2012年2月3日
2月1日の埼玉スーパーアリーナライブをもって、昨年
の2月1日の武道館からスタートした「布袋30周年企
画」を無事終了することが出来ました。
参加いただいた全ての皆様にお礼を申し上げます。
無事という言葉の重さをこれほど感じたこともありませ
んでした。
2011年2月1日の武道館で30周年企画はスタート
しましたが、5月に行われる代々木体育館・大阪城ホー
ルの制作企画会議をしている最中に天地が揺れに揺れ東
日本大震災が発生しました。机の上の積まれた書類は床
にぶち撒かれましたが、社内では被害というものはあり
ませんでした。
すぐに、地震情報を!
とテレビの前に集まった社員一同の前にNHKのヘリコ
プターからは信じられないような映像が送られてきまし
た。
真っ黒な水が川を横切り田畑を横切り人や車が走ってい
る道路を横切り全てを呑み込むようにどこまでも大平面
を為し爆走しています。上空から写しているので、その
水がはたしてどのくらいの高さか分かりませんでしたが、
水は5メートル以上の高さを持ちつつ仙台空港を呑み込
んでいきました。生中継でそれを見ました。震災後に仙
台の仲間と話したとき、彼らは瞬間的に停電し事態がど
うなっているのか全く分からず、大津波が東北の港町を
次々に呑み込んでいったことは知らなかったようです。
東京でも携帯は通じず、家族が無事であるかまったくわ
かりません。
埼玉県でロケをしていた今井美樹さんとやっと連絡が取
れ、冬のサクラ撮影チームの無事は確認できましたが、
この後ロケ予定地である山形へは行けなくなった。どう
動くかはこれから決めると言ったきり連絡が途絶えてし
まいました。
娘を小学校に向かえに行く途中の布袋が事務所に飛び込
んできました。
「美樹ちゃんは?」
「無事だ!今連絡がとれた」
「良かった!小学校へ行って来ます」
また飛び出していきました。
気仙沼が壊滅し火の手が上がっています。
16年前の阪神淡路大震災の神戸の長田町のような風景
でした。
「皆、一刻も早く帰宅しろ」
と号令を掛け、交通機関がまったくの停止状態と聞き駐
車場から車を引っぱりだし自宅に向かいましたが、アッ
と言う間に渋滞に巻き込まれ、その渋滞の中バッテリー
が上がり車道の真ん中で動かなくなりました。JAFに
奇跡的に電話が通じるがJAFが到着したのは7時間経
った午前3時。事務所を出てから10時間経っていまし
た。家に帰宅できたのは午前7時でした。
その時間になっても人がぞろぞろと大行列をつくって歩
いていました。
何万人の死者行方不明者がでたか把握できません。
福島で原子力発電所が大爆発したとの情報も途切れ途切
れに入ってきます。
「日本壊滅」という言葉が頭からはなれません。
命。水。食べ物。電気。ガス。病院。医療。薬。
などのライフラインに対して音楽が果たす役割がどこに
あるというんだろう。
「この30年間の音楽活動を周年として祝う」
この企画が何の意味を持つのかもまったくわからなくな
りました。
3月は何の見通しも立たず、ただありとあらゆる不安の
中に過ぎていきましたが、4月になって少しずつ気持ち
が動き始めました。
「これから音楽が必要になる・・・」
布袋とも今井美樹とも、今は日本中が祈念するのは命だ
が、その次に命をつなぐ気持ち、強い希望が必要になる
日がやって来る。必ずやってくる。音楽はその時に役に
立つ。あらためて強い心で音楽をすることを使命としよ
うと話し合い、やっと代々木・大阪城ライブの企画に手
が着き進み始めたことが遠い昔のことのようであり昨日
のことのようでもあります。
その後、20年の歳月を乗り越え吉川・布袋の魂の東京
ドームのコンプレックス。9月からの全国ツアー。そし
て最終章・さいたまスーパーアリーナでのバースデーラ
イブと突き進み30周年企画は無事終了しました。
この30周年企画がとても記憶に残るかたちで無事終了
できたことを感謝します。
また、布袋の30年のキャリアの中でも突出した1年に
なったことを心から御礼申し上げます。
そして30年の周年を終えた我々は又新たなる未知の領
域に向かいます。フロンティア精神に貫かれた生涯を送
ることはなんとおもしろかろうことかと思いを馳せ。
礼!