大阪ライブ、LOUDNESS登場で暗転になった瞬間、男達の悲鳴に近い怒涛の歓声は27年たった今でも忘れることが出来ない。
僕の記憶が正しければ、確かこの大阪ライブでまだリリースされていないシングルの新曲”BURNIG LOVE”をやったように思う。
この時のオーディエンスの狂ったような猛烈ヘッドバンキングはいまだ鮮烈に覚えている。
残念ながらライブの内容はまったく覚えていないけれど、殺気立った会場内のオーディエンスの燃えるような眼差しは忘れることが出来ない。
この大阪ライブ終了後、プロデューサーより再び酷く叱咤を受けたのを覚えている。
LOUDNESSと言う爆音モンスターバンドで歌う難しさにもがき苦しんだ。
まだまだステージで歌えるようになるのには長い道のりが必要だった。
ステージと言うものは誰かが助けてくれるわけでも無い、自分で乗り越えるしかないのだ。
サウンドに負けない強靭な精神と強靭な喉を作り上げるしかないのだ。
ヘビーメタルを歌うと言うことは容易いことではない・・・・。
とにもかくにも、僕は日本中のロックキッズが”LOUDNESS!!!”と叫び声を上げていると感じた。
ヘビーメタルの為に命を落としても本望だと思った。
この時若干21歳だった僕はヘビーメタルに身も心も捧げる覚悟が出来た。
ここのところ近々やる諸々のライブのリハーサルとその準備に追われておりました。
更新の時間が上手くとれず恐縮です。
昨日は、マー君と横関敦、ファンキー末吉御大と8月2日3日に横浜でやる僕のソロライブ(詳細はこのブログ左にあるインフォメーション参照)のリハーサルだったのだけど、マー君って本当に素晴らしいベースプレイヤーですなぁ。(今更何を・・・)
マー君の書いた曲、Black wall, Heavy chains, Run for your life,などひさし振りにフルコーラス真剣にやったのだけど滅茶苦茶格好良いんよ~~~~~!!!
意外とファンキーとのグルーブの相性も抜群で、本当に歌っていて気持ちよかった。
それとね・・・ジェットフィンガー横関敦が又凄いのなんのってあんた!
噂では聞いていたけれど、笑ってしまうほどのテクニシャンですね。
僕は幸運なことに、日本の素晴らしいギタープレイヤー達と沢山仕事をしてきました。
勿論皆さん日本のトッププレイヤーばかりなので甲乙つけることは不可能ですが、こと、横関君のロックギターの上手さに関してはガチで群を抜いていますなぁ。
ギターは上手ければ良いのか?と言う究極の話になりますが、横関君ほど上手いとこれはお金を払ってでもその名人芸を観る価値があると思います。
リハーサルでは僕の喉も絶好調でしたわ!
時間があれば是非ライブに来てくださ~~~い!!
:::::::::::::::::::::
1曲目が終わった時、怒涛の歓声を受けますますバンドは火がついた。
間髪いれずに2曲目のStar light(2ndのLoving maid)へ突入。
1曲目とガラッと変わって、この曲はストレートヘッドな8ビートのアップナンバーだ。
ひぐっつあんの日本人離れした8ビートのノリが会場をグイグイと引っ張る。
僕の中でこの曲はスコーピオンズのクラウスマイネのイメージ、すっかりクラウスマイネになりきった。(笑)
当然、お客さんには聴いたことも無い曲だけれど凄まじいノリである。
会場全体が文字通り揺れているのだ。
スコーピオンズ系のアップナンバーがLOUDNESSは本当に得意だ。
ステージの照明も目がくらむほどの煽り方である。
PAからはこれ以上無いヘビーなサウンドが爆裂して、LOUDNESSとお客さんの脳を激しく刺激している。
タッカンの超絶泣きの早弾きソロが会場を圧倒する。
僕はありったけの力で叫び歌いまくった。
このスケールのライブの恐怖感や不安感というものは最早微塵も無い。
僕は完全に「ロックシンガー二井原実」と言う別人格となった。
僕は僕の中にいる偉大な存在と一体となり内から沸きあがる喜び、感動を味わっている。
何かの力で僕がこのステージへと導かれてきたのは間違いない。
2700人のお客さんとこの感動の瞬間を分かちあっている奇跡に震えた。
2曲目の稲妻のようなエンディングと共にステージは暗転になった。
そして次はLOUDNESSのフロントマンとして始めて言葉を吐く瞬間だ。
目の前が再び真っ白になり宙に浮いている感じになった。
僕は後ろのドラム台の水を飲み少し息を整えた。
心を落ち着けようと懸命になった。
(うわ~あかん!!MCやがな!!!どないしよ!!)
たった数秒の休憩を挟んで僕はマイクに向かった。
足元にあるプロデューサが作ってくれたMC用のカンペに目をやったがカンペを読む気にはなれなかった。
会場を振り返った瞬間、強烈なスポットライトが僕を直撃した。
会場から物凄い歓声が沸き起こった。
歓声はアイドル系の黄色い歓声と男性ロックファンの「ウォ~~!!!」が入り混じっていた。
その歓声で「ロックシンガー二井原実」に再び戻った。
同時に全身の血が熱くなった。
僕の中のアホスイッチがONになった。
「Wooo!!!!!&フンギヨェ~~!!!Yeah!!!!!!!!!お前ら~~~~!!!元気きゃい~~?!!!」
すでに物凄い関西弁のニュアンスである。
アースシェイカーのライブでやっていた半分けんか腰MCだ・・・・。
テンションが高いので声のトーンが歌っている時と同じだ。
その上、どうしたことかお客さんを煽る言葉に抑揚がついた。
喋りかけるというより、歌っているのと変わらない。
喋りながら思った。
(あれこの喋り方って忌野清志郎やん・・・・)
この日を境に僕はLOUDNESSでのMCに関して開眼した。
僕のMCの土台が出来上がったと言っても良い。
そしてこの喋り方がどんどん進化し形を整えあの「会いたかったぜ~~~♪」が定着した。
お陰で、当時、このちょっとバカっぽい喋り方がアマチュアヴォーカリストの間で大流行、真似する人が続出した。(笑)
何はともあれ、デビューライブのMCの細部は最早記憶に無いが、お客さんの中には僕の関西弁に若干の違和感と共にとまどいの空気が漂っていて、僕はそれを感じた。
微妙な空気の中なんとかMCをやり過ごしライブは順調に進んだ。
③ High Try ④ Girl ⑤ Open your eyes ⑥To be demon ⑦ Street woman ⑧ 008(
Devil soldier)⑨ Rock the nation ⑩ I’m on fire ⑪ Sexy woman (Anc.)⑫ Lonely player⑬ Rock shock
大盛況の中LOUDNESSの歴史的デビューライブは幕を閉じた。
バンドにとってもお客さんにとっても何もかもが始めてづくしだった。
「二井原君、MC面白かったね。あの路線で完成させよう!」
ライブ後、高潮した表情のプロデューサーがニコニコして言った。
デビューライブ、色々クリアすべき問題点も露呈したけれど、ひとまずはスタッフ一同大きな事故も無く無事終わり安堵したようだった。
祭りの後の寂しさを味わいつつアパートに戻った。
彼女はすでに部屋に戻っていた。
「コンサートどこで観てたん?」
「2階席やってん、私のこと見えへんかった?」
彼女はいたずらっぽく答えた。
「物凄いお客さんやったね。音も迫力あったわ。ちょっと音が大きすぎてなんやようわからんかったけど・・・照明もきれいやった。あんたほんま大きく見えたわ」
「ほんまに?」
彼女の言葉が僕は嬉しかった。
「スパッツありがとう。光ってたか?」
「うん、キラキラしてたわ」
彼女が微笑んだ。
少し間があって、彼女は僕を見るでも無くつぶやいた。
「あんたほんま凄いなぁ。
でもな、ステージのあんたは私の知ってるあんたやなかったわ・・・。
なんかなぁ・・あんたがもう私の手の届かへん、遠い所へ行ってもうた気がしてん・・・・。」
「アホやな、何言うてんねん・・・」
そう言うと、彼女の目から涙がこぼれた・・・
更新の時間が上手くとれず恐縮です。
昨日は、マー君と横関敦、ファンキー末吉御大と8月2日3日に横浜でやる僕のソロライブ(詳細はこのブログ左にあるインフォメーション参照)のリハーサルだったのだけど、マー君って本当に素晴らしいベースプレイヤーですなぁ。(今更何を・・・)
マー君の書いた曲、Black wall, Heavy chains, Run for your life,などひさし振りにフルコーラス真剣にやったのだけど滅茶苦茶格好良いんよ~~~~~!!!
意外とファンキーとのグルーブの相性も抜群で、本当に歌っていて気持ちよかった。
それとね・・・ジェットフィンガー横関敦が又凄いのなんのってあんた!
噂では聞いていたけれど、笑ってしまうほどのテクニシャンですね。
僕は幸運なことに、日本の素晴らしいギタープレイヤー達と沢山仕事をしてきました。
勿論皆さん日本のトッププレイヤーばかりなので甲乙つけることは不可能ですが、こと、横関君のロックギターの上手さに関してはガチで群を抜いていますなぁ。
ギターは上手ければ良いのか?と言う究極の話になりますが、横関君ほど上手いとこれはお金を払ってでもその名人芸を観る価値があると思います。
リハーサルでは僕の喉も絶好調でしたわ!
時間があれば是非ライブに来てくださ~~~い!!
:::::::::::::::::::::
1曲目が終わった時、怒涛の歓声を受けますますバンドは火がついた。
間髪いれずに2曲目のStar light(2ndのLoving maid)へ突入。
1曲目とガラッと変わって、この曲はストレートヘッドな8ビートのアップナンバーだ。
ひぐっつあんの日本人離れした8ビートのノリが会場をグイグイと引っ張る。
僕の中でこの曲はスコーピオンズのクラウスマイネのイメージ、すっかりクラウスマイネになりきった。(笑)
当然、お客さんには聴いたことも無い曲だけれど凄まじいノリである。
会場全体が文字通り揺れているのだ。
スコーピオンズ系のアップナンバーがLOUDNESSは本当に得意だ。
ステージの照明も目がくらむほどの煽り方である。
PAからはこれ以上無いヘビーなサウンドが爆裂して、LOUDNESSとお客さんの脳を激しく刺激している。
タッカンの超絶泣きの早弾きソロが会場を圧倒する。
僕はありったけの力で叫び歌いまくった。
このスケールのライブの恐怖感や不安感というものは最早微塵も無い。
僕は完全に「ロックシンガー二井原実」と言う別人格となった。
僕は僕の中にいる偉大な存在と一体となり内から沸きあがる喜び、感動を味わっている。
何かの力で僕がこのステージへと導かれてきたのは間違いない。
2700人のお客さんとこの感動の瞬間を分かちあっている奇跡に震えた。
2曲目の稲妻のようなエンディングと共にステージは暗転になった。
そして次はLOUDNESSのフロントマンとして始めて言葉を吐く瞬間だ。
目の前が再び真っ白になり宙に浮いている感じになった。
僕は後ろのドラム台の水を飲み少し息を整えた。
心を落ち着けようと懸命になった。
(うわ~あかん!!MCやがな!!!どないしよ!!)
たった数秒の休憩を挟んで僕はマイクに向かった。
足元にあるプロデューサが作ってくれたMC用のカンペに目をやったがカンペを読む気にはなれなかった。
会場を振り返った瞬間、強烈なスポットライトが僕を直撃した。
会場から物凄い歓声が沸き起こった。
歓声はアイドル系の黄色い歓声と男性ロックファンの「ウォ~~!!!」が入り混じっていた。
その歓声で「ロックシンガー二井原実」に再び戻った。
同時に全身の血が熱くなった。
僕の中のアホスイッチがONになった。
「Wooo!!!!!&フンギヨェ~~!!!Yeah!!!!!!!!!お前ら~~~~!!!元気きゃい~~?!!!」
すでに物凄い関西弁のニュアンスである。
アースシェイカーのライブでやっていた半分けんか腰MCだ・・・・。
テンションが高いので声のトーンが歌っている時と同じだ。
その上、どうしたことかお客さんを煽る言葉に抑揚がついた。
喋りかけるというより、歌っているのと変わらない。
喋りながら思った。
(あれこの喋り方って忌野清志郎やん・・・・)
この日を境に僕はLOUDNESSでのMCに関して開眼した。
僕のMCの土台が出来上がったと言っても良い。
そしてこの喋り方がどんどん進化し形を整えあの「会いたかったぜ~~~♪」が定着した。
お陰で、当時、このちょっとバカっぽい喋り方がアマチュアヴォーカリストの間で大流行、真似する人が続出した。(笑)
何はともあれ、デビューライブのMCの細部は最早記憶に無いが、お客さんの中には僕の関西弁に若干の違和感と共にとまどいの空気が漂っていて、僕はそれを感じた。
微妙な空気の中なんとかMCをやり過ごしライブは順調に進んだ。
③ High Try ④ Girl ⑤ Open your eyes ⑥To be demon ⑦ Street woman ⑧ 008(
Devil soldier)⑨ Rock the nation ⑩ I’m on fire ⑪ Sexy woman (Anc.)⑫ Lonely player⑬ Rock shock
大盛況の中LOUDNESSの歴史的デビューライブは幕を閉じた。
バンドにとってもお客さんにとっても何もかもが始めてづくしだった。
「二井原君、MC面白かったね。あの路線で完成させよう!」
ライブ後、高潮した表情のプロデューサーがニコニコして言った。
デビューライブ、色々クリアすべき問題点も露呈したけれど、ひとまずはスタッフ一同大きな事故も無く無事終わり安堵したようだった。
祭りの後の寂しさを味わいつつアパートに戻った。
彼女はすでに部屋に戻っていた。
「コンサートどこで観てたん?」
「2階席やってん、私のこと見えへんかった?」
彼女はいたずらっぽく答えた。
「物凄いお客さんやったね。音も迫力あったわ。ちょっと音が大きすぎてなんやようわからんかったけど・・・照明もきれいやった。あんたほんま大きく見えたわ」
「ほんまに?」
彼女の言葉が僕は嬉しかった。
「スパッツありがとう。光ってたか?」
「うん、キラキラしてたわ」
彼女が微笑んだ。
少し間があって、彼女は僕を見るでも無くつぶやいた。
「あんたほんま凄いなぁ。
でもな、ステージのあんたは私の知ってるあんたやなかったわ・・・。
なんかなぁ・・あんたがもう私の手の届かへん、遠い所へ行ってもうた気がしてん・・・・。」
「アホやな、何言うてんねん・・・」
そう言うと、彼女の目から涙がこぼれた・・・
ステージが暗転になった途端、物凄い歓声が沸き起こった。
ステージの横で緊張しながらスタンバイをしているメンバーが思わず笑ってしまうほどであった。
今夜はLOUDNESSのデビューライブである。
まだ一度もその正体を現したことの無いバンドであるにもかかわらず、この割れんばかりの怒涛の歓声はいったい・・・・。
この歓声はまさに日本のロックが生まれ変わる歓喜の産声でもあった。
この歓喜の歓声は、ハードロックは売れないと断言していた大人達への強烈なアンチテーゼであった。
大人達の思惑外のところで新たな日本のヘビーメタルの波が誕生したのだ。
そのジャパニーズヘビーメタルの幕開けに若者達が敏感に反応し狂喜乱舞した。
暗転の中うっすらとタッカンにスポットライトが当たる。
その瞬間、又再び歓声が沸き起こった。
タッカンのランダムスターが吼えた!!
タッカンのアームダウンのまさに咆哮である。
「キュイ~~~ン!!グオォ~~~ン!!!!!」
「ウォ~~~~!!!!」歓声が呼応した。
「キュイ~~ンキュイ~~ンドッカ~~~~ン!!!!グオォ~~ン!!」
「ウォ~~~~~~~~~~~~!!!!!」歓声が再びより一層大きく響いた。
タッカンはアームダウンをしながら、まるで何かに憑りつかれたようにのけぞった。
照明は見事にその誕生の瞬間を演出した。
まるで映画のワンシーンのようだった。
ひぐっつあん、マー君、そして僕がそれぞれの位置に付く為にステージへ歩き出した。
その瞬間「ウォ~~~~~~!!!!!!!」と再び怒涛の歓声が沸き起こった。
僕はその歓声を体に感じながらまるでフワフワ宙に浮いている感じがした。
マイクスタンドの前に立った。
真っ暗な客席がまるで大きな真っ黒い怪物のようだった。
客席にはマグマのような熱いとてつもないエネルギーが渦巻いていた。
まるでLOUDNESSと大きな怪物が対峙しているようだ。
僕にはお客さんの顔がまだ見えなかった。
怒涛の歓声がLOUDNESSを包み込んだ。
タッカンの咆哮がやがてフィードバック音へと変わった。
「キ~~~~ン キ~~~ン ヒィ~~ン!!!」
マーシャルアンプの前に立ちフィードバック音の最適な場所を捉えた。
「ヒィ~ン、ヒィ~ン、ヒィ~ン、ヒィ~ン」
タッカンのフィードバックカウントと共にオープニングナンバーが始まった。
「ドドン!!」
ひぐっつあんとマー君が強烈なカウントを入れた!
その強烈なカウントにぴったりのタイミングで照明が炸裂した。
「ウォ~~~~!!!」
歓声がなおも大きな悲鳴に変わった。
タッカンが”LOUDNESS”のメインリフを刻んだ。
“Oh Yeah!!!!!!!! We are~~~~~~ LOUDNESS!~~~!!!!! Come on~~~!!!!!!!! Now~~~~!!!!!!! Woooooooo!!!Yeah!!!」
僕が叫んだ瞬間、耳を裂く強烈な爆音と共にマグネシュームが炸裂し、もうもうと白い煙に包まれた。

僕の目の前は真っ白い世界になった。
何も見えない。
すべてがスローモーションのようになった。
僕はLOUDNESSが切り刻む激しいシャッフルのリズムに身を任せ、宙を舞っている錯覚を感じた。
「ドドドドドドドド~~ン!ドドドドドドドド~~ン!タタタタタタ!タタタタタタ!」
歌の出だしのフィルで我に返った。
「ふさぎ込むのはやめにしよ~~ぜ~~~!!かたい頭に釘を打ち込め~~~~!!!」
僕はありったけの声を出した。
僕の声が会場全体にこだましているのを感じた。
僕のシャウトが会場を包んだ。
会場の怒涛の歓声と僕のシャウトが混ざり合い一つになった。
歌い始めると、マグネシウムの白い煙が少しずつ無くなり、お客さんの顔が見え始めた!!!
笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!
ついにお客さんが見えた!!
お客さん一人ひとりが素晴らしいエネルギーを放っている。
腕を振り上げている人、ひたすらクビを振っている人、涙を流している人、そして僕と一緒に歌っている人!!
LOUDNESSはついにお客さんと合体した。
まさに熱狂の幕開けだった。
僕は全身に鳥肌が立った。
アドレナリンが沸騰し、かつて感じたことの無いような高揚感、興奮が襲った。
「We are the LOUDNESS guy!!! Feel in the sky!!」
サビで大合唱が起こった。
圧巻の2700人の大合唱である。
みんなが大きな口を開けてありったけの声で叫んでいるのが嬉しかった。
自分の歌でこんな大合唱が起こるなんて・・・・。
この初体験にションベンがちびりそうになった。
つい数ヶ月前まで数十人の前でひっそり歌っていたのに、まさに一夜明けたら大スターだった。
ソロのセクションに突入した。
マー君のベースリフとひぐっつあんだけのリズムセクションのダイナミズムが浅草国際劇場を揺るがした。
「ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!・・・」
お客さんが手拍子と共に叫んでいる。
マー君の重低音ゴリゴリのメタルベースがお客さんをより一層煽りまくる!!
そして、タッカンのギターソロが始まった。
その瞬間、再び怒涛の歓声が沸き起こった。
そして、タッカンの超人ソロが炸裂するや否や、一瞬静まり返った。
固唾を呑んでいる・・・・。
5400の目がタッカンの指に注目した。
最後の決めメロディーで再び怒涛の歓声が沸き起こった!
「Oh!!!!!!Yeah~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!」
ギターソロ後、再びマー君とひぐっつあんだけのアクセントになり、僕は絶叫してお客さんを煽りまくった。
最後のコーラスで再び大合唱となった。
素晴らしいこの一体感!
「ジャジャジャジャ~~ン!!!!」
「ウォ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!」
地鳴りがする歓声と共に1曲目が終わった・・・・。
涙で顔がグシャグシャになっている人が沢山いた。
僕は言葉に出来ないほどの感動で胸が一杯になった。
音楽・ロックの持つ興奮、感動、素晴らしさを全身で感じた。

新たな日本のロックの幕開けであった。
まさに歓喜の夜明けの瞬間であった。
ステージの横で緊張しながらスタンバイをしているメンバーが思わず笑ってしまうほどであった。
今夜はLOUDNESSのデビューライブである。
まだ一度もその正体を現したことの無いバンドであるにもかかわらず、この割れんばかりの怒涛の歓声はいったい・・・・。
この歓声はまさに日本のロックが生まれ変わる歓喜の産声でもあった。
この歓喜の歓声は、ハードロックは売れないと断言していた大人達への強烈なアンチテーゼであった。
大人達の思惑外のところで新たな日本のヘビーメタルの波が誕生したのだ。
そのジャパニーズヘビーメタルの幕開けに若者達が敏感に反応し狂喜乱舞した。
暗転の中うっすらとタッカンにスポットライトが当たる。
その瞬間、又再び歓声が沸き起こった。
タッカンのランダムスターが吼えた!!
タッカンのアームダウンのまさに咆哮である。
「キュイ~~~ン!!グオォ~~~ン!!!!!」
「ウォ~~~~!!!!」歓声が呼応した。
「キュイ~~ンキュイ~~ンドッカ~~~~ン!!!!グオォ~~ン!!」
「ウォ~~~~~~~~~~~~!!!!!」歓声が再びより一層大きく響いた。
タッカンはアームダウンをしながら、まるで何かに憑りつかれたようにのけぞった。
照明は見事にその誕生の瞬間を演出した。
まるで映画のワンシーンのようだった。
ひぐっつあん、マー君、そして僕がそれぞれの位置に付く為にステージへ歩き出した。
その瞬間「ウォ~~~~~~!!!!!!!」と再び怒涛の歓声が沸き起こった。
僕はその歓声を体に感じながらまるでフワフワ宙に浮いている感じがした。
マイクスタンドの前に立った。
真っ暗な客席がまるで大きな真っ黒い怪物のようだった。
客席にはマグマのような熱いとてつもないエネルギーが渦巻いていた。
まるでLOUDNESSと大きな怪物が対峙しているようだ。
僕にはお客さんの顔がまだ見えなかった。
怒涛の歓声がLOUDNESSを包み込んだ。
タッカンの咆哮がやがてフィードバック音へと変わった。
「キ~~~~ン キ~~~ン ヒィ~~ン!!!」
マーシャルアンプの前に立ちフィードバック音の最適な場所を捉えた。
「ヒィ~ン、ヒィ~ン、ヒィ~ン、ヒィ~ン」
タッカンのフィードバックカウントと共にオープニングナンバーが始まった。
「ドドン!!」
ひぐっつあんとマー君が強烈なカウントを入れた!
その強烈なカウントにぴったりのタイミングで照明が炸裂した。
「ウォ~~~~!!!」
歓声がなおも大きな悲鳴に変わった。
タッカンが”LOUDNESS”のメインリフを刻んだ。
“Oh Yeah!!!!!!!! We are~~~~~~ LOUDNESS!~~~!!!!! Come on~~~!!!!!!!! Now~~~~!!!!!!! Woooooooo!!!Yeah!!!」
僕が叫んだ瞬間、耳を裂く強烈な爆音と共にマグネシュームが炸裂し、もうもうと白い煙に包まれた。

僕の目の前は真っ白い世界になった。
何も見えない。
すべてがスローモーションのようになった。
僕はLOUDNESSが切り刻む激しいシャッフルのリズムに身を任せ、宙を舞っている錯覚を感じた。
「ドドドドドドドド~~ン!ドドドドドドドド~~ン!タタタタタタ!タタタタタタ!」
歌の出だしのフィルで我に返った。
「ふさぎ込むのはやめにしよ~~ぜ~~~!!かたい頭に釘を打ち込め~~~~!!!」
僕はありったけの声を出した。
僕の声が会場全体にこだましているのを感じた。
僕のシャウトが会場を包んだ。
会場の怒涛の歓声と僕のシャウトが混ざり合い一つになった。
歌い始めると、マグネシウムの白い煙が少しずつ無くなり、お客さんの顔が見え始めた!!!
笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!笑顔!
ついにお客さんが見えた!!
お客さん一人ひとりが素晴らしいエネルギーを放っている。
腕を振り上げている人、ひたすらクビを振っている人、涙を流している人、そして僕と一緒に歌っている人!!
LOUDNESSはついにお客さんと合体した。
まさに熱狂の幕開けだった。
僕は全身に鳥肌が立った。
アドレナリンが沸騰し、かつて感じたことの無いような高揚感、興奮が襲った。
「We are the LOUDNESS guy!!! Feel in the sky!!」
サビで大合唱が起こった。
圧巻の2700人の大合唱である。
みんなが大きな口を開けてありったけの声で叫んでいるのが嬉しかった。
自分の歌でこんな大合唱が起こるなんて・・・・。
この初体験にションベンがちびりそうになった。
つい数ヶ月前まで数十人の前でひっそり歌っていたのに、まさに一夜明けたら大スターだった。
ソロのセクションに突入した。
マー君のベースリフとひぐっつあんだけのリズムセクションのダイナミズムが浅草国際劇場を揺るがした。
「ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!・・・」
お客さんが手拍子と共に叫んでいる。
マー君の重低音ゴリゴリのメタルベースがお客さんをより一層煽りまくる!!
そして、タッカンのギターソロが始まった。
その瞬間、再び怒涛の歓声が沸き起こった。
そして、タッカンの超人ソロが炸裂するや否や、一瞬静まり返った。
固唾を呑んでいる・・・・。
5400の目がタッカンの指に注目した。
最後の決めメロディーで再び怒涛の歓声が沸き起こった!
「Oh!!!!!!Yeah~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!」
ギターソロ後、再びマー君とひぐっつあんだけのアクセントになり、僕は絶叫してお客さんを煽りまくった。
最後のコーラスで再び大合唱となった。
素晴らしいこの一体感!
「ジャジャジャジャ~~ン!!!!」
「ウォ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!」
地鳴りがする歓声と共に1曲目が終わった・・・・。
涙で顔がグシャグシャになっている人が沢山いた。
僕は言葉に出来ないほどの感動で胸が一杯になった。
音楽・ロックの持つ興奮、感動、素晴らしさを全身で感じた。

新たな日本のロックの幕開けであった。
まさに歓喜の夜明けの瞬間であった。
「おはようございます。今日デビューライブよろしくお願いします。では予定通り事務所集合で!」
朝10時に事務所の方からモーニングコールがあった。
彼女が作ってくれた光るスパッツを試着してみた。
「わぁ~綺麗やんかぁ~!ライトがあたったらキラキラして良い感じやない?」
「おぉほんまやな!」
二人でまだ見ぬステージ上の僕を想像して盛り上がった。
「ほな、行ってくるわ!」
「客席で観てるから、がんばってや~♪」
彼女は東京にいる友人とライブに来ることになった。
事務所に着くとすでに他のメンバーは到着していた。
「二井原君、これMCのカンペ。一応目を通しておいて。このとおり喋ったら問題ないからね、格好良いと思うよ。」
プロデューサーがわざわざMC用の原稿を用意してくれた。
「こんにちは、LOUDNESSです。俺達は・・・」
目を通してみたら、とてもまとまった内容の原稿だった。
しかしながら、これを読む余裕が自分にあるだろうかと思った。
(ん・・これは自信が無いなぁ・・・)
原稿を何度も読むものの頭に入ってこなかった。
理由は簡単、自分の言葉でないからだ。
ただ、プロデューサーの気持ちは良く分かった。
車は浅草国際劇場へ向かった。

初めて見る東京の下町だった。
(浅草って・・・・又随分粋な所でロックコンサートやるんやなぁ・・・)
浅草と言えば、雷門やストリップ劇場のイメージしかない。


浅草で外タレのライブがあったという話はあまり聞かないし。
ライブ会場が古い会場だというのは聞いた。
会場は3000人近い人が入るということも聞いた。
そして、今夜のライブのチケットは即日完売したという話も聞いた。
そう言えば、このライブが決定する前にデビューライブをどうするかと言う話で、ライブハウス1週間と言うのがあった。
デビューライブを7daysするのだ。
「7daysを完売して話題を作ろう」と言う話だった。
「それはLOUDNESSのイメージじゃない。もっとインパクトのあるスケールの大きい見せ方でないとダメだ。大きなコンサート会場でキッス並のステージセットを作って大掛かりなロックshowにするんだ!」
プロデューサーの鶴の一言で浅草国際劇場の規模のライブが決定した。
これを機にLOUDNESSは派手で大掛かりなステージを身上とするバンドとなった。
(で、でっか~~~~~~!!!!)
ステージを見て腰が砕けた。
ステージの後ろには物凄い数の照明がセットされている。
ステージ中央には巨大ドラムセットが鎮座していた。
右側にマーシャルアンプの壁。
暴力的とも言えるPAシステムのスピーカーの数・・・・。
すべてがモンスター級だった。
高校生の頃に観たキッスのライブと同等かいやそれ以上の派手なステージセットかもしれない。
まさに衝撃だった。
(こ、こんな凄いスケールのステージをいきなりデビューやるのか・・・・)
僕は震えた。
手に汗をかいた。
呼吸の仕方を忘れるほどに興奮した。
「どう?凄いだろう?このセット作るのに凄く時間かかったんだよ!!」
呆然とする僕にプロデューサーが自慢げに話した。
ひぐっつあんがドラムのサウンドチェックを始めた。
バスドラムを踏んだ。
「ド~~~~~~ン!!!!!」
その爆音の衝撃でステージ天井からほこりや物が降ってきた。
こんな馬鹿でかい音は聞いたことが無い。
山と積まれたPAシステムである、当然だといえば当然。
僕はステージの上に立ってみた。
ひぐっつあんのドラムセット台の前に立って会場を見渡した。
ひぐっつあんのキックドラムがちょうど僕の後頭部にあたる。
ひぐっつあんがキックドラムを踏む度に僕の髪の毛が揺れた。
そして、その重低音に内臓が刺激され胃袋がひっくり返ったような感じがした。
音圧ですこし気が遠くなった。
ひぐっつあんがビートを刻み始めた。
PAから出る巨大音圧で僕の体中の血が沸き立った。
ひぐっつあんのビートを聞いているだけで僕はすでに人格が変貌して行く感じがした。
これは高校生の学園祭のステージ上で体験したトランス状態に近い。
ステージの神が降りてくる感じと言ったら良いのか?
僕でありながら僕でない不思議な感じだ。
マー君のベースのサウンドチェックも始まった。
マー君も僕と同じで今日がデビューだ。
まだ19歳だというのに落ち着いた様子が頼もしい。
笑顔さえ見えている。
本当にロックが大好きなやんちゃ坊主だ。
それにしても素晴らしいゴリゴリとした重低音だ。
理想的な、いやそれ以上のサウンドだ。
僕もベースをやっていたので分かる。
そのサウンドの完成度には目を見張るほどに聞き惚れた。
ひぐっつあんと一緒にリズムを刻んだ。
この二人の独特なグルーブがLOUDNESSそのものだ、本当に心地良い。
ベースとドラムだけで酔いしれ熱狂できる。
僕はこのリズムセクションを聞いて、今日のライブはとてつもなく盛り上がるだろうと確信した。
タッカンのギターサウンドチェックも始まった。
パワーコードでギターの様子を見ている。
大きなエフェクトラックの前に立ち何度も調整をやっている。
照明が当たるたびに赤のランダムスターの鏡の部分がキラキラと光った。
客席からレイジーのコンサートでステージ上の超人的ギターを幾度と無く見てきたけれど、今夜はあのギターの横で立って歌うのかと思うと信じられないような気がした。
タッカンのギターの音は爆音でありながらも繊細で綺麗だった。
ザクザクと切り刻むリフが攻撃的でワイルドだった。
それにしても何という音のでかさだ・・・。
まさにLOUDNESSだと思った。
「二井原さん、声をくださ~~~い!」
僕はゆっくりマイクに近づいた。
ステージから客席を見た、目の前には3000人の客席が広がっていた。
その広さに目がくらんだ。
客席全体が大きく口を開けた化け物のようだった。
なかなか手ごわいような気がした。
「ア~~、ア~~、ア~~~~、Yeah!! Yeah!!! Yea~~~~~~~~~h!!!!」
会場に響き渡る自分の声に目が覚めた。
会場の残響音が快感であった。
この快感は大きなステージでのみ味わえるものだ。
声は絶好調だった。
今まで不安な気持ちだったものが吹っ飛んだ。
僕は僕でありながら僕でない感じが再び襲った・・・・。
(オリャ!オリャ!オリャ~~~!!!!今日はガツンと言わしたるで~~~!!)
「ロックシンガー二井原実」と言う奴が僕に憑依した。
朝10時に事務所の方からモーニングコールがあった。
彼女が作ってくれた光るスパッツを試着してみた。
「わぁ~綺麗やんかぁ~!ライトがあたったらキラキラして良い感じやない?」
「おぉほんまやな!」
二人でまだ見ぬステージ上の僕を想像して盛り上がった。
「ほな、行ってくるわ!」
「客席で観てるから、がんばってや~♪」
彼女は東京にいる友人とライブに来ることになった。
事務所に着くとすでに他のメンバーは到着していた。
「二井原君、これMCのカンペ。一応目を通しておいて。このとおり喋ったら問題ないからね、格好良いと思うよ。」
プロデューサーがわざわざMC用の原稿を用意してくれた。
「こんにちは、LOUDNESSです。俺達は・・・」
目を通してみたら、とてもまとまった内容の原稿だった。
しかしながら、これを読む余裕が自分にあるだろうかと思った。
(ん・・これは自信が無いなぁ・・・)
原稿を何度も読むものの頭に入ってこなかった。
理由は簡単、自分の言葉でないからだ。
ただ、プロデューサーの気持ちは良く分かった。
車は浅草国際劇場へ向かった。

初めて見る東京の下町だった。
(浅草って・・・・又随分粋な所でロックコンサートやるんやなぁ・・・)
浅草と言えば、雷門やストリップ劇場のイメージしかない。


浅草で外タレのライブがあったという話はあまり聞かないし。
ライブ会場が古い会場だというのは聞いた。
会場は3000人近い人が入るということも聞いた。
そして、今夜のライブのチケットは即日完売したという話も聞いた。
そう言えば、このライブが決定する前にデビューライブをどうするかと言う話で、ライブハウス1週間と言うのがあった。
デビューライブを7daysするのだ。
「7daysを完売して話題を作ろう」と言う話だった。
「それはLOUDNESSのイメージじゃない。もっとインパクトのあるスケールの大きい見せ方でないとダメだ。大きなコンサート会場でキッス並のステージセットを作って大掛かりなロックshowにするんだ!」
プロデューサーの鶴の一言で浅草国際劇場の規模のライブが決定した。
これを機にLOUDNESSは派手で大掛かりなステージを身上とするバンドとなった。
(で、でっか~~~~~~!!!!)
ステージを見て腰が砕けた。
ステージの後ろには物凄い数の照明がセットされている。
ステージ中央には巨大ドラムセットが鎮座していた。
右側にマーシャルアンプの壁。
暴力的とも言えるPAシステムのスピーカーの数・・・・。
すべてがモンスター級だった。
高校生の頃に観たキッスのライブと同等かいやそれ以上の派手なステージセットかもしれない。
まさに衝撃だった。
(こ、こんな凄いスケールのステージをいきなりデビューやるのか・・・・)
僕は震えた。
手に汗をかいた。
呼吸の仕方を忘れるほどに興奮した。
「どう?凄いだろう?このセット作るのに凄く時間かかったんだよ!!」
呆然とする僕にプロデューサーが自慢げに話した。
ひぐっつあんがドラムのサウンドチェックを始めた。
バスドラムを踏んだ。
「ド~~~~~~ン!!!!!」
その爆音の衝撃でステージ天井からほこりや物が降ってきた。
こんな馬鹿でかい音は聞いたことが無い。
山と積まれたPAシステムである、当然だといえば当然。
僕はステージの上に立ってみた。
ひぐっつあんのドラムセット台の前に立って会場を見渡した。
ひぐっつあんのキックドラムがちょうど僕の後頭部にあたる。
ひぐっつあんがキックドラムを踏む度に僕の髪の毛が揺れた。
そして、その重低音に内臓が刺激され胃袋がひっくり返ったような感じがした。
音圧ですこし気が遠くなった。
ひぐっつあんがビートを刻み始めた。
PAから出る巨大音圧で僕の体中の血が沸き立った。
ひぐっつあんのビートを聞いているだけで僕はすでに人格が変貌して行く感じがした。
これは高校生の学園祭のステージ上で体験したトランス状態に近い。
ステージの神が降りてくる感じと言ったら良いのか?
僕でありながら僕でない不思議な感じだ。
マー君のベースのサウンドチェックも始まった。
マー君も僕と同じで今日がデビューだ。
まだ19歳だというのに落ち着いた様子が頼もしい。
笑顔さえ見えている。
本当にロックが大好きなやんちゃ坊主だ。
それにしても素晴らしいゴリゴリとした重低音だ。
理想的な、いやそれ以上のサウンドだ。
僕もベースをやっていたので分かる。
そのサウンドの完成度には目を見張るほどに聞き惚れた。
ひぐっつあんと一緒にリズムを刻んだ。
この二人の独特なグルーブがLOUDNESSそのものだ、本当に心地良い。
ベースとドラムだけで酔いしれ熱狂できる。
僕はこのリズムセクションを聞いて、今日のライブはとてつもなく盛り上がるだろうと確信した。
タッカンのギターサウンドチェックも始まった。
パワーコードでギターの様子を見ている。
大きなエフェクトラックの前に立ち何度も調整をやっている。
照明が当たるたびに赤のランダムスターの鏡の部分がキラキラと光った。
客席からレイジーのコンサートでステージ上の超人的ギターを幾度と無く見てきたけれど、今夜はあのギターの横で立って歌うのかと思うと信じられないような気がした。
タッカンのギターの音は爆音でありながらも繊細で綺麗だった。
ザクザクと切り刻むリフが攻撃的でワイルドだった。
それにしても何という音のでかさだ・・・。
まさにLOUDNESSだと思った。
「二井原さん、声をくださ~~~い!」
僕はゆっくりマイクに近づいた。
ステージから客席を見た、目の前には3000人の客席が広がっていた。
その広さに目がくらんだ。
客席全体が大きく口を開けた化け物のようだった。
なかなか手ごわいような気がした。
「ア~~、ア~~、ア~~~~、Yeah!! Yeah!!! Yea~~~~~~~~~h!!!!」
会場に響き渡る自分の声に目が覚めた。
会場の残響音が快感であった。
この快感は大きなステージでのみ味わえるものだ。
声は絶好調だった。
今まで不安な気持ちだったものが吹っ飛んだ。
僕は僕でありながら僕でない感じが再び襲った・・・・。
(オリャ!オリャ!オリャ~~~!!!!今日はガツンと言わしたるで~~~!!)
「ロックシンガー二井原実」と言う奴が僕に憑依した。
11月25日が来た。
LOUDNESSのデビューアルバムがいよいよ発売となった。
(自分の歌うレコードがレコード屋さんに置かれるんやぁ!!)
まだ実感が沸かないでいた。
個人的には、素晴らしいバンドに巡り合えたこと、レコーディングが出来たこと、日本には今までに無かったタイプのハードロックアルバムを作れたことで大満足だった。
売れる売れないは最早自分がどうこう出来うる次元の話では無い。
まさに、まな板の鯉だった。
事務所の人からは業界内での評判が高いということは聞いていた。
レコードレビューも好意的な内容だった。
ただ、レコード会社にはLOUDNESSが売れるという期待感はあまり無かったようだ。
レコード屋さんへ行くのも怖くて行けなかった。
僕の知らない人が僕の歌ったレコードにお金を払ってくれる・・・。
それを考えただけで感無量だった。
(みんなレコードが気に入ってくれると嬉しいな)
考えることはそればかりだった。
レコードが出て翌々日、大阪の友人から電話があった。
その友人は大阪のレコード屋で働いていた。
「おい!!二井原!!お前のレコード物凄いことになってんぞ!!!飛ぶように売れてんぞ~~~!!ほんま良かったなぁ~~~!!!俺も無茶興奮してんねん!注文の時なお前が歌ってると知ってたから、ちょっと多い目に注文してんけど、アカン全然足らんわぁ!!レコード会社も製造追いつかん言うてたぞ!!お前は俺の自慢の連れや!!ほんま、おめでとう!!」
この友人の電話で少なくとも大阪の状況が把握できた。
本当に嬉しかった。
怖くてレコード屋へ様子を見に行けなかったけれど、安堵した。
次の日、母親から電話があった。
「あんた!今日な、おかあちゃんな、天王寺の百貨店のレコード売り場の前通ったらな、あんたの声が店中に響いててなびっくりしたわ!!どう聞いてもあんたの声やから店の中に入って店員さんにな『今流れてる曲は誰ですか?』言うて聞いたら、ラウドネスやって言うてなぁ!!おかぁちゃんびっくりしてなぁ!ほんま嬉しいてな、店でしばらく聞いててん。あんたの高い声が店中に響き渡っててほんま気持ち良かったわ!!ほんでな店のおねーさんにな『これうちの息子やねん!』言うてな自慢したってん!1枚買うといたで。お父ちゃんも喜んでるわ。昨日もな、お父ちゃんずっとレコード見ながらお酒呑んでな、寝る時も枕元にLP置いてな・・・・」
「まぁーなんでもエエわ、あんた、からだ気をつけて頑張りや!ほんで、いつ大阪帰ってくんの?」
母親はよっぽど嬉しかったのか電話の話が終わらなかった・・・。
数日後、レコード会社にメンバーが呼ばれた。
「デビューアルバムがこれほどの大反響になるとは思っていませんでした!!本当に、傾きかけていた第3製作部が持ち直しました!LOUDNESSさんありがとう!」
日本コロムビアの第3製作部(だったと思う)の製作部長から直々にレコードヒットの報告を受けた。
「へぇ~凄いやん!!」
リリースされたばかりのLPをヘッドーホーンで聴きながら京都から来た彼女が少し驚いた。
彼女はLOUDNESSデビューライブを観に東京へ来たのだ。
僕が東京に来てもう半年以上も時間が経った。
東京へ出てきてからと言うもの、目が廻るような環境の変化とバンドのレコーディングなどの忙しさが重なり、彼女になかなか連絡が出来ないでいた。
彼女はまじまじとLPを見ながら真剣な表情でLPに聴き入った。
「レコードで聞くと、なんかあんたの声やないみたいね・・」
少し意地悪い感じで言った。
「マジで目茶格好エエわ!ほんまプロってみんな演奏上手いなぁ」
「あたりまえやん!まぁープロ言うても俺はまだデビューもしたてやし・・・まだまだ歌も下手糞やし。」
僕は東京に出てきてからレコーディングに至るまでの話や、レコーディングの話など子供のように喋った。
「忙しくしてたんやね・・・元気そうで良かったわ・・・。私も無事卒業できそうやし。茶々丸も卒業できるみたいやで。茶々丸パン屋さんへ就職するみたいやわ・・・」
大学時代の友人の近況を教えてくれた。
「へ~茶々丸パン屋に就職すんのか・・・・」
久しぶりと言うこともあったのか、少し気恥ずかしい気持ちがした。
しばらく見ない間に彼女は少し大人になったような印象だ。
まだ携帯もメールも無かった時代だ。
遠距離で連絡できるのは唯一電話しか無かった。
留守電がようやく少し普及してきたという按配。
手紙やはがきと言う手段もあったけれど、筆不精の僕には億劫だった。
とは言うものの、もっと密に連絡を取ってあげるべきだったと反省した。
いよいよライブ前日になった。
「あんたいよいよ明日デビューコンサートやね、ステージで何着るの?」
僕は撮影で使った衣装を見せた。
黒のスパッツに豹柄のTシャツと革ジャン、白のブーツを見せた。
革ジャンはマー君と一緒に上野のアメ横で買ったジャケットだった。
「下のスパッツがなんか地味なこと無い?」
たしかに言われて見ればそうかも知れないと思った。
とは言ってももう明日ライブだしこれで行くしかなかった。
「明日ライブやし、もう寝るわ」
僕は先に寝た。
「そうやね、おやすみ!」
彼女はまだレコードを聴いてニコニコしていた。
僕はライブの興奮でなかなか寝付けなかった。
頭の中はまだ見たことの無い多くのお客さんでいっぱいだった。
嵐の前の静けさどころか、頭の中は大嵐だった。
(MCどうしたらええんかなぁ・・・・大阪弁絶対に出るやろな・・)
いつの間にか僕は寝てしまっていた。
朝6時ごろに目が覚めた。
ベランダから綺麗な朝の光が差し込んだ。
すずめが鳴いていた。
彼女はこたつで寝てしまったようだった。
コタツの上を見ると黒のスパッツが置いてあった。
スパッツの横には裁縫道具があった。
彼女は決して裁縫は得意でなかったけれど、夜通し寝ないでスパッツの横の部分に光るビーズ玉のようなものをくっつけてくれたのだ。
キラキラと光るスパッツが嬉しかった。
(ありがとう・・・・)
ヘッドホーンをしたまま寝た彼女の寝顔が綺麗だった。
LOUDNESSのデビューアルバムがいよいよ発売となった。
(自分の歌うレコードがレコード屋さんに置かれるんやぁ!!)
まだ実感が沸かないでいた。
個人的には、素晴らしいバンドに巡り合えたこと、レコーディングが出来たこと、日本には今までに無かったタイプのハードロックアルバムを作れたことで大満足だった。
売れる売れないは最早自分がどうこう出来うる次元の話では無い。
まさに、まな板の鯉だった。
事務所の人からは業界内での評判が高いということは聞いていた。
レコードレビューも好意的な内容だった。
ただ、レコード会社にはLOUDNESSが売れるという期待感はあまり無かったようだ。
レコード屋さんへ行くのも怖くて行けなかった。
僕の知らない人が僕の歌ったレコードにお金を払ってくれる・・・。
それを考えただけで感無量だった。
(みんなレコードが気に入ってくれると嬉しいな)
考えることはそればかりだった。
レコードが出て翌々日、大阪の友人から電話があった。
その友人は大阪のレコード屋で働いていた。
「おい!!二井原!!お前のレコード物凄いことになってんぞ!!!飛ぶように売れてんぞ~~~!!ほんま良かったなぁ~~~!!!俺も無茶興奮してんねん!注文の時なお前が歌ってると知ってたから、ちょっと多い目に注文してんけど、アカン全然足らんわぁ!!レコード会社も製造追いつかん言うてたぞ!!お前は俺の自慢の連れや!!ほんま、おめでとう!!」
この友人の電話で少なくとも大阪の状況が把握できた。
本当に嬉しかった。
怖くてレコード屋へ様子を見に行けなかったけれど、安堵した。
次の日、母親から電話があった。
「あんた!今日な、おかあちゃんな、天王寺の百貨店のレコード売り場の前通ったらな、あんたの声が店中に響いててなびっくりしたわ!!どう聞いてもあんたの声やから店の中に入って店員さんにな『今流れてる曲は誰ですか?』言うて聞いたら、ラウドネスやって言うてなぁ!!おかぁちゃんびっくりしてなぁ!ほんま嬉しいてな、店でしばらく聞いててん。あんたの高い声が店中に響き渡っててほんま気持ち良かったわ!!ほんでな店のおねーさんにな『これうちの息子やねん!』言うてな自慢したってん!1枚買うといたで。お父ちゃんも喜んでるわ。昨日もな、お父ちゃんずっとレコード見ながらお酒呑んでな、寝る時も枕元にLP置いてな・・・・」
「まぁーなんでもエエわ、あんた、からだ気をつけて頑張りや!ほんで、いつ大阪帰ってくんの?」
母親はよっぽど嬉しかったのか電話の話が終わらなかった・・・。
数日後、レコード会社にメンバーが呼ばれた。
「デビューアルバムがこれほどの大反響になるとは思っていませんでした!!本当に、傾きかけていた第3製作部が持ち直しました!LOUDNESSさんありがとう!」
日本コロムビアの第3製作部(だったと思う)の製作部長から直々にレコードヒットの報告を受けた。
「へぇ~凄いやん!!」
リリースされたばかりのLPをヘッドーホーンで聴きながら京都から来た彼女が少し驚いた。
彼女はLOUDNESSデビューライブを観に東京へ来たのだ。
僕が東京に来てもう半年以上も時間が経った。
東京へ出てきてからと言うもの、目が廻るような環境の変化とバンドのレコーディングなどの忙しさが重なり、彼女になかなか連絡が出来ないでいた。
彼女はまじまじとLPを見ながら真剣な表情でLPに聴き入った。
「レコードで聞くと、なんかあんたの声やないみたいね・・」
少し意地悪い感じで言った。
「マジで目茶格好エエわ!ほんまプロってみんな演奏上手いなぁ」
「あたりまえやん!まぁープロ言うても俺はまだデビューもしたてやし・・・まだまだ歌も下手糞やし。」
僕は東京に出てきてからレコーディングに至るまでの話や、レコーディングの話など子供のように喋った。
「忙しくしてたんやね・・・元気そうで良かったわ・・・。私も無事卒業できそうやし。茶々丸も卒業できるみたいやで。茶々丸パン屋さんへ就職するみたいやわ・・・」
大学時代の友人の近況を教えてくれた。
「へ~茶々丸パン屋に就職すんのか・・・・」
久しぶりと言うこともあったのか、少し気恥ずかしい気持ちがした。
しばらく見ない間に彼女は少し大人になったような印象だ。
まだ携帯もメールも無かった時代だ。
遠距離で連絡できるのは唯一電話しか無かった。
留守電がようやく少し普及してきたという按配。
手紙やはがきと言う手段もあったけれど、筆不精の僕には億劫だった。
とは言うものの、もっと密に連絡を取ってあげるべきだったと反省した。
いよいよライブ前日になった。
「あんたいよいよ明日デビューコンサートやね、ステージで何着るの?」
僕は撮影で使った衣装を見せた。
黒のスパッツに豹柄のTシャツと革ジャン、白のブーツを見せた。
革ジャンはマー君と一緒に上野のアメ横で買ったジャケットだった。
「下のスパッツがなんか地味なこと無い?」
たしかに言われて見ればそうかも知れないと思った。
とは言ってももう明日ライブだしこれで行くしかなかった。
「明日ライブやし、もう寝るわ」
僕は先に寝た。
「そうやね、おやすみ!」
彼女はまだレコードを聴いてニコニコしていた。
僕はライブの興奮でなかなか寝付けなかった。
頭の中はまだ見たことの無い多くのお客さんでいっぱいだった。
嵐の前の静けさどころか、頭の中は大嵐だった。
(MCどうしたらええんかなぁ・・・・大阪弁絶対に出るやろな・・)
いつの間にか僕は寝てしまっていた。
朝6時ごろに目が覚めた。
ベランダから綺麗な朝の光が差し込んだ。
すずめが鳴いていた。
彼女はこたつで寝てしまったようだった。
コタツの上を見ると黒のスパッツが置いてあった。
スパッツの横には裁縫道具があった。
彼女は決して裁縫は得意でなかったけれど、夜通し寝ないでスパッツの横の部分に光るビーズ玉のようなものをくっつけてくれたのだ。
キラキラと光るスパッツが嬉しかった。
(ありがとう・・・・)
ヘッドホーンをしたまま寝た彼女の寝顔が綺麗だった。
目前のデビューライブの為、リハーサルにも熱が入った。
ずっと赤坂のコロムビアスタジオでバンドリハーサルが行われて来た。
最後の数日はゲネプロと言って本番通りやる通しリハーサルである。
ゲネプロではリハーサルスタジオも広いスタジオになった。
ここは普段は芝居やミュージカルなど大人数でも対応が可能なスタジオだった。
広いスタジオの壁はすべてが鏡になっていて、自分の動きが確認できた。
そこにメンバーのフル装備の機材を持ち込んでのリハーサルだった。
PAもライブで使うような大きなPAとモニターシステムも本番で使う本格的なものを持ち込んだ。
音響、照明、舞台監督などスタッフも総動員された。
スタッフは審査員さながら長いテーブルに座ってリハーサルの一部始終を見ながらメモを取ったりしていた。
それぞれがその道のプロらしく眼光鋭く怖かった。
アマチュア時代には考えられないスケールと緊張感の漂うリハーサルだった。
ゲネプロ初日。
「メンバーを紹介します、ヴォーカルの二井原、ギター高崎、ベース山下、ドラム樋口です。これからリハーサルを行います。よろしくお願いします」
マネージャーがスタッフにメンバー紹介をした。
スタッフは軽い会釈程度はしたけれど殆ど反応は無かった。
リハーサルはメンバーの登場から始まった。
メンバー登場のSEが流れてそれぞれの立ち位置までの出方の練習から始まる。
「もうちょっとゆっくり歩こうか・・・」
舞台監督がアドヴァイスした。
再びメンバー登場のSEが流れた。
メンバーは言われたままもう少しゆっくり歩いたりした。
その時点ではまだ照明は暗転である。
タッカンが1曲目のイントロ部分を弾き始めた。
ここで初めてタッカンにスポットが当たる。
スタッフ全員LOUDNESSを初めて見る。
その表情は(このバンド、いったいどんなもんかな?どの程度ライブ演奏できるのかな?取りあえずお手並み拝見するよ。)と言っているのが手に取るように分かる。
オープニングナンバーは"LOUDNESS"だ。
タッカンのアームダウンイントロでスタジオの空気が一変した。
そのイントロからひぐっつあんとマー君が激しいアクセントをつけ、そして僕の雄叫びで1曲目が始まった。
地を這うようなヘビーなシャッフルリズムがスタジオを大きく揺らした。
リハーサルと言ってもすべての楽器にマイクが取り付けられて、PAからは爆音で素晴らしいサウンドが爆発していた。
“ふさぎ込むのはやめにしようぜ~~~~!!”
僕が歌いだしたとたん無表情だったスタッフの目の色が変わった。
それまで、メンバーに目を合わすことも無くずっと下を向いて冷めた表情で様子を伺っていたスタッフが全員顔を上げ”LOUDNESS”の爆演にあっけにとられ目の色が見る見る変わった。
舞台監督は座ってられなくなって、ついに立ち上がってリズムに乗って全身が揺れ始めた。
照明のスタッフは信じられないと言う表情でバンドに釘付けになった。
音響のスタッフはあまりの爆音とパワーでスピーカーが飛ぶのではないかと走り回った。
すっかりスタッフが慌しくなった。
ギターソロの突入部分のマー君の短いベースソロではマー君が一層激しくアクションをつけて存在をアピールした。
ひぐっつあんとの絶妙なコンビネーションが重戦車の如きうねりを上げた。
タッカンのソロが始まった時にはスタジオが最高潮に達した。
まだ1曲目だというのにスタジオ内は生まれたばかりの”LOUDNESS”の熱演で火がついた。
壮絶な幕開けだった。
1曲目が終了したら間髪いれずに2曲目に突入した。
2曲目はデビューアルバには無い曲だった。
スピードナンバーで僕のハイトーンがスタジオを駆け巡った。
頭の2曲が終わった。
“YEAH!!!!!”
スタッフの中から歓声があがった、全員が立ち上がった、スタンディングオヴェーションである。
スタッフはこの2曲で未知であった"LOUDNESS"と言うバンドを理解した。
スタジオ内はスタッフとメンバーが一つになってリハーサルは一気に熱くなった。
さっきまでの眠そうな顔のスタッフの顔が高潮した。
彼らの中で様々なアイデアが溢れ出てきた。
“LOUDNESS”はスタッフをノックアウトすることが出来た!
スタッフとバンドの信頼関係を築く大事な瞬間であった。
リハーサルは内容の濃いリハーサルになった。
演奏中の動きは当然として、特に僕は歌っている時の目の動きや表情、目線は会場内のどこを見るか、腕はどう動かせばよいかなど細々としたアドヴァイスを受けた。
大きなステージの経験が無かったので一つ一つのアドヴァイスが貴重だった。
「二井原君、3000人クラスの会場ではとにかく大きく動くこと。歩くときも大きく歩くイメージで。とにかくステージを広く使うこと。一つの場所にとどまっては絶対ダメ。腕も大げさに動かすこと。目は会場の隅々まで見ること、特に一番後ろの人を見るように。目の前の人ばかり見ながら歌っては絶対ダメ・・・・」
「バンドはずっと固まって演奏することの無いように。ステージ上に空間を作らないように。例えば、ベースが上手(舞台向かって右側)にいれば、ギターは下手(舞台向かって左側)、ヴォーカルはその間に立つ、ライブ中は常にそれぞれの立ち位置を確認しながら、自分のベストポジションを意識しながら・・・・」
僕にとって学園祭の野外ステージは別として、自分のライブでは400人のお客さんを相手にしたのが最大だったので3000人程の大人数を相手にするのは想像がつかなかった。
「二井原君、ステージのMC・・・お喋りはどうする?」
(あぁ~~そうやった~~!!!いったい何をしゃべったらエエねん???ライブハウスで喋ってたようにしたらエエんか?まさか喧嘩腰MCでは通用せんだろう・・・)
まったくどうして良いか分からなかった。
大阪弁禁止令の身。
これは最大の難題であった。
眠れない夜が続いた・・・・
ずっと赤坂のコロムビアスタジオでバンドリハーサルが行われて来た。
最後の数日はゲネプロと言って本番通りやる通しリハーサルである。
ゲネプロではリハーサルスタジオも広いスタジオになった。
ここは普段は芝居やミュージカルなど大人数でも対応が可能なスタジオだった。
広いスタジオの壁はすべてが鏡になっていて、自分の動きが確認できた。
そこにメンバーのフル装備の機材を持ち込んでのリハーサルだった。
PAもライブで使うような大きなPAとモニターシステムも本番で使う本格的なものを持ち込んだ。
音響、照明、舞台監督などスタッフも総動員された。
スタッフは審査員さながら長いテーブルに座ってリハーサルの一部始終を見ながらメモを取ったりしていた。
それぞれがその道のプロらしく眼光鋭く怖かった。
アマチュア時代には考えられないスケールと緊張感の漂うリハーサルだった。
ゲネプロ初日。
「メンバーを紹介します、ヴォーカルの二井原、ギター高崎、ベース山下、ドラム樋口です。これからリハーサルを行います。よろしくお願いします」
マネージャーがスタッフにメンバー紹介をした。
スタッフは軽い会釈程度はしたけれど殆ど反応は無かった。
リハーサルはメンバーの登場から始まった。
メンバー登場のSEが流れてそれぞれの立ち位置までの出方の練習から始まる。
「もうちょっとゆっくり歩こうか・・・」
舞台監督がアドヴァイスした。
再びメンバー登場のSEが流れた。
メンバーは言われたままもう少しゆっくり歩いたりした。
その時点ではまだ照明は暗転である。
タッカンが1曲目のイントロ部分を弾き始めた。
ここで初めてタッカンにスポットが当たる。
スタッフ全員LOUDNESSを初めて見る。
その表情は(このバンド、いったいどんなもんかな?どの程度ライブ演奏できるのかな?取りあえずお手並み拝見するよ。)と言っているのが手に取るように分かる。
オープニングナンバーは"LOUDNESS"だ。
タッカンのアームダウンイントロでスタジオの空気が一変した。
そのイントロからひぐっつあんとマー君が激しいアクセントをつけ、そして僕の雄叫びで1曲目が始まった。
地を這うようなヘビーなシャッフルリズムがスタジオを大きく揺らした。
リハーサルと言ってもすべての楽器にマイクが取り付けられて、PAからは爆音で素晴らしいサウンドが爆発していた。
“ふさぎ込むのはやめにしようぜ~~~~!!”
僕が歌いだしたとたん無表情だったスタッフの目の色が変わった。
それまで、メンバーに目を合わすことも無くずっと下を向いて冷めた表情で様子を伺っていたスタッフが全員顔を上げ”LOUDNESS”の爆演にあっけにとられ目の色が見る見る変わった。
舞台監督は座ってられなくなって、ついに立ち上がってリズムに乗って全身が揺れ始めた。
照明のスタッフは信じられないと言う表情でバンドに釘付けになった。
音響のスタッフはあまりの爆音とパワーでスピーカーが飛ぶのではないかと走り回った。
すっかりスタッフが慌しくなった。
ギターソロの突入部分のマー君の短いベースソロではマー君が一層激しくアクションをつけて存在をアピールした。
ひぐっつあんとの絶妙なコンビネーションが重戦車の如きうねりを上げた。
タッカンのソロが始まった時にはスタジオが最高潮に達した。
まだ1曲目だというのにスタジオ内は生まれたばかりの”LOUDNESS”の熱演で火がついた。
壮絶な幕開けだった。
1曲目が終了したら間髪いれずに2曲目に突入した。
2曲目はデビューアルバには無い曲だった。
スピードナンバーで僕のハイトーンがスタジオを駆け巡った。
頭の2曲が終わった。
“YEAH!!!!!”
スタッフの中から歓声があがった、全員が立ち上がった、スタンディングオヴェーションである。
スタッフはこの2曲で未知であった"LOUDNESS"と言うバンドを理解した。
スタジオ内はスタッフとメンバーが一つになってリハーサルは一気に熱くなった。
さっきまでの眠そうな顔のスタッフの顔が高潮した。
彼らの中で様々なアイデアが溢れ出てきた。
“LOUDNESS”はスタッフをノックアウトすることが出来た!
スタッフとバンドの信頼関係を築く大事な瞬間であった。
リハーサルは内容の濃いリハーサルになった。
演奏中の動きは当然として、特に僕は歌っている時の目の動きや表情、目線は会場内のどこを見るか、腕はどう動かせばよいかなど細々としたアドヴァイスを受けた。
大きなステージの経験が無かったので一つ一つのアドヴァイスが貴重だった。
「二井原君、3000人クラスの会場ではとにかく大きく動くこと。歩くときも大きく歩くイメージで。とにかくステージを広く使うこと。一つの場所にとどまっては絶対ダメ。腕も大げさに動かすこと。目は会場の隅々まで見ること、特に一番後ろの人を見るように。目の前の人ばかり見ながら歌っては絶対ダメ・・・・」
「バンドはずっと固まって演奏することの無いように。ステージ上に空間を作らないように。例えば、ベースが上手(舞台向かって右側)にいれば、ギターは下手(舞台向かって左側)、ヴォーカルはその間に立つ、ライブ中は常にそれぞれの立ち位置を確認しながら、自分のベストポジションを意識しながら・・・・」
僕にとって学園祭の野外ステージは別として、自分のライブでは400人のお客さんを相手にしたのが最大だったので3000人程の大人数を相手にするのは想像がつかなかった。
「二井原君、ステージのMC・・・お喋りはどうする?」
(あぁ~~そうやった~~!!!いったい何をしゃべったらエエねん???ライブハウスで喋ってたようにしたらエエんか?まさか喧嘩腰MCでは通用せんだろう・・・)
まったくどうして良いか分からなかった。
大阪弁禁止令の身。
これは最大の難題であった。
眠れない夜が続いた・・・・
1981年11月某日事務所にて・・・
ついに!ついに、出来上がったばかりのLOUDNESSデビューアルバムのサンプルLPを手にした。
(おぉ~~やった~~~!!自分が歌ったレコードやぁ~~~~!!嘘見たいや~~~!!)
ジャケットを手にしながら嘘のような現実に涙が出そうになった。
京都から上京した時は(本当にこの俺がレコードを作ってデビューするのかい?)と思っていたけれど、まさにその瞬間がもう目の前なのであった。
この感激を忘れてはいけないと思った。
とは言うものの、8月のレコーディング以降、取材やらリハーサルで「超」が付くほど忙しくて、喜びの余韻に浸るようなことはなかった。
その上、デビューアルバムが完成したと言うのに、休むこともなく、タッカンのソロアルバムの製作に突入していたのだ。
僕はタッカンのソロアルバムで2曲歌うことになった。
2曲、なんと英詞だった。
それまでにアースシェイカーでもsoul-doo-outでも英語の歌をコピーしていたけれど、その時はレコードの付いていた英語の歌詞を見ずに、すべて聞こえたままをカタカナで書き取り、それを歌っていたのでとても不安だった。
そもそも、僕はアメリカ進出が決定する1984年頃までは全く英語が話せなかったし聞き取りも出来なかったのだ。
恐らく、平均的日本人の英語力よりもかなり劣っていたと思う。
タッカンのソロアルバムの英語の作詞はMilky wayさんという方が作詞した。
僕は当然曲もメロディーも知っていたけれど、出来上がった英語の歌詞を見ながらメロディーを追っても、何が何やらさっぱり分からなかった。
Milky wayさんが僕のためにガイドヴォーカルを英語で歌ってくれた。
僕はそれを何度も聞いて発音を覚えた。
プロデュースはマライヤのキーボード笹路さんだったけれど、忍耐強く頑張ってくれた。
数年後に、マックスノーマンのレコーディングで英語地獄を思いっきり味わうのだけれど、実はこのタッカンソロアルバムのときに既に英語地獄を体験していた。
英語のレコーデングは本当に難しい・・・。
仮に英語の発音が上手く行っても音程が悪かったり、音程と発音が良くてもリズムが悪かったり、リズムも音程も発音も良くても声がダメだったりと日本語で歌う時には無い難しさを思い知った。
(ギェ~~~俺には、英語で歌うのはあり得ないなぁ・・・はっきり言って無理だわ!)
レコーディング中にこんなことを考えかなり弱気になった。
タッカンのレコーディング中も、デビューアルバムの宣伝の為の雑誌取材などを精力的にやっていた。
ある日プロデューサーと打ち合わせをやっていた時、
「二井原君、キミさぁ~取材中の大阪弁がさぁ~気になるんだよねぇ・・・」
(ギョエッ!!マ、マジっすかぁ~~~???そんなこと急に言われても、あんた無理やがなぁ・・・)
「二井原君、今後一切取材では関西弁禁止!当然今度のデビューコンサートでも関西弁禁止ね!!よろしく。」
今では考えられない事態であった。
(フンギャ~~こ、これは困ったぞぉ~・・・・要するに俺は喋るなっちゅうことかいな?)
頑張って標準語と言うか、東京弁を覚えようするも、そもそもメンバー内は100%関西弁だし、ビーイングのスタッフも関西人が多くて僕達と喋るときは関西弁だったので勉強する機会が殆ど無かった。
東京にはまだ友人もいなかったし・・・・。
そんなこんなで、関西弁禁止以降のインタビューでは、僕はいきなり寡黙な人になってしまった・・・。
これではイカンと思って、なるべく普段の生活も頑張って標準語を使うように努力した。
しかしながら、標準語のつもりで東京の人に話しかけても、笑いながら思いっきり変な関西弁で返ってきたし・・・。
マクドナルドなどで注文する時も標準語で頑張った。
ある日のこと1
店員「いらっしゃいませ~」
二「あのぁ~マックシェイクとチーズバーガーください」(かなり標準語のつもり)
店員「は~い、かしこまりました、他には?」
ニ「じゃぁ~コーヒーもつけてください」(かなり標準語で言っているつもり)
店員「かしこまりました、店内でお召し上がりますか?」
二「はい、店内で頂きます。」(完璧な標準語だと思っている)
店員「店内ですね?は~~いかしこまりました。」
二「ハイ、お願いします」(標準語っぽいと思っている)
店員「他に何かありますか?」
二「いや、これで全部です。全部でナンボですかぁ~?」(すべて標準語でばっちりと思っている)
店員「ナ、ナンボ???って???」
二(撃沈・・・)
ある日のこと2
スタッフ「おはようございま~~す」
二「おはようございます!!今日もヨロシク!」(完璧な標準語だと思っている)
ス「雨が降らなくてよかったっすね!」
二「そうですねぇ~昨日の天気予報では雨って言ってたけれど・・・」(完璧な標準語だと思っている)
ス「それにしても、今日は寒く無くて良かったですね~」
二「そうですねぇ~今日は昨日と違って随分とヌクイですねぇ~!」(完璧な標準語だと思っている)
ス「ヌ、ヌクイ???って???」
二(撃沈・・・)
ついに!ついに、出来上がったばかりのLOUDNESSデビューアルバムのサンプルLPを手にした。
(おぉ~~やった~~~!!自分が歌ったレコードやぁ~~~~!!嘘見たいや~~~!!)
ジャケットを手にしながら嘘のような現実に涙が出そうになった。
京都から上京した時は(本当にこの俺がレコードを作ってデビューするのかい?)と思っていたけれど、まさにその瞬間がもう目の前なのであった。
この感激を忘れてはいけないと思った。
とは言うものの、8月のレコーディング以降、取材やらリハーサルで「超」が付くほど忙しくて、喜びの余韻に浸るようなことはなかった。
その上、デビューアルバムが完成したと言うのに、休むこともなく、タッカンのソロアルバムの製作に突入していたのだ。
僕はタッカンのソロアルバムで2曲歌うことになった。
2曲、なんと英詞だった。
それまでにアースシェイカーでもsoul-doo-outでも英語の歌をコピーしていたけれど、その時はレコードの付いていた英語の歌詞を見ずに、すべて聞こえたままをカタカナで書き取り、それを歌っていたのでとても不安だった。
そもそも、僕はアメリカ進出が決定する1984年頃までは全く英語が話せなかったし聞き取りも出来なかったのだ。
恐らく、平均的日本人の英語力よりもかなり劣っていたと思う。
タッカンのソロアルバムの英語の作詞はMilky wayさんという方が作詞した。
僕は当然曲もメロディーも知っていたけれど、出来上がった英語の歌詞を見ながらメロディーを追っても、何が何やらさっぱり分からなかった。
Milky wayさんが僕のためにガイドヴォーカルを英語で歌ってくれた。
僕はそれを何度も聞いて発音を覚えた。
プロデュースはマライヤのキーボード笹路さんだったけれど、忍耐強く頑張ってくれた。
数年後に、マックスノーマンのレコーディングで英語地獄を思いっきり味わうのだけれど、実はこのタッカンソロアルバムのときに既に英語地獄を体験していた。
英語のレコーデングは本当に難しい・・・。
仮に英語の発音が上手く行っても音程が悪かったり、音程と発音が良くてもリズムが悪かったり、リズムも音程も発音も良くても声がダメだったりと日本語で歌う時には無い難しさを思い知った。
(ギェ~~~俺には、英語で歌うのはあり得ないなぁ・・・はっきり言って無理だわ!)
レコーディング中にこんなことを考えかなり弱気になった。
タッカンのレコーディング中も、デビューアルバムの宣伝の為の雑誌取材などを精力的にやっていた。
ある日プロデューサーと打ち合わせをやっていた時、
「二井原君、キミさぁ~取材中の大阪弁がさぁ~気になるんだよねぇ・・・」
(ギョエッ!!マ、マジっすかぁ~~~???そんなこと急に言われても、あんた無理やがなぁ・・・)
「二井原君、今後一切取材では関西弁禁止!当然今度のデビューコンサートでも関西弁禁止ね!!よろしく。」
今では考えられない事態であった。
(フンギャ~~こ、これは困ったぞぉ~・・・・要するに俺は喋るなっちゅうことかいな?)
頑張って標準語と言うか、東京弁を覚えようするも、そもそもメンバー内は100%関西弁だし、ビーイングのスタッフも関西人が多くて僕達と喋るときは関西弁だったので勉強する機会が殆ど無かった。
東京にはまだ友人もいなかったし・・・・。
そんなこんなで、関西弁禁止以降のインタビューでは、僕はいきなり寡黙な人になってしまった・・・。
これではイカンと思って、なるべく普段の生活も頑張って標準語を使うように努力した。
しかしながら、標準語のつもりで東京の人に話しかけても、笑いながら思いっきり変な関西弁で返ってきたし・・・。
マクドナルドなどで注文する時も標準語で頑張った。
ある日のこと1
店員「いらっしゃいませ~」
二「あのぁ~マックシェイクとチーズバーガーください」(かなり標準語のつもり)
店員「は~い、かしこまりました、他には?」
ニ「じゃぁ~コーヒーもつけてください」(かなり標準語で言っているつもり)
店員「かしこまりました、店内でお召し上がりますか?」
二「はい、店内で頂きます。」(完璧な標準語だと思っている)
店員「店内ですね?は~~いかしこまりました。」
二「ハイ、お願いします」(標準語っぽいと思っている)
店員「他に何かありますか?」
二「いや、これで全部です。全部でナンボですかぁ~?」(すべて標準語でばっちりと思っている)
店員「ナ、ナンボ???って???」
二(撃沈・・・)
ある日のこと2
スタッフ「おはようございま~~す」
二「おはようございます!!今日もヨロシク!」(完璧な標準語だと思っている)
ス「雨が降らなくてよかったっすね!」
二「そうですねぇ~昨日の天気予報では雨って言ってたけれど・・・」(完璧な標準語だと思っている)
ス「それにしても、今日は寒く無くて良かったですね~」
二「そうですねぇ~今日は昨日と違って随分とヌクイですねぇ~!」(完璧な標準語だと思っている)
ス「ヌ、ヌクイ???って???」
二(撃沈・・・)
デビュー音源が出来上がり、次はアーティスト写真なるものを撮影することになった。
撮影スタジオは六本木にあった。
撮影スタジオも初体験だったし、スタジオやスタジオの機材、カメラマンなど見るものすべてが珍しかった。
ここで撮影された写真があらゆる媒体の宣伝用に使われることになった。
バンドのグループショットや個人写真などである。
僕はアースシェイカーの頃からライブなどではメイクをする習慣があったので、そのまま写真撮影の時もメイクをすることにした。
髪の毛はテクノカットからようやく抜け出した感じだったけれど、ロングヘアーからは程遠い。
髪の毛が中途半端な短さだったのでパンキッシュなツンツンヘアースタイル以外選択肢が無かった。
衣装は豹柄のTシャツに黒のスパッツに白のブーツが用意されていた。
「では適当にポーズをとってくださ~い!」
(ポーズ?ポーズって・・・・)
僕は困った・・・照れた・・・笑った・・・。
「ハ~イ、ヴォーカルの人真面目にやってくださ~い!」
(アホ!こっちは必死やっちゅうねん!!)
「ん・・・取りあえずロックっぽい感じで行きましょう!!」
(ロックっぽい?ロックっぽい感じと言われてもなぁ・・・)
僕は困った・・・照れた・・・笑った・・・。
「ハ~~イ、ヴォーカルの人笑わないで~~~♪」
(アホ!こっちは必死やっちゅうねん!だいたい、ロックぽいって何やねん!)
思い切って怖い顔してみた・・・。
「おぉ~ヴォーカルの人、良いねぇ~♪そんな感じ♪」
(なんじゃそりゃ!初めから怖い顔してくれって言えっちゅうねん!)
「顔だけ怒っていてもあれなんで、もっと体全体でロックのイカツイ感じ表現してみようか?」
(ロックのイカツイ感じってなんやねん!これではロック禅問答やがな・・・)
僕は困った・・・照れた・・・笑った・・・。
とりあえず、怖い顔して、握りこぶしを作り、必死の形相を作って「オリャ~~」みたいにした。
「おぉ!ヴォーカルの人、イイネェ~~怖いよ~~~♪」
(アホ!なにが「怖いよ~~♪」じゃ!)
「ではヴォーカルの人はもっと怖い感じを出して、それ意外の人はクールな感じで!」
(にゃ~に???俺だけもっと怖い感じやとぉ~~~~??)
仕方が無いので、もっと怖い顔して、外人の誰かがやっていた手のサインを真似たり、腕をV字に組んだり、足を開いて必死の形相を作って「オリャ~~」みたいにしたり、カメラを思いっきり睨み付けた。
「おぉ!!ヴォーカルの人雰囲気出てきたね~~♪そんな感じ!!そんな感じ♪では目線を外して何かを訴えているような感じで・・・」
(目線を外す?)
カメラ目線を外して下を見たら、スタッフの少し破れた靴下から覗く親指が目に入った。
スタッフの少し破れた靴下から覗く親指を睨みながら必死の形相でロックした。
「おぉ~ヴォーカルの人イイ表情だよ~~♪ロックしてるよ~~♪」
はっきり言ってアホである・・・・。
とは言うものの、撮影被写体の初心者でド素人ヴォーカリストをその気にさせた・・・。
さすがプロカメラマンであった・・・。
結局、最後まで僕はカメラマンに良いように踊らされ調子に乗った。
その時の写真がレコードのインナー写真だったり、各種ポスターになったり、雑誌に掲載された。

後日、その時の写真が掲載された雑誌を見た高校の友人から電話があった。
友「おい!二井原!!お前凄いなぁ!!ついにお前の写真が雑誌にデカデカと写真のってるで!!」
二「おぉ、なんやお前見たんか!」
友「当たり前やんけ!お前もすっかり有名人やなぁ!!」
二「何言うてんねん!まだまだこれからやんけ!まだデビューしたてやんけ!」
友「おぉそれにしてもなぁ二井原、おまえ等の写真っちゅうか、顔やけどなぁ・・・」
二「おぉ、なんや顔がどうしてん?」
友「お前等みんな「フンギャ~~!」みたいな怖い顔してるやんけ・・・」
二「おぉ、それがどないしてん?」
友「はっきり言うてエエか?」
二「なんやねん?」
友「お前等どっか痛いんか?」
撮影スタジオは六本木にあった。
撮影スタジオも初体験だったし、スタジオやスタジオの機材、カメラマンなど見るものすべてが珍しかった。
ここで撮影された写真があらゆる媒体の宣伝用に使われることになった。
バンドのグループショットや個人写真などである。
僕はアースシェイカーの頃からライブなどではメイクをする習慣があったので、そのまま写真撮影の時もメイクをすることにした。
髪の毛はテクノカットからようやく抜け出した感じだったけれど、ロングヘアーからは程遠い。
髪の毛が中途半端な短さだったのでパンキッシュなツンツンヘアースタイル以外選択肢が無かった。
衣装は豹柄のTシャツに黒のスパッツに白のブーツが用意されていた。
「では適当にポーズをとってくださ~い!」
(ポーズ?ポーズって・・・・)
僕は困った・・・照れた・・・笑った・・・。
「ハ~イ、ヴォーカルの人真面目にやってくださ~い!」
(アホ!こっちは必死やっちゅうねん!!)
「ん・・・取りあえずロックっぽい感じで行きましょう!!」
(ロックっぽい?ロックっぽい感じと言われてもなぁ・・・)
僕は困った・・・照れた・・・笑った・・・。
「ハ~~イ、ヴォーカルの人笑わないで~~~♪」
(アホ!こっちは必死やっちゅうねん!だいたい、ロックぽいって何やねん!)
思い切って怖い顔してみた・・・。
「おぉ~ヴォーカルの人、良いねぇ~♪そんな感じ♪」
(なんじゃそりゃ!初めから怖い顔してくれって言えっちゅうねん!)
「顔だけ怒っていてもあれなんで、もっと体全体でロックのイカツイ感じ表現してみようか?」
(ロックのイカツイ感じってなんやねん!これではロック禅問答やがな・・・)
僕は困った・・・照れた・・・笑った・・・。
とりあえず、怖い顔して、握りこぶしを作り、必死の形相を作って「オリャ~~」みたいにした。
「おぉ!ヴォーカルの人、イイネェ~~怖いよ~~~♪」
(アホ!なにが「怖いよ~~♪」じゃ!)
「ではヴォーカルの人はもっと怖い感じを出して、それ意外の人はクールな感じで!」
(にゃ~に???俺だけもっと怖い感じやとぉ~~~~??)
仕方が無いので、もっと怖い顔して、外人の誰かがやっていた手のサインを真似たり、腕をV字に組んだり、足を開いて必死の形相を作って「オリャ~~」みたいにしたり、カメラを思いっきり睨み付けた。
「おぉ!!ヴォーカルの人雰囲気出てきたね~~♪そんな感じ!!そんな感じ♪では目線を外して何かを訴えているような感じで・・・」
(目線を外す?)
カメラ目線を外して下を見たら、スタッフの少し破れた靴下から覗く親指が目に入った。
スタッフの少し破れた靴下から覗く親指を睨みながら必死の形相でロックした。
「おぉ~ヴォーカルの人イイ表情だよ~~♪ロックしてるよ~~♪」
はっきり言ってアホである・・・・。
とは言うものの、撮影被写体の初心者でド素人ヴォーカリストをその気にさせた・・・。
さすがプロカメラマンであった・・・。
結局、最後まで僕はカメラマンに良いように踊らされ調子に乗った。
その時の写真がレコードのインナー写真だったり、各種ポスターになったり、雑誌に掲載された。

後日、その時の写真が掲載された雑誌を見た高校の友人から電話があった。
友「おい!二井原!!お前凄いなぁ!!ついにお前の写真が雑誌にデカデカと写真のってるで!!」
二「おぉ、なんやお前見たんか!」
友「当たり前やんけ!お前もすっかり有名人やなぁ!!」
二「何言うてんねん!まだまだこれからやんけ!まだデビューしたてやんけ!」
友「おぉそれにしてもなぁ二井原、おまえ等の写真っちゅうか、顔やけどなぁ・・・」
二「おぉ、なんや顔がどうしてん?」
友「お前等みんな「フンギャ~~!」みたいな怖い顔してるやんけ・・・」
二「おぉ、それがどないしてん?」
友「はっきり言うてエエか?」
二「なんやねん?」
友「お前等どっか痛いんか?」
『レコーディングは、ヴォーカルやギターなどの素材となる音をひとつずつ録音し、各々に対してエフェクトやEQ(イコライジング)などの加工を行ったあと、すべての音をミックスダウンするまでの作業である。それに対し、マスタリングは、すでに出来上がった音源に対する最終的な音量調整や音質調整、フェードイン・フェードアウト処理、曲順決定をして、カッティング用のマスターテープを つくる作業であり、レコーディングとマスタリングは、同じようだがまるで違うものである。そのため、レコーディングとマスタリングには専用のスタジオが使 用され、同じ場所で行われることはまずないと言える。』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
レコーディングが終わり、マスタリングとなった。
当然、マスタリングの意味など知っている訳も無かった。
マスタリングで最終的な曲順が決まった。
フェイドアウト、フェイドインの調整をやり各曲の音質や音量の統一性を持たせるのだ。
曲間も調整できる。
『カッティング;アナログレコードにおいてラッカー盤に溝を刻む作業』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
いよいよレコードへと変身する過程、カッティングへと進む。
日本コロムビアには日本でも有数のカッティングスタジオがあった。
何もかもが始めて見る世界、初めての経験だった。
カッティングスタジオにはカッティングのマシンがあって、見た感じはターンテーブルと変わらない。

カッティングマシンを使ってラッカー盤に溝を切る。
この溝が刻まれたラッカー盤がスタンパー(金型)と呼ばれる。
このスタンパーとは「はんこ」みたいなもので、その「はんこ」を押されて出来たものが皆さんが手にする「レコード」と言えばいいかな?
出来上がったばかりのLOUDNESSの音源が流れると黒いラッカー盤がターンテーブルの上で廻りだした。

針がラッカー盤に溝を刻む様子を見ていると不思議な気分になった。
僕の声が、タッカンのギターが、ひぐっつあんのドラムが、マー君のベースがLOUDNESSと言う結晶となりその生命が刻まれている・・・。
まさに、LOUDNESSのレコードが出来る瞬間だ!
僕は息を呑んだ。
ツルンとしたラッカー盤に徐々に溝が刻み込まれ・・・ついに完成した!
(ウォ~~~~!!ついに・・・LOUDNESSデビューレコードが完成や~~!!)
僕は興奮しながらエンジニアの人に聞いた。
「これって普通にステレオで聴けるのですか?」
「はい、普通に聞けますけど、2~3回が限度かな・・!」
僕はこの目で自分の始めてのレコードの生まれる瞬間を確認した。
とても愛おしい気分になった。
「後はこれをプレス工場へ持って行ってレコードにして終わりですよ!おめでとう!」
エンジニアの人が優しく言ってくれた。
数日後、事務所でジャケットの打ち合わせがあった。
プロデューサーのアイデアやジャケットの原画を見せてくれた。
「悪魔が誕生してアルバムごとにその悪魔が成長していく・・・そして、デビューアルバムではその悪魔がまさに産まれるところ・・・」
そして、アルバムジャケットの原画を見せてもらった。

(わっ!ちょっと、グ、グロテスクやなぁ・・・)
僕はまじまじとその絵を見た。
「アルバムタイトルは“誕生前夜 ”THE BIRTHDAY EVE”だ」プロデューサの声が一層大きくなった。
プロデューサーのアイデアは興味深くて素晴らしいと思った。
メンバーの方からも色々な意見が出たけれど、話し合いの結果プロデューサーのコンセプトで合意した。
「11月25日にデビューアルバムリリース、そして、12月17日にデビューライブ、いよいよ「悪魔の誕生の日」だ!」一気にプロデューサーが宣言した。
誕生前夜・・・誕生前夜・・・誕生前夜・・・
頭の中でこの4文字がグルグルした。
僕はめまぐるしく流れる時間の荒波に溺れそうな気がした。
運命の荒波に身を任せるしかなかった。
(心配するな、すべてうまく行く・・・)
僕の中の偉大な存在がそう言ってウインクしてくれた。
LOUDNESSがいよいよその正体を現す時が来た・・・。
レコーディングが終わり、マスタリングとなった。
当然、マスタリングの意味など知っている訳も無かった。
マスタリングで最終的な曲順が決まった。
フェイドアウト、フェイドインの調整をやり各曲の音質や音量の統一性を持たせるのだ。
曲間も調整できる。
『カッティング;アナログレコードにおいてラッカー盤に溝を刻む作業』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
いよいよレコードへと変身する過程、カッティングへと進む。
日本コロムビアには日本でも有数のカッティングスタジオがあった。
何もかもが始めて見る世界、初めての経験だった。
カッティングスタジオにはカッティングのマシンがあって、見た感じはターンテーブルと変わらない。

カッティングマシンを使ってラッカー盤に溝を切る。
この溝が刻まれたラッカー盤がスタンパー(金型)と呼ばれる。
このスタンパーとは「はんこ」みたいなもので、その「はんこ」を押されて出来たものが皆さんが手にする「レコード」と言えばいいかな?
出来上がったばかりのLOUDNESSの音源が流れると黒いラッカー盤がターンテーブルの上で廻りだした。

針がラッカー盤に溝を刻む様子を見ていると不思議な気分になった。
僕の声が、タッカンのギターが、ひぐっつあんのドラムが、マー君のベースがLOUDNESSと言う結晶となりその生命が刻まれている・・・。
まさに、LOUDNESSのレコードが出来る瞬間だ!
僕は息を呑んだ。
ツルンとしたラッカー盤に徐々に溝が刻み込まれ・・・ついに完成した!
(ウォ~~~~!!ついに・・・LOUDNESSデビューレコードが完成や~~!!)
僕は興奮しながらエンジニアの人に聞いた。
「これって普通にステレオで聴けるのですか?」
「はい、普通に聞けますけど、2~3回が限度かな・・!」
僕はこの目で自分の始めてのレコードの生まれる瞬間を確認した。
とても愛おしい気分になった。
「後はこれをプレス工場へ持って行ってレコードにして終わりですよ!おめでとう!」
エンジニアの人が優しく言ってくれた。
数日後、事務所でジャケットの打ち合わせがあった。
プロデューサーのアイデアやジャケットの原画を見せてくれた。
「悪魔が誕生してアルバムごとにその悪魔が成長していく・・・そして、デビューアルバムではその悪魔がまさに産まれるところ・・・」
そして、アルバムジャケットの原画を見せてもらった。

(わっ!ちょっと、グ、グロテスクやなぁ・・・)
僕はまじまじとその絵を見た。
「アルバムタイトルは“誕生前夜 ”THE BIRTHDAY EVE”だ」プロデューサの声が一層大きくなった。
プロデューサーのアイデアは興味深くて素晴らしいと思った。
メンバーの方からも色々な意見が出たけれど、話し合いの結果プロデューサーのコンセプトで合意した。
「11月25日にデビューアルバムリリース、そして、12月17日にデビューライブ、いよいよ「悪魔の誕生の日」だ!」一気にプロデューサーが宣言した。
誕生前夜・・・誕生前夜・・・誕生前夜・・・
頭の中でこの4文字がグルグルした。
僕はめまぐるしく流れる時間の荒波に溺れそうな気がした。
運命の荒波に身を任せるしかなかった。
(心配するな、すべてうまく行く・・・)
僕の中の偉大な存在がそう言ってウインクしてくれた。
LOUDNESSがいよいよその正体を現す時が来た・・・。
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