2009年11月9日
先週、岡山、広島を訪ね東京には二日ほどいて、また、
週末に東京駅から新幹線に乗り名古屋に向かった。旅行
中でちょうど名古屋にいた娘Uと駅で待ち合わせ、かみ
さんと3人で入院中のおふくろを見舞うために岡崎へ。
新幹線が浜名湖を通過した。秋の好天で湖は穏やかだっ
た。波に反射する太陽の光が新幹線に連れ、在来線の東
海道本線に連れ走っているのを見ながら子供の頃のこと
を思いだした。
子供の頃、親父に連れられ浜名湖で釣りをしたことがあ
った。ちいさな釣り船を湖にだし一日中釣り三昧をした
が、途中天気が悪くなり風が出て湖が荒れた。親父と一
緒に舟に乗っていた大人は舟の持ち主で、波と風を除け
るために、ちょうど車窓から見える東海道本線の鉄橋の
橋桁に避難したが揺れがひどく、転覆するんじゃないか
とあまりに心細かった。そのうちふなよいが始まった。
天気は回復しもとの穏やかな湖にもどり釣りは再開され
たが、子どものセンチャンは気持ちが悪く舟べりからな
んども吐いた。当時のおとなは豪儀なもので、こどもが
気持ち悪さで吐こうがおしっこがでそうだろうが、舟べ
りからやっとけ!てなものでありまして、可哀想だから
岸に上がろうかなどとは誰も言わなかった。釣り三昧の
一日を遊んだのは大人であって、わたしは一日中舟のう
えで転がっていた。親父は自分の大好きな釣りのおもし
ろさを教えてやろうというつもりだったのだろうが、エ
サのゴカイの臭さと釣れた魚のぬめぬめとした手触りの
気色悪さと魚臭さと舟酔いで、このとき以来魚釣りが大
嫌いになった。
しかし。親父と一緒にいたあの大人は誰だったのだろう。
岡崎の八丁味噌蔵に隣接する病院でおふくろにそのこと
を訊ねてみた。岡崎の山部に桜形という村があり、おふ
くろの母はそこの小久保家の8人兄弟の末娘として生ま
れ名古屋の平井家に嫁ぎおふくろが生まれたが、そのお
ふくろの母(わたしのお祖母さん)の一番上の姉が嫁い
だ先が浜名湖の加茂家で、わたしにとって浜名湖の家は
お祖母さんのお姉さんの家であり、親父にとっては伯母
さんの家であり、舟を浮かべていっしょに釣りをしてい
たおとなは親父のいとこだったのだと知った。
加茂家は浜名湖の漁業組合長の家で、浜松出身の相撲取
り天竜なども釣り遊びをするときには訪れたようで、そ
ういえばその家にはとてもおおきな座蒲団が玄関をあが
った客間に飾ってあったことをおぼえている。おふくろ
の若い頃は、その家に遊びにいくと漁師が集まってきて
は客間で一晩中花札で賭博をしていたものだったよとも
話してくれた。
今週の半ばに退院すると聞く。先生も看護師も入院前よ
りもずーと元気ですと嬉しい話をしてくれました。
翌、日曜日は岡崎市民祭りが開催されていて、五万石で
も岡崎様は城の前まで舟が着くよちょいなちょいな、と
歌に唄われた岡崎城の前の河川敷にはテントが張られ、
そこに出向かう人の車で渋滞していた。
同じ日に岡崎ではジャズストリートという音楽イベント
が開催されていて、市内の20会場でジャズライブが行
われていた。会場は岡崎城の能楽堂、由緒ある寺の本堂、
図書館の会議室、ホテルのティールーム、銀行の会議室、
町のあちこちにあるバー、喫茶店などさまざまで、有名
アーティストから無名のジャズミュージシャンまでいれ
ると合計100組のバンドが岡崎に集結しジャズライブ
をくりひろげていた。知り合いのジャズミュージシャン
が登場するというので、呉服屋のYとかみさんで実家の
近くの会場へでかけたが、そのカルテットの演奏のかっ
こよさにしびれた。バンド名を紹介しておこう。西村明
子カルテット。西村カルテットは熱海で活躍するジャズ
バンドで、月の第2第4土曜日に初川の酔いどれ亭でラ
イブをやっていて、その演奏のクールさに感心して、こ
の岡崎のジャズイベントを紹介したのだが、80席ほど
用意された会場は立ち見まででる盛況で、はじめのうち
こそ岡崎では無名バンドであるゆえ拍手もまばらだった
が、一曲毎に拍手が多くなり、途中からはサックスソロ、
ドラムソロ、ベースソロ、ピアノソロが終わる度に拍手
の嵐で、ツインボーカルも力強く、西村さんは来年も来
れると嬉しいですとMCをしていたが、すでにファンは
獲得したのじゃないだろうかとおもう。
ジャズを聴いた後、呉服屋のYとかみさんの3人で岡崎
の和菓子の老舗松月庵直行で抹茶と和菓子をいただいて
東京へ帰った。今回は紹介できなかったが、陣健一の元
で修行した中華料理店城北飯店の絶品の麻婆豆腐に舌鼓
を打って、元気なおふくろの顔を見て、クールなジャズ
に酔いしれ、和菓子を楽しみ、あまり見られない渋滞ま
で遭遇した故郷の小旅行になった。かみさんとならんで
車内で駅弁を食ったのも、まあ、微笑ましかったな。