物語を旅する

あの有名な物語は、本当に実在したのか?
独自の視点から様々な物語を旅する探検家、
高橋大輔のリアルタイム探検日記。
プロフィール
「物語を旅する」をテーマに世界各地、日本全国に伝わる神話、伝説、昔話などの伝承地にフィクションとノン・フィクションの接点を求め旅を重ねている。米国の探検家クラブ(ニューヨーク)と英国の王立地理学協会(ロンドン)のフェロー会員。
1966年 秋田市出身。

 2005年1月ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ(アメリカ ワシントンDC)から支援を受けたロビンソン・クルーソー島国際探検隊でエクスペディション・リーダー(探検隊長)を務め、実在したロビンソン・クルーソーの住居跡を発見した。(雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』2005年10月号掲載)

2011年1月〜2月 ライカ・カメラAG(ドイツ)が主催するライカ・エクスプローラーに世界から選ばれた10人のひとりとして参加。キャプテン・ジェームズ・クックの足跡をたどって太平洋の旅に出た。


e-book
文豪たちの足跡を追う世界探検記 KUBOTA GROBAL JOURNEY

フォトエッセイ(「郷」より)
「探検家が見た地球」

著書
『ロビンソン・クルーソーを探して』
(新潮文庫 2002年)

『浦島太郎はどこへ行ったのか』
(新潮社 2005年)

『間宮林蔵・探検家一代』
(中公新書ラクレ 2008年)

『ロビンソンの足あと』
(日経ナショナル ジオグラフィック社 2010年)

『トラベルチップス』
(秋田魁新報社 2012年) 

『12月25日の怪物』
(草思社 2012年)

『命を救った道具たち』
(アスペクト 2013年)

海外で出版された著書

英語版
"In Search of Robinson Crusoe"
(Cooper Square Press, New York 2002)

中国語
"尋找魯濱遜” 
(馬可孛羅 台湾 2002)



なおマスコミ関係者で取材・講演・原稿執筆等に関するお問い合わせ、ご依頼で連絡を取りたい方は下記の電子メールアドレスをご利用ください。
髙橋大輔探検隊 
aplatinumapple@yahoo.co.jp

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浦嶋神社ご利益グッズ1
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浦嶋ファン垂涎の、浦嶋神社ご利益お守りの数々を紹介しよう。

まずは神社参拝に欠かせないものといえば絵馬。

この「絵馬」だが、馬は神の乗り物と考えられ、もともとは神社に白馬の神馬がつながれていたりした。

それが次第に簡略化されて板に描いた馬の絵となった。

そしてそれはやがて神に願いを届けるためのいわば通信手段となったのである。

浦嶋神社の絵馬にもいくつかあるが、何といっても定番は御神宝 玉手箱絵馬。

願いを玉手箱にしっかりとしまい、その開帳とともに神の到来と夢の実現を期すのである。

じつにめでたい浦島ならではの絵馬ではないか!

(写真:浦嶋神社に奉納されている亀甲文櫛笥(きっこうもんくしげ)をあしらった絵馬。本来は願い事を書いたら神社境内の絵馬所に納めるのだが、あまりの神々しさに思わず持ち帰り、自宅観賞用と相成ったのであった)
by born_to_explore | 2005-06-30 13:50 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
やはり亀は来ていた
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浜詰遺跡、縄文時代の海人族の暮らし、海からはどんな恵みを得ていたのだろうか?

そう疑問に思っていたら、当時発掘を担当した酒詰仲男教授がまとめた出土リストがあることがわかった。

浜詰遺跡から出土したのは、土器や石器に加えて、アワビ、サザエ、ハマグリ、マグロ、スズキ、クロダイ、フグ、それにイルカ。

さらに山の幸としてイノシシ、シカ、タヌキ、サルなど。イヌとあるのは家畜だろうか。

縄文人の生活がいきいきとよみがえってくる。

それにしてもここは浦島太郎の伝承地。古代に浦島太郎が亀に出会ったという伝説があるのだから、ここに亀が登場してもおかしくない・・・と思っていたら、何と!

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出土リストの中には「ウミガメ類」とあった。

ズバリ!ではないか。

ここには縄文時代の昔から亀がきていたのである。

(写真:(上)浜詰遺跡から出土した野獣の骨、海獣の骨、魚の骨(下)酒詰仲男著 『日本縄文石器時代食料総説』土曜会 p125 1961刊より一部拡大)
by born_to_explore | 2005-06-29 13:21 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
縄文式土器を手にとる
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縄文時代の海人族、いったいどんな暮らしだったのだろう?

海沿いの集落に見つかった浜詰遺跡を発掘したのは、同志社大学の研究者や地元の高校、中学生たち。いまから50年近くもまえのことだ。

その出土品を見たいとお願いしたら、同志社大学考古学資料室から特別の許可をいただいた。

倉庫の中に入って何よりも驚いたのは、出土した土器の多さであった。

保存箱にしまわれた土器の破片は大きな倉庫の壁面を覆うほど。

ひとびとの暮らしが大変豊かであったことがしのばれる。

土器の破片の文様にも豊かさがにじみ出ている。

その豊かさ、それではここの人たちは海からはどんな恵みを得ていたのだろうか?

その素朴な疑問を追跡したら、何と予想外の出会いをすることになったのである。

(写真:同志社大学にある浜詰遺跡出土の縄文式土器の破片)
by born_to_explore | 2005-06-28 13:37 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
浜詰遺跡と浦島太郎

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浦島太郎がその根元で玉手箱を開いた「しわ榎」がある京丹後市網野町。

その周囲の歴史を調べてみたら、ここには縄文時代から人が住みついていたことがわかった。

近くの浜詰集落からは遺跡が発掘され、現在ではその当時の住居が復元されて自由に見学できるようになっていた。

この浜詰遺跡は、目の前がすぐに海。縄文人というと山に入って栗やどんぐりを拾ったり、いのししを狩ったりと、山の中での生活をイメージしてしまうが、ここにいた縄文人は海人だったことがわかる。

浦島太郎と縄文の海人族、そこはかとなくそのつながりがしのばれてくる。

(写真:浜詰遺跡の復元住居。昔、学校の歴史の授業で勉強した竪穴式住居だった。)
by born_to_explore | 2005-06-27 10:58 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
浦島太郎が老人になった現場
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伝説は、語りだけの世界ではなくて、現世のさまざまな物と結びついている。

ときにそれは石であったり、木であったりする。

浦島太郎が玉手箱を開いたら、たちまち白煙とともに老人になってしまった。

この伝説のエピソードを裏書している木が丹後にある。

それは「しわ榎(えのき)」と呼ばれる古木。

浦島はこの木の根元で禁断の玉手箱の蓋に手をかけたといわれる。

京丹後市の網野町には、浦嶋子の館があったとされる場所があり、しわ榎はその近くに立っている。

そして近隣には銚子山古墳と呼ばれる古代の権力者の墓があるのだ。

この木が何かを語りかけていることは間違いない。

(写真:網野町には伊根町とならんで丹後の浦島伝承地として知られている。しわ榎の前に立つと、そのあまりにも劇的な姿に圧倒される)
by born_to_explore | 2005-06-26 11:52 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(1)
丹後王国の謎
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浦嶋伝説をはじめ、知れば知るほど不思議な丹後だが、もうひとつ。

ここはじつにたくさんの古墳がひしめく土地として考古学者に知られている。

古墳といえばそれは古代王族の墓であるが、それにしてもなぜ丹後に多くの古墳が集中しているのであろうか?

ある研究者は、丹後王国の存在をほのめかしてもいるが、その疑問に対する答えは、いまだナゾのままである。

いずれにしても、畿内に大和王朝が成立する以前から丹後は大陸とのつながりを独自に深めて力を得ていたことは間違いない。

いまでこそ、裏日本と呼ばれる日本海沿岸だが、その昔はこちら側が表であったのだ。
古墳を訪ねると、そう感じずにはおけないのである。

(写真:丹後半島東の付け根に位置する作山古墳。倭鏡や玉類が出土した。)
by born_to_explore | 2005-06-25 13:19 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
龍宮はこんなところ
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浦嶋神社には、1枚の大きな掛け幅が伝わっている。

浦嶋明神曼荼羅、うらしまみょうじんまんだら。

ここには浦嶋子、つまり浦島太郎の原型が丹後の海でいかにして亀と出会い、
龍宮(その昔は蓬莱[とこよのくに]と呼ばれていた)へ出かけることになったのか、
そのいきさつが色鮮やかなタッチで描かれている。

今でも浦嶋神社にお参りすると、宮司の宮嶋さんがこのマンダラを絵解きしながら
伝説について話してくれる。

と同時に、この絵は現存する浦嶋伝説を描いた絵としては最古のもののうちのひとつ。

これまで絵本などに描かれ続けてきた龍宮図のこれが原型であるといっても過言ではない。

つまり、龍宮探しをするためには、この絵は大きな手がかりとなるのである。


(写真:マンダラの全体写真。下部には丹後の風景が描かれ、上部には龍宮(蓬莱)の様子が見える)
by born_to_explore | 2005-06-24 13:10 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
浦島太郎には弟がいた!
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どうも浦島太郎には弟がいたらしい。

京都府与謝郡伊根町には、浦嶋伝説を今に伝える浦嶋神社が鎮座しているが、その近隣には、他にも伝説にまつわる遺跡が散らばっている。

その中のひとつにこんな石碑があった。

「浦島太郎の弟 今田三郎屋敷跡」

屋敷そのものはすでに失われてしまっているが、このことからも浦島太郎には今田三郎という弟がいたことがわかる。

それにしても「太郎」と「三郎」というくらいだから、「次郎」もいたのでは・・・?と、疑問に思っていたら、案の定、もうひとりの弟「曽布谷次郎」の屋敷跡を示す石碑も近くにあった。それでは、もしや四郎さえも・・・?と期待したが、浦島四郎はいなかった。

浦島は三兄弟だったのである。


(写真:浦島家の三男今田三郎屋敷跡の石碑は護聖寺という寺の脇にある)
by born_to_explore | 2005-06-23 13:20 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
舟屋の不思議
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浦島伝説が伝わる丹後半島には、もうひとつの不思議がある。

それは伊根湾をぐるりとおおうように立ち並ぶ舟屋(ふなや)。

2階建ての家の1階部分は大きく海に開かれ、そこに船を引き入れることができる。

この形も珍しければ、伊根湾に200軒もズラリとならぶその数と規模、さらには

起源さえわかっていないという謎だらけの存在。

いったいいつから存在し、誰によってどこからもたらされたのか・・・?

古来から漁師たちの作業小屋として使われてきたこの舟屋は、今もって丹後の語られざる歴史について沈黙を守り続けている。

(写真:京都府与謝郡伊根町の舟屋)
by born_to_explore | 2005-06-22 14:06 | 浦島太郎プロジェクト | Comments(0)
世界がついに認める日
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先日、7月と8月に行なう講演会の打合せのために、秋田市立中央図書館明徳館を訪れたとき司書の方から探検を扱った秀作絵本があると紹介してもらった。

『やまとゆきはら 白瀬南極探検隊』関谷敏隆 (c)福音館書店 2002






日本の南極観測船の名前で知られる「しらせ」は、南極探検のパイオニア、白瀬矗(しらせのぶ)(1861-1946)の偉業に敬意を表して命名された。

人類がいまだ南極点に足を踏み入れたことがなかった時代。

南極点一番乗りを世界の探検家と争ったのがこの白瀬中尉。

結局、1911年12月14日ノルウェイのアムンゼンが極点到達を成功させる一方、熾烈な競争に敗れたイギリスのスコット隊は全員が死亡。白瀬は猛烈なブリザードの前にあえなく撤退を決意した。

これまで世界の探検史において、白瀬の撤退は脚光を浴びることも無く、悲劇的結末ゆえスコット隊に人びとの興味関心が注がれてきた。

ところが、その本場イギリスでこの秋に、白瀬矗の探検記『南極記』が英訳されることになったという。

翻訳したのはケンブリッジ大学スコット極地研究所のヒラリー・シバタさん。10月には出版に合わせてイギリスで講演会(クリック))も予定されている。


探検の最大の目的は成功をおさめることだが、失敗に終わって全滅した探検家をもつイギリスで、勇気ある撤退をした白瀬中尉の本が出版されることの意義は計り知れないものがある。

日本の探検家、白瀬中尉の偉業を、ついに世界が認める日がきたのだ。

(写真:白瀬中尉の生家がある秋田県由利郡金浦町の『白瀬南極探検隊記念館』(クリック)
by born_to_explore | 2005-06-21 14:10 | 探検について | Comments(2)