2008年6月25日
先日、友人のK・N氏のアトリエを訪ねた。このアトリ
エはミッドタウンからほど近い赤坂小学校の坂を上がっ
たあたりにある。彼の初めてのアトリエがたしか六本木
のはずれで、アトリエの場所はいくつかかわったが、た
いがいは六本木界隈である。
訪ねた理由は特にあったわけではない。たまたま彼とア
ルバムのジャケットの話をしていて、
「昔のアルバムジャケットはすばらしい作品がおおかっ
たね」
「音楽好きはジャケットでビジュアルのセンスも勉強で
きたものでしたよね」
「キングクリムゾンのあのデカ顔のジャケットは凄かっ
た。あのジャケットでアルバム買ったといって過言じ
ゃないね」
「ヒプノシスの一連もグー!」
などとエドはるみまで飛び出して、カスヤさんジャケッ
ト集を見ながら一杯やりませんか、アトリエに来てもら
えばアルバムジャケット集がたくさんありますから、と
アトリエを訪ねたのである。
ブラインド・フェースのこのジャケットは、当時、幼児
ポルノだとされイギリスで発売禁止になったが、日本で
はそんな法律が無く、平気で売られてましたね、などと
話すうちにいつしか話題は歌舞伎になった。
(飲んでいるから話題は一定しないのである)。
一緒にアトリエを訪ねたTヤンが、シネマ歌舞伎の
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」
の話をしてくれた。
この演目は有吉佐和子さんが1972年に文学座のため
に書き下ろした脚本で、杉村春子の主演であたり芝居と
なり、再演再々演と公演をかさねた。その後、坂東玉三
郎が歌舞伎にとりいれ、その上演回数は225回を越え、
今や玉三郎の当たり役でもあると。
もちろんそんなことさえ知らなかったので、すすめられ
るままに今日銀座の東劇で観てきたのである。
東劇で歌舞伎? 不思議に思われる人もいるだろうが、
これは映画である。歌舞伎座や新橋演舞場を有する松竹
は、シネマ歌舞伎にも力を入れていて、いろいろな歌舞
伎を映画にしているが、予告編では中村勘三郎主演で江
戸人情話、「文七元結」を山田洋次監督で制作中、今秋
全国ロードショウと紹介していた。
さて、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の舞台は横浜。
時は幕末。1859年(安政5年)の幕府とアメリカの
横浜開港条約に伴い、吉原を模して作られた横浜の遊郭
の花魁亀遊と芸者お園の物語である。
有吉さんの主旨がどのあたりにあったのかはわからない
が、この舞台はまるで歌舞伎という演芸の成り立ちその
ものであった。
詳しくは知らないが室町時代に出現した能・狂言という
演芸から歌舞伎は枝分かれしたのであるが、能や狂言が
時事ネタをとりいれた幽玄の世界や喜劇の世界であるの
に比べ、時事ネタ一辺倒、世間の喝采の向こうを張る一
辺倒の芝居が歌舞伎である。
一時、浅野内匠頭の刃傷松の廊下事件に興味を持って、
忠臣蔵、赤穂浪士ものを勉強したことがあるが、この内
匠頭の家来だった赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起こ
った数ヶ月後には「仮名手本忠臣蔵」と題された芝居が
歌舞伎にかかったと知ったが、まあ、世間の喝采を受け
た事件をすばやくとりいれるのが歌舞伎である。
さて、この映画の花魁亀遊は同じ遊郭で働く男と道なら
ぬ恋に落ち、その男の前で客をとらなければならないハ
メになり、喉をかっ切って死ぬ。たまたまその客という
のが通商条約で横浜にいたアメリカ人で、尊皇攘夷思想
の吹き荒れる時代を背景に、花魁は異人に身体を売るな
ら死を選んだ攘夷の女と奉りあげられていく。死の真相
を知っている芸者お園:坂東玉三郎の狂言回しで攘夷列
伝の志として亀遊は名を残していくのである。
時事ネタを見事にとりこんできた歌舞伎という演芸の本
質と亀遊の奉りあげられかたがまったく一緒なのである。
有吉佐和子さんがその辺をどこまで意識していたのか今
は知るよしもない。が、詳しくは何も知らないわたくし
の独断と偏見に満ちた感想はそうであった。
しかし。坂東玉三郎があれだけ演技の上手い役者だとは
まったく知らなかった。また、御法度の遊郭の恋を隠し
通しひたすら時代の烈女に仕立て上げる側にまわる遊郭
の亭主:中村勘三郎と芸者御園:玉三郎の掛け合い漫才
のようなふたり芝居も圧巻であった。恐るべし歌舞伎役
者である。
参考までに、このシネマ歌舞伎には、
坂東玉三郎。
中村勘三郎。
中村獅童。
市川海老蔵。
中村勘太郎。
中村七之助。
中村橋之助。
板東三津五郎。
市川右近。
などの今をときめくそうそうたる役者が出演している。
また、玉三郎主演映画ということで、わたしの他は観客
はおばちゃんばかりであった。
また、歌舞伎ムード一色ということで、歌舞伎座や新橋
演舞場よろしく1部と2部の幕間には幕の内べんとうを
つかっている客も多かった。