2009年12月18日
ひさびさに夫婦揃って神戸への旅。
旅といってもかみさんには友人を訪ねる小旅行だが、わ
たしは昔の業界符牒でいうところのビータ(旅の逆言い
回しで地方での仕事のこと)で、ちょうど神戸にでかけ
るので一緒にと連れだった。
1995年1月17日の早朝。まだ寝静まっていた居間
の電話が鳴った。電話口にでてみると函館の叔父さんだ
った。函館の叔父さんはかみさん方の親戚で、かみさん
はこどものころから可愛がってもらっているが、わたし
は日頃のつき合いはなかった。
「居たか。家にいるんだね。よかったー。いや安心した」
叔父さんは電話口で開口一番こういった。
「伯父さん。それがいったいどうしたんですか? こん
なに朝早くから」
わたしが家にいるいないで安心するということはなんの
ことだろう。電話の真意がまったくわからなかった。
「そうか。しらんか。テレビをつけてみなさい。NHK
がいいだろう」
テレビをつけると街が崩壊し至るところで火の手が上が
っている神戸の街が映し出された。
「なにがあったんですか?」
「大地震だ。神戸はほぼ壊滅した。何千人もの死者がで
るだろう。わしは年寄りだから早く起きるんでね。さ
っきこのニュースが飛び込んできてビックリしたんだ
が、君は仕事でよく地方にでかけると聞いていたから、
まさか、神戸にいるのじゃないなと心配で電話したん
だ。いやーよかった」
とこのようにして僕は阪神淡路大震災を知った。
あれから14年の年月が流れた。神戸の街は復興し電話
をくれた親切な叔父さんも鬼籍に入られ数年経つ。そん
なことを車内で話しながら神戸に向かった。
そういえば大震災の翌年に神戸に行ったときはポートア
イランドに仮設住宅がぎっしりと建てられてたねえ。
あの人達も今は平穏な日々が訪れているといいねえ。
とも話しながら、お茶を飲み駅弁を食った。東京駅で買
った鯛飯弁当が飯に鯛のうまみがしっかりと染みこんで
いてたいへんよろしい上に安いときている。新発売なの
か。この弁当ははじめて見たような気がする。
かみさんは、わたしは朝はそんなに食べられないからと
遠慮しながら一番高い弁当を買った。弁当箱の大きさも
鯛飯の倍ほどはある。
なんじゃそれは?
そんなに食べられないと言ったじゃないかい?
言う事とやることが違うんじゃないかい?
という顔で弁当とかみさんの顔を交互に眺めると、
お腹は空いてるの。
ご飯は沢山食べられないの。
これはご飯が少なくておかずがおおいからわたしには
ぴったり。
と言って美味そうに食べ始めた。
ここまで書いて夕方の打ち合わせが始まることになっ
てしまった。神戸の旅の続きは次回。