昨日、モトリークルーとAC/DCの話題が出たついでに、もう一つモトリーとAC/DCの話題。
彼らのステージセットは凄まじいスケールの馬鹿でかいステージセットなのは皆さんもDVDなどでご存知かと思う。
その頃ラウドネスと一緒にツアーに出ていたスタッフの一人が僕に「あのステージセット、もし日本でやったら組み立てるだけで丸二日はかかる規模だよ」と教えてくれた。
そんな馬鹿でかいセットを彼らは半日で組み立てるのだ、半日だよ!!
まさに恐るべきプロフェショナル集団である。
実はあの大きなセット、搬出するときは極力分解せずステージセットそのままを数分割して、それを長ロングビッグサイズのトラックに入れて移動するのだ。
そのトラックの数たるや物凄かったぞ。
でその、モンスターステージセットをなんと3セットも持っていて、ツアー中は全米で同時に移動していたのである、この説明わかる?(笑
つまり、NYでライブあるとする、その同じ日に翌日の会場へ別のセットを運ぶトラックが移動して、もう一つ別のトラックはもうちょっと遠い会場へ移動している・・みたいな感じ。
総トラック数たるや軽~~~く3桁だろうな、多分。
なんかもうねぇ札束が舞ってたよ・・
楽屋のケイタリングから何から何までほんま超豪華だったし。
楽屋でほんまもんのシェフが料理してるんやで!!
本物のスパーロックスターが一晩で稼ぎ出すお金って天文学的数字なんやねぇ・・・。
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結局、アースシェイカーのヴォーカリストは見つからなかった。
僕は和製ゲディリー(RUSHのベース&ヴォーカル)を目指すことに決めた。
当然のこと、練習はDrのわったんの家でやることになっていたので練習のたびに神戸にある山の手の高級住宅地へ行った。
僕達は練習に励みバンドのサウンドを固めた。
ある日、Drのわったんが神戸のヤマハ楽器が主催するアマチュアバンドコンテスト「バンド合戦」に出ないかと提案した。
勿論、僕もシャラも異論があるはずも無かった。
アースシェイカーの当面の目標が決まった。
コンテスト当日が来た。
コンテストには2曲演奏できる。
僕達はスコ―ピオンズの”CATCH YOUR TRAIN”とヴァンへーレンの”ON FIRE”をやったような気がする。(あまり良く覚えていないけれど・・・)
すでに高校の文化祭などでライブの経験はあったので多少は落ち着いていた。
僕の記憶では演奏が崩壊するようなことも無く、まずまずの出来だったと思う。
その日のコンテスト審査委員にソーバッドレビューのギターリスト石田長生さんが来ていて、むしろそれで緊張した。
「ベースの人、ニ、二イハラ君って言うの?いや~自分、珍しい声してんなぁ・・ほんまおもろい声してんでぇ・・・」
大阪弁で「おもろい」と言うのは時にかなりのお褒めの言葉のときがある。
僕は石田さんのそのコメントが嬉しくって嬉しくって天にも昇る心境だった。
とは言うものの、バンドの評価は演奏が荒い、ベースのリズムが走っている、ドラムも走っているなど決して褒められたものではなかったけれど・・・。
コンテストの結果は一週間後だった。
発表は神戸ヤマハのコンテスト会場の入り口で行われた。
会場が神戸だったのでわったんがバンドを代表で結果発表を見に行ってくれた。
「にーちゃん、優勝したで!!」
わったんの声は電話口からでも分かるほどに嬉しそうだった!
アースシェイカーとしての初パフォーマンスは素晴らしい結果となった。
そのコンテストがきっかけとなり、神戸界隈で有名な音楽プロデューサーSさんの目に留まり、色々アドヴァイスをもらったり、その頃、関西でカリスマ的に人気のあったキッスのようなハードロックバンド「山水館」やプログレのカリスマ「シェラザード」なんかの大きなイヴェントの前座に起用してもらったりした。
ちょうどその頃、テレビでは「イカ天」のような番組「ハロヤンことハローヤング」と言うアマチュアバンドばかり出るテレビ番組があって、アースシェイカーでも虎視眈々と出演を夢みていた。
ハロヤンにはアマチュアバンドが主役なので下手なバンドも多かったけれど、凄いバンドも出ていた。
ある日の朝、シャラが血相変えて僕の教室に飛んできた。
「ニーちゃん昨日のハロヤン観たか?」
「おぉー観たがな~ディープパープルの”BURN”やってたバンドやろ?」と僕も興奮ぎみに話した。
「ギターの奴無茶うまかったなぁ、あれ完コピやったなぁ・・・」シャラの目はキラキラしていた。
「全員高校生や言うとったなぁ・・・凄いバンドやったなぁ・・。」二人でため息をついた。
確かに、あの日のゲスト審査員であったいつもニコニコ顔のかまやつひろしさんがそのディープパープルコピーバンドを見たとき、彼の目の色が変わっていた、驚いたような表情で目つきが厳しいプロの目になっていた。
そのバンド、ハロヤンに出て以来あっという間に大阪のアマチュアロックバンドの間では噂になり一躍有名になった。
その高校生ディープパープルのコピーバンドの名前は「LAZY」と言い、そのリッチーの完コピを披露した天才スーパー高校生ギターリストの名は「高崎晃」と言った。