物語を旅する

あの有名な物語は、本当に実在したのか?
独自の視点から様々な物語を旅する探検家、
高橋大輔のリアルタイム探検日記。
プロフィール
「物語を旅する」をテーマに世界各地、日本全国に伝わる神話、伝説、昔話などの伝承地にフィクションとノン・フィクションの接点を求め旅を重ねている。1966年 秋田市出身。

 2005年1月ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ(アメリカ ワシントンDC)から支援を受けたロビンソン・クルーソー島国際探検隊でエクスペディション・リーダー(探検隊長)を務め、実在したロビンソン・クルーソーの住居跡を発見した。(雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』2005年10月号掲載)


著書
『ロビンソン・クルーソーを探して』
(新潮社 2002年に文庫化)

『浦島太郎はどこへ行ったのか』
(新潮社 2005年)

『間宮林蔵・探検家一代』
(中公新書ラクレ 2008年)

『ロビンソンの足あと』
(日経ナショナル ジオグラフィック社 2010年)

『トラベルチップス』
(秋田魁新報社 2012年) 

『12月25日の怪物』
(草思社 2016年に年文庫化)

『命を救った道具たち』
(アスペクト 2013年)

『漂流の島』
(草思社 2016年)

『剱岳 線の記』
(朝日新聞出版 2020年)

『最高におもしろい人生の引き寄せ方』
(アスコム 2021年)

『仮面をとった浦島太郎』(朝日新聞出版 2022年)

『家事する探検家』(秋田魁新報社 2023年)

海外で出版された著書

英語版
"In Search of Robinson Crusoe"
(Cooper Square Press, New York 2002)

中国語
"尋找魯濱遜” 
(馬可孛羅 台湾 2002)



なおマスコミ関係者で取材・講演・原稿執筆等に関するお問い合わせ、ご依頼で連絡を取りたい方は下記の電子メールアドレスをご利用ください。
髙橋大輔探検隊 
aplatinumapple@yahoo.co.jp
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英語と探検
takaさんのリクエストに応えて、今日は探検と英語について。

 探検のために外国に出かけると、英語は案外通じないものだと気がつく。
 たしかに世界中に普及したような英語だけれど、現実は厳しい。たとえば日本の田舎に出かけて英語で話しかけたとして、そこで一体何人の人が相手にしてくれるか?という問いの答えがそのまま世界各地に当てはまる。(一部例外を除き)それゆえに現地語を少しでも話して、理解できるようにしたほうがいいのだけれど、各国を渡り歩く場合はそれも至難の業。
 かつてアフリカから南米に渡ったとき、アフリカではフランス語だし、南米ではポルトガル語(ブラジル)やスペイン語ということで旅の終わりには英語など忘れかけて、そのかわりフランス語とポルトガル&スペイン語がちゃんぽんになった言葉をしゃべって、誰にも意思が通じないという事態におちいったこともあった。もちろん日本語も使うことがないからどこかチグハグになっていって、しまいにわたしは言葉を喪失するのではないか、と焦ったりもした。

 しかし面白いのはコトバが通じないと、ひとは自然と身振り手振りに切り替えるものなのだ、ということ。そしてボディ・ランゲージで、世界は案外行けたりするのだ、と気がついた。

 それでも各地で情報収集しようとするとき、英語は一番使える言葉だった。
 旅先では、情報をいかに獲得するかが、時に生死を分けることもある。
 安宿のドミトリーを常連としていたわたしは、そこで会う日本人旅行者以上に、外国人旅行者の方がずっと正確で詳しい情報を持って旅をしていることを知って愕然とした。というのは、英語を話す人のネットワークはそれだけ広いので、日本人が日本語で伝える情報とは比べ物ないくらいの質量というわけ。

 英語が、情報収集のためのツールに加えて、自己表現のツールになったのは、その後のこと。ニューヨークの探検家クラブ、ワシントンDCのナショナル・ジオグラフィック・ソサエティで、自分を表現できるのは英語しかない。30分あげるから、皆の前で、自由にしゃべっていい、と言われて、どれだけ探検家としての自分自身をアピールできるかは、単純に英語力にかかっている。

 わたしは、旅先で英語を身につけてきたのだけれど、世界の中で英語の存在は、大きいとも小さいともいえる。世界には実に多くの文化と人種がいるように、言葉もまた多種多様。
 そんな世界を知った上で、英語を使っていきたいと考えている。それが英語に対して心がけていること。
by born_to_explore | 2005-09-11 20:14 | 探検について | Comments(2)
Commented by happy-camper at 2005-09-14 15:05 x
私もエリトリアでテグリニア語で話しかけられて、日本語で答えて話が通じてしまったり、モザンビークでポルトガル語で話されて、思わずインドネシア語で答えてしまったり(とっさにこれは英語でも日本語でもないぞと脳が判断したらしい)といろんな面白い言語体験をしてきて、何とか通じるものだと思います。同時に英語やその他の言語で世界が広がるというのもまったく同感です。

また英語社会で10年生活して最近思うのは、母語(日本語)の大切さです。よく第1言語の能力が高い人ほど、第2、第3言語も習得しやすいといいます。英語で旅行や仕事や生活をするには困らなくても、やっぱりネイティブとは違う。たとえば本を書いて自分の思いを人に訴える文章を書きたいとなると母語でしかできないと思います。(これは例えば仕事上の意味の通じる実務書とは違います。)だからプロの翻訳家も日本人なら外国語から日本語へ、ロシア人なら外国語からロシア語へという方向に最後は母語での勝負となるのでしょう。外国語を学ぶことを通して、自分のアイデンティティーとしての日本語力の大切さを思う今日この頃です。
Commented by born_to_explore at 2005-09-14 15:48
happy-camperさま お久しぶりですね。母国語のちから、というのでしょうか。不思議なもので、各地で英語を話していく過程で、日本語を母国語としているわたしは、最終的にイギリス人やアメリカ人にはなりきれないなあと感じたことがあります。心の微妙な揺らぎみたいなものの表現は母国語では言えても、外国語では言いにくいことがあります。まあその辺の葛藤が、外国にいる自分を再認識できる楽しみかもしれません。
まさに翻訳はその典型で、わたしの本、『ロビンソン・クルーソーを探して』を翻訳していただいたのはアメリカ人でしたが、日本人翻訳家で、日本語→英語を探すことは至難の業でした。言葉の障害は不便なものですが、聖書にあるバベルの塔の話のように、世界の人びとが異なる言葉を話すのは神様が人間の危険性を悟ってのことで、それも実に深いエピソード、であるなと思っています。髙橋大輔