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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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明日に向かって
2009年10月19日

布袋は今年の12月23日に発売予定の新アルバムの完
成に向けラストスパート。今井美樹は東京ミッドタウン
のビルボードカフェにてピアニストの倉田氏をむかえて
ピアノ&ボーカルの2人きりのライブと、わたしが企画
したこの秋の目玉企画でいそがしい毎日を送っていると
いうのに、わたしは1週間の休養の日々だった。以前か
ら悪かった左の目玉に10月9日にメスがはいり安静の
日々を過ごしていたのである。でも、ご心配をいただく
ことはありません。手術そのものは簡単なもので経過も
順調。当初、1週間から10日間の安静入院という担当
医の見積もりも5日間で娑婆にでて参りました次第です。
とはいえ、まだ、強い光りと暗い部分が混在する環境=
夕方以降、夜間は、明るい光りはよりまぶしく暗い闇は
より暗く見えるものですから、朝日とともに起き夕陽と
ともにねぐらに帰るという鳥のような生活であります。
いっそ退社するときは、カアーカアーとカラスが鳴くか
らかーえろっと鳴きマネをしながらお先に失礼をさせて
いただいております。なんてね。

そんな今日このごろ。訃報が3つ飛び込んできた。
1つは以前住んでいたマンションの知人の奥方が亡くな
ったという知らせです。この人は小柄な人で、小柄な人
にありがちなきびきびとした動きと行動力が魅力な女性
でした。子供達が小学校へ通う道筋にマンションが建設
されることになった。朝から晩までダンプカーがひっき
りなしに通行する。特に朝夕の仕事始めと仕事終わりは
争うようにダンプカーが現場に出入りする。
「危ないじゃないか!」
と誰しも声は上げるがただただ工事が進行するのを見守
る他なしというような状況に大活躍をしてくれるのです。
建設会社と掛け合い、通学時間のダンプカーの通行規制
をとりつけ、そのスケデュールを警察に届けさせ、学校
のPTAや地元の町内会に働きかけ交通安全係のボラン
ティアを募集し、何十人ものミドリのおとうさんおかあ
さんを組織し、交通事故から子供達を守るなどというこ
とをかるがるとやってしまうのです。市井の社会運動家
ともいうべき元気な人でした。ですから、急逝されたと
聞いた時は嘘だろう!?? 人違いだろう? と思った
ものでしたが、ここ数年は腎蔵を病まれ、入退院をくり
返されていたということで、とても残念ですがお亡くな
りになってしまいました。享年51歳の若さでした。わ
たしたち夫婦には明るい笑顔しか思い出せません。
通夜葬儀は参列が叶わず弔電をお願いしているところに
加藤和彦さんが亡くなったというニュースが飛び込んで
きました。自殺と報道されています。友人の大野君に連
絡すると、大野君もこのニュースを聞き狼狽していまし
た。わたしは加藤さんと面識はあるものの友人としての
つき合いはありませんでしたが大野君はとても近い関係
にあり、かって加藤さんが住んでいた砧の家の後釜に彼
が住んでいたくらいでした。しかし、自殺という言葉か
ら一番遠い人だったと誰しも言いますが、62歳の男が
来間見た絶望の淵がどれだけ深いものだったのか想像も
つきませんが、その理由こそ違えど64歳で自ら命を絶
った芸術家伊丹十三の姿がダブるようです。
杉田二郎さんは、加藤さんと深いつき合いがあったのは
京都時代であり、それぞれが東京に出てきてからは年に
1度の京都仲間の会合で会うくらいだったが、京都時代
にいろいろなことが有りすぎてここ2日ほどは何も考え
られない、、、と憔悴気味でしたが、最後には、カスヤ
互いに元気で生きようなと声をかけてくれました。
立て続けの訃報に追い打ちをかけるように訃報が重なり
ました。今度は32歳の若者です。
数年前。北京にライブハウスを造ろうのと企画が立ち上
がり、乞われてその総合プロデューサーに就任しました。
その時は音楽制作者連盟の理事長を退任したばかりでし
た。理事長職はある種公務であり、以前のように自分の
都合で気軽に海外へと飛べるわけにはいかなったもので
すから、21世紀の世界をリードするだろう中国、その
エネルギーが集中するオリンピック直前の北京、を体験
するのもおのしろかろうと引きうけました。ライブハウ
スを造ってからの経営にタッチするつもりはありません
でしたが、設立準備委員会を立ち上げ委員長として何度
も北京を訪れるうちに、あまりにも歴史観、価値観が違
う中国という化け物がもつダイナミズムに引き込まれて
いきました。さて、ライブハウスにはサウンドプロデュ
ーサーが必要です。友人のKがPA会社を経営していま
すから、一人若い音響エンジニアーを紹介してくれと依
頼すると、おもしろい奴がいると紹介されたのが当時3
0歳になったばかりのKの息子のUでした。会ってみる
と目を輝かせてこちらの話を聞きます。オーストラリア、
ニューヨークでの海外留学の経験もあり英語は堪能です。
彼と仕事をすることにしました。音響エンジニアー、サ
ウンドプロデューサーとはいえ準備委員会スタッフとし
てやる仕事は、建築設計士とのハウスアコースティック
の計画、機材の見積もり、設置機材重量の計算という本
職から事務所の掃除、電話番、役所への書類の届け、関
係者が来北京する度の空港からホテルへの送り迎え、メ
シ場の手配等山ほどあります。それらをひとつひとつ丁
寧にこなし、どんなに忙しくても愚痴1つこぼしません。
今時めずらしい若者でした。うちの息子もこんな風に育
ってくれたらいいなと心から思いました。このプロジェ
クトは、昨年のリーマンショックの影響を受け残念なが
ら成立しませんでした。事務所をたたみ残務整理を終え
Uは帰国し、また東京でレコーディングエンジニアーの
仕事に戻りました。布袋のライブには必ず顔を出してく
れました。親元を離れ独立し、葉山の山奥に古い一軒家
を見つけ一人暮らしを始め、いよいよレコーディングエ
ンジニアーとして大きく羽ばたこうとしていた矢先の事
故死でした。しかし、神様はときにとんでもない気まぐ
れをしでかします。愛情をそそぎたくましく優しい男を
育て上げた父親と音楽に未来を託した息子の夢を一瞬に
して奪い去ったのです。
人が生きると言う事はなんて悲しいことの連続なんでし
ょう。僕たちはこの悲しみを乗り越え、また、明日も生
きていこうと思います。


by kasuya_senji | 2009-10-19 18:34 | Comments(0)
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