2008年1月23日
1月の初旬に韓国ソウルを訪れた時、ソウルは雪だった。
2000年2月14日。映画サムライ・フィクションの
韓国の公開に合わせ、初めて訪れたソウルは快晴だった
が身を切るような極寒で、歩いているだけでつま先から
冷えが駆け上がってきた。
「シベリアと陸続きだからな・・・」
「土は熱伝導率がとても悪く、いったん冷えると少々日
が照ってもいつまでも温まらないんです」
などと通訳のYJさんと会話し、足の痛さをこらえなが
ら歩いたものだったが、そのときいくら寒くてもソウル
では雪はめったに降らないと聞いた。
今回、金浦空港に向かえに出てくれたキム君も、ソウル
で雪なんてホントに珍しいデスと言っているから、ソウ
ルに同行した、O氏、KM氏、T氏と誰が「雪男」なん
だろうと話し合ったものだった。私じゃないですよとい
うのがそれぞれの主張だった。
その1週間後の1月の17日。北京空港に降り立ってみ
れば北京は雪だった。降雨量が少なく乾燥した北京も冬
になれば雪も珍しいことではないが、それも10年も前
まではのことで、温暖化の影響なのかここ数年はめった
に雪は降らないという。北京で顔を合わせたのはソウル
でも一緒だったT氏。
「こりゃ。カスヤさんが雪男ですね」
と自分のことはさておきT氏は言う。
野外でのコンサートやイベントで雨に祟られることのお
おい日本では「雨男」という言い方がある。
「誰々の夏のイベントは大雨でした」
「スタッフにAがいなかったか?」
「いたと思います」
「あいつは雨男だからなあ。百発百中必ず雨が降る」
などという伝説の男がいるが、乾燥気候の北京では、そ
う言った迷惑をかけてしまうという意味での雨男という
言い方はないのかもしれない。故宮の南に天壇公園があ
り、北に地壇公園があるが、その公園は皇帝が即位した
ときに、天命を受けての即位であると宣言をする場所で
ある。そして即位した皇帝が天に祈りを捧げるために使
われる場所でもあるから、農作物の豊穣の祈祷=乾燥地
帯に雨を降らせるという雨乞いの儀式もここで行われた
と想像する。であれば雨男という男がいるとすれば、そ
れは一般人ではなく皇帝であったろう。そんな北京であ
るから、雪男と言われても北京人には雪を連れてきた男
ではなく、想像するのはヒマラヤのイエティーなんだろ
う。お銀は
「なんでカスヤさんが雪男なんですかァ・・?」
と寒さ対策で着ぶくれたわたしをじろじろと眺め言った。
22日に日本に帰国すると翌日は東京も雪になった。北
京では、いや俺じゃないよT君かもしれんよ雪男は、と
言っておいたが、これで雪男は私であることが判明した。
さて、建国門街に面したフランス系ホテル・ソフィテル
の16階の部屋の窓から建国門街を見下ろす。天安門広
場につながるこの大通りは片側4車線の外側にグリーン
ベルトがついていて、そのまた外側に2車線の車道があ
るという合計6車線の広い道路である。車はゆっくりと
進んでいく。右に左に車は車線を変え広い道路を進むが
方向指示器をださずに車線を変える車の方が圧倒的にお
おい。グリーンベルトにはバス停がある。地下鉄の整備
がすすんでいない北京では庶民の足といえばバスで、バ
スは次から次へと運行している。朝夕の大ラッシュアワ
ーの渋滞は北京名物と言われるくらいの想像を絶する大
渋滞であるが、渋滞していないときはこの大通りを車は
気持ちよさそうにスイスイと流れている。道路に関する
都市計画は日本より遙かに進んでいるといえるだろう。
都市のど真ん中を中心に6車線の環状道路が整備されて
いる街なんて日本ではみたことがないのだから。しかも、
この6車線の環状線は故宮を中心に2環、3環、4環と
3本あり、どの道も一般道とは立体交差し、一般道へは
側道を利用して出入りする仕組みになっているから信号
はひとつもなく、まるで高速道路のようである。
ちなみに、どこの国にもスピード狂はいるもので、1周
約40キロの2環の一周記録が13分(平均時速185
キロ)で、まだその記録は破られていないそうである。
くわしいことは不明だが、その名誉ある2環13分野郎
の車はフェラーリやポルシェではなく、どこにでもある
普通の乗用車だったと言われている。
今回の在北京は、木曜日、金曜日、土曜日に打ち合わせ
が集中し、日曜日はオフで月曜日は予備日となっていて
後半はゆっくりすることができた。怪人Tは、万里の長
城を見ずば男とは言えないと毛沢東も言ってますから、
万里の長城まで足をのばしましょうと進めるが、この寒
い最中に山の上まで行って寒風にさらされるのはかなわ
ない、いや寒風どころではないだろう、この様子じゃ山
は吹雪となっているかもしれんと丁寧にご遠慮もうしあ
げると、それではと市内の西の方にあるガラクタ市場に
連れて行ってくれた。
寺の境内にその市場はあり、あちこちにガラクタが並べ
られている。東京の下町・富岡八幡宮では毎月の隔週の
日曜日に骨董市が開かれていて、市の様子は此の地彼の
地問わず同じようなものであるが、ちがうのは店を開い
ている人々にまるでやる気がないことである。だいたい
品揃えがあまりにもガラクタすぎてまともな物などひと
つもない。古い時計ではなく壊れた腕時計。どこでこん
なもん拾ってきたんだとおぼしきホウロウの汚い洗面器。
誇りで溝が埋まってしまっている古いレコード。たぶん
この店主の家の子供が小さい頃に使ったのだろうと思わ
れる絵日記帳。
まあ、気を入れて売るものなどありませーん、10円で
売れればめっけもんでーすってな顔で店番をしている。
それでも店番をしているのならまだましなのである。陶
器を売っている店先では、店主が隣のガラクタ店の親父
と縁台を広げ中国将棋に夢中になっていて、
「これはいくらなんだい?」
と聞いても、声をかけるな邪魔せんといてくれといわん
ばかりの顔つきでこちらを見るばかりで、この欠けた茶
わんがいくらするのかいつまでたってもわからない。店
の中では一番目立つところにさも高そうに鎮座させてい
るから、きっと、
「そうでんなァ、これは唐代のものでやんしてね。欠け
ているとはいえまともであれば40万円はくだらない。
欲しけりゃ5千円で分けてやるよ」
などと言うだろうなと思った通り、将棋のひと勝負がつ
くとどうやら勝ったようで、ヒャオー!などと奇声を発
し万歳をしながら茶わんを手に持つ私に近づいてきた店
主は、
「これは高いよ。なにしろ唐代の茶わんだからな、俺は
売りたくないんだよ、宝物だからね、ま、5千円なら
売ってもいいがな」
と思った通りのことを言った。
唐代の骨董品を欲しい分けじゃないんだよオッサン。
この欠けたところが煙草の置き口になりそうだから灰皿
として使ったらおもしろかろうと思ったまでよ、5千円
じゃ買わない、出せて50円だね、それでも高いくらい
だと言うと、親父は私の手から茶わんをひったくっても
との場所に置き戻した。
たいがいこういったガラクタ屋は、いらないと言うと、
じゃあいくらなら買うんだねとしつこく後を追いかけて
くるものなのだが、この親父だけでなくどの店の親父も
女店主も言い値で買わないとわかればそれっきりという
やる気の無さであった。定価でしか売らないというガラ
クタ市を初めて見た。
しかし割れた茶わんのちいさな欠片が段ボール一箱15
0円で売られていたが、いったい誰が買うんだろうか。
いやその前に商品として成立すると思っているんだろう
か。そんなゴミのような物ばかりがならんでいるガラク
タ市だった。
だがこのガラクタ市には驚くことに見るべき物があった
のである。こわれた拳銃や錆び付いた銃弾やソ連製の小
型バズーカ砲のような銃器(もちろんすべて壊れている)、
戦闘用のヘルメットなど、ようするに軍の放出品をあつ
かっている店先に、中国解放軍のパイロットの皮のユニ
フォームが売られていた。見るからにぶ厚そうなその革
のパンツはいかにも温かそうで、粉雪の舞う−5度の北
京の屋外の市場に立って風にさらされているわたしにと
っていかにも魅力的だった。高いことを言うんだろーな
と思ったが、いくらだと聞くと8千円と言うではないか。
8千円は高くないかもしれない・・・。
安くするなら買てみようじゃないかとお銀を交渉役にし
て2千円と言わせると6千円!と値を下げるではないか。
やっとやる気のある奴に出会い、値段交渉で物を手に入
れるという本来のガラクタ市気分が面白くなって値切り
倒して3千円で買った。
お銀はなんでこんな物を3千円もだして買うんだという
顔をしていたが、ホテルに帰って履いてみると店の兄ち
ゃんのいうとおりぴったりのサイズで、しかもちょっと
カッコイイではないか。
高度数千メーターの上空を飛行する戦闘機には冷暖房な
ど完備されていないだろうからパイロット服は寒さに耐
えられる物でなくてはならない。この革パンツは耐寒性
抜群でホカロンを10個入れてもこれほど温かくはない
だろうと思われるほど温かった。これ10枚買っていっ
て東京でひとつ5万円で売っても売れるかもしれません
ぜという声が聞こえるようであった。