2008年11月19日
東大寺コンサートから1ヶ月過ぎて舞台監督のチャーリ
ーとやっとスケデュールが合い、お疲れさんの飯会をし
た。
チャーリーは頭を丸めた丸坊主で、チャーリーのセカン
ドをやってくれたCAZも丸坊主で、CAZのセカンド
をやってくれたS藤もこれまた丸坊主で、舞台制作監督
チーム3人衆いずれも丸坊主という東大寺ライブには見
た目にもふさわしいチームであった。舞台チームの頭と
いうことで、東大寺のお坊さんには内緒でチャーリーを
大僧正と呼んであげましたが、この3人がよくスタッフ
をまとめあげコンサートを成功に導いてくれたのである。
コンサートが終わった翌週。お疲れさん会をやりたいが
日程を調整してくれとこの3人にメールすると、チャー
リーもCAZもS藤もそれぞれの現場に戻り年末までい
っぱいいっぱいでどうにもこうにも3人揃いませんとい
う返事が来た。サブプライム問題から発生した世界同時
株安大不況の嵐が吹き荒れる中、いそがしいことはいい
こっちゃ。とにかく時間があれば連絡くれとなって、や
っと昨夜のお疲れさんとなったのである。
聞いてみるとチャーリーはTHE WHOの舞台監督を
やっていて、昨夜は布袋さんと武道館でお逢いしました
とのことだった。その時の武道館での様子は布袋ブログ
に写真入りでくわしいので是非そちらを覗いてみてくだ
さい。
で、そのブログにも書いてあったが、キース・ムーン亡
き後のTHE WHOのドラムはリンゴ・スターの息子
のザック・スターキーが加わっていて、その名前もなつ
かしかった。
ロンドンのオフアビーロードのマルボロストリートにあ
ったアレベラコートというフラット(貸しマンション)
が僕らの定宿だった。4階建てのその建物は3つのエレ
ベーターを持ち、建物の一番左側のエレベーターを4階
まで登ると、左右にルーム30,ルーム31と呼ばれる
部屋があり、その両方の部屋を借りてミュージシャン・
スタッフが一緒になって共同生活をしながらレコーディ
ングをしたものだった。4階まで上がればエレベーター
ホールはふたつの部屋専用スペースだったから、全員が
外出するとき以外はそれぞれの部屋には鍵が掛かってな
く、仲間やロンドンに住む友人達がいつもどちらかの部
屋に集まり、集まれば部屋を行き来しながらわいわいと
夜遅くまで飲んで騒いだ。
ルーム30・31にはミュージシャンも来れば楽器屋も
出入りし、テレビ局のプロデューサーがガールフレンド
達を連れてくれば新聞記者も来たし、スタジオエンジニ
アー、カメラマン、アートディレクター、大工も来た。
大工はだれの知り合いだっけか・まあそれはいいとして
も2ヶ月にも及ぶこの合宿生活の毎晩のドンチャン騒ぎ
でわたしはイギリスやイギリス人や英語を覚えたといっ
ても過言ではない。人生でイフがあれば、もういちどこ
の時期に戻りたいと答えるだろう。
たまたま渡英していた吉川晃司なども顔を出していた。
このことがコンプレックスを結成していくことに繋がっ
ていくのだが、或るべーシストに連れられてきたのがザ
ックだった。ビートルズのリンゴ・スターの息子という
紹介にまず驚いた! が、ザックの友人も仲間も世紀の
大スターの子供という扱いでなく、ふつうに仲間として
つき合っていて、それがまったくただの友達とのつき合
いというスタイルで、特別なことはなにもなく、いつし
かわたしも互いによく知る仲間となっていった。
ただ、リンゴ・スターについては、レッド・ツェッペリ
ンのジョン・ボーンナムほどにはドラマー・ミュージシ
ャンとして評価していなかったから、ザックがドラムを
叩くとは聞いたがそんなに凄いミュージシャンだとはそ
の当時は思っていなかったが、ザックは父親のリンゴか
ら手ほどきを受けたのではなく、THE WHOのキー
ス・ムーンからドラムを習っていたとはずいぶん後にな
って知ったことである。
今夜は武道館でTHE WHOの最終公演がある。
1969年。ニューヨーク郊外のウッドストックで演奏
をしたあの伝説のロックバンド・THE WHOに逢い
に行くのだ。
早く陽が暮れないかなとわくわくしながら開演を待って
いる。THE WHOを聴きながら開演を待っている。