(このメッセージは衛星携帯電話イリジウムにより、南米チリ沖の南太平洋に浮かぶロビンソン・クルーソー島から宇宙経由で送信しています)

ロビンソン・クルーソー島の探検にはブッシュナイフが鋭い欠かせない。棘のあるブラックベリーが繁みを覆い尽くしているために、整備された山道以外はそれなしでは1時間で10メートルも進めないことさえある。
”ペドロ・アレドンド デ 1866”。スペイン系の人物の名前と年号が刻まれた謎の石碑。そこから歴史を追跡し始めたわたしは、島民から別の場所にもアレドンドと彫り込まれた石があった、との情報をつかんだ。しかしそれは今や完全に鬱蒼とした繁みに飲み込まれてしまって存在さえ伝説的となりつつある。わたしは古老の情報を元に、その石を探しに出かけることにした。ブラックベリーの厚い壁を突破すべく、探検隊には島民の有志ペドロとレステルにも参加してもらう。
山へ入って程なく、小さな川に行き当たった。それを越えたところに問題の石はあったというが、予想通りそこはブラックベリーの繁み。これまでだれもその中に踏み込むことができなかった、ということがよくわかる。
しかし3時間の格闘の末、われわれはついにその壁を突破し、その中に隠されていた石をついに発見することができた。ところが石には文字らしきものは見えるが、何が描かれているのか判然としない。
わたしはさっそく拓本技術を駆使して、その石にチャレンジしてみることにした。
すると目には見えない石の上の線刻が、墨によって画仙紙にくっきりと浮きあがってきた。
そこには”ペドロ・アレドンド デ 1866”という文字。
文字の上には”ビバ”(万歳)という文字と共にチリの国旗が見えた。
”ペドロ・アレドンド”しかもまたしても1866年!
このペドロ・アレドンドがいかなる人物であったのか?その疑問と同時に、1866年という年号は無性に好奇心を刺激する。というのは、アレクサンダー・セルカークの島での唯一の足跡である見張り台(ミラドール)がイギリスの軍人、ポーウェル准将により確認され、そこに記念の銘板が据えられたのが1868年だからである。
このわずか2年の違い、それらの関連性について、わたしはまだ何も知らない。しかし山中の石に自らの名前を誇らしげに刻んでいるペドロ・アレドンドは、ポーウェル准将と出会った可能性は充分にある。そしてパイオニア・ルートを通ってミラドールまで案内した、という可能性さえ・・・。
その仮説に確証を得ることは難しいだろう。しかしアレドンドでなくても、土地鑑のないポーウェル准将は島民の誰かをガイドにミラドールまで行ったことは間違いない。
ポーウェル准将の時代、ミラドールまでのパイオニア・ルートはまだ存在していたのだ。
そしていまやわれわれはアレドンドの名前とともに1886年と刻まれた石を2つ確認した。
そのことで、それまでは地図上に点でしかなかったものが線として浮上してきた。
海からミラドールまで通じるパイオニア・ルートは、1960年に新道が設けられて以来、山中に喪失してしまった。
しかしアレドンド・ストーンを探り当てることで、浮上してきた1本の線。
ついにわたしは謎の古道を実際の山中に確認することができたのだ。

写真:(上)ロビンソン・クルーソー島のタフガイ。ペドロとレステル。(下)拓本により明らかになったもうひとつのアレドンド・ストーン