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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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君よ知るや南の国ー5
2013年7月16日。午後7時30分。
デゼンターノ デガルダ アストリアホテル。
e0074827_14424157.jpg

チェックインした時、ジュリもダビデもまだスタジオか
ら帰ってきてなかった。
イタリアも英国と同じく建物の階の数え方は1階はGF
で2階は1F。二人も乗ればそれで満員という極小のエ
レベーターと云うよりリフトという言い方が似合う可愛
らしい昇降機で3Fの4階の310室にあがった。広い
ルーフテラスのある最上階の部屋だった、
スーツケースからスーツを出し、トランクからポロシャ
ツ、Tシャツ、半ズボン、セーター、ストール、下着、
洗面道具、携帯充電器セット、常備薬、靴を取り出し、
すべての荷物を片付けて、ダビデやジュリが帰ってくる
までベランダで本を読んだ。

e0074827_14432100.jpg

塩野七生の「イタリアからの手紙」を取り出すといろい
ろ面白い事がかいてある。
◎ローマの蚊とネズミ対策の話。
ローマで或る夏に蚊やネズミの被害が大きくなった。市
議会で討論がなされ、あれやこれや議論され、一人の議
員から下水道の清掃をしたほうがいのではないかとの発
言があり、それをきっかけに、前に掃除をしたのはいつ
の事だったかと調べると、皇帝がいなくなってからは一
度も掃除されてないのがわかった。
西ローマ帝国が滅びて以来一度も掃除されていというの
である。4世紀に西ローマ帝国は滅びるのだが、それ以
前も帝国は安定せず内憂外患の時代が長く続き、歴代の
皇帝は下水道の掃除どころじゃなかったのだろうから、
たぶんというかきっと、初代皇帝アウグステゥース以来
一度も掃除した事がないのだろうと思われた。
そこで市議会は2000年も掃除されてないんじゃなに
もあわてて今掃除しなくてもとなり、ローマは相変わら
ず蚊とネズミに悩まされている。

◎ベニスの貴族出身の女性のウーマンリブの話。
「わたし、アメリカのウーマンリブには同情していたの。
 1週間に1回土曜日の夜だけじゃなくもう少し多くし
 てくれと要求してると思ったらそうではないんですっ
 てね。それに1週間に1度はストするんですって。哀
 れな人たちだこと。でもアメリカの次にウーマンリブ
 が盛んなのは日本ですってよ。日本の女は男に何を要
 求してるわけ?」
「わからないわ。多分2週間に1回をせめて1週間に1
 回にしてくれと要求してるのだと思うわ」
「あら。それは深刻だわね」

そろそろダビデとジュリが帰って来る時間だろうと読書
を切り上げ、フロントの横のバーカウンターがある応接
ソファーのあるところでダビデ、ジュリ、エリカ、ヤー
スカと全員そろってプロセッコで祝杯をあげよう。その
後、町へ出て食事をしよう。
と鞄から財布の入ったポシェットを取り出そうとして初
めて失せていることに気がついた。
!!!!!!!!! じぇじぇ!
あわててエリカに電話すると「あらそれはタイヘン!」
とマルコ、ミラノのテーラー、アレッサンドラ、タクシ
ー、ランチしたレストラン、カフェと今日行った所のす
べてに連絡しますと言ってくれたが、自分としてはスー
ツをオーダーしたミラノのテーラーに忘れて来たのだろ
うという気がしてた。自分でお金を払ったのはそこだけ
だったからだ。店の最後を再現すると
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
支払いの時に鞄からポシェットをとりだした。
財布をとりだそうとしてポシェットに一緒に入っていた
パスポートケースが邪魔でとりだしにくかったのでパス
ポートケースを鞄のポケットに移し、財布をとりだし財
布からアメックスをだしてカードをアレッサンドラに渡
した。奥に引っ込んだアレサンドラがカードの明細伝票
をもって戻って来て、支払明細書にサインをし返しても
らったアメックスと明細書のコピーを財布にしまった。
その財布をポシェットにしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのことははっきりと覚えている。つまり、ポシェット
はそこにあったのだ。
エリカがマルコに電話して、マルコがアレッサンドラを
追っかけて、やっとつかまったアレッサンドラから、ポ
シェットの忘れ物はなかったが念のため明日の朝一番で
店に行き調べ直してみると言ってくれてるとエリカから
連絡がきた時、すっかりへこんでしまった。
物事を進めるときに1から10までの手順があるとすれ
ば、最初から最後まで怠りなく自然に流れるように手順
をこなせるよう訓練し、そうできるようになったのだが、
いつの間にか、できるものだと思い込む癖がついて、無
意識の中でも確認するという手順を飛ばすようになって
きてしまってるようだ。弛んできたのだ。
このことは自覚しなければならない。
冗談ではないが、こどもの頃父親に
「センジ! お前は自覚が足りない!」
としょっちゅう叱られたが、今だにそうだったんだ。
財布をポシェットにしまったのは覚えてるが、その先の
ポシェットを鞄に戻したかは、いきなり記憶が薄れるの
だ。戻したに決まってるでしょとしか言えない自覚のな
さに来る物が来たかなと思った。
プロ野球選手は芯でとらえたボールがスタンドに届かな
くなったと引退するが、私は若い頃あんなに苦労して身
につけた独特の記憶術が弱まって来てることに無自覚だ
ったのだ。
20年肌身離さず大事にしたシルバーのチェーンがつい
たクロムハーツの財布は惜しいけれどまた買えばいい。
それよりも自分の行動に無自覚であったことに強いショ
ックを受け、フロントまで降りてゆくとダビデとジュリ
が最敬礼で出迎えてくれた。

e0074827_14431932.jpg

ブルーな気分は名古屋場所で大勝ちした栃煌山のように
思いっきり左上手でぶん投げて夕食にでかけた。
さあ、いよいよジュリのボーカルレコーディングの日々
が始まるのだ。
# by kasuya_senji | 2013-08-27 18:45 | Comments(7)
君よ知るや南の国ー4
マルコとニコレッタと再会を約束して別れミラノ中央駅
からベニス行きの特急列車に乗る。駅舎の2階にあるマ
クドナルドがばかに流行っていた。マクド単独で出店し
てきた時はなかなか上手く行かなかったが現地のピザの
ファーストフードチェーンと提携してからはイタリアの
若者もピザのついでにハンバーグをパクつくようになり
定着したという。マクドで水を買おうと並ぶとそこはイ
タリア、注文と受け答え以外になんの話しがあるのか客
と売り子の会話が長くてものすごく待たされた。エリカ
と30分も前にきたのに水で乗り遅れそうだなと笑った。
ミラノからベニスまでは2時間。今回の目的地であるデ
ゼンターノはちょうど2都の真ん中辺りにあり1時間の
旅。
ミラノ中央駅はムッソリーニの遺産である。
この駅舎の屋根は鉄とガラスのアーチが美しい。
e0074827_19252852.jpg


日本は明治時代に鉄道システムを英国から輸入した。
英国式はプラットフォームが列車の床と同じ高さになっ
ていて乗り降りし易いが、イタリアやフランスやドイツ
やオランダやアメリカなど多くの国の鉄道のプラットフ
ォームは低く、ヨーロッパ映画やアメリカ映画で階段を
登るように汽車に乗り込むシーンがそれである。

旅行鞄など大きな荷物があるときは乗り降
りが結構大変なのである。日本の鉄道が英国式で本当に
良かったと思う。
特急列車の8番プラットフォームの指定席車両付近には、
ポーター達がたむろして小遣い稼ぎをしていた。
「テツダイハ イランカネ」。
その誰も東京駅の赤帽のような格好をしていない。Tシ
ャツだったりジーパンだったり勝手な服装をしている。
勿論ミラノ駅は公認していないモグリのポーターである。
イタリア旅行に私はスーツケースと大きなトランクと手
提げバッグを持ってきていた。
ポーターに小遣いでも渡して荷物を運ばせれば楽でいい
と思ったが、エリカは絶対にダメだと言う。すり寄って
くるポーター達を手で押しのけるようにして、

「シャチョー。大きな荷物はワタシが運びますから、
 スーツケースと手荷物の鞄を持って先に列車に乗って
 ください」
(#ちなみにエリカは私の事をシャチョーと呼ぶ)

と、私のでかいトランクを両手でむんずとつかみエイさ
エイさとかけ声もろとも階段を駆け上がり列車に乗り込
んできた。
指定された席に着くとエリカが、彼らの中には荷物を持
ったままどこかに姿をくらましちゃうのもいるんですか
ら油断できませんと言う。ミラノは治安はいいが置き引
き等には油断は禁物のようだ。
今回は指定席が買えましたカラいいですが、指定席が売
り切れていても座れることがアリますとも言っていた。
ナンデ? と詳しくは聞かなかったが、要するにイタリ
ア国鉄はJRほどきちんと管理されてないというような
事だったと思う。
汽車は東へ向かう。インテルミラノの長友の街ともお別
れである。ミラノは世界で最も有名な都市の一つだが、
ロンドンやパリ、ニューヨーク、東京のような大都会で
はない。ミラノ駅を発車して15分もすると景色は農村
に変わる。車窓にはトウモロコシ畑が延々と続く。
イタリアでは、南イタリア人はレンズ豆野郎と言われ、
北イタリア人はトウモロコシ粉野郎呼ばわりされるが、
それを証明するかのようにトウモロコシ畑が延々と続い
ていた。

2013年7月16日。デゼンターノ駅着。
湖畔の町だが、遠い所から風に乗って牧畜の匂いがする。
午後7時をまわっているがまだ明るい。駅舎を出るとタ
クシーが1台もいなかった。
写真はタクシーを手配するエリカ。
e0074827_19255153.jpg

この時には、写真の赤い鞄の右奥の手持ちのエセクロコ
のバッグの中に入れてあった現金やクレジットカードの
入ったポシェットはすでに失せていた。続く。。。。。
# by kasuya_senji | 2013-08-23 01:26 | Comments(2)
君よ知るや南の国ー3
2013年7月16日。午前10時45分。

ホテルの裏にミラノ大聖堂がある。
大聖堂は聖母マリアに献納されているドゥオーモで50
0万人のカトリック信者がいる世界最大のミラノ大司教
区を統括する聖堂である。
この大聖堂の建設の歴史は、最初の石が置かれた138
6年に始まり、500年かけて1813年に完成した。
アントニオ・ガウディーの設計したスペインのサグラダ・
ファミリアは1882年に竣工し2013年の今日にな
ってもまだ建設中で完成していないが、ミラノ大聖堂は
500年も要したと云う。人間の信仰の偉大さとカトリ
ック教会の巨大な権力にただ圧倒されるような思いで尖
塔を見上げた。
美術彫刻作品のような建物であるが何しろ800年も前
からの建築物である。次から次とあちこちで修復が必要
らしい。数十メーターの腕を持つ巨大なクレーンが大聖
堂の横っ腹にくっつきノロノロと修復が続いていた。
e0074827_19222441.jpg

写真はミラノギャラリー。ミラノ大聖堂の完成と同時期
の19世紀の建築。石とガラスと鉄でできていてアーチ
が美しい。
e0074827_19224229.jpg

ここでマルコとニコレッタと待ち合わせた。
マルコはPRのプロフェッサー。長い間ワーナーブラザ
ースの映画宣伝を仕事としてきたが、近年は映画会社の
宣伝もテレビラジオ雑誌からインターネットを主力にす
るようになってきてるので、今現在はクライアントの多
くは映画界ではなくゲーム会社だそうだ。
e0074827_19225952.jpg

左 ニコレッタ。中 ヤースカ。右 マルコ。
ランチを終えコーヒーを飲もうと街を歩くと不思議な大
道芸人を見た。坊さんが片手で棒を持ち、その棒の上で
もう一人の坊さんが座禅を組んでいる。
これを撮った写真が3枚あるがこの芸当が日の光と影の
境で行われていることに気がつく。。。。
e0074827_19232037.jpg


マルコは集団戦闘ゲームソフトの宣伝に、ゲーム愛好者
を300人募集し、その素人達を軍隊に仕立て、スタン
リー・キューブリックの「バリーリンドン」さながらの
大戦闘シーンを再現し、イタリア中のテレビ、新聞が報
道し、宣伝を大ニュースにしたてあげた敏腕プロデュー
サーである。
その話しを聞いた時、誰がその戦闘シーンの演出や全体
の統括をしたのかとしつこく聞いた。300人ものエキ
ストラを使っての戦闘シーンの撮影は大ごとなのである。
ましてや出演者はプロのエキストラではなくそのゲーム
の愛好者と云うだけの素人の300人の集団である。
映画チームを丸ごと雇って実行したのだろうと思ったら、
すべてマルコがやったという。演出も軍服の調達から戦
闘の陣形まですべてマルコが統括したというから、ただ
驚くばかりだったが、後日、マルコは元イタリア陸軍の
司令官であったときいて、なるほどゲームソフトの宣伝
のための演習と云え戦闘シーンの統括は本物だと合点が
言った。

マルコの相方のニコレッタはワーナーブラザースを通じ
てワーナーミュージックと契約を持っている。イタリア
音楽業界へのアプローチに関してのアドバイスをくれた。
マルコは写真を見れば分かるように伊達男。
是非君のテーラーを紹介してもらえないだろうか。
ついでに君の靴屋も紹介してもらえないだろうか。
というのが隠れた主題でもあった。
マルコの行きつけのテーラー。サルトーリア・ロッシで
仕立てたスーツがこれ。
今回の仕立てでこのテーラーはヤースカの身体の寸法を
持っているから、私は日本から生地の選択だけすればこ
のテーラーがスーツを仕立ててくれるのである。
太ったり痩せたりしないようにしよう。
胸のチーフは担当してくれたアレッサンドロ・カルデラ
ーロ氏からのプレゼント。また彼は特注した靴が意外と
高い値段になってしまったからと、スーツの仕立て代を
勉強してくれた。
e0074827_19233535.jpg

# by kasuya_senji | 2013-08-22 13:46 | Comments(9)
君よ知るや南の国ー2
2013年7月15日。
午後6時50分。ヒースロー発。
午後9時55分。ミラノリナーテ空港。
英国とイタリアは1時間の時差がありロンドン~ミラノ
は約2時間のフライト。
AZ247便は満席で機内はイタリア語が飛交っていた。
大人の男は全員といっていいほど髭をはやしている。キ
ャビンアテンダントからして髭だ。すでにイタリアは始
まっているようだった。
ミラノ・リナーテ空港へは時間通りに到着した。入管で

Are you English ?

と聞かれた。私は英国人じゃないが国籍のことではなく
言葉の事だろうとイエスと答えると果たして英語で「ナ
ニシニキタカ」と聞かれたから今度は観光と答えてイタ
リアに入国した。
手荷物受取所で荷物を待っている。夏期英国短期研修に
いってきたんだろうこども達の団体の荷物が次々にター
ンテーブルにでてくるが、日本からロンバルディア州ガ
ルダ湖畔デゼンダーノ郊外のポッソレンゴのスタジオに
レコーディングにきた男の荷物がなかなかでてこない。
チェックのスーツを着こなした髭をはやしていないジェ
ントルマンがクイーンズイングリッシュで話しかけてき
た。
ヒースローで見かけたね、、、
イタリアは好きなんだが、、、
荷物がどうもね、、、
君はどこから来たんだい、、、
と話し込んでいると、そろそろ英国からの便のターンテ
ーブルが止まろうかという頃になって隣のローマからの
便のターンテーブルが回りだし、ジェントルマン氏の荷
物も日本人の荷物もそこにのっかっていた。はっきりと
イタリアは始まっていた。

ジュリのヨーロッパ担当マネージャーのエリカの出迎え
を受け、タクシーで夜の街を抜けミラノ大聖堂の裏手に
あるスターホテルへ。
e0074827_2043558.jpg


エリカは北イタリアに生まれベニス大学を卒業後東京外
国語大学に留学した語学の才女で望めばいくらでも大企
業に職を得られたというのに新宿にあるETBという小
企業の面接にあらわれ、そこに就職した。
日本まで留学して個人の経営する小会社に入るなんて、
なんて変わり者かと思ったが、一緒に仕事をするように
なって、個人の力と責任で仕事をしてゆくと云うその考
え方がきわめて本来的であり人間的だと気がついた。
考えてみれば国民の大多数が大企業に就職したいと考え
るという画一性のほうが不気味である。
たしかに、農業政策で農林水産省が失政を繰り返し、結
果農村が貧した昭和30年代40年代は敗戦後の日本か
らソニー、トヨタ、ダットサン、ナショナルなどが世界
デビューを果たした時代で、真夏のクソ暑いなか一日中
田圃に這いつくばって草取りしている農民よりサラリー
マンになる方がはるかに未来に満ちていると思われた時
代だった。
私の家の両親はやはり貧しい暮らしの中だったが大企業
に就職するようにという意見は聞いた事がなかったのは
今考えてもありがたい事だと思う。
それにどういうわけか自分はサラリーマンになる気はし
なかった。
こどもの頃から映画館に通ったから映画監督になりたい
という夢ともいえないようなかすかな希望はあった。
でもそうなるには松竹とか東映という会社に入社して社
員になければならないとわかってからは急にそのつもり
もなくなった。映画監督は会社員じゃなくカメラマンや
デザイナーのようにフリーランスだと思っていたからだ。
「会社名で何かやる」のではなく
「エリカという個人で何かをなしたい」
と云う考えはおいに共感する。そのエリカがジュリのヨ
ーロッパ担当マネージャーである。

スターホテルにチェックイン後バーでエリカから
「ウエルカム イタリー」
とプロセッコで乾杯し明日からの打ち合わせを済ませた。
ホテルのフロントのスタッフのおっさんに「コンバンハ」
と声をかけられた時は土産物屋にでもいるような気分が
したが、聞くと日本に1年住んでいたと云う。
「どこにいたの?」「シブヤ」
イタリアレストランにでもいたのだろうか。
彼は部屋に戻るエレベーターを指さしたあとオヤスミと
言った。
ミラノの初日の夜は明け方に奇妙な夢を見た。
どこか知らない山道を歩いている。
一人だと思ってたら連れがいて、よく見るとその女は米
倉涼子だった。さあ登りましょうと、米倉はこれから登
山でもするような事を言ってるがどう見ても二人とも軽
装で、山に登る恰好じゃない。二人のいる所は随分高い
所で足元のはるか下に麓の村が豆粒のように見えていた。
こんなにところからどう帰るんだろう、、、
と目が覚めた、
こんな夢は恋に落ち何もかも捨てて道を外れてしまいも
う後戻りできない奴が見る夢に違いないのだが、俺がな
んで米倉の夢をみるのか不思議な気分が数日残った。

時計を見ると午前9時だった。急がないと10時すぎの
待ち合わせに間に合わない。荷物をまとめシャワーを浴
び朝飯を食いチェックアウトした。
# by kasuya_senji | 2013-08-15 20:43 | Comments(8)
君よ知るや南の国
2013年 夏
e0074827_14581026.jpg

2013年7月15日月曜日午前11時25分。
芝浦スタジオでリハーサルを終え一人先に渡欧したジュ
リを追って、2013年7月15日月曜日VS901便
で成田を発った。
イタリアに行くのにいちいち英国経由で行くのは僕がヴ
ァージンエアラインのメンバーだからで、面倒くさいが
だからと云ってこの時期バカ高いアリタリア航空のビジ
ネスに乗るのは阿呆らしい。
バージンのビジネスクラスのシートはボタンを押すと背
もたれが前に倒れながらあれよあれよと伸び、あっと云
う間に水平になりシングルベッドができあがる。
搭乗してウエルカムドリンクのシャンパンを飲み、ワイ
ンと食事をして、あとは本など読みながらベッドで寝て
る間に英国に到着するのである。
バージン以外の航空会社はどれもシートの倒れ方は同じ
仕掛けになっていて、アリタリアのビジネスシートもゆ
ったりふっくらとしたゴージャスなシートだが、倒れる
時は足元部分がゆっくりと持ち上がり腰掛け部分と水平
となり、つぎに背もたれ部が後ろに大きく倒れてゆき水
平手前まで行ってとまる。この形式だとどんなに倒れて
も最後はどこか腰の部分が軽くVの字型になっていて平
べったく寝ると云うわけにはいかない。その上で値段が
高い。値段も睡眠も大事である。よって、バージンで東
京・欧州を往復をする。面倒などとは言っておれない。 

e0074827_14585335.jpg


7月15日午後3時50分。
13時間の睡眠の後、VS901は英国ヒースロー空港
に到着。ヒースローでバージン~アリタリアと乗り継ぐ
が、一旦到着したターミナル3で英国に入国しなければ
ならない。

ただの乗り換えね。
で、イタリアには何しにいく?

と入国管理官に聞かれた。バカンスと云えばよかったが
遊びに行くわけじゃない。仕事と答えると、私の格好が
いかにも夏休み風なのを見て、
その格好でいったい何の仕事か? 
といつもよりしつこくインタビューされた。
入国管理管は真実を申告しているかどうかを見極めるの
が仕事だから、しつこく質問されたからと云って、

こいつ俺を疑ってんな、、、
俺英語しゃべれないからな、、、
ドギマギドギマギ、、、

と慌てる事は一切ありません。英語がわからなければア
ゲインプリーズと質問の中味が分かるまで聞き返せばよ
ろしい。この時も、

仕事は? 音楽出版社。
社長の名は? ヤースカ(相手は知っている訳が無い)。
あー、あんたが社長なのね。で、会社はどこにある?
◎区(相手が知っている訳が無い)

と聞かれたが、英語そのもの以外は私はすらすらと答え
るのだから、当たり前にパスポートにポン! と入国許
可のスタンプを与えてくれた。しかし奴も英国人で、俺
がサンキューというと片目つぶって ハブ ア ナイス 
ホリデーときたもんだ。

荷物を受け取り税関を通り、タクシーでターミナル4へ
移動しなければならない。ユーロは持って来たがポンド
は持ってなかったから両替カウンターに行きタクシー代
をと100ユーロだけポンドに両替する。ところが両替
屋がなかなか両替しない。
400ユーロまでは手数料がかからないんだぞ。
100ユーロじゃもったいないぞ。
400両替しろ。
お前のためだぞ。
英語ワカルカ?
と両替屋は親切に言うが俺はタクシー代が欲しいだけだ
から、いや100でいいんだというと怪訝そうな目でじ
っと俺を見るからこの時ばかりは欧米風に肩をすくめて
見せてやった。
ターミナル4へ移動し、チェックインに恐ろしく時間の
かかるアリタリアのカウンターで手続きを済ませ、7月
15日午後18時50分発のAZ247便でミラノに向
かった。
# by kasuya_senji | 2013-08-09 15:00 | Comments(13)
帰国

2012年12月18日。ロンドンカムデンタウンラウ
ンドハウスの布袋ライブを終え、翌19日ヒースロー発
成田行きのバージン901便で帰国した。
ライブが終わり、ロンドンダダミュージック主催のアフ
ターショーパーティーが催された。
懐かしの旧アイアールシー2ロンドン時代の面々。
レニー・ザカタク、ビクトリア、ビッキー、スパイダー。
ロンドンユニバーサルレコード&EMIスタッフ。
ロックバンド、BONIGEN&マッドネスがいた。
他は知らないイギリス人ばかりだったが、総勢50人く
らいの人でごった返すなか、これでもかこれでもかと英
語が飛び交い、英語でもみくちゃにされて以前の英語力
を取り戻したのは不思議だった。
アフターパーティーが終わるとカムデンマーケットの奥
にあるディスコで日本チームの2次会が行われた。
英語力を取り戻した僕は英語でばりばりに会話した余韻
そのままに誰彼なく思うままに日本語で喋りまくった。
いや、俺だけじゃなくライブの強烈な余韻に酔った誰も
が誰かに話しかけていて、その場は30人くらいの人出
だったが30の会話がどまることなく深夜まで続いた。
祭りが終わり人が引けたディスコは淋しかった。
布袋と別れホテルに戻ったのは午前3時頃だったろうか。
翌朝ヒースローに向かった。
空港で布袋スタッフや日本からツアーを組んで来てくれ
た人たちと朝の挨拶を交わし機上の人となったが、着席
した瞬間深い眠りに落ちた。飯も食わずシャンパンも飲
まず爆睡11時間。
右手に富士が見えますと云うアナウンスで目が覚めると
外に朝日に黄金色に縁取られた雲海の中富士山が見えた。
日本に帰ってきたんだと思った。
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# by kasuya_senji | 2013-05-29 18:45 | Comments(9)
看板&犬&薔薇&石像&田圃&ザック&黒門町
戯れ句

夏も近づく八十八夜 通り過ぎたる幾星霜
彦星と織姫の星合を 迎える蛍や千歳川


     人気者
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        F嬢
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        薔薇
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        肉屋のM
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     サングラス載せると犬に見える自宅の石像
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    新幹線車窓の田園風景
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       大阪フェスティバルホールまこと花
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        ザッカリー・アルフォード
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     千秋楽前夜。大阪黒門町の路上。
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# by kasuya_senji | 2013-05-07 14:54 | Comments(5)
閖上地区
2013年5月7日

宮城県仙台市閖上地区

2011年3月12日の東京新聞の朝刊の1面はこの松
林を遥か越える水量の大津波が襲ってきた瞬間の写真だ
った。
林の向こう側が海。こちらはかっての新興住宅地。
600名を超える人命が奪われたこの地区は、元々ここ
に住み暮らしていたのは閖上港で仕事をするわずかな人
々で、人口のそのほとんどが仙台市など地区外からベッ
ドタウンとして家を建てやってきた人たちらしく、津波
で被災し壊滅した町にあらためて新築してまでここに戻
ろうとする人々はまずいないのじゃないだろうかと仙台
の友人Aは言っていた。ここには年来の友人のAに連れ
て来てもらった。
仙台にはAとかBとかFとかアルファベットで呼ばれる
友人がいる不思議な街。わたしの田舎の岡崎は徳川家の
家臣の水野だ榊原だ池田だ酒井だ本多だという名が多く
いて、たいがい中学校のクラスには二人の水野や三人の
本多がいたが、ますくんとかしげるとかけいとかまんと
かの名で呼ばれていたが仙台はさすが伊達と称された家
の地元で、どうもその点なんだかあか抜けていてアルフ
ァベットで呼ぶ。
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初代仙台藩祖伊達政宗の開削した貞三堀にかかる水門。
もちろんこの水門は近代の物。宮城県沖は三陸沖を震源
地とする地震による津波に何度も襲われているが、貞三
堀のあるこの閖上地区は、津波が来ても貞三堀までとい
う言い伝えがあったようだが、この写真を見て欲しい。
小さくて分かりにくいかもしれないが水門の上から3分
の1のあたりに青く東日本大震災時の津波の高さが記さ
れている。
ちなみにこの水門は橋上から約10メーターの高さがあ
り貞三堀水面からで言うと15メートルにもなる。この
あたりは10メートルほどの津波に襲われたという歴史
の刻印である。
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かっての住宅地跡に卒塔婆が立てられていた。
今はがれきも片好き、知らない人が見ればただの無人の
原っぱに見えるが大惨事を風化させるわけにはいかない。
ここには人が訪れ御霊に合掌していた。車を降りた我々
の前で年配の夫婦が大きな黒い犬を連れてやって来てこ
の卒塔婆の前に立ち、犬に「おすわり」と言った。犬は
その夫婦のうしろにちょこんと座り、二人と一匹はいつ
までも卒塔婆に向かって手を合わせていた。
さすがになにか遠慮してその光景は写真に撮らなかった。
ピューリッツア賞を目指す報道カメラマンには見過ごせ
ない光景だろうが、俺はカメラマンじゃない。二人と一
匹と同じように遠くで合掌をしていた。
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閖上地区の真ん中にぽつんと残された塚。
もともとここに塚があったのかどうかは分からないが塚
の上にあるちいさな社に詣でるために上る階段の手すり
が津波で流され危険だと知った愛知県の人々の寄付によ
って新たに設置されたと看板が出ていた。最近円安で大
勢の外国人が日本に観光に来るようになった。テレビの
レポート番組などそのまま信用するのはいかがかと思う
が、それでも多くの外国人はまた日本を訪れたいと云い、
その一番の理由に人々の親切さというのを上げていた。
そのことは、この塚の看板を見ても誇りに思うのである。
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下の写真もまた少し見づらいが2001年9月の閖上地
区と2011年3月27日の同じ場所の写真である。
住宅地がすべて消えたのと田畑農作地が水浸しになって
いるのがわかる。下の写真の真ん中に横に走る線が貞三
堀。上の写真の下側は仙台空港。写真をよく見ると仙台
空港を飛び立った旅客機が写っている。この12年前の
写真を見る限りこの地区は、仙台と高速道路で結ばれた
新興住宅地であり、小さいが閖上港から新鮮な魚が毎日
水揚げされ、日本各地へ飛ぼうとすれば空港が隣接して
いるという絵に描いたような町だったのだろう。
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# by kasuya_senji | 2013-05-07 14:38 | Comments(2)
2013425
  六本木ヒルズTOHOシネマ
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  フランス映画「冒険者たち」を鑑賞。
  ロベルコ・アンリコによって作られたこの映画は恋愛、
  友情、夢、挫折、別れの物語で、これが青春映画の典
  型なった。
  嗚呼、懐かしきふるさと岡崎の三銘座でこの映画を見
  たとき、わたしはまだ十代の若者だった。
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  1974年製フォルクスワーゲンタイプ1。
  見えないものを説明するのはどうかと思うがこの車はセ
  ミオートマティックで写真のハンドルの右下にはアクセ
  ルとブレーキしか無い。ま、写ってないんだがね。
  メーターは1つだけ。スピード・距離・燃料。以上。
  乗り心地はライト。空冷エンジン特有のパタパタと乾い
  た音はやはり往年の味。一昔前はこどもに車の絵を描か
  せると皆この形を描いた。
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  ホテルの部屋から那珂川、春吉橋付近をみる。
  夜ともなれば川の向こう側は怪し気なホテルやソープラ
  ンドに灯がともり、飛んで火に入る夏の虫が如く酔客が
  吸い込まれてゆく。わたしはそれを上から見てる。
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  薬院の水炊きや。鳥善。しかし博多は水炊きやばかりだ
  がここはフランス大統領シラク氏も訪れた名店。銀座に
  も支店があるようなので今度は東京で博多の味を楽しも
  う。そうだ、ツアーに参加できない照明の佐々木巨匠な
  ど招待してみよか。
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     博多にシラクだ。ボンジョールノ。
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  福岡サンパレスの楽屋にて。
  この格好で楽屋に入ったら大道具のスタッフがどうやら
  地回りと間違えたようで目を合わさず通り過ぎようとす
  る。「オハヨー」と声を掛けるとすれ違い様に「アッ!
  どーも気がつかず。。。」だって。
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# by kasuya_senji | 2013-04-24 16:48 | Comments(7)
映画「リンカーン」
2013年4月23日

Bからの手紙

かって自由の女神に隣接した小さな島に、アメリカの
入国管理局税関があった。エリス島である。アメリカ
に入国した移民のほとんどはここから上陸した。数々
の映画にも登場したが、とりわけ「ゴット・ファーザ
ーPARTⅡ」の少年ヴィト・コルレオーネがシチリアか
ら入国する場面が印象に残る。1976年に初めてエリス
島を訪ねたとき、現在は博物館になっている建物の正
面から入ると、最初に陳列してあるのは、200年以
上昔にヨーロッパから移民してきた人達の遺留品の数
々だ。古ぼけた写真、割れた眼鏡、ぼろぞうきんのよ
うな衣類、荷車、カバンなどが所せましと並んでいる。
それを目の当たりにした私は、その場に凍りついて烈
しく感情が揺さぶられた。
少年のころから、アメリカの映画、小説、音楽にどっ
ぷりと浸かって大人になった私は、自分の人格を形作
った原型を見た思いで、胸が締めつけられつぶれそう
になった。写真でしか知らなかった母親に、26の歳
に初めて遭った、とでもいうような。
昨日、日劇において「リンカーン」を見た。映画が7
0ミリの大画面に映し出されると「エリス島」の体験
がまざまざと蘇り、その映像の迫力はタイムマシンに
乗って150年(?)の昔の現場に居るような臨場感
だ。さらには、黒人の奴隷や北軍の黒人兵を見ている
と、アメリカの歴史に輝くアフリカ系アメリカ人の顔
が次々と浮かぶ。中でもJAZZミュージシャンたち
だ。彼らが遺したあの哀しみの旋律が画面に被さって
涙がとめどもない。また、ジョージ・ワシントンがイ
ギリスを訪問したときの、自分の肖像画がトイレに飾
ってあったという挿話は、無学(独学だが教養がない
という意味ではない)で田舎者を自認していたリンカ
ーンが、とりわけ好んだ話ではないか。(この場面は
最高に好き)
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「アラビアのロレンス」の合戦シーンを撮影中に、落
馬したスタントマンとエキストラの数名が、疾走する
馬とラクダに踏みつけられて落命したとき、監督のデ
ビット・リーンは彼らの安否を確認することなく、そ
のまま撮影を続行した。このことに頭にきた、主演の
ピーター・オトゥルは、この映画で受賞したオスカー
像を自宅のトイレに飾った、という話がダブル。
アメリカ映画教会が2003年に投票で選んだ「映画
百年のヒーロー」1位は「アラバマ物語」のフィンチ
弁護士。(演じたのはグレゴリー・ペック)
その「アラバマ物語」の最高のシーンがそのままの構
図で「リンカーン」では再現されていて、オマージュ
としてうれしい。「リンカーン」のダニエル・ディ・
ルイスとトミー・リー・ジョーンズも次回の選出では
期待が持てるかも知れない。
見せ場はいくつもあって、最後まで飽きることなく集
中できたが、ふと思ったのはアメリカ人がこの映画を
映画館で見ているときの心情だ。自国に対する誇らし
さで愛国心がいやがうえにも刷り込まれるだろうと想
像すると少し羨ましい気もする。アメリカという国は
さまざまな問題を抱えているけれども、「一日の虎に
して、千日の羊に非ず」の例えもある。
息子が父親に抗って志願兵になるという宣言をしたと
きの台詞がアメリカ人の矜持の気質と映画全体のテー
マであろうか。
この映画は娯楽大作であるにもかかわらず、日本での
ヒットは望めないかもしれぬ。海外メディアから世界
一幼いとされる日本の一般客に、この面白さが受ける
かどうかは疑問だ。それにしても「アルゴ」は、よく
もこんな強敵を打ち負かしたものだ。頼もしい。その
件についての考察はまたの機会に。何?もう充分だ?
まァそう言わずに。
# by kasuya_senji | 2013-04-23 17:20 | Comments(4)

 
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