「書きたいようには、書けないのだ。だから書くのだ」と、ぼくは、今でもそう考えています。書きたいように書けないのは努力が足りないからですか? どう思いますか?
というぼくの問いかけに、トラックバックやコメント欄にいくつものリアクション、ありがとう。
その中のひとつ、republicさんが以下のような
リアクションをくれました。
AユニットとBユニットの組み合わせ方でエントリの内容は8割がた決まります。で、この組み合わせ方って多分経験を積めば積むほど、ようするにブログ書けば書くほど、すんなり出るし面白い組み合わせを考え付くのではないかと。
組み合わせでエントリの内容の妙味が決まる、という指摘はとてもありがたい。
俳句の世界では、これを「取り合わせ」とか「二物配合」とか「二物衝撃」と呼ぶそうだ。
つまり二つのモノの配合の妙で気持ちを動かすという技。
数回にわたってやってきた「銀一」というゲームも、この「二物配合」が楽しみのひとつだ。
「丸いモノ」で「ち」
という出題で、
「地球」
だと、配合が、近すぎておもしろくない。
当たり前じゃーん。ってことですね。
そこを、もうひとつ飛び越えて、「ちまめ」って出てくると、おもしろい。
近すぎないし、遠すぎることもない。自分では思いつかなかったけれど、たしかに「ちまめ」って「丸いモノ」で「ち」だ! という発見が、ある。
でも、飛び越えすぎて「蝶々」になってくると、遠すぎる。他の人には伝わりにくい。
そういったAユニットとBユニットの組み合わせ方を楽しむゲームなのですね。
自分の好きなモノって何だろうの回で「自分マトリクス」を書いてもらった。
そして、
ブログにテーマは必要か?から数回かけて、「自分マトリクス」を軸にテーマを決めることをオススメした。
さて、この後、どうするのか?
それは、まさしくrepublicさんが、オススメしてくれてるように、配合を行うのだ。
テーマというAユニットに、何か別のモノを配合することこそがネタ探しの原点。
『アイデアのつくり方』という本は“アイデアとは既存の要素の組み合わせ以外のなにものでもない”と断言しています(『アイデアのつくり方』って本については、
フイナムの「読書メロン」で詳しく紹介しています)。
republicさんは、
“この組み合わせ方って多分経験を積めば積むほど、ようするにブログ書けば書くほど、すんなり出るし面白い組み合わせを考え付くのではないかと”と、アドバイスしてくれた。
たしかに、そうかもしれない。
でも、経験を積んでくると、だんだん組み合わせ方が、パターン化しちゃうのな。
それが、もしかしたら個性と呼ばれるものかもしれないけど、一方で、それは、飽きられちゃう/自分でも飽きちゃう。
ここからは、年寄りの説教もしくはノスタルジーかもしれないけど、経験を積めば積むほど、あの苦労してアクロバティックに考え組み合わせ、ひねり出していた新鮮さがなくなってくる。
いつものあの手で行こうかね、今度はこのパターンでひとつやっておきますか、よしよし俺って経験を積んだから面白い組み合わせを生み出せるようになったぜ、と<すんなりと面白い組み合わせが>出てきちゃうんだけど、なんというか、それはそれで、経験を積むまえの苦戦した中で生みだしたものと比較して良い悪いというようなもんでも、ない。
すんなりと面白い組み合わせが出てくるようになったら、ぼくは、もう文章なんて書く必要がない(金のため以外にはね)んじゃないかと思う。
すんなり出てこないから、そこで苦戦するから、そこに摩擦があるから、そこに発見があるからこそ、文章を書くために考えることが、楽しいのだと考えている。
たとえば「すんなりと面白いアイデアが出てくる5つの方法」なんてモノがあるとしても、それを身につけて「良し!」って思わない自分でいたい。
綿矢りさが「蹴りたい背中」という傑作を書けたのは、経験を積み重ねたから、というよりも、経験を積み重ねる前に苦戦したから、あのヒリヒリとする世界を描けたのだと思う。
藤沢周との対談で綿矢りさはこう発言する。
自分の本に関しては、性別限らず大人が出てこないから、後ろの背景がないんだと思います。それを反省とかはしてないと同時に、私のやり方がよかったのにという気持ちも全然ないんです。ただ、そういう見方もあるんやなということを、今回気づきました。
(文學界3月号P252)
「世界が狭い」という評についてどう思うか?という質問に対しては、次のようにも答えています。
芥川賞のニュースを見た人が買って読んでくれた時に狭いとか物足りないとか感じたら、「ほんまにすいません」という気分です(笑)。ただ、あの小説にはあの狭さがいちばん合っていると思ってます。狭さの中では悪くないのと違うかな。
(「文藝春秋」2004年3月号P327)
そういった「経験を積んでいない強さ」ってモノもあるからこそ、『蹴りたい背中』という小説が生み出されて、大勢の人の気持ちを動かしたんだと思う。
積んできた経験をどう崩すか。そういうことも考えていこーって思っています。