ボブ・マーリー の経歴を年表で紹介します。
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1945年2月6日
ボブ・マーリー(本名:ロバート・ネスタ・マーリー)は、ジャマイカの小さな村、ナイン・マイルで生まれる。
1961年
ティーンエイジャーズ(ボブ・マーリー,バニー・ウェイラー,ピーター・トッシュ,ジュニア・ブレイスウェイト,チェリー・グリーン,ヴァリー・ケルソー)を結成。翌年出したボブ・マーリー初のレコード「ジャッジ・ノット」はまったく売れなかった。
1963年
ザ・ウェイラーズ(ボブ・マーリー,バニー・ウェイラー,ピーター・トッシュ、他)を結成。ジャマイカを代表するレーベル《スタジオ・ワン》でのオーディション曲「シマー・ダウン」が1963年の暮れに発売。翌年1月にはジャマイカのチャートの1位を獲得。
1966年
スタジオ・ワンで出会ったリタ・アンダーソンと結婚。
1967年
エチオピア皇帝がジャマイカに公式訪問。すでにラスタファリズムに目覚めていたボブは、ますますラスタの信仰を強めていった。
1969年
大物プロデューサー、リー・ペリーと出会い、“レゲエ“という新しいジャンルを確立してゆく。(JAD時代)
1973年
ジャマイカ白人プロデューサー、クリス・ブラックウェルに惚れ込まれ『キャッチ・ア・ファイアー』をアイランドよりリリース。同年には『バーニン』も発表。この中の曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をエリック・クラプトンがカバーし全世界に“レゲエ”の存在を知らしめることになる。しかし『バーニン!』発表直後、メンバーの方向性の違いなどによりオリジナル・ウェイラーズは解散。
1974年
バニーとピーターが抜け、マーシャ・グリフィス、ジュディ・モワット、妻リタを含む女性コーラス、アイ・スリーズが加わり、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして再始動。
1975年
『ナッティ・ドレッド』『ライヴ!』をリリース。(ロンドンのコンサートで、興奮した聴衆が「ノー・ウーマン、ノー・クライ」を合唱する光景を見てクリス・ブラックウェルが『ライヴ!』の発売を決定したという伝説もある。)
1976年
彼の政治的信念が詰め込まれた『ラスタマン・ヴァイブレイション』を発表し、政治上重要人物となる。ジャマイカでのコンサートの直前、襲撃にあい負傷。
1977年
『エクソダス』をリリース。イギリスで連続56週間チャート入り、アメリカでも大ヒットとなる。この頃行っていたヨーロッパ・ツアーの最中に足を負傷、その傷が後に悪性の癌となる。
1978年
『カヤ』『バビロン・バイ・バス』をリリース。
1979年
『サヴァイヴァル』をリリース。この年に来日し、東京、大阪あわせて7回の公演を行った。
1980年
アルバム『アップライジング』のキャンペーン・ツアー中、ボブの容態は悪くなり倒れる。
1981年5月11日
マイアミで死去。遺体はジャマイカへ運ばれ、5月21日国葬が執り行われた。
2005年
生誕60周年のこの年、「ノー・ウーマン、ノー・クライ」がグラミーの殿堂入りを果たす。
提供/ユニバーサルミュージック