エキサイトブックス スペシャル
2007-05-17T20:14:00+09:00
books_special
エキサイトブックス特別企画 話題のインタビュー他
Excite Blog
ピクトブームいきなり到来!? 「ピクトさんの本」と「ピクトグラム&アイコングラフィックス」
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/5424043/
2007-05-17T18:41:00+09:00
2007-05-17T20:14:00+09:00
2007-05-17T18:41:15+09:00
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未分類
本日配布された最新号の2冊とも、なぜかフィーチャーしてたのが、以下の「『ピクトさんの本』である。
『ピクトさんの本』内海 慶一 / ビー・エヌ・エヌ新社、 1,050円 (税込)
著者は内海 慶一とあるがカッコして「日本ピクトさん学会」の名が。
これはピクトグラムという視覚記号を特集しただけでなく、彼らのカワイソーな扱われ方を激写しているユニークな本。頭を打っていたり、はさまれていたり、涙をさそうピクトさんの写真を世界各国から集めており、「面白写真系」が好きな人は楽しめそうだ。
特設サイトはこちら
この、いわばマニアックな本が、なぜかL25では見開き特集!(Webでも読めます)、R25でもブックレビューで紹介。
わりに、というか、かなり「ニッチ」なテーマだと思うが、なんだこの大々的な扱いは?
そしてなんと、『ピクトさんの本』と同時期ともいえる近日中に、ピエブックスからもピクトグラムの特集書籍『ピクトグラム&アイコングラフィックス2』 』が出版される予定。ひょっとして、いまピクトがキてる!?
ピエブックスの新刊案内ページより引用。
こちらも『ピクトさんの本』同様、世界のピクトを紹介している本だが、「かわいそうなピクトさん」の面白画像が泣き笑いを誘う前掲書とちがい、完全にアートより。ぱらぱらとめくっているだけで、「ああ、ピクト、すてき……」とため息が漏れる美しい本だ。
ちなみにピエブックスの書籍のほうには、エキサイトのデザイナーズポータルの参加デザイナーの一人であり、Minimum but Maximumなピクト制作でいま注目されているDonny Grafiksが紹介されているコーナーもある。
現在サービス中のピクトグラムをキーヴィジュアルにしたデザイナーズポータル「CLEAR」。ピエブックスさんの書籍にも紹介していただいている。
この不思議なピクトブームのおり、ぜひエキサイトのデザイナーズポータル「CLEAR」をPCのスタートページにしてみてはいかがでしょう。
(編集部)
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林雄司インタビュー(2)、『やぎの目ゴールデンベスト』の乾いたプラスチック感
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/4409214/
2006-12-19T17:23:00+09:00
2006-12-19T18:04:32+09:00
2006-12-19T17:23:51+09:00
books_special
インタビュー
【お話を伺ったのは】
林雄司:はやしゆうじ 1971年生まれ。会社員のかたわら1996年から個人サイト「webやぎの目」を運営。圧倒的な読者数を誇り、サイト内から書籍化された本は『死ぬかと思った』シリーズ、など多数。現在勤務しているニフティ株式会社では今年のWeb of the Yearでエンターテインメント賞の3位に入賞した人気サイト「デイリーポータルZ」のウェブマスターを務めている。
【取り上げた本】『やぎの目ゴールデンベスト』林雄司/アスキー 1,300円 (税込)
掲載期間8年間、約5000本という膨大な「やぎポエム」の中から、特に面白いものを抜き出したコラム集。200字程度の短くひきしまった文章は、エッセイでもコラムでもない独特のジャンルを拓いている。
読者が多いのに「閉じている」サイト
――特にこの本に収録されているコラムには双方向性を求めてる感じはあんまりないですね。自己完結していて、閉じている感じ。
林:僕のブログやホームページにはコメント欄がないんですが、あってもコメントしようがないですよね(笑)。
――やぎポエムって、個人的には大ファンなんですが、本にするのは難しいんじゃないかと思っていました。でもいざ本にまとめられてみると、林さんの閉じた感じも含めて、サイトの世界観がすごく再現されているなぁと。
杉原:献本した同業者にも同じようなことを言われました。「やぎポエムは本にするのは難しいと思っていたけど」、と。
――あれだけ人気サイトで、みんな注目はしているんだけれど、まとめ方がわからな感じでしたよね。どれを選ぶかは二人で議論したんでしょうか?
林:僕は何らかの反響が来たのをつい選んじゃうんですよね。「これ面白い」ってメール来たなとかを覚えてて、それについ印付けちゃったり。杉原さんとはあんまり意見合わなかったですよね。
杉原:林さんはそう言うけどそんなことないですよ。
林:でも僕、自分で押したのはあんまりないですよね。
杉原:そうですね。私が「これはちょっと」ってしつこく言うと、「じゃあ、いいです」っていう感じだったかもしれない。
林:人に面白いって言われたのをつい選んじゃいがちなんで、面白いと言われると、ああ、じゃあ、それでって。
カバーに込められた深く難解な思い
――この本、途中で気づいたんですが、一行コラムみたいなのがページ左側にあるんですよね(笑)。
[編注]左ページのノンブルの下は絶対に見逃せない
林:そうそう、--- の前にいつも書いていたどうでもいい一行から面白いものだけを選んでもらったんです。
杉原:とりあえず本としては、1行目に本文と関係がない情報があるのはおかしいので、最初に全部取ったんです。でもたまに猛烈に面白いのがあって、捨てるのがもったいないと、リサイクル精神で(笑)。
――うかつなんですが、30ページぐらい気づきませんでした。
杉原:結構そういう人多いみたいです。読み終わったと思ったらここにあるのに気が付いて、またもう一度はじめからめくりなおすという。まぁ、わりとそう読んでほしい感じもありますけど。
――しかし、駄じゃれが多いですよね(笑)。
林:ぼく、好きなんですよ、駄洒落。
――あと、カバーが実はよく見ると一部だけUV加工してあって……って、あまりにも細かいところに絡みすぎでしょうか(笑)。
[編注]一部ぴかぴかしているのがおわかりだろうか?
杉原:あ、これは林さんが……。
林:理屈っぽいことを言い出して。
杉原:ちょっとした仕掛けを読者のためにやりたいっていうところから始まったんですよね。
林:本屋では変わった本には見えなかったのに、家に持って帰ってよく見たら変だって思う、ちょっとしたプレゼントがあるといいかなと。でもそれを強く出すとサブカル本になっちゃうから、「うふふ」っていうあたりを目指して(笑)。
杉原:なんか中身がプラスチックな感じだよね、という話で……。
――プラスチックな感じ……というと?
林:自分のことはあんまり書いてないし、文章も乾いてるから、質感的にはプラスチックみたいな感じだけど、その下にはざらっとした気持ち悪い部分も見えているという……。
――そんな林さんの二面性がこの装丁に! 高度なメッセージですね……。
杉原:ちょっと難しかったですよね(笑)。
林:誰も分からないって(笑)。
「Webやぎの目」、今後の活動方針
――月並みですけど、Webやぎの目の今後のご予定は?
林:なんか最近、いかにもやぎポエムっぽいことを書くのが恥ずかしい気がしていて……あの斜に構えて、いろんなことを他人ごとみたいに書くのもちょっと嫌だなと。
――村上春樹さんもそうですけど、文体にしっかりしたスタイルがあると伝播力も強いですよね。ネットでは特に林さんの文章の影響は大きいんじゃないかと思います。
杉原:多分、まねをするつもりがなくてもうつっちゃうんです。私も編集作業中、ずーっと林さんの文章を読んでいたら、うつっちゃって(笑)。
林:僕までうつりましたよ。
杉原:一時期、サイトの文体が昔に戻った時期がありましたね(笑)
林:デイリーポータルも含めて、何か一つの型にはまりつつあるのはちょっとした行き止まり感ですね。
――じゃ、変えていきたい、みたいな感じでしょうか。今後は。
林:でも、無理することもないし……。「やぎの目」の更新についてはすごく悩んだこともあったんですが、最近どうでもいい感じ(笑)。一時期はミクシィの日記をいっぱい書いたりしたけど、一部の人しか読まないところに書くくらいなら、やっぱり『やぎの目』に書こうと思いなおして。まぁ、ミクシィに書くくらいの気持ちで書けばいいやって。
――ある意味、肩の力を抜いていくというか。
林:そうですね。まあ、投げやりに(笑)。
[2006年11月 恵比寿にて]]]>
林雄司インタビュー(1)、読書傾向と『やぎの目ゴールデンベスト』編集方針について
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/4360537/
2006-12-12T13:01:00+09:00
2006-12-12T17:48:18+09:00
2006-12-12T12:54:00+09:00
books_special
インタビュー
【お話を伺ったのは】
林雄司:はやしゆうじ 1971年生まれ。会社員のかたわら1996年から個人サイト「webやぎの目」を運営。圧倒的な読者数を誇り、サイト内から書籍化された本は『死ぬかと思った』シリーズ、など多数。現在勤務しているニフティ株式会社では今年のWeb of the Yearでエンターテインメント賞の3位に入賞した人気サイト「デイリーポータルZ」のウェブマスターを務めている。
【取り上げた本】『やぎの目ゴールデンベスト』林雄司/アスキー 1,300円 (税込)
掲載期間8年間、約5000本という膨大な「やぎポエム」の中から、特に面白いものを抜き出したコラム集。200字程度の短くひきしまった文章は、エッセイでもコラムでもない独特のジャンルを拓いている。
林雄司文体のルーツとは
――今日は林雄司さんの特に文体についてお伺いしたいんです。イメージとしてはWeb本の雑誌に連載中の「作家の読書道」みたいに、小さい頃の読んでた本の話とかを語っていただいたり……。
林:『やぎの目』の文体も初期は“ですます調”で、ちょっと今と違うんです。「東京トイレマップ」とか読みかえすと、すごく恥ずかしい。ここは受ける、というポイントは太字にしてあったり。
――そうなんですか(笑)。
林:本当に消し去りたい。ただ、98年ぐらいからは、今みたいなスタイルですね。1行どうでもいいことを書いて、ハイフンを3つ書いて(---)、次に本文を書くっていう……って、こんなちっちゃな話でいいんですかね。
――いいんです(笑)。この本は、ジャンルを特定するのが難しいですよね。小説だと超短編といった呼び方ができるけど、ものすごく短いコラムというほかなくて、あんまり類似品がない。
林:穂村弘さんの『にょっ記』のまねをしました。
担当編集杉原(以下、杉原):してないです! その前から書いてるじゃないですか。
林:まぁ、まねはしてないですけど、ネタが短くてもいいんだなって、『にょっ記』には勇気付けられました。あれはいい本です。
――林さんの文体のルーツというのはあるんでしょうか?
林:まあ、文体は、宮沢章夫とかが大好きなので、彼の影響じゃないでしょうか(笑)。小さいころ読んでいた本といっても……『ドラえもん』とか、中学の頃に、星新一や筒井康隆で……。
――その頃のショートショート読書経験が心の底に沈殿していて、大人になって短いコラムを書くようになった……って、どう考えても無理矢理こじつけようとしているな(笑)。
林:高校生のときは村上春樹や高橋源一郎読んで、マンガだと吉田戦車や、相原コージ……って、本当に普通だな。
――文章は書いたりしてました?
林:漫画は描いていて、相原賞に応募したりしてました(笑)。でも同人誌とかミニコミ経験は全然ないですね。
――ハードボイルドというといい過ぎなんですが、林さんの文体って、ドライというか、結構きりっとしてるって思うんですが。
林:確かにべったりした本はあんまり読まないですね。『ごんぎつね』とか『二十四の瞳』みたいな感動ものとか、心理描写の多い小説って学校の教科書によく載ってて、ちょっと格好悪いなってイメージがありましたね。あんまり好きじゃなかった。教科書に載っているものでは寺田寅彦の随筆みたいなのが好きでしたね。学校といえば、作文とかで「思ったことを書きなさい」というもの嫌いで。
――思ったことを書くのって大人になっても難しいですよね。
林:大抵の感情はすでに誰かが書いているんですよね。だから、別に僕が書かなくてもいいかなって。
編集方針は「サブカルコーナーに置かれない本」
――今回収録されたコラムは、過去8年間のデータから選ばれたんですよね。どうでした? 膨大な量の自分の文章を読み返してみて。
林:すごくつらかったです。ああ、いきがってこんなことを書いちゃってとか、よく吐いているなぁとか、そんな自分の歴史が辛い(笑)。最近、お酒が弱くなったなぁって思ってたけど、いま読み返してみたら強い時期なんかなかった。あと、同じことが何回も書いてあってがっかりしました。携帯をお尻に入れといたらメールが送られてたとか、2~3回繰り返していて。
――そんなことが浮き彫りになったと(笑)。
林:でも、自分で読んでみて、コラムが一番面白かったのは2000年ごろですね。その後は下降線をたどっている(笑)。あの頃は、ちゃんと普通の会社員らしい仕事をしていて、そのストレスがいい感じに出ている気がします。
――掲載は日付順でもテーマ別でもなく、わりとランダムに並べられている印象ですが、このあたりの配置でこだわった点はありますか?
杉原:面白い順じゃなくて、面白いコラムが適度な頻度で出てくるように編集しましたが、特に法則はないんですよ。一応、ラストは終わり感が出るようなしみじみとしたネタにはしてるんですけど。
――編集期間はどれぐらいだったんですか。
林:ぼくが8年分のコラムを読む作業を全然やらなくて、申し訳ないと思うぐらい遅れたんです。何しろ5000本くらいあって……。
――5,000本! そのうち何本抽出されたんですか。
林:250ぐらいだったと思うんですけど。
――林さんの本にしては、イラストが意外と入っていないですね。
林:僕はすぐ全部のコラムにイラストで注釈付けようとか言っちゃうんですけど、杉原さんが全てその辺は「やめよう」と。そんなことすると、よくある林が書いた本みたいな感じになって、サブカルコーナーに置かれちゃうからって。
杉原:この本はいわゆる「イロモノ」ではなくて、本当に内容だけで勝負してる作家の本なんだという体裁は崩したくなかったんです。企画ものとか、ブログ本みたいな扱いをされる内容ではないという気持ちが強かった。ただ、社内では反対意見もありましたよ。やっぱりネット発の人なんだから、その実績を全面に出してみればという、ごもっともな指摘もされました。
林:でも、結局サブカルコーナーに置かれていますけど(笑)。ここ数年、デイリーポータルみたいな表向きには役に立つサイトとか、企画性の高いことをしなきゃみたいなことを思ってたんですけれど、杉原さんはわりと意味がなくても文章の面白いものをのせようと言ってくれて。僕はつい豆知識みたいなのをやりがちなんです。そういうのがないと不安で。
――企画性がなきゃいけないムードってブログの世界にも漂ってますよね。人気ブログを作ろうマニュアルも必ず「テーマをしっかり」みたいなことが載っているし。ずーっと鳥の話を書けばいいみたいな感じで。
林:よく考えたら、僕らが子どものころ読んだ本って、企画性がない本っていっぱいあったはずなのに。ただ、別にあのコラムはテーマなしでいこうと思って書いてわけではなく、『やぎの目』のほかのコーナーが「死ぬかと思った」とか、「寝てる人」とか明確な企画にのっとって作られているので、そこからこぼれるようなことを書いていただけなんです。
――今回の本は、叙情派な林さんの部分が全体的に結構強く感じられましたね。ちょっと遠い視線というか。そのあたりも編集方針のせいかもしれません。タイトルについては結構悩んだのでしょうか?
林:全然(笑)。
杉原:ベストヒットみたいな感じで、と私が言ったら、じゃあゴールデンってつけようって林さんが……。
林:確か家にあった野口五郎のCDが「ゴールデンベスト」っていうタイトルだったんで、それをただそのまま言ったんじゃないかな。やっぱり僕が考えるとサブカルっぽくなっちゃうんですけど、なんかダサい感じで、ヒットスタジオとかミュージックフェアみたいな、感じがいいと思って。
――それって編集者さんが狙った作家性とは……
林:ちょっと違うんですけどね(笑)。
おまけ:ソーセージの魅力について語る林さん
>第二回に続きます。]]>
演劇的なフォトエンターテインメント『マカロニキリシタン』とは
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/3628194/
2006-08-23T11:36:00+09:00
2006-08-23T13:09:55+09:00
2006-08-23T11:36:38+09:00
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インタビュー
【お話を伺ったのは】
薄井一議:うすいかずよし 1975年東京生まれ。H/PRODUCT’S所属。現在は主に広告写真の分野で活躍中。2005年 日本広告写真家協会「日本の広告写真2005」において最優秀賞を受賞するなど、気鋭の写真家としても注目を集めている。
【取り上げた本】
『マカロニキリシタン』薄井一議/美術出版社、 4,410円 (税込)
東京を舞台に非常に演劇的な手法で撮影された「マカロニ キリシタン」と「跳ぶ人」、キューバ、LA、フィリピン、中国などで”個人的記録”として撮られた「モンドトラッショ」の3章からなる写真集。その斬新な手法と表現力で早くも話題の作品集。
「写真」に対する疑問から生まれた作品集
一章目の「マカロニキリシタン」より Harajuku Tokyo Augast 1996©kazuyoshi usui
――この写真集は制作期間10年ということですが、このようなある種、演劇的ともいえる作品を撮り始めたきっかけは?
これらの作品を取り始めたきっかけは、今置かれている写真と言う立場への疑問からです。
僕が思うに、写真の悲しい所は被写体に寄生しているということ。ファッション写真は服に寄生し、風景写真なら自然に寄生し、もちろん広告写真は商品に寄生して行かなくては成り立たない。
その中で写真は記録としてしか成り立たないのだろうか。写真が独立し、写真から発信出来るものがないのだろうかと考えました。
そして、僕は今の東京という素材を、寄生するのではなく利用して写真を創りたいと思いました。それが「マカロニキリシタン」です。
これは、十字架を背負ったキリストをストーリーテラーにし、現代の東京を記録するという“フェイクドキュメンタリー”。キリストはモデルですが、それ以外は生の人々です。新宿のホームレス、原宿でおどり狂うロカビリー、山手線の満員電車のサラリーマン。東京のドキュメンタリーの中に一滴“虚”の要素を垂らすとどう反応するのかという実験でもあるのです。
――モデル等の協力もあるようですが、薄井さんの作品に共感して参加してくれた人たちというのはどれくらい、いるのでしょうか? また作品を作る際に、台本など作られたりするのでしょうか?
「マカロニキリシタン」に関しては、すべて僕の知人で固めています。キリストは友人のザックドルビーが演じています。
彼はザビエル調の顔をしていて、いつかキリストにして何か創りたいと考えていました。彼はとてもセンスある人間で、僕が1指示すると、10返してくる。良い言葉で言えば天才的で、悪い言葉を使うとコントロールするのが難しい破天荒な人間。だからこそ僕の頭にある以上の写真になり、枠にはまらない力強い写真になった。
また、スタッフも、僕、ザック含めて3人もしくは4人で行ったのですが、楽しかったですね。ぶっ飛んでて。山手線のラッシュアワーの中のキリストを撮影したのですが、あれは僕が網棚の上から撮影しているんです。僕たちクルーは原宿から乗るのですが、もうその時点では、すでにラッシュなんです。で、浜松町で一回きれいに空きます。その時点で僕が網棚に乗って、混むのを待ちます。
一番混みそうな日を狙い、月曜日に撮影したのですが、ビジネスマンの方々に失礼があってはいけないので、僕含めスタッフはもちろんスーツ。池袋あたりから混み始めるのですが、隣の車両はギュウギュウなのに、僕の真下はガラガラなわけです。でも次の駅あたりで僕の真下も人が来て、撮影開始です。でも引きずり降ろされましたね。新宿で。駅員に。その時点では2本撮れていたので写真的には全然問題は無かったです。
――ゲリラ的な手法を取られていたんですね(笑)。
新宿西口のホームレスの撮影も印象的でした。その撮影に向けて僕は朝4時から一週間リサーチを続けました。それで分かった事は、西口の改札を出て右側と左側とで、派閥がある事。そしてホームレスの世界にも上下関係が存在し、それぞれにボスがいる事です。僕が撮影したボスは京王線側の段ボール据え置き型の派閥のボスで、元やくざの佐々木さんです。佐々木さんはとても男気ある人で僕がこの作品のコンセプトを熱く語ると、彼側の派閥では、どこでも撮影する事ができました。もう一つの派閥ではだめでしたね、金払えの一点張りで。また、週に3回、朝4時に食事の炊き出しに来るのですが、その前に十字架を置き、それに集う人として撮影しました。
――「跳ぶ人」は、モデルの躍動感もすごいですね。
2章目の「跳ぶ人」より Kamiyacho Tokyo September 1997©kazuyoshi usui
「跳ぶ人」では、トランポリンのオリンピック選手、中田大輔氏に出演してもらいました。「跳ぶ人」のアイデアは、東京の空から人が降ってくると言うイメージから生まれたので、それを表現する方法論として最終的に、トランポリンに行き着きました。
しかし、それには実際、街の中で高く跳ばなくてはなりません。また、街中では地面も斜めだったり、安定していない所も多く、安全にかつ、上手く跳べる人でなくてはなりませんでした。そこで、日本トランポリン協会の協力を得、トランポリン全国大会にモデル探しに出かけたのです。その大会で一番高く、美しく跳んでいたのが中田さんでした。彼の跳びは別格なほどダントツでしたね。実際撮影の時は、やはり中田さんは美しく跳んでしまうので、あえて形をくずして、落ちて来た感じを出して撮影しています。
心象風景ではない、エンターテインメントを求めて
――「マカロニキリシタン」と「跳ぶ人」は東京を舞台に撮影されています。ここで薄井さんが表現したかった東京とはどのようなものでしょうか?
両作品とも、現代の東京をそのまま表現したかった。
「跳ぶ人」では街のたたずまい、建築物を記録したかった。その前を人が降ってきていると言うフェイクの世界が展開されていますが、20年後30年後には、90年代の東京という街の記録になっていると思います。
「マカロニキリシタン」に関しては、撮影をして作品が出来てから分かったのですが、街にいる人々が、いわゆるアウトサイダーとされる人の方が生き生きしている。感情が伝わってくる表情をしていますね。一般の人々の方が目に生気が無い感じがしました。それが今の東京なのかなぁ、とも思います。
3章目の「モンドトラッショ」より LosAngels U.S.A March 2004©kazuyoshi usui
――「モンドトラッショ」では、「異物」としてのご自身を投下されていますが、その手法を思い立った経緯は? またそれによって実現した表現とはどのようなものだとお考えですか?
「マカロニキリシタン」「跳ぶ人」が東京だったのに対して、世界に幅が広がったのが「モンドトラッショ」です。先の二つの作品は入念に計算されていますが、こちらは、世界の国々に立ったその場での空気感で即興で撮影しています。
撮影した国は、キューバ、LA、フィリピン、中国。それぞれの国、土地に、代々息づく生活があります。その中に“異物”としての僕が一滴、入る事によってまた、写真に化学反応が起きるわけです。
なので、これまでの作品の“フェイクドキュメンタリー”という考え方は変わっていません。でも、その場での即興という手法を取っている事で、僕自身も緊張しながら、自身を試し、より自分のクリエイティブの範疇を超えた物を引き出そうとしています。
写真家は“計算された偶然性”と言うものを、より上手くコントロールできるかだと思います。
――「写真」という概念におさまらない作品が多いのですが、ご自身が特に影響されたアートについて教えてください。
僕の写真に一番影響を与えているのは、音楽です。音楽はクリエイティブの“間”の取り方を教えてくれます。
僕はクリエイティブとはプラスとマイナスのバランスがすごく大切だと考えています。
カッコ良すぎるものは、ある程度、度を超すとダサくなります。一歩引ける余裕が必要だと思うのです。
良い音楽にはそれがあります。最近は”Gotan Project”を良く聴いているんですけど、これは伝統的なタンゴにエレクトロを加える加減のセンスが好きですね。”DJ Shadow”の「Organ Donor」の様にオルガンのダークで儀式的なイメージを、少しスクラッチを入れる事で、威厳を保ちつつ、ストリート感を出している所はこの写真集を作る上で相当影響を受けています。それと、初期の“Massive Attack”のダークなんだけどヒップホップの要素がある所とか好きですね。『マカロニキリシタン』の装丁をしてくれた森本千絵さんには、このCDを渡して、「こんな感じでお願いします」ってオーダーしました。
――では、最後に、薄井さんが写真という手段を使って表現することの大きな目的や達成したいことは何でしょうか?
僕は写真をエンターテイメントの一つだと考えています。音楽や映画と並ぶ存在だと思うのです。気分が落ち込んだ時に、音楽を聴いたり、映画を観る様に心の動くものが、写真にも、もっと有っても良いと思うのです。
今の多くの写真には、作家の心象風景みたいなワンウェイのアウトプットが多すぎる。青くて淡い写真が流行れば、みんながそちらに行ってしまう。音楽や映画の中に数多くのジャンルが有る様に、写真の中にも観る人への選択肢がもっと有っても良いと思うのです。今回の僕の写真集は男が創る、男の為の写真かもしれない。この写真集を観て心を振るい立たせてくれる人が出て来たら嬉しいですね。
(2006年8月)
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柴田元幸『バレンタイン』ロングインタビュー vol.3
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/3401011/
2006-07-18T10:16:00+09:00
2006-07-24T11:55:37+09:00
2006-07-18T10:16:55+09:00
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インタビュー
【お話を伺ったのは】
柴田元幸:しばたもとゆき 1954年東京生まれ。東京大学文学部教授。専攻はアメリカ文学。現代を代表する翻訳家のひとり。エッセイ集に『生半可な學者』『死んでいるかしら』『舶来文学 柴田商店』『猿を探しに』など。訳書は、ポール・オースター、スティーヴ・エリクソン、スティ-ヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックなど多数。メルヴィルから現代までのアメリカ文学を論じた『アメリカン・ナルシス』で’05年サントリー学芸賞受賞。
【取り上げた本】 『バレンタイン』柴田元幸/新書館、 1,050円 (税込)
「バレンタイン」で始まり「ホワイトデー」で終わる14の短編集。結婚して25年になる妻のロボットが壊れる「妻を直す」。夜中の台所でいつも幽霊に遭遇する「午前三時の形而下学」。ある日突然、時間が昭和に逆戻りする「ホワイトデー」など、リアルとシュール、ホラーとコメディが入り混じった妄想ワールド!
>>試し読みもできる新書館の情報サイトはこちら
無意識の底から湧いてくるもの
――「蓮」という作品では、途中で花代さんの歌が出てきて、その歌をきいた柴田さんがだんだん壊れていく感じが面白いです。
「蓮」は、ぜんぶ本当のことしか書いてないですね。豆腐をストローで吸う競争とか、ホントにやったんですよ。あれは夏に書いたもので、もう脳が溶けてるんです。クーラーが嫌いなので、家にいると暑くて脳が溶けていくんです。その感じは好きですね。夏に書いたエッセイはだいたい変ですね。でも内容はぜんぶ事実。
――リズムがあって「生き物」として呼吸しているような作品ですね。
音楽は何の意味も求めずにただ楽しめるんだけど、文学となるとつい教訓とか意味を求めてしまう部分があって。そうじゃなくて、小説も音楽みたいに楽しめるのが一番いいと思ってるんですよね。
――ふだんから空想がちですか? それとも文章を書くときに切り替わるんですか?
ふだんはあまり妄想に流れないですね。「次、何を食べようかな」とか、「次はどの仕事しようかな」とか、現実のことしか考えてない。昼間、社会人やってるときは、教師だったり、組織の中で働いているので、ズレるとまずいですよね。こういうエッセイとか小説っぽいものを書くときというのは、ズレる許可を自分にしてるんですね。ふだんは抑えてるんだけど、「妄想していいんだ」って自分に許可してる。そういう意味では、作家というのは、つねに自分に「妄想してよろしい」と許可している人種なんでしょうね。
――アイデアは、どういうときに浮かびますか?
明け方の4時から5時くらいに目が覚めたときに浮かぶのが一番いいんですよ。目が覚めてボーっとしているときに「ああ、この感じで書けるな」って。「朦朧としている自分が一番賢い」みたいな。頭で考えてもダメなんですね。湧いてくるのを待つしかない。だから努力した産物ではないですね。湧いてくるものを書き取ってる感じです。たぶん締め切りがないと、いつまでたっても湧いてこない。締切があると、不思議にその日の朝に湧くんですよね。締切だなって何日か前から思ってて、それが無意識に沈んでいって、なんとか間に合うっていう繰り返し。
――湧いてくるもの?
そうですね。下の方からか外からかはわからないけど、どこからかやってくるんですね。
――そういえばスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんの本に、霊界からのメッセージが一番届きやすいのは、明け方だと書いてありました。
ええっと、僕の場合は霊界ではないですね(笑)。異界の話ばっかり書いているけど、霊界とのコネクションはないですね。やっぱり自分の底のほうからです。それは結局同じことかもしれないけど。とにかく「誰でも意識の底のほうでは個性的なことを考えている」というのが教師をやっていて感じる経験則ですね。頭の上のほうで操作すると、外に出てくるときには、つまらない正解になっちゃうんだけど、意識の底にあることは千差万別で面白い。
――深層意識から湧き上がってくるものが大事なんですね。
それが僕の場合は、わりと子供の頃の記憶が多い。要するに「いま・ここ」じゃない「いつか・どこか」ということであって、それとつながることが大事なんだろうと思いますけど。無意識に潜ることが上手なのが作家という人種なんだと思いますね。
野中柊さんと話していて、エッセイは雑巾のように自分をぎゅっと絞るからツライけど、小説を書くのは、きれいな海に潜ってこんなものがあるって発見する作業だから楽しいとおっしゃっていて、それが作家というものなんだなと思いましたね。僕の場合は、潜ってもせいぜいそのへんの六郷川とかだから(笑)。きれいな海どころか、汚くて潜る気もしないような川しか思いつかない。
――そこが柴田さんならではのユニークさですね(笑)。柴田さんもお好きな内田百閒とかだと、色っぽい女の人が出てきたりしますが。
泉鏡花とかね、妖しい美女が出てくるよね。そうか、それが描けないのが、僕の最大の限界か。僕の書いてるものって、妄想なんだけど、どれもショボいんですよね。ショボい現実から、ショボい妄想へ。華々しいファンタジーじゃ全然ない。妄想なんだから美女が出てきてもいいはずなんだけど。それを書ければ、話の3割くらいは広がる気がしますね。
――以前から小説のテーマとして「恋愛には一番興味がない」とおっしゃっているとおり、そういった要素は出てこないですね。
それは意識的に避けているということではないです。とりあえず、思い返してみても、そういうことがないのでねぇ。素材がないと書けないから。妄想の部分もあるけど、やっぱり現実の経験が引っかかって、そこから書いている部分が多いですね。結局、自分に起こったことと何らかの形でつながってることしか書けないし、他の人物が出てきてるようでも、自分の分身みたいな人物しか出てこないしね。だから、やっぱり、小説ではないですね。小説って、他人が出てきて、自分が理解できないものと接して、そこでわけのわからないことがいろいろ起きたり、わけのわからない思いをしたりするっていうものだと思うんだけど、そういう意味では、小説になってないですね。いやまあ別に、小説にするつもりもないんですけど(笑)。(6月 東京大学本郷キャンパスにて)
【お知らせ】『バレンタイン』出版記念!柴田元幸 朗読会&サイン会が8月1日19:00~タワーレコード渋谷店で行われます。 →詳細はこちら!
写真=すべて南六郷の多摩川べりにて。蟹がたくさんいるエリアもある。]]>
柴田元幸『バレンタイン』ロングインタビュー vol.2
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/3371071/
2006-07-11T10:10:00+09:00
2006-07-18T10:17:53+09:00
2006-07-11T10:10:07+09:00
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インタビュー
【お話を伺ったのは】
柴田元幸:しばたもとゆき 1954年東京生まれ。東京大学文学部教授。専攻はアメリカ文学。現代を代表する翻訳家のひとり。エッセイ集に『生半可な學者』『死んでいるかしら』『舶来文学 柴田商店』『猿を探しに』など。訳書は、ポール・オースター、スティーヴ・エリクソン、スティ-ヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックなど多数。メルヴィルから現代までのアメリカ文学を論じた『アメリカン・ナルシス』で’05年サントリー学芸賞受賞。
【取り上げた本】 『バレンタイン』柴田元幸/新書館、 1,050円 (税込)
「バレンタイン」で始まり「ホワイトデー」で終わる14の短編集。結婚して25年になる妻のロボットが壊れる「妻を直す」。夜中の台所でいつも幽霊に遭遇する「午前三時の形而下学」。ある日突然、時間が昭和に逆戻りする「ホワイトデー」など、リアルとシュール、ホラーとコメディが入り混じった妄想ワールド!
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今の自分は「なにかのまちがい」
――子供の頃の記憶が主要な題材になっているんですが、それだけではなくて、子供時代と現在、ロンドンに留学していた頃など、いくつかのパラレルワールドがあって、そこでは分身たちの人生が続いていて、それぞれの人生がときどきクロスする感じも繰り返し書かれていますね。
今、51歳の僕の中にも、10歳の自分や20歳の自分がいるし、30歳、40歳の自分もいるし、いろんな自分が同居してるっていう感じはずっと前から持ってるんで、そういう感じを書きたいっていうのはありました。51歳の自分が現実に外に出ているからといって、これが一番リアルかっていうと、そうは思えないんですよね。
――「卵を逃れて」では、舞台の上にいる「僕」が観客から卵をぶつけられ、「映画館」では刺し殺されたり、とにかく痛い目に遭う話が多いですね。
要するに、自分が生きていることが実感できない、納得できないというのがあって。それは『死んでいるかしら』というエッセイの頃からよく書いてますけど、「君はもう死んでるんだよ」って言われたら、「あ、そうか」って納得するだろうって。今の自分は「なにかのまちがい」だという感覚があって、それと関係あると思うんだけどな。エリクソンの『Xのアーチ』みたいに、エリクソン自身が出てきたと思ったらあっさり殴られて殺されちゃうのは、いいな、リアルだなと思って。そういうふうに終わるのが一番しっくりくるんですよね。
――以前からエッセイで、人生を棒に振る話が好きだとお書きになっていましたが、それとも関係あるでしょうか? やはり柴田さんの小説も人生棒振り物語が多いですね。
大学の教師になって、東大教授になって、翻訳やエッセイの本を出して、今こうしてインタヴューを受けたりしている自分は、やっぱり「なにかのまちがい」だという気がするんですね。「ホワイトデー」でも書いてるんだけど、自分の働いたお金で家を建てたなんてことも、なんか信じられなくて。ある日、帰ってみたら元の平屋に戻ってたって、そんなに驚かない。「やっぱりな」って思うだろうなと。世界が自分に対して善意で接してくれてるのが、いまだに信じられないんですね。人生の最初の35年くらいは基本的に、世界は自分に対して無関心だったのが、だんだん親切になってきて、仲良くしてくれるようになって、「なんかのまちがいじゃないか」「どこかでツケが回ってくるんじゃないか」という思いがあって、それをこういう形で出すことで、ガス抜きしてるような気持ちがあるんじゃないでしょうかね。
――厄払いのようなものでしょうか(笑)。もうひとつ感じたのは、もっとも身近にある最大の謎というか、日常に潜むホラー、サイコサスペンスみたいなものとして奥さんの存在は大きいのかな、と。「ウェイクフィールドの微笑」はもちろんそうですが、「妻を直す」も、ホーソーンの「ウェイクフィールド」の柴田さん流の翻案だと思ったんですが、ご両親の描き方を見ても、夫婦の関係というものに関心があるのかなと。
いや、「妻を直す」は、本当に留守番電話が壊れて、ファックスが壊れて、次に何が壊れるかなって思って家の中を見回したら奥さんがいた、っていうだけですから。人間関係にあんまり興味がないんですね。短編で精一杯で、これ以上長いものを書けないのは、人に興味がないからでしょうね。「ウェイクフィールド」も、夫婦の関係よりも、ウェイクフィールドが浮かべた狡猾な微笑は何なのかっていう、男の心理のほうに目が行ってますね。ホーソーンは、僕が一番しっくりくる、自分で書けたことにできるならしたい作品を一番書いている作家。自分がそこにいて生きているという実感を持てなかった人ですよね。
写真上=ロンドンの街、写真下=大田区の六郷神社
次回のvol.3完結編へ続く。
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柴田元幸『バレンタイン』ロングインタビュー vol.1
http://blog.excite.co.jp/bkspecial/3340195/
2006-07-04T15:03:00+09:00
2006-07-11T10:26:56+09:00
2006-07-04T15:03:22+09:00
books_special
インタビュー
【お話を伺ったのは】
柴田元幸:しばたもとゆき 1954年東京生まれ。東京大学文学部教授。専攻はアメリカ文学。現代を代表する翻訳家のひとり。エッセイ集に『生半可な學者』『死んでいるかしら』『舶来文学 柴田商店』『猿を探しに』など。訳書は、ポール・オースター、スティーヴ・エリクソン、スティ-ヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックなど多数。メルヴィルから現代までのアメリカ文学を論じた『アメリカン・ナルシス』で’05年サントリー学芸賞受賞。
【取り上げた本】 『バレンタイン』柴田元幸/新書館、 1,050円 (税込)
「バレンタイン」で始まり「ホワイトデー」で終わる14の短編集。結婚して25年になる妻のロボットが壊れる「妻を直す」。夜中の台所でいつも幽霊に遭遇する「午前三時の形而下学」。ある日突然、時間が昭和に逆戻りする「ホワイトデー」など、リアルとシュール、ホラーとコメディが入り混じった妄想ワールド!
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柴田元幸、初の妄想集!?
――『バレンタイン』は待望の小説家デビュー作ですね。
「大航海」という雑誌でずっとエッセイを連載してるんですが、現実があまりにも退屈なので、もう妄想に行くしかないんです(笑)。それでまあ、わりと小説タッチのものが多くなってきた。でもエッセイとあまり変わらないんですけどね。ちょっと妄想の度合いが高いだけで。
――雑誌掲載分以外は、「書き下ろし」ではなく「初活字化」となっていますね。
「バレンタイン」「映画館」「ホワイトデー」は、バレンタインのお返しとして書いたものです。以前は翻訳したものを渡してたんですが、ここ数年は自分で書いた文章をお返しに渡してるんですね。あと、「期限切れ景品点数券再生センター」「書店で」というのは、書店のイベントのために書いたもので。だから、どれも気楽に書いてます。僕自身も楽しみながら書いたものばっかりですね。「そんな、気楽に書いたものを本にするなよ」って言われそうですけど(笑)。「夜明け」というのは、「Coyote」の新井敏記さんから「生まれて初めての旅の思い出を書いてください」と言われて、書いてみたら、こういうのが出てきたんです。「バレンタイン」や「ホワイトデー」は、このタイトルで書こうと決めてホワイトデーの前日に書いたものだし、なんとなく枠を与えてもらうとやりやすいですね。どれも締切の前日とかに、ひと筆描きみたいな感じで1時間か2時間で書きました。
――1050円(税込)とお手頃な価格ですね。
それは強くお願いしました。ホントは手に収まるくらいのサイズにしたかったんです。一人前の本じゃないから(笑)。
――「生半可な學者」の「半人前の小説」ということでしょうか(笑)?
これはもう、僕が今まで出した本の中で一番売りのない本だから。僕が書店でこれだけイベントをやったりできるのは、翻訳者だからなんですよね。好きな本しか訳してないから「こんなにいい本を訳したので、みなさん読んでください」って自信をもって言える。でも、作家が自分で「僕、こんなにいい本を書いたので、みなさん読んでください」とは言わないですよね。それは、いい本を書いている人だって言わないんだから、ましてや私が(笑)。
――小説と翻訳では、使う脳はちょっと違う感じでしょうか?
それは違いますね。翻訳は原文がそこにあって逃げないから、音楽を聴きながらでも、できるんですよね。創作は、どんなにレベルが低くても、頭の中にしかないから、ぼやぼやしてると逃げちゃう。そういう意味では、わりと緊張を強いられますね。そんなに長いものを書いてるわけじゃなくても。
――今までにたくさんの小説を翻訳されてきたことは、ご自分の文章にも影響を与えていると思われますか? たとえば、作家のエッセンスみたいなものが柴田さんの中に蓄積されていて、それが書いているときにポロッと出るような感覚とか?
それはどうなんだろう。「期限切れ景品点数券再生センター」は、ベン・カッチャーの漫画『ジュリアス・クニップル、街を行く』のイベントをやったときに、いつもイベントでは朗読するんだけど、これは漫画なんで朗読できないからベン・カッチャー風の小説でも書くかって書いたものだし、「書店で」も、やっぱりイベントのときにわざとバリー・ユアグローのスタイルを借りて書いたものだし。どっちもはっきり意図的にやりました。まあでも、わりと染みついてるのかな。翻訳してなかったら、書けないかもしれませんね。
――作品の舞台は柴田さんの生まれ育った京浜工業地帯の下町で、登場するのはご両親や奥様だったり、これまでのエッセイ集『生半可な學者』『死んでいるかしら』『猿を探しに』などの読者にはお馴染みの場所、人物だったりするんですが、肉体をもった主人公が動き回って痛い目に遭ったりする身体感覚、その感触は、やはりエッセイとは違いますね。
エッセイは固有の時間に限定されない一般論を書くけど、こっちはある特定の時間の中で「こういう出来事がありました」という、「物語の時間」というのがあるのかもしれないですけどね。床が古くて汚れている感じとか、そういう細部を実感してもらえれば嬉しいですね。
写真上=六郷の町にて、写真下=六郷から見た多摩川、いずれも作品の舞台に頻出する
第二回「今の自分は”なにかのまちがい”」に続く。
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