2009年6月23日
以前、「片足のサーファー」という村上春樹の短編を読
んだときの読後感とおなじものを同氏の「レキシントン
の幽霊」という作品でも感じた。
その感じは一言でいうと、自分にもおなじ経験があった
かもしれないという感じである。
片足のサーファーという作品は、ハワイにいる片足のサ
ーファーの物語りだが、その本を読んだ次の日の夕方、
ロンドンの友人が事務所を訊ねてきて、オークラ・ホテ
ルのバーで軽い食事をした。友人がかって日本に住んで
いたころ小笠原諸島に魅せられ何度も通いすっかり小笠
原通になったという話を聞かせてくれた。ちょうどその
ころわたしも小笠原によく通っていたこともあり、青い
海、ジニーズビーチ、南島、ウミガメ、クジラ、恋人岬
に沈む夕陽、月の夜と話は尽きることなくはずんだが、
食事が終わった帰り際、友人が二見港の奥の住宅地に、
片足のサーファーが住んでいたが彼は今も小笠原にいる
のだろうかとつぶやき、わたしをびっくりさせたことが
あったから、この小編については特につよく記憶に残っ
ている。
レキシントンの幽霊は、主人公がボストンにいたときの
体験談である。この主人公は村上春樹氏である。アメリ
カで村上作品が翻訳され、雑誌に掲載され、それを読ん
だアメリカ人の読者が出版社にこの作家と会えないかと
連絡をしてきた。その人との話である。作家は自分の作
品を読んだ読者と簡単に会うことはしないのだが、読者
がジャズの名盤のコレクターであるということに興味を
持ち、また、おなじマサチューセッツの隣町に住んでい
るという気楽さもあり、読者を訊ね、その後親交を重ね
るのである。あるとき、読者(作品の中ではケーシーと
いう名)から、仕事でロンドンに行くので犬の世話をし
ながら1週間留守番をしてもらえないかとお願いされ、
住み心地の良い邸宅で過ごすことになるが、その初日の
夜中、誰もいないはずの階下のリビングでパーティーを
開いているような音が聞こえ、眠れない夜を過ごすとい
う体験がもとになって書かれた短編である。
二十二歳の頃。小石川の愛知県の学生寮をでて、友人の
Oと立川の米軍ハウスで共同生活をはじめたが、Oは結
成したバンド・ガロがすこし売れかかってきていて忙し
く、引っ越した日は荷物を運び込んですぐ地方へ仕事に
出かけていった。わたしはそれまでの6畳に二人で住ん
でいたせまい学生寮の部屋にくらべ、3LDK、30畳
もあるリビングに大きなキッチン、大きなバスルームと
格段におおきな家にひとり残された。なんとか自分の荷
物を片付け、ベッドを部屋に運び込み、初めての夜は一
人で寝た。あまりに広くてなんだか落ちつかずなかなか
寝られなかったが、それでも引っ越しの疲れもありいつ
しか眠ってしまったようだ。夜中に隣のリビングでドス
ン! と音がして目が覚めた。リビングに誰かいるよう
だった。ドスンとソファーに腰かけ、板の間の床をこつ
こつと靴音をさせ歩く気配も感じた。しばらくすると音
は聞こえなくなってまた眠りに落ちると、今度はキッチ
ンにある勝手口をコンコンとノックする音が聞こえた。
今度こそ誰かがいるんだと起き上がりキッチンの勝手口
をあけると、大きな身体をしたりっぱな黒人の軍人がい
て、
「マーティンと言います。あなたが今度この部屋に越し
てきた人ですか」
といって消えていった。
わたしは、
「マイネーム イズ センジ・カスヤ」と答えたことは
よく覚えている。なにしろ夢で英語を喋ったのはこれが
はじめてのことだった。
朝、目が覚めると昨日の夜中のことが本当にあったこと
か夢の中のできごとであったのかよくわからなかった。
コーヒーを沸かし、庭の椅子に腰かけ飲んでいるとさっ
そく大家があいさつにやってきて、家賃はいつ集金にき
ますから現金で用意してくださいという話のついでに、
米屋は、魚屋は、八百屋はここにある、酒屋は連絡すれ
ば持ってきてくれるなどと生活の知恵をさずけてくれた。
夕べのことが気になっていたので、
「この部屋には以前誰が住んでいたんですか?」
と聞くと、
「マーティンという将校が住んでいました。マーティン
はベトナムに行きましたが、戦死したと聞いてます」
と答えた。実は夢の中にその人があらわれ挨拶をしまし
たというと、日本が大好きな人でしたから魂がもどって
きたのでしょう。きっとあなたたちが住むことを気に入
ってくれたのでしょうといって大家は帰っていった。
レキシントンの幽霊達は1回だけしかパーティーをしな
かったが、マーティンは何度も我が家を訪れた。たいが
いはOがいないわたし1人のときで、夜中にだれもいな
いリビングのソファーに座ったりキッチンでなにかやっ
ていた。ただ初日以外は顔を合わせたことはない。音だ
けが聞こえるのである。はじめのうちこそ気味が悪かっ
たが、そのうちに慣れてしまった。しばらくやってこな
いと、あいつはどうしてるのかななどと思うようにもな
った。つき合ってみると(?)マーティンは悪戯すきな
幽霊だとわかった。キッチンで音がした翌朝、ナイフが
なくなっている。どこをさがしてもない。ようやく、廊
下の突き当たりにある靴箱のなかにあるのを見つけたが、
はさみやシャンプーやタオルなど物がなくなるときまっ
て靴箱に隠されていた。Oが叫ぶ。
「カスヤー。昨日買ってきてここにおいてあったギター
弦知らない?」
「靴箱の中さがしたのかァ」
てな調子だった。
村上春樹は同世代(年は村上氏が先輩)で、或る時代が
若者の心におなじ心象風景をもたらしたんじゃないかと
も思える。2つの作品がおなじ読後感だったというのは、
そういうことなんだろうかと思う。