2007年4月19日
那覇市内には、50人とか100人を収容するちいさな
ライブハウスはある。また、一気に1000人を収容で
きるライブハウスもあったが、そこはライブハウスと云
うよりも、元ディスコであった場所をライブ会場として
も使えるというただだだっ広いだけの場所で、ライブを
やるには適しているとはいえなかった。しかも、照明や
音響設備もなく経費も掛かるので採算性に乏しく、10
00人の客を集められるなら、古い会場だけど那覇市民
会館でコンサートをやる方が経済的には利口である。
しかし、最近の若いバンドは市民会館などの大ホールで
演奏をすることを嫌っている連中が多い。沖縄から出現
した若きスーパーバンド「モンゴル800」も、ライブ
ハウスバンドと自称していて、客席がある県民会館や市
民会館でコンサートをしたがらない。解散してしまった
がイエロー・モンキーもそうだった。ハイスタンダード
もそうだった。若いバンドは、スタンディング・ライブ
で客との一体感を感じるそこにカッコよさを求める傾向
が強い。そんな現状の中、ちゃんとライブができ、30
0人ほどを収容するライブハウスが待ち望まれて久しか
った。4月13日にオープンしたライブハウス「桜坂セ
ントラル」は300人ほど収容できるライブハウスであ
る。
13日当日の5時から行われたレセプション・パーティ
ーには地元の方々が多く参加していた。普通、新装開店
のライブハウスのお披露目会には、レコード会社のディ
レクターやプロダクションのマネージャーやコンサート
イベンターやらが大勢顔を出し、会場は音楽関係者でご
った返すものだが、このパーティーは様子が違っていた。
パーティーに参加した地元の方々というのは、桜坂の町
内会会長さんとか応援をしてくれたオリオンビールの社
長さんとかこのあたり一帯の地面の地権者の方とか、そ
ういった人々である。いわゆる音楽関係者ではなかった。
なぜそういった方々がレセプションに参加しているのか
という理由はN君の説明によると、このようなことであ
った。
まず、ライブハウスの前の道が、混雑する国際通りから
の抜け道になっていて、ひっきりなしに車が通行してい
るが、その道自体は狭い道である。また、ライブハウス
のその先には大きな駐車場もあり車の流れが途切れない。
ご存じのようにライブハウスの終演後は一気に300人
が外にはき出され、ドカドカと出て来きた人でライブハ
ウスの前の道は人だかりで凄いことになる。そしてそこ
は車がひっきりなしに通る狭い道である。
「道に立ち止まらないでくださーい」
「車が通ります。道をあけてくださーい」
と、係員が開演前や終演後のお客さんに大声で叫ぶのは、
渋谷でも下北沢でもライブハウスのお馴染みの光景であ
る。桜坂でも、若者があふれるのは大歓迎だが交通事故
はあってはならない。その対策に協力してくれるのが地
元の人々である。
また、ドアの開け閉めで当然ライブの大音量がもれるこ
ともあるだろう。音がもれたりすれば近所迷惑である。
桜坂があたらしいライヴハウスの開店で、かってのよう
に若者があふれ再発展するのは町内としても大歓迎だが、
いずれにしても町内の自治を壊すことなく保たなければ
ならない。それには町内の自治を担当している人々の協
力が不可欠である。そこで地元の皆様に理解をいただこ
うとその方々を招待し、名士であるオリオンビールの社
長からも「おめでとう」とご挨拶いただき、町内会会長
さんは「桜坂の発展のために皆で協力しよう」と地元の
方々に呼びかけるのであった。
その日は、暑い1日であったのでサービスが効き過ぎて
いてクーラーが唸りを上げてフル回転していたものだか
ら、クーラーの冷気が苦手な僕は会場の中は寒くて長い
こといられなかった。N君自慢のD社のエアコンが僕を
外に押し出したと云うわけだ。寒さで押し出されたのは
僕だけでなく同行のK氏も押しだされてきた。ライブハ
ウスには後でもどることにして、寒さしのぎにとK氏と
連れだって、ディープな桜坂の探検にでることにした。
路地を歩くと「会員制」とプレートがドアにはられたバ
ーが何軒もあったが、それはオカマバーだった。
路地のさらに奥の細路地を行くと、ふいに暗がりからお
ばちゃんが出てきて「にいちゃん。遊んで云ってよ」
と、声をかけてきた。「いやーいいです。又今度来ます
から」と、その場を足早に通り過ぎる自分たちがなんだ
か初心に見えたな。まあ、そんなセリフでおばちゃんに
からかわれもした。
ピンク色にセンターと白で書かれた看板の店は、そのお
ばちゃん達に訊いても、何屋か知れなかった。
路地奥からジミヘンが流れている店があったので、寒さ
がやわらいだ僕らは、冷たいビールでも飲もうとその店
に入った。5坪ほどの暗い店内の照明は赤く、おまけに
妙な感じで布が天上から垂れ下がっていて、壁にはゲバ
ラやジミヘンのポスターがはってあったりと、いかにも
危なそうな雰囲気であったが、ただそうとしか見えなか
っただけで、気の良い優男といえる若者がやっている店
だった。
「いらっしゃーい。あれ?初めてですよね?」
「初めて初めて。大丈夫?冷たいもの飲ましてくれる?」
「イチゲンさんは怖がって入って来れないんですよ。お
客さん達よく入ってきましたねえ。ハハハハハ」
「いちおう僕たち、桜坂探検隊なんで・・・」
と名乗り、オリオンの冷たいところを一気に咽に流し込
み、聞くともなく訊ねるうちに、その店の家賃は激安の
月3万円であること。夜の10時くらいに店を開け、閉
めるのはたいがい明るくなってからであること。ワタシ
がこんな感じだからオカマバーにまちがえられるけどそ
うじゃないこと。地元や内地から来た映画関係者や役者
や脚本家を目指す若者が客であること。だからどんな酒
も一杯500円であること。マスターの若者はウチナン
チューではなく内地の福岡から来たこと。店はたいがい
客はいないことが多いがなんとか6年やってこられたこ
と。この界隈一帯のこと。
などなど探検隊としては一定の成果はあったようだ。
ライブハウス「桜坂セントラル」にもどり、ライブを観
て、ライブ終了後にN君に招待のお礼を申し上げた。つ
いでに、その暗いジミヘンバーは使えるかも知れないと
探検の成果の一端をお伝えし、ライブハウスを辞して、
昨日の焼酎・泡盛専門バー「高山」を再訪。
森伊蔵や百年の孤独などの値段の高い焼酎も当たり前に
取りそろえてあるが、この店の一番値段の高い酒は20
年ほど前に倒産してしまった那覇の酒造製の泡盛の最後
の一本で、一杯3万円でありますと聞いて目玉が飛び出
てしまった。K氏もO君も「高山」名物卵ごはん(卵ぶ
っかけごはん)を食いながら、目玉を飛び出させていた。
その後、しばらく、K氏とO君と沖縄のM君とわたくし
の4人で、焼酎&泡盛をなめつつ、桜坂セントラルにつ
いて話した。また、明日沖縄市で予定されている会議に
ついての下打ち合わせを真面目にやった。
「高山」を出て、タクシーをつかまえ、わたくしは真面
目にホテルに戻った。K氏と0君とM君の3人は真面目
に繁華街の裏通りに消えていった。