- オーディション1[ 2008-05-30 15:16 ]
- 宇宙船地球号[ 2008-05-29 18:15 ]
- ”SOUL-DOO-OUT”[ 2008-05-27 09:28 ]
- 今日明日ライブです[ 2008-05-24 11:36 ]
- 新生EARTH SHAKER![ 2008-05-23 15:15 ]
- 別れ[ 2008-05-22 04:21 ]
- ごめん!再び休刊だがや・・[ 2008-05-16 08:05 ]
- マーシー[ 2008-05-13 10:18 ]
- 明日から2days,二井原ソロライブの為休刊です。[ 2008-05-08 14:12 ]
- マンティス登場![ 2008-05-07 12:09 ]
「時々、ひぐっつあんの様子を教えてください」と言うメッセージを頂きました。
確かにひぐっつあんの具合がどんな状況か心配してくださる気持ちは良く分かります。
そしてそのお気持ちには感謝致します。
とは言うものの、僕個人的な考えですが、やはり闘病中である人の病状や治療の進行状況など、良いことであれ悪いことであれ、本人の同意無しでこう言う場所で報告をするのは気が進みません。
すでに以前ここでひぐっつあんの病状など書いてしまったのですが、後で後悔しました。
ひぐっつあん本人からのコメントであったり、マネージメントのオフィシャルなコメント以外、ひぐっつあんの病状や様子に関して僕から発表することは当面控えたいと考えております。
ごめんね、悪しからず・・・
********************************************************************
さっそく自分の下宿部屋で「宇宙船地球号」を聴いてみた。
そして、その見事なハードロックぶりに腰を抜かした・・・・
(これがあのLAZYなのか??思いっきりハードロックやん!!)
いったい彼等に何があったのか?
しばらく貰ったテープに聴き入ってしまった。
(うわぁ~~~上手いわ~~~!!高崎君って19歳やろ・・・・す、凄すぎる・・)
課題曲のドリーマーも聴いてみた。
絵に描いたような見事なハードロックキラーチューン!
水を得た魚のようなキラキラした素晴らしいギターワーク!
つぼを知り尽くした早弾きのギターソロが快感であった。
ヴァンへーレン、マイケルシェンカー、リッチーブラックモアーのエッセンスを全部ミキサーに放り込んで出来上がったミックスジュースのようなギター・・・・。
(これだけ・・これだけ完璧で凄ければ世界を目指すのもうなずけるなぁ・・)
肝心のヴォーカルを意識して聴いてみた。
(おぉ・・困ったなぁ・・これは俺には上手く歌えないかも・・・)
自分には全体的に少しキーが低いと思ったからだ。
高崎君と初めてあった日からしばらく経って、東京のNさんからオーディションのスタジオの場所と開始時間などの連絡があった。
オーディションのスタジオは大阪の南森町にあった。
僕がスタジオに着いた時にはまだ誰も来ていない様子だった。
とにかく、スタジオの重い防音扉を開けて中に入った。
スタジオはてっきりリハーサルスタジオだと思っていたら、そこはレコーディングスタジオだった。
生まれて始めてのレコーディングスタジオである。
コンソールシステム、録音機材、エフェクター、録音ブース、モニターのキューボックス・・・
スタジオの中のもの全てに興奮した。
(凄いなぁ・・・・レコーディングスタジオってこんな風になっているのか・・・)
僕は一人ぽつんとスタジオの中で椅子に座り、キョロキョロとその珍しいスタジオ内を見ていた。
僕が到着して10分ほどしたら3人の若いミュージシャンがドカドカとスタジオに駆け込んできた。
「まいど~~~!!」
3人の中の誰かが元気良く挨拶してくれた。
僕は始めて高崎君以外のミュージシャンに会った。
そう言えばオーディションに高崎君以外誰が来るのか知らなかったのだ。
誰かがメンバーを紹介してくれた。
「こっちがドラムの樋口さん、こっちがベースの田中君」
「ヴォーカルの二井原さんです」
メンバー全員がとてもフレンドリーに僕を迎えてくれた。
その時、僕は彼等がLAZYのメンバーだと言うことを知らなかった。
挨拶もそこそこに僕達はスタジオに入っていった。
僕は演奏の支度をしているメンバーの様子を見ながら、ドラムの樋口さんという人がこのメンバーの中の親分的存在なのだろうと思った。
スタジオ内での樋口さんは始終口数が少なく寡黙な人の印象がした。
ベースの田中君はいかにも優しくて人の良さそうな笑顔の可愛い人だった。
高崎君がギターケースからギターを取り出した。
ギブソンのサンダーバードに良く似た感じの真っ赤なボディーに鏡の付いた超派手なギターだった。

アンプの調整をしながら弾くギターのフレーズですでに僕はノックアウトだった。
高崎君の指からは、ランディーローズが弾くような叙情的で美しいギターフレーズが溢れ出てきた。
その流れるような優雅な即興メロディーをずっと聴いていたいと思うほどに聞き惚れた。
そしてひとしきりメロディアスなフレーズを弾きいきなりアームダウンさせた!!
「グワ~~~ン グィ~~~~ン ドッカ~~~~ン!!!」
フロイトローズを付けているギターのアームダウンしたのを始めて聴いたのだ・・・・
・・・まさに衝撃だった。
僕がそのアームダウンに驚いて口をあんぐりとしていると、「これ凄いやろ!!」と高崎君は笑いながら何度もやってくれた。
スタジオの人が僕にヘッドホーンを持ってきてくれた。
キューボックスの使い方の説明もしてくれた。

ヘッドホーンからみんなの演奏が聴こえた。
そして僕はマイクの前に立った。

レコーディング用のコンデンサーマイクで歌うのが始めてだったし、なによりヘッドホーンを聴きながら歌うのも初体験だった。
「アッ!アッ!ア~~~~~♪」
マイクチェックで声を出してみた、ヘッドホーンから聴こえる自分の声が変な感じだった・・・。
そして思いっきりシャウトして見た。
「Yeah! Yeah! Yea~~~~~~~~~~~h!!!」
樋口さんはそれを聴いてニヤッと笑った。
そして僕の方を見ながら言った。
「ほな、ちょっとやってみよか?」
確かにひぐっつあんの具合がどんな状況か心配してくださる気持ちは良く分かります。
そしてそのお気持ちには感謝致します。
とは言うものの、僕個人的な考えですが、やはり闘病中である人の病状や治療の進行状況など、良いことであれ悪いことであれ、本人の同意無しでこう言う場所で報告をするのは気が進みません。
すでに以前ここでひぐっつあんの病状など書いてしまったのですが、後で後悔しました。
ひぐっつあん本人からのコメントであったり、マネージメントのオフィシャルなコメント以外、ひぐっつあんの病状や様子に関して僕から発表することは当面控えたいと考えております。
ごめんね、悪しからず・・・
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さっそく自分の下宿部屋で「宇宙船地球号」を聴いてみた。
そして、その見事なハードロックぶりに腰を抜かした・・・・
(これがあのLAZYなのか??思いっきりハードロックやん!!)
いったい彼等に何があったのか?
しばらく貰ったテープに聴き入ってしまった。
(うわぁ~~~上手いわ~~~!!高崎君って19歳やろ・・・・す、凄すぎる・・)
課題曲のドリーマーも聴いてみた。
絵に描いたような見事なハードロックキラーチューン!
水を得た魚のようなキラキラした素晴らしいギターワーク!
つぼを知り尽くした早弾きのギターソロが快感であった。
ヴァンへーレン、マイケルシェンカー、リッチーブラックモアーのエッセンスを全部ミキサーに放り込んで出来上がったミックスジュースのようなギター・・・・。
(これだけ・・これだけ完璧で凄ければ世界を目指すのもうなずけるなぁ・・)
肝心のヴォーカルを意識して聴いてみた。
(おぉ・・困ったなぁ・・これは俺には上手く歌えないかも・・・)
自分には全体的に少しキーが低いと思ったからだ。
高崎君と初めてあった日からしばらく経って、東京のNさんからオーディションのスタジオの場所と開始時間などの連絡があった。
オーディションのスタジオは大阪の南森町にあった。
僕がスタジオに着いた時にはまだ誰も来ていない様子だった。
とにかく、スタジオの重い防音扉を開けて中に入った。
スタジオはてっきりリハーサルスタジオだと思っていたら、そこはレコーディングスタジオだった。
生まれて始めてのレコーディングスタジオである。
コンソールシステム、録音機材、エフェクター、録音ブース、モニターのキューボックス・・・
スタジオの中のもの全てに興奮した。
(凄いなぁ・・・・レコーディングスタジオってこんな風になっているのか・・・)
僕は一人ぽつんとスタジオの中で椅子に座り、キョロキョロとその珍しいスタジオ内を見ていた。
僕が到着して10分ほどしたら3人の若いミュージシャンがドカドカとスタジオに駆け込んできた。
「まいど~~~!!」
3人の中の誰かが元気良く挨拶してくれた。
僕は始めて高崎君以外のミュージシャンに会った。
そう言えばオーディションに高崎君以外誰が来るのか知らなかったのだ。
誰かがメンバーを紹介してくれた。
「こっちがドラムの樋口さん、こっちがベースの田中君」
「ヴォーカルの二井原さんです」
メンバー全員がとてもフレンドリーに僕を迎えてくれた。
その時、僕は彼等がLAZYのメンバーだと言うことを知らなかった。
挨拶もそこそこに僕達はスタジオに入っていった。
僕は演奏の支度をしているメンバーの様子を見ながら、ドラムの樋口さんという人がこのメンバーの中の親分的存在なのだろうと思った。
スタジオ内での樋口さんは始終口数が少なく寡黙な人の印象がした。
ベースの田中君はいかにも優しくて人の良さそうな笑顔の可愛い人だった。
高崎君がギターケースからギターを取り出した。
ギブソンのサンダーバードに良く似た感じの真っ赤なボディーに鏡の付いた超派手なギターだった。

アンプの調整をしながら弾くギターのフレーズですでに僕はノックアウトだった。
高崎君の指からは、ランディーローズが弾くような叙情的で美しいギターフレーズが溢れ出てきた。
その流れるような優雅な即興メロディーをずっと聴いていたいと思うほどに聞き惚れた。
そしてひとしきりメロディアスなフレーズを弾きいきなりアームダウンさせた!!
「グワ~~~ン グィ~~~~ン ドッカ~~~~ン!!!」
フロイトローズを付けているギターのアームダウンしたのを始めて聴いたのだ・・・・
・・・まさに衝撃だった。
僕がそのアームダウンに驚いて口をあんぐりとしていると、「これ凄いやろ!!」と高崎君は笑いながら何度もやってくれた。
スタジオの人が僕にヘッドホーンを持ってきてくれた。
キューボックスの使い方の説明もしてくれた。

ヘッドホーンからみんなの演奏が聴こえた。
そして僕はマイクの前に立った。

レコーディング用のコンデンサーマイクで歌うのが始めてだったし、なによりヘッドホーンを聴きながら歌うのも初体験だった。
「アッ!アッ!ア~~~~~♪」
マイクチェックで声を出してみた、ヘッドホーンから聴こえる自分の声が変な感じだった・・・。
そして思いっきりシャウトして見た。
「Yeah! Yeah! Yea~~~~~~~~~~~h!!!」
樋口さんはそれを聴いてニヤッと笑った。
そして僕の方を見ながら言った。
「ほな、ちょっとやってみよか?」
LOUDNESSの新情報、特に書くことが無いんよ~ごめんね・・・。
とにかくひぐっつあんの回復の具合がどんな感じになるのかを知るのが先決。
それを見極めないと今後バンドをどう活動して行けばよいか判断できない。
なので、もうしばらく静観するしかないのが現状・ですね・・・
********************************************************************
母親から貰った電話番号は確かに03から始まる東京の番号だった。
(東京のレコード会社の人が何の用なんやろうか?)
頭の中が混乱した。
指定された日の時間に東京のレコード会社へ電話をした、するとすぐに折り返し電話くれた。
「二井原さんですか?ずっとあなたのことを探していました。」
電話口から馴染みの無い東京のアクセントが耳に飛び込んできた。
(うゎ!東京弁や・・・)
その男性の話す言葉で一気に現実に戻された。
「あなたに会ってもらいたい人がいるのですが・・・京都まで二井原さんに会いに行きますので時間を作って頂けませんか?」
後日、京都3条河原町にあるホテルの喫茶店で会うことになった。
僕が喫茶店に着くとすでに東京から来たと思われる男性二人がテーブルに座っていた。
一人はサラリーマン風でスーツを着た男性、もう一人は豹柄のジャケットにロングヘアーのいかにもロックミュージシャンといった若い男性だった。
僕が挨拶をするとその若いロック兄ちゃんは僕の顔をずっと凝視した。
(なんや・・・イメージが違うな)
僕を見た彼の表情がそう語っていた。
「始めまして、TレコードのNと申します。こちらは高崎晃さんというギタープレイヤーです。」
僕はその時「高崎晃」という名前を思い出せずにいた。
「二井原さんはレイジーと言うバンドをご存知ですか?」
(あぁっ!あのバンドのギターの人か!)
僕は即座に思い出した。
Nさんは何故僕に会いに来たかを丁寧に説明してくれた。
「この高崎晃のソロアルバムを作るので、そのアルバムで歌ってくれるシンガーを探しているのです」とレコード会社のNさんは言った。
「それで今、日本中でシンガーを探しています。実は二井原君がやっているバンド、アースシェイカーのバハマでのライブテープが手に入って、それを聞いた高崎君が二井原さんの声に非常に興味を持ったのです。」と矢継ぎ早に続けた。
「世界に通用する本格的なハードロックアルバムを作りたいねん。だから世界に通用できるような強力なヴォーカルを探してんねんけど・・。」と僕の目を見ながら初めて高崎君が話した。
「日本人離れした二井原君のそのハイトーンシャウトぐらいでないと高崎君のギターに負けてしまいます。とにかく、高崎君のハードロックギターに負けない「声」を探しています。二井原さん、是非オーディションを受けてくれませんか?」Nさんは僕への説得に熱が入った。
(世界って・・・世界に通用するハードロックって・・・マジかいな・・)
あまりの大きな話に僕は夢を見ているような感覚になった。
そして僕はかなり緊張していた・・・。
何をどう言って良いのかすぐには言葉が見つからなかった。
「・・・ハイ、分かりました、期待にそえるような歌が歌えるかどうか分かりませんけど・・オーディション受けて見ます。」
気が付けば僕はオーディション受ける返事をしていた。
僕が言ったのではない、誰かに言わされたような不思議な瞬間だった。
後先考えずに言葉が先に出ていた。
「良かった、では早速近いうちにスタジオに来てください。大阪でオーディションをやりたいと思います。場所は後日連絡します。」Nさんは嬉しそうに言った。
課題曲と言うことで高崎君から一本のテープを貰った。
「このテープの中のドリーマーと言う曲があるのでその曲を覚えてきてくれる?」
「後はアースシェイカーでやっているモントローズとかスコーピオンズの曲でも、二井原さんの得意な曲をやりましょう」
高崎君が目を輝かせながら言った。
カセットテープのケースを見ると「LAZY 宇宙船地球号」と書かれていた。
(宇宙船地球号・・・こんなアルバム出しているのか・・・随分とロックっぽいタイトルやな。いったいどんなサウンドなんやろ?)
東京から来た二人と別れ、下宿への帰りのバスの中で貰ったカセットケースを見ながらため息が出た。
(LAZYって「赤頭巾ちゃんご用心」しか知らんなぁ・・・あれはちょっと俺には無理やけどなぁ・・)
そんなことを考えながらテレビの「8時だよ全員集合!」で見たはっぴを着てコントをやっていたLAZYを思い出したりした。
(ポッキーって言う人しか顔は分からんなぁ・・。)
(でも、あのギターの人をハロヤンで観たときはリッチー完コピでGtr目茶上手かったなぁ・・)
様々なことが頭の中をグルグルとよぎった。
高崎君と始めて出会った夜、僕はガールフレンドに始めて今日あったことを話した。
「俺なぁ・・・近いうちにオーディション受けることなってん」
「何のオーディションなん?」
「なんやよう分からんねんけど、レージーって言うバンドの人のオーディションやねん。」
「えっ?あんたレージーに入いんのん?」
「いや~違うと思うけど・・でも、レージーに入るんかなぁ・・・俺・・」
大学入学の頃に僕が一目ぼれして、付き合い始めた彼女。
ずっと僕の音楽活動の一部始終を見てきた女性だった。
いつも僕と一緒にいて、僕を心から支えてくれた女性だった。
誰よりも僕の音楽を理解して、そして応援してくれた女性だった。
誰よりも僕の才能を信じてくれた女性だった。
そして僕は彼女をとても愛していた。
「あんた・・・東京に行くん?・・・一人で行くの?」
この言葉で初めて自分がこれからやろうとしている事に気が付いた。
「どーすんの?もしオーディション受かったら・・・」
東京がとてつもなく遠い所に思えた。
僕は返す言葉が無かった・・・・。
とにかくひぐっつあんの回復の具合がどんな感じになるのかを知るのが先決。
それを見極めないと今後バンドをどう活動して行けばよいか判断できない。
なので、もうしばらく静観するしかないのが現状・ですね・・・
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母親から貰った電話番号は確かに03から始まる東京の番号だった。
(東京のレコード会社の人が何の用なんやろうか?)
頭の中が混乱した。
指定された日の時間に東京のレコード会社へ電話をした、するとすぐに折り返し電話くれた。
「二井原さんですか?ずっとあなたのことを探していました。」
電話口から馴染みの無い東京のアクセントが耳に飛び込んできた。
(うゎ!東京弁や・・・)
その男性の話す言葉で一気に現実に戻された。
「あなたに会ってもらいたい人がいるのですが・・・京都まで二井原さんに会いに行きますので時間を作って頂けませんか?」
後日、京都3条河原町にあるホテルの喫茶店で会うことになった。
僕が喫茶店に着くとすでに東京から来たと思われる男性二人がテーブルに座っていた。
一人はサラリーマン風でスーツを着た男性、もう一人は豹柄のジャケットにロングヘアーのいかにもロックミュージシャンといった若い男性だった。
僕が挨拶をするとその若いロック兄ちゃんは僕の顔をずっと凝視した。
(なんや・・・イメージが違うな)
僕を見た彼の表情がそう語っていた。
「始めまして、TレコードのNと申します。こちらは高崎晃さんというギタープレイヤーです。」
僕はその時「高崎晃」という名前を思い出せずにいた。
「二井原さんはレイジーと言うバンドをご存知ですか?」
(あぁっ!あのバンドのギターの人か!)
僕は即座に思い出した。
Nさんは何故僕に会いに来たかを丁寧に説明してくれた。
「この高崎晃のソロアルバムを作るので、そのアルバムで歌ってくれるシンガーを探しているのです」とレコード会社のNさんは言った。
「それで今、日本中でシンガーを探しています。実は二井原君がやっているバンド、アースシェイカーのバハマでのライブテープが手に入って、それを聞いた高崎君が二井原さんの声に非常に興味を持ったのです。」と矢継ぎ早に続けた。
「世界に通用する本格的なハードロックアルバムを作りたいねん。だから世界に通用できるような強力なヴォーカルを探してんねんけど・・。」と僕の目を見ながら初めて高崎君が話した。
「日本人離れした二井原君のそのハイトーンシャウトぐらいでないと高崎君のギターに負けてしまいます。とにかく、高崎君のハードロックギターに負けない「声」を探しています。二井原さん、是非オーディションを受けてくれませんか?」Nさんは僕への説得に熱が入った。
(世界って・・・世界に通用するハードロックって・・・マジかいな・・)
あまりの大きな話に僕は夢を見ているような感覚になった。
そして僕はかなり緊張していた・・・。
何をどう言って良いのかすぐには言葉が見つからなかった。
「・・・ハイ、分かりました、期待にそえるような歌が歌えるかどうか分かりませんけど・・オーディション受けて見ます。」
気が付けば僕はオーディション受ける返事をしていた。
僕が言ったのではない、誰かに言わされたような不思議な瞬間だった。
後先考えずに言葉が先に出ていた。
「良かった、では早速近いうちにスタジオに来てください。大阪でオーディションをやりたいと思います。場所は後日連絡します。」Nさんは嬉しそうに言った。
課題曲と言うことで高崎君から一本のテープを貰った。
「このテープの中のドリーマーと言う曲があるのでその曲を覚えてきてくれる?」
「後はアースシェイカーでやっているモントローズとかスコーピオンズの曲でも、二井原さんの得意な曲をやりましょう」
高崎君が目を輝かせながら言った。
カセットテープのケースを見ると「LAZY 宇宙船地球号」と書かれていた。
(宇宙船地球号・・・こんなアルバム出しているのか・・・随分とロックっぽいタイトルやな。いったいどんなサウンドなんやろ?)
東京から来た二人と別れ、下宿への帰りのバスの中で貰ったカセットケースを見ながらため息が出た。
(LAZYって「赤頭巾ちゃんご用心」しか知らんなぁ・・・あれはちょっと俺には無理やけどなぁ・・)
そんなことを考えながらテレビの「8時だよ全員集合!」で見たはっぴを着てコントをやっていたLAZYを思い出したりした。
(ポッキーって言う人しか顔は分からんなぁ・・。)
(でも、あのギターの人をハロヤンで観たときはリッチー完コピでGtr目茶上手かったなぁ・・)
様々なことが頭の中をグルグルとよぎった。
高崎君と始めて出会った夜、僕はガールフレンドに始めて今日あったことを話した。
「俺なぁ・・・近いうちにオーディション受けることなってん」
「何のオーディションなん?」
「なんやよう分からんねんけど、レージーって言うバンドの人のオーディションやねん。」
「えっ?あんたレージーに入いんのん?」
「いや~違うと思うけど・・でも、レージーに入るんかなぁ・・・俺・・」
大学入学の頃に僕が一目ぼれして、付き合い始めた彼女。
ずっと僕の音楽活動の一部始終を見てきた女性だった。
いつも僕と一緒にいて、僕を心から支えてくれた女性だった。
誰よりも僕の音楽を理解して、そして応援してくれた女性だった。
誰よりも僕の才能を信じてくれた女性だった。
そして僕は彼女をとても愛していた。
「あんた・・・東京に行くん?・・・一人で行くの?」
この言葉で初めて自分がこれからやろうとしている事に気が付いた。
「どーすんの?もしオーディション受かったら・・・」
東京がとてつもなく遠い所に思えた。
僕は返す言葉が無かった・・・・。
このブログに音信不通だった人からメッセージされるのを見つけると、このブログが本当に色んな人に読まれているなと痛感する・・本当に驚くと同時に嬉しい。
インターネットって凄いね。
Art_kenjiさん、まいどです、元気ですか?ヒャ~~メッセージありがとさん♪
その上、楽屋などで新聞社の記者さんや音楽雑誌の編集にいたる様々なマスコミ関係の方々からも「ブログ読んでますよ~~毎回楽しみにしてますよ~~♪」と教えてくれる・・・・。
ガチガチの文筆家もこれを読んでいるのかと思うと、恐縮するばかりです・・・。
なんか知らんが、とにかくお手柔らかにお願いします。(笑)
********************************************
今まで弾いてきたMusic Manのベースは部屋の片隅に放置されほこりをかぶるようになった。
ずっと使っていたHIWATTのベースアンプは佛大の軽音楽部の部費を滞納していたので、物納と言う形で佛大の軽音の機材となった。
まーアンプ君にとっては、使われないで放っておくと死んでいくのでむしろこの方が良かったかも知れない。
今でも佛大の軽音の部室にあるのかね?あのアンプは・・・。
そして僕はR&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”にしばらく専念することになった。
R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”は僕にとってはまさに音楽学校だった。
バンドのメンバーはみんな同じぐらいの年齢で、多分21歳前後の集団だったと思う。
バンドメンバーの音楽に向き合う姿は真剣で厳しかった。
それまで譜面を使って演奏する人と一緒にバンドをやったことが無かったので、このバンドのメンバーの多くが譜面を書き使っているのを見て驚いた。
ホーンセクションの人達は基本的にホーンアレンジをホーンの誰かが譜面にするのでこれは致し方ないと思っていたけれど、ベースもギターもみなさん譜面が達者のようでした。
ハードロックの世界ではあまり譜面は見かけないものね・・・。
ざっとメンバー編成を紹介すると、ヴォーカル4人、ドラムス、ベース、パーカッション、ギター二人、キーボード、サックス、トランペット二人、トロンボーン二人・・・。
ホーンセクションは入れ替わりが多かった。
”SOUL-DOO-OUT”のバンドの方向性は70年代に活躍していたバンド“The soul children”と言うバンドにもっとも近かったと思う。
どんな音楽だったかはこれや、こんな曲を聴いてくれたら分かると思う。
”SOUL-DOO-OUT”のヴォーカリスト達に関してはすでに触れているのでもう書かないけれど、今でも彼&彼女達を思い出すたびによくぞあんなに凄いシャウターで素晴らしいシンガーが集まったものだと思う。
僕はこのバンドで始めてソウルミュージックを歌い始めたので、何もかもが手探りだった。
課題曲のテープをもらってコピーしようと思ってもなかなか上手くマネが出来なかった。
英語も難しかったし、なによりあの黒人独特のフレージングが出来なかった。
そしてリードヴォーカールパートが何とかなったとしても、他の三人でハーモニーになると全くお手上げだった。
ハーモニーをする経験も初めてだったのでこれは「音を聞き発声する」良い訓練になった。
時間と共に少しずつ歌えるようにはなったけれど、他の3人の圧倒的な歌唱力からするとまだまだ先は長いなぁ~と思った。
ちなみに、自分より上手い人と一緒にやると言うのはとても上達が早くなると思う。
要するに、英語のネイティブと一緒にいると確実に英語が上手くなるのとい同じことか?
とにかく、「自分より上手い人と一緒にやる」これは上達の極意かもしれない。
逆に言うと下手な人と一緒にやっていると上手い人の上達は遅々として進まないかもしれないけれど・・・。
”SOUL-DOO-OUT”の場合、すぐそばでその上手い人達が実際歌っているわけで、それを見ているだけでも充分勉強になったし、彼等の良い部分を吸収するのも早かった。
まぁー半面良くないところも多少は影響を受けるけれど、それも上手く軌道修正できる。
数回このバンドで合宿をやったことがある。
僕はこの合宿で生まれてはじめて声が出なくなると言う経験をした。
風邪を引いたわけではない、歌いすぎて出なくなったのだ。
それまで僕は声が出なくなると言う経験が無かったので、鋼鉄の喉を持っていると勝手に思っていたけれど、鋼鉄どころか人より喉が弱いと言うことも知った。
声と喉の問題はプロデビュー後もかなりの年月で僕を悩ませることになるのだが・・・。
自分が出せる高音の限界音を知るようにもなった。
こんな基本的なこともそれまで知らなかったのだ。
自分の高音の限界音を知って以来その音が近づくと喉にリミッターがかかるようになって自然にのびのびと出せなくなったりもした・・・。
歌を真剣にやり自分の声や喉の現実を知れば知るほど歌が歌えなくなると言うジレンマに陥った・・・。
声は繊細なパートだと本当に思った。
そんなこんながあってヴォーカルの修行で声が出しにくくなり、ついに上手く歌えなくなって悩んでいる時、相方のヴォーカル「大の伸」がこう言って慰めてくれた。
「お前には誰にも真似できない声質がある、そしてお前の歌のパワーには人を惹きつける魅力がある。俺達が真似できないシンガーとしての持って生まれた才能やな・・。上手い下手を超えた何かやなぁ~。だからお前をこのバンドに誘ったんや・・・」
大の伸のこの優しい一言、まー単なる慰め言葉であったとしても、僕は嬉しかった、そして僕を精神的窮地から救ってくれた。
”SOUL-DOO-OUT”で歌うこと、まさにヴォーカル学校に入学したのと同じぐらいのインパクトがあった。
”SOUL-DOO-OUT”に在籍していた期間は決して長くは無かったけれど学んだことは多かったと思う。
そう言えば、”SOUL-DOO-OUT”合宿中には抱腹絶倒エピソードもあるのだけどここでは割愛する。
あまりにアホなので・・・。
”SOUL-DOO-OUT”加入以来、相方のヴォーカル「大の伸」とはずっと親友の付き合いだった。
ありえないぐらいのアホで陽気でおもろい男だった。
そんな彼が今年の頭に急死した・・・・闘病の末だったそうだ。
大の伸の冥福を祈る・・・・。
こうして京都の生活を送っているある日、下宿の方に実家の母親から電話がった。
又下宿生が伝言をくれた。
「大阪のお母さんから、実家に至急連絡してほしい」
僕は大阪へ電話した、親父でも倒れたのか?
「なんや?どないしたん?」
「あんた、なんや東京のレコード会社の人から何度も電話があってあんた探しているらしいで」
「東京?レコード会社?」
「あんたに電話して欲しいって言うてはるわ、一回電話してみぃ~」
僕は狐につままれた・・・
インターネットって凄いね。
Art_kenjiさん、まいどです、元気ですか?ヒャ~~メッセージありがとさん♪
その上、楽屋などで新聞社の記者さんや音楽雑誌の編集にいたる様々なマスコミ関係の方々からも「ブログ読んでますよ~~毎回楽しみにしてますよ~~♪」と教えてくれる・・・・。
ガチガチの文筆家もこれを読んでいるのかと思うと、恐縮するばかりです・・・。
なんか知らんが、とにかくお手柔らかにお願いします。(笑)
********************************************
今まで弾いてきたMusic Manのベースは部屋の片隅に放置されほこりをかぶるようになった。
ずっと使っていたHIWATTのベースアンプは佛大の軽音楽部の部費を滞納していたので、物納と言う形で佛大の軽音の機材となった。
まーアンプ君にとっては、使われないで放っておくと死んでいくのでむしろこの方が良かったかも知れない。
今でも佛大の軽音の部室にあるのかね?あのアンプは・・・。
そして僕はR&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”にしばらく専念することになった。
R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”は僕にとってはまさに音楽学校だった。
バンドのメンバーはみんな同じぐらいの年齢で、多分21歳前後の集団だったと思う。
バンドメンバーの音楽に向き合う姿は真剣で厳しかった。
それまで譜面を使って演奏する人と一緒にバンドをやったことが無かったので、このバンドのメンバーの多くが譜面を書き使っているのを見て驚いた。
ホーンセクションの人達は基本的にホーンアレンジをホーンの誰かが譜面にするのでこれは致し方ないと思っていたけれど、ベースもギターもみなさん譜面が達者のようでした。
ハードロックの世界ではあまり譜面は見かけないものね・・・。
ざっとメンバー編成を紹介すると、ヴォーカル4人、ドラムス、ベース、パーカッション、ギター二人、キーボード、サックス、トランペット二人、トロンボーン二人・・・。
ホーンセクションは入れ替わりが多かった。
”SOUL-DOO-OUT”のバンドの方向性は70年代に活躍していたバンド“The soul children”と言うバンドにもっとも近かったと思う。
どんな音楽だったかはこれや、こんな曲を聴いてくれたら分かると思う。
”SOUL-DOO-OUT”のヴォーカリスト達に関してはすでに触れているのでもう書かないけれど、今でも彼&彼女達を思い出すたびによくぞあんなに凄いシャウターで素晴らしいシンガーが集まったものだと思う。
僕はこのバンドで始めてソウルミュージックを歌い始めたので、何もかもが手探りだった。
課題曲のテープをもらってコピーしようと思ってもなかなか上手くマネが出来なかった。
英語も難しかったし、なによりあの黒人独特のフレージングが出来なかった。
そしてリードヴォーカールパートが何とかなったとしても、他の三人でハーモニーになると全くお手上げだった。
ハーモニーをする経験も初めてだったのでこれは「音を聞き発声する」良い訓練になった。
時間と共に少しずつ歌えるようにはなったけれど、他の3人の圧倒的な歌唱力からするとまだまだ先は長いなぁ~と思った。
ちなみに、自分より上手い人と一緒にやると言うのはとても上達が早くなると思う。
要するに、英語のネイティブと一緒にいると確実に英語が上手くなるのとい同じことか?
とにかく、「自分より上手い人と一緒にやる」これは上達の極意かもしれない。
逆に言うと下手な人と一緒にやっていると上手い人の上達は遅々として進まないかもしれないけれど・・・。
”SOUL-DOO-OUT”の場合、すぐそばでその上手い人達が実際歌っているわけで、それを見ているだけでも充分勉強になったし、彼等の良い部分を吸収するのも早かった。
まぁー半面良くないところも多少は影響を受けるけれど、それも上手く軌道修正できる。
数回このバンドで合宿をやったことがある。
僕はこの合宿で生まれてはじめて声が出なくなると言う経験をした。
風邪を引いたわけではない、歌いすぎて出なくなったのだ。
それまで僕は声が出なくなると言う経験が無かったので、鋼鉄の喉を持っていると勝手に思っていたけれど、鋼鉄どころか人より喉が弱いと言うことも知った。
声と喉の問題はプロデビュー後もかなりの年月で僕を悩ませることになるのだが・・・。
自分が出せる高音の限界音を知るようにもなった。
こんな基本的なこともそれまで知らなかったのだ。
自分の高音の限界音を知って以来その音が近づくと喉にリミッターがかかるようになって自然にのびのびと出せなくなったりもした・・・。
歌を真剣にやり自分の声や喉の現実を知れば知るほど歌が歌えなくなると言うジレンマに陥った・・・。
声は繊細なパートだと本当に思った。
そんなこんながあってヴォーカルの修行で声が出しにくくなり、ついに上手く歌えなくなって悩んでいる時、相方のヴォーカル「大の伸」がこう言って慰めてくれた。
「お前には誰にも真似できない声質がある、そしてお前の歌のパワーには人を惹きつける魅力がある。俺達が真似できないシンガーとしての持って生まれた才能やな・・。上手い下手を超えた何かやなぁ~。だからお前をこのバンドに誘ったんや・・・」
大の伸のこの優しい一言、まー単なる慰め言葉であったとしても、僕は嬉しかった、そして僕を精神的窮地から救ってくれた。
”SOUL-DOO-OUT”で歌うこと、まさにヴォーカル学校に入学したのと同じぐらいのインパクトがあった。
”SOUL-DOO-OUT”に在籍していた期間は決して長くは無かったけれど学んだことは多かったと思う。
そう言えば、”SOUL-DOO-OUT”合宿中には抱腹絶倒エピソードもあるのだけどここでは割愛する。
あまりにアホなので・・・。
”SOUL-DOO-OUT”加入以来、相方のヴォーカル「大の伸」とはずっと親友の付き合いだった。
ありえないぐらいのアホで陽気でおもろい男だった。
そんな彼が今年の頭に急死した・・・・闘病の末だったそうだ。
大の伸の冥福を祈る・・・・。
こうして京都の生活を送っているある日、下宿の方に実家の母親から電話がった。
又下宿生が伝言をくれた。
「大阪のお母さんから、実家に至急連絡してほしい」
僕は大阪へ電話した、親父でも倒れたのか?
「なんや?どないしたん?」
「あんた、なんや東京のレコード会社の人から何度も電話があってあんた探しているらしいで」
「東京?レコード会社?」
「あんたに電話して欲しいって言うてはるわ、一回電話してみぃ~」
僕は狐につままれた・・・
今日は千葉、明日は熊谷でX.Y.Z.-Aのライブの為休刊っす。
時間見つけて続き書きます。
よろしく!
時間見つけて続き書きます。
よろしく!
LOUDNESS豆知識
この「歴史物」を書きながら、人は自分の歩んできたことを意外と思い出したりしないものだなと思った。
昔のことを思い巡らすと言う行為、実は素晴らしいセラピー効果があるのではないかと思う。
あらためて冷静に昔のことを考えると、何故あの時あんなことを考えたのかが良く分かる。
勿論、昔より今の方が年齢も重ね、人生経験もあるのだから当然のことなのだが、逆にこれから未来へ向かってどう生きていくべきかと言うことが冷静に考えられる。
メールでこの「歴史物」の激励や感想を頂いています。
すべて目を通しています、ありがとう!
どなたかがメッセージしているように、「映像化」は面白いかも。
僕の「歴史物」がそのままでなくとも、70年代、80年代の日本のロックがガンガン流れる夢のある青春ロックサクセスストーリーの内容に仕上げてね・・・
誰か出資しなさい!(笑)
******************************************************
アースシェイカーの脱退はまさに僕にとっては「挫折」と言う経験だったと思う。
そして「挫折」は僕に課された次へ羽ばたく為の「試練」だったのかもしれない。
さて、アースシェイカーを脱退したものの「ベースとヴォーカルどーすんねん?」と言うシャラの言葉が頭に残っていた。
何とか僕の代わりになれる人はいないものかと考えた。
しかしながら、さしあたってベースを弾きながらハードロックを歌える人は思い浮かばなかった。
ヴォーカリストではマーシー以上の人材は無いと思っていたし、ベースも甲斐君が理想的だと思っていた。
とは言うものの、マンティスというバンドがある以上それは不可能やろうなとも思っていた。
と、この文を書きながらふと思い出したのだけど、いや、僕の記憶違いかもしれないけれど・・・
実はマーシーと一緒に京都太秦の工場でバイトをしていた頃に、一度マーシーにアースシェイカーで歌ってくれないかと相談したことがあったかもしれない・・・いや、してないかなぁ・・・ん~・・・。
当時、マーシーと甲斐君は京都の三条河原町にあったロックバーで働いていたのだけど、そのバーで呑みながらマーシーにアースシェイカーで歌ってくれないかと相談したような気もするのだが・・・いや・・記憶違いかな?
その事実をマーシーに聞こうと思ってさっきからマーシーに電話しているのだけど、つかまらないんよ~~~~マーシーが!!電話に出んかいコリャ~マーシー!!(笑)
脱退からどれほどの日がたったのだろうか?
風の噂で「マーシーと甲斐君がシェイカーに加入した」と聞いた。
心の中にあった重たいものが消えた・・・
(良かった・・・)
すぐにシャラに電話したかったけれど出来なかった。
そして、程なく京都で新生アースシェイカーのライブがあると知った。
僕の下宿しているアパートからさほど遠くないライブハウスだった。
僕は行くべきかどうか迷ったけれど、これは見ておくべきだと思ってライブハウスへ出かけた。
ライブハウスに着くと懐かしい工藤のドラムセットが目に入った。
当然、シャラのマーシャルもステージに並んでいた。
甲斐君のベースアンプがあって、中央に鮮やかにデコレーションされたマーシーのヴォーカル用のマイクスタンドが立っていた。
僕のいたアースシェイカーはもうそこには無いのだと実感した・・・。
そして、新生アースシェイカーのメンバーのまだ登場していないステージを見ながら、ここにたどり着くまでにシャラにどんな大変な思いをさせてしまったのかと思うとすまない気持ちで一杯になった。
ステージが暗転になった。
メンバーが登場した。
シャラの表情が一段と逞しく見えた。
工藤も一段と大きく見えた。
数曲は聞き覚えのある僕がいた頃のリフを使った曲だったけれど、ヴォーカルアレンジや歌詞が全て生まれ変わっていた。
マーシーの魅力満載の楽曲に変貌していたのだ。
どの曲もメロディーがよく練られてキャッチーで覚えやすくて、美しかった。
アースシェイカーが目指す方向性ははっきりと明快だった。
4人のパフォーマンスは始終堂々としていて貫禄もあった。
演奏がタイトで音が塊になって弾けていた。
新生アースシェイカーは僕の想像を遥かに超えるほどの素晴らしさだった。
(一緒になるべき人達が一緒になったなぁ・・・良かった・・)
「アースシェイカーが生まれ変わりました!!
これからこのメンバーでガンガン突っ走っていきます!よろしく!!」
マーシーがMCで堂々と高らかに新生アースシェイカーを宣言した。
僕は安堵と感動でステージが何度も滲んで見えなくなった・・・。
この「歴史物」を書きながら、人は自分の歩んできたことを意外と思い出したりしないものだなと思った。
昔のことを思い巡らすと言う行為、実は素晴らしいセラピー効果があるのではないかと思う。
あらためて冷静に昔のことを考えると、何故あの時あんなことを考えたのかが良く分かる。
勿論、昔より今の方が年齢も重ね、人生経験もあるのだから当然のことなのだが、逆にこれから未来へ向かってどう生きていくべきかと言うことが冷静に考えられる。
メールでこの「歴史物」の激励や感想を頂いています。
すべて目を通しています、ありがとう!
どなたかがメッセージしているように、「映像化」は面白いかも。
僕の「歴史物」がそのままでなくとも、70年代、80年代の日本のロックがガンガン流れる夢のある青春ロックサクセスストーリーの内容に仕上げてね・・・
誰か出資しなさい!(笑)
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アースシェイカーの脱退はまさに僕にとっては「挫折」と言う経験だったと思う。
そして「挫折」は僕に課された次へ羽ばたく為の「試練」だったのかもしれない。
さて、アースシェイカーを脱退したものの「ベースとヴォーカルどーすんねん?」と言うシャラの言葉が頭に残っていた。
何とか僕の代わりになれる人はいないものかと考えた。
しかしながら、さしあたってベースを弾きながらハードロックを歌える人は思い浮かばなかった。
ヴォーカリストではマーシー以上の人材は無いと思っていたし、ベースも甲斐君が理想的だと思っていた。
とは言うものの、マンティスというバンドがある以上それは不可能やろうなとも思っていた。
と、この文を書きながらふと思い出したのだけど、いや、僕の記憶違いかもしれないけれど・・・
実はマーシーと一緒に京都太秦の工場でバイトをしていた頃に、一度マーシーにアースシェイカーで歌ってくれないかと相談したことがあったかもしれない・・・いや、してないかなぁ・・・ん~・・・。
当時、マーシーと甲斐君は京都の三条河原町にあったロックバーで働いていたのだけど、そのバーで呑みながらマーシーにアースシェイカーで歌ってくれないかと相談したような気もするのだが・・・いや・・記憶違いかな?
その事実をマーシーに聞こうと思ってさっきからマーシーに電話しているのだけど、つかまらないんよ~~~~マーシーが!!電話に出んかいコリャ~マーシー!!(笑)
脱退からどれほどの日がたったのだろうか?
風の噂で「マーシーと甲斐君がシェイカーに加入した」と聞いた。
心の中にあった重たいものが消えた・・・
(良かった・・・)
すぐにシャラに電話したかったけれど出来なかった。
そして、程なく京都で新生アースシェイカーのライブがあると知った。
僕の下宿しているアパートからさほど遠くないライブハウスだった。
僕は行くべきかどうか迷ったけれど、これは見ておくべきだと思ってライブハウスへ出かけた。
ライブハウスに着くと懐かしい工藤のドラムセットが目に入った。
当然、シャラのマーシャルもステージに並んでいた。
甲斐君のベースアンプがあって、中央に鮮やかにデコレーションされたマーシーのヴォーカル用のマイクスタンドが立っていた。
僕のいたアースシェイカーはもうそこには無いのだと実感した・・・。
そして、新生アースシェイカーのメンバーのまだ登場していないステージを見ながら、ここにたどり着くまでにシャラにどんな大変な思いをさせてしまったのかと思うとすまない気持ちで一杯になった。
ステージが暗転になった。
メンバーが登場した。
シャラの表情が一段と逞しく見えた。
工藤も一段と大きく見えた。
数曲は聞き覚えのある僕がいた頃のリフを使った曲だったけれど、ヴォーカルアレンジや歌詞が全て生まれ変わっていた。
マーシーの魅力満載の楽曲に変貌していたのだ。
どの曲もメロディーがよく練られてキャッチーで覚えやすくて、美しかった。
アースシェイカーが目指す方向性ははっきりと明快だった。
4人のパフォーマンスは始終堂々としていて貫禄もあった。
演奏がタイトで音が塊になって弾けていた。
新生アースシェイカーは僕の想像を遥かに超えるほどの素晴らしさだった。
(一緒になるべき人達が一緒になったなぁ・・・良かった・・)
「アースシェイカーが生まれ変わりました!!
これからこのメンバーでガンガン突っ走っていきます!よろしく!!」
マーシーがMCで堂々と高らかに新生アースシェイカーを宣言した。
僕は安堵と感動でステージが何度も滲んで見えなくなった・・・。
LOUDNESS豆知識
僕の「有名」と書かれた所謂日章旗(厳密には旭日旗)のTシャツ。
あれを買ったのは始めてLOUDNESSのライブでハリウッドへ行った時、ハリウッドの土産物屋で購入。
日本であんなTシャツを見たことなかったのでこれは面白いと思った。
他にも色々日本をモチーフにしたTシャツはあったけれど旭日旗のTシャツほどのインパクトは無かったなぁ。
デフレパードがユニオンジャックのTシャツを着ていたのを意識して、旭日旗のTシャツをライブで着たらその写真がイギリスのロック雑誌「ケラング」で掲載され一躍世界中で文字通り「有名」になった。
あの土産物屋には感謝状を送りたい!

*******************************
マーシーのヴォーカルとの出会いは僕に多くのことを気づかせてくれた。
日本語のハードロックバンドの可能性、日本語のロックヴォーカルの奥の深さ・・・
僕はマーシーに完全に打ちのめされた。
自信喪失と言う類のものでは無かったけれど、マーシーのヴォーカルはそれまで僕がアースシェイカーでやってきたことに対して多くの問題点を浮き彫りにしてくれたように思う。
マンティスを見てからと言うもの、僕がアースシェイカーでやっているヴォーカルパフォーマンスやベースの力量では到底このバンドに太刀打ち出来るとは思えなかった。
僕は自分がアースシェイカーでやっていることすべてが中途半端だと悟った。
そしてなんと言っても、マーシーやシャラが持つあのギラギラとしたハードロックのプロミュージシャンへの情熱が僕には全く足りないことも悟った。
(僕はこれで良いのか?)と言う疑問が大きくのしかかってきたのだ。
兎にも角にも、マーシーのヴォーカルを体験することでヴォーカルと言うパートを本気で意識するようになったのだ。
話が前後して恐縮なのだが、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”加入の話題を先にやってしまったのでちょっとこの辺の事情がややこしくなってしまったけれど、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”への加入はマーシーのヴォーカルとの出会いが無ければ無かったかもしれない。
時系列に要約すると、
マーシーのヴォーカルに出会う→ヴォーカルを真剣に意識し始める→ヴォーカルが上手くなりたいと思う→R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”から声がかかる→ヴォーカルの勉強に最適と思う→R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”加入決意。
マーシーとの出会いとSOUL-DOO-OUT加入がほぼ同時期であり、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”が本格的にヴォーカリスト二井原を誕生させた。
そして、後述することになるけれど、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”が無ければLOUDNESSへの加入もありえなかっただろう。
そうなれば今の日本のロック界の歴史も全く違ったものになっていたかもしれない・・・・。
この時期は僕にとってとても運命的な時期だった。
とは言うものの、この時期「プロのシンガーになる」と言うような野望は相変わらず皆無だったけれど。
僕はアースシェイカーでやっていること、そしてこれからやって行くであろうことに対して、心のどこかで限界を感じてしまった。
自分の中途半端な実力を思い知ったからである。
そして真剣にR&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”でソウルミュージックなるものを歌うにつれて、ソウルミュージックへの傾倒と共にハードロックと言う音楽への情熱が冷めていったのも事実であった。
ただ、ソウルミュージックとハードロック、自分にとって歌うに相応しい音楽はどちらだったのかは分からなかった。
ヴォーカリストとしてのマインドを培ってくれたのはソウルミュージックであったとは思う。
そして、今まで音源としてリリースしてきた色んなヴォーカルアイデアの多くもソウルミュージックのヴォーカルフレーズからインスパイヤされたものも決して少なくはない。
そういう意味では僕にとってソウルミュージックを経験したことは重要な意味を持つ。
京都での生活が始まり、京都でのソウルバンド活動が始まり、結局僕はシャラと疎遠になってしまった。
当時は携帯電話というものが存在せず、下宿していたせいもあってシャラとの電話連絡も滞りがちになった。
京都の下宿の方にシャラからの電話が幾度とあり、同じ下宿生がメッセージを僕に告げてくれた。
「石原さんと言うひとが至急連絡して欲しい」
僕は京都駅の公衆電話からシャラに電話した。
「お前連絡ぐらいして来いや!」シャラは完全に苛立っていた。
「バハマのスケジュール入れるで、リハーサルもやんで、ニイチャンいつリハできんねん?」
僕は返答に困った。
「シャラ・・・俺なハードロック辞めたいねん・・・」
「お前何考えてんねん、勝手なこと言うなや!」
「すまん・・・」
「ほんならお前、アースシェイカーのベースとヴォーカルどーすんねん?」
「・・・・」
「目茶勝手やな・・・・もうエエワ・・」
シャラは電話を切った・・・。
あっけない最後だった・・・。
シャラと電話で話した時、僕は事前にアースシェイカーを辞めようと心に決めていた訳でもなかった。
何故あの時「ハードロック辞めたいねん・・・」と口に出したのかは分からない。
そういう運命だったと言えば簡単だけれど・・・。
僕はこの時大事な友人を失ってしまったと思った。
シャラには本当に申し訳ないことをしたと後悔した。
そしてハードロックに別れを告げるべく僕は髪を短く切った・・・。
僕の「有名」と書かれた所謂日章旗(厳密には旭日旗)のTシャツ。
あれを買ったのは始めてLOUDNESSのライブでハリウッドへ行った時、ハリウッドの土産物屋で購入。
日本であんなTシャツを見たことなかったのでこれは面白いと思った。
他にも色々日本をモチーフにしたTシャツはあったけれど旭日旗のTシャツほどのインパクトは無かったなぁ。
デフレパードがユニオンジャックのTシャツを着ていたのを意識して、旭日旗のTシャツをライブで着たらその写真がイギリスのロック雑誌「ケラング」で掲載され一躍世界中で文字通り「有名」になった。
あの土産物屋には感謝状を送りたい!

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マーシーのヴォーカルとの出会いは僕に多くのことを気づかせてくれた。
日本語のハードロックバンドの可能性、日本語のロックヴォーカルの奥の深さ・・・
僕はマーシーに完全に打ちのめされた。
自信喪失と言う類のものでは無かったけれど、マーシーのヴォーカルはそれまで僕がアースシェイカーでやってきたことに対して多くの問題点を浮き彫りにしてくれたように思う。
マンティスを見てからと言うもの、僕がアースシェイカーでやっているヴォーカルパフォーマンスやベースの力量では到底このバンドに太刀打ち出来るとは思えなかった。
僕は自分がアースシェイカーでやっていることすべてが中途半端だと悟った。
そしてなんと言っても、マーシーやシャラが持つあのギラギラとしたハードロックのプロミュージシャンへの情熱が僕には全く足りないことも悟った。
(僕はこれで良いのか?)と言う疑問が大きくのしかかってきたのだ。
兎にも角にも、マーシーのヴォーカルを体験することでヴォーカルと言うパートを本気で意識するようになったのだ。
話が前後して恐縮なのだが、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”加入の話題を先にやってしまったのでちょっとこの辺の事情がややこしくなってしまったけれど、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”への加入はマーシーのヴォーカルとの出会いが無ければ無かったかもしれない。
時系列に要約すると、
マーシーのヴォーカルに出会う→ヴォーカルを真剣に意識し始める→ヴォーカルが上手くなりたいと思う→R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”から声がかかる→ヴォーカルの勉強に最適と思う→R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”加入決意。
マーシーとの出会いとSOUL-DOO-OUT加入がほぼ同時期であり、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”が本格的にヴォーカリスト二井原を誕生させた。
そして、後述することになるけれど、R&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”が無ければLOUDNESSへの加入もありえなかっただろう。
そうなれば今の日本のロック界の歴史も全く違ったものになっていたかもしれない・・・・。
この時期は僕にとってとても運命的な時期だった。
とは言うものの、この時期「プロのシンガーになる」と言うような野望は相変わらず皆無だったけれど。
僕はアースシェイカーでやっていること、そしてこれからやって行くであろうことに対して、心のどこかで限界を感じてしまった。
自分の中途半端な実力を思い知ったからである。
そして真剣にR&Bバンド”SOUL-DOO-OUT”でソウルミュージックなるものを歌うにつれて、ソウルミュージックへの傾倒と共にハードロックと言う音楽への情熱が冷めていったのも事実であった。
ただ、ソウルミュージックとハードロック、自分にとって歌うに相応しい音楽はどちらだったのかは分からなかった。
ヴォーカリストとしてのマインドを培ってくれたのはソウルミュージックであったとは思う。
そして、今まで音源としてリリースしてきた色んなヴォーカルアイデアの多くもソウルミュージックのヴォーカルフレーズからインスパイヤされたものも決して少なくはない。
そういう意味では僕にとってソウルミュージックを経験したことは重要な意味を持つ。
京都での生活が始まり、京都でのソウルバンド活動が始まり、結局僕はシャラと疎遠になってしまった。
当時は携帯電話というものが存在せず、下宿していたせいもあってシャラとの電話連絡も滞りがちになった。
京都の下宿の方にシャラからの電話が幾度とあり、同じ下宿生がメッセージを僕に告げてくれた。
「石原さんと言うひとが至急連絡して欲しい」
僕は京都駅の公衆電話からシャラに電話した。
「お前連絡ぐらいして来いや!」シャラは完全に苛立っていた。
「バハマのスケジュール入れるで、リハーサルもやんで、ニイチャンいつリハできんねん?」
僕は返答に困った。
「シャラ・・・俺なハードロック辞めたいねん・・・」
「お前何考えてんねん、勝手なこと言うなや!」
「すまん・・・」
「ほんならお前、アースシェイカーのベースとヴォーカルどーすんねん?」
「・・・・」
「目茶勝手やな・・・・もうエエワ・・」
シャラは電話を切った・・・。
あっけない最後だった・・・。
シャラと電話で話した時、僕は事前にアースシェイカーを辞めようと心に決めていた訳でもなかった。
何故あの時「ハードロック辞めたいねん・・・」と口に出したのかは分からない。
そういう運命だったと言えば簡単だけれど・・・。
僕はこの時大事な友人を失ってしまったと思った。
シャラには本当に申し訳ないことをしたと後悔した。
そしてハードロックに別れを告げるべく僕は髪を短く切った・・・。
昨日から、X.Y.Z.-Aのプロモーションで名古屋にいます。
昨日今日とインタビュー三昧やって、明日から大阪、名古屋とライブです。
一応PCを持参して、インタビューの待ち時間に原稿を書こうと思っていたけれど、昨日は全て終わってホテルの部屋に戻ってきたのが11時・・・。
風呂入ったら沈没・・。
意外にスケジュールがタイトでご飯を食べる時間も無いほど。
まぁーこれはこれで素晴らしいことなのだけどね!
スタッフ~~♪がとっても頑張ってくれましたわ。
部屋の暑さで朝6時に目が覚めたけれど、体重い・・・フンギャ~・・グッタリ・・・。
コーヒー飲んでシャワー浴びて、今からウォーキングに出かけようかと思っていますわ。
何とか時間を見つけて「歴史物」続き書きます。
しばしお待ちを!!
R&R!!
昨日今日とインタビュー三昧やって、明日から大阪、名古屋とライブです。
一応PCを持参して、インタビューの待ち時間に原稿を書こうと思っていたけれど、昨日は全て終わってホテルの部屋に戻ってきたのが11時・・・。
風呂入ったら沈没・・。
意外にスケジュールがタイトでご飯を食べる時間も無いほど。
まぁーこれはこれで素晴らしいことなのだけどね!
スタッフ~~♪がとっても頑張ってくれましたわ。
部屋の暑さで朝6時に目が覚めたけれど、体重い・・・フンギャ~・・グッタリ・・・。
コーヒー飲んでシャワー浴びて、今からウォーキングに出かけようかと思っていますわ。
何とか時間を見つけて「歴史物」続き書きます。
しばしお待ちを!!
R&R!!
LOUDNESS情報

***********
後日、約束どおり僕は胸を躍らせてバハマへ行った。
アマチュアバンドのライブを観るのに、これほど心待ちしたバンドは無かった。
バハマに着いたら満員だった。
やはりテレビの力は大きいと思った。
シャラからメンバーを紹介してもらい、マーシーと初めて話をした。
ライブ直前と言うこともあってあまり会話らしい会話ではなかったけれど僕は満足だった。
マーシーの黒に近いような濃い口紅とアイラインが妖艶で小悪魔的でとても印象に残った。
他のメンバーも皆シャイな感じだった。
マンティスのライブはマーシーを中心にかなり完成されたライブだった。
歌を大事にしている曲作りだった。
マーシーの存在が他を圧倒していた。
マーシーの歌声はライブで聴いた方が断然伸びがあってクリアーだった。
僕の歌はどちらかと言うと楽器の一部と化していたけれど、マーシーの歌声がバンドをリードしていた。
歌詞の言葉一つ一つがクリアに発音されて、メロディーの細部にまで丁寧に歌う姿勢が新鮮だった。
そしてコーラスのハーモニーもバンド機動力として十分に発揮されていた。
すべてが完璧とは言わないまでも、ロックバンドの本質を丁寧に抑えた、大人の成熟したロックバンドの風格があった。
(こいつらは本物やな・・・)
僕は本来バンドのあるべき姿と言うものを思い知った気がした。
マーシーのパフォーマンスからは学ぶべきことが多かった。
歌を丁寧に歌うという当たり前のことに気が付いたのは収穫が大きかった。
マーシーはある意味、日本語で歌うハードロックシンガーの理想的な姿をその時点で最早完成させていた、と言っても過言では無い。
僕はマーシーの魅力に心底惚れた、マーシーのロックヴォーカリストとしてのスター性に憧れを抱いたと言っても良い、この男と一緒にバンドをしたいとすら思った。
敢えて断っておくが僕は「ホモ」ではありませんから・・・。(笑)
マーシーがアースシェイカーに入って、僕がマーシーの後ろでベースに徹しても良いなぁーと妄想すら抱いたほどだった。
僕はマンティスの登場までアースシェイカーは大阪では無敵だと思っていた。
少なくとも、僕より歌の上手い人はいても、ハードロックヴォーカリストで脅威を感じるような人はいなかった。
それが今や目の前にマーシーと言う非凡で稀有なシンガーが現れたのだ、完全な敗北感を僕は感じたのだ。
マーシーと言う根っからのロック兄ちゃんが僕に与えた衝撃は計り知れなかった。
マンティスのライブが終わった。
その後、残念ながら僕はマンティスのライブを観ることは2度と無かった。
その代り、アースシェイカーで歌うマーシーを客席から観ることになるのだが・・・
マンティスの登場と共にアースシェイカーの運命も大きく変わろうとしていたのだ、その話はもうちょっと後になるけれど。
「ライブ無茶良かったわ!」僕はあらためてマーシーに話しかけた。
「ほんまに?」マーシーの九州訛りの大阪弁が外タレと話しているような印象さえした。
「自分京都のどこに住んでんの?」
マーシーは京都の住んでいる場所を教えてくれたが今どこだったか記憶にない・・・。
「バンド以外なんかやってんの?」
「たまにロックバーで手伝いしてるねん、何かバイト無い?」マーシーが聞いてきた。
僕はその時やっていた大日本印刷のバイトを紹介した。
「おぉ!俺もそれやるわ!」マーシーは笑顔で答えた。
結局、数日後マーシーと一緒に夜勤の工場で働くことになった。
マーシーと同じ職場で働きながら夢を語り合った。
マーシーと一緒に夜食を食べ、朝風呂にも入った。(と思う)
マーシーは僕が夜勤になれていなくて眠そうにしていると「ニーちゃん休んどき、ニーちゃんの分おれがやっといたるから!」と言って働いてくれた。
仕事が終わると、たまにマーシーは僕の木造アパートまでやってきて、朝からホワイトスネークを聴きながらマーシーのプロへの熱い思いを語ってくれたりした。
そして気が付けば二人で雑魚寝をしながらそのまま眠ってしまった・・・・。
今でも工場からの帰りに見た京都の朝の太陽が僕の脳裏に燦然と輝いている。

***********
後日、約束どおり僕は胸を躍らせてバハマへ行った。
アマチュアバンドのライブを観るのに、これほど心待ちしたバンドは無かった。
バハマに着いたら満員だった。
やはりテレビの力は大きいと思った。
シャラからメンバーを紹介してもらい、マーシーと初めて話をした。
ライブ直前と言うこともあってあまり会話らしい会話ではなかったけれど僕は満足だった。
マーシーの黒に近いような濃い口紅とアイラインが妖艶で小悪魔的でとても印象に残った。
他のメンバーも皆シャイな感じだった。
マンティスのライブはマーシーを中心にかなり完成されたライブだった。
歌を大事にしている曲作りだった。
マーシーの存在が他を圧倒していた。
マーシーの歌声はライブで聴いた方が断然伸びがあってクリアーだった。
僕の歌はどちらかと言うと楽器の一部と化していたけれど、マーシーの歌声がバンドをリードしていた。
歌詞の言葉一つ一つがクリアに発音されて、メロディーの細部にまで丁寧に歌う姿勢が新鮮だった。
そしてコーラスのハーモニーもバンド機動力として十分に発揮されていた。
すべてが完璧とは言わないまでも、ロックバンドの本質を丁寧に抑えた、大人の成熟したロックバンドの風格があった。
(こいつらは本物やな・・・)
僕は本来バンドのあるべき姿と言うものを思い知った気がした。
マーシーのパフォーマンスからは学ぶべきことが多かった。
歌を丁寧に歌うという当たり前のことに気が付いたのは収穫が大きかった。
マーシーはある意味、日本語で歌うハードロックシンガーの理想的な姿をその時点で最早完成させていた、と言っても過言では無い。
僕はマーシーの魅力に心底惚れた、マーシーのロックヴォーカリストとしてのスター性に憧れを抱いたと言っても良い、この男と一緒にバンドをしたいとすら思った。
敢えて断っておくが僕は「ホモ」ではありませんから・・・。(笑)
マーシーがアースシェイカーに入って、僕がマーシーの後ろでベースに徹しても良いなぁーと妄想すら抱いたほどだった。
僕はマンティスの登場までアースシェイカーは大阪では無敵だと思っていた。
少なくとも、僕より歌の上手い人はいても、ハードロックヴォーカリストで脅威を感じるような人はいなかった。
それが今や目の前にマーシーと言う非凡で稀有なシンガーが現れたのだ、完全な敗北感を僕は感じたのだ。
マーシーと言う根っからのロック兄ちゃんが僕に与えた衝撃は計り知れなかった。
マンティスのライブが終わった。
その後、残念ながら僕はマンティスのライブを観ることは2度と無かった。
その代り、アースシェイカーで歌うマーシーを客席から観ることになるのだが・・・
マンティスの登場と共にアースシェイカーの運命も大きく変わろうとしていたのだ、その話はもうちょっと後になるけれど。
「ライブ無茶良かったわ!」僕はあらためてマーシーに話しかけた。
「ほんまに?」マーシーの九州訛りの大阪弁が外タレと話しているような印象さえした。
「自分京都のどこに住んでんの?」
マーシーは京都の住んでいる場所を教えてくれたが今どこだったか記憶にない・・・。
「バンド以外なんかやってんの?」
「たまにロックバーで手伝いしてるねん、何かバイト無い?」マーシーが聞いてきた。
僕はその時やっていた大日本印刷のバイトを紹介した。
「おぉ!俺もそれやるわ!」マーシーは笑顔で答えた。
結局、数日後マーシーと一緒に夜勤の工場で働くことになった。
マーシーと同じ職場で働きながら夢を語り合った。
マーシーと一緒に夜食を食べ、朝風呂にも入った。(と思う)
マーシーは僕が夜勤になれていなくて眠そうにしていると「ニーちゃん休んどき、ニーちゃんの分おれがやっといたるから!」と言って働いてくれた。
仕事が終わると、たまにマーシーは僕の木造アパートまでやってきて、朝からホワイトスネークを聴きながらマーシーのプロへの熱い思いを語ってくれたりした。
そして気が付けば二人で雑魚寝をしながらそのまま眠ってしまった・・・・。
今でも工場からの帰りに見た京都の朝の太陽が僕の脳裏に燦然と輝いている。
時間が出来次第、「歴史物」再開します!!
歴史物もいよいよ第一期の佳境に入ってきました。
書いていても楽しいです!
お楽しみに!
ついでに、余裕があれば二井原ソロのライブにも応援に来てね♪
ヨロシク。
MINORU NIIHARA
"ROCK’N ROLL GYPSY" JAPAN TOUR 08
5月9日 (Fri) open/start 19:00/19:30
5月10日 (Sat) open/start 18:00/18:30
Venue;神楽坂( Kagurazaka )DIMENSION
Vo Minoru Niihara
Gtr 田川ヒロアキ( Hiroaki Tagawa)
Gtr 小畑秀光 (Hidemitsu Obata)
Bass 寺沢こういち (Kouichi Terasawa)
Dr ファンキー末吉(Funky sueyoshi)
B.V.飯田 泰生
B.V.佐名手 一成
B.V.稲田 尚士
Ticket;5000円 (ドリンク別)
Tickets are still available now!
歴史物もいよいよ第一期の佳境に入ってきました。
書いていても楽しいです!
お楽しみに!
ついでに、余裕があれば二井原ソロのライブにも応援に来てね♪
ヨロシク。
MINORU NIIHARA
"ROCK’N ROLL GYPSY" JAPAN TOUR 08
5月9日 (Fri) open/start 19:00/19:30
5月10日 (Sat) open/start 18:00/18:30
Venue;神楽坂( Kagurazaka )DIMENSION
Vo Minoru Niihara
Gtr 田川ヒロアキ( Hiroaki Tagawa)
Gtr 小畑秀光 (Hidemitsu Obata)
Bass 寺沢こういち (Kouichi Terasawa)
Dr ファンキー末吉(Funky sueyoshi)
B.V.飯田 泰生
B.V.佐名手 一成
B.V.稲田 尚士
Ticket;5000円 (ドリンク別)
Tickets are still available now!
LOUDNES情報
僕のブログを読んでいる方からメールを頂きました。
その方が『ひぐっつぁさん!ファイト!!』を立ち上げたそうです
ありがとう!
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京都にいた頃、バンド活動以外はバイトをやっていた。
フルーツパーラー、マクドナルドの清掃、電話ボックスの清掃、ビル掃除、八百屋さん・・
その中でもミュージシャン仲間に一番人気のあったのが「大日本印刷太秦工場」だった。
佛大軽音の先輩が見つけてきて瞬く間にミュージシャンに広まった。
夜八時から朝8時までの夜勤だった。
簡単な肉体労働だった。
何が良かったって、なんてたって日払い9000円だった.
仕事中に食事休憩があって夜食定食を食べ、その上工場内には大浴場があって入りたければ仕事後早朝に朝風呂入って汗を流せた、すべて当然無料。
一方シャラはいつの間にかバハマで働くようになっていて、バハマの厨房に入ったり、バーで飲み物を出したり、バンドの面倒を見たりしていた。
なかなか音楽の収入では食べていけないのが現実だった、まぁー当然だけどね!
「次のバンドの登場で~す!九州は福岡から来たバンドです!どーぞ!」
ある晩、アマチュアバンドが出られる音楽番組「ハロヤン」を観ていた。
ド派手な衣装がいかにもエアロスミス大好きですと言わんばかりのバンドが登場した。
(うわー!派手なバンドが出てきたでぇ~!)
僕はテレビに一人で突っ込んでいた。
大阪でも派手なコスチュームのバンドは沢山いたので衣装にはそんなに驚かなかったけれど、このバンドの持つ雰囲気は大阪の格好だけのバンドとは違う大人びた本格的なバンドの貫禄があった。
(九州のバンド?この番組って大阪ローカルちゃうんかいな?)
また一人で突っ込んだ。
九州と言えば僕の大好きな井上陽水やチューリップがいる。
所謂博多(めんたい)フォークのイメージが強かったけれど、このバンドは完璧にハードロックバンドだとコスチュームで分かった。
そのバンドのメンバーの中に背の小さな男がいた。
その背の小さな彼の衣装、顔のメーク、大きな口や唇、髪型、まるで小さくした和製スティーブンタイラーだった。
背は小さいけれど、この男の持つオーラはいかにも「この俺がこのバンドの顔だぜ!」と言わんばかりの輝きがあった。
「俺はロックスターだぜ」自信満々の彼のそのふてぶてしい態度に度肝を抜いた。
(恐らくこのスティーブンタイラーみたいな奴がヴォーカルなんやろな。こんな自信満々なヴォーカリストは大阪ではあまり見ないなぁ・・)
このバンドの演奏が始まった、僕はテレビに釘付けになった。
思った通り彼はヴォーカリストだった。
歌い方、マイクスタンド、動き、すべてがスティーブンタイラー丸出しであった。
(うわ~こいつ凄いなぁ!)
僕は心の中で歓声をあげた。
そして声も良く出ていて、彼はとても歌のうまいヴォーカリストだと思った。
(格好だけや無くて歌も無茶うまいやんけ!)
バンドのルックスは超ド派手だったけれど、演奏は堅実だったし、あまりハードでは無かったけれどとてもよく出来たキャッチーな曲にも好感を持った。
僕は一発でこのヴォーカリストの大ファンになった。
当時、大阪にはロックヴォーカリストで凄い存在感のある人が本当に少なかった。
唯一僕が凄いなと思ったのは神戸のプログレバンド「シェラザード」のヴォーカリスト五十嵐さんぐらいだった。
当時、五十嵐さんはポッキーと呼ばれていて彼の綺麗な高音はロックバンド仲間でも評判だった。
そしてポッキーさんはとても美しくて、少女マンガに出てくるような王子様ヴォーカリストだった。
そのバンドの演奏が終わった。
司会「いや~格好いいねぇ~!!!ではバンドの紹介をしてください」
メンバー「どーも今晩は!博多から来ました!マンティスで~す!よろしく!」
(うわ~こいつ博多弁でなまってるやん!)と大阪弁でなまっている僕はつぶやいた。
司会「メンバー自己紹介してください!」
メンバー「どーも、ベースの甲斐です。」
(なんやこいつ見た目は怖いけどシャイな喋り方やな・・)
メンバー「どーも、ヴォーカルのマーシーです!!」
(おぉ、マーシーっつうんか!)
マーシー「本格的にバンド活動するために九州から京都に出てきました!!これからがんばります!!マンティスをよろしく!!!!」
(あぁ~成る程、博多から出てきて今京都におるんか・・・要するに京都のバンドやな)
僕はこのバンドがハロヤンに出てきた理由が理解できた。
(そやけどなんで京都やねん・・・普通は本格的に活動するんやったら東京やろ・・・なんで京都やねん、変わったバンドやなぁ・・)
僕は多少疑問を持ったがこのバンドが好きになった。
厳密に言うとこのバンドのシンガーが好きになった、早くライブを観たいと思った。
数日後、バハマで働くシャラから電話があった。
「ニーちゃん、こんどなバハマでな目茶ええバンド出るで!!今度の日曜バハマおいでーや!!マンティス言う京都のバンドや!」
「マンティス???おぉ!!知ってるがな!!この前テレビで観たがな!!マーシーとか言うヴォーカルのおるバンドやろ?ヴォーカル目茶うまーて格好ええやろ??おぉ、絶対に観に行くわ!!」
僕のブログを読んでいる方からメールを頂きました。
その方が『ひぐっつぁさん!ファイト!!』を立ち上げたそうです
ありがとう!
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京都にいた頃、バンド活動以外はバイトをやっていた。
フルーツパーラー、マクドナルドの清掃、電話ボックスの清掃、ビル掃除、八百屋さん・・
その中でもミュージシャン仲間に一番人気のあったのが「大日本印刷太秦工場」だった。
佛大軽音の先輩が見つけてきて瞬く間にミュージシャンに広まった。
夜八時から朝8時までの夜勤だった。
簡単な肉体労働だった。
何が良かったって、なんてたって日払い9000円だった.
仕事中に食事休憩があって夜食定食を食べ、その上工場内には大浴場があって入りたければ仕事後早朝に朝風呂入って汗を流せた、すべて当然無料。
一方シャラはいつの間にかバハマで働くようになっていて、バハマの厨房に入ったり、バーで飲み物を出したり、バンドの面倒を見たりしていた。
なかなか音楽の収入では食べていけないのが現実だった、まぁー当然だけどね!
「次のバンドの登場で~す!九州は福岡から来たバンドです!どーぞ!」
ある晩、アマチュアバンドが出られる音楽番組「ハロヤン」を観ていた。
ド派手な衣装がいかにもエアロスミス大好きですと言わんばかりのバンドが登場した。
(うわー!派手なバンドが出てきたでぇ~!)
僕はテレビに一人で突っ込んでいた。
大阪でも派手なコスチュームのバンドは沢山いたので衣装にはそんなに驚かなかったけれど、このバンドの持つ雰囲気は大阪の格好だけのバンドとは違う大人びた本格的なバンドの貫禄があった。
(九州のバンド?この番組って大阪ローカルちゃうんかいな?)
また一人で突っ込んだ。
九州と言えば僕の大好きな井上陽水やチューリップがいる。
所謂博多(めんたい)フォークのイメージが強かったけれど、このバンドは完璧にハードロックバンドだとコスチュームで分かった。
そのバンドのメンバーの中に背の小さな男がいた。
その背の小さな彼の衣装、顔のメーク、大きな口や唇、髪型、まるで小さくした和製スティーブンタイラーだった。
背は小さいけれど、この男の持つオーラはいかにも「この俺がこのバンドの顔だぜ!」と言わんばかりの輝きがあった。
「俺はロックスターだぜ」自信満々の彼のそのふてぶてしい態度に度肝を抜いた。
(恐らくこのスティーブンタイラーみたいな奴がヴォーカルなんやろな。こんな自信満々なヴォーカリストは大阪ではあまり見ないなぁ・・)
このバンドの演奏が始まった、僕はテレビに釘付けになった。
思った通り彼はヴォーカリストだった。
歌い方、マイクスタンド、動き、すべてがスティーブンタイラー丸出しであった。
(うわ~こいつ凄いなぁ!)
僕は心の中で歓声をあげた。
そして声も良く出ていて、彼はとても歌のうまいヴォーカリストだと思った。
(格好だけや無くて歌も無茶うまいやんけ!)
バンドのルックスは超ド派手だったけれど、演奏は堅実だったし、あまりハードでは無かったけれどとてもよく出来たキャッチーな曲にも好感を持った。
僕は一発でこのヴォーカリストの大ファンになった。
当時、大阪にはロックヴォーカリストで凄い存在感のある人が本当に少なかった。
唯一僕が凄いなと思ったのは神戸のプログレバンド「シェラザード」のヴォーカリスト五十嵐さんぐらいだった。
当時、五十嵐さんはポッキーと呼ばれていて彼の綺麗な高音はロックバンド仲間でも評判だった。
そしてポッキーさんはとても美しくて、少女マンガに出てくるような王子様ヴォーカリストだった。
そのバンドの演奏が終わった。
司会「いや~格好いいねぇ~!!!ではバンドの紹介をしてください」
メンバー「どーも今晩は!博多から来ました!マンティスで~す!よろしく!」
(うわ~こいつ博多弁でなまってるやん!)と大阪弁でなまっている僕はつぶやいた。
司会「メンバー自己紹介してください!」
メンバー「どーも、ベースの甲斐です。」
(なんやこいつ見た目は怖いけどシャイな喋り方やな・・)
メンバー「どーも、ヴォーカルのマーシーです!!」
(おぉ、マーシーっつうんか!)
マーシー「本格的にバンド活動するために九州から京都に出てきました!!これからがんばります!!マンティスをよろしく!!!!」
(あぁ~成る程、博多から出てきて今京都におるんか・・・要するに京都のバンドやな)
僕はこのバンドがハロヤンに出てきた理由が理解できた。
(そやけどなんで京都やねん・・・普通は本格的に活動するんやったら東京やろ・・・なんで京都やねん、変わったバンドやなぁ・・)
僕は多少疑問を持ったがこのバンドが好きになった。
厳密に言うとこのバンドのシンガーが好きになった、早くライブを観たいと思った。
数日後、バハマで働くシャラから電話があった。
「ニーちゃん、こんどなバハマでな目茶ええバンド出るで!!今度の日曜バハマおいでーや!!マンティス言う京都のバンドや!」
「マンティス???おぉ!!知ってるがな!!この前テレビで観たがな!!マーシーとか言うヴォーカルのおるバンドやろ?ヴォーカル目茶うまーて格好ええやろ??おぉ、絶対に観に行くわ!!」
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