今は、皇居として知られる場所であるが、本丸にまつわる話を紹介したい。
この話は、恥ずかしながら実際に自分の足で訪れるまで、知らなかった話だ。
本丸御殿跡の北側に残る石垣が天守台である。
歴史の本には、標高が25mで、石垣の高さが20m、その上に建つ5層の天守閣は高さ51m
江戸城下のどこかも見える巨大建築だったそうだ。

しかし、明暦3年(1657)の振袖火事で焼失し、以来、再建されなかったそうだ。
これは3代将軍家光の弟で会津松平藩の始祖である保科正之(ホシナ マサユキ)が、
「江戸城再建よりも江戸城下の復興を優先する」という主張によるものだった。
中々いい話である。歴史を見ると、参考になることが多い。
この国では、議員宿舎を国民の税金を使って、建て替えようとしている。
そのお金の一部でもいいから、災害から復興するためのお金に回せないものだろうか?
とても、歴史を教訓にしているとは言え無い話だ。

これは、あの赤穂浪士の討ち入りのきっかけになった場所で、有名な「松の廊下」跡である。
松の廊下は、途中で直角に L字形に曲がる廊下だったそうだ。
この廊下は畳敷きで格式の高い場所で、通行できる武士も限られていたそうだ。
しかし、一説では事件の現場はここでは無いという話もある。
歴史の史実を、追って散歩するのも楽しいものだ。
以外と、知らないこともあってためになる。