2013年3月末日
2月に母が無くなって、その葬儀の日の夕景をアップし
たままブログが放置されていたが、ずっと沈み込んでい
たわけではないのだが、正直通夜告別式と突然の儀式を
喪主として取り仕切った後は特に書きたいものがなかっ
た。
全くなかった訳じゃないのだが、それは変な名前やおか
しなデッサンだったりを「それは変だよ日本珍百計」的
アプローチでおもしろおかしく書こうというものだから、
おっかさんの旅立ちの日の夕景写真の次ぎにくるエント
リーとしてあまりにも不謹慎な気がして、書きたい事は
あったのだがしばらく放置したままになっていた。
3月のある日テレビを見ていたら森泉がでてきた。
ペットショップで売られていたトイプードルの子犬が病
気になって脊椎の手術をして命は助かったが神経が傷つ
き下半身不随になった。
ペットショップにいる子犬が前足だけで動いてるんだか
ら誰も買う人がいない。ショップの人たちはそれがかわ
いそうで店でその子を飼っているが、やはりその子はい
つもひとりぼっちだった。
そこに森泉が現れる。
その話を聞いて
「じゃあうちにくればいいじゃない」
とその子は森泉に引き取られていった。
その子が行った先の森泉の家には犬が何匹もいて猫が何
匹もいてオウムもインコも別の鳥もいては虫類もいてハ
ムスターもいて、まるで小動物園だった。
その障害犬トイプードルも皆に混じって一生懸命前足を
動かし後ろ足を引きずって走って一緒に遊んで、やっと
ひとりぼっちじゃなくなった。
でも、食事のときは3つの大きな器にドッグフードが盛
られて何匹もが群がって我先にと食べることになってい
て、トイプードルは足が悪いから我先にと行きたくても
行けず、いつも一番最後にしか飯を食えなかった。
それを見て森泉はその子に言う。
「速く走らなきゃだめだよ。ご飯たべられないよ」って。
俺はそれを見ていて俺だったらこうだろうなと思った。
「ダメダメダメ。おい皆んな。この子は足が悪いんだか
らご飯食べさせてやりな。おいおいおい。お前達はお
アズケ。ほらほらプードルちゃん先に食べなさい」
ってやるだろうなと思った。
でも森泉は違った。まったくどの犬にも贔屓しなかった。
障害のあるトイプードルをまったく元気な犬と同じに扱っ
ていたのだ。別の言い方で言えば差別していなかった。
トイプードルはその森流の生かされ方で足の悪いなりに強
く生きていく犬になっていったのである。
森泉は素人ながら、ここの背骨の傷の下から麻痺してんだ
よね。こうすると血液が通うんじゃないかなアって言って、
顔をマッサージするあの二股ローラーで背骨、後ろ足をコ
ロコロとマッサージしてやっていた。
ある日、注文した犬用の車いすが届いた。トピプードルは
嬉しがって前足だけでほかの犬達に負けないスピードで走
り回り、食事も一番先に食えるようになった。
番組の最後に森泉がそのトイプードルを抱えてスタジオに
登場した。その子は車いすでスタジを走り回っていたが、
「最近後ろ足が少し動くようになってきたの」
と森泉が言う。
車いすに乗ってると分かりにくいからと車いすを外すとト
イプードルは前足だけでうごうごとスタジオの中を歩いて
いたが止まると、いきなり後ろの足で立ち上がった。
もちろんそれは数秒のことで、また後ろ足はぺたんとなっ
て、動きはうごうごともとに戻ったと思ったその時、又、
立ち上がった。足に神経が通うようになってきていたのだ。
それを見て僕は胸の中にとても熱いものがわき上がり涙が
とまらなくなった。
人も動物もハンディーがあろうとなかろうと一人前に扱う
ことだけが肝心で、かわいそうなどという感傷的な同情で
は人も動物も生きていけないことを森泉に教えられた。
あの心持ち造りのクドイ顔立ちとテレビのトークが妙にひ
ょうきんでいまひとつ好きになれなかったが、今ではまっ
たく森泉ファンである。いや、彼女を尊敬している。